秋篠月清集 Last updated 1/5/2005
渋谷栄一(C)

秋篠月清集


「式部史生秋篠月清集」(一帖 天理図書館蔵 益田孝旧蔵) 天理図書館善本叢書影印
翻刻

研究史・参考文献
1967年(昭和42年)7月 呉文炳『定家殊芳』(吉田幸一「解題」)

研究情報
後京極摂政藤原良経の家集
《吉田》「益田孝翁旧蔵。安貞二年(一二二八)古写。胡蝶装、桝形本で、竪一六・〇×一五・二糎。表紙は金糸にて牡丹花模様を織出した緞子。見返しは金銀箔による雲形模様。料紙は斐に楮を混漉したもの。
 第一帖(「秋篠月清集」渋谷注)は、六折より成り、第一折十二枚(但六丁分は見返しの内に入れてあるから墨付十六丁、白紙一丁)、第二折は十一枚、第三折十枚、第四折十一枚、第五折十枚、第六折五枚(但、五丁分は見返しに入れてあり、のこる五丁の内、墨付二丁。尾三丁は白紙)以上合計百六丁で、墨付百二丁である。一面九、または十行書き、和歌一首二行書き、本文筆者は、定家側近の子女(所謂、民部卿局筆)で、定家は大体、部立と題、詞書のみを書いてゐる。内容は式部史生秋篠月清集上下を一帖に収めたもので、墨付第一丁に、内題「式部史生秋篠月清集上」(この内題は定家筆ではない側近者筆)とあり、本文五十一丁半。下は六十丁ウから始まり、内題「式部史生秋篠月清集下<祝恋/雑>」(この内題は定家筆)とある。本文四十九丁半。そして、そのあとの一丁オに、
 是御平生之時所被注置
 之本也夢後書留之
 粗一見了御本怱返上
 之間不見中書之草子誤
 無極不晴覚事不能直付
  安貞二年五月二日
と、定家自筆の識語があつて、本書書写の経緯と年時を知ることができる。定家六十七歳の筆である。」(吉田幸一『定家殊芳』「解題」73〜74頁)
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