手習(大島本親本復元) First updated 7/7/2007(ver.1-1)
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渋谷栄一翻字(C)

  

手習

《概要》
 現状の大島本から後人の本文校訂や書き入れ注記等を除いて、その親本の本文様態に復元して、以下の諸点について分析する。
1 飛鳥井雅康の「手習」巻の書写態度について
2 大島本親本の復元本文と他の青表紙本の本文との関係
3 大島本親本の復元本文と定家仮名遣い
4 大島本親本の復元本文の問題点 現行校訂本の本文との異同

《書誌》
 「帚木」巻以下「手習」巻までの書写者は、飛鳥井雅康である。

《復元資料》

凡例
1 本稿は、『大島本 源氏物語』(1996(平成8)年5月 角川書店)から、その親本を復元した。よって、本文中の書き入れ、注記等は、本文と一筆のみを採用し、書写者自身の誤写訂正と思われるものは、それに従って訂正した。しかし他の後人の筆と推測されるものは除いた。
2 付箋、行間注記は【 】- としてその頭に番号を記した。付箋は、( )で括り、付箋番号を記した。合(掛)点には、\<朱(墨)合点>と記した。
3 小字及び割注等は< >で記した。/は改行を表す。また漢文の訓点等は< >で記した。
4 本文の校訂記号は次の通りである。
 $(ミセケチ)・#(抹消)・+(補入)・&(ナゾリ)・=(併記)・△(不明文字)
 ( )の前の文字及び( )内の記号の前の文字は、訂正以前の文字、記号の後の文字が訂正以後の文字である。ただし、なぞり訂正だけは( )の前の文字は訂正後の文字である。訂正以前の本行本文の文字を尊重したことと、なぞり訂正だけは元の文字が判読しにくかったための処置である。
5 各丁の終わりには」の印と丁数とその表(オ)裏(ウ)を記した。

「てならひ」(題箋)

  そのころよかはになにかしそうつとか
  いひていとたうとき人すみけりやそち
  あまりのはゝ五十はかりのいもうと
  ありけりふるきくわんありてはつせ
  にまうてたりけりむつましうやむ
  ことなくおもふてしのあさりをそへて
  仏経くやうすることをこなひけりことゝも
  おほくしてかへるみちにならさかといふ山こ
  えける程よりこのはゝのあま君心ち
  あしうしけれはかくてはいかてかのこりの」1オ

  みちをもおはしつかむともてさはきてうち
  のわたりにしりたりける人のいゑあり
  けるにとゝめてけふはかりやすめたてま
  つるになをいたうわつらへはよかはにせう
  そこしたり山こもりのほいふかくことしは
  いてしと思けれとかきりのさまなるお
  やのみちのそらにてなくやならむと
  おとろきていそき物し給へりおしむ
  へくもあらぬ人さまを身つからもてしの
  なかにもけむあるしてかちしさはくを」1ウ

  いゑあるしきゝてみたけさうししけるをい
  たうおい給へる人のをもくなやみ給ふは
  いかゝとうしろめたけに思いていひけれは
  さもいふへきことそいとおしう思ていとせは
  くむつかしうもあれはやう/\いてたてま
  つるへきになかゝみふたかりてれいすみ給
  方はいむへかりけれは故朱雀院の御両にて
  うちの院といひし所このわたりならむ
  と思いてゝ院もりそうつしり給へり
  けれは一二日やとらんといひにやり給へり」2オ

  けれははつせになんきのふみなまいりに
  けるとていとあやしきやともりのお
  きなをよひてゐてきたりおはしまさは
  はやいたつらなる院のしむ殿にこそ侍めれ
  物まうての人はつねにそやとり給といへは
  いとよかなりおほやけ所なれと人もなく
  心やすきをとてみせにやり給このおき
  な例もかくやとる人を見ならひたりけれは
  おろそかなるしつらいなとしてきたりま
  つそうつわたり給いといたくあれておそろし」2ウ

  けなる所かなと見給大とこたち経よめなと
  の給このはつせにそひたりしあさりとお
  なしやうなるなにことのあるにかつき/\し
  きほとのけらうほうしにひともさせて
  人もよらぬうしろのかたにいきたりもり
  かと見ゆる木の下をうとましけのわ
  たりやとみいれたるにしろき物のひろこり
  たるそ見ゆるかれはなにそと立とまりて
  ひをあかくなしてみれはものゝゐたるすかた
  なりきつねのへんくゑしたるにくしみ」3オ

  あらはさむとてひとりは今すこしあゆみ
  よるいまひとりはあなようなよからぬもの
  ならむといひてさやうの物しりそくへき
  いんをつくりつゝさすかに猶まもるかしらの
  かみあらはふとりぬへき心ちするに此ひとも
  したる大とこはゝかりもなくあふなきさま
  にてちかくよりてそのさまをみれはかみは
  なかくつや/\としておほきなる木の
  いとあら/\しきによりゐていみしう
  なくめつらしきことにも侍かなそうつの」3ウ

  御坊に御らむせさせたてまつらはやと
  いへはけにあやしきことなりとて一人はまう
  てゝかゝる事なむと申すきつねの人に
  へんくゑするとはむかしよりきけとまた
  見ぬもの也とてわさとおりておはすかの
  わたり給はんとする事によりてけすとも
  みなはか/\しきはみつゝ所なとあるへかし
  きことゝもをかゝるわたりにはいそく物なり
  けれはゐしつまりなとしたるにたゝ四五人
  してこゝなる物を見るにかはることもなし」4オ

  あやしうて時のうつるまて見るとく夜も
  あけはてなん人かなにそとみあらはむと
  心にさるへきしんこむをよみいんをつくり
  て心みるにしるくや思らんこれは人なり
  さらにひさうのけしからぬ物にあらす
  よりてとへなくなりたる人にはあらぬに
  こそあめれもししにたりける人をすてたり
  けるかよみかへりたるかといふなにのさる人
  をかこの院のうちにすて侍らむたとひ
  まことに人なりともきつねこたまやうの」4ウ

  物のあさむきてとりもてきたるにこそ侍ら
  めとふひんにも侍けるかなけからひあるへき
  所にこそ侍へめれといひてありつるやともりの
  をのこをよふ山ひこのこたふるもいとおそろ
  しあやしのさまにひたいおしあけていてき
  たりこゝにはわかき女なとやすみ給かゝる
  ことなんあるとてみすれはきつねのつかうま
  つるなりこの木のもとになん時々あやし
  きわさなむし侍をとゝしの秋もこゝに
  侍人のこの二はかりにはへりしをとりてまうて」5オ

  きたりしかと見をとろかすはへりきさて
  其ちこはしにやしにしといへはいきて侍りき
  つねはさこそは人ををひやかせとことにもあら
  ぬやつといふさまいとなれたりかのよふかき
  まいりものゝ所に心をよせたるなるへしそう
  つさらはさやうの物のしたるわさか猶よく
  みよとて此ものをちせぬ法しをよせたれは
  おにか神かきつねかこたまかかはかりのあめの
  したのけんさのおはしますにはえかくれ
  たてまつらしなのり給へ/\ときぬをと」5ウ

  りてひけはかほをひきいれていよ/\なく
  いてあなさかなのこたまのおにやまさに
  かくれなんやといひつゝかほを見んとするに
  昔ありけむめもはなもなかりけるめおにゝや
  あらんとむくつけきをたのもしういかき
  さまを人に見せむと思てきぬをひきぬか
  せんとすれはうつふしてこゑたつはかりなく
  なにゝまれかくあやしきことなへて世に
  あらしとて見はてんと思に雨いたくふり
  ぬへしかくてをいたらはしにはて侍ぬへし」6オ

  かきのもとにこそいたさめといふそうつま
  ことの人のかたちなりその命たえぬをみる/\
  すてんこといといみしきことなり池にをよく
  いを山になくしかをたに人にとらへられて
  しなむとするをみてたすけさらむはいと
  かなしかるへし人の命ひさしかるましき
  物なれとのこりの命一二日をもおしますは
  あるへからすおにゝもかみにもりようせられ
  人にをはれ人にはかりこたれてもこれ
  よこさまのしにをすへき物にこそあん」6ウ

  めれ仏のかならすすくひ給へきゝはなりな
  を心みにしはしゆをのませなとしてたす
  け心みむつゐにしなはいふかきりにあらすと
  の給てこの大とこしていたきいれさせ給ふ
  をてしともたい/\しきわさかないたう
  わつらひ給人の御あたりによからぬ物をとり
  いれてけからひかならすいてきなんとすと
  もとくもあり又物のへんくゑにもあれめに
  みす/\いける人をかゝるあめにうちうし
  なはせんはいみしきことなれはなと心/\に」7オ

  いふ下すなとはいとさはかしく物をうたていひ
  なす物なれは人さはかしからぬかくれのかたに
  なんふせたりける御車よせており給
  程いたうくるしかり給とてのゝしるすこし
  しつまりてそうつありつる人いかゝなりぬる
  ととひ給なよ/\として物いはすいきも
  し侍らすなにか物にけとられにける人に
  こそといふをいもうとのあま君きゝ給て
  何事そととふしか/\のことなむ六十に
  あまるとしめつらかなる物を見給へつると」7ウ

  の給うちきくまゝにをのかてらにてみし
  夢ありきいかやうなる人そまつそのさま
  見んとなきての給たゝこのひむかしのやり
  とになん侍はや御覧せよといへはいそきゆ
  きてみるに人もよりつかてそすておき
  たりけるいとわかううつくしけなる女
  のしろきあやのきぬひとかさねくれなひ
  のはかまそきたるかはいみしうかうはしく
  てあてなるけはひかきりなしたゝ我恋か
  なしむむすめのかへりおはしたるなめり」8オ

  とてなく/\こたちをいたしていたきい
  れさすいかなりつらむともありさま
  みぬ人はおそろしからていたきいれついける
  やうにもあらてさすかにめをほのかに見あけ
  たるも物のたまへやいかなる人かかくては物
  し給へるといへとものおほえぬさま也ゆとり
  てゝつからすくひいれなとするにたゝよ
  はりにたえいるやうなりけれは中/\いみ
  しきわさかなとてこの人なくなりぬへし
  かちし給へとけんさのあさりにいふされは」8ウ

  こそあやしき御ものあつかひとはかみなとのた
  めに経よみつゝいのるそうつもさしのそきて
  いかにそなにのしわさそとよくてうしてと
  へとの給へといとよはけにきえもていく
  やうなれはえいき侍らしすそろなる
  けからひにこもりてわつらふへきことさ
  すかにいとやむことなき人にこそ侍め
  れしにはつともたゝにやはすてさせ
  給はんみくるしきわさかなといひあへりあ
  なかま人にきかすなわつらはしきこともそ」9オ

  あるなとくちかためつゝあま君はおやのわ
  つらひ給よりも此人をいけはてゝみまほ
  しうおしみてうちつけにそひゐたりし
  らぬ人なれとみめのこよなうおかしけな
  れはいたつらになさしと見るかきりあつ
  かひさはきけりさすかに時々め見あけ
  なとしつゝ涙のつきせすなかるゝをあな心
  うやいみしくかなしと思ふ人のかはりに
  ほとけのみちひき給へると思ひきこゆる
  をかひなくなり給はゝ中/\なることをや」9ウ

  思はんさるへき契にてこそかくみたてまつら
  め猶いさゝか物の給へといひつゝくれとから
  うしていきいてたりともあやしきふよう
  の人なり人にみせてよるこのかはにおとしい
  れ給てよといきのしたにいふまれ/\物
  の給をうれしとおもふにあないみしやいか
  なれはかくはの給そいかにしてさるところには
  おはしつるそとゝへとも物もいはすなりぬ身に
  もしきすなとやあらんとてみれとこゝはと
  見ゆる所なくうつくしけれはあさましく」10オ

  かなしくまことに人の心まとはさむとて
  いてきたるかりの物にやとうたかふ二日はかり
  こもりゐてふたりの人をいのりかちするこゑ
  たえすあやしきことを思さはくそのわた
  りのけすなとのそうつにつかまつりける
  かくておはしますなりとてとふらひいて
  くるも物語なとしていふをきけは古八の
  宮の御むすめ右大将とのゝかよひ給し
  ことになやみ給こともなくてにはかにかくれ
  給へりとてさはき侍その御さうそうの」10ウ

  さうしともつかうまつり侍りとて昨日はえ
  まいり侍らさりしといふさやうの人の玉
  しゐをおにのとりもてきたるにやと思に
  もかつみる/\ある物ともおほえすあやうく
  おそろしとおほす人々よへみやられしひは
  しかこと/\しきけしきも見えさりしをと
  いふことさらそきていかめしうも侍らさりし
  といふけからひたるひとゝてたちなからをい
  かへしつ大将殿は宮の御むすめもち
  給へりしはうせ給てとしうちになりぬる」11オ

  物をたれをいふにかあらんひめ宮ををきたて
  まつり給てよにこと心おはせしなといふ
  あま君よろしくなり給ぬかたもあきぬ
  れはかくうたてある所にひさしうおはせん
  もひんなしとてかへる此人は猶いとよはけなり
  みちの程もいかゝ物し給はんと心くるしき
  ことゝいひあへり車ふたつしておい人のり
  給へるにはつかうまつるあまふたりつき
  のにはこの人をふせてかたはらに今ひとり
  のりそひてみちすから行もやらすくる」11ウ

  まとめてゆまいりなとし給ひえさかもとに
  をのといふ所にそすみ給けるそこにおはし
  つくほといとゝをし中やとりをまうく
  へかりけるなといひて夜ふけておはし
  つきぬそうつはおやをあつかひむすめの
  あま君はこのしらぬ人をはくゝみてみない
  たきおろしつゝやすむ老のやまいのい
  つともなきかくるしと思給へしとを道
  のなこりこそしはしわつらひ給けれやう
  やうよろしうなり給にけれはそうつは」12オ

  のほり給ぬかゝる人なんゐてきたるなとほ
  うしのあたりにはよからぬことなれはみさり
  し人にはまねはすあま君もみなくちか
  ためさせつゝもしたつねくる人もやあると
  思もしつ心なしいかてさるゐなか人のすむ
  あたりにかゝる人おちあふれけん物まうて
  なとしたりける人の心ちなとわつらひけん
  をまゝはゝなとやうの人のたはかりておかせ
  たるにやなとそ思よりける河になかして
  よといひしひとことよりほかに物もさら」12ウ

  にの給はねはいとおほつかなく思ていつしか
  人にもなしてみんと思につく/\としてお
  きあかるよもなくいとあやしうのみ物し
  給へはつゐにいくましき人にやと思なから
  うちすてむもいとおしういみし夢かた
  りもしいてゝはしめよりいのらせしあさり
  にもしのひやかにけしやくことせさせ給
  うちはへかくあつかふほとに四五月もすき
  ぬいとわひしうかひなきことを思わひて
  そうつの御もとに猶おり給へこの人たす」13オ

  け給へさすかにけふまてもあるはしぬま
  しかりける人をつきしみ両したる物の
  さらぬにこそあめれあか仏京にいて給はゝ
  こそはあらめこゝまてはあへなんなといみし
  きことをかきつゝけてたてまつり給へれ
  はいとあやしきことかなかくまてもありける
  人の命をやかてとりすてゝましかはさるへ
  き契ありてこそはわれしもみつけゝめ
  心みにたすけはてむかしそれにとゝ
  まらすはこうつきにけりと思はんとて」13ウ

  おり給けりよろこひおかみて月比の有さま
  をかたるかく久しうわつらふ人はむつかしき
  ことをのつからあるへきをいさゝかおとろへす
  いときよけにねちけたる所なくのみ物
  し給てかきりとみえなからもかくてい
  きたるわさなりけりなとおほな/\なく/\
  の給へは見つけしよりめつらかなる人のみ
  ありさまかないてとてさしのそきてみ給
  てけにいときやうさくなりける人の御
  ようめいかなくとくのむくひにこそかゝる」14オ

  かたちにもおひいて給けめいかなるたかひめ
  にてそこなはれ給けんもしさにやときゝ
  あはせらるゝ事もなしやとゝひ給ふさら
  にきこゆることもなしなにかはつせの
  くわんをむの給へる人なりとの給へはなに
  かそれえんにしたかひてこそみちひき給は
  めたねなきことはいかてかなとの給かあやし
  かり給てすほうはしめたりおほやけの
  めしにたにしたかはすふかくこもりたる
  山をいて給てすそろにかゝる人のために」14ウ

  なむをこなひさはき給と物のきこえあらんいと
  きゝにくかるへしとおほし弟子ともゝいひて
  人にきかせしとかくすそうついてあなかま
  大とこたちわれむさんのほうしにていむ
  ことの中にやふるかいはおほからめと女のす
  ちにつけてまたそしりとらすあやまつ
  ことなし六十にあまりて今さらに人のもと
  きおはむはさるへきにこそはあらめとの給へ
  はよからぬ人の物をひんなくいひなし侍時には
  仏ほうのきすとなり侍こと也と心よからす」15オ

  思ていふこのすほうのほとにしるしみえす
  はといみしきことゝもをちかひ給てよひとよ
  かちし給へるあかつきに人にかりうつして
  なにやうのものかくひとをまとはしたるそ
  と有さまはかりいはせまほしうて弟子の
  あさりとり/\にかちし給月比いさゝかも
  あらはれさりつる物のけてうせられてをのれ
  はこゝまてまうてきてかくてうせられた
  てまつるへき身にもあらすむかしはをこなひ
  せし法しのいさゝかなる世にうらみをとゝ」15ウ

  めてたゝよひありきしほとによき女のあ
  またすみ給し所にすみつきてかたへはうし
  なひてしにこの人は心と世を恨給てわれいかて
  しなんといふことをよるひるの給しにたよりを
  えていとくらき夜ひとり物し給しを
  とりてしなりされとくわんおんとさまかう
  さまにはくゝみ給けれは此そうつにまけたて
  まつりぬ今はまかりなんとのゝしるかく
  いふはなにそととへはつきたる人物はかなき
  けにやはか/\しうもいはすさうしみの心ちは」16オ

  さはやかにいさゝかものおほえて見まほしたれ
  はひとり見し人のかほはなくてみなおいほうし
  ゆかみおとろへたる物のみおほかれはしらぬくにゝ
  きにける心ちしていとかなしありしよのこと
  思いつれとすみけむ所たれといひし人と
  たにたしかにはか/\しうもおほえすたゝ
  われはかきりとて身をなけし人そかし
  いつくにきにたるにかとせめて思いつれはいと
  いみしとものを思なけきてみな人のねた
  りしにつまとをはなちていてたりしに」16ウ

  風ははけしう河浪もあらふきこえしをひ
  とり物おそろしかりしかはきしかたゆく
  さきもおほえてすのこのはしにあしをさし
  おろしなから行へきかたもまとはれてかへ
  りいらむもなかそらにて心つよく此世にうせ
  なんと思たちしをおこかましうて人に見つ
  けられむよりはおにもなにもくいうしなへと
  いひつゝつく/\とゐたりしをいときよけなる
  おとこのよりきていさ給へをのかもとへといひ
  ていたく心ちのせしを宮ときこえし人の」17オ

  したさふとおほえし程より心ちまとひに
  けるなめりしらぬ所にすゑをきて此男は
  きえうせぬと見しをつゐにかくほいのことも
  せすなりぬると思つゝいみしうなくと思
  しほとにその後のことはたえていかにも/\
  おほえす人のいふをきけはおほくの日比も
  へにけりいかにうきさまをしらぬ人にあつ
  かはれ見えつらんとはつかしうつゐにかくてい
  きかへりぬるかと思ふもくちおしけれはい
  みしうおほえて中/\しつみ給ひつる日比は」17ウ

  うつし心もなきさまにて物いさゝかまいる
  こともありつるを露許のゆをたにま
  いらすいかなれかくたのもしけなくのみは
  おはするそうちはへぬるみなとし給へることは
  さめ給てさはやかにみえ給へはうれしう
  思きこゆるをとなく/\たゆむおりなく
  そひゐてあつかひきこえ給ある人々もあ
  たらしき御さまかたちを見れは心をつ
  くしてそおしみまもりける心には猶
  いかてしなんとそ思わたり給へとさはかりにて」18オ

  いきとまりたる人の命なれはいとしうね
  くてやう/\かしらもたけ給へは物まいり
  なとし給にそ中/\おもやせもていくいつ
  しかとうれしう思きこゆるにあまに
  なし給てよさてのみなんいくやうもある
  へきとのたまへはいとおしけなる御さまをいかて
  かさはなしたてまつらむとてたゝいたゝき
  許をそき五かいはかりをうけさせたて
  まつる心もとなけれともとよりおれ/\
  しき人の心にてえさかしくしゐてもの」18ウ

  給はすそうつは今はかはかりにていたはりや
  めたてまつり給へといひをきてのほ
  り給ぬ夢のやうなる人を見たてまつる
  哉とあま君はよろこひてせめておこし
  すゑつゝ御くしてつからけつり給さ
  はかりあさましうひきゆひてうち
  やりたりつれといたうもみたれす
  ときはてたれはつや/\とけうら
  なり一とせたらぬつくもかみおほかる所
  にてめもあやにいみしき天人の」19オ

  あまくたれるを見たらむやうに思ふ
  もあやうき心ちすれとなとかいと心うく
  かはかりいみしく思きこゆるに御心をたてゝ
  はみえ給いつくにたれときこえし人のさる
  所にはいかておはせしそとせめてとふを
  いとはつかしと思てあやしかりし
  ほとにみなわすれたるにやあらむあり
  けんさまなともさらにおほえ侍すたゝ
  ほのかに思いつることゝてはたゝいかてこの
  世にあらしと思つゝ夕暮ことにはし」19ウ

  ちかくてなかめし程にまへちかくおほき
  なる木のありししたより人のいてきて
  ゐていく心ちなむせしそれより外の
  ことはわれなからたれともえ思いてられ
  侍すといとらうたけにいひなして世中に
  なをありけりといかて人にしられしきゝ
  つくる人もあらはいといみしくこそとて
  ない給あまりとふをはくるしとおほした
  れはえとはすかくやひめを見つけたり
  けんたけとりのおきなよりもめつら」20オ

  しき心ちするにいかなる物のひまにきえ
  うせんとすらむとしつ心なくそおほし
  ける此あるしもあてなる人なりけりむ
  すめのあま君はかむたちめの北のかたにて
  ありけるかその人なく成給て後むすめ
  たゝひとりをいみしくかしつきてよき
  きむたちをむこにして思あつかひ
  けるをそのむすめのなくなりに
  けれは心うしいみしと思いりてかたちをも
  かへかゝる山さとにはすみはしめたりける也」20ウ

  夜とゝもにこひわたる人のかたみにも
  思よそへつへからむ人をたに見いてゝし
  かなつれ/\も心ほそきまゝに思なけき
  けるをかくおほえぬ人のかたちけはひ
  もまさりさまなるをえたれはうつゝの
  ことゝもおほえすあやしき心ちしなから
  うれしと思ねひにたれといときよ
  けによしありて有さまもあてはかなり
  むかしの山さとよりは水のをともなこ
  やかなりつくりさまゆへある所こたち」21オ

  おもしろくせむさいもおかしくゆへをつ
  くしたり秋になり行は空のけし
  きもあはれなり門田のいねかるとて所
  につけたる物まねひしつゝわかき女とも
  はうたうたひけうしあへりひたひき
  ならすをともおかしく見しあつまち
  のことなとも思ひいてられてかの夕きり
  の宮す所のおはせし山里よりは今すこし
  いりて山にかたかけたる家なれはまつ
  かせしけく風の音もいと心ほそきに」21ウ

  つれ/\にをこなひをのみしつゝいつともなく
  しめやかなりあま君そつきなとあかきよ
  はきむなとひき給少将のあま君なと
  いふ人はひはひきなとしつゝあそふかゝる
  わさはし給やつれ/\なるになといふむか
  しもあやしかりける身にて心のとかに
  さやうの事すへき程もなかりしかはいさゝ
  かおかしきさまならすもおひいてにける
  哉とかくさたすきにける人の心をやるめる
  おり/\につけては思ひいつるをあさましく」22オ

  物はかなかりけるとわれなからくちおしけれは
  てならひに
    身をなけし涙の河のはやき瀬を
  しからみかけてたれかとゝめし思の外に
  心うけれは行すゑもうしろめたくうと
  ましきまて思やらる月のあかき夜な
  /\おい人ともはえむに歌よみいにしゑ
  思いてつゝさま/\物かたりなとするにいらふ
  へきかたもなけれはつく/\と打なかめて
    われかくてうき世の中にめくるとも」22ウ

  たれかはしらむ月の都に今はかきりと思し
  程は恋しき人おほかりしかとこと人々はさ
  しもおもひいてられすたゝおやいかに
  まとひ給けんめのとよろつにいかて人なみ/\
  になさむと思いられしをいかにあえなき
  心ちしけんいつくにあらむわれよにある物と
  はいかてかしらむおなし心なる人もなかりし
  まゝによろつへたつることなくかたらひ
  みなれたりし右近なともおり/\は思い
  てらるわかき人のかゝる山里に今はと思たえ」23オ

  こもるはかたきわさなりけれはたゝいたく年
  へにけるあま七八人そつねの人にてはあり
  けるそれらかむすめむまこやうの物とも
  京に宮つかへするもことさまにてあるも
  時/\そきかよひけるかやうの人につけて
  みしわたりにいきかよひをのつからよに
  ありけりとたれにも/\きかれたてま
  つらむこといみしくはつかしかるへし
  いかなるさまにてさすらへけんなと思やり
  よつかすあやしかるへきを思へはかゝる」23ウ

  人々にかけてもみえすたゝしゝうこもき
  とてあま君のわか人にしたりけるふたりを
  のみそ此御かたにいひわけたりけるみめも
  心さまもむかし見し宮ことりにゝたる
  はなしなにことにつけても世中にあらぬ
  所はこれにやとそかつは思なされけるかく
  のみ人にしられしとしのひ給へはまことに
  わつらはしかるへきゆへある人にも物し
  給らんとてくはしきことある人々にもし
  らせすあま君のむかしのむこの君今は」24オ

  中将にて物し給けるおとうとのせんし
  の君そうつの御もとに物し給ける山こ
  もりしたるをとふらひにはらからのきみた
  ちつねにのほりけりよ川にかよふみちの
  たよりによせて中将こゝにおはしたり
  さきうちをひてあてやかなるおとこの
  いりくるを見いたしてしのひやかにおはせし
  人の御さまけはひそさやかに思いてらるゝ
  これもいと心ほそきすまゐのつれ/\な
  れとすみつきたる人々は物きよけにおか」24ウ

  しうしなしてかきほにうへたるなてしこ
  もおもしろくをみなへしき経なとさき
  はしめたるに色々のかりきぬすかたの
  をのことものわかきあまたして君もお
  なしさうそくにてみなみをもてによひ
  すへたれはうちなかめてゐたりとし
  廿七八の程にてねひとゝのひ心ちなか
  らぬさまもてつけたりあま君さうし
  くちにき丁たてゝたいめんし給まつ
  うちなきて年ころのつもるにはすき」25オ

  にし方いとゝけとをくのみなん侍へるを
  山さとのひかりに猶まちきこえさすることの
  うちわすれすやみ侍らぬをかつはあやし
  く思給ふるとの給へは心のうちあはれにすき
  にし方のことゝも思給へられぬおりなき
  をあなかちにすみはなれかほなる御ありさま
  にをこたりつゝなん山こもりもうら山し
  うつねにいてたち侍をおなしくはなと
  したひまとはさるゝ人々にさまたけらるゝ
  やうに侍てなんけふはみなはふきすてゝ物」25ウ

  し給へるとの給山こもりの御うらやみは中/\
  ひまやうたちたる御物まねひになむむ
  かしをおほしわすれぬ御心はへもよに
  なひかせ給はさりけるとをろかならす思給へ
  らるゝおりおほくなといふ人々に水はん
  なとやうの物くはせ君にもはすのみなと
  やうの物いたしたれはなれにしあたり
  にてさやうのこともつゝみなき心ちして
  むら雨のふりいつるにとめられて物か
  たりしめやかにし給いふかひなく成にし」26オ

  人よりも此君の御心はへなとのいと思やう
  なりしをよその物に思なしたるなん
  いとかなしきなと忘かたみをたにとゝめ給はす
  なりにけんと恋しのふ心なりけれはたまさ
  かにかく物し給へるにつけてもめつらしく
  あはれにおほゆへかめるとはすかたりもし
  いてつへしひめ君はわれは我と思いつる
  方おほくてなかめいたし給へるさまいとう
  つくししろきひとへのいとなさけなくあさ
  やきたるにはかまもひはた色にならひたる」26ウ

  にやひかりもみえすくろきをきせたて
  まつりたれはかゝることゝもゝみしには
  かはりてあやしうもあるかなと思つゝ
  こは/\しういらゝきたる物ともき給へる
  しもいとおかしきすかたなり御まへなる
  人々こひめ君のおはしたる心ちのみし
  侍つるに中将殿をさへみたてまつれはいと
  あはれにこそおなしくは昔のさまにておはし
  まさせはやいとよき御あはひならむかしと
  いひあへるをあないみしや世にありていかにも」27オ

  いかにも人にみえんこそそれにつけてそむかし
  のこと思いてらるへきさやうのすちは思たえ
  てわすれなんと思あま君いり給へるまに
  まらうとあめのけしきを見わつらひて
  少将といひし人のこゑきゝしりてよひよ
  せ給へり昔見し人々はみなこゝに物せらる
  らんやと思ひなからもかうまいりくることも
  かたくなりにたるを心あさきにやたれも
  たれもみなし給らんなとの給つかうまつり
  なれにし人にてあはれなりし昔のことゝもゝ」27ウ

  思いてたるつゐてにかのらうのつまいりつる
  程風のさはかしかりつるまきれにすたれの
  ひまよりなへてのさまにはあるましかり
  つる人のうちたれかみのみえつるはよを
  そむき給へるあたりにたれそとなん
  見おとろかれつるとの給姫君のたちいて給
  へるうしろてを見給へりけるなめりとおもひ
  いてゝましてこまかにみせたらは心とまり
  給なんかしむかし人はいとこよなうをとり
  給へりしをたにまた忘かたくし給めるをと」28オ

  心ひとつに思てすきにし御ことをわすれかた
  くなくさめかね給めりし程におほえぬ人を
  えたてまつり給てあけ暮のみ物に思き
  こえ給めるをうちとけ給へる御有さまを
  いかて御らんしつらんといふかゝることこそはあり
  けれとおかしくてなに人ならむけにいとお
  かしかりつとほのかなりつるを中/\思いつ
  こまかにとへとそのまゝにもいはすをのつから
  きこしめしてんとのみいへはうちつけに
  とひ尋むもさまあしき心ちし雨もやみ」28ウ

  みぬ日も暮ぬへしといふにそゝのかされて
  出給まへちかきをみなへしをおりてなに
  にほふらんとくちすさひてひとりこちたてり
  人の物いひをさすかにおほしとかむるこそ
  なとこたいの人ともは物めてをしあへりいときよ
  けにあらまほしくもねひまさり給にける
  かなおなしくは昔のやうにても見たてま
  つらはやとてとう中納言の御あたりには
  たえすかよひ給やうなれと心もとゝめ給
  はすおやの殿かちになん物し給とこそいふ」29オ

  なれとあま君もの給て心うく物をのみおほ
  しへたてたるなむいとつらき今は猶さるへき
  なめりとおほしなしてはれ/\しくもてなし
  給へこの五とせむとせ時のまも忘す恋しく
  かなしと思つる人のうへもかく見たてまつりて
  後よりはこよなく思わすれにて侍思きこえ
  給へき人/\世におはすとも今は世になき物に
  こそやう/\おほしなりぬらめよろつのこと
  さしあたりたるやうにはえしもあらぬわさに
  なむといふつけてもいとゝ涙くみてへたてきこ」29ウ

  ゆる心は侍らねとあやしくていき返ける程に
  よろつのこと夢の世にたとられてあらぬ
  世に生れたらん人はかゝる心ちやすらんとお
  ほえ侍れは今は知へき人よにあらんとも思ひ出
  すひたみちにこそむつましく思きこゆ
  れとの給さまもけになに心なくうつくしく
  うちゑみてそまもりゐ給へる中将は山にお
  はしつきて僧都もめつらしかりて世中の
  物語し給ふその夜はとまりてこゑたうと
  き人に経なとよませて夜ひとよあそひ」30オ

  給せむしの君こまかなる物かたりなとする
  つゐてにをのに立よりて物あはれにも有し
  かな世をすてたれと猶さはかりの心はせある
  人はかたうこそなとあるつゐてに風の吹あけ
  たりつるひまよりかみいとなかくおかしけ
  なる人こそみえつれあらはなりとや思つらん
  たちてあなたにいりつるうしろてなへての
  人とは見えさりつさやうの所によき女は
  をきたるましき物にこそあめれあけ
  暮みる物はほうしなりをのつからめなれて」30ウ

  おほゆらんふひんなることそかしとの給せんし
  の君この春はつせにまうてゝあやしくて
  見いてたる人となむきゝ侍しとてみぬこと
  なれはこまかにはいはすあはれなりけること
  哉いかなる人にかあらむ世中をうしとて
  そさる所にはかくれゐけむかし昔物かたりの
  心ちもするかなとの給又の日かへり給にもす
  きかたくなむとておはしたりさるへき心
  つかひしたりけれは昔おもひいてたる御まか
  なひの少将のあまなとも袖くちさまこと」31オ

  なれともおかしいとゝいやめにあま君は物し
  給物かたりのつゐてにしのひたるさまに物
  し給らんはたれにかとゝひ給わつらはし
  けれとほのかにも見つけてけるをかくしかほ
  ならむもあやしとてわすれわひ侍ていとゝ
  つみふかうのみおほえ侍つるなくさめにこの月
  ころ見給ふる人になむいかなるにかいと物思し
  けきさまにてよにありと人にしられんことを
  くるしけに思て物せらるれはかゝるたにの
  そこにはたれかは尋きかんと思つゝ侍をいか」31ウ

  てかはきゝあらはさせ給へらんといらふうちつけ
  心ありてまいりこむにたに山ふかきみちの
  かことはきこえつへしましておほしよそふ
  らんかたにつけてはこと/\にへたて給ましき
  ことにこそはいかなるすちに世をうらみ給人に
  かなくさめきこえはやなとゆかしけに
  の給いて給とてたゝうかみに
    あたしのゝ風になひくなをみなへしわれ
  しめゆはんみち遠くともとかきて少将の
  あましていれたりあま君も見給て此」32オ

  御返かゝせ給へいと心にくきけつき給へる
  人なれはうしろめたくもあらしとそゝのかせは
  いとあやしきてをはいかてかとてさらにきゝ
  給はねははしたなきことなりとてあま君
  きこえさせつるやうによつかす人にゝぬ
  ひとにてなむ
    うつしうへて思みたれぬをみなへしうき
  世をそむく草の庵にとありこたみはさも
  ありぬへしと思ゆるしてかへりぬふみなと
  わさとやらんはさすかにうひ/\しうほの」32ウ

  かに見しさまは忘す物思ふらんすちなに
  ことゝしらねとあはれなれは八月十余日の
  ほとにこたかかりのついてにおはしたり
  例のあまよひいてゝひとめ見しより
  しつ心なくてなむとの給へりいらへ給へく
  もあらねはあま君まつちの山となん見給
  ふるといひいたし給たいめんし給へるにも心
  くるしきさまにて物し給ときゝ侍し人の
  御うへなんのこりゆかしく侍つるなにことも
  心にかなはぬ心ちのみし侍れは山すみもし」33オ

  侍らまほしき心ありなからゆるい給まし
  き人々におもひさはりてなむすくし侍よに
  心ちよけなる人のうへはかくくんしたる
  人の心からにやふさはしからすなん物思
  給らん人に思ことをきこえはやなといと心
  とゝめたるさまにかたらひ給心ちよけなら
  ぬ御ねかひはきこえかはし給はんにつきな
  からぬさまになむ見え侍れと例の人にて
  はあらしといとうたゝあるまて世をうらみ給め
  れはのこりすくなきよはひともたに今はと」33ウ

  そむきはへる時はいと物心ほそくおほえ侍し
  物を世をこめたるさかりにはつゐにいかゝと
  なん見給へ侍とおやかりていふいりてもな
  さけなし猶いさゝかにてもきこえ給へかゝる
  御すまひはすゝろなることもあはれしるこそ
  世のつねのことなれなとこしらへてもいへと
  人に物きこゆらん方もしらすなにことも
  いふかひなくのみこそといとつれなくてふし
  給へりまらうとはいつらあな心うあき
  を契れるはすかし給にこそ有けれなとうらみつゝ」34オ

    松虫のこゑをたつねてきつれとも
  また萩はらの露にまとひぬあないと
  おしこれをたになとせむれはさやうに
  よついたらむこといひいてんもいと心うく
  又いひそめてはかやうのおり/\にせめら
  れむもむつかしうおほゆれはいらへをたに
  したまはねはあまりいふかひなく思あへり
  あま君はやうはいまめきたる人にそありける
  なこりなるへし
    秋の野ゝ露わけきたるかり衣むくら」34ウ

  しけれる宿にかこつなとなんわつらはし
  かりきこえ給めるといふをうちにも猶かく
  心より外によにありとしられはしむる
  をいとくるしとおほす心のうちをはしらてお
  とこ君をもあかす思いてつゝ恋わたる人々
  なれはかくはかなきつゐてにもうちかたらひ
  きこえ給はんに心より外によにうしろ
  めたくはみえ給はぬ物をよのつねなるすちには
  おほしかけすともなさけなからぬ程に御
  いらへはかりはきこえ給へかしなとひきう」35オ

  こかしつへくいふさすかにかゝるこたいの
  心ともにはありつかすいまめきつゝこしおれ
  歌このましけにわかやくけしきともは
  いとうしろめたうおほゆかきりなくうき
  身なりけりとみはてゝし命さへあさま
  しうなかくていかなるさまにさすらふへき
  ならむひたふるになき物と人に見きゝすて
  られてもやみなはやと思ひふし給へるに
  中将は大かた物思はしきことのあるにやと
  いといたう打ちなけきしのひやかにふゑを」35ウ

  ふきならしてしかのなくねになとひとり
  こつけはひまことに心ちなくはあるまし
  すきにし方の思いてらるゝにも中/\
  心つくしに今はしめてあはれとおほすへき
  人はたかたけなれは見えぬ山ちにもえ思
  なすましうなんとうらめしけにて
  いてなむとするにあま君なとあたらよを
  御らんしさしつるとてゐさりいて給へり
  なにかをちなるさとも心み侍れはなといひ
  すさみていたうすきかましからんもさす」36オ

  かにひんなしいとほのかに見えしさまのめと
  まりしはかりつれ/\なる心なくさめに思出
  つるをあまりもてはなれおくふかなるけはひも
  所のさまにあはすすさましと思へはかへり
  なむとするをふえのねさへあかすいとゝおほえて
    ふかき夜の月をあはれと見ぬ人や山の
  はちかき宿にとまらぬとなまかたはなる
  ことをかくなんきこえ給ふといふに心ときめき
  して
    山のはに入まて月をなかめ見んねやの」36ウ

  板まもしるしありやとなといふにこのおほ
  あま君ふえのねをほのかにきゝつけたりけ
  れはさすかにめてゝいそきたりこゝかしこ
  うちしはふきあさましきわなゝきこゑ
  にて中/\むかしのことなともかけていはす
  たれとも思わかぬなるへしいてそのきむ
  のことひき給へよこふえは月にはいとおか
  しき物そかしいつらこたちことゝりて
  まいれといふにそれなめりとをしはかりに
  きけといかなる所にかゝる人いかてこ」37オ

  もりゐたらむさためなき世そこれにつけて
  あはれなるはんしきてうをいとおかしうふき
  ていつらさしはとのたまふむすめあま君こ
  れもよき程のすき物にてむかしきゝ侍
  しよりもこよなくおほえ侍は山風をのみ
  きゝなれ侍にけるみゝからにやとていてやこ
  れもひかことに成て侍らむといひなからひく
  いまやうはおさ/\なへての人の今はこのます
  成行物なれは中/\めつらしくあはれにき
  こゆ松風もいとよくもてはやすふきて」37ウ

  あはせたるふえのねに月もかよひてすめる
  心ちすれはいよ/\めてられてよゐさとひも
  せすおきゐたり女はむかしはあつまこと
  をこそはこともなくひきはつしかと今のよには
  かはりにたるにやあらむこのそうつのきゝ
  にくし念仏より外のあたわさなせそとはし
  たなめられしかはなにかはとてひき侍らぬなり
  さるはいとよくなることも侍りといひつゝけて
  いとかまほしと思たれはいとしのひやかにうち
  わらひていとあやしきこともせいしきこえ」38オ

  給けるそうつかなこくらくといふなる所には
  ほさつなともみなかゝることをして天人なとも
  まひあそふこそたうとかなれをこなひま
  きれつみうへきことかはこよひきゝ侍らはや
  とすかせはいとよしと思ていてとのもりの
  くそあつまとりてといふにもしはふきはたえ
  す人々はみくるしと思へとそうつをさへうら
  めしけにうれへていひきかすれはいとお
  しくてまかせたりとりよせてたゝ今の
  ふえのねをもたつねすたゝをのか心を」38ウ

  やりてあちまのしらへをつまさはやかにしら
  ふみなこと物はこゑをやめつるをこれをのみ
  めてたると思てたけふちゝり/\たりたん
  なゝとかきかへしはやりかにひきたる
  ことはともわりなくふるめきたりいとおかしう
  今の世にきこえぬことはこそはひき給けれと
  ほむれはみゝほの/\しくかたはらなる人に
  とひきゝていまやうのわかき人はかうやうなる
  ことをそこのまれさりけるこゝに月ころ
  物し給める姫君かたちいとけうらに物し」39オ

  給めれともはらかやうなるあたわさなとし給
  はすうもれてなん物し給めると我かし
  こにうちあさわらひてかたるをあま君
  なとはかたはらいたしとおほすこれにこと
  みなさめてかへり給程も山おろし吹てき
  こえくるふえのねいとおかしうきこえておき
  あかしたるつとめてよへはかた/\心みたれ
  侍しかはいそきまかて侍し
    わすられぬ昔のこともふえ竹のつらき
  ふしにもねそなかれける猶すこしおほし」39ウ

  しるはかりをしへなさせ給へしのはれぬへくはす
  き/\しきまてもなにかはとあるをいとゝわ
  ひたるは涙とゝめかたけなるけしきにて
  かき給ふ
    笛のねに昔のこともしのはれてかへりし
  程も袖そぬれにしあやしう物思ひしら
  ぬにやとまてみ侍ありさまはおい人のとはす
  かたりにきこしめしけむかしとありめ
  つらしからぬもみ所なき心ちしてうちを
  かれけんおきのはにをとらぬほと/\にをと」40オ

  つれわたるいとむつかしうもあるかな人の心はあ
  なかちなる物なりけりと見しりにしおり/\も
  やう/\思いつるまゝに猶かゝるすちのこと
  ひとにも思はなたすへきさまにとくなし
  給てよとて経ならいてよみ給心のうちにも
  ねんし給へりかくよろつにつけて世中を
  思すつれはわかき人とておかしやかなることも
  ことになくむすほゝれたる本上なめりと思
  かたちのみるかひ有うつくしきによろつの
  とか見ゆるしてあけくれの見物にしたり」40ウ

  すこしうちはらひ給おりはめつらしくめて
  たき物に思へり九月になりて此あま君
  はつせにまうつとしころいと心ほそき
  身にこひしき人のうへも思やまれさりしを
  かくあらぬ人ともおほえ給はぬなくさめを
  えたれはくわんをんの御しるしうれしとて
  かへり申たちてまうて給なりけり
  いさ給へひとやはしらむとするおなし仏
  なれとさやうの所にをこなひたるなむし
  るしありてよきためしおほかるといひて」41オ

  そゝのかし立れとむかしはゝ君めのとなと
  のかやうにいひしらせつゝたひ/\まうて
  させしをかひなきにこそあめれ命さへ
  心にかなはすたくひなきいみしきめを見
  るはといと心うきうちにもしらぬ人にくして
  さるみちのありきをしたらんよと空おそろ
  しくおほゆ心こはきさまにはいひもなさて
  心ちのいとあしうのみ侍れはさやうならん
  みちの程にもいかゝなとつゝましうなむと
  の給ふ物おちはさもし給へき人そかしと」41ウ

  思てしゐてもいさなはす
    はかなくて世にふる河のうきせには尋も
  ゆかし二もとの杉とてならひにましりたる
  をあま君見つけてふたもとはまたも
  あひきこえんと思給人あるへしとたはふれこ
  とをいひあてたるにむねつふれておもて
  あかめ給へるいとあい行つきうつくしけなり
    ふる河の杉の本たちしらねとも過にし
  人によそへてそみることなることなきいら
  へをくちとくいふしのひてといへとみな」42オ

  人したひつゝこゝには人すくなにておはせん
  を心くるしかりて心はせある少将のあま
  左衛門とてあるおとなしき人わらははかり
  そとゝめたりけるみないてたちけるをなか
  めいてゝあさましきことを思なからも今は
  いかゝせむとたのもし人に思ふ人ひとり物し
  給はぬは心ほそくもあるかなといとつれ/\なる
  に中将の御ふみあり御らんせよといへときゝも
  いれ給はすいとゝ人も見えすつれ/\と
  きしかた行さきを思くむし給ふくるし」42ウ

  きさてもなかめさせ給かな御五をうたせ給へと
  いふいとあやしうこそはありしかとはの給へと
  うたむとおほしたれははむとりにやりて
  われはと思てせんせさせたてまつりたる
  にいとこよなけれは又てなをしてうつあま
  うへとうかへらせ給はなん此御五みせたて
  まつらむかの御五そいとつよかりしそうつの君
  はやうよりいみしうこのませ給てけしう
  はあらすとおほしたりしをいときせい大と
  こになりてさしいてゝこそうたさらめ御五」43オ

  にはまけしかしときこえ給しにつゐに
  そうつなんふたつまけ給しきせいか五には
  まさらせ給へきなめりあないみしとけう
  すれはさたすきたるあまひたいのみつかぬ
  に物このみするにむつかしきこともしそめ
  てける哉と思て心ちあしとてふし給ぬ
  時/\はれ/\しうもてなしておはし
  ませあたら御身をいみしうしつみて
  もてなさせ給こそくちおしう玉にきす
  あらん心ちし侍れといふ夕暮の風の」43ウ

  音もあはれなるに思いつることもおほくて
    心には秋の夕をわかねともなかむる
  袖に露そみたるゝ月さしいてゝおかしき
  程にひるふみありつる中将おはしたりあ
  なうたてこはなにそとおほえ給へはおくふ
  かく入給をさもあまりにもおはします物
  かな御心さしのほともあはれまさるおりに
  こそ侍めれほのかにもきこえ給はんことも
  きかせ給へしみつかんことのやうにおほしめし
  たるこそなといふにいとはしたなくおほゆ」44オ

  おはせぬよしをいへとひるのつかひのひと所なと
  とひきゝたるなるへしいとことおほくうらみ
  て御こゑもきゝ侍らしたゝけちかくてき
  こえんことをきゝにくしともいかにともおほ
  しことはれとよろつにいひわひていと心う
  く所につけてこそ物のあはれもまされあま
  りかゝるはなとあはめつゝ
    山里の秋の夜ふかきあはれをももの
  思ふ人は思こそしれをのつから御心もかよ
  ひぬへきをなとあれはあま君おかせて」44ウ

  まきらはしきこゆへき人も侍らす
  いとよつかぬやうならむとせむれは
    憂物と思もしらてすくす身を物お
  もふ人とひとはしりけりわさといらへとも
  なきをきゝてつたへきこゆれはいとあはれ
  と思て猶たゝいさゝかいて給へときこえ
  うこかせとこの人々をわりなきまて
  うらみ給あやしきまてつれなくそみえ給
  やとていりて見れは例はかりそめにも
  さしのそき給はぬ老人の御かたに」45オ

  いり給にけりあさましう思てかくなんと
  かゝる所になかめ給らん心のうちのあ
  はれにおほかたのありさまなともなさ
  けなかるましき人のいとあまり思
  しらぬ人よりもけにもてなし給
  めるこそそれ物こりし給へるか猶いか
  なるさまに世をうらみていつまておは
  すへき人そなとありさまとひていと
  ゆかしけにのみおほいたれとこまか
  なることはいかてかはいひきかせんたゝ」45ウ

  しりきこえ給へき人のとし比はうと/\
  しきやうにてすくし給しを初せに
  まうてあひ給て尋きこえ給つるとそ
  いふひめ君はいとむつかしとのみきくおい
  人のあたりにうつふし/\ていもねられす
  よひまとひはえもいはすおとろ/\しきい
  ひきしつゝまへにもうちすかひたるあまと
  もふたりふしてをとらしといひきあはせ
  たりいとおそろしうこよひこの人々に
  やくはれなんとおもふもおしからぬ身なれと」46オ

  れいの心よはさはひとつはしあやうかりて
  かへりきたりけん物のやうにわひしくお
  ほゆこもきともにゐておはしつれと色め
  きてこのめつらしきおとこのえんたちゐ
  たるかたにかへりゐにけりいまやくる/\と
  待ゐたまへれといとはかなきたのもし人
  なりや中将わつらひてかへりにけれはいと
  なさけなくむもれてもおはしますかな
  あたら御かたちをなとそしりてみなひと
  所にねぬ夜なかはかりにやなりぬらんと」46ウ

  思ほとにあま君しはふきおほゝれておきに
  たりほかけにかしらつきはいとしろきにくろ
  き物をかつきてこのきみのふし給へる
  あやしかりていたちとかいふなる物かさるわ
  さするひたひにてをあてゝあやしこれは
  たれそとしふねけなるこゑにてみおこせ
  たるさらにたゝいまくひてむとするとそ
  おほゆるおにのとりもてきけん程は物のお
  ほえさりけれは中/\心やすしいかさま
  にせんとおほゆるむつかしさにもいみしき」47オ

  さまにていきかへり人になりて又ありし
  色/\のうきことを思ひみたれむつかし
  ともおそろしとも物をおもふよしなましかは
  これよりもおそろしけなる物の中にこそは
  あらましかと思やらる昔よりのことを
  まとろまれぬまゝにつねよりも思つゝ
  くるにいと心うくおやときこえけん人の
  御かたちも見たてまつらすはるかなるあつ
  まをかへる/\年月をゆきてたまさかに
  尋よりてうれしたのもしと思きこえし」47ウ

  はらからの御あたりをもおもはすにてたえす
  きさるかたに思さため給し人につけて
  やう/\身のうさをもなくさめつへきゝ
  はめにあさましうもてそこなひたる身を
  思もてゆけは宮をすこしもあはれと
  おもひきこえけん心そいとけしからぬたゝ
  この人の御ゆかりにさすらへぬるそとおもへは
  こしまの色をためしに契給しをなとて
  おかしと思きこえけんとこよなくあき
  にたる心ちすはしめよりうすきなからも」48オ

  のとやかに物し給し人はこのおりかのお
  りなと思ひいつるそこよなかりけるかくて
  こそありけれときゝつけられたてまつ
  らむはつかしさは人よりまさりぬへし
  さすかにこの世にはありし御さまをよそ
  なからたにいつか見んするとうち思猶
  わろの心やかくたにおもはしなと心ひ
  とつをかへさふからうして鳥のなくをきゝ
  ていとうれしはゝの御こゑをきゝたらむ
  はましていかならむと思あかして心ちも」48ウ

  いとあしともにてわたるへき人もとみに
  こねは猶ふし給つるにいひきの人はいと
  とくおきてかゆなとむつかしきことゝもを
  もてはやしておまへにとくきこしめせ
  なとよりきていへとまかなひもいとゝ心
  つきなくうたて見しらぬ心ちしてなやま
  しくなんとことなしひ給をしひていふも
  いとこちなしけす/\しきほうしはら
  なとあまたきてそうつけふおりさせ給へ
  しなとにはかにはととふなれは一品宮の」49オ

  御物のけになやませ給ける山のさすみす
  ほうつかまつらせ給へと猶そうつまいらせ
  給はてはしるしなしとて昨日二たひなん
  めし侍し右大臣殿の四位の少将よへ夜
  ふけてなんのほりおはしましてきさい
  の宮の御文なと侍けれはおりさせ給なり
  なといとはなかやかにいひなすはつかしうと
  もあひてあまになし給てよといはんさかし
  ら人すくなくてよきおりにこそと思へは
  おきて心ちのいとあしうのみ侍を僧都の」49ウ

  おりさせ給へらんにいむことうけ侍らんとな
  む思侍をさやうにきこえ給へとかたらひ
  給へはほけ/\しう打うなつく例のかた
  におはしてかみはあま君のみけつり給をこ
  と人にてふれさせんもうたておほゆるにて
  つからはたえせぬことなれはたゝすこしと
  きくたしておやに今一たひかうなからの
  さまをみえすなりなむこそ人やりならす
  いとかなしけれいたうわつらひしけにや
  かみもすこしおちほそりたる心ちすれとな」50オ

  にはかりもおとろへすいとおほくて六尺はかり
  なるすゑなとそいとうつくしかりけるすち
  なともいとこまかにうつくしけなりかゝれ
  とてしもとひとりこちゐ給へりくれかた
  にそうつものし給へりみなみおもてはらひ
  しつらひてまろなるかしらつきゆき
  ちかひさはきたるも例にかはりていとお
  そろしき心ちすはゝの御かたにまいり
  給ていかにそ月比はなといふひんかしの御方は
  物まうてし給にきとかこのおはせし人は」50ウ

  なをものし給やなとゝひ給しかこゝにとまりて
  なん心ちあしとこそ物し給ていむことう
  けたてまつらんとの給つるとかたるたちて
  こなたにいましてこゝにやおはします
  とてき丁のもとについゐ給へはつゝまし
  けれとゐさりよりていらへし給ふいにて
  見たてまつりそめてしもさるへき昔の
  契ありけるにこそと思給へて御いのりなとも
  ねんころにつかうまつりしをほうしは
  その事となくて御ふみきこえうけ給はらむも」51オ

  ひんなけれはしねんになんをろかなるやうに
  なり侍ぬるいとあやしきさまによを
  そむき給へる人の御あたりいかておはし
  ますらんとの給世中に侍らしと思た
  ち侍し身のいとあやしくていまゝて
  侍つるを心うしと思侍物からよろつに
  せさせ給ける御心はえをなむいふかひなき心
  ちにも思給へしらるゝを猶よつかすのみ
  つゐにえとまるましく思給へらるゝを
  あまになさせ給てよ世中に侍とも例の」51ウ

  人にてなからふへくも侍らぬ身になむとき
  こえ給またいとゆくさきとをけなる御程に
  いかてかひたみちにしかはおほしたゝむかへりて
  つみある事也思立て心をおこし給ほとは
  つよくおほせと年月ふれは女の御身といふ
  物いとたい/\しき物になんとのたまへは
  をさなく侍しほとより物をのみ思へき
  有さまにておやなとなむ思の給しまして
  すこしもの思しりて後は例の人さまな
  らてのちの世をたにと思心ふかゝりし」52オ

  をなくなるへき程のやう/\ちかくなり侍に
  や心ちのいとよはくのみなり侍を猶いかてとて
  うちなきつゝの給あやしくかゝるかたちあり
  さまをなとて身をいとはしく思はしめ給けん
  物のけもさこそいふなりしかと思あはするに
  さるやうこそはあらめいまゝてもいきたる
  へき人かはあしき物の見つけそめたるに
  いとおそろしくあやうきことなりとおほ
  してとまれかくまれおほしたちての給を
  三ほうのいとかしこくほめ給こと也ほうしにて」52ウ

  きこえかへすへきことにあらす御いむことは
  いとやすくさつけたてまつるへきを
  きふなることにまかんてたれはこよひかの
  宮にまいるへく侍りあすよりやみすほう
  はしまるへく侍らん七日はてゝまかてむに
  つかまつらむとの給へはかのあま君おはしなは
  かならすいひさまたけてんといとくちおし
  くてみたり心ちのあしかりし程にみたる
  やうにていとくるしう侍れはをもくならはいむ
  ことかひなくや侍らん猶けふはうれしき」53オ

  おりとこそ思ひ侍れとていみしうなき給へは
  ひしり心にいと/\おしく思てよやふけ
  侍ぬらん山よりおり侍こと昔はことゝもお
  ほえ給はさりしを年のおうるまゝにはたへ
  かたく侍けれはうちやすみてうちにはまい
  らんと思侍をしかおほしいそくことなれは
  けふつかうまつりてんとの給にいとうれ
  しくなりぬはさみとりてくしのはこ
  のふたさしいてたれはいつら大とこたち
  こゝにとよふはしめ見つけたてまつりし」53ウ

  ふたりなからともにありけれはよひいれて
  御くしおろしたてまつれといふけにい
  みしかりし人の御有さまなれはうつし
  人にてはよにおはせんもうたてこそあらめと
  このあさりもことはりに思にき丁のかたひら
  のほころひより御かみをかきいたし給つるか
  いとあたらしくおかしけなるになむしは
  しはさみをもてやすらひけるかゝるほと
  少将のあまはせうとのあさりのきたる
  にあひてしもにゐたりさゑもんはこの」54オ

  わたくしのしりたる人にあいしらふとて
  かゝる所にとりてはみなとり/\に心よせの
  人々めつらしうていてきたるにはかなき
  事しけるみいれなとしけるほとにこもき
  独してかゝることなんと少将のあまにつけ
  たりけれはまとひてきてみるにわか御
  うへのきぬけさなとをことさら許とて
  きせたてまつりておやの御かたおかみ
  たてまつり給へといふにいつかたともしら
  ぬほとなむえしのひあへ給はてなき給に」54ウ

  けるあなあさましやなとかくあふなきわさは
  せさせ給うへかへりおはしてはいかなることをの
  給はせむといへとかはかりにしそめつるをいひ
  みたるも物しと思てそうついさめ給へはよ
  りてもえさまたけするてん三かいちうな
  といふにもたちはてゝし物をと思いつる
  もさすかなりけり御くしもそきわ
  つらひてのとやかにあま君たちして
  なをさせ給へといふひたひはそうつそゝき
  給かゝる御かたちやつし給てくひ給なゝと」55オ

  たうときことゝもとききかせ給とみに
  せさすへくもあらすみないひしらせ給へ
  ることをうれしくもしつるかなとこれ
  のみそ仏はいけるしるしありてとおほえ給
  けるみな人々いてしつまりぬよるの風の
  をとにこの人々は心ほそき御すまひも
  しはしの事そ今いとめてたくなり給なん
  とたのみきこえつる御身をかくしなさせ
  給てのこりおほかる御世のすゑをいかに
  せさせ給はんとするそおとろへたる人たに」55ウ

  今はかきりと思はてられていとかなしき
  わさに侍といひしらすれと猶たゝ今は
  心やすくうれし世にふへき物とは思かけす
  なりぬるこそはいとめてたきことなれとむね
  のあきたる心ちそし給けるつとめてはさすか
  に人のゆるさぬことなれはかはりたらむさま
  見えんもいとはつかしくかみのすそのにはかに
  おほとれたるやうにしとけなくさへそかれ
  たるをむつかしきことゝもいはてつくろはん
  人もいひつゝけんことのはゝもとよりたに」56オ

  はか/\しからぬ身をまいてなつかしう
  ことはるへき人さへなけれはたゝすゝりに
  むかひて思あまるおりにはてならひをのみ
  たけきことゝはかきつけ給
    なきものに身をも人をも思つゝ捨てし
  世をそさらにすてつる今はかくてかきりつる
  そかしとかきても猶身つからいとあはれと
  見たまふ
    かきりそと思なりにし世間を返々も
  そむきぬるかなおなしすちのことをとかく」56ウ

  かきすさひゐ給へるに中将の御文あり物さは
  かしうあきれたる心ちしあへる程にてかゝる
  ことなといひてけりいとあへなしと思てかゝる
  心のふかくありける人なりけれははかなき
  いらへをもしそめしと思はなるゝ成けり
  さてもあへなきわさかないとおかしくみえ
  しかみのほとをたしかにみせよとひと
  夜もかたらひしかはさるへからむおりにと
  いひしものをといとくちおしうて立かへり
  きこえんかたなきは」57オ

    きし遠く漕はなるらむあま舟に
  乗をくれしといそかるゝかな例ならす
  とりてみ給物のあはれなるおりにいま
  はと思もあはれなる物からいかゝおほさるらん
  いとはかなきものゝはしに
    心こそうき世の岸をはなるれと行ゑも
  しらぬあまのうき木をとれいのてならひ
  にし給へるをつゝみてたてまつるかきうつし
  てたにこそとの給へと中/\かきそこなひ
  侍なんとてやりつめつらしきにもいふ」57ウ

  かたなくかなしうなむおほえける物まうての
  人かへり給て思さはき給ことかきりなしかゝ
  る身にてはすゝめきこえんこそはと思なし侍
  れとのこりおほかる御身をいかてへたま
  はむとすらむをのれは世に侍らんことけふ
  あすともしりかたきにいかてうしろやすく
  見たてまつらむとよろつに思給へてこそ
  仏にも祈きこえつれとふしまろひつゝ
  いといみしけに思給へるにまことのおやの
  やかてからもなき物と思まとひ給ひん」58オ

  ほとおしはからるゝそまついとかなしかり
  ける例のいらへもせてそむきゐ給へるさま
  いとわかくうつくしけなれはいと物はかなくそ
  おはしける御心なれとなく/\御そのことなと
  いそき給にひ色はてなれにしことなれは
  こうちきけさなとしたりある人々も
  かゝる色をぬいきせたてまつるにつけても
  いとおほえすうれしき山里のひかりと
  あけくれ見たてまつりつる物を口おしき
  わさかなとあたらしかりつゝ僧都をうらみ」58ウ

  そしりけり一品宮の御なやみけにかの
  弟子のいひしもしるくいちしるきことゝも
  ありてをこたらせ給にけれはいよ/\いと
  たうとき物にいひのゝしる名残もおそ
  ろしとてみすほうのへさせ給へはとみにも
  えかへりいらてさふらひ給に雨なとふりて
  しめやかなる夜めしてよゐにさふらはせ
  給日ころいたうさふらひこうしたる人は
  みなやすみなとしておまへに人すくなにて
  ちかくおきたる人すくなきおりにおなし」59オ

  御丁におはしまして昔よりたのませ給
  中にも此たひなんいよ/\後の世もかくこそは
  とたのもしきことまさりぬるなとの給はす
  世の中に久しうはつるましきさまに
  仏なともをしへ給へることゝも侍るうちに
  ことしらい年すくしかたきやうになむ
  侍れは仏をまきれなくねんしつとめ
  侍らんとてふかくこもり侍をかゝるおほせ
  ことにてまかりいて侍にしなとけいし給
  御ものゝけのしふねきことをさま/\に」59ウ

  なのるかおそろしきことなとの給つゐてに
  いとあやしうけうのことをなん見給へし
  この三月に年老て侍はゝの願有て
  はつせにまうてゝ侍しかへさの中やとり
  にうちの院といひ侍所にまかりやとりし
  をかくのこと人すまて年へぬるおほきなる
  所はよからぬ物かならすかよひすみておも
  きひやうさのためあしき事ともと
  思給へしもしるくとてかのみつけたりし
  ことゝもをかたりきこえ給けにいとめつらか」60オ

  なることかなとてちかくさふらふ人々みなね
  いりたるをおそろしくおほされておとろ
  かさせ給大将のかたらひ給さい将の君しも
  このことをきゝけりおとろかさせ給人々は
  なにともきかす僧都おちさせ給へる御け
  しきを心もなきことけいしてけりと
  思てくはしくもその程のことをはいひさし
  つその女人このたひまかりいて侍つるた
  よりにをのに侍つるあまともあひとひ
  侍らんとてまかりよりたりしになく/\」60ウ

  出家の心さしふかきよしねん比にかたらひ
  侍しかはかしらおろし侍にきなにかしかい
  もうと故ゑもんのかみのめに侍しあまなん
  うせにし女このかはりにと思ひよろこひ侍て
  すいふんにいたはりかしつき侍けるをかく
  なりたれはうらみ侍なりけにそかたちは
  いとうるはしくけうらにてをこなひや
  つれんもいとおしけになむ侍しなに
  人にか侍けんとものよくいふそうつにて
  かたりつゝけ申給へはいかてさる所によき」61オ

  人をしもとりもていきけんさりとも今は
  しられぬらむなとこのさい相の君そとふ
  しらすさもやかたらひ給らんまことに
  やむことなき人ならはなにかかくれも侍らし
  をやゐ中人のむすめもさるさましたる
  こそ侍らめりうの中より仏むまれた給はす
  はこそ侍らめたゝ人にてはいとつみかろき
  さまの人になん侍けるなときこえ給そのころ
  かのわたりにきえうせにけむ人をおほし
  いつこのおまへなる人もあね君のつたへに」61ウ

  あやしくてうせたる人とはきゝをきたれは
  それにやあらんとは思けれとさためなきこと也
  そうつもかゝる人世にある物ともしら
  れしとよくもあらぬかたきたちたる
  人もあるやうにおもむけてかくしし
  のひ侍をことのさまのあやしけれはけい
  し侍なりとなまかくすけしきなれは
  人にもかたらす宮はそれにもこそあれ
  大将にきかせはやと此人にその給はす
  れといつかたにもかくすへきことをさた」62オ

  めてさならむともしらすなからはつかしけ
  なる人にうちいての給はせむもつゝましく
  おほしてやみにけりひめ君をこたりはて
  させ給てそうつものほりぬかしこにより給
  へれはいみしううらみて中/\かゝる御あり
  さまにてつみもえぬへきことをの給もあ
  はせすなりにけることをなむいとあやしき
  なとの給へとかひもなし今はたゝ御をこなひ
  をし給へおいたるわかきさためなきよなり
  はかなき物におほしとりたるもこと」62ウ

  はりなる御身をやとの給にもいとはつかしう
  なむおほえける御ほうふくあたらしく
  し給へとてあやうす物きぬなといふ物
  たてまつりをき給なにかしか侍らんかき
  りはつかうまつりなんなにかおほし
  わつらふへきつねの世においいてゝせ
  けんのゑいくわにねかひまつはるゝかき
  りなん所せくすてかたくわれも人もおほ
  すへかめることなめるかゝる林の中にを
  こなひつとめ給はん身はなにことかはうらめ」63オ

  しくもはつかしくもおほすへきこのあらん
  命は葉のうすきかことし
いひしらせて
  松門に暁いたりて月徘徊すほうしなれと
  いとよし/\しくはつかしけなるさまにて
  の給ことゝもを思やうにもいひきかせ給かなと
  きゝゐたりけふはひねもすにふく風の
  音もいと心ほそきにおはしたる人もあは
  れ山ふしはかゝる日にそねはなかるなる
  かしといふをきゝて我も今は山ふしそかし
  ことはりにとまらぬ涙なりけりと思つゝ」63ウ

  はしのかたに立いてゝ見れははるかなる軒
  はよりかりきぬすかた色々に立ましりて
  みゆ山へのほる人なりとてもこなたのみち
  にはかよふ人もいとたまさかなりくろたに
  とかいふ方よりありくかよふほうしの
  あとのみまれ/\は見ゆるを例のすかた
  見つけたるはあひなくめつらしきに
  このうらみわひし中将なりけりかひ
  なきこともいはむとて物したりけるを
  紅葉のおもしろくほかのくれなゐに」64オ

  そめましたる色々なれはいりくるよりそ
  物あはれなりけるこゝにいと心ちよけ
  なる人を見つけたらはあやしくそおほ
  ゆへきなと思ていとまありてつれ/\なる
  心ちし侍にもみちもいかにと思給へて
  なむ猶立かへりてたひねもしつへき
  このもとにこそとて見いたし給へりあま
  君例の涙もろにて
    木枯の吹にし山のふもとには立かくす
  へきかけたにそなきとの給へは」64ウ

    待人もあらしとおもふ山里の梢を見
  つゝ猶そ過うきいふかひなき人の御
  ことをなをつきせすの給てさまかはり
  給へらんさまをいさゝか見せよと少将の
  あまにの給それをたにちきりししるし
  にせよとせめ給へはいりて見るにことさら
  人にもみせまほしきさましてそおはする
  うすきにひ色のあやなかにはくわんさう
  なとすみたるいろをきていとさゝやかに
  やうたひおかしくいまめきたるかたちに」65オ

  かみはいつへのあふきをひろけたるやうに
  こちたきすゑつき也こまかにうつく
  しきおもやうのけさうをいみしくした
  らむやうにあかくにほひたりをこなひ
  なとをしたまふも猶すゝはちかききち
  やうにうちかけて経に心をいれてよみ
  給へるさまゑにもかゝまほしうち見ること
  に涙のとめかたき心ちするをまいて心
  かけ給はんおとこはいかに見たてまつり給
  はんと思てさるへきおりにや有けむ」65ウ

  さうしのかけかねのもとにあきたるあなを
  をしへてまきるへき木丁なとおし
  やりたりいとかくは思はすこそ有しか
  いみしく思さまなりける人をと我した
  らむあやまちのやうにおしくゝやし
  うかなしけれはつゝみもあへす物くるは
  しきまてけはひもきこえぬへけれは
  のきぬかはかりのさましたる人をうし
  なひてたつねぬ人ありけんや又その人
  かの人のむすめなん行ゑもしらすかく」66オ

  れにたるもしは物えんしして世をそむ
  きにけるなとをのつからかくれなかるへき
  をなとあやしう返々思あまなりとも
  かゝるさましたらむ人はうたてもおほえし
  なと中/\見所まさりて心くるしかる
  へきをしのひたるさまに猶かたらひとり
  てんと思へはまめやかにかたらふよのつね
  のさまにはおほしはゝかることも有けん
  をかゝるさまになり給にたるなん心やすう
  きこえつへく侍さやうにをしへきこえ」66ウ

  給へきし方のわすれかたくてかやうにまい
  りくるに又今ひとつ心さしをそへてこそ
  なとの給いと行すゑこゝろほそくうしろ
  めたき有さまに侍にまめやかなるさ
  まにおほし忘れすとはせ給はんいとうれ
  しうこそ思給へをかめ侍らさらむ後なん
  あはれに思給へらるへきとてなき給に
  このあま君もはなれぬ人なるへしたれ
  ならむと心えかたし行すゑの御うし
  ろみはいのちもしりかたくたのもしけ」67オ

  なき身なれとさきこえそめ侍なれはさらに
  かはり侍へらし尋きこえ給へき人はまことに
  ものし給はぬかさやうのことのおほつかな
  きになんはゝかるへきことには侍らねとなを
  へたてある心ちし侍へきとの給へは人に
  しらるへきさまにて世にへたまはゝさ
  もや尋いつる人も侍らん今はかゝる方に
  思きりつる有さまになん心のおもむけ
  もさのみ見え侍つるをなとかたらひ給こなた
  にもせうそこし給へり」67ウ

    大かたの世をそむきける君なれといとふ
  によせて身こそつらけれねん比にふかく
  きこえ給ことなといひつたふはらからと
  おほしなせはかなき世の物かたりなとも
  きこえてなくさめむなといひつゝく心ふか
  からむ御物かたりなときゝわくへくもあらぬ
  こそ口おしけれといらへてこのいとふにつけ
  たるいらへはし給はす思よらすあさまし
  きこともありし身なれはいとうとまし
  すへてくちきなとのやうにて人に見すて」68オ

  られてやみなむともてなし給されは月
  ころたゆみなくむすほゝれ物をのみおほ
  したりしもこのほいの事し給てより
  のちすこしはれ/\しうなりてあま君
  とはかなくたはふれもしかはし五うちなとして
  そあかしくらし給をこなひもいとよく
  して法華経はさら也ことほうもんなとも
  いとおほくよみ給雪深くふりつみ人めたえ
  たる比そけに思やるかたなかりける年
  もかへりぬ春のしるしも見えすこほり」68ウ

  わたれる水の音せぬさへ心ほそくて君
  にそまとふとの給し人はこゝろうしと思
  はてにたれと猶そのおりなとのことはわ
  すれす
    かきくらす野山の雪をなかめても
  ふりにしことそけふもかなしきなと例の
  なくさめの手習をゝこなひのひまには
  し給われ世になくて年へたゝりぬるを
  思いつる人もあらむかしなと思出る時も
  おほかりわかなをおろそかなるこにいれて」69オ

  人のもてきたりけるをあま君見て
    山里の雪まのわかなつみはやし猶おい
  さきのたのまるゝかなとてこなたにたて
  まつれ給へりけれは
    雪ふかき野へのわかなも今よりは君か
  ためにそ年もつむへきとあるをさそおほす
  らんとあはれなるにも見るかひ有へき御
  さまと思はましかはとまめやかにうち
  ない給ねやのつま近きこうはいの色も
  香もかはらぬを春や昔のとこと花」69ウ

  よりもこれに心よせのあるはあかさりしにほ
  ひのしみにけるにやこやにあかたてまつらせ
  給けらうのあまのすこしわかきかあるめし
  いてゝ花おらすれはかことかましくちるにいとゝ
  にほひくれは
    袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかと
  にほふ春の明ほのおほおほあま君のむまこ
  のきのかみなりけるこの比のほりてきたり
  卅はかりにてかたちきよけにほこりかなる
  さましたりなにことかこそおとゝしなと問に」70オ

  ほけ/\しきさまなれはこなたにきていとこ
  よなくこそひかみ給にけれあはれにもはつる
  かなのこりなき御さまを見たてまつること
  かたくてとをき程に年月をすくし侍よ
  おやたち物し給はて後はひと所をこそ御
  かはりに思きこえ侍つれひたちの北の方は
  をとつれきこえ給やといふはいもうとなる
  へし年月にそへてはつれ/\にあはれ
  なることのみまさりてなむひたちはひさしう
  をとつれきこえ給はさめりえ待つけ給」70ウ

  ましきさまになむ見え給との給にわかおや
  の名とあひなくみゝとまれるに又いふ
  やうまかりのほりて日比になり侍ぬるを
  おほやけことのいとしけくむつかしう
  のみ侍にかゝつらひてなんきのふもさふら
  はんと思給へしを右大将殿の宇治におは
  せし御ともにつかうまつりて故八の宮
  のすみ給し所におはして日くらし給し
  こみやの御むすめにかよひ給しをまつ
  ひと所は一とせうせ給にきその御おとうと」71オ

  又忍てすへたてまつり給へりけるをこその
  春又うせ給にけれはその御はてのわさせさ
  せ給はんことかの寺のりしになんさるへきこと
  の給はせてなにかしもかの女のさうそく一く
  たりてうし侍へきをせさせ給てんやをら
  すへき物はいそきせさせ侍なんといふを聞
  にいかてかあはれならさらむ人やあやしと
  見むとつゝましうておくにむかひてゐ給
  へりあま君かの聖のみこの御むすめ
  はふたりときゝしを兵部卿宮の北の方は」71ウ

  いつれそとの給へはこの大将殿の御のちのは
  おとりはらなるへしこと/\しうもゝてなし
  給はさりけるをいみしうかなしひ給ふなり
  はしめのはたいみしかりきほと/\出家も
  し給つへかりきかしなとかたるかのわたりの
  したしき人なりけりと見るにもさすかお
  そろしあやしくやうの物とかしこにてし
  もうせ給けることきのふもいとふひんに侍し
  かな河ちかき所にて水をのそき給ていみし
  うなき給きうへにのほり給てはしらに」72オ

  かきつけ給し
    見し人は影もとまらぬ水の上に落そふ
  涙いとゝせきあへすとなむ侍しことにあら
  はしての給ことはすくなけれとたゝ気色に
  はいとあはれなる御さまになんみえ給し女は
  いみしくめてたてまつりぬへくなんは
  かく侍し時よりいうにおはしますとみたて
  まつりしみにしかは世中の一の所もなに
  とも思侍らすたゝこの殿をたのみきこえ
  てなんすくし侍ぬるとかたるにことにふかき」72ウ

  心もなけなるかやうの人たに御有さまは見し
  りにけりと思あま君ひかる君ときこ
  えけん故院の御有さまにはならひ給はしと
  おほゆるをたゝ今の世にこの御そうそめてら
  れ給なる右の大殿とゝの給へはそれはかたちも
  いとうるはしうけうらにすうとくにて
  きはことなるさまそし給へる兵部卿宮そいと
  いみしうおはするや女にてなれつかうまつら
  はやとなんおほえ侍なとをしへたらんやうに
  いひつゝくあはれにもおかしくも聞に身の」73オ

  上もこの世のことゝもおほえすとゝこほること
  なくかたりをきて出ぬ忘給はぬにこそはと
  あはれに思にもいとゝはゝ君の御心のうちを
  しはからるれと中/\いふかひなきさまを
  見えきこえたてまつらむは猶つゝましくそ
  有けるかの人のいひつけし事ともをそめ
  いそくを見るにつけてもあやしうめつら
  かなる心ちすれとかけてもいひいてられす
  たちぬいなとするをこれ御らんしいれよ
  物をいとうつくしうひねらせ給へはとて」73ウ

  こうちきのひとへたてまつるをうたておほゆれは
  心ちあしとて手もふれすふし給へりあま
  きみいそくことをうちすてゝいかゝおほさるゝ
  なと思みたれ給紅に桜のをり物のうちき
  かさねておまへにはかゝるをこそたてまつらすへ
  けれあさましきすみそめなりやといふ人あり
    あま衣かはれる身にやありしよのかたみに
  袖をかけてしのはんとかきていとおしくなく
  もなりなん後に物のかくれなきになりけれ
  はきゝあはせなとしてうとましきまてにかく」74オ

  しけるなとや思はんなとさま/\思つゝ過に
  し方のことはたえて忘れ侍にしをかやうな
  ることをおほしいそくにつけてこそほのかに
  あはれなれとおほとかにの給さりともおほ
  しいつることはおほからんをつきせすはたてゝ給
  こそ心うけれ身にはかゝるよのつねの色あひ
  なとひさしく忘れにけれはなを/\しく侍に
  つけても昔の人あらましかはなと思出
  侍るしかあつかひきこえ給けん人よにおは
  すらんやかてなくなしてみ侍したに猶い」74ウ

  つこにあらむそことたに尋きかまほしくお
  ほえ侍を行ゑしらて思ひきこえ給人々侍
  らむかしとの給へは見し程まてはひとりは物
  し給きこの月比うせやし給ぬらんとて涙の
  おつるをまきらはして中/\思出るにつけて
  うたて侍れはこそえきこえ出ねへたてはなに
  ことにかのこし侍らむとことすくなにの給
  なしつ大将はこのはてのわさなとせさせ給て
  はかなくてやみぬるかなとあはれにおほすか
  のひたちのこともはかうふりしたりしは」75オ

  くら人になしてわか御つかさのそうになし
  なといたはり給けりわらはなるか中にきよ
  けなるをはちかくつかひならさむとそおほし
  たりける雨なとふりてしめやかなる夜き
  さひの宮にまいり給へり御まへのとやかなる
  日にて御物かたりなときこえ給つゐてに
  あやしき山里に年ころまかりかよひ
  み給へしを人のそしり侍しもさるへきと
  こそはあらめたれも心のよる方のことはさなむ
  あると思給へなしつゝ猶時々見たまへしを」75ウ

  所のさかにやと心うく思給へなりにし後
  は道もはるけき心ちし侍てひさしう
  物し侍らぬをさいつ比物のたよりに
  まかりてはかなきよの有さまとり
  重て思給へしにことさら道心おこす
  へくつくりをきたりける聖の栖と
  なんおほえ侍しとけいし給にかのこと
  おほしいてゝいと/\おしけれはそこには
  おそろしき物やすむらんいかやうにてか
  彼人はなくなりにしととはせ給ふをな」76オ

  をつゝきをおほしよる方と思てさも侍らん
  さやうの人はなれたる所はよからぬ物なんかなら
  すすみつき侍をうせ侍にしさまもなんいと
  あやしく侍るとてくはしくはきこえ給
  はす猶かくしのふるすちをきゝあらは
  しけりと思給はんかいとおしくおほされ
  宮の物をのみおほしてその比はやまゐに
  なり給しをおほしあはするにもさす
  かに心くるしうてかた/\にくちいれにく
  き人のうへとおほしとゝめつこさいしやうに」76ウ

  忍ひて大将かの人のことをいとあはれと思ての
  給しにいとおしうてうちいてつへかりしかと
  それにもあらさらむ物ゆへとつゝましうて
  なん君そこと/\きゝあはせけるかたはならむ
  ことはとりかくしてさることなんありけると
  大方の物語のついてにそうつのいひしことを
  かたれとの給はすおまへにたにつゝませ給
  はむことをましてこと人はいかてかときこえ
  さすれとさま/\なることにこそ又まろは
  いとおしきことそあるやとのたまはするも」77オ

  心えておかしとみたてまつる立よりてもの
  かたりなとし給ふつゐてにいひいてたりめ
  つらかにあやしといかてかおとろかれ給はさ
  らむ宮のとはせ給いしもかゝることをほの
  おほしよりてなりけりなとかのたまはせ
  はつましきとつらけれとわれも又はしめ
  よりありしさまのこときこえそめさりしか
  はきゝて後も猶おこかましき心ちして
  人にすへてもらさぬを中/\外にはきこ
  ゆることもあらむかしうつゝの人々の中に」77ウ

  忍ることたにかくれあるよの中かはなと思いりて
  此人にもさなむありしなとあかし給はんこと
  は猶くちをもき心ちして猶あやしと思し
  人のことににても有ける人のありさまかな
  さて其人は猶あらんやとの給へはかのそうつ
  の山よりいてし日なむあまになしつる
  いみしうわつらいし程にもみる人おしみて
  せさせさりしをさうしみのほいふかきよしを
  いひてなりぬるとこそ侍なりしかといふ所も
  かはらすそのころの有さまと思あはするに」78オ

  たかふふしなけれはまことにそれと尋いて
  たらんいとあさましき心ちもすへきかな
  いかてかはたしかにきくへきおりたちて
  尋ありかんもかたくなしなとや人いひなさん
  又彼宮もきゝつけ給へらんにはかならすおほ
  しいてゝ思いりにけん道もさまたけ給てん
  かしさてさなの給いそなときこえをき給け
  れはやわれにはさることなんきゝしとさる
  めつらしきことをきこしめしなから
  の給はせぬにやありけん宮もかゝつらひ給ふに」78ウ

  てはいみそうあはれと思なからもさらにやかて
  うせにし物と思なしてをやみなんうつし人にな
  りて末の世にはきなるいつみのほとりはかり
  をゝのつからかたらひよる風のまきれも
  ありなん我ものにとり返しみんの心ち
  又つかはしなと思みたれて猶のたま
  はすやあらんとおほゆれと御けしきのゆかし
  けれは大宮にさるへきつゐてつくりいたし
  てそけいし給あさましうてうしなひ侍ぬ
  と思給へし人よにおちあふれてあるやうに」79オ

  人のまねひ侍しかないかてかさることは侍らん
  とおもひ給れと心とおとろ/\しうもて
  はなるゝことは侍らすやと思わたり侍人
  のありさまにはへれは人のかたり侍へしや
  うにてはさるやうもや侍らむとにつかはしく
  思給へらるゝとて今すこしきこえいて給
  宮の御ことをいとはつかしけにさすかに
  うらみたるさまにはいひなし給はてかのこと
  またさなんときゝつけ給へらはかたくなに
  すき/\しうもおほされぬへし更にさても」79ウ

  ありけりともしらすかほにてすくし侍なん
  とけいし給へはそうつのかたりしにいともの
  おそろしかりしよのことにて耳もとゝめ
  さりしことにこそ宮はいかてかきゝ給はむ
  きこえん方なかりける御心のほとかなとき
  けはましてきゝつけ給はんこそいとくるし
  かるへけれかゝるすちにつけていとかろくうき
  物にのみ世にしられ給ぬめれは心うくなとの給
  はすいとをもき御心なれはかならすしもうち
  とけよかたりにても人の忍てけいしけん」80オ

  ことをもらさせ給はしなとおほすすむらん
  山里はいつこにかはあらむいかにしてさまあし
  からす尋よらむ僧都にあひてこそはたしか
  なる有さまもきゝあはせなとしてともかくも
  とふへかめれなとたゝ此事をおきふしお
  ほす月ことのいひはかならすたうときわさせ
  させ給へはやくし仏によせたてまつるにもて
  なし給つるたよりに中たうに時/\ま
  いり給けりそれよりやかて横川におは
  せんとおほしてかのせうとのわらはなるゐて」80ウ

  おはすその人々にはとみにしらせし有さま
  にそしたかはんとおほせとうち見む夢の
  心ちにもあはれをもくはへむとにやありけん
  さすかにその人とは見つけなからあやしき
  さまにかたちことなる人のなかにてうきこ
  とをきゝつけたらんこそいみしかるへけれと
  よろつにみちすからおほしみたれけ
  るにや」81オ

(白紙)」81ウ

【奥入01】楽府 陵園妾
    陵園妾々々顔色如花命如葉命如葉
    薄将奈何(戻)
【奥入02】松門引暁月徘徊栢城昌一日風蕭瑟(戻)」82オ

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