桐壺(大島本親本復元) First updated 9/20/2006(ver.1-1)
Last updated 9/20/2006(ver.1-1)
渋谷栄一復元(C)

  

桐 壺


《概要》
 現状の大島本から後人の本文校訂や書き入れ注記等を除いて、その親本の本文様態に復元して、以下の諸点について分析する。
1 聖護院道増の「桐壺」巻の書写態度について
 書写者の誤写とその場で直ちに訂正されたかと見られる痕跡がある。
2 大島本親本の復元本文と青表紙本の復元本文との関係
3 大島本親本の復元本文と青表紙本の復元本文の本文訂正跡との関係
4 大島本親本の復元本文と青表紙本の復元本文の本文書き入れ注記との関係
5 大島本親本の復元本文と定家仮名遣い
6 大島本親本の復元本文の問題点 現行校訂本の本文との異同

《書誌》
 「桐壺」巻の書写者は、聖護院道増である。

《復元資料》

凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)から、その親本を復元した。よって、本文中の書き入れ、注記等は、本文と一筆のみを採用し、書写者自身の誤写訂正と思われるものは、それに従って訂正した。そして他の後人の筆は除いた。
2 付箋、行間注記は【 】- としてその頭に番号を記した。付箋は、( )で括り、付箋番号を記した。合(掛)点には、\<朱(墨)合点>と記した。
3 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
4 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
 ( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
5 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

「きりつほ」

  いつれの御ときにか女御更衣あまたふらひ給ひ
  ける中にいとやんことなききはにはあらぬか
  すくれてときめき給ふ有けりはしめより我はと
  思ひあかりたまひつる御かた/\めさましき物に
  おとしめそねみ給ふおなし程それよりけらうの更
  衣たちはましてやすからす朝夕のみやつかへにつけ
  ても人のこゝろをのみうこかしうらみをおふつもりにや
  ありけむいとあつしくなりゆき物心ほそけにさと
  かちなるをいよ/\あかすあはれなる物におもほし
  て人のそしりをもえはゝからせ給はす世のためしにも」1オ

  成ぬへき御もてなしなりかむたちめうへひとなとも
  あいなくめをそはめつゝいとまはゆき人の御おほえ
  なりもろこしにもかゝることのおこりにこそ世もみたれ
  あしかりけれとやう/\天のしたにもあちきなう人
  のもてなやみくさに成て楊貴妃のためしも
  引いてつへくなり行にいとはしたなきことおほかれ
  とかたしけなき御心はへのたくひなき
  をたのみにてましらひ給ふちゝの大納言はなく成て
  はゝ北のかたなんいにしへのひとのよしあるにておや
  うちくしさしあたりて世のおほえ花やかなる御かた/\」1ウ

  にもいたうおとらすなに事のきしきをももてなし
  給ひけれととりたてゝはか/\しきうしろみしな
  けれはことゝある時は猶より所なく心ほそけなり
  さきの世にも御ちきりやふかゝりけむ世になくきよら
  なる玉のおの子御子さへむまれ給ひぬいつしかと
  心もとなからせ給ひていそきまいらせて御覧する
  にめつらかなるちこの御かたちなり一の御子は
  右大臣の女御の御はらにてよせおもくうたかひなきまう
  けの君と世にもてかしつききこゆれとこの御にほひ
  にはならひたまふへくもあらさりけれはおほかたのやむ」2オ

  ことなき御おもひにてこの君をはわたくし物におもほしか
  しつき給ふことかきりなしはしめよりをしなへての
  うへ宮つかへし給ふへききはにはあらさりきおほえいとや
  むことなく上すめかしけれとわりなくまつはせ給ふ
  あまりにさるへき御あそひのおり/\なにことにもゆへ
  あることのふし/\にはまつまうのほらせ給ふあるとき
  にはおほとのこもり過してやかてまいらせたまひなと
  あなかちにおまへさらすもてなさせ給ひし程にをの
  つからかろきかたにも見えしをこの御子むまれ給て
  後はいと心ことにおもほしをきてたれは坊にもよう」2ウ

  せすはこの御子のゐたまふへきなめりと一の御子の女御
  は覚しうたかへり人よりさきにまいり給ひてやん
  ことなき御おもひなへてならす御子たちなとも
  をはしませはこの御かたのいさめをのみそ猶わつ
  らはしう心くるしうおもひきこえさせたまひけるかし
  こき御かけをたのみきこえなからおとしめきすをもと
  めたまふ人はおほく我身はかよはく物はかなき有
  さまにて中/\なる物おもひをそし給ふ御つほね
  はきりつほなりあまたの御かた/\を過させ給ひて

  ひまなき御まへわたりに人の御心をつくし給ふも」3オ
  けにことわりと見えたりまうのほり給ふにもあまり
  うちしきる折/\はうちはしわたとのゝこゝかしこの道
  にあやしき態をしつゝ御送りむかへの人のきぬ
  のすそたへかたくまさなきこともありまたある時に
  はえさらぬめたうのとをさしこめこなたかなた心
  をあはせてはしたなめわつらはせ給ふときもおほ
  かりことにふれて数しらすくるしき事のみまされ
  はいといたう思ひわひたるをいとゝあはれと御覧して
  後涼殿にもとよりさふらひ給かういのさうしをほかに
  うつさせ給てうへつほねに給はすそのうらみましてやらん」3ウ

  方なしこの御子三に成たまふとし御はかまきの事一
  のみやのたてまつりしにおとらすくらつかさおさめ殿の物
  をつくしていみしうせさせ給ふそれにつけても世
  のそしりのみおほかれとこの御子のおよすけもてをは
  する御かたち心はへ有かたくめつらしきまてみえ給ふを
  えそねみあえ給はす物の心しりたまふ人はかゝるひとも
  世にいてをはする物成けりとあさましきまてめをお
  とろかし給ふそのとしのなつみやすん所はかなき心ち
  にわつらひてまかてなんとし給ふをいとまさらにゆる
  させ給はすとしころ常のあつしさになり給へれは」4オ

  御めなれて猶しはし心みよとのみのたまはする
  に日々におもり給てたゝ五六日の程にいとよはく
  なれははゝきみなく/\そうしてまかてさせたてまつ
  り給かゝる折にもあるましきはちもこそと心つ
  かひして御子をはとゝめたてまつりて忍ひてそ出た
  まふかきりあれはさのみもえとゝめさせ給はす
  御覧したに送らぬおほつかなさをいふかたなくお
  ほさるいとにほひやかにうつくしけなる人のいたう
  おもやせていとあはれと物を思ひしみなからことに
  いてゝきこえやらすあるかなきかにきえいりつゝものし」4ウ

  給ふを御覧するにきしかた行すゑをおほしめされ
  すよろつのことをなく/\契のたまはすれと御いら
  へもえきこえ給はすまみなともいとたゆけにて
  いとゝなよ/\と我かのけしきにてふしたれはいか
  さまにとおほしめしまとはる手くるまのせむし
  なとのたまはせてもまたいらせ給ひてはさらにも
  えゆるさせ給はすかきりあらんみちにもをくれ
  さきたゝしとちきらせ給ひけるをさりともうちすて
  てはえゆきやらしとのたまはするを女もいといみし
  とみたてまつりて」5オ

    かきりとてわかるゝみちのかなしきにいかまほしきは
  いのちなりけりいとかく思ひたまへましかはいきもたえ
  つゝきこえまほしけなることはありけなれといとくる
  しけにたゆけなれはかくなからもかくもな
  覧を御覧しはてんとおほしめすにけふはしむへき
  御いのりともさるへき人々うけたまはれるこよひより
  ときこえいそかせはわりなくおもほしなからまかてさせ
  たまふ御むねつとふたかりて露まとろまれすあかしかね
  させ給ふ御つかひの行かふ程もなきに猶いふせさ
  をかきりなくのたまはせつるを夜中うちすくる」5ウ

  程になんたえはて給ぬるとてなきさはけは御つかひも
  いとあえなくてかへりまいりぬきこしめす御心まとひ
  なに事もおほしめし分れすこもりをはします御
  子はかくてもいと御覧せまほしけれとかゝる程に
  さふらひたまふ例なきことなれはまかて給ひなん
  とすなにことかあらむともおほしたらすさふらう人々
  のなきまとひうへも御涙のひまなくなかれをはし
  ますをあやしと見たてまつり給へるをよろしき
  ことにたにかゝるわかれの悲しからぬはなきわさなるを
  まして哀にいふかひなしかきりあれはれいのさほうにおさ」6オ

  めたてまつるをはゝ北のかたおなし煙にのほりなん
  となきこかれ給ひて御送りの女はうの車にしたひ
  のり給ひておたきといふところにいといかめしうその
  さほうしたるにをはしつきたる心ちいかはかりかは
  ありけむむなしき御からをみる/\猶をはする物と
  思ふかいとかひなけれははひになり給はんをみたてまつ
  りていまはなき人とひたふるに思ひなりなむとさかし
  うのたまへれと車よりも落ぬへうまろひ給へは
  思ひつかしと人々もてわつらひきこゆ内より御使
  あり三位のくらひ送り給ふよし勅使きたりてその」6ウ

  宣命よむなんかなしき事成ける女御とたにいはせす
  なりぬるかあかすくちをしうおほさるれはいま一き
  さみのくらひをたにと送らせ給ふなりけり是に
  つけてもにくみ給ふ人々おほかり物おもひしり給ふ
  はさまかたちのめてたかりし事心はせのなたら
  かにめやすくにくみかたかりしことなといまそおほし
  いつるさまあしき御もてなしゆへこそすけなうそ
  ねみ給ひしか人からのあはれに情有し御心をうへ
  の女はうなとも恋しのひあへりなくてそとはかゝる
  折にやとみえたりはかなく日ころ過てのちのわさなとも」7オ

  こまかにとふはせ給ほとふるまゝにせむかたなうかなし
  うおほさるゝに御かた/\の殿ゐなともたえてし給は
  すたゝ涙にひちてあかしくらさせ給へはみたてまつる
  人さへ露けき秋なりなき跡まて人のむねあく
  ましかりける人の御おほえかなとそ弘徽殿なとに
  は猶ゆるしなうのたまひける一の宮をみたてまつ
  らせ給ふにもわか宮の御こひしさをのみおもほし出
  つゝしたしき女房御めのとなとをつかはしつゝ有
  さまをきこしめす野分たちてにはかにはたさむき
  夕暮の程常よりもおほしいつることおほくてゆけ」7ウ

  いの命婦といふをつかはす夕附夜のおかしき程に
  出したてさせ給てやかてなかめをはしますかうやう
  のおりは御あそひなとせさせ給ひしに心ことなる
  物の音をかきならしはかなくきこえいつることの葉も
  人よりはこと成しけはひかたちのおもかけにつとそひてお
  ほさるゝにもやみのうつゝには猶おとりけり命婦かしこ
  にまてつきて門ひきいるゝよりけはひあはれなりやもめ
  すみなれと人ひとりの御かしつきにとかくつくろひ
  たてゝめやすき程にて過したまひつるやみにくれて
  ふししつみたまへるほとにくさもたかく成暴風に」8オ

  いとゝあれたる心ちして月かけはかりそ八重むくらにも
  さはらすさしいりたる南おもてにおろしてはゝきみ
  もとみに物ものたまはすいまゝてとまり侍るか
  いとうきをかゝる御つかひの蓬生のつゆ分いり給ふ
  につけてもいとはつかしうなんとてけにたふましく
  ないたまふまいりてはいとゝ心くるしう御きもゝつくるやう
  になんと内侍の典侍のそうし給しを物おもふたまへ
  しらぬ心ちにもけにこそいとしのひかたく侍けれと
  てやゝためらひておほせ事つたへきこゆしはしは
  夢かとのみたとられしをやう/\思ひしつまるにし」8ウ

  もさむへき方はいかにすへきわさにかともとひ
  あはすへきひとたになきを忍ひてはまいり給なん
  や若宮のいとおほつかなく露けき中にすくし
  給ふも心くるしうおほさるゝをとくまいりたまへなと
  はか/\しうものたまはせやらすむせかへらせ給つゝ
  かつはひとも心よはくみたてまつらんとおほしつゝまぬ
  にしもあらぬ御けしきの心くるしさにうけ給はり
  はてぬやうにてなんまかて侍りぬるとて御ふみたて
  まつるめもみえ侍らぬにかくかしこき仰ことを光にて
  なむとて見たまふ程へはすこし打まきるゝこともや」9オ

  と待すくす月日にそへていと忍ひかたきはわりなき
  わさになんいはけなき人をいかにと思ひやりつゝもろ
  ともにはくゝまぬおほつかなさを今は猶むかしの
  かたみになすらへてものしたまへなとこまやかにかゝせた
  まへり
    宮城野のつゆふきむすふ風の音にこはきか本を
  思ひこそやれとあれとえみたまひはてすいのちなかさ
  のいとつらう思ふたまへしらるゝにまつの思はんこと
  たにはつかしうおもふたまへ侍れはもゝしきに行かひ
  侍らんことはましていとはゝかりおほくなむかしこき」9ウ

  おほせ事をたひ/\うけ給なから身つからはえなむ
  思ひたまへたつましき若みやはいかにおもほししるにかま
  いり給はんことをのみなんおほしいそくめれはことはり
  にかなしうみたてまつり侍るなとうち/\に思ふたまへ
  るさまをそうしたまへゆゝしき身に侍れはかくて
  をはしますもいま/\しうかたしけなくなむとの
  たまふみやはおほとのこもりにけりみたてまつりてくはし
  う御ありさまもそうし侍らまほしきを待をはしま
  す覧に夜ふけ侍ぬへしとていそくくれまとふ心の
  やみもたへかたき片はしをたにはるくはかりにきこえ」10オ

  まほしう侍をわたくしにも心のとかにまかてたまへとし
  ころうれしくおもたゝしきついてににて立より給ひし
  物をかゝる御せうそこにてみたてまつるかへす/\つれなき
  いのちにも侍るかなむまれし時より思ふ心有し人
  にて故大納言いまはとなるまてたゝこの人のみやつかへ
  のほいかならすとけさせたてまつれわれなく成ぬと
  てくちをしう思ひくつをるなと返々いさめをかれ
  侍しかははか/\しううしろみ思ふ人もなきましらひ
  は中/\成へきことゝ思ひたまへなからたゝかのゆいこむ
  をたかへしとはかりにいたしたて侍しを身にあまるまて」10ウ

  の御心さしのよろつにかたしけなきに人けなきはちを
  かくしつゝましらひたまふめりつるをひとのそねみふ
  かくつもりやすからぬことおほくなりそひ侍りつるに
  よこさまなるやうにてつゐにかく成侍ぬれはかへりては
  つらくなんかしこき御心さしを思ひたまへられはへる
  これもわりなきこゝろのやみになんといひもやらす
  むせかへり給程によもふけぬうへもしかなん我御心
  なからあなかちに人めおとろくはかりおほされしもなかゝ
  るましきなりけりといまはつらかりけるひとの契り
  になむ世にいさゝかもひとの心をまけたることはあ」11オ

  らしと思ふをたゝこの人のゆへにてあまたさるましき
  人のうらみをおひしはて/\はかう打すてられて心
  おさめむかたなきにいとゝ人わろうかたくなになり侍
  るもさきの世ゆかしうなむとうちかへしつゝ御しほ
  たれかちにのみをはしますとかたりてつきせすなく/\
  夜いたうふけぬれはこよひすくさす御返そうせむ
  といそきまいる月はいりかたにそらきようすみわた
  れるに風いとすゝ敷成てくさむらの虫のこゑ/\もよほし
  かほなるもいとたちはなれにくきくさの本なり
    鈴むしのこゑのかきりをつくしてもなかき夜あかす」11ウ

  ふるなみたかなえものりやらす
    いとゝしく虫の音しけき浅茅生に露をきそふる
  雲のうへひとかこともきこえつへくなむといはせ給ふおか
  しき御送り物なと有へき折にもあらねはたゝかの御
  かたみにとてかゝるようもやと残したまへりける御さうそく
  一くたり御くしあけのてうとめく物そへたまふわかき人々
  悲しきことはさらにもいはすうちわたりをあさゆふに
  ならひていとさう/\しくうへの御ありさまなとおもひ
  いてきこゆれはとくまいりたまはんことをそゝのかし聞
  ゆれとかくいま/\しき身のそひたてまつらんもいと人」12オ

  きゝうかるへしまた見たてまつらてしはしもあらむは
  いとうしろめたう思ひきこえ給てすか/\ともえまいらせ
  たてまつり給はぬなりけり命婦はまたおほとのこもら
  せ給はさりけるとあはれにみたてまつるおまへのつほ前栽
  のいとおもしろきさかりなるを御覧するやうにて忍ひや
  かに心にくきかきりの女房四五人さふらはせ給て御物
  かたりせさせ給ふ成けりこのころ明くれ御覧する長
  恨哥の御ゑ亭子院のかゝせ給て伊せつらゆきによ
  ませたまへるやまと言の葉をももろこしの歌をも
  たゝそのすちをそまくらことにせさせ給ふいとこまやかに」12ウ

  ありさまとはせ給ふあはれなりつること忍ひやかにそうす
  御返御覧すれはいともかしこきはをき所も侍らす
  かゝるおほせことにつけてもかきくらすみたりこゝちになむ
    あらきかせふせきしかけの枯しより小萩かうへそ
  しつこゝろなきなとやうにみたりかはしきを心おさめさりけ
  る程と御覧しゆるすへしいとかうしも見えしと覚し
  しつむれとさらにえしのひあへさせ給はす御覧しはし
  めしとし月のことさへかきあつめよろつにおほしつゝ
  けられてときのまもおほつかなかりしをかくても月日は
  へにけりとあさましうおほしめさる故大納言のゆい」13オ

  こむあやまたす宮つかへのほいふかく物したりしよろ
  こひはかひあるさまにとこそ思ひわたりつれいふかひなし
  やとうちのたまはせていとあはれにおほしやるかくても
  をのつから若みやなとおひ出たまはゝさるへきつゐても
  有なんいのちなかくとこそ思ひねんせめなとのたまは
  すかの送り物御らんせさすなき人のすみかたつねいて
  たりけむしるしのかむさしならましかはとおもほすもい
  とかひなし
    たつねゆくまほろしもかなつてにても玉のありかを
  そことしるへくゑにかける楊貴妃のかたちはいみしき絵し」13ウ

  といへとも筆かきり有けれはいとにほひすくなし大
  液芙蓉未央柳もけにかよひたりしかたちを
  からめいたるよそひはうるはしうこそ有けめなつかし
  うらうたけ成しをおほしいつるに花とりのいろにも
  音にもよそふへきかたそなきあさ夕のことくさにはね
  をならへ枝をかはさんと契らせ給ひしにかなはさりける
  いのちの程そつきせすうらめしきかせの音むしの
  音につけて物のみかなしうおほさるゝに弘徽殿に
  は久しくうへの御つほねにもまうのほりたまはす月
  のおもしろきによふくるまてあそひをそし給ふいとす」14オ

  さましう物しときこしめすこのころの御けしきをみ
  たてまつるうへ人女ほうなとはかたはらいたしと聞けり
  いとをしたちかと/\しき所ものし給ふ御かたにて
  ことにもあらすおほしけちてもてなし給ふ成へし
  月もいりぬ
    雲のうへも涙にくるゝ秋の月いかに住らむ
  浅茅生の宿おほしめしやりつゝともし火をかゝけつ
  くしておきをはします右近のつかさのとのゐ申の
  こゑきこゆるはうしに成ぬるなるへし人めをおほして
  よるのおとゝにいらせたまひてもまとろませ給ふことかたし」14ウ

  あしたにおきさせ給ふとてもあくるもしらてとおほしい
  つるにも猶朝まつりことはをこたらせ給ぬへかめり物
  なともきこしめさすあさかれゐのけしきはかりふれ
  させたまひて大正しのおものなとはいとはるかにおほし
  めしたれははいせんにさふらうかきりは心くるしき
  御けしきをみたてまつりなけくすへてちかうさふらうか
  きりは男女いとわりなき態かなといひあはせつゝ
  なけくさるへきちきりこそはをはしけめそこらの人の
  そしりうらみをもはゝからせ給はすこの御ことにふれ
  たることをはたうりをもうしなはせ給ふいまはた」15オ

  かく世中のことをもおもほしすてたるやうに成行は
  いとたい/\しきわさなりと人のみかとのためしまて
  引いてさゝめきなけきけり月日へて若みやまいり
  給ぬいとゝこの世の物ならすきよらにおよすけたまへれ
  はいとゆゝしうおほしたりあくるとしの春坊さた
  まり給にもいと引こさまほしうおほせと御うしろみ
  すへき人もなく又世のうけひくましきこと成けれは
  なか/\あやうくおほしはゝかりて色にもいたさせ給
  はす成ぬるをさはかりおほしたれとかきりこそ有けれ
  と世人もきこえ女御も御心をちゐ給ぬかの御」15ウ

  をは北のかたなくさむ方なくおほししつみてをはすらん
  所にたつねゆかむとねかひ給ひししるしにやつゐに
  うせ給ひぬれはまたこれを悲しひおほす事かき
  りなし御子むつになり給ふとしなれはこのたひは
  おほししりてこひなきたまふ年ころなれむつひき
  こえたまへるをみたてまつりをく悲しひをなむ返々の
  給ひける今は内にのみさふらひたまふなゝつに成給へ
  はふみはしめなとせさせたまひて世にしらすさとうかし
  こくをはすれはあまりおそろしきまて御覧すいまは
  たれも/\えにくみ給はし母きみなくてたにらう」16オ

  たうし給へとて弘徽殿なとにもわたらせたまふ御
  ともにはやかてみすの内にいれたてまつり給ふいみ
  しきものゝふあたかたきなりともみてはうちゑま
  れぬへきさまのしたまへれはえさしはなちたまはす女
  御子たちふた所この御はらにをはしませとなすらひ
  給へきたにそなかりける御かた/\もかくれたまはす今
  よりなまめかしうはつかしけにおはすれはいとおかし
  う打とけぬあそひくさにたれも/\思ひきこえ
  たまへりわさとの御かくもんはさる物にてこと笛の音
  にもくもゐをひゝかしすへていひつゝけはこと/\しうう」16ウ

  たてそ成ぬへき人の御さま成けるそのころこまうとのま
  いれるにかしこきさう人有けるをきこしめして宮
  の中にめさんことは宇多のみかとの御いましめあれは
  いみしう忍ひてこの御子をこうろくわんにつかはした
  り御うしろ見たちてつかうまつる右大弁の子のやうに思
  はせてゐてたてまつるにさう人おとろきてあまたたひ
  かたふきあやしふ国のおやと成て帝王のかみなき
  くらゐにのほるへきさうをはします人のそなたにて見
  れはみたれうれふることやあらむおほやけのかためと成て天
  下をたすくるかたにてみれは又そのさうたかふへしと云」17オ

  弁もいとさえかしこきはかせにていひかはしたることゝ
  もなむいとけうありけるふみなとつくりかはして
  けふ明日かへりさりなんとするにかくありかたきひとにたい
  めむしたるよろこひかへりては悲しかるへき心はへを
  おもしろくつくりたるに御子もいとあはれなる句を
  つくりたまへるをかきりなうめてたてまつりていみしき
  送り物ともをさゝけたてまつるおほやけよりもおほくの
  ものたまはすをのつからことひろこりてもらさせたまはねと
  春宮のおほちおとゝなといかなることにかとおほしう
  たかひてなん有けるみかとかしこき御こゝろにやまとさう」17ウ

  をおほせて覚しよりにけるすちなれはいまゝてこの
  君を御子にもなさせ給はさりけるをさう人はまこと
  にかしこかりけりとおほして無品の親王の外戚の
  よせなきにてはたゝよはさし我御世もいとさため
  なきをたゝ人にておほやけの御うしろみをするなむ
  行さきもたのもしけなめることゝおほしさためてい
  よ/\みち/\のさえをならはせ給ふきはことにかしこく
  てたゝ人にはいとあたらしけれとみこと成たま
  ひなは世のうたかひをひ給ぬへく物し給へは
  すくようのかしこき道のひとにかむかへさせたまふにも」18オ

  おなしさまに申せはけむしになしたてまつるへく
  おほしをきてたりとし月にそへてみやす所の御ことを
  おほし忘るゝ折なしなくさむやとさるへき人々
  をまいらせたまへとなすらひにおほさるゝたにいと
  かたき世かなとうとましうのみよろつにおほし成
  ぬるに先帝の四の宮の御かたちすくれたまへるきこえ
  たかくをはします母きさき世になくかしつききこえ
  給ふをうへにさふらう内侍のすけは先帝の御ときの
  人にてかの宮にもしたしうまいりなれたりけれはいはけ
  なくをはしましゝ時よりみたてまつりいまもほのみたて」18ウ

  まつりてうせ給ひにしみやす所の御かたちににたまへ
  る人を三代のみやつかへにつたはりぬるにえみたて
  まつりつけぬをきさいの宮の姫みやこそいとよう
  おほえてをい出てさせ給へりけれありかたき御
  かたち人になんとそうしけるにまことにやと御心とま
  りてねんころにきこえさせ給ひけりはゝきさきあ
  なおそろしや春宮の女御のいとさかなくてきり壺
  の更衣のあらはにはかなくもてなされにしためしも
  ゆゝしうと覚しつゝみてすか/\しうもおほしたゝ
  さりける程にきさきもうせ給ひぬ心ほそきさま」19オ

  にてをはしますにたゝわか女み子たちのおなしつ
  らに思ひきこえんといとねんころにきこえさせたまふ
  さふらふ人々御うしろ見たち御せうとの兵部卿の
  御子なとかく心ほそくてをはしまさむよりは内すみ
  せさせ給て御こゝろもなくさむへくなとおほし成て
  まいらせたてまつり給へり藤つほときこゆけに御
  かたちありさまあやしきまてそおほえたまへるこれは
  人の御きはまさりて思ひなしめてた
  くひともえおとしめきこえ給はねはうけはりてあかぬ
  事もなしかれは人のゆるしきこえさりしに御心」19ウ

  さしあやにく成しそかしおほしまきるとはなけれと
  をのつから御心うつろひてこよなうおほしなくさむやうな
  るにもあはれなるわさ成けりけむしの君は御
  あたりさりたまはぬをましてしけくわたらせたまふ
  御かたはえはちあへたまはすいつれの御かたも我人
  におとらんとおほいたるやはあるとり/\にいとめて
  たけれとうちおとなひたまへるにいとわかううつくしけ
  にてせちにかくれ給へとをのつからもりみたてまつるはゝ
  みやす所もかけたにおほえ給はぬをいとようにたまへり
  と内侍のすけのきこえけるをわかき御心ちにいと哀と」20オ

  思ひきこえ給て常にまいらまほしくなつさいみたてま
  つらはやとおほえたまふうへもかきりなき御おもひとちに
  てなうとみ給そあやしくよそへきこえつへき心ちなん
  するなめしとおほさてらうたくし給へつらつきま
  みなとはいとようにたりしゆへかよひてみえ給ふも
  にけなからすなむなときこえつけ給つれはおさなこ
  こちにもはかなき花もみちにつけても心なしとみえたて
  まつるこよなう心よせきこえたまへれはこきてんの女御
  又この宮とも御なかそは/\しきゆへうちそへて本より
  のにくさもたちいてゝとみたてまつりたまひ名たかう」20ウ

  をはするみやの御かたちにも猶にほはしさはたとへん方
  なくうつくしけなるを世のひとひかるきみときこゆ
  藤つほならひたまひて御おほえもとり/\なれは
  かゝやく日の宮ときこゆこの君の御わらはすかたいとかへ
  まうくおほせと十二にて御けんふくし給ふゐたちおほ
  しいとなみてかきりあることに事をそへさせ給ふ
  ひとゝせの春宮の御元服南殿にて有しきしき
  よそほしかりし御ひゝきにおとらせ給はすところ
  /\の饗なとくらつかさこくさう院なとおほやけこと
  につかうまつれるおろそかなる事もそととりわき」21オ

  おほせ事ありてきよらをつくしてつかうまつれりを
  はします殿のひむかしのひさしひんかしむきにいし
  たてゝくわんさの御座ひきいれの大臣の御座御
  まへにありさるの時にて源氏まいりたまふみつ
  らゆいたまへるつらつきかほの匂ひさまかへ給はん事
  おしけなり大蔵卿くら人つかうまつるいときよらな
  る御くしをそく程心くるしけなるをうへはみやす所のみ
  ましかはとおほしいつるにたへかたきを心つよくねんし
  かへさせ給ふかうふりし給て宮すところにまかて給
  て御そたてまつりかへておりてはいしたてまつり給ふ」21ウ

  さまにみな人涙おとし給ふ御かとはたましてえ
  忍ひあえ給はすおほしまきるゝ折もありつる昔
  の事とりかへし悲しくおほさるいとかうきひは
  なる程はあけおとりやとうたかはしくおほされつる
  をあさましううつくしけさそひ給へりひきいれ
  の大臣の御子はらにたゝひとりかしつきたまふ御むすめ
  春宮よりも御けしきあるを覚しわつらふ事あり
  けりこのきみにたてまつらんの御心なりけりうちにも
  御けしき給はらせ給へりけれはさらはこのおりのうしろみ
  なかめるをそひふしにもともよほさせ給けれはさ」22オ

  おほしたりさふらひにまかて給て人々おほみきなとまい
  る程に御子たちの御さのすゑにけむしつきたま
  へりおとゝけしきはみきこえ給ふ事あれと物の
  つゝましき程にてともかくもあへしらいきこえたま
  はす御まへより内侍宣旨うけたまはりつたへておと
  とまいりたまへきめしあれはまいりたまふ御ろくの物
  うへのみやうふとりて給ふしろきおほうちきに御そ
  ひとくたりれいのことなり御さか月のつゐてに
    いときなきはつもとゆひになかき世を契るこゝろは
  むすひこめつや御心はへありておとろかさせ給ふ」22ウ

    むすひつる心もふかきもとゆひにこきむらさきの
  いろしあせすはとそうしてなかはしよりおりてふたう
  し給ふひたりのつかさの御馬蔵人ところのたかすへ
  てたまはり給ふみはしのもとに御子たちかむたちめ
  つらねてろくとも品々にたまはり給ふそのひのおまへ
  のおりひつものこ物なと右大弁なんうけたまはりて
  つかうまつらせけるとむしきろくのからひつともなと
  所せきまて春宮の御元ふくのおりにも数まされ
  りなか/\かきりもなくいかめしうなむその夜おとゝ
  の御さとにけむしのきみまかてさせ給ふさほう世にめつ」23オ

  らしきまてもてかしつききこえ給へりいときひは
  にてをはしたるをゆゝしううつくしと思ひきこえ
  たまへり女きみはすこしすこしたまへる程にいとわ
  かうをはすれはにけなふはつかしとおほいたり此お
  とゝの御おほえいとやむことなきにはゝ宮内のひとつ
  きさいはらになんをはしけれはいつかたにつけても
  いと花やかなるにこの君さへかくをはしそひぬれは
  東宮の御おほちにてつゐに世中をしり給へき右の
  おとゝの御いきをひは物にもあらすおされたまへり御ことも
  あまたはら/\にものしたまふ宮の御はらは蔵人の少将にて」23ウ

  いとわかうおかしきを右のおとゝの御なかはいとよからねと
  え見過したまはてかしつき給ふ四の君にあはせ給へり
  おとらすもてかしつきたるはあらまほしき御あはひともになん
  けむしの君はうへの常にめしまつはせは心やすくさとすみも
  えし給はす心のうちにはたゝ藤つほの御ありさまをたくひ
  なしと思ひきこえてさやうならん人をこそ見めにる人なく
  もをはしけるかなおほいとのゝ君いとをかしけにかしつかれ
  たるひとゝはみゆれと心にもつかすおほえ給ておさなきほと
  の心ひとつにかゝりていとくるしきまてそをはしける
  おとなに成給て後は有しやうにみすのうちにもいれたまはす」24オ

  御あそひの折/\こと笛の音にきこえかよひほのかなる御声
  をなくさめにてうちすみのみこのましうおほえ給五六日さ
  ふらひ給ておほい殿に二三日なとたえ/\まかて給へとたゝ今は
  おさなき御程につみなく覚しなしていとなみかしつき聞え給ふ御
  かた/\の人々世中にをしなへたらぬをえりとゝのへをくりてさふ
  らはせ給ふ御心につくへき御あそひをしおほな/\おほしいた
  つくうちには本のしけいしや御さうしにてはゝみやす所の御
  かたの人々まかてちらすさふらはせ給ふさとのとのは修理
  しきたくみつかさに宣旨くたりてになうあらためつく
  らせ給ふもとの木たち山のたゝすまひおもしろき」24ウ

  所なりけるをいけの心ひろくしなしてめてたくつくり
  のゝしるかゝるところに思ふやうならん人をすへてすまはや
  とのみなけかしうおほしわたるひかる君と云名はこ
  まうとのめてきこえてつけたてまつりけるとそいひ
  つたへたるとなむ」25オ

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