文化と歴史  教授 渋谷 栄一 担当  (月1限 9:00~10:30 1201教室)  最終更新 平成12年6月26日

文化と歴史--国文学--

 【講議概要】テーマ「古典と現代」
 現代は価値観の多様化時代と言われ、個人個人の価値観や生き方は多様だと言われているが、一見したところ、身につけている服装や持ち物、おしゃれの仕方、日常のライフスタイル等は、皆同じようである。また、現代の日本人は物質的にはかなり豊かになったとはいえ、そのように一様のものを持って満足していたのでは、真に豊かになったのか、多様性といえるのか、あやしいものである。
 多様化の時代、個性化の時代とは言われながらも、今日の日本人は精神的にはかなり貧しいものといわねばならない。さらに、問題なのは、そうした現代的状況の中で、精神拠り所を失って、漂流しているような精神状態であることだろう。
 日本の古典を学ぶことによって、その中から、真に価値あるものとは何か。伝統と言われているものの価値は何か。単なる尚古趣味や時代錯誤(アナクロニズム)ではなく、古典のもつ価値や現代的意味というものを再認識し、今日を生る我々の糧としたい。

【学習方法】
 本講座では、前期には、初めに日本文学の表現媒体である日本語について、その表現性の可能性と限界性について考える。次いで、日本語と日本文学の歴史(言語芸術史)について、その主題と表現世界を講議していく。後期には、日本文学の最高傑作である「源氏物語」を取り上げて、その文学的価値について、グローバルな視点で、人類の普遍的文化遺産としてのその真価を講義してしていく。そして最後に、高度情報化時代、国際化時代における日本語と日本文学の将来性を考えたい。

【関連科目】「文化と歴史」の他の講座

【テキスト】特に指定しない。

【参考書】
 小西甚一『日本文藝史』1~5 講談社
 加藤周一『日本文学史序説』上下 筑摩書房
 渋谷栄一「源氏物語の世界」(URL:http://www.sainet.or.jp/~eshibuya

【成績評価その他】
 前期・後期の定期試験及び出席点。場合によっては課題レポートを課することもある。

【年間スケジュール】
前期
第1回(4/10)はじめに(講義概要について)
第2回(4/17)古代 文学以前 文学生成の母体・環境・条件
第3回(4/24)  作品論『万葉集』とその時代 感動とその言語表現
第4回(5/8)   仮名文字の発明と散文文芸 日本的美の様式と伝統の確立
第5回(5/15)  作品論『源氏物語』の達成 虚構物語と精神的高さ
第6回(5/22)中世 古代文芸への憧憬と崩壊 鴨長明と吉田兼好の随筆
第7回(5/29)  作家論 世阿弥・芭蕉 その芸術と人生 求道と言語芸術の極致
第8回(6/5)   文学の革命 知識人・大衆・出版の量的拡大化
第9回(6/12)近代 世界文学への改革 西洋と日本・日本の特殊性と普遍性
第10回(6/19)現代 国際化・情報化時代と価値観の多様化の中での日本文学
第11回(6/26)  川端康成と大江健三郎の文学
第12回(7/3)   現代文学の課題と状況
第13回(7/10)前期まとめ
後期
第14回(9/25)源氏物語の世界 日本の伝統的美意識と様式
第15回(10/2)紫式部の生涯
第16回(10/16)紫式部の著作物1 日記『紫式部日記』
第17回(10/23)       2 私家集『紫式部集』
第18回(10/30)『源氏物語』の主題と構成 第一部の世界
第19回(11/6)     〃        第二部の世界
第20回(11/13)    〃        第三部の世界
第21回(11/20)『源氏物語』の季節感と美意識 春
第22回(11/27)    〃          夏
第23回(12/4)     〃          秋
第24回(12/11)    〃          冬
第25回(12/18)後期まとめ
第26回(1/15)総まとめ 人類の普遍的文化遺産としての日本語と日本文学の課題

文化と歴史--講義ノート--

第1回(4/10)はじめに(講義概要について)

第2回(4/17)古代 文学以前 文学生成の母体・環境・条件
「文学」とは、言語芸術である。音声言語また文字言語等を媒体として表現され、読者に感動と共感を呼び起こす。言語はコミュニケーションの手段であるが、通常のそれを超えたところに感動が起こる(未完)
「感動」--人生の通過儀礼 誕生、結婚、死から考える
     神への祈りと感謝 古代の生活から考える(未完)

第3回(4/24)  作品論『万葉集』とその時代 感動とその言語表現

第4回(5/8)   仮名文字の発明と散文文芸 日本的美の様式と伝統の確立

第5回(5/15)  作品論『源氏物語』の達成 虚構物語と精神的高さ

第6回(5/22)中世 古代文芸への憧憬と崩壊 鴨長明と吉田兼好の随筆

第7回(5/29)  作家論 世阿弥・芭蕉 その芸術と人生 求道と言語芸術の極致
 はじめに
1 明日(5月30日)から7月9日まで「国宝平等院展」が東京国立博物館の平成館で開催されます。前回の「日本国宝展」に行かなかった人、またレポートを未提出の人はこの機会に是非とも観て、レポートを提出するように。今回の目玉は「雲中供養菩薩」52体です。
2 立花隆著『脳を鍛える 東大講義 人間の現在1』(新潮社 2000年3月 税別1600円)は、大学での勉強法と読書の大切さを語って興味深い本です。難しいところは飛ばして読んでけっこうですから、一読をお勧めします。
一 日本人と旅 地名と産土神 国魂
 古代(奈良・平安)『万葉集』『古今和歌集』等の和歌に詠まれた地名
主要歌枕--末の松山 勿来の関 筑波山 武蔵野 姥捨山 伊吹山 難波江 高砂 熱田津 志賀の浦
能因(988-没年未詳) 平安時代の歌人 半続俗半僧的な出家生活 歌枕に対する愛着と旅
『能因歌枕』歌学書 国別の名所地名や月ごとの歌題景物を列挙
 二 西行(1118-1190)俗名、佐藤義清 能因を偲び歌枕を訪ねて旅に出る
代表歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ」(三夕の歌の一首)
   「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(山家集)
中世(鎌倉・室町)<芸道> 茶道 華道 その他
世阿弥(1363-1443)『風姿花伝』 能と古典
 三 松尾芭蕉(1644-1694)の旅と紀行文 『野ざらし紀行』『鹿島紀行』『笈の小文』『更級紀行』『奥の細道』
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道するものは一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。(中略)神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
  旅人と我名よばれん初しぐれ」(311-312頁)
俳文の美しさ 和文脈と漢文・漢語
発句(俳句)五七五
芭蕉の代表句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」「此道や行人なしに秋の暮」「古池や蛙飛こむ水のをと」
 むすび
俳句・俳文の完成 日本語の言語芸術の極致
中世の芸道・求道的環境と古典(伝統文芸)尊重 文学修行と旅
【配付資料】「笈の小文」(日本古典文学全集『松尾芭蕉集』311~312頁)

次回
第8回(6/5)   文学の革命 知識人・大衆・出版の量的拡大化
要旨
中世は、古代と近代の間の変革期また転換期と位置付けます。
古代の価値体系が崩壊し近代の価値体系が成立していく過程を考えます。
文学におけるその革命的転換は、いかにして起こったか。その要素、要因をさまざまな面から析出していきたいと思います。
 はじめに
1 前期試験は試験期間中に実施します。
2 国宝平等院展を観ての報告
3 前回の授業についての質問や要望に対して
 一 文学史の革命とは
旧と新 文学の新旧価値観 文学の創作享受等の新旧体系(システム)
 二 旧と新
旧 平安朝の古典籍(和歌・物語)
和歌--元永本「古今和歌集」(日本名筆選 二玄社)、伝藤原公任筆「古今和歌集」(旺文社)
物語--国宝「源氏物語絵巻」
 美しい料紙、美しい書跡(仮名文字)、優れた和歌・物語(絵を含む)--三位一体の総合芸術として完成
 貴族の間で創作され流通(書写)し享受されていた
 平安朝に生まれた古今和歌集や源氏物語は日本の伝統的美意識や文化の型としてその後に大きな影響を与え続けてきた

紙の普及--鎌倉・室町期の書院造 古典籍の書写校勘
印刷技術の輸入--古活字本(烏丸本『徒然草』配付資料参照)、木版刷本の普及、出版活動、本屋の誕生
貨幣経済の発達、経済的余裕と時間的余裕の誕生、識字率の向上
昌平黌(江戸 湯島) 各藩における藩校 私塾 寺子屋等の教育機関
武士、町人出身の文人や学者、戯作者の輩出と活躍

新 近代の文学作品(詩歌・小説・随筆・戯曲)
紙び本--活版印刷、大量生産、マスコミ活動、商業主義、書籍の流通網の整備
学校教育(義務教育)、高学歴化時代、大衆時代 純文学と大衆文学
近代化、西洋化、国際化(アジア・アフリカ等を含めてのグローバル化)
 国民大衆の文学として大量に読まれ創られ普及してきた
 むすび
今新たな変革期 電子(デジタル)本の登場、インターネットの普及、日本語と国際語(英語)のせめぎあい

第9回(6/12)近代 世界文学への改革 西洋と日本・日本の特殊性と普遍性
要旨
日本の近代化は西洋に追いつけ追い越せで積極的に文物思想等を取り入れた。その結果、日本の近代化は西洋化またアメリカ化であった。
明治維新(1868)
文明開化と富国強兵--西洋の先進諸国に追いつけ追い越せのスローガン
第二次世界大戦の敗北、戦後の高度経済成長、バブルの後始末、IT(情報技術)革命の時代
東京大学と外国人雇教師
鹿鳴館時代と欧化主義
 啓蒙運動 福沢諭吉と明六社の人々の活動
福沢諭吉『学問のすすめ』(明5)『文明論の概略』(明8)『福翁自伝』(明31)
森鴎外とドイツ文学    ゲーテ『ファスト』の翻訳
 晩年には 『渋江抽斎』他、史伝の創作
 ドイツ文学、ドイツ哲学のその後の影響
二葉亭四迷とロシア文学  ツルゲーネフ『あひびき』の翻訳
 ロシア文学(トルストイ、ドストエフスキー)、共産主義(マルクス・レーニン主義)のその後の影響
 白樺派への影響 日本人のロシア文学愛好
夏目漱石と英文学     坪内逍遥のシェークスピア作品の翻訳
 晩年には、「自己主義」「則天去私」を唱える
永井荷風とフランス文学  モーパッサン、ゾラ
 帰国後、『ぼく東綺譚』『断腸亭日乗』
 フランス文学(プルースト)、フランス哲学者(サルトル)の影響 遠藤周作、大江健三郎
近代文学先覚者たちの翻訳や紹介活動、そしてその後の東洋的また日本的世界への回帰の問題
西洋の キリスト教・合理主義・個人主義 対 日本の 神仏混交の多神教・曖昧主義・集団主義
古代における先進国中国への遣隋使・遣唐使の派遣とその後の国風文化の形成と近代における先進国西洋諸国への留学とその後の国際化(グローバル化)時代文化の形成
今後の文化形成の課題 人類共通の課題、普遍性しかも地域や民族の固有の歴史と文化に根ざした作品創作

(注1)福沢諭吉(1834-1901)幕末~明治の洋学者、啓蒙家。豊前(ぶぜん)中津藩の下級武士の子として大坂藩邸に生まれる。1855年緒方洪庵の適々斎塾に学び、塾頭となったが、1858年藩命により江戸へ出、築地鉄砲洲に蘭学塾を開いた。一方、英学を独習し、1860年咸臨(かんりん)丸で渡米。1861年翻訳方として幕府遣欧使節に随行、1867年幕府の軍艦購入使節に加わり再渡米した。3回の欧米渡航により、近代文明をつぶさに見聞し、従来の和魂洋才的理解でなく、資本主義文明を、それを生み出した精神から理解しようとした。明治維新のとき、蘭学塾を芝新銭座に移し、慶応義塾(慶応義塾大学)と名付け、明治政府への出仕を辞退し、民間にあって教育と著述に専念した。その思想は、西洋近代の文明によるアジアの後進性からの脱却、いわゆる脱亜論を説き、また個人の独立、自由、平等は天賦であるとして、儒学に代わる実学の必要を主張するものであった。『学問のすゝめ』『西洋事情』『文明論之概略』の3著作によって,明治初期の思想界に大きな影響を与え,《明六雑誌》《民間雑誌》に発表した多くの啓蒙的論文も大きな役割を果たした。
(注2)森鴎外(1862-1922)小説家、評論家、翻訳家、軍医総監。本名林太郎。石見(いわみ)国津和野藩の御典医の長男として津和野で生まれた。東大医学部卒後陸軍軍医となり、1884年ドイツへ留学。1888年帰国し、翌年訳詩集『於母影』を発表、雑誌『しからみ草紙』を創刊して啓蒙的な文筆活動を開始した。小説『舞姫』を書き、《即興詩人》を翻訳、また坪内逍遥との間で〈没理想論争〉を行った。日清戦争に出征、帰国して《めさまし草》を創刊。1899年小倉に転勤したが1902年東京に戻り、日露戦争に従軍。乃木希典大将の殉死に深い感銘を受け、これを機に歴史小説を書き始め,『興津弥五右衛門の遺書』『阿部一族』『高瀬舟』などを書き、さらに史伝小説『渋江抽斎』を書いた。日本近代文学のさまざまな領域を切り拓き、夏目漱石と並称される文学者。
(注3)二葉亭四迷(1864-1909)明治期の小説家。本名長谷川辰之助。江戸生れ。東京外語大露語科中退。坪内逍遥と交わり、評論『小説総論』を発表,また言文一致体のリアリズム小説『浮雲』を書いて近代小説の先駆をなした。ツルゲーネフを訳した『あひゞき』『めぐりあひ』の2編も最初の芸術的翻訳として知られる。1889年以後創作の筆を断ったが、日露戦争後長編小説《其面影》《平凡》を書き、文学者としての名声を復活。ロシアからの帰国の途中、インド洋上で死去。
(注4)夏目漱石(1867-1916)小説家、英文学者。本名金之助。江戸牛込の名主の子に生まれ。少年時は漢詩文に親しみ、大学予備門で正岡子規を知って俳句を学ぶ。東大英文科卒後松山中学、五高教師を経て1900年渡英。1903年帰国後、一高、東大講師となり,1905年から『吾輩は猫である』『坊っちゃん』を《ホトトギス》に発表して文名をあげ、また『倫敦塔』『草枕』などで自然主義文学に対立。1907年朝日新聞入社後『虞美人草』、『三四郎』『それから』『門』などを同紙に発表し作家としての地位を確立した。1910年の修善寺大患以後『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』、『道草』『明暗』などでエゴイズムの問題を追求、晩年は〈則天去私〉の境地に達したとされる。森鴎外と並ぶ明治の代表的文学者。
(注5)永井荷風(1879-1959)明治・大正・昭和期の小説家、随筆家。本名壮吉。別号、断腸亭主人。東京生れ。東京外語中退。広津柳浪に入門、習作のかたわら清元、尺八、落語を稽古、また福地桜痴に師事、歌舞伎作者の修業もする。ゾラの影響を受け、1902年小説《地獄の花》を発表、またゾラの《女優ナナ》などを紹介した。1903年―1908年の米仏遊学後《あめりか物語》《ふらんす物語》を発表して文名を高め、『すみだ川』『冷笑』などで耽美(たんび)派作家として活躍。1910年慶応大学教授となり、《三田文学》を創刊、反自然主義陣営の一大拠点となった。このころより江戸文化に沈潜し、大逆事件に際しては自分を戯作(げさく)者と卑しめた。以後花柳界や娼婦の世界をおもに描き、『腕くらべ』『つゆのあとさき』『ぼく東綺譚』や、第2次大戦後は《浮沈》《踊子》などを発表。訳詩集に《珊瑚集》があり、日記『断腸亭日乗』は風俗資料としても高く評価される。1952年文化勲章。
以上、注1から注5は『マイペディア97』による。一部編集した。

第10回(6/19)現代 国際化・情報化時代と価値観の多様化の中での日本文学
はじめに
国際化時代とは 経済活動、文化スポーツ交流、民間国際交流の機会等
 書籍出版物の流通上の限界(国内・海外支店の流通網の限界、日本語読者の限界)
高度情報化時代とは インターネット時代、IT(情報技術)革命、情報格差問題の浮上
 電子本(CD-ROM本、Web本、電子手帳本等)の登場
1 本の歴史
紙の本 紙(羊皮紙、竹帛)の上に
    墨(インク)を付けて
    筆(羽根ペン、鉛筆、万年筆、ボールペン)で書かれた
活字印刷本の登場(大量出版、商業化、出版文化の成立)
今、本が売れないと言われている 問題点はどこにあるか
紙の本の優れた点 永遠性、コンテンツの固定性、いつでもどこでも読める
紙の本の欠点限界 量的嵩張り、情報の量的限界
紙の本は装丁、挿し絵、活字の美しさ、紙の手触り、インクの匂い、質量感、読後感、所有感等がある
本は芸術、装飾、インテリアになる
2 電子本の登場
電子本 CD-ROM本(DVD本)磁気媒体
    Web本 インターネット上(或サーバーの中)
    電子手帳本(ハードウエアとデジタル情報)
電子本の優れた点 コンパクト、マルチメデイア(音声、動画)、ネットワークによって無限の情報量、インターネットでは販路や国境を超えて読める 無料で読むことさえ可能
電子本の欠点限界 ハードウエアの技術革新の速さ、常に新メディアへの移し替えが必需、コンテンツの可変性と信頼性の問題、読み出し機がないと読めない、Web本には永遠性が期待できない、トラブルが付きまとう
おわりに
紙の本と電子本とは、その内容や目的、読む場所や条件等によって棲み分けられていくか
活字印刷本時代の著作権の発想と電子本時代の著作権の発想

第11回(6/26) 川端康成と大江健三郎の文学
日本の二人のノーベル文学賞作家とその作品について
はじめに
川端康成の文学 日本の伝統的美意識の系譜 固有性 東洋的な虚無思想 禅の思想
        平安朝の文学伝統 季節感 細やかな観察 自然描写 叙情的表現
        代表作『雪国』
大江健三郎の文学 人類共通の問題 普遍性 「核」の問題 共生の問題
        四国の森 日本 ヒロシマ ヒューマニスト 魂の癒しと和解
        代表作『ヒロシマ・ノート』
一 川端康成のノーベル文学賞受賞講演より
資料1「雪の美しいのを見るにつけ、月の美しいのを見るにつけ、つまり四季折り折りの美に、自分が触れ目覚める時、美にめぐりあふ幸ひを得た時には、親しい友が切に思はれ、このよろこびを共にしたいと願ふ、つまり、美の感動が人なつかしい思ひやりを強く誘ひ出すのです。この「友」は、広く「人間」ともとれませう。また、「雪、月、花」といふ四季の移りの折り折りの美を現はす言葉は、日本においては山川草木、森羅万象、自然のすべて、そして人間感情をも含めての、美を現はす言葉とするのが伝統なのであります」(川端康成『美しい日本の私』講談社現代新書 1969年)
二 大江健三郎のノーベル文学賞受賞記念講演より
資料2「川端は、日本的な、さらには東洋的な範囲にまで拡がりをもたせた独自の神秘主義を語りました。独自の、というのは禅の領域につながるということで、現代に生きる自分の心の風景を語るために、かれは中世の禅僧の歌を引用しています。しかも、おおむねそれらの歌は、言葉による真理表現の不可能性を主張している歌ののです。閉じた言葉。(中略)どうして、川端は、このような歌を、それも日本語のまま、ストックホルムの聴衆の前で朗読することをしたのでしょう? この秀れた芸術家が晩年にかちえた、率直で勇敢な信条告白の態度を、私は懐かしく思います。(中略)自分(川端)が根本的に東洋の古典世界の禅の思想・審美感の流れのうちにあることを認めながら、しかしそれがニヒリズムではないと、とくに念をおすことで、川端は、アルフレッド・ノーベルが信頼と希望を託した未来の人類に向けて、おなじく心底からの呼びかけを行なっていたのです」(大江健三郎『あいまいな日本の私』岩波新書 1995年)
「私は、人生と文学において、渡辺一夫の弟子です。私は渡辺から、ふたつのかたちで、決定的な影響を受けました。ひとつは小説について。(中略)もうひとつはユマニスムについて。(中略)私は渡辺のユマニスムの弟子として、小説家である自分の仕事が、言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒すものとなることをねがっています。日本人としてのあいまいさに引き裂かれている、と私はいいましたが、その痛みと傷から癒され、恢復することをなによりももとめて、私は文学的な努力を続けてきました。それは、日本語を共有する同朋たちへの、同じ方向づけの祈念を表現する作業でもありました。(中略)この信条にのっとって、二十世紀がテクノロジーと交通の怪物的な発展のうちに積み重ねた被害を、できるものなら、ひ弱い私みずからの身を以て、鈍痛で受けとめ、とくに世界の周縁にある者として、そこから展望しうる、人類全体の癒しと和解に、どのようなディーゼントかつユマニスト的な貢献がなしうるかを、探りたいとねがっているのです」(同書)
(注1)川端康成(1899-1972)
小説家。大阪市生れ。東大国文卒。大学在学中,1921年第6次《新思潮》発刊,1923年《文芸春秋》同人。1924年横光利一らと《文芸時代》を創刊し,初期の代表作『伊豆の踊子』その他を書いて新感覚派の代表作家となった。その後『浅草紅団(くれないだん)』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』など,日本古来の美を探る作品を書いて1961年文化勲章,1968年ノーベル文学賞。自殺。(『マイペディア97』による。一部編集した)
(注2)大江健三郎(1935-)
小説家。愛媛県生れ。東大仏文科で渡辺一夫〔1901-1975〕に師事,またサルトルに影響を受ける。在学中に発表した《奇妙な仕事》(1957年)で注目され,卒業後『飼育』(1958年)で芥川賞受賞。戦後文学の旗手として活躍し,現代の性や政治を取り上げた作品を著す。核兵器反対運動でも知られ,『ヒロシマ・ノート』(1965年)を発表。一方,『個人的な体験』(1964年)では,脳に障害を抱えた息子との共生を描く。これは後の創作を貫くテーマとなった。『万延元年のフットボール』(1967年)を境に生地の村を神話的な共同体モデルとして捉えるようになり,『同時代ゲーム』(1979年)など,文化人類学の知見を援用し,手法的にはマルケスらのラテン・アメリカ文学とも共通する作品を発表。1980年代以降は,武満徹の曲に想を得た短編連作『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』(1982年),長編『懐かしい年への手紙』(1987年)などにより,テーマの成熟をみた。常に時代と並走する姿勢と,小説の方法論の探求において一貫している。1993年―1995年『燃えあがる緑の木』三部作を発表。1994年ノーベル文学賞。(『マイペディア97』による。一部編集した)
おわりに
現代における日本文学の課題と今後の方向

第12回 現代文学の課題と状況(7/3)
現下の日本文学はさまざまな諸問題、諸事件の発生する中で我々の欲求要望に応えるものとなっているか

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