《概要》
現状の大島本から後人の本文校訂や書き入れ注記等を除いて、その親本の本文様態に復元して、以下の諸点について分析する。
1 飛鳥井雅康の「幻」巻の書写態度について
2 大島本親本の復元本文と他の青表紙本の本文との関係
3 大島本親本の復元本文と定家仮名遣い
4 大島本親本の復元本文の問題点 現行校訂本の本文との異同
《書誌》
「帚木」巻以下「手習」巻までの書写者は、飛鳥井雅康である。
《復元資料》
凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)から、その親本を復元した。よって、本文中の書き入れ、注記等は、本文と一筆のみを採用し、書写者自身の誤写訂正と思われるものは、それに従って訂正した。しかし他の後人の筆と推測されるものは除いた。
2 付箋、行間注記は【 】- としてその頭に番号を記した。付箋は、( )で括り、付箋番号を記した。合(掛)点には、\<朱(墨)合点>と記した。
3 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
4 本文の校訂記号は次の通りである。
$(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
5 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。
「まほろし」(題箋)
春のひかりを見給につけてもいとゝくれま
とひたる様にのみ御心ひとつはかなしさの
あらたまるへくもあらぬにとにはれいのやうに
人々まいり給ひなとすれと御心ちなやましき
さまにもてなし給てみすの内にのみおはし
ます兵部卿の宮わたりたまへるにそたゝ
うちとけたるかたにてたいめんし給はん
とて御せうそこきこえたまふ
わかやとは花もてはやす人もなしな
にゝか春のたつねきつらんみやうち涙く」1オ
み給て
香をとめてきつるかひなく大方の花
のたよりといひやなすへきこうはいのした
にあゆみいて給へる御さまのいとなつかしき
にそこれよりほかにみはやすへき人なくやと
み給へる花はほのかにひらけさしつゝおかし
きほとの匂なり御あそひもなくれいに
かはりたることおほかり女房なとも年ころ
へにけるはすみそめのいろこまやかにて
きつゝかなしさもあらためかたく思ひさま」1ウ
すへき世なく恋きこゆるにたえて御かた/\
にもわたり給はすまきれなくみたてま
つるをなくさめにてなれつかうまつれる
としころまめやかに御心とゝめてなとは
あらさりしかと時/\はみはなたぬやうに
おほしたりつる人/\もなか/\かゝるさひし
き御ひとりねになりてはいとおほそうに
もてなし給てよるの御とのいなとにもこれかれ
とあまたをおましのあたりひきさけつゝ
さふらはせ給つれ/\なるまゝにいにしへの」2オ
物かたりなとし給おり/\もありなこりなき
御ひしり心のふかくなりゆくにつけてもさし
もありはつましかりけることにつけつゝなか
比ものうらめしうおほしたるけしきのとき
ときみえ給しなとをおほしいつるになとて
たはふれにてもまたまめやかに心くるし
きことにつけてもさやうなるこゝろをみえ
たてまつりけんなに事もらう/\しくお
はせし御心はえなりしかは人のふかき心
もいとようみしり給なからゑんしはて給」2ウ
ことはなかりしかと一わたりつゝはいかならむと
すらんとおほしたりしをすこしにても心を
みたり給けむことのいとおしうくやしう覚
給さまむねよりもあまる心ちし給ふその
おりのことの心をしりいまもちかうつかうま
つる人々はほの/\きこえいつるもあり入道の
宮のわたりはしめ給へりしほとのおりはしも
色にはさらにいたし給はさりしかと事に
ふれつゝあちきなのわさやとおもひたまへ
りしけしきのあはれなりしなかにも雪」3オ
ふりたりしあかつきにたちやすらひて
わか身もひえいるやうにおほえて空のけし
きはけしかりしにいとなつかしうおいらか
なるものからそてのいたうなきぬらし給へり
けるをひきかへしせめてまきらはし給へ
りしほとのようゐなとをよもすから夢に
ても又はいかならむ世にかとおほしつゝけらる
あけほのにしもさうしにおるゝ女房なるへし
いみしうもつもりにける雪かなといふこゑを
きゝつけ給へるたゝそのおりのこゝちするに」3ウ
御かたはらのさひしきもいふかたなくかなし
うき世には雪きえなんと思つゝおもひ
のほかになをそ程ふるれいのまきらはし
には御てうつめしてをこなひし給うつみたる
火おこしいてゝ御火おけまいらす中納言君
中将の君なとおまへちかくて御物かたりき
こゆひとりねつねよりもさひしかりつる夜
のさまかなかくてもいとよくおもひすまし
つへかりける世をはかなくもかゝつらひける
かなとうちなかめ給われさへうちすてゝはこの」4オ
人/\のいとゝなけきわひんことのあはれに
いとおしかるへきなとみわたし給しのひやかに
うちをこなひつゝ経なとよみ給へる御声
をよろしう思はんことにてたに涙とまるまし
きをましてそてのしからみせきあへぬまて
あはれにあけくれみたてまつる人々のこゝち
つきせすおもひきこゆこの世につけては
あかすおもふへきことおさ/\あるましう
たかき身にはうまれなから又人よりことに
くちおしき契にもありけるかなとおもふこと」4ウ
たえす世のはかなくうきをしらすへくほと
けなとのをきて給へるみなるへしそれを
しひてしらぬかほになからふれはかくいまは
の夕ちかきすゑにいみしきことのとちめを
見つるにすくせの程もみつからの心のきはも
のこりなく見はてゝ心やすきにいまなん
露のほたしなくなりにたるをこれかれ
かくてありしよりけにめならす人々の
いまはとてゆきわかれんほとこそいまひとき
はのこゝろみたれぬへけれいとはかなしかし」5オ
わろかりける心の程かなとて御めおしのこひ
かくし給にまきれすやかてこほるゝ御涙を
みたてまつる人々ましてせきとめむかた
なしさてうちすてられたてまつりなんか
うれはしさををの/\うちいてまほしけれと
さもえきこえすむせかへりてやみぬかく
のみなけきあかし給へるあけほのなかめくらし
給へる夕くれなとのしめやかなるおり/\はかの
おしなへてにはおほしたらさりし人々を
おまへちかくてかやうの御物かたりなとをし給」5ウ
中将の君とてさふらふはまたちいさくより
見たまひなれにしをいとしのひつゝ見給す
くさすやありけむいとかたはらいたき事に
思ひてなれきこえさりけるをかくうせ給
て後はそのかたにはあらす人よりもらうた
きものに心とゝめ給へりしかたさまにも
かの御かたみのすちにつけてそあはれに
おもほしける心はせかたちなともめやすくて
うなひまつにおほえたるけはひたゝなら
ましよりはらう/\しとおもほすうとき」6オ
人にはさらにみえ給はすかんたちめなとも
むつましき御はらからの宮たちなとつねに
まいりたまへれとたいめんし給ことおさ/\
なし人にむかはむほとはかりはさかしく思
ひしつめ心おさめむとおもふとも月ころに
ほけにたらむ身のありさまかたくなしき
ひかことましりてすゑの世の人にもて
なやまれむ後の名さへうたてあるへし
おもひほれてなん人にもみえさむなると
いはれんもおなしことなれと猶をとにきゝて」6ウ
おもひやる事のかたはなるよりもみくるしき
ことのめにみるはこよなくきはまさりてをこ
なりとおほせは大将の君なとにたにみす
へたてゝそたいめむし給けるかく心かはりし
給へるやうに人のいひつたふへきころほひ
をたにおもひのとめてこそはとねんしすくし
給つゝうき世をもそむきやり給はす御方
かたにまれにもうちほのめき給ふにつけて
はまついとせきかたき涙の雨のみふりま
されはいとわりなくていつかたにもおほつか」7オ
なきさまにてすくし給后の宮はうちに
まいらせ給て三宮をそさう/\しき御なく
さめにはおはしまさせ給けるはゝののたま
ひしかはとてたいの御まへの紅梅はいと
とりわきてうしろみありき給ふをいとあ
はれとみたてまつり給きさらきになれは
花の木とものさかりなるもまたしきも
こすゑおかしうかすみわたれるにかの御かた
みの紅梅に鴬のはなやかになきいて
たれはたちいてゝ御覧す」7ウ
うへてみし花のあるしもなきやとに
しらすかほにてきゐる鴬とうそふきあり
かせ給春ふかくなりゆくまゝにおまへの
ありさまいにしへにかはらぬをめて給ふかたに
はあらねとしつ心なくなに事につけても
むねいたうおほさるれは大かたこの世のほかの
やうにとりのねもきこえさらむ山のすゑゆか
しうのみいとゝなりまさり給・山吹なとの心ち
よけにさきみたれたるもうちつけに露け
くのみ見なされ給ほかの花はひとへちりて」8オ
八重さく花桜さかりすきてかはさくらは
ひらけ藤はをくれて色つきなとこそはす
めるをそのをそくとき・花のこゝろをよく
わきて色/\をつくしうへをき給しかは時
をわすれすにほひみちたるにわか宮まろか
桜はさきにけりいかてひさしくちらさし
木のめくりに帳をたてゝかたらひをあけ
すは風もえ吹よらしとかしこう思ひえ
たりとおもひてのたまふかほのいとうつくし
きにもうちゑまれ給ぬおほふはかりの袖」8ウ
もとめけん人よりはいとかしこうおほしより
給へりかしなとこの宮はかりをそもてあ
そひにみたてまつり給ふ君になれきこえん
ことものこつりすくなしやいのちといふものいま
しはしかゝらふへくともたいめんはえあらし
かしとてれいのなみたくみ給へれはいとも
のしとおほしてはゝののたまひし事をまか/\
しうのたまふとてふしめになりて御その
袖をひきまさくりなとしつゝまきらはし
おはすすみのまのかうらむにおしかゝりて」9オ
おまへの庭をもみすのうちをもみわたして
なかめ給ふ女房なともかの御形見の色か
へぬもありれいの色あひなるもあやなと
はなやかにはあらすみつからの御なをしも
色はよのつねなれとことさらにやつしてむ
もんをたてまつれり御しつらひなとも
いとおろそかに事そきてさひしく心ほ
そけにしめやかなれは
いまはとてあらしやはてんなき人の心と
とめし春のかきねを人やりならすかなしう」9ウ
おほさるゝいとつれ/\なれは入道の宮の御
かたにわたり給にわか宮も人にいたかれて
おはしましてこなたのわか君とはしりあ
そひ花おしみ給心はえともふかゝらすいと
いはけなし宮は仏のおまへにて経をそよみ
給けるなにはかりふかうおほしとれる御道
心にもあらさりしかともこの世にうらめしく
御心みたるゝ事もおはせすのとやかなる
まゝにまきれなくをこなひたまひて
ひとかたにおもひはなれ給へるもいとうら」10オ
やましくかくあまへ給へる女の御心さしに
たにをくれぬることゝくちおしうおほさるあ
かの花のゆふはへしていとおもしろく見ゆれ
は春に心よせたりし人なくて花の色も
すさましくのみみなさるゝを仏の御かさり
にてこそみるへかりけれとの給てたいのまへの
山吹こそ猶世にみえぬ花のさまなれふさ
のおほきさなとよしなたかくなとはをきて
さりける花にやあらんはなやかににきはゝ
しきかたはいとおもしろき物になんありける」10ウ
うへし人なき春ともしらすかほにてつね
よりもにほひかさねたるこそあはれに侍と
の給御いらへに谷には春もとなに心もなく
きこえ給をことしもこそあれ心うくもと
おほさるゝにつけてもまつかやうのはかなき
ことにつけてはそのことのさらてもありなむ
かしと思ふにたかふふしなくてもやみにし
かなといはけなかりし程よりの御ありさまを
いてなに事そやありしとおほしいつるに
はまつそのおりかのおりかと/\しうらう」11オ
らうしう匂おほかりし心さまもてなし
ことの葉のみ思ひつゝけられ給ふにれいの涙
もろさはふとこほれいてぬるもいとくるし
ゆふくれの霞たと/\しくおかしきほとなれ
はやかてあかしの御かたにわたり給へりひさしう
さしものそき給はぬにおほえなきおり
なれはうちおとろかるれとさまようけはひ
心にくゝもてつけてなをこそ人にはまさ
りたれと見給につけてはまたかう
さまにはあらてかれはさまことにこそゆへよし」11ウ
をももてな給へりしかとおほしくらへ
らるゝにもおもかけに恋しうかなしさのみ
まされはいかにしてなくさむへき心そと
いとくらへくるしうこなたにてはのとやかに
むかし物かたりなとし給人をあはれと心
とゝめむはいとわろかへきことゝいにしへより
思ひえてすへていかなるかたにもこの世に
しふとまるへき事なく心つかひをせしに
おほかたの世につけて身のいたつらに
はふれぬへかりし比ほひなととさまかう」12オ
さまにおもひめくらししに命をもみつから
すてつへく野山のすゑにはふらかさん
にことなるさはりあるましくなむおもひ
なりしをすゑの世にいまはかきりの程
ちかき身にてしもあるましきほたし
おほうかゝつらひていまゝてすくしてける
か心よはうももとかしきことなとさして
ひとつすちのかなしさにのみはの給はねと
おほしたるさまのことはりに心くるしきを
いとおしうみたてまつりて大方の人めに」12ウ
なにはかりおしけなき人たに心の中のほたし
をのつからおほう侍るをましていかてかは心
やすくもおほしすてんさやうにあさへたる
事はかへりてかる/\しきもとかしさなとも
たちいてゝなか/\なることなとはへるを
おほしたつほとにふきやうに侍らんや
つゐにすみはてさせ給かたふかうはへらむ
とおもひやられ侍てこそいにしへのためし
なとをきゝ侍につけても心におとろかれ
おもふよりたかふふしありて世をいとふついてに」13オ
なるとかそれは猶わるき事とこそなをし
はしおほしのとめさせ給て宮たちなとも
をとなひさせ給てまことにうこきなかるへ
き御ありさまに見たてまつりなさせ給はむ
まてはみたれなく侍らんこそ心やすくも
うれしくも侍へけれなといとをとなひてき
こえたるけしきいとめやすしさまておもひ
のとめむ心ふかさこそあさきにをとりぬへ
けれなとの給てむかしより物をおもふこと
なとかたりいてたまふなかに故后の宮の」13ウ
かくれ給へりし春なむ花の色をみても
まことに心あらはとおほえしそれはおほかた
の世につけておかしかりし御ありさまをを
さなくよりみたてまつりしみてさると
ちめのかなしさも人よりことにおほえしなり
みつからとりわく心さしにも物のあはれは
よらぬわさなりとしへぬる人にをくれて
心おさめむかたなくわすれかたきもたゝ
かゝるなかのかなしさのみにはあらすをさな
き程よりおほしたてしありさまもろともに」14オ
おいぬるすゑの世にうちすてられてわか身も
人の身もおもひつゝけらるゝかなしさの
たへかたきになんすへて物のあはれもゆへ
ある事もおかしきすちもひろうおもひ
めくらす方かた/\そふ事のあさからすなる
になむありけるなと夜ふくるまてむかしいま
の御物かたりにかくてもあかしつへきよをと
おほしなからかへり給を女も物あはれにお
もふへしわか御心にもあやしうもなりに
ける心のほとかなとおほししらるさても」14ウ
又れいの御をこなひに夜なかになりてそ
ひるのおましにいとかりそめによりふし給つと
めて御ふみたてまつり給に
なく/\もかへりにしかなかりの世は
いつこもついのとこよならぬによへの御あり
さまはうらめしけなりしかといとかくあらぬ
さまにおほしほれたる御けしきの心くるし
さに身のうへはさしをかれて涙くまれたまふ
かりかゐしなはしろ水のたえしより
うつりし花のかけをたにみすふりかたく」15オ
よしあるかきさまにもなまめさましき物
におほしたりしをすゑの世にはかたみに心
はせを見しるとちにてうしろやすきかたに
はうちたのむへく思ひかはし給ひなから
またさりとてひたふるにはたうちとけす
ゆへありてもてなしたまへりし心おきて
を人はさしも見しらさりきかしなとおほし
いつせめてさう/\しき時はかやうにたゝ
おほかたにうちほのめき給おり/\もあり
むかしの御ありさまにはなこりなくなりに」15ウ
たるへし夏の御かたより御衣かへの御さう
そくたてまつり給とて
夏衣たちかへてけるけふはかりふる
き思ひもすゝみやはせぬ御返
は衣のうすきにかはるけふよりはうつ
蝉の世そいとゝかなしきまつりの日いと
つれ/\にてけふは物見るとて人々心ちよ
けならむかしとてみやしろのありさま
なとおほしやる女房なといかにさう/\し
からむさとにしのひていてゝみよかしなと」16オ
の給中将の君のひんかしおもてにうたゝねし
たるをあゆみをはして見給へはいとさゝやか
におかしきさましておきあかりたりつら
つきはなやかににほひたるかほをもてかくし
てすこしふくたみたるかみのかゝりなとおかし
けなりくれなゐのきはみたるけそひたる
はかまくわんさういろのひとへいとこきに
ひ色にくろきなとうるはしからすかさな
りて裳からきぬもぬきすくしたりける
をとかくひきかけなとするにあふひをかた」16ウ
はらにをきたりけるをよりてとり給て
いかにとかやこのなこそわすれにけれとの給へは
さもこそはよるへの水にみくさゐめけふ
のかさしよ名さへわするゝとはちらひて
きこゆけにといとおしくて
大かたはおもひすてゝし世なれともあふひは
猶やつみおかすへきなとひとりはかりをはお
ほしはなたぬけしきなりさみたれはいとゝ
なかめくらし給よりほかのことなくさう/\し
きに十よ日の月はなやかにさしいてたる」17オ
雲まのめつらしきに大将の君おまへにさふらひ
給花たちはなの月影にいときはやかに
みゆるかほりもをひ風なつかしけれは千世
をならせるこゑもせなんとまたるゝ程に
にはかにたちいつるむら雲のけしきいと
あやにくにていとおとろ/\しうふりくる
雨にそひてさとふく風にところもふき
まとはしてそらくらき心ちするにまとを
うつこゑなとめつらしからぬふることをうち
すし給つるもおりからにやいもかかきねに」17ウ
をとなはせまほしき御声なりひとりすみは
ことにかはることなけれとあやしうさう/\
しくこそありけれふかき山すみせんにも
かくて身をならはしたらむはこよなう心
すみぬへきわさなりけりなとの給て女房
こゝにくた物なとまいらせよおのこともめさん
もこと/\しき程なりなとのたまふ心には
たゝ空をなかめ給ふ御けしきのつき
せす心くるしけれはかくのみおほしまきれ
すは御をこなひにも心すまし給はんこと」18オ
かたくやとみたてまつり給ほのかにみし
御おもかけたにわすれかたしましてことはり
そかしと思ひゐ給へり昨日けふとおもひ給
ふるほとに御はてもやう/\ちかうなり侍に
けりいかやうにかおきておほしめすらむと
申たまへはなにはかりよのつねならぬ事
をかはものせんかの心さしをかれたるこくらくの
まんたらなとこのたひなん供養すへき経
なともあまたありけるをなにかしそう
つみなその心くはしくきゝをきたなれは」18ウ
又くはへてすへきことゝもゝかのそうつのい
はむにしたかひてなむものすへきなとの給
かやうの事もとよりとりたてゝおほしお
きてけるはうしろやすきわさなれとこの世に
はかりそめの御契なりけりと見給には
かたみといふはかりとゝめきこえ給へる人たに
ものし給はぬこそくちおしう侍れと申給へは
それはかりならすいのちなかき人々にも
さやうなる事のおほかたすくなかりけるみ
つからのくちおしさにこそそこにこそはかとは」19オ
ひろけ給はめなとの給なに事につけても
しのひかたき御心よはさのつゝましくて
すきにしこといたうもの給いてぬにまたれ
つる山ほとゝきすのほのかにうちなきたる
もいかにしりてかときく人たゝならす
なき人をしのふるよひのむら雨にぬれ
てやきつる山ほとゝきすとていとゝそら
をなかめ給ふ大将
ほとゝきす君につてなんふるさとのはな
たち花はいまそさかりと女房なとおほく」19ウ
いひあつめたれととゝめつ大将の君はやかて
御殿ゐにさふらひ給さひしき御ひとりね
の心くるしけれは時々かやうにさふらひ給に
おはせし世はいとけとをかりしおましのあた
りのいたうもたちはなれぬなとにつけても
おもひ出らるゝこともおほかりいとあつきころ
すゝしきかたにてなかめ給に池のはちすの
さかりなるを見給にいかにおほかるなとまつ
おほしいてらるゝにほれ/\しくてつく/\と
おはするほとに日もくれにけり日くらしの」20オ
こゑはなやかなるにおまへのなてしこのゆふ
はへをひとりのみ見給ふはけにそかひなかり
ける
つれ/\と我なきくらす夏の日をかこと
かましきむしのこゑ哉蛍のいとおほうと
ひかふも夕殿にほたるとんてとれいのふること
もかゝるすちにのみくちなれたまへり
よるをしるほたるをみてもかなしきは時そと
もなきおもひなりけり七月七日もれいに
かはりたることおほく御あそひなともし給はて」20ウ
つれ/\になかめくらしたまひて星逢みる
人もなしまた夜ふかうひと所おき給て
つまとおしあけたまへるにせんさいの露いと
しけくわたとのゝとよりとおもてみわたさ
るれはいて給て
七夕のあふせは雲のよそにみてわかれの
庭に露そをきそふかせのをとさへたゝな
らすなりゆくころしも御法事のいとなみ
にてついたちころはまきらはしけなり
いまゝてへにける月日よとおほすにもあき」21オ
れてあかしくらし給ふ御正日にはかみしも
の人々みないもゐしてかのまんたらなと
けふそ供養せさせ給れいのよひの御をこ
なひに御てうつなとまいらする中将の君の
あふきに
君こふる涙はきはもなき物をけふをは
なにのはてといふらんとかきつけたるをとり
てみ給て
人こふる我身もすゑになりゆけとのこり
おほかる涙なりけりとかきそへたまふ」21ウ
九月になりて九日わたおほひたる菊を御
らんして
もろともにおきゐし菊のしら露
もひとりたもとにかゝる秋かな神無月には
おほかたも時雨かちなる比いとゝなかめ給て
ゆふくれの空のけしきもえもいはぬ心ほそ
さにふりしかとゝひとりこちおはす雲
井をわたる雁のつはさもうらやましく
まもられ給ふ
おほそらをかよふまほろし夢にたに」22オ
みえこぬ玉のゆくゑたつねよなにことにつ
けてもまきれすのみ月日にそへておほ
さる五節なといひて世中そこはかとなく
いまめかしけなるころ大将殿の君たちわら
は殿上し給へるいてまいり給へりおなし程
にてふたりいとうつくしきさま也御おちの
頭中将蔵人少将なとをみにいてあをすり
のすかたともきよけにめやすくてみなうち
つゝきもてかしつきつゝもろともにまいり
給おもふ事なけなるさまともをみ給に」22ウ
いにしへあやしかりし日かけのおりさすかに
おほしいてらるへし
宮人はとよのあかりといそくけふ日かけ
もしらてくらしつるかなことしをはかくてし
のひすくしつれはいまはと世をさり給へき
ほとちかくおほしまうくるにあはれなる事
つきせすやう/\さるへきことゝも御心の
中におほしつゝけてさふらふ人々にも
ほと/\につけてもの給ひなとおとろ/\しく
いまなんかきりとしなしたまはねとちかく」23オ
さふらふ人々は御ほいとけ給へきけしきと
みたてまつるまゝにとしのくれゆくも心ほ
そくかなしきことかきりなしおちとまり
てかたはなるへき人の御ふみともやれは
おしとおほされけるにやすこしつゝのこし
給へりけるをものゝついてに御覧しつけて
やらせ給ひなとするにかのすまのころほひと
ころ/\よりたてまつれ給けるもあるなかに
かの御てなるはことにゆひあはせてそあり
けるみつからしをき給ける事なれとひさしう」23ウ
なりける世のことゝおほすにたゝいまのやう
なるすみつきなとけに千とせの形見にしつ
へかりけるをみすなりぬへきよとおほせは
かひなくてうとからぬ人々二三人はかりおまへ
にてやらせ給ふいとかゝらぬほとのことにてたに
すきにし人のあとゝみるはあはれなるをまし
ていとゝかきくらしそれとも見わかれぬまて
ふりおつる御涙の水くきになかれそふを人
もあまり心よはしとみたてまつるへきか
かたはらいたうはしたなけれはおしやり」24オ
たまひて
しての山こえにし人をしたふとて跡を見
つゝも猶まとふかなさふらふ人々もまほには
えひきひろけねとそれとほの/\見
ゆるに心まとひともをろかならすこの世
なからとをからぬ御わかれのほとをいみしと
おほしけるまゝにかいたまへることのはけに
そのおりよりもせきあへぬかなしさやらん
かたなしいとうたていまひときはの御心
まとひもめゝしく人わるくなりぬへけれは」24ウ
よくもみ給はてこまやかにかき給へるかた
はらに
かきつめてみるもかひなしもしほ草お
なし雲井の煙とをなれとかきつけてみな
やかせ給御仏名もことしはかりにこそはと
おほせはにやつねよりもことに尺定の
こゑ/\なとあはれにおほさるゆくすゑな
かきことをこひねかふもほとけのきゝ給はん
事かたはらいたし雪いたうふりてまめ
やかにつもりにけり導師のまかつるを」25オ
おまへにめしてさか月なとつねのさほうより
もさしわかせ給てことにろくなとたま
はすとしころひさしくまいりおほやけ
にもつかうまつりて御覧しなれたる御
導師の頭はやう/\色かはりてさふらふも
あはれにおほさるれいの宮たちかんたち
めなとあまたまいり給へり梅の花のわつ
かにけしきはみはしめて雪にもてはやさ
れたるほとおかしきを御あそひなともあり
ぬへけれと猶ことしまてはものゝねもむせ」25ウ
ひぬへき心ちし給へはときによりたる物うち
すんしなとはかりそせさせ給まことや導師
のさか月のついてに
春まての命もしらす雪のうちに色
つく梅をけふかさしてん御返
千世の春みるへき花といのりをきて
わか身そ雪とゝもにふりぬる人/\おほく
よみをきたれともらしつその日そいてた
まへる御かたちむかしの御ひかりにも又お
ほくそひてありかたくめてたくみえ給を」26オ
このふりぬるよはひのそうはあいなう涙
もとゝめさりけりとしくれぬとおほすも
心ほそきにわか宮のなやらはんにをとたか
かるへきことなにわさをせさせんとはしり
ありき給もおかしき御ありさまをみさ
らんことゝよろつにしのひかたし
物おもふとすくる月日もしらぬまに年
もわか世もけふやつきぬるついたちのほと
のことつねよりことなるへくとをきてさせ
給みこたち大臣の御ひきいて物しな/\の」26ウ
ろくともなにとなうおほしまうけてとそ」27オ