幻(大島本親本復元) First updated 4/28/2002(ver.1-1)
Last updated 4/28/2007(ver.1-1)
渋谷栄一翻字(C)

  

《概要》
 現状の大島本から後人の本文校訂や書き入れ注記等を除いて、その親本の本文様態に復元して、以下の諸点について分析する。
1 飛鳥井雅康の「幻」巻の書写態度について
2 大島本親本の復元本文と他の青表紙本の本文との関係
3 大島本親本の復元本文と定家仮名遣い
4 大島本親本の復元本文の問題点 現行校訂本の本文との異同

《書誌》
 「帚木」巻以下「手習」巻までの書写者は、飛鳥井雅康である。

《復元資料》

凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)から、その親本を復元した。よって、本文中の書き入れ、注記等は、本文と一筆のみを採用し、書写者自身の誤写訂正と思われるものは、それに従って訂正した。しかし他の後人の筆と推測されるものは除いた。
2 付箋、行間注記は【 】- としてその頭に番号を記した。付箋は、( )で括り、付箋番号を記した。合(掛)点には、\<朱(墨)合点>と記した。
3 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
4 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
 ( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
5 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

「まほろし」(題箋)

  春のひかりを見給につけてもいとゝくれま
  とひたる様にのみ御心ひとつはかなしさの
  あらたまるへくもあらぬにとにはれいのやうに
  人々まいり給ひなとすれと御心ちなやましき
  さまにもてなし給てみすの内にのみおはし
  ます兵部卿の宮わたりたまへるにそたゝ
  うちとけたるかたにてたいめんし給はん
  とて御せうそこきこえたまふ
    わかやとは花もてはやす人もなしな
  にゝか春のたつねきつらんみやうち涙く」1オ

  み給て
    香をとめてきつるかひなく大方の花
  のたよりといひやなすへきこうはいのした
  にあゆみいて給へる御さまのいとなつかしき
  にそこれよりほかにみはやすへき人なくやと
  み給へる花はほのかにひらけさしつゝおかし
  きほとの匂なり御あそひもなくれいに
  かはりたることおほかり女房なとも年ころ
  へにけるはすみそめのいろこまやかにて
  きつゝかなしさもあらためかたく思ひさま」1ウ

  すへき世なく恋きこゆるにたえて御かた/\
  にもわたり給はすまきれなくみたてま
  つるをなくさめにてなれつかうまつれる
  としころまめやかに御心とゝめてなとは
  あらさりしかと時/\はみはなたぬやうに
  おほしたりつる人/\もなか/\かゝるさひし
  き御ひとりねになりてはいとおほそうに
  もてなし給てよるの御とのいなとにもこれかれ
  とあまたをおましのあたりひきさけつゝ
  さふらはせ給つれ/\なるまゝにいにしへの」2オ

  物かたりなとし給おり/\もありなこりなき
  御ひしり心のふかくなりゆくにつけてもさし
  もありはつましかりけることにつけつゝなか
  比ものうらめしうおほしたるけしきのとき
  ときみえ給しなとをおほしいつるになとて
  たはふれにてもまたまめやかに心くるし
  きことにつけてもさやうなるこゝろをみえ
  たてまつりけんなに事もらう/\しくお
  はせし御心はえなりしかは人のふかき心
  もいとようみしり給なからゑんしはて給」2ウ

  ことはなかりしかと一わたりつゝはいかならむと
  すらんとおほしたりしをすこしにても心を
  みたり給けむことのいとおしうくやしう覚
  給さまむねよりもあまる心ちし給ふその
  おりのことの心をしりいまもちかうつかうま
  つる人々はほの/\きこえいつるもあり入道の
  宮のわたりはしめ給へりしほとのおりはしも
  色にはさらにいたし給はさりしかと事に
  ふれつゝあちきなのわさやとおもひたまへ
  りしけしきのあはれなりしなかにも雪」3オ

  ふりたりしあかつきにたちやすらひて
  わか身もひえいるやうにおほえて空のけし
  きはけしかりしにいとなつかしうおいらか
  なるものからそてのいたうなきぬらし給へり
  けるをひきかへしせめてまきらはし給へ
  りしほとのようゐなとをよもすから夢に
  ても又はいかならむ世にかとおほしつゝけらる
  あけほのにしもさうしにおるゝ女房なるへし
  いみしうもつもりにける雪かなといふこゑを
  きゝつけ給へるたゝそのおりのこゝちするに」3ウ

  御かたはらのさひしきもいふかたなくかなし
    うき世には雪きえなんと思つゝおもひ
  のほかになをそ程ふるれいのまきらはし
  には御てうつめしてをこなひし給うつみたる
  火おこしいてゝ御火おけまいらす中納言君
  中将の君なとおまへちかくて御物かたりき
  こゆひとりねつねよりもさひしかりつる夜
  のさまかなかくてもいとよくおもひすまし
  つへかりける世をはかなくもかゝつらひける
  かなとうちなかめ給われさへうちすてゝはこの」4オ

  人/\のいとゝなけきわひんことのあはれに
  いとおしかるへきなとみわたし給しのひやかに
  うちをこなひつゝ経なとよみ給へる御声
  をよろしう思はんことにてたに涙とまるまし
  きをましてそてのしからみせきあへぬまて
  あはれにあけくれみたてまつる人々のこゝち
  つきせすおもひきこゆこの世につけては
  あかすおもふへきことおさ/\あるましう
  たかき身にはうまれなから又人よりことに
  くちおしき契にもありけるかなとおもふこと」4ウ

  たえす世のはかなくうきをしらすへくほと
  けなとのをきて給へるみなるへしそれを
  しひてしらぬかほになからふれはかくいまは
  の夕ちかきすゑにいみしきことのとちめを
  見つるにすくせの程もみつからの心のきはも
  のこりなく見はてゝ心やすきにいまなん
  露のほたしなくなりにたるをこれかれ
  かくてありしよりけにめならす人々の
  いまはとてゆきわかれんほとこそいまひとき
  はのこゝろみたれぬへけれいとはかなしかし」5オ

  わろかりける心の程かなとて御めおしのこひ
  かくし給にまきれすやかてこほるゝ御涙を
  みたてまつる人々ましてせきとめむかた
  なしさてうちすてられたてまつりなんか
  うれはしさををの/\うちいてまほしけれと
  さもえきこえすむせかへりてやみぬかく
  のみなけきあかし給へるあけほのなかめくらし
  給へる夕くれなとのしめやかなるおり/\はかの
  おしなへてにはおほしたらさりし人々を
  おまへちかくてかやうの御物かたりなとをし給」5ウ

  中将の君とてさふらふはまたちいさくより
  見たまひなれにしをいとしのひつゝ見給す
  くさすやありけむいとかたはらいたき事に
  思ひてなれきこえさりけるをかくうせ給
  て後はそのかたにはあらす人よりもらうた
  きものに心とゝめ給へりしかたさまにも
  かの御かたみのすちにつけてそあはれに
  おもほしける心はせかたちなともめやすくて
  うなひまつにおほえたるけはひたゝなら
  ましよりはらう/\しとおもほすうとき」6オ

  人にはさらにみえ給はすかんたちめなとも
  むつましき御はらからの宮たちなとつねに
  まいりたまへれとたいめんし給ことおさ/\
  なし人にむかはむほとはかりはさかしく思
  ひしつめ心おさめむとおもふとも月ころに
  ほけにたらむ身のありさまかたくなしき
  ひかことましりてすゑの世の人にもて
  なやまれむ後の名さへうたてあるへし
  おもひほれてなん人にもみえさむなると
  いはれんもおなしことなれと猶をとにきゝて」6ウ

  おもひやる事のかたはなるよりもみくるしき
  ことのめにみるはこよなくきはまさりてをこ
  なりとおほせは大将の君なとにたにみす
  へたてゝそたいめむし給けるかく心かはりし
  給へるやうに人のいひつたふへきころほひ
  をたにおもひのとめてこそはとねんしすくし
  給つゝうき世をもそむきやり給はす御方
  かたにまれにもうちほのめき給ふにつけて
  はまついとせきかたき涙の雨のみふりま
  されはいとわりなくていつかたにもおほつか」7オ

  なきさまにてすくし給后の宮はうちに
  まいらせ給て三宮をそさう/\しき御なく
  さめにはおはしまさせ給けるはゝののたま
  ひしかはとてたいの御まへの紅梅はいと
  とりわきてうしろみありき給ふをいとあ
  はれとみたてまつり給きさらきになれは
  花の木とものさかりなるもまたしきも
  こすゑおかしうかすみわたれるにかの御かた
  みの紅梅に鴬のはなやかになきいて
  たれはたちいてゝ御覧す」7ウ

    うへてみし花のあるしもなきやとに
  しらすかほにてきゐる鴬とうそふきあり
  かせ給春ふかくなりゆくまゝにおまへの
  ありさまいにしへにかはらぬをめて給ふかたに
  はあらねとしつ心なくなに事につけても
  むねいたうおほさるれは大かたこの世のほかの
  やうにとりのねもきこえさらむ山のすゑゆか
  しうのみいとゝなりまさり給・山吹なとの心ち
  よけにさきみたれたるもうちつけに露け
  くのみ見なされ給ほかの花はひとへちりて」8オ

  八重さく花桜さかりすきてかはさくらは
  ひらけ藤はをくれて色つきなとこそはす
  めるをそのをそくとき・花のこゝろをよく
  わきて色/\をつくしうへをき給しかは時
  をわすれすにほひみちたるにわか宮まろか
  桜はさきにけりいかてひさしくちらさし
  木のめくりに帳をたてゝかたらひをあけ
  すは風もえ吹よらしとかしこう思ひえ
  たりとおもひてのたまふかほのいとうつくし
  きにもうちゑまれ給ぬおほふはかりの袖」8ウ

  もとめけん人よりはいとかしこうおほしより
  給へりかしなとこの宮はかりをそもてあ
  そひにみたてまつり給ふ君になれきこえん
  ことものこつりすくなしやいのちといふものいま
  しはしかゝらふへくともたいめんはえあらし
  かしとてれいのなみたくみ給へれはいとも
  のしとおほしてはゝののたまひし事をまか/\
  しうのたまふとてふしめになりて御その
  袖をひきまさくりなとしつゝまきらはし
  おはすすみのまのかうらむにおしかゝりて」9オ

  おまへの庭をもみすのうちをもみわたして
  なかめ給ふ女房なともかの御形見の色か
  へぬもありれいの色あひなるもあやなと
  はなやかにはあらすみつからの御なをしも
  色はよのつねなれとことさらにやつしてむ
  もんをたてまつれり御しつらひなとも
  いとおろそかに事そきてさひしく心ほ
  そけにしめやかなれは
    いまはとてあらしやはてんなき人の心と
  とめし春のかきねを人やりならすかなしう」9ウ

  おほさるゝいとつれ/\なれは入道の宮の御
  かたにわたり給にわか宮も人にいたかれて
  おはしましてこなたのわか君とはしりあ
  そひ花おしみ給心はえともふかゝらすいと
  いはけなし宮は仏のおまへにて経をそよみ
  給けるなにはかりふかうおほしとれる御道
  心にもあらさりしかともこの世にうらめしく
  御心みたるゝ事もおはせすのとやかなる
  まゝにまきれなくをこなひたまひて
  ひとかたにおもひはなれ給へるもいとうら」10オ

  やましくかくあまへ給へる女の御心さしに
  たにをくれぬることゝくちおしうおほさるあ
  かの花のゆふはへしていとおもしろく見ゆれ
  は春に心よせたりし人なくて花の色も
  すさましくのみみなさるゝを仏の御かさり
  にてこそみるへかりけれとの給てたいのまへの
  山吹こそ猶世にみえぬ花のさまなれふさ
  のおほきさなとよしなたかくなとはをきて
  さりける花にやあらんはなやかににきはゝ
  しきかたはいとおもしろき物になんありける」10ウ

  うへし人なき春ともしらすかほにてつね
  よりもにほひかさねたるこそあはれに侍と
  の給御いらへに谷には春もとなに心もなく
  きこえ給をことしもこそあれ心うくもと
  おほさるゝにつけてもまつかやうのはかなき
  ことにつけてはそのことのさらてもありなむ
  かしと思ふにたかふふしなくてもやみにし
  かなといはけなかりし程よりの御ありさまを
  いてなに事そやありしとおほしいつるに
  はまつそのおりかのおりかと/\しうらう」11オ

  らうしう匂おほかりし心さまもてなし
  ことの葉のみ思ひつゝけられ給ふにれいの涙
  もろさはふとこほれいてぬるもいとくるし
  ゆふくれの霞たと/\しくおかしきほとなれ
  はやかてあかしの御かたにわたり給へりひさしう
  さしものそき給はぬにおほえなきおり
  なれはうちおとろかるれとさまようけはひ
  心にくゝもてつけてなをこそ人にはまさ
  りたれと見給につけてはまたかう
  さまにはあらてかれはさまことにこそゆへよし」11ウ

  をももてな給へりしかとおほしくらへ
  らるゝにもおもかけに恋しうかなしさのみ
  まされはいかにしてなくさむへき心そと
  いとくらへくるしうこなたにてはのとやかに
  むかし物かたりなとし給人をあはれと心
  とゝめむはいとわろかへきことゝいにしへより
  思ひえてすへていかなるかたにもこの世に
  しふとまるへき事なく心つかひをせしに
  おほかたの世につけて身のいたつらに
  はふれぬへかりし比ほひなととさまかう」12オ

  さまにおもひめくらししに命をもみつから
  すてつへく野山のすゑにはふらかさん
  にことなるさはりあるましくなむおもひ
  なりしをすゑの世にいまはかきりの程
  ちかき身にてしもあるましきほたし
  おほうかゝつらひていまゝてすくしてける
  か心よはうももとかしきことなとさして
  ひとつすちのかなしさにのみはの給はねと
  おほしたるさまのことはりに心くるしきを
  いとおしうみたてまつりて大方の人めに」12ウ

  なにはかりおしけなき人たに心の中のほたし
  をのつからおほう侍るをましていかてかは心
  やすくもおほしすてんさやうにあさへたる
  事はかへりてかる/\しきもとかしさなとも
  たちいてゝなか/\なることなとはへるを
  おほしたつほとにふきやうに侍らんや
  つゐにすみはてさせ給かたふかうはへらむ
  とおもひやられ侍てこそいにしへのためし
  なとをきゝ侍につけても心におとろかれ
  おもふよりたかふふしありて世をいとふついてに」13オ

  なるとかそれは猶わるき事とこそなをし
  はしおほしのとめさせ給て宮たちなとも
  をとなひさせ給てまことにうこきなかるへ
  き御ありさまに見たてまつりなさせ給はむ
  まてはみたれなく侍らんこそ心やすくも
  うれしくも侍へけれなといとをとなひてき
  こえたるけしきいとめやすしさまておもひ
  のとめむ心ふかさこそあさきにをとりぬへ
  けれなとの給てむかしより物をおもふこと
  なとかたりいてたまふなかに故后の宮の」13ウ

  かくれ給へりし春なむ花の色をみても
  まことに心あらはとおほえしそれはおほかた
  の世につけておかしかりし御ありさまをを
  さなくよりみたてまつりしみてさると
  ちめのかなしさも人よりことにおほえしなり
  みつからとりわく心さしにも物のあはれは
  よらぬわさなりとしへぬる人にをくれて
  心おさめむかたなくわすれかたきもたゝ
  かゝるなかのかなしさのみにはあらすをさな
  き程よりおほしたてしありさまもろともに」14オ

  おいぬるすゑの世にうちすてられてわか身も
  人の身もおもひつゝけらるゝかなしさの
  たへかたきになんすへて物のあはれもゆへ
  ある事もおかしきすちもひろうおもひ
  めくらす方かた/\そふ事のあさからすなる
  になむありけるなと夜ふくるまてむかしいま
  の御物かたりにかくてもあかしつへきよをと
  おほしなからかへり給を女も物あはれにお
  もふへしわか御心にもあやしうもなりに
  ける心のほとかなとおほししらるさても」14ウ

  又れいの御をこなひに夜なかになりてそ
  ひるのおましにいとかりそめによりふし給つと
  めて御ふみたてまつり給に
    なく/\もかへりにしかなかりの世は
  いつこもついのとこよならぬによへの御あり
  さまはうらめしけなりしかといとかくあらぬ
  さまにおほしほれたる御けしきの心くるし
  さに身のうへはさしをかれて涙くまれたまふ
    かりかゐしなはしろ水のたえしより
  うつりし花のかけをたにみすふりかたく」15オ

  よしあるかきさまにもなまめさましき物
  におほしたりしをすゑの世にはかたみに心
  はせを見しるとちにてうしろやすきかたに
  はうちたのむへく思ひかはし給ひなから
  またさりとてひたふるにはたうちとけす
  ゆへありてもてなしたまへりし心おきて
  を人はさしも見しらさりきかしなとおほし
  いつせめてさう/\しき時はかやうにたゝ
  おほかたにうちほのめき給おり/\もあり
  むかしの御ありさまにはなこりなくなりに」15ウ

  たるへし夏の御かたより御衣かへの御さう
  そくたてまつり給とて
    夏衣たちかへてけるけふはかりふる
  き思ひもすゝみやはせぬ御返
    は衣のうすきにかはるけふよりはうつ
  蝉の世そいとゝかなしきまつりの日いと
  つれ/\にてけふは物見るとて人々心ちよ
  けならむかしとてみやしろのありさま
  なとおほしやる女房なといかにさう/\し
  からむさとにしのひていてゝみよかしなと」16オ

  の給中将の君のひんかしおもてにうたゝねし
  たるをあゆみをはして見給へはいとさゝやか
  におかしきさましておきあかりたりつら
  つきはなやかににほひたるかほをもてかくし
  てすこしふくたみたるかみのかゝりなとおかし
  けなりくれなゐのきはみたるけそひたる
  はかまくわんさういろのひとへいとこきに
  ひ色にくろきなとうるはしからすかさな
  りて裳からきぬもぬきすくしたりける
  をとかくひきかけなとするにあふひをかた」16ウ

  はらにをきたりけるをよりてとり給て
  いかにとかやこのなこそわすれにけれとの給へは
    さもこそはよるへの水にみくさゐめけふ
  のかさしよ名さへわするゝとはちらひて
  きこゆけにといとおしくて
    大かたはおもひすてゝし世なれともあふひは
  猶やつみおかすへきなとひとりはかりをはお
  ほしはなたぬけしきなりさみたれはいとゝ
  なかめくらし給よりほかのことなくさう/\し
  きに十よ日の月はなやかにさしいてたる」17オ

  雲まのめつらしきに大将の君おまへにさふらひ
  給花たちはなの月影にいときはやかに
  みゆるかほりもをひ風なつかしけれは千世
  をならせるこゑもせなんとまたるゝ程に
  にはかにたちいつるむら雲のけしきいと
  あやにくにていとおとろ/\しうふりくる
  雨にそひてさとふく風にところもふき
  まとはしてそらくらき心ちするにまとを
  うつこゑなとめつらしからぬふることをうち
  すし給つるもおりからにやいもかかきねに」17ウ

  をとなはせまほしき御声なりひとりすみは
  ことにかはることなけれとあやしうさう/\
  しくこそありけれふかき山すみせんにも
  かくて身をならはしたらむはこよなう心
  すみぬへきわさなりけりなとの給て女房
  こゝにくた物なとまいらせよおのこともめさん
  もこと/\しき程なりなとのたまふ心には
  たゝ空をなかめ給ふ御けしきのつき
  せす心くるしけれはかくのみおほしまきれ
  すは御をこなひにも心すまし給はんこと」18オ

  かたくやとみたてまつり給ほのかにみし
  御おもかけたにわすれかたしましてことはり
  そかしと思ひゐ給へり昨日けふとおもひ給
  ふるほとに御はてもやう/\ちかうなり侍に
  けりいかやうにかおきておほしめすらむと
  申たまへはなにはかりよのつねならぬ事
  をかはものせんかの心さしをかれたるこくらくの
  まんたらなとこのたひなん供養すへき経
  なともあまたありけるをなにかしそう
  つみなその心くはしくきゝをきたなれは」18ウ

  又くはへてすへきことゝもゝかのそうつのい
  はむにしたかひてなむものすへきなとの給
  かやうの事もとよりとりたてゝおほしお
  きてけるはうしろやすきわさなれとこの世に
  はかりそめの御契なりけりと見給には
  かたみといふはかりとゝめきこえ給へる人たに
  ものし給はぬこそくちおしう侍れと申給へは
  それはかりならすいのちなかき人々にも
  さやうなる事のおほかたすくなかりけるみ
  つからのくちおしさにこそそこにこそはかとは」19オ

  ひろけ給はめなとの給なに事につけても
  しのひかたき御心よはさのつゝましくて
  すきにしこといたうもの給いてぬにまたれ
  つる山ほとゝきすのほのかにうちなきたる
  もいかにしりてかときく人たゝならす
    なき人をしのふるよひのむら雨にぬれ
  てやきつる山ほとゝきすとていとゝそら
  をなかめ給ふ大将
    ほとゝきす君につてなんふるさとのはな
  たち花はいまそさかりと女房なとおほく」19ウ

  いひあつめたれととゝめつ大将の君はやかて
  御殿ゐにさふらひ給さひしき御ひとりね
  の心くるしけれは時々かやうにさふらひ給に
  おはせし世はいとけとをかりしおましのあた
  りのいたうもたちはなれぬなとにつけても
  おもひ出らるゝこともおほかりいとあつきころ
  すゝしきかたにてなかめ給に池のはちすの
  さかりなるを見給にいかにおほかるなとまつ
  おほしいてらるゝにほれ/\しくてつく/\と
  おはするほとに日もくれにけり日くらしの」20オ

  こゑはなやかなるにおまへのなてしこのゆふ
  はへをひとりのみ見給ふはけにそかひなかり
  ける
    つれ/\と我なきくらす夏の日をかこと
  かましきむしのこゑ哉蛍のいとおほうと
  ひかふも夕殿にほたるとんてとれいのふること
  もかゝるすちにのみくちなれたまへり
    よるをしるほたるをみてもかなしきは時そと
  もなきおもひなりけり七月七日もれいに
  かはりたることおほく御あそひなともし給はて」20ウ

  つれ/\になかめくらしたまひて星逢みる
  人もなしまた夜ふかうひと所おき給て
  つまとおしあけたまへるにせんさいの露いと
  しけくわたとのゝとよりとおもてみわたさ
  るれはいて給て
    七夕のあふせは雲のよそにみてわかれの
  庭に露そをきそふかせのをとさへたゝな
  らすなりゆくころしも御法事のいとなみ
  にてついたちころはまきらはしけなり
  いまゝてへにける月日よとおほすにもあき」21オ

  れてあかしくらし給ふ御正日にはかみしも
  の人々みないもゐしてかのまんたらなと
  けふそ供養せさせ給れいのよひの御をこ
  なひに御てうつなとまいらする中将の君の
  あふきに
    君こふる涙はきはもなき物をけふをは
  なにのはてといふらんとかきつけたるをとり
  てみ給て
    人こふる我身もすゑになりゆけとのこり
  おほかる涙なりけりとかきそへたまふ」21ウ

  九月になりて九日わたおほひたる菊を御
  らんして
    もろともにおきゐし菊のしら露
  もひとりたもとにかゝる秋かな神無月には
  おほかたも時雨かちなる比いとゝなかめ給て
  ゆふくれの空のけしきもえもいはぬ心ほそ
  さにふりしかとゝひとりこちおはす雲
  井をわたる雁のつはさもうらやましく
  まもられ給ふ
    おほそらをかよふまほろし夢にたに」22オ

  みえこぬ玉のゆくゑたつねよなにことにつ
  けてもまきれすのみ月日にそへておほ
  さる五節なといひて世中そこはかとなく
  いまめかしけなるころ大将殿の君たちわら
  は殿上し給へるいてまいり給へりおなし程
  にてふたりいとうつくしきさま也御おちの
  頭中将蔵人少将なとをみにいてあをすり
  のすかたともきよけにめやすくてみなうち
  つゝきもてかしつきつゝもろともにまいり
  給おもふ事なけなるさまともをみ給に」22ウ

  いにしへあやしかりし日かけのおりさすかに
  おほしいてらるへし
    宮人はとよのあかりといそくけふ日かけ
  もしらてくらしつるかなことしをはかくてし
  のひすくしつれはいまはと世をさり給へき
  ほとちかくおほしまうくるにあはれなる事
  つきせすやう/\さるへきことゝも御心の
  中におほしつゝけてさふらふ人々にも
  ほと/\につけてもの給ひなとおとろ/\しく
  いまなんかきりとしなしたまはねとちかく」23オ

  さふらふ人々は御ほいとけ給へきけしきと
  みたてまつるまゝにとしのくれゆくも心ほ
  そくかなしきことかきりなしおちとまり
  てかたはなるへき人の御ふみともやれは
  おしとおほされけるにやすこしつゝのこし
  給へりけるをものゝついてに御覧しつけて
  やらせ給ひなとするにかのすまのころほひと
  ころ/\よりたてまつれ給けるもあるなかに
  かの御てなるはことにゆひあはせてそあり
  けるみつからしをき給ける事なれとひさしう」23ウ

  なりける世のことゝおほすにたゝいまのやう
  なるすみつきなとけに千とせの形見にしつ
  へかりけるをみすなりぬへきよとおほせは
  かひなくてうとからぬ人々二三人はかりおまへ
  にてやらせ給ふいとかゝらぬほとのことにてたに
  すきにし人のあとゝみるはあはれなるをまし
  ていとゝかきくらしそれとも見わかれぬまて
  ふりおつる御涙の水くきになかれそふを人
  もあまり心よはしとみたてまつるへきか
  かたはらいたうはしたなけれはおしやり」24オ

  たまひて
    しての山こえにし人をしたふとて跡を見
  つゝも猶まとふかなさふらふ人々もまほには
  えひきひろけねとそれとほの/\見
  ゆるに心まとひともをろかならすこの世
  なからとをからぬ御わかれのほとをいみしと
  おほしけるまゝにかいたまへることのはけに
  そのおりよりもせきあへぬかなしさやらん
  かたなしいとうたていまひときはの御心
  まとひもめゝしく人わるくなりぬへけれは」24ウ

  よくもみ給はてこまやかにかき給へるかた
  はらに
    かきつめてみるもかひなしもしほ草お
  なし雲井の煙とをなれとかきつけてみな
  やかせ給御仏名もことしはかりにこそはと
  おほせはにやつねよりもことに尺定の
  こゑ/\なとあはれにおほさるゆくすゑな
  かきことをこひねかふもほとけのきゝ給はん
  事かたはらいたし雪いたうふりてまめ
  やかにつもりにけり導師のまかつるを」25オ

  おまへにめしてさか月なとつねのさほうより
  もさしわかせ給てことにろくなとたま
  はすとしころひさしくまいりおほやけ
  にもつかうまつりて御覧しなれたる御
  導師の頭はやう/\色かはりてさふらふも
  あはれにおほさるれいの宮たちかんたち
  めなとあまたまいり給へり梅の花のわつ
  かにけしきはみはしめて雪にもてはやさ
  れたるほとおかしきを御あそひなともあり
  ぬへけれと猶ことしまてはものゝねもむせ」25ウ

  ひぬへき心ちし給へはときによりたる物うち
  すんしなとはかりそせさせ給まことや導師
  のさか月のついてに
    春まての命もしらす雪のうちに色
  つく梅をけふかさしてん御返
    千世の春みるへき花といのりをきて
  わか身そ雪とゝもにふりぬる人/\おほく
  よみをきたれともらしつその日そいてた
  まへる御かたちむかしの御ひかりにも又お
  ほくそひてありかたくめてたくみえ給を」26オ

  このふりぬるよはひのそうはあいなう涙
  もとゝめさりけりとしくれぬとおほすも
  心ほそきにわか宮のなやらはんにをとたか
  かるへきことなにわさをせさせんとはしり
  ありき給もおかしき御ありさまをみさ
  らんことゝよろつにしのひかたし
    物おもふとすくる月日もしらぬまに年
  もわか世もけふやつきぬるついたちのほと
  のことつねよりことなるへくとをきてさせ
  給みこたち大臣の御ひきいて物しな/\の」26ウ

  ろくともなにとなうおほしまうけてとそ」27オ

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