椎本(大島本親本復元) First updated 5/18/2007(ver.1-1)
Last updated 5/18/2007(ver.1-1)
渋谷栄一翻字(C)

  

椎本

《概要》
 現状の大島本から後人の本文校訂や書き入れ注記等を除いて、その親本の本文様態に復元して、以下の諸点について分析する。
1 飛鳥井雅康の「椎本」巻の書写態度について
2 大島本親本の復元本文と他の青表紙本の本文との関係
3 大島本親本の復元本文と定家仮名遣い
4 大島本親本の復元本文の問題点 現行校訂本の本文との異同

《書誌》
 「帚木」巻以下「手習」巻までの書写者は、飛鳥井雅康である。

《復元資料》

凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)から、その親本を復元した。よって、本文中の書き入れ、注記等は、本文と一筆のみを採用し、書写者自身の誤写訂正と思われるものは、それに従って訂正した。しかし他の後人の筆と推測されるものは除いた。
2 付箋、行間注記は【 】- としてその頭に番号を記した。付箋は、( )で括り、付箋番号を記した。合(掛)点には、\<朱(墨)合点>と記した。
3 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
4 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
 ( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
5 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

「しゐかもと」(題箋)

  きさらきのはつかのほとに兵部卿の宮
  はつせにまうて給ふるき御願なりけれ
  とおほしもたゝてとしころになりに
  けるをう治のわたりの御なかやとりの
  ゆかしさにおほくはもよほされ給へるなる
  へしうらめしといふ人もありけるさと
  のなのなへてむつましうおほさるゝゆへも
  はかなしやかむたちめいとあまたつ
  かうまつり給殿上人なとはさらにも
  いはすよにのこるひとすくなうつかう」1オ

  まつり六条の院よりつたはりて右大殿
  しり給所は川よりをちにいとひろく
  おもしろくてあるにおほむまうけせさせ
  給へりおとゝもかへさの御むかへにまいり
  たまふへくおほしたるをにはかなる御物
  いみのおもくつゝしみ給ふへく申たなれは
  えまいらぬよしのかしこまり申給へり
  宮なますさましとおほしたるにさい将
  の中将けふの御むかへにまいりあひ給へる
  に中/\心やすくてかのわたりのけし」1ウ

  きもつたへよらむと御心ゆきぬおとゝをはう
  ちとけて見えにくゝこと/\しき物に思ひ
  きこえ給へり御この君たち右大弁しゝう
  のさい将権中将とうの少将くら人の兵衛のすけ
  なとさふらひ給みかときさきも心ことに思ひ
  きこえ給へり宮なれは大方の御おほえもいと
  かきりなくまいて六条の院の御かたさまは
  つき/\の人もみなわたくしの君に心よせ
  つかうまつり給ところにつけて御しつらひなと
  おかしうしなしてこすくろくたきのはむ」2オ

  ともなとゝりいてゝ心ゝにすさひくらし給
  宮はならひ給はぬ御ありきになやましく
  おほされてこゝにやすらはむの御心もふか
  けれはうちやすみ給て夕つかたに御こと
  なとめしてあそひ給例のかうよはなれ
  たる所は水のをとももてはやしてものゝ
  ねすみまさる心ちしてかのひしりの宮にも
  たゝさしわたるほとなれはをひ風に吹くる
  ひゝきを聞給にむかしのことおほしいてら
  れてふえをいとおかしうもふきとをし」2ウ

  たなるかなたれならんむかしの六条院の
  御ふえのねきゝしはいとおかしけにあい行
  つきたる音にこそ吹給しかこれはすみ
  のほりてこと/\しきけのそひたるはちし
  のおとゝの御そうのふえの音にこそにた
  なれなとひとりこちおはすあはれに久しう
  成にけりやかやうのあそひなともせてある
  にもあらてすくしきにけるとし月の
  さすかにおほくかそへらるゝこそかひなけれ
  なとの給ついてにもひめ君たちの御有さま」3オ

  あたらしくかゝる山ふところにひきこめて
  はやますもかなとおほしつゝけらるさい将
  の君のおなしうはちかきゆかりにて見ま
  ほしけなるをさしもおもひよるましか
  めりまいていまやうの心あさからむ人をは
  いかてかはなとおほしみたれつれ/\となかめ
  給所は春の夜もいとあかしかたきを心
  やり給へるたひねのやとりはゑいのま
  きれにいととうあけぬる心ちしてあかす
  かへらむことを宮はおほすはる/\とかすみ」3ウ

  わたれる空にちる桜あれは今△ひらけ
  そむるなと色/\見わたさるゝに川そひ
  柳のおきふしなひく水かけなとおろか
  ならすおかしきを見ならひ給はぬ人はいと
  めつらしく見すてかたしとおほさるさい将
  はかゝるたよりをすくさすかの宮にまう
  てはやとおほせとあまたの人めをよきて
  ひとりこきいて給はんふなわたりのほとも
  かろらかにやとおもひやすらひ給ほとにかれ
  より御ふみあり」4オ

    山風にかすみふきとくこゑはあれとへ
  たてゝ見ゆるをちのしら浪さうにいとおかしう
  かき給へり宮おほすあたりのと見給へは
  いとおかしうおほいてこの御返はわれせんとて
    をちこちの汀になみはへたつともなをふ
  きかよへうちの河風中将はまうて給あそ
  ひに心入れたる君たちさそひてさしやり
  給ほとかむすいらくあそひて水にのそ
  きたるらうにつくりおろしたるはしの
  心はえなとさる方にいとおかしうゆへある」4ウ

  宮なれは人々心して舟よりおり給こゝは
  又さまことに山さとひたるあしろ屏風なと
  のことさらにことそきて見ところある御
  しつらひをさる心してかきはらひいといたう
  しなし給へりいにしへのねなといとになき
  ひき物ともをわさとまうけたるやうには
  あらてつき/\ひきいて給て一こつてうの
  心にさくら人あそひ給ふあるしの宮御
  きむをかゝるついてにと人々思給へれとさう
  のことをそ心にもいれすおり/\かきあはせ」5オ

  給みゝなれぬけにやあらむいと物ふかく
  おもしろしとわかき人々思しみたり所に
  つけたるあるしいとおかしうし給てよそに
  おもひやりしほとよりはなまそむわめく
  いやしからぬ人あまたおほき△四位の
  ふるめきたるなとかく人め見るへきおりと
  かねていとおしかりきこえけるにやさる
  へきかきりまいりあひてへいしとる
  人もきたなけならすさるかたにふるめき
  てよし/\しうもてなし給へりまらうと」5ウ

  たちは御むすめたちのすまひ給ふらん
  御有さま思やりつゝ心つく人も有へし
  かの宮はまいてかやすきほとならぬ御身
  をさへところせくおほさるゝをかゝる折に
  たにとしのひかね給ておもしろき花
  のえたをおらせ給て御ともにさふらふ
  うへわらはのおかしきして奉り給
    山さくらにほふあたりにたつねきて
  おなしかさしをおりてける哉のをむつ
  ましみとやありけん御かへりはいかてか」6オ

  はなときこえにくゝおほしわつらふかゝ
  るおりのことわさとかましくもてなし
  ほとのふるも中/\にくきことに
  なむしはへりしなとふる人ともきこ
  ゆれは中君にそかゝせたてまつり給
    かさしおる花のたよりに山かつの
  かきねをすきぬ春のたひ人のをわきて
  しもといとおかしけにらう/\しく
  かきたまへりけに川風も心わかぬさ
  まにふきかよふものゝねともおもしろく」6ウ

  あそひ給ふ御むかへにとう大納言おほせことにて
  まいり給へり人々あまたまいりつとひ
  物さはかしくてきおひかへり給わかき人々
  あかすかへりみのみせられける宮は又さるへき
  ついてしてとおほす花さかりにてよもの
  かすみもなかめやるほとの見所あるにからの
  もやまとのもうたともおほかれとうるさく
  てたつねもきかぬなり物さはかしくてお
  もふまゝにもえいひやらすなりにしを
  あかす宮はおほしてしるへなくても御ふみは」7オ

  つねにありけり宮もなをきこえ給へわさと
  けさうたちてももてなさし中/\心
  ときめきにもなりぬへしいとすき給へる
  みこなれはかゝる人なむと聞給かなをもあら
  ぬすさひなめりとそゝのかし給ふ時々中
  の君そきこえ給ひめ君はかやうのことたは
  ふれにももてはなれ給へる御心ふかさなり
  いつとなく心ほそき御有さまに春のつ
  れ/\はいとゝくらしかたくなかめ給ねひ
  まさり給御さまかたちともいよ/\まさり」7ウ

  あらまほしくおかしきも中々心くるしく
  かたほにもおはせましかはあたらしうおしき
  かたのおもひはうすくやあらましなと
  あけくれおほしみたるあね君廿五中君
  廿三にそなり給ける宮はおもくつゝしみ
  給へきとしなりけり物心ほそくおほして
  御おこなひ常よりもたゆみなくし給を
  のみおほせはすゝしきみちにもおもむき給
  ぬへきをたゝ/\この御ことゝもにいと/\お
  しくかきりなき御心つよさなれとかならす」8オ

  今はと見すて給はむ御心はみたれなむと見
  たてまつる人もをしはかりきこゆるを
  おほすさまにはあらすともなのめにさても
  人きゝくちおしかるましう見ゆるされぬ
  へききはの人のま心にうしろみきこえん
  なとおもひよりきこゆるあらはしらすかほ
  にてゆるしてむひとゝころ/\よにすみ
  つき給よすかあらはそれを見ゆつるかたに
  なくさめをくへきをさまてふかき心に
  たつねきこゆる人もなしまれ/\はかなき」8ウ

  たよりにすきこときこえなとする人はまた
  わか/\しき人の心のすさひに物まうての
  中やとりゆきゝのほとのなをさりことに
  けしきはみかけてさすかにかくなかめ
  給有さまなとをしはかりあなつらはしけ
  にもてなすはめさましうてなけのいらへを
  たにせさせ給はす三宮そ猶見てはやましと
  おほす御心ふかゝりけるさるへきにやおはし
  けむさい将の中将その秋中納言になり
  給ぬいとゝにほひまさり給世のいとなみに」9オ

  そへてもおほすことおほかりいかなることゝいふ
  せく思わたりし年ころよりも心くるしう
  てすき給にけむいにしゑさまの思やら
  るゝにつみかろくなり給はかりおこなひもせ
  まほしくなむかのおい人をはあはれなる物に
  思をきていちしるきさまならすとかくま
  きらはしつゝ心よせとふらひ給うちに
  まうてゝひさしうなりにけるを思いてゝ
  まいり給へり七月はかりに成にけり宮こ
  にはまたいりたゝぬ秋のけしきををと」9ウ

  はの山ちかく風の音もいとひやゝかにまき
  の山へもわつかに色つきて猶たつねきたる
  におかしうめつらしうおほゆるを宮はまいて
  例よりもまちよろこひきこえ給て此
  たひは心ほそけなる物語いとおほく申給な
  からむ後この君たちをさるへきものゝた
  よりにもとふらひおもひすてぬ物にかす
  まへ給へなとおもむけつゝきこえ給へはひと
  ことにてもうけたまはりをきてしかは
  さらに思給へおこたるましくなん世中に」10オ

  心をとゝめしとはふき侍身にてなにこと
  もたのもしけなきおいさきのすくなさに
  なむはへれとさるかたにてもめくらいはへらむ
  かきりはかはらぬ心さしを御らむししらせんと
  なむ思給ふるなときこえ給へはうれしと
  おほひたり夜ふかき月のあきらかに
  さしいてゝ山のはちかき心ちするにねむ
  すいとあはれにし給てむかし物かたり
  し給この比の世はいかゝなりにたらむく
  ちうなとにてかやうなる秋の月に御」10ウ

  まへの御あそひのおりにさふらひあひたる中
  にものゝ上すとおほしきかきりとり/\に
  うちあはせたるひやうしなとこと/\しき
  よりもよしありとおほえある女御かうい
  の御つほね/\のをのかしゝはいとましく思う
  はへのなさけをかはすへかめるによふかき程
  の人のけしめりぬるに心やましくかい
  しらへほのかにほころひいてたるものゝねなと
  きゝ所あるかおほかりしかなゝに事にも
  をんなはもてあそひのつまにしつへくもの」11オ

  はかなき物から人の心をうこかすくさは
  いになむ有へきされはつみのふかきにやあらん
  この道のやみを思やるにもをのこはいとしも
  おやの心をみたさすやあらむ女はかきり
  ありていふかひなきかたに思すつへきにも
  なをいと心くるしかるへきなとおほかたのことに
  つけての給へるいかゝさおほさゝらむ心くるし
  く思やらるゝ御心のうち也すへてまこと
  にしか思給へすてたるけにやはへらむみつ
  からのことにてはいかにも/\ふかう思しる」11ウ

  かたのはへらぬをけにはかなきことなれと
  こゑにめつる心こそそむきかきことに侍り
  けれさかしうひしりたつかせうもされはや
  た
ちてまひはへりけむなときこえてあかす
  ひとこゑきゝし御ことのねをせちにゆかし
  かり給へはうと/\しからぬはしめにもとや
  おほすらむ御みつからあなたにいり給て
  せちにそゝのかしきこえ給さうのことを
  そいとほのかにかきならしてやみ給ぬるいとゝ
  人のけはひもたえてあはれなるそらのけ」12オ

  しきところのさまにわさとなき御あそひの
  心にいりておかしうおほゆれとうちとけても
  いかてかはひきあはせ給はむをのつからかはかり
  ならしそめつるのこりはよこもれるとちに
  ゆつりきこえてんとて宮は仏の御前に
  いり給ひぬ
    我なくて草の庵りはあれぬともこの
  ひとことはかれしとそ思かゝるたいめんもこの
  たひやかきりならむともの心ほそきに
  しのひかねてかたくなしきひかことおほくも」12ウ

  なりぬるかとてうちなき給うたまふまらうと
    いかならむ世にかかれせむなかきよの契
  むすへる草のいほりはすまひなとおほや
  けことゝもまきれはへる比すきて候はむ
  なときこえ給こなたにてかのとはすかたり
  のふる人めしいてゝのこりおほかる物かたりな
  とせさせ給いりかたの月くまなくさし入て
  すきかけなまめかしきに君たちもおく
  まりておはすよのつねのけさうひては
  あらす心ふかう物かたりのとやかにきこえ」13オ

  つゝものし給へはさるへき御いらへなときこえ
  たまふ三宮いとゆかしうおほいたる物をと
  心のうちには思いてつゝ我心なからなを人には
  ことなりかしさはかり御心もてゆるひ給
  ことのさしもいそかれぬよもてはなれて
  はたあるましきことゝはさすかにおほえす
  かやうにて物をもきこえかはしおりふしの
  花もみちにつけてあはれをもなさけをも
  かよはすににくからす物し給あたりなれは
  すくせことにてほかさまにもなり給はむは」13ウ

  さすかに口おしかるへう両したる心ちしけり
  またよふかきほとにかへり給ぬ心ほそく
  のこりなけにおほいたりし御けしきを
  思いてきこえ給つゝさはかしきほとすくし
  てまうてむとおほす兵部卿の宮もこの秋
  のほとにもみち見におはしまさむと
  さるへきついてをおほしめくらす御ふみは
  たえすたてまつり給をんなはまめやかに
  おほすらんとも思給はねはわつらはしくも
  あらてはかなきさまにもてなしつゝおり/\に」14オ

  きこえかはし給秋ふかくなり行まゝに宮は
  いみしう物心そくおほえ給けれは例のしつか
  なる所にて念仏をもまきれなうせむと
  おほして君たちにもさるへきこときこえ給
  世のことゝしてついのわかれをのかれぬ
  わさなめれとおもひなくさまんかたありて
  こそかなしさをもさます物なめれまた
  見ゆつる人もなく心ほそけなる御有さま
  ともをうちすてゝむかいみしきことされ
  ともさはかりのことにさまたけられてなか」14ウ

  き世のやみにさへまとはむかやくなまをかつ
  見たてまつるほとたに思すつる世をさりなん
  うしろのことしるへきことにはあらねと我身
  ひとつにあらすすき給にし御おもてふせに
  かる/\しき心ともつかひ給なおほろけのよ
  すかならて人のことにうちなひきこの山さ
  とをあくかれ給なたゝかう人にたかひたる
  契ことなる身とおほしなしてこゝによをつ
  くしてんと思とり給へひたふるに思なせは
  ことにもあらすゝきぬる年月なりけり」15オ

  ましてをんなはさるかたにたえこもりて
  いちしるくいとをしけなるよそのもときを
  おはさらむなんよかるへきなとの給ともかくも
  身のならんやうまてはおほしもなかされす
  たゝいかにしてかをくれたてまつりては世
  にかた時もなからふへきとおほすにかく心
  ほそきさまの御あらましことにいふかたな
  き御心まとひともになむ心のうちにこそ
  おもひすて給つらめとあけくれ御かた
  はらにならはいたまうてにはかにわかれ給」15ウ

  はむはつらき心ならねとけにうらめしか
  るへき御有さまになむありけるあすいり
  給はむとての日は例ならすこなたかなた
  たゝすみありき給て見給いとものはかなく
  かりそめのやとりにてすくひ給ける御すま
  ひの有さまをなからむ後いかにしてかは
  わかき人のたえこもりてはすくひ給はむと
  涙くみつゝねんすし給さまいときよけ
  なりおとなひたる人々めしいてゝうしろ
  やすくつかうまつれなに事もゝとより」16オ

  かやすく世にきこえ有ましきゝはの
  人はすゑのおとろへもつねのことにてまき
  れぬへかめりかゝるきはになりぬれは人
  はなにと思はさらめと口おしうてさすらへむ
  契かたしけなくいとおしきことなむおほ
  かるへき物さひしく心ほそきよをふるは
  例の事也むまれたるいゑのほとをきて
  のまゝにもてなしたらむなむきゝみゝ
  にもわか心ちにもあやまちなくはおほゆ
  へきにきはゝしくひとかすめかむと」16ウ

  思ともその心にもかなふましきよとならは
  ゆめ/\かろ/\しくよからぬかたにもてなし
  きこゆなゝとの給またあか月にいて給
  とてもこなたにわたり給てなからむほと
  心ほそくなおほしわひそ心はかりはやりて
  あそひなとはし給へなにことも思にえ
  かなふましき世をおほしいられそなとか
  へり見かちにて出給ぬふた所いとゝ心ほ
  そくもの思つゝけられておきふしうち
  かたらひつゝひとり/\なからましかはいかて」17オ

  あかしくらさまし今行すゑもさためな
  き世にてもしわかるゝやうもあらはなと
  なきみわらひみたはふれこともまめことも
  おなし心になくさめかはしてすくし給
  かのおこなひ給三まい今日はてぬらんと
  いつしかとまちきこえ給夕くれに人まいりて
  けさよりなやましくてなむえまいらぬ
  かせかとてとかくつくろふとものするほとに
  なむさるは例よりもたいめむ心もとなき
  をと聞え給へりむねつふれていかなるにかと」17ウ

  おほしなけき御そともわたあつくていそき
  せさせ給てたてまつれなとし給二三日
  おこり給はすいかに/\と人たてまつり給
  へとことにおとろ/\しくはあらすそこは
  かとなくくるしうなむすこしもよろ
  しくならはいまねんしてなとことはに
  て聞え給あさりつとさふらひてつかうま
  つりけるはかなき御なやみと見ゆれと
  かきりのたひにもおはしますらん君たち
  の御事なにかおほしなけくへき人はみな」18オ

  御すくせといふ物こと/\なれは御心にかゝるへき
  にもおはしまさすといよ/\おほしはなるへ
  きことをきこえしらせつゝ今さらにな
  いて給そといさめ申成けり八月廿日のほと
  なりけりおほかたの空のけきもいとゝ
  しきころ君たちはあさゆふきりのはるゝ
  まもなくおほしなけきつゝなかめ給あり
  明の月のいとはなやかにさしいてゝ水
  のおもてもさやかにすみたるをそなたの
  しとみあけさせて見いたし給へるにかね」18ウ

  のこゑかすかにひゝきてあけぬなりときこ
  ゆるほとに人々きてこの夜なかはかりに
  なむうせ給ぬるとなく/\申す心にかけて
  いかにとはたえす思きこえ給へれとうち
  きゝ給にはあさましく物おほえぬ心地
  していとゝかゝることには涙もいつちかいに
  けんたゝうつふしふし給へりいみしき
  めも見るめのまへにておほつかなからぬこそ
  つねのことなれおほつかなさそひておほし
  なけくことことはり也しはしにてもをくれ」19オ

  たてまつりて世に有へき物とおほし
  ならはぬ御心ちともにていかてかはをくれしと
  なきしつみ給へとかきりあるみちなりけ
  れはなにのかひなしあさりとし比契り
  をき給けるまゝに後の御こともよろつに
  つかうまつるなき人になり給へらむ御さま
  かたちをたに今一たひ見たてまつらんと
  おほしの給へといまさらになてうさること
  かはへるへき日ころも又あひ給ましき
  ことをきこえしらせつれは今はまして」19ウ

  かたみに御心とゝめ給ましき御心つかひ
  をならひ給へきなりとのみきこゆおはし
  ましける御有さまをきゝ給にもあさり
  のあまりさかしきひしり心をにくゝつら
  しとなむおほしける入道の御ほいはむかし
  よりふかくおはしかとかうみゆつる人なき
  御ことゝもの見すてかたきをいけるかきりは
  あけくれえさらす見たてまつるを世に
  心ほそき世のなくさめにもおほしはなれ
  かたくてすくひ給へるをかきりあるみちには」20オ

  さきたち給もしたひ給御心もかなはぬわさ也
  けり中納言殿にはきゝ給ていとあえ
  なく口おしく今一たひ心のとかにてきこゆ
  へかりけることおほうのこりたる心ちして
  おほかた世の有さまおもひつゝけられて
  いみしうない給又あひ見んことかたくや
  なとの給しをなをつねの御心にもあさ夕
  のへたてしらぬ世のはかなさを人より
  けに思給へりしかはみゝなれて昨日
  けふと思はさりけるを返々あかすかなしく」20ウ

  おほさるあさりのもとにも君たちの御と
  ふらひもこまやかにきこえ給かゝる御とふ
  らひなと又をとつれきこゆ人たになき
  御有さまなるはものおほえぬ御心ちともにも
  としころの御心はえのあはれなめりし
  なとをも思しり給よのつねのほとのわかれ
  たにさしあたりては又たくひなきやうに
  のみみな人の思まとふ物なめるをなくさむ
  かたなけなる御身ともにていかやうなる心地
  ともし給らむとおほしやりつゝ後の御わさ」21オ

  なと有へきことゝもをしはかりてあさりにも
  とふらひ給こゝにもおい人ともにことよせて
  御す経なとのことも思やり給あけぬよの
  心ちなから九月にもなりぬの山のけしき
  ましてそてのしくれをもよをしかちに
  ともすれはあらそひおつるこのはのをとも
  水のひゝきも涙のたきもひとつものゝ
  やうにくれまとひてかうてはいかてかゝき
  りあらむ御いのちもしはしめくらい給はむ
  とさふらふ人々は心ほそくいみしくなく」21ウ

  さめきこえつゝこゝにもねむ仏のそう
  さふらひておはしましゝかたは仏をかた
  みに見たてまつりつゝ時々まいりつかうま
  つりし人々の御いみにこもりたるかきり
  はあはれにおこなひてすくす兵部卿の宮
  よりもたひ/\とふらひきこえ給さやうの
  御かへりなときこえん心ちもし給はすおほ
  つかなけれは中納言にはかうもあらさなるを
  我をはなを思はなち給へるなめりとうらめ
  しくおほすもみちのさかりにふみなとつ」22オ

  くらせ給はむとていてたちしをかくこのわ
  たりの御せうようひむなきころなれは
  おほしとまりて口おしくなん御いみもは
  てぬかきりあれは涙もひまもやとおほし
  やりていとおほくかきつゝけ給へりしくれ
  かちなるゆふつかた
    をしかなく秋の山さといかならむこ萩
  か露のかゝる夕くれたゝ今の空のけしき
  おほしゝらぬかほならむもあまり心つきなく
  こそ有へけれかれゆく野へもわきてなかめら」22ウ

  るゝ比になむなとありけにいとあまり思
  しらぬやうにてたひ/\になりぬるをなを
  きこえ給へなとなかの宮をれいのそゝのか
  してかゝせたてまつり給けふまてなからへて
  すゝりなとちかくひきよせてみるへき物と
  やは思し心うくもすきにけるひかすかなと
  おほすに又かきくもりもの見えぬ心ちし給
  へはをしやりてなをえこそかきはへるまし
  けれやう/\かうおきゐられなとしはへるか
  けにかきりありけるにこそとおほゆるも」23オ

  うとましう心うくてとらうたけなるさま
  になきしほれておはするもいと心くるし夕
  くれのほとよりきける御つかひよひすこし
  すきてそきたるいかてかゝへりまいらんこよひ
  はたひねしてといはせ給へとたちかへりこそ
  まいりなめといそけはいとおしうて我さかしう
  思しつめ給にはあらねと見わつらひたまひて
    なみたのみきりふたかれる山里はま
  かきに鹿そもろこゑになくくろきかみに
  よるのすみつきもたと/\しけれはひき」23ウ

  つくろふところもなくふてにまかせてをしつ
  つみていたし給ひつ御つかひはこはたの
  山のほともあめもよにいとおそろしけなれと
  さやうの物をちすましきをやえりいて
  給けむむつかしけなるさゝのくまをこまひ
  きとゝむるなくうちはやめてかた時にま
  いりつきぬ御まへにてもいたくぬれてま
  いりたれはろくたまふさき/\御らむ
  せしにはあらぬてのいますこしおとなひ
  まさりてよしつきたるかきさまなとを」24オ

  いつれかいつれならむとうちもをかす御らむ
  しつゝとみにもおほとのこもらねはまつ
  とておきおはしまし又御らむするほと
  のひさしきはいかはかり御心にしむことならん
  とおまへなる人々さゝめききこえてにくみ
  きこゆねふたけれはなめりまたあさ
  きりふかきあしたにいそきおきてたて
  まつり給
    あさきりにともまとはせる鹿の音をお
  ほかたにやはあはれともきくもろこゑはおとる」24ウ

  ましくこそとあれとあまりなさけたゝん
  もうるさしひとゝころの御かけにかくろへ
  たるをたのみところにてこそなにことも
  心やすくてすこしつれ心より外にな
  からへておもはすることのまきれつゆにて
  もあらはうしろめたけにのみおほしをく
  めりしなき御ためにさへきすやつけ
  たてまつらんとなへていとつゝましうおそ
  ろしうてきこえ給はすこの宮なとをかろ
  らかにをしなへてのさまにも思きこえ」25オ

  給はすなけのはしりかいたまへる御ふてつ
  かひことのはもおかしきさまになまめき給へる
  御けはひをあまたは見しり給はねと見た
  まひなからそのゆへ/\しくなさけある
  かたにことをませきこえむもつきなき身
  の有さまともなれはなにかたゝかゝる山ふし
  たちてすくしてむとおほす中納言殿の
  御かへりはかりはかれよりもまめやかなるさま
  にきこえ給へはこれよりもいとけうと
  けにはあらすきこえかよひ給御いみはてゝも」25ウ

  みつからまうて給へりひむかしのひさしの
  くたりたるかたにやつれておはするにちかう
  立より給てふる人めしいてたりやみに
  まとひ給へる御あたりにいとまはゆくにほ
  ひみちていりおはしたれはかたはらいたうて
  御いらへなとをたにえし給はねはかやうには
  もてなひ給はてむかしの御心むけにした
  かひきこえ給はんさまならむこそきこえ
  うけ給るかひあるへけれなよひけしき
  はみたるふるまひをならひ侍らねは」26オ

  ひとつてにきこえはへるはことのはもつゝき
  はへすとあれはあさましう今まてなからへ
  はへるやうなれと思さまさんかたなき夢に
  たとられはへりてなむ心より外に空の
  ひかり見はへらむもつゝましうてはしち
  かうもえみしろきはへらぬときこえ給
  へれはことゝいへはかきりなき御心のふかさに
  なむ月日のかけは御心もてはれ/\しく
  もていてさせ給はゝこそつみもはへらめゆく
  かたもなくいふせうおほえはへり又おほさる」26ウ

  らむはし/\をもあきらめきこえまほし
  くなむと申給へはけにこそいとたくひなけな
  める御有さまをなくさめきこえ給御心はえ
  のあさからぬほとなときこえしらす御
  心ちにもさこそいへやう/\心しつまりて
  よろつ思しられ給へはむかしさまにても
  かうまてはるけきのへをわけいり給へる
  心さしなとも思しり給へしすこし
  ゐさりより給へりおほすらんさま又
  の給契しことなといとこまやかに」27オ

  なつかしういひてうたてをゝしきけは
  ひなとは見え給はぬ人なれはけうとくすゝろ
  はしくなとはあらねとしらぬ人にかくこゑ
  をきかせたてまつりすゝろにたのみか
  ほなることなともありつるひころを思つゝ
  くるもさすかにくるしうてつゝましけれ
  とほのかにひとことなといらへきこえ給
  さまのけによろつ思ほれ給へるけはひな
  れはいとあはれときゝたてまつり給ふ
  くろき木丁のすきかけのいと心くるし」27ウ

  けなるにましておはすらんさまほの見しあ
  けくれなと思いてられて
    色かはるあさちを見てもすみそめに
  やつるゝ袖を思ひにそやれとひとりこと
  のやうにのたまへは
    色かはる袖をはつゆのやとりにてわか
  身そさらにをき所なきはつるゝいとはと
  すゑはいひけちていといみしくしのひ
  かたきけはひにていり給ぬなりひき
  とゝめなとすへきほとにもあらねはあかす」28オ

  あはれにおほゆおい人そこよなき御かはりにいて
  きてむかし今をかきあつめかなしき御
  ものかたりともきこゆありかたくあさ
  ましきことゝもをも見たる人なりけれは
  かうあやしくおとろへたる人ともおほし
  すてられすいとなつかしうかたらひ給いは
  けなかりしほとにこ院にをくれたてま
  つりていみしうかなしき物は世なりけりと
  思しりにしかはひとゝなり行よはひに
  そへてつかさくらゐ世中のにほひも」28ウ

  なにともおほえすなんたゝかうしつやかなる
  御すまゐなとの心にかなひ給へりしを
  かくはかなく見なしたてまつりなしつるに
  いよ/\いみしくかりそめの世の思しらるゝ
  心ももよほされにたれと心くるしうてと
  まり給へる御ことゝものほたしなときこえむ
  はかけ/\しきやうなれとなからへてもかの御
  ことあやまたすきこえうけたまはら
  ほしさになんさるはおほえなき御ふる物かたり
  きゝしよりいとゝ世中にあとゝめむとも」29オ

  おほえすなりけたりやとうちなきつゝの給へは
  この人はましていみしくなきてえもきこ
  えやらす御けはひなとのたゝそれかとおほえ
  給にとし比うちわすれたりつるいにしへ
  の御ことをさへとりかさねてきこえやらむ
  かたもなくおほゝれゐたりこの人はかの大納言
  の御めのとこにてちゝはこのひめ君たちの母
  きたのかたのはゝかたのをち左中弁にて
  うせにけるかこなりけりとしころとをき
  くにあくかれはゝ君もうせ給てのちかの」29ウ

  とのにはうとくなりこの宮にはたつねとりて
  あらせ給なりけり人もいとやむことなからす
  みやつかへなれにたれと心ちなからぬ物に
  宮もおほしてひめ君たちの御うしろみた
  つ人になし給へるなりけりむかしの御こと
  はとしころかくあさゆふに見たてまつりな
  れ心へたつるくまなく思きこゆ君たちにも
  ひとことうちいてきこゆるついてなくしのひ
  こめたりけれと中納言の君はふる人
  のとはすかたりみなれいのことなれはをし」30オ

  なへてあは/\しうなとはいひひろけすとも
  いとはつかしけなめる御心ともにはきゝをき
  給へらむかしとをしはからるゝかねたくも
  いとおしくもおほゆるにそ又もてはなれては
  やましとおもひよらるゝつまにもなり
  ぬへき今はたひねもすゝろなる心ちして
  かへり給にもこれやかきりのなとの給しを
  なとかさしもやはとうちたのみて又見
  たてまつらすなりにけむ秋やはかは
  れるあまたの日かすもへたてぬ」30ウ

  ほとにおはしにけむかたもしらすあえなき
  わさなりやことに例のひとめいたる御しつ
  らひなくいとことそき給めりしかといと
  物きよけにかきはらひあたりおかしく
  もてない給へりし御すまゐもたいとこ
  たちいていりこなたかなたひきへたてつゝ
  御ねむすのくともなとそかはらぬさまなれ
  と仏はみなかのてらにうつしたてまつり
  てむとすときこゆるをきゝ給にもかゝる
  さまのひとかけなとさへたえはてんほと」31オ

  とまりて思給はむ心ちともをくみきこえ
  給もいとむねいたうおほしつゝけらるいた
  くくれはへりぬと申せはなかめさしてたち
  給にかりなきてわたる
    秋きりのはれぬ雲ゐにいとゝしく
  このよをかりといひしらすらむ兵部卿の
  宮にたいめんし給時はまつこの君たち
  の御ことをあつかひくさにし給今はさり
  とも心やすきをとおほして宮はねん比に
  聞え給けりはかなき御かへりもきこえ」31ウ

  にくゝつゝましきかたにをむなかたはおほい
  たりよにいといたうすき給へる御名のひ
  ろこりてこのましくえむにおほさるへ
  かめるもかういとうつもれたるむくらのし
  たよりさしいてたらむてつきもいかにう
  ゐ/\しくふるめきたらむなと思くし
  給へりさてもあさましうてあけくら
  さるゝは月日成けりかくたのみかたかりける
  御よを昨日今日とは思はてたゝおほかた
  さためなきはかなさはかりをあけくれの」32オ

  ことにきゝ見しかと我も人もをくれさきた
  つほとしもやはへむなとうち思けるよ
  きしかたを思つゝくるもなにのたのも
  しけなる世にもあらさりけれとたゝいつ
  となくのとかになかめすくしものおそろし
  くつゝましきこともなくてへつる物を
  風のをともあらゝかに例見ぬ人かけも
  うちつれこはつくれはまつむねつふれて
  物おそろしくわひしうおほゆることさへ
  そひにたるかいみしうたへかたきことゝふた所」32ウ

  うちかたらひつゝほすよもなくてすくし給
  にとしもくれにけり雪あられふりしく
  ころはいつくもかくこそはある風のをとなれと
  今はしめて思いりたらむやますみの
  心ちし給ふをむなはらなとあはれとしは
  かはりなんとす心ほそくかなしきことを
  あらたまるへき春まちいてゝしかな
  ときゝ給むかひの山にも時々の御念仏に
  こもり給しゆへこそ人もまいりかよひし
  かあさりもいかゝとおほかたにまれにをとつ」33オ

  れきこゆれと今はなにことにかはほのめ
  きまいらむいとゝ人めのたえはつるもさるへ
  きことゝ思なからいとかなしくなんなにと
  も見さりし山かつもおはしまさて後
  たまさかにさしのそきまいるはめつらしく
  おもほえ給このころのことゝてたきゝこのみ
  ひろひてまいる山人ともありあさりのむろ
  よりすみなとなとやうの物たてまつるとて
  としころにならひはへりにける宮つか
  への今とてたえは△らんか心ほそさになむと」33ウ

  きこえたりかならす冬こもる山風ふせ
  きつへきわたきぬなとつかはしゝをおほし
  いてゝやり給ほうしはらわらはへなとのゝ
  ほり行も見えみみえすみいとゆきふかき
  をなく/\たちいてゝ見をくり給御くし
  なとをろいたまうてけるさるかたにておは
  しまさましかはかやうにかよひまいる
  人もをのつからしけからましいかにあは
  れに心ほそくともあひ見たてまつること
  たえてやまゝしやはなとかたらひ給ふ」34オ

    君なくて岩のかけみちたえしより
  松の雪をもなにとかは見るなかの宮
    おく山の松葉につもる雪とたに
  きえにし人を思はましかはうらやまし
  くそ又もふりそふや中納言の君あたらしき
  としはふとしもえとふらひきこえさらんと
  おほしておはしたゆきもいとゝころせき
  によろしき人たに見えすなりにたるを
  なのめならぬけはひしてかろらかにもの
  し給へる心はえのあさうはあらす思しられ」34ウ

  給へは例よりは見いれておましなとひきつ
  くろはせ給すみそめならぬ御火をけおく
  なるとりいてゝちりかきはらひなとするに
  つけても宮のまちよろこひ給し御けしき
  なとを人々もきこえいつたいめんし給こと
  をはつゝましくのみおほいたれと思くまな
  きやうに人の思給へれはいかゝはせむとて
  きこえ給うちとくとはなけれとさき/\
  よりはすこしことのはつゝけてものなと
  の給へるさまいとめやすく心はつかしけ」35オ

  なりかやうにてのみはえすくしはつましと
  思なり給もいとうちつけなる心かななをう
  つりぬへきよなりけりと思ゐ給へり宮の
  いとあやしくうらみ給ふことのはへるかな
  あはれなりし御ひとことをうけ給りを
  きしさまなとことのついてにやもらし
  きこえたりけんまたいとくまなき御心のさ
  かにてをしはかり給にやはへらんこゝになむ
  ともかくもきこえさせなすへきとたのむを
  つれなき御けしきなるはもてそこなひき」35ウ

  こゆるそとたひ/\ゑんし給へは心より外なる
  ことゝ思たまふれとさとのしるへいとこよなう
  もえあらかひきこえぬをなにかはいとさしも
  もてなしきこえ給はむすい給へるやうに
  人はきこえなすへかめれと心の底あやしく
  ふかうおはする宮なりなをさりことなとの
  給わたりの心かろうてなひきやすなるなと
  をめつらしからぬものに思おとし給にやと
  なむきくこともはへるなにことにもあるに
  したかひて心をたつるかたもなくおとけたる」36オ

  人こそたゝ世のもてなしにしたかひてとある
  もかゝるもなのめに見なしすこし心に
  たかふふしあるにもいかゝはせむさるへきそなと
  も思なすへかめれは中/\心なかきためしに
  なるやうもありくつれそめてはたつたの
  川のにこるなをもけかしいふかひなくなこ
  りなきやうなることなともみなうちましる
  めれ心のふかうしみ給ふへかめる御心さまにかな
  ひことにそむくことおほくなと物し給は
  さらむをはさらにかろ/\しくはしめをはり」36ウ

  たかふやうなることなと見せ給ましきけしき
  になむ人の見たてまつりしらぬことをいとよう
  見きこえたるをもしにつかはしくさもやと
  おほしよらはそのもてなしなとは心のかきり
  つくしてつかうまつりなむかし御なかみち
  のほとみたりあしこそたからめといとまめ
  やかにていひつゝけ給へは我御身つからのことゝ
  はおほしもかけす人のおやめきていらへんかし
  とおほしめくらし給へとなをいふへきことの
  はもなき心ちしていかにとかはかけ/\しけに」37オ

  の給つゝくるに中/\きこえんこともおほえ
  はへらてとうちわらひ給へるもおいらかなるも
  のからけはひおかしうきこゆかならす御みつ
  からきこしめしおふへきことゝも思給へすそ
  れは雪をふみわけてまいりきたる心さし斗
  を御らんしわかむ御このかみ心にてもすくさせ
  給てよかしかの御心よせはまたことにそはへ
  へかめるほのかにの給さまもはへめりしを
  いさやそれも人のわきゝこえかたきこと也
  御返なとはいつかたにかはきこえ給とゝひ申給に」37ウ

  ようそたはふれにもきこえさりけるなにと
  なけれとかうの給にもいかにはつかしうむね
  つふれましと思にえこたへやり給はす
    雪ふかき山のかけはしきみならてまた
  ふみかよふあとをみぬかなとかきてさし△△
  いて給へれは御物あらかひこそなか/\心をかれ
  はへりぬへけれとて
    つらゝとち駒ふみしたく山川をしるへ
  しかてらまつやわたらむさらはしも
  かけさへ見ゆるしるしもあさうは侍らしと」38オ

  きこえ給へは思はすにものしうなりて
  ことにいらへ給はすけさやかにいと物とを
  くすくみたるさまには見え給はねといま
  やうのわか人たちのやうにえむけにも
  もてなさていとめやすくのとやかなる心
  はえならむとそをしはかられ給ひとの
  御けはひなるかうこそはあらまほしけれと
  思にたかはぬ心ちし給ことにふれて
  けしきはみよるもしらすかほなるさまに
  のみもてなし給へは心はつかしうてむかし」38ウ

  物かたりなとをそものまめやかにきこえ給
  くれはてなはゆきいとゝ空もとちぬへう
  はへりと御ともの人々こはつくれはかへり給
  なむとて心くるしう見めくらさるゝ御す
  まゐのさまなりやたゝ山さとのやうに
  いとしつかなる所の人もゆきましらぬ
  はへるをさもおほしかけはいかにうれしく
  はへらむなとの給もいとめてたかるへきこと
  かなとかたみゝにきゝてうちゑむ女はらの
  あるを中の宮はいとみくるしういかにさやう」39オ

  には有へきそと見きゝゐ給へり御くた物
  よしあるさまにてまいり御ともの人々にも
  さかなゝとめやすきほとにてかはらけさし
  いてさせ給けり又御うつりかもてさはかれし
  とのゐ人そかつらひけとかいふつらつき
  心つきなくてあるはかなの御たのもし人
  やと見給てめしいてたりいかにそおはし
  まさて後心ほそからむななととひ給うち
  ひそみつゝこゝろよはけになく世中に
  たのむよるへもはへらぬ身にてひとゝころの」39ウ

  御かけにかくれて卅よねんをすくしはへりに
  けれはいまはましての山にましりはへ
  らむもいかなる木の本をかはたのむへくはへら
  むと申ていとゝ人わろけなりおはしましゝ
  かたあけさせ給へれはちりいたうつもりて
  仏のみそ花のかさりおとろへすおこなひ給ひ
  けりと見ゆる御ゆかなとゝりやりてかきは
  らひたりほいをもとけはとちきりきこ
  えしこと思いてゝ
    たちよらむかけとたのみししゐかもと」40オ

  むなしきとこになりにける哉とてはし
  らによりゐ給へるをもわかき人々はのそ
  きてめてたてまつる日くれぬれはちかき
  所/\にみそうなとつかうまつる人々にみま
  くさとりにやりける君もしり給はぬに
  ゐなかひたる人々はおとろ/\しくひきつ
  れまいりたるをあやしうはしたなき
  わさかなと御らむすれとおい人にまきらはし
  給つおほかたかやうにつかうまつるへくおほ
  せをきていて給ひぬとしかはりぬれは」40ウ

  空のけしきうらゝかなるにみきはのこ
  ほりとけたるを有かたくもとなかめ給ひし
  りのはうよりゆきゝえにつみてはへるなり
  とてさはのせりわらひなとたてまつりたり
  いもゐの御たいにまいれる所につけては
  かゝるくさきのけしきにしたかひて行
  かふ月日のしるしも見ゆるこそおかしけ
  れなと人々のいふをなにのおかしきならむと
  きゝ給
    君かおるみねのわらひと見ましかはしら」41オ

  れやせまし春のしるしも
    雪ふかき汀のこせりたかためにつみか
  はやさんおやなしにしてなとはかなきことゝも
  をうちかたらひつゝあけくらし給中納言殿
  よりも宮よりもをりすくさすとふらひき
  こえ給うるさくなにとなきことおほかるやう
  なれは例のかきもらしたるなめり花さかり
  のころ宮かさしをおほしいてゝそのおり見きゝ
  給し君たちなともいとゆへありしみこの
  御すまゐを又も見すなりにしことなと」41ウ

  大かたのあはれをくちきこゆるにいとゆかしう
  おほされけり
    つてに見しやとのさくらをこの春はかすみ
  へたてすおりてかさゝむと心をやりての給へ
  りけりあるましきことかなとみ給なからいと
  つれ/\なるほとに見ところある御ふみのうはへ
  はかりをもてけたしとて
    いつことかたつねておらむすみそめに
  かすみこめたるやとの桜をなをかくさし
  はなちつれなき御けしきのみゝゆれは」42オ

  まことに心うしとおほしわたる御心に
  あまり給てはたゝ中納言をとさまかう
  さまにせめこらみきこえ給へはおかしと思
  なからいとうけはりたるうしろみかほにうち
  いらへきこえてあためいたる御心さまをも
  見あらはす時/\はいかてかかゝらんにはなと
  申給へはみやも御心つかひし給へし心に
  かなふあたりまた見つけぬほとそやとの
  給おほとのゝ六の君をおほしいれぬ事な
  まうらめしけにおとゝもおほした」42ウ

  りけりされとゆかしけなきなからひたるう
  ちにもおとゝのこと/\しくわつらはしくて
  なに事のまきれをも見とかめられんか
  むつかしきとしたにはの給てすまゐ給
  そのとし三条の宮やけて入道の宮も
  六条の院にうつろひ給ひなにくれと
  物さはかしきにまきれてうちのわたり
  をひさしうをとつれきこえ給はすま
  めやかなる人の御心は又いとことなりけれは
  いとのとかにをのか物とはうちたのみなから・」43オ

  をむなの心ゆるひ給はさらむかきりはあ
  されはみなさけなきさまに見えしと思
  つゝむかしの御心わすれぬかたをふかく
  見しり給へとおほすそのとしつねより
  もあつさを人わふるに河つら涼しからむ
  はやと思いてゝにはかにまうて給へりあさ
  すゝみのほとにいて給けれはあやにくに
  さしくる日かけもまはゆくて宮のお
  はせしにしのひさしにとのゐ人めしいてゝ
  おはすそなたのもやの仏の御まへにきみ」43ウ

  たちものし給けるをけちかからし
  とてわか御かたにわたり給御けはひしのひ
  たれとをのつからうちみしろき給ほと
  ちかうきこえけれはなをあらしにこな
  たにはかようさうしのはしのかたにかけかね
  したる所にあなのすこしあきたるを
  見をき給へりけれはとにたてたるひやう
  ふをひきやりて見給こゝもとに木丁を
  そへたてたるあなくちおしと思てひき
  かへるおりしも風のすたれをいたうふき」44オ

  あくへかめれはあらはにもこそあれその木丁
  をしいてゝこそといふ人あなりおこかまし
  きものゝうれしうて見給へはたかきも
  みしかきも木丁をふたまのすにをし
  よせてこのさうしにむかいてあきたる
  さうしよりあなたにとおらんとなりけり
  まつひとりたちいてゝ木丁よりさし
  のそきてこの御ともの人々のとかうゆき
  ちかひすゝみあへるを見給ふなりけりこき
  わひいろのひとへにくわんさうのはかまもて」44ウ

  はやしたる中/\さまかはりてはなやか
  なりと見ゆるはきなし給へる人からなめり
  おひはかなけにしなしてすゝひきかくして
  もたまへりいとそひやかにやうたひおかし
  けなる人のかみうちきにすこしたらぬ
  ほとならむと見えてすゑまてちりのま
  よひなくつや/\とこちたううつくし
  けなりかたはらめなとあならうたけと
  見えてにほひやかにやはらかにおほとき
  たるけはひ女一の宮もかうさまにそおは」45オ

  すへきとほの見たてまつりしも思くら
  へられてうちなけかるまたゐさりいてゝ
  かのさうしはあらはにもこそあれと見をこ
  せ給へるよういうちとけたらぬさまして
  よしあらんとおほゆかしらつきかむさしの
  ほと今すこしあてになまめかしきさま
  なりあなたに屏風もそへてたてゝはへり
  ついそきてしものそき給はしとわか
  き人々なに心なくいふありいみしうも
  あるへきわさかなとてうしろめたけに」45ウ

  ゐさりいり給ふほとけたかう心にくき
  けはひそひて見ゆくろきあわせひと
  かさねおなしやうなるいろあひをき
  給へれとこれはなつかしうなまめきて
  あはれけに心くるしうおほゆかみさはら
  かなるほとにおちたるなるへしすゑす
  こしほそりていろなりとかいふめるひ
  すひたちていとおかしけにいとをより
  かけたるやうなりむらさきのかみに
  かきたる経をかたてにもち給へるて」46オ

  つきかれよりもほそさまさりてやせ/\
  なるへしたちたりつるきみもさうし
  くちにゐてなにことにかあらむこなた
  を見をこせてわらひたるいとあひきやう
  つきたり」46ウ

【奥入01】経云
    香山大樹竪那羅於仏前調瑠璃琴
    陣八万四千里音楽于時迦葉尊者
    威儀忘舞終(戻)」47オ

inserted by FC2 system