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渋谷栄一校訂(C)

後撰和歌集


1 底本には『後撰和歌集 天福二年本』(冷泉家時雨亭叢書3 2004年6月 朝日新聞社)を用いた。
2 歌番号は『新編国歌大観』によった。
3 仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。送り仮名を補ったものがある。
4 読みやすさを考慮して仮名に漢字を宛て、また漢字を仮名に改めたところがある。そして、詞書の長文には、句読点や「 」などを付けた。
5 清濁は片桐洋一校注『後撰和歌集』(新日本古典文学大系 1990年4月 岩波書店)等を参考にした。
6 なお、ここでは行成筆本の朱筆書き入れは反映していない。また勘物等も省略した。

   後撰和歌集巻第一
    春上
     正月一日、二条の后宮にて、白き大袿をたまはりて
                      藤原敏行朝臣
0001 降る雪の蓑代衣うち着つつ春来にけりとおどろかれぬる

     春立つ日よめる
                      凡河内躬恒
0002 春立つと聞きつるからに春日山消えあへぬ雪の花と見ゆらん

                      兼盛王
0003 今日よりは荻の焼け原かきわけて若菜摘みにと誰を誘はむ

     ある人のもとに、新参りの女のはべりけるが、
     月日久しくへて、正月のついたちごろに、前
     ゆるされたりけるに、雨の降るを見て
                      よみ人しらず
0004 白雲の上知る今日ぞ春雨の降るにかひある身とは知りぬる

     朱雀院の子日におはしましけるに、障ること
     はべりて、え仕うまつらで、延光朝臣につか
     はしける
                      左大臣
0005 松も引き若菜も摘まずなりぬるをいつしか桜はやも咲かなむ

     院御返し
0006 松に来る人しなければ春の野の若菜も何もかひなかりけり

     子日に男のもとより「今日は小松引きになん
     まかり出づる」と言へりければ
                      よみ人しらず
0007 君のみや野辺に小松を引きに行く我もかたみに摘まむ若菜を

     題しらず
0008 霞立つ春日の野辺の若菜にもなり見てしがな人も摘むやと

     子日しにまかりける人に、遅れてつかはしけ
     る
                      躬恒
0009 春の野に心をだにもやらぬ身は若菜は摘まで年をこそつめ

     宇多院に子日せむとありけれ式部卿の親王を
     誘ふとて
                      行明親王
0010 ふるさとの野辺見に行くといふめるをいざもろともに若菜摘みてん

     初春の歌とて
                      紀友則
0011 水の面にあや吹きみだる春風や池の氷を今日は解くらん

     寛平御時后の宮の歌合の歌
                      よみ人しらず
0012 吹く風や春立ち来ぬと告げつらん枝にこもれる花咲きにけり

     師走ばかりに、大和へ事につきてまかりける
     ほどに、宿りてはべりける人の家のむすめを
     思ひかけてはべりけれど、やむごとなきこと
     によりて、まかり上りにけり。あくる春、親
     のもとにつかはしける
                      躬恒
0013 春日野に生ふる若菜を見てしより心をつねに思ひやるかな

     かれにける男のもとに、その住みける方の庭
     の木の枯れたりける枝を折りてつかはしける
                      兼覧王の女
0014 萌え出づる木の芽を見ても音をぞ泣く枯れにし枝の春を知らねば

     女の宮仕へにまかり出でてはべりけるに、め
     づらしきほどは、これかれ物言ひなどしはべ
     りけるを、ほどもなく一人に逢ひはべりにけ
     れば、正月のついたちばかりに、言ひつかは
     しける
                      よみ人しらず
0015 いつのまに霞立つらん春日野の雪だに融けぬ冬と見しまに

     題しらず
                      閑院左大臣
0016 なほざりに折りつるものを梅の花濃き香に我や衣染めてん

     前栽に紅梅を植ゑて、又の春遅く咲きければ
                      藤原兼輔朝臣
0017 宿近く移して植ゑしかひもなく待ち遠にのみ匂ふ花かな

     延喜御時、歌召しけるにたてまつりける
                      紀貫之
0018 春霞たなびきにけり久方の月の桂も花や咲くらん

     同じ御時、御厨子所にさぶらひけるころ、沈
     めるよしを嘆きて、御覧ぜさせよとおぼしく
     て、ある蔵人に贈りてはべりける十二首がう
     ち
                      躬恒
0019 いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪降る

     人のもとにつかはしける
                      伊勢
0020 白玉を包む袖のみ流るるは春は涙もさえぬなりけり

     人に忘られてはべりけるころ、雨のやまず降
     りければ
                      よみ人しらず
0021 春立ちて我が身ふりぬるながめには人の心の花も散りけり

     題しらず
0022 我がせこに見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば

0023 来て見るべき人もあらじな我が宿の梅の初花折りつくしてん

0024 ことならば折りつくしてむ梅の花我が待つ人の来ても見なくに

0025 吹く風に散らずもあらなむ梅の花我が狩一夜宿さむ

0026 我が宿の梅の初花昼は雪夜は月とも見えまがふかな

0027 梅の花よそながら見むわぎもこがとがむばかりの香にもこそしめ

                      素性法師
0028 梅の花折ればこぼれぬ我が袖に匂ひ香うつせ家づとにせん

     男につきて、ほかに移りて
                      よみ人しらず
0029 心もて居るかはあやな梅の花香をとめてだに訪ふ人のなき

     年をへて心かけたる女の、「今年ばかりをだ
     に待ちくらせ」と言ひけるが、又の年もつれ
     なかりければ
0030 人心憂さこそまされ春立てばとまらず消ゆる雪隠れなん

     題しらず
0031 梅の花香を吹きかくる春風に心を染めば人やとがめむ

0032 春雨の降らば野山にまじりなん梅の花笠ありといふなり

0033 かきくらし雪は降りつつしかすがに我が家の苑に鴬ぞ鳴く

0034 谷寒みいまだ巣立たぬ鴬の鳴く声若み人のすさめぬ

0035 鴬の鳴きつる声に誘はれて花のもとにぞ我は来にける

0036 花だにもまだ咲かなくに鴬の鳴く一声を春と思はむ

0037 君がため山田の沢にゑぐ摘むと濡にれし袖は今も乾かず

     あひ知りてはべりける人の家にまかれりける
     に、梅の木はべりけり。「この花咲きなむ時
     かならず消息せむ」と言ひはべりけるを、こ
     となくはべりければ
                      朱雀院の兵部卿親王
0038 梅の花今は盛りになりぬらん頼めし人の訪れもせぬ

     返し
                      紀長谷雄朝臣
0039 春雨にいかにぞ梅や匂ふらん我が見る枝は色も変らず

     春の日、事のついでありてよめる
                      よみ人しらず
0040 梅の花散るてふなへに春雨の降りてつつ鳴く鴬の声

     通ひ住みはべりける人の家の前なる柳を思ひ
     やりて
                      躬恒
0041 いもが家の這ひ入りに立てる青柳に今や鳴くらむ鴬の声

     松のもとに、これかれはべりて花を見やりて
                      坂上是則
0042 深緑常盤の松の影に居て移ろふ花をよそにこそ見れ

                      藤原雅正
0043 花の色は散らぬまばかりふるさとに常には松の緑なりけり

     紅梅の花を見て
                      躬恒
0044 紅に色をば変へて梅の花香ぞことごとに匂はざりける

     かれこれまどゐして酒らたうべける前に、梅
     の花に雪の降りかかりけるを
                      貫之
0045 降る雪はかつも消ななん梅の花散るにまどはず折りてかざさむ

     兼輔朝臣のねやの前に、紅梅を植ゑてはべり
     けるを、三年ばかりののち花咲きなどしける
     を、女どもその枝を折りて、簾の内より「こ
     れはいかが」と言ひ出だしてはべりければ
0046 春ごとに咲きまさるべき花なれば今年をもまたあかずとぞ見る
      初めて宰相になりてはべりける年になん

   後撰和歌集巻第二
    春中
     年老いてのち梅の花植ゑて、明くる年の春、
     思ふ所ありて
                      藤原扶幹朝臣
0047 植ゑし時花見むとしも思はぬに咲き散る見れば齢老いにけり

     ねやの前に竹のある所に宿りはべりて
                      藤原伊衡朝臣
0048 竹近く夜床寝はせじ鴬の鳴く声聞けばあさいせられず

     大和の布留の山をまかるとて
                      僧正遍昭
0049 いその神布留の山辺の桜花植ゑけむ時を知る人ぞなき

     花山にて道俗酒らたうべける折に
                      素性法師
0050 山守はいはばいはなん高砂の尾上の桜折りてかざさむ

     おもしろき桜を折りて、ともだちのつかはし
     たりければ
                      よみ人しらず
0051 桜花色はひとしき枝なれどかたみに見れば慰まなくに

     返し
                      伊勢
0052 見ぬ人のかたみがてらは折らざりき身になずらへる花にしあらねば

     桜の花をよめる
                      よみ人しらず
0053 吹く風をならしの山の桜花のどけくぞ見る散らじと思へば

     前栽に竹の中に、桜の咲きたるを見て
                      坂上是則
0054 桜花今日よく見てむ呉竹の一夜のほどに散りもこそすれ

     題しらず
                      よみ人も
0055 桜花匂ふともなく春来ればなどか嘆きのしげりのみする

     貞観御時、弓のわざつかうまつりけるに
                      河原左大臣
0056 今日桜雫に我が身いざ濡れむ香込めに来ふ風のこぬ間に

     家より遠き所にまかる時、前栽の桜の花に結
     ひつけはべりける
                      菅原右大臣
0057 桜花ぬしを忘れぬ物ならば吹き来む風に事づてはせよ

     春の心を
                      伊勢
0058 青柳の糸撚りはへて織るはたをいづれの山の鴬か着る

     花の散るを見て
                      凡河内躬恒
0059 あひ思はで移ろふ色を見る物を花に知られぬ眺めするかな

     帰る雁を聞きて
                      よみ人しらず
0060 帰る雁雲地にまどふ声すなり霞吹き解けこのめ春風

     朱雀院の桜のおもしろきことと延光朝臣の語
     りはべりければ、見るよしもあらまし物をな
     ど、昔を思ひ出でて
                      大将御息所
0061 さ咲き咲かず我にな告げそ桜花人づてにやは聞かむと思ひし

     題しらず
                      よみ人も
0062 春来れば木隠れ多き夕月夜おぼつかなしも花蔭にして

0063 立ち渡る霞のみかは山高み見ゆる桜の色もひとつを

0064 大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ

     弥生のついたちごろに、女につかはしける
0065 嘆きさへ春を知るこそわびしけれ燃ゆとは人に見えぬものから

     「春雨の降らば思ひの消えもせでいとど嘆き
     のめをもやすらん」といふ古歌の心ばへを、
     女に言ひつかはしたりければ
0066 もえ渡る歎きは春のさがなればおほかたにこそあはれとも見れ

     女の許につかはしける
                      藤原師尹朝臣
0067 青柳のいとつれなくもなりゆくかいかなる筋に思ひよらまし

     衛門の御息所の家太泰にはべりけるに、「そ
     この花おもしろかなり」とて、折りにつかは
     したりければ、きこえたりける
0068 山里に散りなましかば桜花匂ふ盛りも知られざらまし

     御返し
0069 匂ひこき花の香もてぞ知られける植ゑて見るらん人の心は

     小弐につかはしける
                      藤原朝忠朝臣
0070 時しもあれ花の盛りにつらければ思はぬ山に入りやしなまし

     返し
0071 わがために思はぬ山の音にのみ花盛りゆく春をうらみむ

     題しらず
                      宮道高風
0072 春の池の玉藻に遊ぶ鳰鳥の脚のいとなき恋もするかな

     寛平御時、「花の色霞にこめて見せずといふ
     心をよみてたてまつれ」と仰せられければ
                      藤原興風
0073 山風の花の香かどふ麓には春の霞ぞほだしなりける

     題しらず
                      よみ人も
0074 春雨の世に降りにたる心にもなほあたらしく花をこそ思へ

     京極の御息所に贈りはべりける
0075 春霞立ちて雲居になりゆくは雁の心の変はるなるべし

     題しらず
0076 寝られぬをしひて我が寝る春の夜の夢をうつつになすよしもがな

     しのびたりける男のもとに、春、行幸あるべ
     しと聞きて、装束一具調じてつかはすとて、
     桜色の下襲に添へてはべりける
0077 我が宿の桜の色は薄くとも花の盛りは着ても折らなん

     忘れはべりにける人の家に、花を乞ふとて
                      兼覧王
0078 年をへて花のたよりに事問はばいとどあだなる名をや立ちなん

     喚子鳥を聞きて、隣の家に贈りはべりける
                      春道列樹
0079 我が宿の花にな鳴きそ喚子鳥呼ぶかひ有りて君も来なくに

     壬生忠岑が左近の番長にて、文おこせてはべ
     りけるついでに、身をうらみてはべりける返
     事に
                      紀貫之
0080 降りぬとていたくなわびそ春雨のただに止むべき物ならなくに

   後撰和歌集巻第三
    春下
     贈太政大臣あひ別れてのち、ある所にてその
     声を聞きてつかはしける
                      藤原顕忠朝臣の母
0081 鴬の鳴くなる声は昔にて我が身一つのあらずもあるかな

     桜の花の瓶に挿せりけるが散りけるを見て、
     中務につかはしける
                      貫之
0082 久しかれあだに散るなと桜花瓶に挿せれど移ろひにけり

       返し
0083 千世ふべき瓶に挿せれど桜花とまらむ事は常にやはあらぬ

     題しらず  よみ人も
0084 散りぬべき花の限りはおしなべていづれともなく惜しき春かな

     朝忠朝臣隣にはべりけるに、桜のいたう散り
     ければ、言ひつかはしける
                      伊勢
0085 垣越しに散り来る花を見るよりは根込めに風の吹きも越さなん

     女につかはしける
                      よみ人しらす
0086 春の日の永き思ひは忘れじを人の心に秋や立つらん

     題しらず
0087 よそにても花見るごとに音をぞ泣く我が身にうとき春のつらさに

                      貫之
0088 風をだに待ちてぞ花の散りなまし心づからに移ろふがうさ

     荒れたる所に住みはべりける女、つれづれに
     思ほえはべりければ、庭にある菫の花を摘み
     て、言ひつかはしける
                      よみ人しらず
0089 我が宿に菫の花の多かれば来宿る人やあると待つかな

     題しらず
  0090 山高み霞をわけて散る花を雪とやよその人は見るらん

0091 吹く風の誘ふ物とは知りながら散りぬる花のしひて恋しき

                      清原深養父
0092 うちはへて春はさばかりのどけきを花の心やなに急ぐらん

     常に消息つかはしける女ともだちのもとより、
     桜の花のおもしろかりけるを折りて、「これ、
     そこの花に見比べよ」とありければ
                      小若君
0093 我が宿の歎きは春も知らなくに何にか花を比べても見む
      父の親王の心ざせるやうにもあらで、常に
      物思ひける人にてなんありける

     春の池のほとりにて
                      よみ人しらず
0094 春の日の影そふ池の鏡には柳の眉ぞまづは見えける

     春の暮れにかれこれ花惜しみける所にて
0095 かくながら散らで世をやは尽くしてぬ花の常盤もありと見るべく

     延喜御時、殿上の男どもの中に、召し上げら
     れて、おのおのかざしさしはべりけるついで
     に
                      凡河内躬恒
0096 かざせども老いも隠れぬこの春ぞ花の面は伏せつべらなる

     題しらず  よみ人も
0097 一年に重なる春のあらばこそふたたび花を見むと頼まめ

     花のもとにて、かれこれほどもなく散ること
     など申しけるついでに
                      貫之
0098 春来れば咲くてふことを濡衣に着するばかりの花にぞありける

     春、花見に出でたりけるに、文をつかはした
     りける、その返事もなかりければ、あくる朝、
     昨日の返事と乞ひにまうで来たりければ、言
     ひつかはしたりける
                      よみ人しらず
0099 春霞立ちながら見し花ゆゑに文とめてけるあとの悔しさ

     男のもとより頼めおこせてはべりければ
0100 春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ

     題しらず
                      伊勢
0101 鴬に身をあひかへば散るまでも我が物にして花は見てまし

     元良の親王、兼茂朝臣の女に住みはべりける
     を、法皇の召して、かの院にさぶらひければ、
     え逢ふこともはべらざりければ、あくる年の
     春、桜の枝に挿して、かの曹司に挿し置かせ
     はべりける
                      元良親王
0102 花の色は昔ながらに見し人の心のみこそ移ろひにけれ

     月のおもしろかりける夜、花を見て
                      源信明
0103 あたら夜の月と花とを同じくはあはれし知れらん人に見せばや

     県の井戸といふ家より、藤原治方につかはしける
                      橘公平が女
0104 都人来ても折らなんかはづ鳴く県の井戸の山吹の花

     助信が母身まかりてのち、かの家に敦忠朝臣
     のまかりかよひけるに、桜の花の散りける折
     にまかりて、木のもとにはべりければ、家の
     人の言ひ出だしける
                      よみ人しらず
0105 今よりは風にまかせむ桜花散る木のもとに君止まりけり

     返し
                      敦忠朝臣
0106 風にしも何かまかせん桜花匂ひあかぬに散るは憂かりき

     桜河といふ所ありと聞きて
                      貫之
0107 常よりも春べになれば桜河花の浪こそ間なく寄すらめ

     前栽に山吹ある所にて
                      兼輔朝臣
0108 我が着たる一重衣は山吹の八重の色にも劣らざりけり

     題しらず
                      在原元方
0109 一年に再び咲かぬ花なればむべ散ることを人はいひけり

     寛平御時、桜の花の宴ありけるに雨の降りは
     べりければ
                      藤原敏行朝臣
0110 春雨の花の枝より流れ来ばなほこそ濡れめ香もや移ると

     和泉の国にまかりけるに、海の面にて
                      よみ人しらず
0111 春深き色にもあるかな住の江の底も緑に見ゆる浜松

     女ども花見むとて野辺に出でて
                      典侍因香朝臣
0112 春来れば花見にと思ふ心こそ野辺の霞とともに立ちけれ

     あひ知れりける人の久しう問はざりければ、
     花盛りにつかはしける
                      よみ人しらず
0113 我をこそ問ふに憂からめ春霞花につけても立ちよらぬかな

     返し
                      源清蔭朝臣
0114 立ち寄らぬ春の霞を頼まれよ花のあたりと見ればなるらん

     山桜を折りて贈りはべるとて
                      伊勢
0115 君見よと尋ねて折れる山桜ふりにし色と思はざらなん

     宮仕へしける女の石上といふ所に住みて、京
     のともだちのもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0116 神さびてふりにし里に住む人は都に匂ふ花をだに見ず

     法師にならむの心ありける人、大和にまかり
     てほど久しくはべりてのち、あひ知りてはべ
     りける人のもとより、「月ごろはいかにぞ、
     花は咲きにたりや」と言ひてはべりければ
0117 み吉野の吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつつ

     亭子院歌合の歌
0118 山桜咲きぬる時は常よりも峯の白雲立ちまさりけり

     山桜を見て
                      貫之
0119 白雲と見えつるものを桜花今日は散るとや色異になる

     題しらず
                      よみ人も
0120 我が宿の影とも頼む藤の花立ち寄り来とも浪に折らるな

0121 花盛りまだも過ぎぬに吉野河影に移ろふ岸の山吹

     人の心頼みがたくなりければ、山吹の散りさ
     したるを、「これ見よ」とてつかはしける
0122 しのびかね鳴きてかはづの惜しむをも知らず移ろふ山吹の花

     弥生ばかりの花の盛りに、道まかりけるに
                      僧正遍昭
0123 折りつればたぶさにけがる立てながら三世の仏に花たてまつる

     題しらず
                      よみ人も
0124 水底の色さへ深き松が枝に千歳をかねて咲ける藤波

     弥生の下の十日ばかりに、三条右大臣、兼輔
     朝臣の家にまかりてはべりけるに、藤の花咲
     ける遣水のほとりにて、かれこれ大御酒たう
     べけるついでに
                      三条右大臣
0125 限りなき名に負ふ藤の花なれば底ひも知らぬ色の深さか

                      兼輔朝臣
0126 色深く匂ひし事は藤浪の立ちも帰らで君と止まれとか

                      貫之
0127 棹させど深さも知らぬ淵なれば色をば人も知らじとぞ思ふ

     琴笛などして遊び、物語りなどしはべりける
     ほどに、夜更けにければ、まかりとまりて
                      三条右大臣
0128 昨日見し花の顔とて今朝見れば寝てこそさらに色まさりけれ

                      兼輔朝臣
0129 一夜のみ寝てし帰らば藤の花心とけたる色見せんやは

                      貫之
0130 あさぼらけ下行く水は浅けれど深くぞ花の色は見えける

     題しらず
                      よみ人も
0131 鴬の糸に撚るてふ玉柳吹きな乱りそ春の山風

     桜の花の散るを見て
                      躬恒
0132 いつのまに散りはてぬらん桜花おもかげにのみ色を見せつつつ

     敦実の親王の花見はべりける所にて
                      源仲宣朝臣
0133 散ることの憂きも忘れてあはれてふ事を桜に宿しつるかな

     桜の散るを見て
                      よみ人しらず
0134 桜色に着たる衣の深ければ過ぐる春日も惜しけくもなし

    弥生に閏月ある年、司召のころ申文にそへて、
    左大臣の家につかはしける
                      貫之
0135 あまりさへありて行くべき年だにも春にかならずあふよしもはな

     返し
                      左大臣
0136 常よりものどけかるべき春なれば光に人のあはざらめやは

     常にまうで来かよひける所に、障る事はべり
     て、久しくまで来逢はずして年かへりにけり。
     あくる春弥生のつごもりにつかはしける
                      藤原雅正
0137 君来ずて年は暮れにき立かへり春さへ今日になりにけるかな

0138 ともにこそ花をも見めと待つ人の来ぬものゆゑに惜しき春かな

     返し
                      貫之
0139 君にだに訪はれでふれば藤の花たそがれ時も知らずぞありける

0140 八重葎心の内に深ければ花見に行かむ出で立ちもせず

     題しらず
                      よみ人も
0141 惜しめども春の限りの今日の又夕暮れにさへなりにけるかな

                      躬恒
0142 行く先を惜しみし春の明日よりは来にし方にもなりぬべきかな

     弥生のつごもり
                      貫之
0143 行く先になりもやすると頼みしを春の限りは今日にぞありける

                      よみ人しらず
0144 花しあらば何かは春の惜しからん来るとも今日は嘆かざらまし

                      躬恒
0145 暮れて又明日とだになき春の日を花の影にて今日は暮らさむ

     弥生のつごもりの日、久しうまうで来ぬよし
     言ひてはべる文の奥に書きつけはべりける
                      貫之
0146 又も来む時ぞと思へど頼まれぬ我が身にしあれば惜しき春かな

      貫之かくて同じ年になん身まかりにける

   後撰和歌集巻第四
    夏
      題しらず
                      よみ人も
0147 今日よりは夏の衣になりぬれど着る人さへは変らざりけり

0148 卯花の咲ける垣根の月清みい寝ねず聞けとや鳴く郭公

     卯月ばかり、友だちの住みはべりける所近く
     はべりてかならず消息つかはしてむと待ちけ
     るに、音なくはべりければ
0149 郭公来ゐる垣根は近ながら待ち遠にのみ声の聞こえぬ

     返し
0150 郭公声待つほどは遠からでしのびに鳴くを聞かぬなるらん

     もの言ひ交はしはべりける人のつれなくはべ
     りければ、その家の垣根の卯花を折りて、言
     ひ入れてはべりける
0151 うらめしき君が垣根の卯花は憂しと見つつもなほ頼むかな

     返し
0152 憂き物と思ひ知りなば卯花の咲ける垣根も訪ねざらまし

     卯花の垣根ある家にて
0153 時わかず降れる雪かと見るまでに垣根もたわに咲ける卯花

     ともだちの訪らひまで来こぬことをうらみつ
     かはすとて
0154 白妙に匂ふ垣根の卯花の憂くも来て訪ふ人のなきかな

0155 時わかず月か雪かと見るまでに垣根のままに咲ける卯花

0156 鳴きわびぬいづちか行かん郭公なほ卯花の影は離れじ

     卯月ばかりの月おもしろかりける夜、人につ
     かはしける
0157 あひ見しもまだ見ぬ恋も郭公月に鳴く夜ぞよに似ざりける

     女のもとにつかはしける
0158 ありとのみ音羽の山の郭公聞きにき聞こえて逢はずもあるかな

     題しらず
                      伊勢
0159 木隠れて五月待つとも郭公羽ならはしに枝移りせよ

     藤原のかつみの命婦に住みはべりける男、人
     の手に移りはべりにける又の年、杜若につけ
     て、かつみにつかはしける
                      良岑義方朝臣
0160 言ひそめし昔の宿の杜若色ばかりこそかたみなりけれ

     賀茂祭の物見はべりける女の車に言ひ入れて
     はべりける
                      よみ人しらず
0161 行き帰る八十氏人の玉かづらかけてぞ頼む葵てふ名を

     返し
0162 木綿だすきかけても言ふなあだ人の葵てふ名は禊にぞせし

     題しらず
0163 このごろは五月雨近み郭公思ひ乱れて鳴かぬ日ぞなき

0164 待つ人は誰れならなくに郭公思ひの外に鳴かば憂からん

0165 匂ひつつ散りにし花ぞ思ほゆる夏は緑の葉のみ繁れば

     朱雀院の春宮におはしましける時、帯刀ら五
     月ばかり御書所にまかりて酒などたうべて、
     これかれ歌よみけるに
                      大春日師範
0166 五月雨に春の宮人来る時は郭公をや鴬にせん

     夏夜、深養父が琴弾くを聞きて
                      藤原兼輔朝臣
0167 短か夜の更けゆくままに高砂の峯の松風吹くかとぞ聞く

     同じ心を
                      貫之
0168 あしひきの山下水は行きかよひ琴の音にさへながるべらなり

     題しらず
                      藤原高経朝臣
0169 夏の夜はあふ名のみして敷妙の塵はらふ間に明けぞしにける

                      壬生忠岑
0170 夢よりもはかなき物は夏の夜の暁方の別れなりけり

     あひ知りてはべりける中の、かれもこれも心
     ざしはありながら、つつむことありて、え逢
     はざりければ
                      よみ人しらず
0171 よそながら思ひしよりも夏の夜の見はてぬ夢ぞはかなかりける

     夏の夜、しばし物語りして帰りにける人のも
     とに、又のあしたつかはしける
                      伊勢
   0172 二声と聞くとはなしに郭公夜深く目をも覚ましつるかな
 

     人のもとにつかはしける
                      藤原安国
0173 逢ふと見し夢にならひて夏の日の暮れがたきをも嘆きつるかな

                      よみ人しらず
0174 うとまるる心しなくは郭公あかぬ別れに今朝は消なまし

     思ふ事はべりけるころ郭公を聞きて
0175 折はへて音をのみぞ鳴く郭公しげきなげきの枝ごとにゐて

     四五月ばかり遠き国へまかり下らむとするこ
     ろ、郭公を聞きて
0176 郭公来ては旅とや鳴き渡る我は別れの惜しき都を

     題しらず
0177 独りゐて物思ふ我を郭公ここにしも鳴く心あるらし

0178 玉匣明けつるほどの郭公ただ二声も鳴きて来しかな

     五月ばかりに物言ふ女につかはしける
0179 数ならぬ我が身山辺の郭公木の葉隠れの声は聞こゆや

     題しらず
0180 常夏に鳴きてもへなん郭公繁き深山になに帰るらん

0181 臥すからにまづぞわびしき郭公鳴きもはてぬに明くる夜なれば

     三条右大臣、少将にはべりける時、しのびに
     通ふ所はべりけるを、上の男ども五六人ばか
     り、五月の長雨少しやみて、月おぼろなりけ
     るに酒たうべむとて、押し入りてはべりける
     を、少将はかれがたにてはべらざりければ、
     立ちやすらひて、「主人出だせ」など、たは
     ぶれはべりければ
                      主人の女
0182 五月雨にながめ暮らせる月なればさやにも見えず雲隠れつつ

     女子持てはべりける人に、思ふ心はべりてつかはしける
                      よみ人しらず
0183 双葉より我がしめ結ひし撫子の花の盛りを人に折らすな
 

     題しらず
0184 あしひきの山郭公うちはへて誰れかまさると音をのみぞ鳴く

     五月長雨のころ、久しく絶えはべりにける女
     のもとにまかりたりければ、女
0185 つれづれとながむる空の郭公と訪ふにつけてぞ音は泣かれける

     題しらず
0186 色変へぬ花橘に郭公千代をならせる声聞こゆなり

0187 旅寝して妻恋ひすらし郭公神無備山に小夜更けて鳴く

0188 夏の夜に恋しき人の香をとめば花橘ぞしるべなりける

     女の物見にまかり出でたりけるに、異車傍ら
     に来たりけるに、ものなど言ひ交はしてのち
     につかはしける
                      伊勢
0189 郭公はつかなる音を聞き初めてあらぬもそれとおぼめかれつつ

     五月二つはべりけるに、思ふ事はべりて
                      よみ人しらず
0190 五月雨の続ける年のながめには物思ひあへる我ぞわひしき

     女にいとしのびてもの言ひて帰りて
0191 郭公一声に明くる夏の夜の暁方やあふごなるらん

     題しらず
0192 うちはへて音を鳴きくらす空蝉のむなしき恋も我はするかな

0193 常もなき夏の草葉に置く露を命と頼む蝉のはかなさ

0194 八重葎繁き宿には夏虫の声より外に訪ふ人もなし

0195 空蝉の声聞くからに物ぞ思ふ我も空しき世にし住まへば

     人のもとにつかはしける
                      藤原師尹朝臣
0196 いかにせむ小倉の山の郭公おぼつかなしと音をのみぞ鳴く

     題しらず
                      よみ人も
0197 郭公暁方の一声は憂き世の中を過ぐすなりけり

0198 人知れず我がしめし野の常夏は花咲きぬべき時ぞ来にける

0199 我が宿の垣根に植ゑし撫子は花に咲かなんよそへつつ見む

0200 常夏の花をだに見ばことなしに過ぐす月日も短かかりなん

0201 常夏に思ひそめては人知れぬ心のほどは色に見えなん

     返し
0202 色といへば濃きも薄きも頼まれず大和撫子散る世なしやは

     師尹朝臣のまだ童にてはべりける、常夏の花
     を折りて持ちてはべりければ、この花につけ
     て、尚侍の方に贈りはべりける
                      太政大臣
0203 撫子はいづれともなく匂へども遅れて咲くはあはれなりけり

     題しらず
                      よみ人も
0204 撫子の花散り方になりにけり我が待つ秋ぞ近くなるらし

0205 宵ながら昼にもあらなん夏なれば待ちくらす間のほどなかるべく

0206 夏の夜の月はほどなく明けぬれば朝の間をぞかこちよせつる

0207 鵲の峯飛び越えて鳴き行けば夏の夜渡る月ぞ隠るる

0208 秋近み夏はて行けば郭公鳴く声かたき心地こそすれ

     桂の内親王の「蛍を捕へて」と言ひはべりけ
     れば、童の汗衫の袖につつみて
0209 つつめども隠れぬ物は夏虫の身よりあまれる思ひなりけり

     題しらず
0210 天の河水まさるらし夏の夜は流るる月の淀む間もなし

     月ごろわづらふことありて、まかりありきも
     せで、まで来ぬよし言ひて文の奥に
                      貫之
0211 花も散り郭公さへ往ぬるまで君にも行かずなりにけるかな

     返し
                      藤原雅正
0212 花鳥の色をも音をもいたづらに物憂かる身は過ぐすのみなり

     題しらず
                      よみ人も
0213 夏虫の身をたきすてて玉しあらば我とまねばむ人目もる身ぞ

     夏夜、月おもしろくはべりけるに
0214 今夜かくながむる袖の露きけは月の霜をや秋と見つらん

     水無月祓へしに河原にまかり出でて、月の明
     かきを見て
0215 賀茂河の水底澄みて照る月を行きて見むとや夏祓へする

     水無月二つありける年
0216 七夕は天の河原を七かへりのちの三十日を禊にはせよ

   後撰和歌集巻第五
    秋上
     是貞親王の家の歌合に
                      よみ人しらず
0217 にはかにも風の涼しくなりぬるか秋立つ日とはむべもいひけり

     題しらず
0218 うちつけに物ぞ悲しき木の葉散る秋の初めを今日ぞと思へば

     物思ひはべりけるころ、秋立つ日、人につか
     はしける
0219 頼めこし君はつれなし秋風は今日より吹きぬ我が身悲しも

     思ふことはべりけるころ
0220 いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋と告げつる風のわびしさ

     題しらず
0221 秋風のうち吹きそむる夕暮れは空に心ぞわびしかりける

                      大江千里
0222 露わけし袂干す間もなき物をなど秋風のまだき吹くらん

     女のもとより文月ばかりに言ひおこせてはべ
     りける
                      よみ人しらず
0223 秋萩を色どる風の吹きぬれば人の心も疑はれけり

     返し
                      在原業平朝臣
0224 秋萩を色どる風は吹きぬとも心はかれじ草葉ならねば

     源昇朝臣、時々まかり通ひける時に、文月の
     四五日ばかりの「七日の日の料に装束調じて」
     と言ひつかはしてはべりければ
     閑院
0225 逢ふことは織姫に等しくて裁ち縫ふわざはあえずぞありける

     題しらず
                      よみ人も
0226 天の河渡らむ空も思ほえず絶えぬ別れと思ふものから

     文月の七日に、「夕方まで来む」と言ひては
     べりけるに、雨降りはべりければ、まで来で
                      源中正
0227 雨降りて水まさりけり天の河今宵はよそに恋ひむとや見し

     返し
                      よみ人しらず
0228 水まさり浅き瀬知らずなりぬとも天の門渡る舟もなしやは

     七日、女のもとにつかはしける
                      藤原兼三
0229 織女も逢ふ夜ありけり天の河このわたりには渡る瀬もなし

     かれにける男の、七日の夜、まで来たりけれ
     ば、女のよみてはべりける
0230 彦星のまれに逢ふ夜の常夏はうち払へども露けかりけり

     七日、人のもとより返事に、「今宵逢はん」
     と言ひおこせてはべりければ
0231 恋ひ恋ひてあ逢はむと思ふ夕暮れは織姫もかくぞあるらし

     返し
0232 たぐひなき物とは我ぞなりぬべき織姫は人目やはもる

     題しらず
0233 天の河流れて恋ひば憂くもぞあるあはれと思ふ瀬に早く見む

0234 玉葛絶えぬ物からあらたまの年の渡りはただ一夜のみ

0235 秋の夜の心もしるく七夕の逢へる今宵は明けずもあらなん

0236 契りけん言の葉今は返してむ年のわたりによりぬる物を

     七日、越後蔵人につかはしける
                      藤原敦忠朝臣
0237 逢ふ事の今宵過ぎなば織女におとりやしなん恋はまさりて

     七日
                      よみ人しらず
0238 織女の天の門渡る今宵さへ遠方人のつれなかるらん

     七夕をよめる
0239 天の河遠き渡はなけれども君が船出は年にこそ待て

0240 天の河岩越す浪の立ちゐつつ秋の七日の今日をしぞ待つ

                      紀友則
0241 今日よりは天の河原はあせななん底ひともなくただ渡りなん

                      よみ人しらず
0242 天の河流れて恋ふる七夕の涙なるらし秋の白露

0243 天の河瀬々の白浪高けれでただ渡り来ぬ待つに苦しみ

0244 秋来れば河霧渡る天の河川上見つつ恋ふる日の多き

0245 天の河恋しき瀬にぞ渡りぬるたぎつ涙に袖は濡れつつ

0246 織女の年とはいはじ天の河雲立ちわたりいざ乱れなん

                      凡河内躬恒
0247 秋の夜のあかぬ別れを七夕は経緯にこそ思ふべらなれ

     七月八日の朝
                      兼輔朝臣
0248 七夕の帰る朝の天の河舟も通はぬ浪も立たなん

     同じ心を
                      貫之
0249 朝門あけてながめやすらん七夕はあかぬ別れの空を恋ひつつ

     思ふ事はべりて
                      よみ人しらず
0250 秋風の吹けばさすがにわびしきは世のことわりと思ふ物から

     題しらず
0251 松虫の初声誘ふ秋風は音羽山より吹きそめにけり

                      業平朝臣
0252 行く蛍雲の上まで往ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ

                      よみ人しらず
0253 秋風の草葉そよぎて吹くなへにほのかにしつるひぐらしの声

                      貫之
0254 ひぐらしの声聞く山の近けれや鳴きつるなへに入り日さすらん

0255 ひぐらしの声聞くからに松虫の名にのみ人を思ふころかな

0256 心有りて鳴きもしつるかひぐらしのいづれも物のあきて憂けれは

0257 秋風の吹き来る宵はきりぎりす草の根ごとに声乱れけり

0258 我がごとく物や悲しききりぎりす草の宿りに声絶えず鳴く

0259 来むといひしほどや過ぎぬる秋の野に誰れ待つ虫ぞ声の悲しき

0260 秋の野に来宿る人も思ほえず誰れを待つ虫ここら鳴くらん

0261 秋風のやや吹きしけば野を寒みわびしき声に松虫ぞ鳴く

                      藤原元善朝臣
0262 秋来れば野もせに虫の織り乱る声の綾をば誰れか着るらん

                      よみ人しらず
0263 風寒み鳴く秋虫の涙こそ草葉色どる露と置くらめ

0264 秋風の吹きしく松は山ながら浪立ち帰る音ぞ聞こゆる

     是貞の親王の家歌合に
                      壬生忠岑
0265 松の音に風のしらべをまかせては龍田姫こそ秋はひくらし

     秋、大輔が太秦のかたはらなる家にはべりけ
     るに、荻の葉に文を挿してつかはしける
                      左大臣
0266 山里の物さびしさは荻の葉のなびくことにぞ思ひやらるる

     題しらず
                      小野道風朝臣
0267 穂には出でぬいかにかせまし花薄身を秋風に捨てやはててん

     二人の男に物言ひける女の一人につきにけれ
     ば、今一人がつかはしける
                      よみ人しらず
0268 明け暮らしまもる田の実を刈らせつつ袂そほつの身とぞなりぬる

     返し
0269 心もて生ふる山田のひつち穂は君まもらねど刈る人もなし

     題しらず
                      藤原守文
0270 草の糸にぬく白玉と見えつるは秋の結べる露にぞ有りける

   後撰和歌集巻第六
    秋中
     延喜御時に秋歌召しければ、たてまつりける
                      紀貫之
0271 秋霧の立ちぬる時はくらぶ山おぼつかなくぞ見え渡りける

0272 花見にと出でにし物を秋の野の霧に迷ひて今日は暮らしつ

     寛平御時后の宮の歌合に
                      よみ人しらず
0273 浦近く立つ秋霧は藻塩焼く煙とのみぞ見えわたりける

     同じ御時の女郎花合せに
                      藤原興風
0274 折るからに我が名は立ちぬ女郎花いざ同じくは花々に見む

                      よみ人しらず
0275 秋の野の露に置かるる女郎花はらふ人無み濡れつつやふる

0276 女郎花花の心のあだなれば秋にのみこそ逢ひわたりけれ

     母の服にて里にはべりけるに、先帝の御文た
     まへりける御返事に
                      近江更衣
0277 五月雨に濡れにし袖にいとどしく露置きそふる秋のわびしさ

     御返し
                      延喜御製
0278 おほかたも秋はわびしき時なれど露けかるらん袖をしぞ思ふ

     亭子院の御前の花のいとおもしろく朝露の置
     けるを召して見せさせたまひて
                      法皇御製
0279 白露の変るも何か惜しからんありての後もやや憂きものを

     御返し
                      伊勢
0280 植ゑ立てて君がしめ結ふ花なれば玉と見えてや露も置くらん

     大輔が後涼殿にはべりけるに、藤壺より女郎
     花を折りてつかはしける
                      右大臣
0281 折りて見る袖さへ濡るる女郎花露けき物と今や知るらん

     返し
                      大輔
0282 よろづ世にかからむ露を女郎花なに思ふとかまだきぬるらん

     又
                      右大臣
0283 起き明かす露の夜な夜なへにければまだきぬるとも思はざりけり

       返し
                      大輔
0284 今は早うちとけぬべき白露の心置くまで夜をやへにける

     あひ知りてはべりける女の、あだ名たちては
     べりければ、久しく訪ぶらはざりけり。八月
     ばかりに女のもとより、「などかいとつれな
     き」と言ひおこせてはべりければ
                      よみ人しらず
0285 白露の上はつれなく置きゐつつ萩の下葉の色をこそ見れ

     返し
                      伊勢
0286 心なき身は草葉にもあらなくに秋来る風に疑はるらん

     男のもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0287 人はいさ事ぞともなきながめにぞ我は露けき秋も知らるる

     人のもとに尾花のいとたかきをつかはしたり
     ければ、返事に忍草を加へて
                      中宮宣旨
0288 花薄穂に出づる事もなき宿は昔忍ぶの草をこそ見れ

     返し
                      伊勢
0289 やどもせに植ゑなめつつぞ我は見る招く尾花に人やとまると

     題しらず
                      よみ人も
0290 秋の夜をいたづらにのみ起き明かす露は我が身の上にぞ有りける

0291 おほかたに置く白露も今よりは心してこそ見るべかりけれ

                      右大臣
0292 露ならぬ我が身と思へど秋の夜をかくこそ明かせ起きゐながらに

     秋のころほひ、ある所に女どものあまた簾の
     内にはべりけるに、男の歌の本を言ひ入れて
     はべりければ、末は内より
                      よみ人しらず
0293 白露の置くにあまたの声すれば花の色々有りと知らなん

     八月中の十日ばかりに、雨のそほ降りける日、
     女郎花掘りに藤原庶正を野辺に出だして、遅
     く帰りければ、つかはしける
                      左大臣
0294 暮れはてば月も待つべし女郎花雨やめてとは思はざらなん

     題しらず
                      よみ人も
0295 秋の田の仮庵の宿の匂ふまで咲ける秋萩見れどあかぬかも

0296 秋の夜をまどろまずのみ明かす身は夢路とだにぞ頼まざりける

     萩の花を折りて、人につかはすとて
0297 時雨降り降りなば人に見せもあへず散りなば惜しみ折れる秋萩

     秋の歌とてよめる
                      貫之
0298 往き還り折りてかざさむ朝な朝な鹿立ならす野辺の秋萩

                      宗于朝臣
0299 我が宿の庭の秋萩散りぬめりのち見む人や悔しと思はむ

     よみ人しらず
0300 白露の置かまく惜しき秋萩を折りてはさらに我や隠さん
 

     年の積もりにけることをかれこれ申しけるつ
     いでに
                      貫之
0301 秋萩の色づく秋を徒にあまたかぞへて老いぞしにける

     題しらず
                      天智天皇御製
0302 秋の田の仮庵の庵の苫を粗み我が衣手は露に濡れつつ

     よみ人しらず
0303 我が袖に露ぞ置くなる天の河雲のしがらみ浪や越すらん

0304 秋萩の枝もとををになり行くは白露重く置けばなりけり

0305 我が宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫く物にもが

     延喜御時歌召しければ
                      貫之
0306 さを鹿の立ちならす小野の秋萩に置ける白露我も消ぬべし

0307 秋の野の草はいとども見えなくに置く白露を玉と貫くらん

                      文室朝康
0308 白露に風の吹きしく秋の野は貫きとめぬ玉ぞ散りける

                      忠岑
0309 秋の野に置く白露を今朝見れば玉やしけるとおどろかれつつ

     題しらず
                      よみ人も
0310 置くからに千種の色になる物を白露とのみ人のいふらん

0311 白玉の秋の木の葉に宿れると見ゆるは露のはかるなりけり

0312 秋の野にをく白露のきえさらは玉にぬきてもかけて見てまし

0313 唐衣袖くつるまで置く露は我が身を秋の野とや見るらん

0314 大空に我が袖一つあらなくに悲しく露やわきて置くらん

0315 朝ごとに置く露袖に受けためて世の憂き時の涙にぞ借る

     秋歌とてよめる
                      貫之
0316 秋の野の草もわけぬを我が袖の物思ふなへに露けかるらん

                      深養父
0317 いく世へてのちか忘れん散りぬべき野辺の秋萩みがく月夜を

                      よみ人しらず
0318 秋の夜の月の影こそ木の間より落ちば衣と身に移りけれ

0319 袖にうつる月の光は秋ごとに今宵変らぬ影と見えつつ

0320 秋の夜の月に重なる雲晴れて光さやかに見るよしもがな

                      小野美材
0321 秋の池の月の上に漕ぐ船なれば桂の枝に棹や障らん

                      深養父
0322 秋の海にうつれる月を立ち返り浪は洗へど色も変らず

     是貞親王の家の歌合に
                      よみ人しらず
0323 秋の夜の月の光は清けれど人の心の隈は照らさず

0324 秋の月常にかく照る物ならば闇にふる身はまじらざらまし

     八月十五夜
                      藤原雅正
0325 いつとても月見ぬ秋はなき物をわきて今宵のめつらしきかな

                      よみ人しらず
0326 月影は同じ光の秋の夜をわきて見ゆるは心なりけり

     月を見て
                      紀淑光朝臣
0327 空遠み秋やよくらん久方の月の桂の色も変らぬ

                      貫之
0328 衣手は寒くもあらねど月影をたまらぬ秋の雪とこそ見れ

                      よみ人しらず
0329 天の河しがらみかけてとどめなんあかず流るる月やよどむと

0330 秋風に浪や立つらん天の河渡る瀬もなく月の流るる

0331 秋来れば思ふ心ぞ乱れつつまづもみぢばと散りまさりける

                      深養父
0332 消えかへり物思ふ秋の衣こそ涙の河の紅葉なりけれ

                      よみ人しらず
0333 吹く風に深き田の実のむなしくは秋の心を浅しと思はむ

0334 秋の夜は人をしづめてつれづれとかきなす琴の音にぞ泣きぬる

     露をよめる
                      藤原清正
0335 貫きとむる秋しなければ白露の千種に置ける玉もかひなし

     八月十五夜
0336 秋風にいとど更け行く月影を立ちな隠しそ天の河霧

     延喜御時、秋歌召しければ、たてまつりける
                      貫之
0337 女郎花匂へる秋の武蔵野は常よりもなほむつましきかな

     人につかはしける
                      兼覧王
0338 秋霧の晴るるはうれし女郎花立ち寄る人やあらんと思へば

     題しらず
                      よみ人も
0339 女郎花草むらごとに群れ立つは誰れ待つ虫の声にまどふぞ

0340 女郎花昼見てましを秋の夜の月の光は雲隠れつつ

0341 女郎花花の盛りに秋風の吹く夕暮れを誰れに語らん

                      貫之
0342 白妙の衣かたしき女郎花咲ける野辺にぞ今宵寝にける

0343 名にし負へばしひて頼まむ女郎花花の心の秋は憂くとも

                      躬恒
0344 織女に似たる物かな女郎花秋よりほかに逢ふ時もなし

                      よみ人しらず
0345 秋の野に夜もや寝なん女郎花花の名をのみ思ひかけつつ

0346 女郎花色にもあるかな松虫をもとに宿して誰れをまつらん

     前栽に女郎花はべりける所にて
0347 女郎花匂ふ盛りを見る時ぞ我が老いらくは悔しかりける

     相撲の還饗の暮れつ方、女郎花を折りて敦慶
     親王のかざしに挿すとて
                      三条右大臣
0348 女郎花花の名ならぬ物ならば何かは君がかざしにもせん

      年ごろ家のむすめに消息かよはしはべりけ
      るを、女のために軽々しなど言ひて、許さ
      ぬ間になんはべりける
     法皇、伊勢が家の女郎花を召しければ、たてまつるを聞きて
                      枇把左大臣
0349 女郎花折りけん袖のふしごとに過ぎにし君を思ひ出でやせし

     返し
                      伊勢
0350 女郎花折りも折らずもいにしへをさらにかくべき物ならなくに

   後撰和歌集巻第七
    秋下
     題しらず
                      よみ人も
0351 藤袴着る人なみや立ちながら時雨の雨に濡らしそめつる

  0352 秋風にあひとしあへば花薄いづれともなく穂にぞ出でける

     寛平御時、后宮の歌合に
                      在原棟梁
0353 花薄そよともすれば秋風の吹くかとぞ聞く一人寝る夜は

     題しらず
                      よみ人も
0354 花薄穂に出でやすき草なれば身にならむとは頼まれなくに

0355 秋風に誘はれわたる雁が音は雲ゐはるかに今日ぞ聞こゆる

     越の方に思ふ人侍ちける時に
                      貫之
0356 秋の夜に雁かも鳴きて渡るなり我が思ふ人の事づてやせし

     題しらず
0357 秋風に霧飛び分けて来る雁の千世に変らぬ声聞こゆなり

                      よみ人しらず
0358 物思ふと月日の行くも知らざりつ雁こそ鳴きて秋と告げつれ

     大和にまかりけるついでに
0359 雁が音の鳴きつるなへに唐衣竜田の山はもみぢしにけり

     題しらず
0360 秋風に誘はれ渡る雁が音は物思ふ人の宿をよかなん

0361 誰れ聞けと鳴く雁が音ぞ我が宿の尾花が末を過ぎがてにして

0362 往き還りここもかしこも旅なれや来る秋ごとにかりかりと鳴く

0363 秋ごとに来れど帰れば頼まぬを声に立てつつかりとのみ鳴く

0364 ひたすらに我が思はなくに己れさへかりかりとのみ鳴き渡るらん

     人の「雁は来にけり」と申すを聞きて
                      躬恒
0365 年ごとに雲路まどはぬ雁が音は心づからや秋を知るらむ

     大和にまかりける時、かれこれともにて
                      よみ人しらず
0366 天の河雁ぞと渡る佐保山の梢はむべも色づきにけり

     兼輔朝臣、左近少将にはべりける時、武蔵の
     御馬迎へにまかり立つ日、にはかに障ること
     ありて、代りに同じ司の少将にて迎へにまか
     りて、逢坂より随身を帰して言ひ送りはべり
     ける
                      藤原忠房朝臣
0367 秋霧のたちのの駒をひく時は心に乗りて君ぞ恋ひしき

     題しらず
                      在原元方
0368 石上布留野の草も秋はなほ色ことにこそあらたまりけれ

                      よみ人しらず
0369 秋の野の錦のごとも見ゆるかな色なき露は染めじと思ふに

0370 秋の野にいかなる露の置き積めば千々の草葉の色変るらん

0371 いづれをかわきて偲ばむ秋の野に移ろはむとて色変る草

                      紀友則
0372 声立てて泣きぞしぬべき秋霧に友まどはせる鹿にはあらねど

                      よみ人しらず
0373 誰れ聞けど声高砂にさを鹿の長々し夜を一人鳴くらん

0374 うちはへて影とぞ頼む峯の松色どる秋の風にうつるな

0375 初時雨降れば山辺ぞ思ほゆるいづれの方かまづもみづらん

0376 妹が紐解くと結ぶと竜田山今ぞ紅葉の錦織りける

0377 雁鳴きて寒き朝の露ならし竜田の山をもみだす物は

0378 見るごとに秋にもなるかな竜田姫もみぢ染むとや山も着るらん

                      源宗朝臣
0379 梓弓入佐の山は秋霧のあたるごとにや色まさるらん

     はらからどち、いかなることかはべりけん
                      よみ人しらず
0380 君と我妹背の山も秋来れば色変りぬる物にぞありける

     題しらず
                      元方
0381 遅く疾く色づく山のもみぢばは遅れ先立つ露や置くらん

     竜田山を越ゆとて
                      友則
0382 かくばかりもみづる色の濃ければや錦たつたの山といふらむ

     題しらず             よみ人も
0383 唐衣竜田の山のもみぢ葉は物思ふ人の袂なりけり

     守山を越ゆとて
                      貫之
0384 あしひきの山の山もり守山も紅葉せさする秋は来にけり

     題しらず
0385 唐錦竜田の山も今よりはもみぢながらに常盤ならなん

0386 唐衣竜田の山のもみぢ葉は織機物もなき錦なりけり

     人々もろともに浜づらをまかる道に、山の紅
     葉をこれかれよみはべりけるに
                      忠岑
0387 いく木ともえこそ見わかね秋山の紅葉の錦よそに立てれば

     題しらず
                      よみ人も
0388 秋風のうち吹からに山ものもなへて錦にをりかへす哉
 

0389 なとさらに秋かとゝはむからにしきたつたの山の紅葉するよを

0390 あだなりと我は見なくにもみぢ葉を色の変れる秋しなければ

                      貫之
0391 玉かづら葛木山のもみぢ葉は面影にのみ見えわたるかな

0392 秋霧の立ちし隠せばもみぢ葉はおぼつかなくて散りぬべらなり

     鏡山を越ゆとて
                      素性法師
0393 鏡山山かきくもりしぐるれど紅葉あかくぞ秋は見えける

     隣に住みはべりける時、九月八日、伊勢が家
     の菊に綿を着せにつかはしたりければ、又の
     朝折りて返すとて
                      伊勢
0394 数知らず君が齢を延ばへつつ名立たる宿の露とならなん

     返し
                      藤原雅正
0395 露だにも名立たる宿の菊ならば花の主人やいく世なるらん

     九月九日、鶴の亡くなりにければ
                      伊勢
0396 菊の上に置きゐるべくもあらなくに千歳の身をも露になすかな

     題しらず
                      よみ人も
0397 菊の花長月ごとに咲き来れば久しき心秋や知るらむ

0398 名にし負へば長月ごとに君がため垣根の菊は匂へとぞ思ふ

     ほかの菊を移し植ゑて
0399 ふる里を別れて咲ける菊の花旅ながらこそ匂ふべらなれ

     男の久しうまで来ざりければ
0400 何に菊色染めかへし匂ふらん花もてはやす君も来なくに

     月夜に紅葉の散るを見て
0401 もみぢ葉の散り来る見れば長月の有明の月の桂なるらし

     題しらず
0402 いく千機織ればか秋の山ごとに風に乱るる錦なるらん

0403 なほざりに秋の山辺を越え来れば織らぬ錦を着ぬ人ぞなき

0404 もみぢ葉を分けつつ行けば錦着て家に帰ると人や見るらん

                      貫之
0405 うち群れていざ我妹子が鏡山越えて紅葉の散らむ影見む

                      よみ人しらず
0406 山風の吹きのまにまにもみぢ葉はこのもかのもに散りぬべらなり

0407 秋の夜に雨と聞こえて降りつるは風に乱るる紅葉なりけり

0408 立ち寄りて見るべき人のあればこそ秋の林に錦敷くらめ

0409 木のもとに織らぬ錦の積もれるは雲の林の紅葉なりけり

0410 秋風に散るもみぢ葉は女郎花宿に織り敷く錦なりけり

0411 あしひきの山の紅葉は散りにけり嵐の先に見てましものを

0412 もみぢ葉の降り敷く秋の山辺こそ立ちて悔しき錦なりけれ

0413 竜田河色紅になりにけり山の紅葉ぞ今は散るらし

                      貫之
0414 竜田河秋にしなれば山近み流るる水も紅葉しにけり

                      よみ人しらず
0415 もみぢ葉の流るる秋は河ごとに錦洗ふと人や見るらん

0416 竜田河秋は水なくあせななんあかぬ紅葉の流るれば惜し

                      文室朝康
0417 浪分けて見るよしもがなわたつみの底のみるめも紅葉散るやと

                      藤原興風
0418 この葉散る浦に浪立つ秋なれば紅葉に花も咲きまがひけり

                      よみ人しらず
0419 わたつみの神にたむくる山姫の幣をぞ人は紅葉といひける

                      貫之
0420 ひぐらしの声もいとなく聞こゆるは秋夕暮れになればなりけり

                      よみ人しらず
0421 風の音の限りと秋やせめつらん吹き来るごとに声のわびしき

0422 もみぢ葉にたまれる雁の涙には月の影こそ移るべらなれ

     あひ知りてはべりける男の久しう訪はずはべ
     りければ、長月ばかりにつかはしける
                      右近
0423 おほかたの秋の空だにわびしきに物思ひ添ふる君にもあるかな

     題しらず
                      よみ人も
0424 わがごとく物思ひけらし白露の世をいたづらに置き明かしつつ

     あひ知りてはべりける人、後々まで来ずなり
     にければ、男の親聞きて、「なほまかり訪へ」
     と申し教ふと聞きて、後にまで来たりければ、
                      平伊望朝臣の女
0425 秋深みよそにのみ聞く白露の誰が言の葉にかかるなるらん

     かれにける男の秋訪へりけるに
                      昔の承香殿のあこき
0426 訪ふごとの秋しもまれに聞こゆるはかりにや我を人の頼めし

     紅葉と色濃き裂いでとを女のもとにつかはし
     て
                      源整
0427 君恋ふと涙に濡るる我が袖と秋の紅葉といづれまされり

     題しらず
                      よみ人も
0428 照る月の秋しもことにさやけきは散るもみぢ葉を夜も見よとか

     故宮の内侍に兼輔朝臣忍びてかよはしはべり
     ける文を取りて書きつけて、内侍につかはし
     ける
0429 など我が身下葉紅葉となりにけん同じなげ木の枝にこそあれ

     秋闇なる夜、かれこれ物語りしはべる間、雁
     の鳴き渡りはべりければ
                      源済
0430 明からば見るべき物を雁が音のいづこばかりに鳴きて行くらん

     「菊の花折れり」とて人の言ひはべりければ
                      よみ人しらず
0431 いたづらに露に置かるる花かとて心も知らぬ人や折りけん

     身の成り出でぬことなど嘆きはべりけるころ、
     紀友則がもとより、「いかにぞ」と問ひおこ
     せてはべりければ、返事に菊の花を折りてつ
     かはしける
                      藤原忠行
0432 枝も葉も移ろふ秋の花見れば果ては蔭なくなりぬべらなり

     返し
                      友則
0433 雫もて齢延ぶてふ花なれば千代の秋にぞ影は繁らん

     延喜御時、秋歌召しありければたてまつりけ
     る
                      貫之
0434 秋の月光さやけみもみぢ葉の落つる影さへ見えわたるかな

     題しらず
                      よみ人も
0435 秋ごとに列を離れぬ雁が音は春帰るとも帰らざらなん

     男の「花鬘結はん」とて、菊ありと聞く所に、
     乞ひにつかはしたりければ、花に加へてつか
     はしける
0436 みな人に折られにけりと菊の花君がためにぞ露は置きける

     題しらず
0437 吹く風にまかする舟や秋の夜の月の上より今日は漕ぐらん

     紅葉の散り積もれる木のもとにて
0438 もみぢ葉は散る木のもとにとまりけり過ぎ行く秋やいづちなるらむ

     忘れにける男の紅葉を折りて贈りてはべりけ
     れば
0439 思ひ出でて訪ふにはあらじ秋果つる色の限りを見するなるらん

     長月のつごもりの日、紅葉に氷魚をつけてお
     こせてはべりけれは
                      千兼がむすめ
0440 宇治山の紅葉を見ずは長月の過ぎ行く日をも知らずぞあらまし

     九月つごもりに
                      貫之
0441 長月の有明の月はありながらはかなく秋は過ぎぬべらなり

     同じつごもりに
                      躬恒
0442 いづ方に夜はなりぬらんおぼつかな明けぬ限りは秋ぞと思はん

   後撰和歌集巻第八
    冬
     題しらず
                      よみ人も
0443 初時雨降れば山辺ぞ思ほゆるいづれの方かまづもみづらん

0444 初時雨降るほどもなく佐保山の梢あまねく移ろひにけり

0445 神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬の始めなりける

0446 冬来れば佐保の河瀬にゐる田鶴も一人寝がたき音をぞ鳴くなる

0447 一人寝る人の聞かくに神無月にはかにも降る初時雨かな

0448 秋果て時雨降りぬる我なれば散る言の葉をなにか恨みむ

0449 吹く風は色も見えねど冬くれば一人寝る夜の身にぞしみける

0450 秋果てて我が身時雨に降りぬれば言の葉さへに移ろひにけり

0451 神無月時雨とともに神無備の森の木の葉は降りにこそ降れ

     女につかはしける
0452 頼む木も枯れ果てぬれば神無月時雨にのみも濡るるころかな

     山へ入るとて
                      増基法師
0453 神無月時雨ばかりを身にそへて知らぬ山路に入るぞかなしき

     神無月ばかりに、大江千古がもとに、「逢は
     む」とてまかりたりけれども、はべらぬほど
     なれば、帰りまで来て、尋ねてつかはしける
                      藤原忠房朝臣
0454 もみぢ葉は惜しき錦と見しかども時雨とともに降り出てぞ来し

     返し
                      大江千古
0455 もみぢ葉も時雨もつらしまれに来て帰らむ人を降りやとどめぬ

     題しらず
                      よみ人も
0456 神無月限りとや思ふもみぢ葉のやむ時もなく夜さへに降る

0457 ちはやぶる神垣山のさか木葉は時雨に色も変らざりけり

     住まぬ家にまで来て紅葉に書きて言ひつかはしける
                      批杷左大臣
0458 人住まず荒れたる宿を来て見れば今ぞ木の葉は錦織りける

     返し
                      伊勢
0459 涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色も濃さまさりけり

     題しらず
                      よみ人も
0460 冬の池の鴨の上毛に置く霜の消えて物思ふころにもあるかな

     親のほかにまかりて遅く帰りければつかはし
     ける、人のむすめのやつなりける
0461 神無月時雨ふ降るにも暮るる日を君待つほどはなかしとぞ思ふ

     題しらず
0462 身を分けて霜や置くらんあだ人の言の葉さへに枯れも行くかな

     冬の日、武蔵につかはしける
0463 人知れず君につけてし我が袖の今朝しもとけずこほるなるべし

     題しらず
0464 かきくらし霰降りしけ白玉をしける庭とも人の見るべく

0465 神無月時雨るる時ぞみ吉野の山の深雪も降り始めける

0466 今朝の嵐寒くもあるかなあしひきの山かき曇り雪ぞ降るらし

0467 黒髪の白くなりゆく身にしあればまづ初雪をあはれとぞ見る

0468 霰降るみ山の里のわびしきは来てたはやすく訪ふ人ぞなき

0469 ちはやぶる神無月こそかなしけれ我が身時雨にふりぬと思へば

     式部卿敦実の親王忍びて通ふ所はべりけるを、
     後々絶え絶えになりはべりければ、妹の前斎
     宮の内親王のもとより、「このごろはいかに
     ぞ」とありければ、その返事に、女
0470 白山に雪降りぬれば跡絶えて今は越路に人も通はず

     雪の朝、老いを嘆きて
                      貫之
0471 降りそめて友待つ雪はむばたまの我が黒髪の変るなりけり

     返し
                      兼輔朝臣
0472 黒髪の色降り変ふる白雪の待ち出づる友はうとくぞ有ける

     又
                      貫之
0473 黒髪と雪との中の憂き見れば友鏡をもつらしとぞ思ふ

     返し
                      兼輔朝臣
0474 年ごとに白髪の数をます鏡見るにぞ雪の友は知りける

     題しらず
                      よみ人も
0475 年ふれど色も変らぬ松が枝にかかれる雪を花とこそ見れ

0476 霜枯れの枝となわびそ白雪の消えぬ限りは花とこそ見れ

0477 氷こそ今はすらしもみ吉野の山の滝つ瀬声も聞こえず

0478 夜を寒み寝覚めて聞けば鴛ぞ鳴く払ひもあへず霜や置くらん

     雪のすこし降る日、女につかはしける
                      藤原蔭基
0479 かつ消えて空に乱るる泡雪は物思ふ人の心なりけり

     師氏朝臣の狩りして家の前よりまかりけるを
     聞きて
                      よみ人しらず
0480 白雪の降りはへてこそ訪はざらめとくる便りを過ぐさざらなん

     題しらず
0481 思ひつつ寝なくに明くる冬の夜の袖の氷は解けずあるかな

0482 荒玉の年を渡りてあるが上に降り積む雪の絶えぬ白山

0483 真薦刈る堀江に浮きて寝る鴨の今夜の霜にいかにわぶらん

0484 白雲の下りゐる山と見えつるは降り積む雪の消えぬなりけり

0485 ふるさとの雪は花とぞ降り積もるながむる我も思ひ消えつつ

0486 流れ行く水こほりぬる冬さへやなほ浮草の跡はとどめぬ

0487 心あてに見ばこそ分かめ白雪のいづれか花の散るに違へる

0488 天の河冬は氷に閉ぢたれや石間にたきつ音だにもせぬ

0489 おしなべて雪の降れれば我が宿の杉を尋ねて訪ふ人もなし

0490 冬の池の水に流るる葦鴨の浮寝ながらにいく夜へぬらん

0491 山近みめづらしげなく降る雪の白くやならん年積もりなば

0492 松の葉にかかれる雪のそれをこそ冬の花とはいふべかりけれ

0493 降る雪は消えてもしばしとまらなん花も紅葉も枝になきころ

0494 涙河身投ぐばかりの淵はあれど氷解けねば行く方もなし

0495 降る雪に物思ふ我が身劣らめや積もり積もりて消えぬばかりぞ

0496 夜ならば月とぞ見まし我が宿の庭白妙に降り積もる雪

0497 梅が枝に降り置ける雪を春近み目のうちつけに花かとぞ見る

0498 いつしかと山の桜も我がごとく年のこなたに春を待つらん

0499 年深く降り積む雪を見る時そこしのしらねにすむ心ちする

0500 年暮くれて春明け方になりぬれば花のためしにまがふ白雪

0501 春近く降る白雪は小倉山峯にぞ花の盛りなりける

0502 冬の池に住む鳰鳥のつれもなく下に通はむ人に知らすな

0503 むばたまの夜のみ降れる白雪は照る月影の積もるなりけり

0504 この月の年のあまりに足らざらば鴬ははや鳴きぞしなまし

0505 関越ゆる道とはなしに近ながら年に障りて春を待つかな
     御匣殿の別当に年をへて言ひわたりはべりけ
     るを、え逢はずしてその年の師走のつごもり
     の日、つかはしける
                      藤原敦忠朝臣
0506 物思ふと過ぐる月日も知らぬまに今年は今日に果てぬとか聞く

   後撰和歌集巻第九
    恋一
     からうじて逢ひ知りてはべりける人に、つつ
     むことありて、逢ひがたくはべりければ
                      源宗于朝臣
0507 東路の小夜の中山なかなかに逢ひ見てのちぞわびしかりける

     しのびたりける人に物語りしはべりけるを人
     の騒がしくはべりければ、まかり帰りてつか
     はしける
                      貫之
0508 暁と何かいひけむ別るれば宵もいとこそわびしかりけれ

     源巨城が通ひはべりけるを後々はまからずな
     りはべりにければ隣の壁の穴より巨城をはつ
     かに見てつかはしける
                      駿河
0509 まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなん春の夜の夢

     あひ知りてはべりける人のもとに返事見むと
     てつかはしける
                      元良親王
0510 来や来やとまづ夕暮れと今はとて帰る朝といづれまされり

     返し
                      藤原かつみ
0511 夕暮れは松にもかかる白露の送る朝や消えば果つらむ

     大和にあひ知りてはべりける人のもとにつか
     はしける
                      よみ人しらず
0512 うち返し君ぞ恋しき大和なる布留の早稲田の思ひ出でつつ

     返し
0513 秋の田の稲てふ事をかけしかば思ひ出づがうれしげもなし

     女につかはしける
0514 人恋ふる心ばかりはそれながら我は我にもあらぬなりけり

     まかる所知らせうはべりけるころ、又あひ知
     りてはべりける男のもとより、「日ごろ訪ね
     わびて、失せにたるとなむ思ひつる」と言へ
     りければ
                      伊勢
0515 思ひ河絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや

     題しらず
                      三統公忠
0516 思ひやる心は常に通へども相坂の関越えずもあるかな

     女につかはしける
                      よみ人しらず
0517 消え果てやみぬばかりか年を経て君を思ひのしるしなければ

     返し
0518 思ひだにしるしなしてふ我が身にぞあはぬなげ木の数は燃えける

     題しらず
0519 ほしがてに濡れぬべきかな唐衣乾く袂の世々になければ

0520 世とともに阿武隈河の遠ければ底なる影を見ぬぞわびしき

0521 我がごとくあひ思ふ人のなき時は深き心もかひなかりけり

0522 いつしかとわが松山に今はとて越ゆなる浪に濡るる袖かな

     女のもとにつかはしける
0523 人言はまことなりけり下紐の解けぬにしるき心と思へば

0524 結び置きし我が下紐の今までに解けぬは人の恋ひぬなりけり

     女の人のもとにつかはしける
0525 ほかの瀬は深くなるらし明日香河昨日の淵ぞわが身なりける

     返し
0526 淵瀬ともいざや白浪立ち騒ぐ我が身一つは寄る方もなし

     題しらず
0527 光待つ露に心を置ける身は消えかへりつつ世をぞ恨むる

     ある所に近江と言ひける人のもとにつかはし
     ける
0528 潮満たぬ海と聞けばや世とともにみるめなくして年の経ぬらん

     敦慶親王まうで来たりけれど、逢はずして帰
     して、又の朝につかはしける
                      桂内親王
0529 唐衣着て帰りにし小夜すがらあはれと思ふを恨むらんはた

     あひ待ちける人の、久しう消息なかりければ
     つかはしける
                      紀乳母
0530 影だにも見えずなりゆく山の井は浅きより又水や絶えにし

     返し
                      平定文
0531 浅してふ事をゆゆしみ山の井は掘りし濁りに影は見えぬぞ

     題しらず
                      よみ人も
0532 いく度か生田の浦に立ち帰る浪に我が身をうち濡らすらん

     返し
0533 立ち帰り濡れては干ぬる潮なれば生田の浦のさがとこそ見れ

     女のもとに
0534 逢ふ事はいとど雲井の大空に立つ名のみしてやみぬばかりか

     返し
0535 よそながらやまんともせず逢ふ事は今こそ雲の絶え間なるらめ

     又、男
0536 今のみと頼むなれども白雲の絶え間はいつかあらんとすらん

     題しらず
0537 をやみせず雨さへ降れば沢水のまさるらんとも思ほゆるかな

0538 夢に谷見る事ぞなき年を経て心のどかに寝る夜なければ

  0539 見そめずてあらまし物を唐衣立つ名のみして着る夜なきかな

     女のもとにつかはしける
0540 枯れ果つる花の心はつらからで時過ぎにける身をぞ恨むる

     返し
0541 あだにこそ散ると見るらめ君にみな移ろひにたる花の心を

     そのほどに帰り来んとてものにまかりける人
     の、ほどを過ぐして来ざりければつかはしけ
     る
0542 来むといひし月日を過ぐす姨捨の山の端つらき物にぞ有ける

     返し
0543 月日をも数へけるかな君恋ふる数をも知らぬ我が身なになり

     女に年を経て心ざしあるよしをのたうびわた
     りけり。女、「なほ今年をだに待ち暮らせ」
     と頼めけるを、その年も暮れて、明くる春ま
     でいとつれなくはべりければ
0544 このめはる春の山田をうち返し思ひやみにし人ぞ恋ひしき

     心ざしありながらえ逢はずはべりける女のも
     とにつかはしける
                      贈太政大臣
0545 ころを経てあひ見ぬ時は白玉の涙も春は色まさりけり

     返し
                      伊勢
0546 人恋ふる涙は春ぞぬるみける絶えぬ思ひのわかすなるべし

     男の、ここかしこに通ひ住む所多くて常にし
     も訪はざりければ、女も又色好みなる名立ち
     けるを、恨みはべりける返事に
                      源頼がむすめ
0547 つらしともいかが怨む郭公我が宿近く鳴く声はせで

     返し
                      敦慶親王
0548 里ごとに鳴きこそ渡れ郭公すみか定めぬ君訪ぬとて

     得がたかるべき女を思ひかけてつかはしける
                      春道列樹
0549 数ならぬ深山隠れの郭公人知れぬ音を鳴きつつぞ経る

     いとしのびたる女にあひ語らひてのち、人目
     につつみて、又逢ひがたくはべりければ
                      是忠親王
0550 逢ふ事の片糸ぞとは知りながら玉の緒ばかり何に縒りけん

     女のもとより忘草に文をつけておこせてはべ
     りければ
                      よみ人しらず
0551 思ふとはいふ物からにともすれば忘るる草の花にやはあらぬ

     返し
                      大輔御といふ人
0552 植ゑて見る我は忘れてあだ人にまづ忘らるる花にぞ有ける

     平定文がもとより、「難波の方へなむまかる」
     と言ひ送りてはべりければ
                      土左
0553 浦わかずみるめ刈るてふ海人の身は何か難波の方へしも行く

     返し
                      定文
0554 君を思ふ深さ比べに津の国の堀江見に行く我にやはあらぬ

     つらくなりにける人につかはしける
                      伊勢
0555 いかでかく心一つをふたしへに憂くもつらくもなして見すらん

     題しらず
                      よみ人も
0556 ともすれば玉に比べします鏡人の宝と見るぞ悲しき

     しのびたる人につかはしける
0557 磐瀬山谷の下水うちしのび人の見ぬ間は流れてぞ経る

     人をあひ知りてのち、久しう消息もつかはさ
     ざりければ
0558 うれしげに君が頼めし言の葉はかたみにくめる水にぞ有りける

     題しらず
0559 行きやらぬ夢路にまどふ袂には天つ空なき露ぞ置きける

0560 身は早く奈良の都となりにしを恋しきことのまだもふりぬか

0561 住吉の岸の白浪寄る寄るは海人のよそめに見るぞ悲しき

0562 君恋ふと濡れにし袖の乾かぬは思ひの外にあればなりけり

0563 逢はざりし時いかなりし物とてかただ今の間も見ねば恋しき

0564 世の中にしのぶる恋のわびしきは逢ひての後のあはぬなりけり

0565 恋をのみ常に駿河の山なれば富士の嶺にのみ泣かぬ日はなし

0566 君により我が身ぞつらき玉垂れの見ずは恋しと思はましやは

     男の初めて女のもとにまかりて、朝に雨の降
     るに帰りてつかはしける
0567 今ぞ知るあかぬ別れの暁は君を恋路に濡るる物とは

     返し
0568 よそに降る雨とこそ聞けおぼつかな何をか人の恋路といふらん

     つらかりけるおとこに
0569 絶えはつる物とは見つつささがにの糸を頼める心細さよ

     返し
0570 うちわたし長き心は八橋の蜘蛛手に思ふ事は絶えせじ

     思ふ人はべりける女に物のたうびけれど、つ
     れなかりければつかはしける
0571 思ふ人思はぬ人の思ふ人思はざらなん思ひ知るべく

     返し
0572 木枯らしの森の下草風早み人のなげ木は生ひそひにけり

     男の異女迎ふるを見て、親の家にまかり帰る
     とて
0573 別れをば悲しき物と聞きしかどうしろやすくも思ほゆるかな

     題しらず
0574 泣きたむる袂凍れる今朝見れば心とけても君を思はず

0575 身を分けてあらまほしくぞ思ほゆる人は苦しといひけるものを

0576 雲井にて人を恋しと思ふかな我は葦辺の田鶴ならなくに

     人につかはしける
                      源等朝臣
0577 浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき

                      兼盛
0578 雨やまぬ軒の玉水数知らず恋しき事のまさるころかな

     「心短きやうに聞こゆる人なり」と言ひけれ
     ば
                      よみ人しらず
0579 伊勢の海にはへてもあまる栲縄の長き心は我ぞまされる

     人につかはしける
0580 色に出でて恋すてふ名ぞ立ちぬべき涙に染むる袖の濃ければ

0581 かく恋ふる物と知りせば夜は置きて明くれば消ゆる露ならましを

0582 あひも見ず嘆きもそめず有りし時思ふ事こそ身になかりしか

0583 恋のごとわりなき物はなかりけりかつむつれつつかつぞ恋しき

     女のもとにつかはしける
0584 わたつ海に深き心のなかりせば何かは君を恨みしもせん

0585 みな神に祈るかひなく涙河浮きても人をよそに見るかな

     返し
0586 祈りけるみな神さへぞ恨めしき今日より外に影の見えねば

     大輔につかはしける
                      右大臣
0587 色深く染めし袂のいとどしく涙にさへも濃さまさるかな

     題しらず
                      よみ人も
0588 見る時は事ぞともなく見ぬ時はこと有り顔に恋しきやなぞ

     男の「来む」とて来ざりければ
0589 山里の真木の板戸も鎖さざりき頼めし人を待ちし宵より

     初めて女のもとにつかはしける
0590 行く方もなく塞かれたる山水のいはまほしくも思ほゆるかな

     女につかはしける
0591 人の上の事とし言へば知らぬかな君も恋する折もこそあれ

     返し
0592 つらからば同じ心につらからんつれなき人を恋ひむともせず

     女につかはしける
0593 人知れず思ふ心は大島のなるとはなしに嘆くころかな

     男のもとにつかはしける
                      中務
0594 はかなくて同じ心になりにしを思ふがごとは思ふらんやぞ

     返し
                      源信明
0595 わびしさを同じ心と聞くからに我が身を捨てて君ぞ悲しき

     まからずなりにける女の、人に名立ちければ
     つかはしける
0596 定めなくあだに散りぬる花よりは常盤の松の色をやは見ぬ

     返し
                      よみ人しらず
0597 住吉の我が身なりせば年経とも松より外の色を見ましや

     男につかはしける
0598 うつつにもはかなきことのあやしきは寝なくに夢の見ゆるなりけり

     女の逢はずはべりけるに
0599 白浪の寄る寄る岸に立寄りて寝も見し物を住吉の松

     男につかはしける
0600 ながらへてあらぬまでにも言の葉の深きはいかにあはれなりけり

   後撰和歌集巻第十
    恋二
     女のもとに初めてつかはしける
                      藤原忠房朝臣
0601 人を見て思ふ思ひもある物を空に恋ふるぞはかなかりける

                      壬生忠岑
0602 一人のみ思へば苦しいかにして同じ心に人を教へむ

                      紀友則
0603 我が心いつならひてか見ぬ人を思ひやりつつ恋しかるらん

     まだ年若かりける女につかはしける
                      源中正
0604 葉を若み保にこそ出でね花薄下の心に結ばざらめや

     人を言ひ始めむとて
                      兼覧王
0605 あしひきの山下繁くはふ葛の尋ねて恋ふる我と知らずや

                      忠房朝臣
0606 隠沼に忍びわびぬる我が身かな井手のかはづとなりやしなまし

     女の曹司に夜々立ち寄りつつ物など言ひての
     ち
                      藤原輔文
0607 阿武隈の霧とはなしに終夜立ち渡りつつ世をも経るかな

     文つかはせども返事もせざりける女のもとに
     つかはしける
                      よみ人しらず
0608 あやしくも厭ふにはゆる心かないかにしてかは思ひやむべき

     国用が音せざりければつかはしける
                      本院右京
0609 ともかくもいふ言の葉の見えぬかないづらは露のかかり所は

     題しらず
                      橘敏仲
0610 わび人のそほづてふなる涙河おりたちてこそ濡れ渡りけれ

     返し
                      大輔
0611 淵瀬とも心も知らず涙河おりや立つべき袖の濡るるに

     又
                      敏中
0612 試みになほおり立たむ涙河うれしき瀬にも流れあふやと

     わざとにはあらで時々物言ひふれはべりける
     女の、心にもあらで人に誘はれてまかりにけ
     れば、宿直物に書きつけてつかはしける
                      藤原敦忠朝臣
0613 かかりける人の心を白露の置ける物とも頼みけるかな

     あひ知りてはべりける女を久しう訪はずはべ
     りければ、「いといたうなむわびはべる」と
     人の告げはべりければ
                      藤原顕忠朝臣
0614 鴬の雲井にわびて鳴く声を春のさがとぞ我は聞きつる

     文通はしける女の、異人に逢ひぬと聞きてつ
     かはしける
                      平時望朝臣
0615 かくばかり常なき世とは知りながら人をはるかに何頼みけん

     男の来ざりければつかはしける
                      小町が姉
0616 我が門の一群薄刈り飼はん君が手馴れの駒も来ぬかな

     題しらず
                      批杷左大臣
0617 世を海の泡と消えぬる身にしあれば恨むる事ぞ数なかりける

     返し
                      伊勢
0618 わたつみと頼めし事もあせぬれば我ぞ我が身のうらは恨むる

     人のもとにつかはしける
                      源等朝臣
0619 東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひ渡るを知る人のなさ

     人につかはしける
                      紀長谷雄朝臣
0620 臥して寝る夢路にだにも逢はぬ身はなほあさましきうつつとぞ思ふ

     女につかはしける
                      よみ人しらず
0621 天の門を明けぬ明けぬと言ひなして空鳴きしつる鳥の声かな

0622 終夜濡れてわびつる唐衣相坂山に路まどひして

     男につかはしける
0623 思へどもあやなしとのみ言はるれば夜の錦の心地こそすれ

     女のもとにつかはしける
0624 音にのみ聞き来し三輪の山よりも杉の数をば我ぞ見えにし

     「己れを思ひ隔てたる心あり」と言へる女の
     返事につかはしける
                      兼輔朝臣
0625 難波潟刈り積む葦のあしづつのひとへも君を我や隔つる

     遠き所にまかりける道よりやむごとなきこと
     によりて京へ人つかはしけるついでに、文の
     端に書きつけはべりける
                      よみ人しらず
0626 我がごとや君も恋ふらん白露の起きても寝ても袖ぞ乾かぬ

     あひ知りてはべりける人のもとより久しく訪
     はずして、「いかにぞ、まだ生きたりや」と
     戯れてはべりければ
0627 つらくともあらんとぞ思ふよそにても人や消ぬると聞かまほしさに

     人のもとにしばしばまかりけれど、逢ひがた
     くはべりければ、物に書きつけはべりける
                      在原業平朝臣
0628 暮れぬとて寝て行くべくもあらなくにたどるたどるも帰るまされり

     男はべる女をいとせちに言はせはべりけるを、
     女「いとわりなし」と言はせければ
                      元良親王
0629 わりなしと言ふこそかつはうれしけれおろかならずと見えぬと思へば

     女のもとより心ざしのほどをなんえ知らぬと
     言へりければ
                      藤原興風
0630 我が恋を知らんと思はば田子の浦に立つらん浪の数を数へよ

     言ひ交しける女のもとより、「なほざりに言
     ふにこそあんめれ」と言へりければ
                      貫之
0631 色ならば移るばかりも染めてまし思ふ心をえやは見せける

     物のたうびける女のもとに文つかはしたりけ
     るに、心地悪しとて返事もせざりければ、又
     つかはしける
                      大江朝綱朝臣
0632 あしひきの山ゐはすとも文通ふ跡をも見ぬは苦しき物を

     おほつぶねに物のたうびつかはしけるを、さ
     らに聞き入れざりければつかはしける
                      貞元親王
0633 おほかたはなぞや我が名の惜しからん昔のつまと人に語らむ

     返し
                      おほつぶね
0634 人はいさ我はなき名の惜しければ昔も今も知らずとを言はん

     返事せざりける女の文をからうじて得て
                      よみ人しらず
0635 跡見れば心なぐさの浜千鳥今は声こそ聞かまほしけれ

     同じ所にて見交しながらえ逢はざりける女に
0636 河と見て渡らぬ中に流るるはいはで物思ふ涙なりけり

     心ざしありける女につかはしける
                      橘公頼朝臣
0637 天雲に鳴き行く雁の音にのみ聞き渡りつつ逢ふよしもなし

                      貫之
0638 住の江の浪にはあらねど世とともに心を君に寄せわたるかな

     兵衛につかはしける
                      よみ人しらず
0639 見ぬほどに年の変れば逢ふことのいやはるばるに思ほゆるかな

     まかり出でて御文つかはしたりければ
                      中将更衣
0640 今日過ぎば死なまし物を夢にてもいづこをはかと君が訪はまし

     御返し
                      延喜御製
0641 うつつにぞ訪ふべかりける夢とのみまどひしほどやはるけかりけん

     題しらず
                      藤原千兼
0642 流れては行く方もなし涙河我が身のうらや限りなるらん

                      在原棟梁
0643 我が恋の数にしとらば白妙の浜の真砂も尽きぬべらなり

                      貫之
0644 涙にも思ひの消ゆる物ならばいとかく胸は焦がさざらまし

                      坂上是則
0645 しるしなき思ひやなぞと葦田鶴の音に鳴くまでに逢はずわびしき

     年久しく通はしはべりける人につかはしける
                      貫之
0646 玉の緒の絶えて短き命もて年月長き恋もするかな

     題しらず
                      平定文
0647 我のみや燃えて消えなん世とともに思ひもならぬ富士の嶺のごと

     返し
                      紀乳母
0648 富士の嶺の燃えわたるともいかがせん消ちこそ知らね水ならぬ身は

     心させる女の家のあたりにまかりて言ひ入れ
     はべりける
                      貫之
0649 わびわたる我が身は露を同じくは君が垣根の草に消えなん

     題しらず
                      在原元方
0650 みるめ刈る渚やいづこあふごなみ立ち寄る方も知らぬ我が身は

     春宮に鳴戸といふ戸のもとに女と物言ひける
     に、親の戸を鎖して立てて率て入りにければ、
     又の朝につかはしける
                      藤原滋幹
0651 鳴門よりさし出だされし舟よりも我ぞよるべもなき心地せし

     題しらず
                      よみ人も
0652 高砂の峯の白雲かかりける人の心を頼みけるかな

     長明親王の母の更衣里にはべりけるにつかはしける
                      延喜御製
0653 よそにのみ松ははかなき住の江の行きてさへこそ見まくほしけれ

     題しらず
                      等朝臣
0654 かげろふに見しばかりにや浜千鳥行方も知らぬ恋にまどはむ

     あり所は知りながらえ逢ふまじかりける人につかはしける
                      藤原兼茂朝臣
0655 わたつみの底のありかは知りながらかづきて入らむ浪の間ぞなき

     女の許につかはしける
                      橘実利朝臣
0656 つらしとも思ひぞ果てぬ涙河流れて人を頼む心は

     返し
                      よみ人しらず
0657 流れてと何頼むらん涙河影見ゆべくも思ほえなくに

     人を言ひわづらひてつかはしける
                      平定文
0658 何事を今は頼まむちはやぶる神も助けぬ我が身なりけり

     返し
                      おほつぶね
0659 ちはやぶる神も耳こそ馴れぬらしさまざま祈る年も経ぬれば

     女のもとにまかりたりけるを、ただにて返し
     はべりければ、言ひ入れはべりける
                      貫之
0660 恨みても身こそつらけれ唐衣着ていたづらに返すと思へば

     あひ知りてはべりける人を、久しう訪はずし
     てまかりたりければ、門より返しつかはしけ
     るに
                      壬生忠岑
0661 住吉の松に立ち寄る白浪の帰る折にや音は泣かるらん

     男のもとより「今は異人あんなれば」と言へ
     りければ、女に代りて
                      よみ人しらず
0662 思はむと頼めし事もある物をなき名を立ててただに忘れね

     返し
0663 春日野の飛火の野守見し物をなき名と言はば罪もこそ得れ

     題しらず
0664 忘られて思ふ嘆きの繁るをや身をはづかしの森といふらん

     人の心変りにければ
                      右近
0665 思はむと頼めし人は有りと聞く言ひし言の葉いづち往にけん

     定国朝臣の御息所、清蔭朝臣と陸奥国にある
     所々を尽くして歌によみ交して、「今はよむ
     べき所なし」と言ひければ
                      源清蔭朝臣
0666 さてもなほ籬の島の有りければ立ち寄りぬべく思ほゆるかな

     異女の文を、妻の「見む」と言ひけるに、見
     せざりければ、恨みけるに、その文の裏に書
     きつけてつかはしける
                      よみ人しらず
0667 これはかく恨む所もなき物をうしろめたくは思はざらなん

     久しう逢はざありける女につかはしける
                      源信明
0668 思ひきや逢ひ見ぬことをいつよりと数ふばかりになさむ物とは

     題しらず
                      藤原治方
0669 世の常の音をし泣かねば逢ふ事の涙の色もことにぞありける

                      大伴黒主
0670 白浪の寄する磯間を漕ぐ舟の舵取りあへぬ恋もするかな

                      源浮
0671 恋しさは寝ぬに慰むともなきにあやしく逢はぬ目をも見るかな

     年経て言ひわたりはべりける女に
                      源俊
0672 久しくも恋ひわたるかな住の江の岸に年経る松ならなくに

     題しらず
                      藤原清正
0673 逢ふ事の世々を隔つる呉竹の節の数なき恋もするかな

     かれがたになりける人に、末もみぢたる枝に
     つけてつかはしける
                         よみ人しらず
0674 今はてふ心筑波の山見れば梢よりこそ色変りけれ

     女のもとより帰りて、朝につかはしける
                      源重光朝臣
0675 帰りけむ空も知られず姨捨の山より出でし月を見し間に

     兼輔朝臣に逢ひはじめて、常にしも逢はざり
     けるほどに
                      清正が母
0676 ふりとけぬ君が雪げの雫ゆゑ袂にとけぬ氷しにけり

     方塞たがりけるころ、違へにまかるとて
                      藤原有文朝臣
0677 片時も見ねば恋しき君を置きてあやしやいく夜ほかに寝ぬらん

     題しらず
                      大江千古
0678 思ひやる心にたぐふ身なりせば一日に千度君は見てまし

     忍びて通ひはべりける女のもとより狩装束送
     りてはべりけるに、摺れる狩衣はべりけるに
                      元良親王
0679 逢ふ事は遠山鳥の狩衣着てはかひなき音をのみぞ鳴く

     題しらず
                      敦慶親王
0680 深くのみ思ふ心は葦の根の分けても人に逢はんとぞ思ふ

     忍びて逢ひわたりはべりける人に
                      藤原忠国
0681 漁火の夜はほのかに隠しつつ有りへば恋の下に消ぬべし

     寛平の帝、御髪下させたまうてのころ、御帳
     のめぐりにのみ人はさぶらはせたまうて、近
     う寄せられざりければ、書きて御帳に結び付
     けける
                      小八条御息所
0682 立ち寄らば影踏むばかり近けれど誰れか勿来の関を据ゑけん

     男のもとにつかはしける
                      土左
0683 我が袖は名に立つ末の松山か空より浪の越えぬ日はなし

     「月をあはれと言ふは忌むなり」と言ふ人の
     ありければ
                      よみ人しらず
0684 一人寝のわびしきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる

     男のもとにつかはしける
0685 唐錦惜しき我が名は立ち果てていかにせよとか今はつれなき

     初めて人につかはしける
0686 人づてに言ふ言の葉の中よりぞ思ひ筑波の山は見えける

     はつかに人を見てつかはしける
                      貫之
0687 便りにもあらぬ思ひのあやしきは心を人につくるなりけり

     人の家より物見に出づる車を見て、心つきに
     おぼえはべりければ、「誰そ」と尋ね問ひけ
     れば、出でける家の主人と聞きてつかはしけ
     る
                      よみ人しらず
0688 人妻に心あやなく掛け橋のあやうき道は恋にぞ有りける

     人を思ひかけて心地もあらずや有りけん、物
     も言はずして、日暮るれば、起きも上らずと
     聞きて、この思ひかけたる女のもとより、「
     などかく好き好きしくは」と言ひてはべりけ
     れば
0689 言はで思ふ心荒磯の浜風に立つ白浪の寄るぞわびしき

     心かけてへべりけれど、言ひつかむ方もなく、
     つれなきさまの見えければ、つかはしける
0690 一人のみ恋ふれば苦し呼子鳥声に鳴き出でて君に聞かせん

     男の女に文つかはしけるを、返事もせで絶え
     にければ、又つかはしける
0691 ふしなくて君が絶えにし白糸は縒りつきがたき物にぞ有りける

     男の旅よりまで来て、「今なんまで来着きた
     る」と言ひてはべりける返事に
0692 草枕この旅経つる年月の憂きは帰りてうれしからなん

     男のほど久しうありてまで来て、「み心のい
     とつらさに十二年の山籠もりしてなん、久し
     う聞こえざりつる」と言ひ入れたりければ、
     呼び入れて物など言ひて、返しつかはしける
     が、又音もせざりければ
0693 出でしより見えずなりにし月影は又山の端に入りやしにけん

     返し
0694 あしひきの山に生ふてふ諸葛もろともにこそ入らまほしけれ

     人を思ひかけてつかはしける
                      平定文
0695 浜千鳥頼むを知れと踏みそむる跡うち消つな我を越す浪

     返し
                      おほつぶね
0696 行く水の瀬ごとに踏まむ跡ゆゑに頼むしるしをいづれとか見む

     人のもとに初めて文つかはしたりけるに、返
     事はなくて、ただ紙をひき結びて返したりけ
     れば
                      源庶明朝臣
0697 つまに生ふることなし草を見るからに頼む心ぞ数まさりける

     かくておこせてはべりけれど、宮仕へする人
     なりければ、暇なくて、又の朝に常夏の花に
     付けておこせてはべりける
0698 置く露のかかる物とは思へども枯れせぬ物は撫子の花

     返し
0699 枯れずともいかが頼まむ撫子の花は常盤の色にしあらねば

   後撰和歌集巻第十一
    恋三
     女につかはしける
                      三条右大臣
0700 名にし負はば相坂山のさね葛人に知られで来るよしもがな

                      在原元方
0701 恋しとは更にも言はじ下紐の解けむを人はそれと知らなん

     返し
                      よみ人しらず
0702 下紐のしるしとするも解けなくに語るかごとはあらずもあるかな

     女のいと思ひ離れて言ふにつかはしける
0703 うつつにもはかなき事のわびしきは寝泣くに夢と思ふなりけり

     宮仕へする女の逢ひがたくはべりけるに
                      貫之
0704 手向けせぬ別れする身のわびしきは人目を旅と思ふなりけり

     かりそめなる所にはべりける女に、心変りに
     ける男の、「ここにては、かく便なき所なれ
     ば、心ざしはありながらなむ、え立ち寄らぬ」
     と言へりければ、所を変へて待ちけるに、見
     えざりければ
     女
0705 宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな

     題しらず
                      よみ人も
0706 思はむと頼めし人は変らじを訪はれぬ我やあらぬなるらん

     源信明「頼むことなくは死ぬべし」と言へり
     ければ
                      中務
0707 いたづらにたびたび死ぬと言ふめれば逢ふには何を変へむとすらん

     返し
                      源信明
0708 死ぬ死ぬと聞く聞くだにも逢ひ見ねば命をいつの世にか残さむ

     時々見えける男のゐる所の障子に鳥のかたを
     描きつけてはべりければ、あたりに押しつけ
     はべりける
                      本院侍従
0709 絵に描ける鳥とも人を見てしがな同じ所を常に訪ふべく

     大納言国経朝臣の家にはべりける女に、平定
     文いと忍びて語らひはべりて、行く末まで契
     りはべりけるころ、この女にはかに贈太政大
     臣に迎へられて渡りはべりにければ、文だに
     も通はす方なくなりにければ、かの女の子の
     五つばかりなるが本院の西の対に遊び歩きけ
     るを呼び寄せて「母に見せたてまつれ」とて、
     腕に書きつけはべりける
                      平定文
0710 昔せし我がかね事の悲しきはいかに契りしなごりなるらん

     返し
                      よみ人しらず
0711 うつつにて誰れ契りけん定めなき夢路にまどふ我は我かは

     朝廷使ひにて、東の方へまかりけるほどに、
     初めてあひ知りてはべる女に、「かくやむご
     となき道なれば、心にもあらずまかりぬる」
     など申して下りはべりけるを、後に改め定め
     らるる事ありて召し還されければ、この女聞
     きて喜びながら訪ひにつかはしたりければ、
     道にて人の心ざし送りてはべりける呉服とい
     ふ綾を二むら包みてつかはしける
                      清原諸実
0712 呉服あやに恋しく有りしかばふたむら山も越えずなりにき

     返し
                      よみ人しらず
0713 唐衣裁つを惜しみし心こそふたむら山の関となりけめ

     人のもとにつかはしける
                      清成が女
0714 夢かとも思ふべけれどおぼつかな寝ぬに見しかばわきぞかねつる

     少将真忠通ひはべりける所をさりて、こと女
     につきてそれより春日の使ひに出で立ちてま
     かりければ
                      もとの女
0715 空知らぬ雨にも濡るる我が身かな三笠の山をよそに聞きつつ

     朝顔の花前にありける曹司より、男の開け出
     ではべりけるに
                      よみ人しらず
0716 もろともに居るともなしにうちとけて見えにけるかな朝顔の花

     内裏に参りて久しう音せざりける男に
                      女
0717 ももしきは斧の柄朽たす山なれや入りにし人の訪づれもせぬ

     女のもとに衣を脱ぎ置きてとりにつかはすと
     て
                      伊尹朝臣
0718 鈴鹿山伊勢をの海人の捨て衣潮馴れたりと人や見るらん

     題しらず
                      貫之
0719 いかで我人にも問はむ暁のあかぬ別れや何に似たりと

                      在原行平朝臣
0720 恋しきに消えかへりつつ朝露の今朝は置きゐむ心地こそせね

                      よみ人しらず
0721 しののめにあかで別れし袂をぞ露や分けしと人はとがむる

                      平中興
0722 恋しきも思ひこめつつある物を人に知らるる涙なになり

     からうじて逢へりける女に、つつむことはべ
     りて、又え逢はずはべりければつかはしける
                      兼輔朝臣
0723 相坂の木の下露に濡れしより我が衣手は今も乾かず

     題しらず
                      躬恒
0724 君を思心を人にこゆるぎの磯の玉藻や今も刈らまし

     親ある女に忍びて通ひけるを、男も「しばし
     は人に知られじ」と言ひはべりければ
                      よみ人しらず
0725 なき名ぞと人には言ひて有りぬべし心の問はばいかが答へん

     なき名立ちけるころ
                      伊勢
0726 清けれど玉ならぬ身のわびしきは磨ける物に言はぬなりけり

     忍びて住みなべりける女につかはしける
                      敦忠朝臣
0727 逢ふ事をいざ穂に出でなん篠薄忍び果つべき物ならなくに

     あひ語らひける人、これもかれもつつむこと
     有りて、離れぬべくはべりければつかはしけ
     る
                      よみ人しらず
0728 あひ見ても別るる事のなかりせばかつがつ物は思はざらまし

     人のもとより暁帰りて
                      閑院左大臣
0729 いつの間に恋しかるらん唐衣濡れにし袖の干る間ばかりに

                      貫之
0730 別れつるほども経なくに白浪の立ち帰りても見まくほしきか

     女のもとにつかはしける
                      伊尹朝臣
0731 人知れぬ身は急げども年を経てなど越えがたき相坂の関

     返し
                      小野好古朝臣の女
0732 東路に行き交ふ人にあらぬ身はいつかは越えん相坂の関

     女のもとにつかはしける
                      藤原清正
0733 つれもなき人に負けじとせしほどに我もあだ名は立ちぞしにける

     かれがたになりにける男のもとに装束調じて
     贈れりけるに、「かかるからに、うとき心地
     なんする」と言へりければ
                      小野遠興が女
0734 つらからぬ中にあるこそ疎しと言へ隔て果ててし衣にやはあらぬ

     五節の所にて、閑院の大君につかはしける
                      師尹朝臣
0735 常盤なる日蔭のかづら今日しこそ心の色に深く見えけれ

     返し
0736 誰れとなくかかるおほみに深からん色を常盤にいかが頼まん

     藤壺の人々月夜にありきけるを見て、一人が
     もとにつかはしける
                      清正
0737 誰れとなくおぼろに見えし月影に分ける心を思ひしらなん

     左兵衛督師尹朝臣につかはしける
                      本院兵衛
0738 春をだに待たで鳴きぬる鴬はふるすばかりの心なりけり

     題しらず
                      兼茂朝臣が女
0739 夕されば我が身のみこそ悲しけれいづれの方に枕定めむ

                      在原元方
0740 夢にだにまだ見えなくに恋しきはいつにならへる心なるらん

                      壬生忠岑
0741 思ふてふ事をぞねたく古しける君にのみこそ言ふべかりけれ

                      戒仙法師
0742 あな恋し行きてや見まし津の国の今も有りてふ浦の初島

     やむごとなき事によりて遠き所にまかりて、
     「立たむ月ばかりになんまかり帰るべき」と
     言ひてまかり下りて、道よりつかはしける
                      貫之
0743 月かへて君をば見むと言ひしかど日だに隔てず恋しきものを

     同じ所に宮仕へしはべりて常に見ならしける
     女につかはしける
                      躬恒
0744 伊勢の海に塩焼く海人の藤衣馴るとはすれどあはぬ君かな

     題しらず
                      是則
0745 わたの底かづきて知らん君がため思ふ心の深さ比べに

     人の男にてはべる人をあひ知りてつかはしけ
     る
                      右近
0746 唐衣かけて頼まぬ時ぞなき人のつまとは思ふものから

     人のもとにまかれりけるに、簾の外に据ゑて
     物言ひけるを、簾を引き上げければ、いたく
     騒ぎければ、まかり帰りて又の朝につかはし
     ける
                      藤原守正
0747 荒かりし浪の心はつらけれどす越しに寄せし声ぞ恋しき

     あひ知りてはべりける女の、心ならぬやうに
     見えはべりければつかはしける
                      藤原千蔭朝臣
0748 いづ方に立ち隠れつつ見よとてか思ひ隈なく人のなり行く

     男の心やうやうかれがたに見え行きければ
                      土左
0749 つらきをも憂きをもよそに見しかども我が身に近き世にこそ有りけれ

     女に心ざしあるよしを言ひつかはしたりけれ
     ば、世の中の人の心定めなければ頼みがたき
     よしを言ひてはべりければ
                      在原元方
0750 淵は瀬になり変るてふ飛鳥河渡り見てこそ知るべかりけれ

     題しらず
                      伊勢
0751 厭はるる身をうれはしみいつしかと飛鳥河をも頼むべらなり

     返し
                      贈太政大臣
0752 飛鳥河塞きてとどむる物ならば淵瀬になると何か言はせん

     女四内親王に贈りける
                      右大臣
0753 葦田鶴の沢辺に年は経ぬれども心は雲の上にのみこそ

     返し
0754 葦田鶴の雲居にかかる心あらば世を経て沢に住まずぞあらまし

     消息つかはしける女の、又異人に文つかはす
     と聞きて、「今は思ひ絶えね」と言ひ送りて
     はべりける返事に
                      贈太政大臣
0755 松山につらきながらも浪越さむ事はさすがに悲しき物を

     宮仕へしはべりける女、ほど久しくありて「
     物言はむ」と言ひはべりけるに、遅くまかり
     ければ
                      批杷左大臣
0756 宵の間にはや慰めよ石上の神ふりにし床もうち払ふべく

     返し
                      伊勢
0757 わたつみとあ荒れにし床を今更に払はば袖や泡と浮きなん

     心ざしありて言ひ交しける女のもとより、人
     かずならぬやうに言ひてはべりければ
                      長谷雄朝臣
0758 潮の間に漁りする海人も己が世々かひ有りとこそ思ふべらなれ

     題しらず
                      贈太政大臣
0759 あぢきなくなどか松山浪越さむ事をばさらに思ひ離るる

     返し
                      伊勢
0760 岸もなく潮し満ちなば松山を下にて浪は越さむとぞ思ふ

     守り置きてはべりける男の心変りにければ、
     その守りを返しやるとて
                      伊衡朝臣の女今君
0761 世とともに嘆きこりつむ身にしあればなぞや守りのあるかひもなき

     人の心つらくなりにければ、袖といふ人を使
     ひにて
                      よみ人しらず
0762 人知れぬ我が物思ひの涙をば袖につけてぞ見すべかりける

     文などおこする男ほかざまになりぬべしと聞
     きて
                      藤原真忠が妹
0763 山の端にかかる思ひの絶えざらば雲井ながらもあはれと思はん

     町尻の君に文つかはしたりける返事に、「見
     つ」とのみありければ、つかはしける
                      師氏朝臣
0764 泣き流す涙のいとど添ひぬればはかなき水も袖濡らしけり

     題しらず
                      源頼
0765 夢のごとはかなき物はなかりけり何とて人に逢ふと見つらん

     心ざしはべりける女のつれなきに
                      よみ人しらず
0766 思ひ寝の夜な夜な夢に逢ふ事をただ片時のうつつともがな

     返し
0767 時の間のうつつをしのぶ心こそはかなき夢にまさらざりけれ

     題しらず
                      黒主
0768 玉津嶋深き入江を漕ぐ舟の浮きたる恋も我はするかな

                      紀内親王
0769 津の国の名には立たまく惜しみこそすくも焚く火の下に焦るれ

     人のもとにまかりて入れざりければ、簀子に
     臥し明かして帰るとて言ひ入れはべりける
                      よみ人しらず
0770 夢路にも宿貸す人のあらませば寝覚めに露は払はざらまし

     返し
0771 涙河流す寝覚めもある物を払ふばかりの露や何なり

     心ざしはありながら、え逢はざりける人につ
     かはしける
0772 みるめ刈る方ぞ近江になしと聞く玉藻をさへや海人はかづかぬ

  返し
0773 名のみして逢ふ事浪のしげき間にいつか玉藻を海人はかづかむ

     心ざしありて人に言ひ交しはべりけるを、つ
     れなかりければ言ひわづらひてやみにけるを、
     思ひ出でて言ひ送りける返事に、「心ならぬ
     さまなり」と言へりければ
0774 葛木や久米路の橋にあらばこそ思ふ心を中空にせめ

     人のもとにつかはしける
                      右大臣
0775 隠沼に住む鴛鴦の声絶えず鳴けどかひなき物にぞ有りける

     釣殿内親王につかはしける
                      陽成院御製
0776 筑波嶺の峯より落つるみなの河恋ぞ積もりて淵となりける

     あひ知りてはべりける人のまうで来ずなりて
     のち、心にもあらず声をのみ聞くばかりにて、
     又音もせずはべりければつかはしける
                      よみ人しらず
0777 雁が音の雲居はるかに聞こえしは今は限りの声にぞありける

     返し
                      兼覧王
0778 今はとて行き帰りぬる声ならば追ひ風にても聞こえましやは

     男のけしきやうやうつらげに見えければ
                      小町
0779 心から浮きたる舟に乗りそめて一日も浪に濡れぬ日ぞなき

     男の心つらく思ひかれにけるを、女「なほざ
     りになどか音もせぬ」と言ひつかはしたりけ
     れば
                      よみ人しらず
0780 忘れなんと思ふ心のやすからばつれなき人を恨みましやは

     宵に女に逢ひて「かならず後に逢はん」と誓
     言を立てさせて朝につかはしける
                      藤原滋幹
0781 ちはやぶる神ひきかけて誓ひてし言もゆゆしくあらがふなゆめ

     院の大和に扇つかはすとて
                      右大臣
0782 思ひには我こそ入りてまどはるれあやなく君や涼しかるべき

     兼通朝臣かれがたになりて、年越えて訪らひ
     てはべりければ
                      元平親王女
0783 あらたまの年も越えぬる松山の浪の心はいかがなるらむ

     元の妻に帰り住むと聞きて男のもとにつかは
     しける
                      よみ人しらず
0784 我がためはいとど浅くやなりぬらん野中の清水深さまされば

     女のもとにつかはしける
                      源中正
0785 近江路をしるべなくても見てしがな関のこなたはわびしかりけり

     返し
                      下野
0786 道知らでや止やはしなぬ相坂の関のあなたは海といふなり

     女のもとにまかりたるに、「はや帰りね」と
     のみ言ひければ
                      よみ人しらず
0787 つれなきを思ひしのぶのさねかづら果ては来るをも厭ふなりけり

     敦慶親王の家に大和といふ人につかはしける
                      左大臣
0788 今更に思ひ出でじとしのぶるを恋しきにこそ忘れわびぬれ

     言ひ交しける女の「今は思ひ忘れね」と言ひ
     はべりければ
                      長谷雄朝臣
0789 我がためは見るかひもなし忘草忘るばかりの恋にしあらねば

     忍びて通ひける人に
                      藤原有好
0790 逢ひ見てもつつむ思ひのわびしきは人間にのみぞ音は泣かれける

     物言ひはべりける男言ひわづらひて、「いか
     がはせん、否とも言ひ放ちてよ」と言ひはべ
     りければ
                      よみ人しらず
0791 を山田の苗代水は絶えぬとも心の池のいひは放たじ

     方違へに人の家に人を具してまかりて帰りて
     つかはしける
0792 千世経むと契り置きてし姫松の根ざしそめてし宿は忘れじ

     物言ひける女の蝉の殻をつつみてつかはすと
     て
                      源重光朝臣
0793 これを見よ人もすさめぬ恋すとて音を鳴く虫のなれる姿を

     人のもとより帰りまできてつかはしける
                      坂上是則
0794 逢ひ見ては慰むやとぞ思ひしになごりしもこそ恋しかりけれ

   後撰和歌集巻第十二
    恋四
     女につかはしける
                      敏行朝臣
0795 我が恋の数を数へば天の原曇りふたがり降る雨のごと

     忘れにける女を思ひ出でてつかはしける
                      よみ人しらず
0796 うち返し見まくぞほしき故郷の大和撫子色や変れる

     女につかはしける
                      批杷左大臣
0797 山彦の声に立たでも年は経ぬ我が物思ひを知らぬ人聞け

     身より余れる人を思ひかけてつかはしける
                      紀友則
0798 玉藻刈る海人にはあらねどわたつみの底ひも知らず人心かな

     返事もはべらざりければ、又かさねてつかは
     しける
0799 海松もなく海布もなき海の磯に出でて帰る帰るも恨みつるかな

     あだに見え侍ける男に
                      よみ人しらず
0800 こりずまの浦の白浪立出でて寄るほどもなく帰るばかりか

     逢ひ知りてはべりける人の近江の方へまかり
     ければ
0801 関越えて粟津の森の逢はずとも清水に見えし影を忘るな

     返し
0802 近ければ何かはしるし相坂の関の外ぞと思ひ絶えなん

     つらくなりにける男のもとに「今は」とて装
     束など返しつかはすとて
                      平中興が女
0803 今はとて梢にかかる空蝉の殻を見むとは思はざりしを

     返し
                      源巨城
0804 忘らるる身を空蝉の唐衣返すはつらき心なりけり

     物言ひける女の鏡をかりて返すとて
                      よみ人しらず
0805 影にだに見えもやすると頼みつるかひなく恋をます鏡かな

     男の、物など言ひつかはしける女の田舎の家
     にまかりて叩きけれども、聞きつけずやあり
     けん、門も開けずなりにければ、田のほとり
     に蛙の鳴きけるを聞きて
0806 あしひきの山田のそほづうちわびて一人蛙の音をぞ泣きぬる

     文つかはしける女の母の「恋をし恋ひば」と
     言へりけるが、年ごろ経にければつかはしけ
     る
0807 種はあれど逢ふ事かたき岩の上の松にて年を経るはかひなし

     女につかはしける
                      贈太政大臣
0808 ひたすらに厭ひはてぬる物ならば吉野の山に行方知られじ

     返し
                      伊勢
0809 我が宿と頼む吉野に君し入らばおなじかざしを挿しこそはせめ

     題しらず
                      よみ人も
0810 紅に袖をのみこそ染めてけれ君を恨むる涙かかりて

     つれなく見えける人につかはしける
0811 紅に涙うつると聞きしをばなどいつはりと我が思ひけん

     返し
0812 紅に涙し濃くは緑なる袖も紅葉と見えましものを

     あひ住みける人、心にもあらで別れにけるが、
     「年月を経ても逢ひ見む」と書きてはべりけ
     る文を見出でてつかはしける
0813 いにしへの野中の清水見るからにさしぐむ物は涙なりけり

     思ふ事はべりて男のもとにつかはしける
0814 天雲の晴るるよもなく降る物は袖のみ濡るる涙なりけり

     方塞がりとて男の来ざりければ
0815 逢ふ事の方塞がりて君来ずは思ふ心の違ふばかりぞ

     あひ語らひける人の久しう来ざりければつか
     はしける
0816 常盤にと頼めし事は待つほどの久しかるべき名にこそありけれ

     題しらず
0817 濃さまさる涙の色もかひぞなき見すべき人のこの世ならねば

     女のもとにつかはしける
0818 住吉の岸に来寄よする沖つ浪間なくかけても思ほゆるかな

     返し
                      伊勢
0819 住の江の目に近からば岸にゐて浪の数をもよむべきものを

     つらかりける人のもとにつかはしける
0820 恋ひて経むと思ふ心のわりなさは死にても知れよ忘れがたみに

     返し
                      贈太政大臣
0821 もしもやと逢ひ見む事を頼まずはかく経るほどにまづぞけなまし

     題しらず
                      よみ人も
0822 逢ふとだにかたみに見ゆる物ならば忘るるほどもあらましものを

0823 音にのみ声を聞くかなあしひきの山下水にあらぬものから

     秋霧の立ちたる翌朝、「いとつらければ、こ
     の度ばかりなむ言ふべき」と言ひたりければ
                      伊勢
0824 秋とてや今はかぎりの立ちぬらむ思ひにあへぬものならなくに

     心の内に思ふことやありけん
0825 見し夢の思ひ出でらるる宵ごとに言はぬを知るは涙なりけり

     題しらず
                      よみ人も
0826 白露の置きて逢ひ見ぬ事よりは衣返しつつ寝なんとぞ思ふ

     人のもとにつかはしける
0827 言の葉はなげなる物と言ひながら思はぬためは君も知るらん

     女のもとにつかはしける
                      朝忠朝臣
0828 白浪のうち出づる浜の浜千鳥跡や尋ぬるしるべなるらん

     女につかはしける
                      大江朝綱朝臣
0829 大島に水を運びし早舟の早くも人に逢ひ見てしがな

     「伊勢なむ人に忘られて嘆きはべる」と聞き
     てつかはしける
                      贈太政大臣
0830 ひたぶるに思ひなわびそ古さるる人の心はそれぞ世の常

     返し
                      伊勢
0831 世の常の人の心をまだ見ねば何かこの度消えぬべきものを

     浄蔵「鞍馬の山へなん入る」と言へりければ
                      平中興が女
0832 墨染の鞍馬の山に入る人はたどるたどるも帰り来ななん

     あひ知りてはべりける人のまれにのみ見えけ
     れば
                      伊勢
0833 日を経ても影に見ゆるは玉葛つらきながらも絶えぬなりけり

     わざとにはあらず時々物言ひはべりける女、
     ほど久しう訪はずはべりければ
                      よみ人しらず
0834 高砂の松を緑と見し事は下の紅葉を知らぬなりけり

     返し
0835 時分かぬ松の緑も限りなき思ひにはなほ色や萌ゆらん

     ただ文交すばかりにて年経はべりける人につ
     かはしける
0836 水鳥のはかなき跡に年を経て通ふばかりのえにこそ有りけれ

     返し
0837 浪の上に跡やは見ゆる水鳥の浮きて経ぬらん年は数かは

     消息つかはしける女のもとより「稲舟の」と
     いふことを返事に言ひはべりければ、頼みて
     言ひわたりけるに、なほ逢ひがたきけしきに
     はべりければ、「しばしとありしを、いかな
     ればかくは」と言へりける返事につかはしけ
     る
0838 流れ寄る瀬々の白浪浅ければとまる稲舟帰るなるべし

     返し
                      三条右大臣
0839 最上河深きにもあへず稲舟の心軽くも帰るなるかな

     いと忍びて語らふ人のおろかなるさまに見え
     ければ
                      よみ人しらず
0840 花薄穂に出づる事もなき物をまだき吹きぬる秋の風かな

     心ざしおろかに見えける人につかはしける
                      中興が女
0841 待たざりし秋は来ぬれど見し人の心はよそになりも行くかな

     返し
                      源是茂朝臣
0842 君を思ふ心長さは秋の夜にいづれまさると空に知らなん

     ある所に近江といふ人をいと忍びて語らひは
     べりけるを、夜明けて帰りけるを人見てささ
     やきければ、その女のもとにつかはしける
                      坂上常景
0843 鏡山明けて来つれば秋霧の今朝や立つらん近江てふ名は

     あひ知りてはべる女の、人にあだ名立ちはべ
     りけるにつかはしける
                      平希世朝臣
0844 枝もなく人に折らるる女郎花根をだに残せ植ゑし我がため

     人のもとにまかりてはべるに、呼び入れねば、
     簀子に臥し明かしてつかはしける
                      藤原成国
0845 秋の田のかりそめ臥しもしてけるがいたづら稲を何につままし

     平かねきがやうやうかれがたになりにければ
     つかはしける
                      中務
0846 秋風の吹くにつけても訪はぬかな荻の葉ならば音はしてまし

     年月を経て消息しはべりける人につかはしけ
     る
                      よみ人しらず
0847 君見ずていく世経ぬらん年月の経るとともにも落つる涙か

     女につかはしける
0848 なかなかに思ひかけては唐衣身に馴れぬをぞ恨むべらなる

     返し
0849 恨むともかけてこそ見め唐衣身に馴れぬればふりぬとか聞く

     人につかはしける
0850 嘆けどもかひなかりけり世の中に何に悔しく思ひそめけん

     忘れがたになりはべりける男につかはしける
                      承香殿中納言
0851 来ぬ人を松の枝に降る白雪の消えこそかへれくゆる思ひに

     忘れはべりにける女につかはしける
                      よみ人しらず
0852 菊の花うつる心を置く霜にかへりぬべくも思ほゆるかな

     返し
0853 今はとてうつりはてにし菊の花かへる色をば誰れか見るべき

     人の女にいと忍びて通ひはべりけるに、気色
     を見て親の守りければ、五月長雨のころつか
     はしける
0854 ながめしてもりもわびぬる人目かないつか雲間のあらんとすらん

     まだ逢はずはべりける女のもとに「死ぬべし」
     と言へりければ、返事に、「早死ねかし」と
     言へりければ、又つかはしける
0855 同じくは君と並びの池にこそ身を投げつとも人に聞かせめ
 

     女につかはしける
0856 かげろふのほのめきつれば夕暮れの夢かとのみぞ身をたどりつる

     返し
0857 ほの見ても目馴れにけりと聞くからに臥し返りこそ死なまほしけれ

     消息しばしばつかはしけるを、父母はべりて
     制しはべりければ、え逢ひはべらで
                      源善朝臣
0858 近江てふ方のしるべも得てしがなみるめなきこと行きて恨みん

     返し
                      春澄善縄朝臣の女
0859 相坂の関と守らるる我なれば近江てふらん方も知られず

     女のもとにつかはしける
                      善朝臣
0860 あしひきの山下水の木隠れてたぎつ心をせきぞかねつる

     返し
                      よみ人しらず
0861 木隠れてたぎつ山水いづれかは目にしも見ゆる音にこそ聞け

     人のもとより帰りてつかはしける
                      貫之
0862 暁のなからましかば白露の置きてわびしき別れせましや

     返し
                      よみ人しらず
0863 起きて行く人の心を白露の我こそまづは思ひ消えぬれ

     女のもとに、男「かくしつつ世をやつくさむ
     高砂の」といふ事を言ひつかはしたりければ
0864 高砂の松と言ひつつ年を経て変らぬ色と聞かば頼まむ

     人の女のもとに忍びつつ通ひはべりけるを、
     親聞きつけて、いといたく言ひければ帰りて
     つかはしける
                      貫之
0865 風をいたみくゆる煙の立ち出でてもなほこりずまの浦ぞ恋しき

     初めて女のもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0866 言はねども我が限りなき心をば雲居に遠き人も知らなん

     題しらず
0867 君が音に暗部の山の郭公いづれあだなる声まさるらん

     消息通はしける女、おろかなるさまに見えは
     べりければ
0868 恋ひて寝る夢路に通ふたましひの馴るるかひなくうとき君かな

     女につかはしける
0869 篝火にあらぬ思ひのいかなれば涙の河に浮きて燃ゆらん

     人のもとにまかりて朝につかはしける
0870 待ち暮らす日は菅の根に思ほえて逢ふよしもなど玉の緒ならん

     大江千里、まかり通ひける女を思ひかれがた
     になりて、「遠き所にまかりにたり」と言は
     せて、久しうまからずなりにけり。この女思
     ひわびて寝たる夜の夢に、まうで来たりと見
     えければ、疑ひにつかはしける
0871 はかなかる夢のしるしにはかられてうつつに負くる身とやなりなん

     かくてつかはしたりければ、千里見はべりて
     なほざりに「まことに一昨日なん帰りまうで
     来しかど、心地の悩ましくてなんありつる」
     とばかり言ひ送りてはべりければ、重ねてつ
     かはしける
0872 思ひ寝の夢と言ひてもやみなましなかなか何に有りと知りけん

     大和守にはべりける時、かの国の介藤原清秀
     が女を迎へむと契りて、公事によりてあから
     さまに京に上りたりけるほどに、この女、真
     延法師に迎へられてまかりにければ、国に帰
     りて尋ねてつかはしける
                        忠房朝臣
0873 いつしかの音に泣きかへり来しかども野辺の浅茅は色づきにけり

     消息つかはしける女の返事に「まめやかにし
     もあらじ」など言ひてはべりければ
0874 ひきまゆのかくふた籠りせまほしみ桑こきたれて泣くを見せばや

     ある人の女あまたありけるを姉よりはじめて
     言ひはべりけれど聞かざりければ、三にあた
     る女につかはしける
                      よみ人しらず
0875 関山の峯の杉村過ぎ行けど近江はなほぞはるけかりける

     朝忠朝臣久しう音もせで文おこせてはべりけ
     れば
0876 思ひ出でて訪れしける山彦の答へに懲りぬ心なになり

     いと忍びてまかり歩きて
0877 まどろまぬものからうたてしかすがにうつつにもあらぬ心地のみする

     返し
0878 うつつにもあらぬ心は夢なれや見てもはかなき物を思へば

     太秦わたりに大輔がはべりけるにつかはしけ
     る
                      小野道風朝臣
0879 限りなく思ひ入り日のともにのみ西の山辺をながめやるかな

     女五の内親王に
                      忠房朝臣
0880 君が名の立つにとがなき身なりせばおほよそ人になして見ましや

     返し
                      女五内親王
0881 絶えぬると見れば逢ひぬる白雲のいとおほよそに思はずもがな

     御匣殿にはじめてつかはしける
                      敦忠朝臣
0882 今日そゑに暮れざらめやはと思へども耐へぬは人の心なりけり

     道風忍びてまうで来けるに、親聞きつけて制
     しければつかはしける
                      大輔
0883 いとかくてやみぬるよりは稲妻の光の間にも君を見てしが

     大輔かもとにまうで来たりけるにはべらざり
     ければ、帰りて又の朝につかはしける
                      朝忠朝臣
0884 いたづらに立ち帰りにし白浪のなごりに袖の干る時もなし

     返し
                      大輔
0885 何にかは袖の濡るらん白浪のなごり有りげも見えぬ心を

     好古朝臣「さらに逢はじ」と誓言をして、又
     の朝につかはしける
                      蔵内侍
0886 誓ひてもなほ思ふには負けにけり誰がため惜しき命ならねば

     忍びてまかりけれど、逢はざりければ
                      道風
0887 難波女に見つとはなしに葦の根の夜の短くて明くるわびしさ

     物言はむとてまかりたりけれど、先立ちてむ
     ね棟用がはべりければ、「早帰りね」と言ひ
     出だしてはべりければ
0888 帰るべき方もおぼえず涙河いづれか渡る浅瀬なるらん

     返し
                      大輔
0889 涙河いかなる瀬より帰りけん見なるる水脈もあやしかりしを

     大輔がもとにつかはしける
                      敦忠朝臣
0890 池水の言ひ出づる事のかたければみごもりながら年ぞ経にける

   後撰和歌集巻第十三
    恋五
     題しらず
                      在原業平朝臣
0891 伊勢の海に遊ぶ海人ともなりにしか浪かき分けてみるめかづかむ

     返し
                      伊勢
0892 おぼろけの海人やはかづく伊勢の海の浪高き浦の生ふるみるめは

     つれなく見えはべりける人に
                      よみ人しらず
0893 つらしとや言ひ果ててまし白露の人に心は置かじと思ふを

     題しらず
0894 ながらへば人の心も見るべきに露の命ぞ悲しかりける

                      小野小町が姉
0895 一人寝る時は待たるる鳥の音もまれに逢ふ夜はわびしかりけり

     女の恨みおこせてはべりければつかはしける
                      深養父
0896 空蝉のむなしき殻になるまでも忘れんと思ふ我ならなくに

     あだなる男をあひ知りて、心ざしはありと見
     えながら、なほ疑はしくおぼえければつかは
     しける
                      よみ人しらず
0897 いつまでのはかなき人の言の葉か心の秋の風を待つらん

     題しらず
0898 うたた寝の夢ばかりなる逢ふ事を秋の夜すがら思ひつるかな

     女のもとにまかりたりけるに、門を鎖して開
     けざりければ、まかり帰りて朝につかはしけ
     る
                      兼輔朝臣
0899 秋の夜の草のとざしのわびしきは明くれど明けぬものにぞ有りける

     返し
                      よみ人しらず
0900 言ふからにつらさぞまさる秋の夜の草のとざしに障るべしやは

     桂内親王に住みはじめける間に、かの内親王
     あひ思はぬけしきなりければ
                      貞数親王
0901 人知れず物思ふころの我が袖は秋の草葉に劣らざりけり

     忍びたる人につかはしける
                      贈太政大臣
0902 しづはたに思ひ乱れて秋の夜の明くるも知らず嘆きつるかな

     消息は通はしけれど、まだ逢はざりける男を、
     これかれ「逢ひにけり」と言ひ騒ぐを、「あ
     らがはざなり」と恨みつかはしたりければ
                      よみ人しらず
0903 蓮葉の上はつれなきうらにこそ物あらがひはつくと言ふなれ

     男のつらうなり行くころ、雨の降りければつ
     かはしける
0904 降りやめば跡だに見えぬうたかたの消えてはかなき世を頼むかな

     女のもとにまかりてえ逢はで帰りてつかはし
     ける
0905 逢はでのみあまたの世をも帰るかな人目のしげき相坂に来て

     女に物言ふ男二人ありけり。一人が返事すと
     聞きて、いま一人がつかはしける
0906 なびく方有りけるものをなよ竹の世に経ぬ物と思ひけるかな

     女の心変りぬべきを聞きてつかはしける
0907 音に泣けば人笑へなり呉竹の世に経ぬをだに勝ちぬと思はん

     文つかはしける女の、親の伊勢へまかりけれ
     ば、共にまかりけるにつかはしける
0908 伊勢の海人と君しなりなば同じくは恋しきほどにみるめ刈らせよ

     一条がもとに「いとなん恋しき」と言ひにや
     りたりければ、鬼のかたを描きてやるとて
                      一条
0909 恋しくは影をだに見て慰めよ我がうちとけてしのぶ顔なり

     返し
                      伊勢
0910 影見ればいとど心ぞまどはるる近からぬ気のうときなりけり

     人の女に忍びて通ひはべりけるに、つらげに
     見えはべりければ、消息ありける返事に
                      よみ人しらず
0911 人言の憂きをも知らずありかせし昔ながらの我が身ともがな

     見慣れたる女に又物言はむとてまかりたりけ
     れど、声はしながら隠れければつかはしける
0912 郭公なつきそめてしかひもなく声をよそにも聞きわたるかな

     人のもとに初めてまかりて、翌朝つかはしける
0913 常よりも起き憂かりつる暁は露さへかかる物にぞ有りける

     忍びてまで来ける人の霜のいたく降りける夜
     まからで翌朝つかはしける
0914 置く霜の暁起きを思はずは君が夜殿に夜がれせましや

     返し
0915 霜置かぬ春より後のながめにもいつかは君が夜がれせざりし

     心にもあらで久しく訪はざりける人のもとに
     つかはしける
                      源英明朝臣
0916 伊勢の海のあまのまでかたいとまなみながらへにける身をぞ恨むる

     得がたうはべりける女の家の前よりまかりけ
     るを見て、「いづこへ行くぞ」と言ひ出だし
     てはべりければ
                      藤原為世
0917 逢ふ事のかた野へとてそぞ我は行く身を同じ名に思ひなしつつ

     題しらず
                      よみ人も
0918 君があたり雲井に見つつ宮路山うち越え行かん道も知らなく

     男の返事につかはしける
                      俊子
0919 思ふてふ言の葉いかになつかしな後憂き物と思はずもがな

     題しらず
                      兼茂朝臣の女
0920 思ふてふ事こそ憂けれ呉竹のよにふる人の言はぬなければ

                      よみ人しらず
0921 思はむと我を頼めし言の葉は忘草とぞ今はなるらし

     男の病にわづらひてまからで久しくありてつ
     かはしける
0922 今までも消えて有りつる露の身は置くべき宿のあれはなりけり

     返し
0923 言の葉もみな霜枯れになり行くは露の宿りもあらじとぞ思ふ

     恨みおこせてはべりける人の返事に
0924 忘れむと言ひし事にもあらなくに今は限りと思ふ物かは

0925 うつつには臥せど寝られず起き返り昨日の夢をいつか忘れん

     女につかはしける
0926 ささら浪間なく立つめる浦をこそ世に浅しとも見つつ忘れめ

     西四条の斎宮まだ内親王にものしたまひし時、
     心ざしありて思ふ事はべりける間に、斎宮に
     定まりたまひにければ、その明くる朝に賢木
     の枝にさして、さし置かせはべりける
                      敦忠朝臣
0927 伊勢の海の千尋の浜に拾ふとも今は何てふ貝かあるべき

     朝頼朝臣年ごろ消息通はしはべりける女のも
     とより、「用なし、今は思ひ忘れね」とばか
     り申して久しうなりにければ、異女に言ひつ
     きて、消息もせずなりにければ
                      本院のくら
0928 忘れねと言ひしにかなふ君なれど訪はぬはつらき物にぞ有りける

     題しらず
                      よみ人も
0929 春霞はかなく立ちて別るとも風よりほかに誰か訪ふべき

     返し
                      伊勢
0930 目に見えぬ風に心をたぐへつつやらば霞の別れこそせめ

     土左がもとより消息はべりける返事につかは
     しける
                      貞元親王
0931 深緑染めけん松の枝にしあらば薄き袖にも浪は寄せてん

     返し
                      土左
0932 松山の末越す浪のえにしあらば君が袖には跡もとまらじ

     女のもとより「定めなき心あり」など申した
     りければ
                      贈太政大臣
0933 深く思ひそめつと言ひし言の葉はいつか秋風吹きて散りぬる

     男の心変る気色なりければ、ただなりける時、
     この男の心ざせりける扇に書きつけてはべり
     ける
                      よみ人しらず
0934 人をのみ恨むるよりは心からこれ忌まざりし罪と思はん

     忍びたる女のもとに消息つかはしたりければ
0935 あしひきの山下しげく行く水の流れてかくし問はば頼まん

     男の忘れはべりにければ
                      伊勢
0936 わび果つる時さへ物の悲しきはいづこを忍ぶ心なるらむ

     親の守りける女を、「否とも諾とも言ひ放て」
     と申しければ
0937 否諾とも言ひ放たれず憂き物は身を心ともせぬ世なりけり

     男のいかにぞえまうで来ぬことと言ひてはべ
     りければ
                      よみ人しらず
0938 来ずやあらん来やせんとのみ河岸の松の心を思ひやらなん

     泊まれと思ふ男の出でてまかりければ
0939 しひて行く駒の脚折る橋をだになどわがやどに渡さざりけん

     物言ひける人の久しう訪れざりける、からう
     じてまうで来たりけるに、「などか久しう」
     と言へりければ
0940 年を経て生けるかひなき我が身をば何かは人に有りと知られん

     いと忍びてまうで来きたりける男を制しける
     人ありけり。ののしりければ帰りまかりてつ
     かはしける
0941 漁りする時ぞわびしき人知れず難波の浦に住まふ我が身は

     公頼朝臣、今まかりける女のもとにのみまか
     りければ
                      寛湛法師の母
0942 ながめつつ人待つ宵の呼子鳥いづ方へとか行き帰るらん

     忍びたる人に
                      よみ人しらず
0943 人言の頼みがたさは難波なる葦の裏葉の恨みつべしな

     忍びて通ひはべりける人、「今帰りて」など
     頼め置きて朝廷の使ひに伊勢の国にまかりて
     帰りまうで来て久しう訪はずはべりければ
                      少将内侍
0944 人はかる心の隈はきたなくて清き渚をいかで過ぎけん

     返し
                      兼輔朝臣
0945 誰がために我か命を長浜の浦に宿りをしつつかは来し

     女のもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0946 せきもあへず淵にぞまどふ涙河渡るてふ瀬を知るよしもがな

     返し
0947 淵ながら人通はさじ涙河渡らば浅き瀬をもこそ見れ

     常にまうで来て物など言ふ人の、「今はなま
     うでこそ。人もうたて言ふなり」と言ひ出だ
     してはべりければ
0948 来て帰る名をのみぞ立つ唐衣下結ふ紐の心解けねば

     左大臣河原に出であひてはべりければ
                      内侍平子
0949 絶えぬとも何思ひけん涙河流逢瀬も有りけるものを

     大輔につかはしける
                      左大臣
0950 今ははや深山を出でて郭公け近き声を我に聞かせよ

     返し
0951 人はいさ深山隠れの郭公ならはぬ里は住み憂かるへし

     左大臣につかはしける
                      中務
0952 有りしだに憂かりしものをあかずとていづこに添ふるつらさなるらん

     右近につかはしける
                      左大臣
0953 思ひわび君がつらきに立ち寄らば雨も人目も漏らさざらなん

     高明朝臣に笛を贈るとて
                      よみ人しらず
0954 笛竹の本の古音は変るとも己が世々にはならずもあらなん

     異女に物言ふと聞きて元の妻の内侍のふすべ
     はべりければ
                      好古朝臣
0955 目も見えず涙の雨の時雨るれば身の濡れ衣は干るよしもなし

     返し
                      中将内侍
0956 憎からぬ人の着せけん濡れ衣は思ひにあへず今乾きなん

     題しらず
                      小野道風
0957 おほかたは瀬とだにかけじ天の河深き心を淵と頼まむ

     返し
                      よみ人しらず
0958 淵とても頼みやはする天の河年に一度渡るてふ瀬を

     御匣殿の別当につかはしける
                      清蔭朝臣
0959 身のならん事をも知らず漕ぐ舟は浪の心もつつまざりけり

     事出で来て後に京極御息所につかはしける
                      元良親王
0960 わびぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はんとぞ思ふ

     忍びて御匣殿の別当にあひ語らふと聞きて父
     の左大臣の制しはべりければ
                      敦忠朝臣
0961 いかにしてかく思ふてふ事をだに人づてならで君に語らん

     公頼朝臣の女に忍びて住みはべりけるに、わ
     づらふ事ありて、「死ぬべし」と言へりけれ
     ば、つかはしける
                      朝忠朝臣
0962 もろともにいざと言はずは死出の山越ゆとも越さむ物ならなくに

     年を経て語らふ人のつれなくのみはべりけれ
     ば、移ろひたる菊につけてつかはしける
                      清蔭朝臣
0963 かくばかり深き色にも移ろふをなほ君菊の花と言はなん

     人のもとにまかりたりけるに、門よりのみ帰
     しけるに、からうじて簾のもとに呼び寄せて、
     「かうてさへや心行かぬ」と言ひ出だしたり
     ければ
                      よみ人しらず
0964 いさやまだ人の心も白露の置くにも外にも袖のみぞひつ

     人のもとにまかりけるを、逢はでのみ返しは
     べりければ、道より言ひつかはしける
0965 寄る潮の満ち来るそらも思ほえず逢ふこと浪に帰ると思へば

     人を思ひかけて言ひわたりはべりけるを待ち
     遠にのみはべりければ
0966 数ならぬ身は山の端にあらねども多くの月を過ぐしつるかな

     久しく言ひわたりはべりけるに、つれなくの
     みはべりければ
                      業平朝臣
0967 頼めつつ逢はで年経る偽りに懲りぬ心を人は知らなん

     返し
                      伊勢
0968 夏虫の知る知るまどふ思ひをば懲りぬ悲しと誰れか見ざらん

     返事せぬ人につかはしける
                      よみ人しらず
0969 うちわびて呼ばはむ声に山彦の答へぬそらはあらじとぞ思ふ

     返し
0970 山彦の声のまにまに問ひ行かばむなしき空に行きや帰らん

     かく言ひ通はすほどに三年ばかりになりはべ
     りにければ
0971 荒玉の年の三年はうつせみのむなしき音をや泣きて暮さむ

     題しらず
0972 流れ出づる涙の河の行く末は遂に近江の海と頼まん

     雨の降る日、人につかはしける
0973 雨降れど降らねど濡るる我が袖のかかる思ひに乾かぬやなぞ

     返し
0974 露ばかり濡るらん袖の乾かぬは君が思ひのほどや少なき

     女のもとにまかりたるに、立ちながら帰した
     れば、道よりつかはしける
0975 常よりもまどふまどふぞ帰りつる逢ふ道もなき宿に行きつつ

     雨にも障らずまで来て、そら物語りなどしけ
     る男の門よりわたるとて、「雨のいたく降れ
     ばなんまかり過ぎぬる」と言ひたれば
0976 濡れつつも来ると見えしは夏引きの手引きに絶えぬ糸にや有りけん

     人に忘られてはべりける時
0977 数ならぬ身は浮草となりななんつれなき人に寄るべ知られじ

     思ひ忘れにける人のもとにまかりて
0978 夕闇は道も見えねど古里はもと来し駒にまかせてぞ来る

     返し
0979 駒にこそまかせたりけれあやなくも心の来ると思ひけるかな

     朝綱朝臣の女に文などつかはしけるを、異女
     に言ひつきて久しうなりて、秋訪らひてはべ
     りければ
0980 いづ方に事づてやりて雁が音の逢ふことまれに今はなるらん

     男のかれ果てぬに、異男をあひ知りてはべり
     けるに、元の男の東へまかりけるを聞きてつ
     かはしける
0981 有りとだに聞くべきものを相坂の関のあなたぞはるけかりける

     返し
0982 関守があらたまるてふ相坂のゆふつけ鳥は鳴きつつぞ行く

     又、女のつかはしける
0983 行き帰り来ても聞かなん相坂の関にかはれる人も有りやと

     返し
0984 守る人のあるとは聞けど相坂の関も止めぬ我が涙かな

     かれにける男の思ひ出でてまで来て、物など
     言ひて帰りて
0985 葛木や久米路にわたす岩橋のなかなかにても帰りぬるかな

     返し
0986 仲絶えて来る人もなき葛城の久米路の橋は今もあやうし

     白き衣ども着たる女どものあまた月明かきに
     はべりけるを見て、朝に一人がもとにつかは
     しける
                      藤原有好
0987 白雲のみな一群に見えしかど立ち出でて君を思ひそめてき

     女のもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0988 よそなれど心ばかりはかけたるをなどか思ひに乾かざるらん

     題しらず
0989 我が恋の消ゆる間もなく苦しきは逢はぬ嘆きや燃えわたるらん

     返し
0990 消えずのみ燃ゆる思ひは遠けれど身も焦がれぬる物にぞ有りける

     又、男
0991 上にのみおろかに燃ゆるかやり火のよにもそこには思ひ焦がれじ

     又、返し
0992 河とのみ渡るを見るに慰まで苦しきことぞいやまさりなる

     又、男
0993 水まさる心地のみして我がためにうれしき瀬をば見せじとやする

   後撰和歌集巻第十四
    恋六
     人のもとにつかはしける
                      よみ人しらず
0994 逢ふ事を淀に有りてふ美豆の森つらしと君を見つるころかな

     返し
0995 美豆の森もるこのごろのながめには恨みもあへず淀の河浪

     みづからまで来てよもすがら物言ひはべりけ
     るに、ほどなく明けはべりにければ、まかり
     帰りて
0996 憂き世とは思ふものから天の戸の明くるはつらき物にぞ有りける

     女のもとにつかはしける
0997 恨むれど恋ふれど君が世とともに知らず顔にてつれなかるらん

     返し
0998 恨むとも恋ふともいかが雲居よりはるけき人を空に知るべき

     言ひわづらひてやみにける人に久しうありて、
     又つかはしける
0999 しづはたに経つるほどなり白糸の絶えぬる身とは思はざらなん

     返し
1000 経つるより薄くなりにししづはたの糸は絶えてもかひやなからん

     男のまで来て、好き事をのみしければ、人や
     いかが見るらんとて
1001 来る事は常ならずとも玉葛頼みは絶えじと思ふ心あり

     返し
1002 玉葛頼め来る日の数はあれど絶え絶えにてはかひなかりけり

     男の久しう訪れざりければ
1003 いにしへの心はなくやなりにけん頼めしことの絶えて年経る

     返し
1004 いにしへも今も心のなければぞ憂きをも知らで年をのみ経る

     男のただなりける時には常にまうで来けるが、
     物言ひて後は門より渡れどまで来ざりければ
1005 絶えたりし昔だに見し宇治橋を今は渡ると音にのみ聞く

     言ひわびて二年ばかり音もせずなりにける男
     の、五月ばかりにまうで来て、「年ごろ久し
     うありつる」など言ひてまかりにけるに
1006 忘られて年経る里の郭公なにに一声鳴きて行くらん

     題しらず
1007 訪ふやとて杉なき宿に来にけれど恋しきことぞしるべなりける

     物言ひわびて女のもとに言ひやりける
1008 露の命いつとも知らぬ世の中になどかつらしと思ひ置かるる

     女のほかにはべりけるを、そこにと教ふる人
     もはべらざりければ、心づから訪ひてはべり
     ける返事につかはしける
1009 狩り人の尋ぬる鹿は印南野に逢はでのみこそあらまほしけれ

     忍びたる女のもとより「などか音もせぬ」と
     申たりければ
                      右大臣
1010 小山田の水ならなくにかくばかり流rそめては絶えんものかは

     男のまで来でありありて雨の降る夜、大傘を
     乞ひにつかはしたりければ
                      伊衡朝臣の女今君
1011 月にだに待つほど多く過ぎぬれば雨もよに来じと思ほゆるかな

     初めて人につかはしける
                      よみ人しらず
1012 思ひつつまだ言ひそめぬ我が恋を同じ心に知らせてしがな

     言ひわづらひてやみにけるを、又思ひ出でて
     訪らひはべりければ、「いと定めなき心かな」
     と言ひて、飛鳥河の心を言ひつかはしてはべ
     りければ
1013 飛鳥河心の内に流るれば底のしがらみいつか淀まん

     思ひかけたる女のもとに
                      朝頼朝臣
1014 富士の嶺をよそにぞ聞きし今は我が思ひに燃ゆる煙なりけり

     返し
                      よみ人しらず
1015 しるしなき思ひとぞ聞く富士の嶺もかごとばかりの煙なるらん

     言ひ交しける男の親いといたう制すと聞きて、
     女の言ひつかはしける
1016 言ひさしてとどめらるなる池水の波いづかたに思ひ寄るらん

     同じ所にはべりける人の思ふ心はべりけれど、
     言はで忍びけるをいかなる折にかありけん、
     あたりに書きて落しける
1017 知られじな我が人知れぬ心もて君を思ひの中に燃ゆとは

     心ざしをはあはれと思へど、「人目になんつ
     つむ」と言ひてはべりければ
1018 逢ふばかりなくてのみ経る我が恋を人目にかくる事のわびしさ

     題しらず
1019 夏衣身には馴るとも我がために薄き心はかけずもあらなん

1020 いかにして事語らはん郭公嘆きの下に鳴けばかひなし

1021 思ひつつ経にける年をしるべにて慣れぬる物は心なりけり

     文などつかはしける女の、異男につきはべり
     けるにつかはしける
                      源整
1022 我ならぬ人住の江の岸に出でて難波の方を恨みつるかな

     整かれがたになりはべりにければ、留め置き
     たる笛をつかはすとて
                      よみ人しらず
1023 濁り行く水には影の見えばこそ葦まよふえを留めても見め

     菅原大臣の家にはべりける女に通ひはべりけ
     る男、仲絶えて、又訪ひてはべりければ
1024 菅原や伏見の里の荒れしより通ひし人の跡も絶えにき

     女の男を厭ひてさすがにいかがおぼえけん、
     言へりける
1025 ちはやぶる神にもあらぬ我が仲の雲居はるかになりも行くかな

     返し
1026 ちはやぶる神にも何にたとふらん己れ雲居に人をなしつつ

     女三内親王に
                      敦慶親王
1027 浮き沈み淵瀬に騒ぐ鳰鳥はそこものどかにあらじとぞ思ふ

     甲斐に人の物言ふと聞きて
                      藤原守文
1028 松山に浪高き音ぞ聞こゆなる我より越ゆる人はあらじを

     男のもとに雨降る夜、傘をやりて呼びけれど、
     来ざりければ
                      よみ人しらず
1029 さして来と思ひし物を三笠山かひなく雨の漏りにけるかな

     返し
1030 もる目のみあまた見ゆれば三笠山知る知るいかがさして行くべき

     女のもとより「いといたくな思ひわびそ」と
     頼めおこせてはべりければ
1031 慰むる言の葉にだにかからずは今も消ぬべき露の命を

     元良親王のみそかに住みはべりける、「今、
     来む」と頼めて来ずなりにければ
                      兵衛
1032 人知れず待つに寝られぬ有明の月にさへこそ欺かれけれ

     忍びて住みはべりける人のもとより、「かか
     る気色、人に見すな」と言へりければ
                      元方
1033 龍田河立ちなば君が名を惜しみ岩瀬の森の言はじとぞ思ふ

     宇多院にはべりける人に消息つかはしける、
     返事もはべらざりければ
                      よみ人しらず
1034 宇多の野は耳なし山か呼子鳥呼ぶ声にだに答へざるらん

     返し
                      女五内親王
1035 耳なしの山ならずとも呼子鳥何かは聞かん時ならぬ音を

     つれなくはべりける人に
                      忠岑
  1036 恋ひわびて死ぬてふことはまだなきを世のためしにもなりぬべきかな

     立ち寄りけるに、女逃げて入りければつかは
     しける
                      よみ人しらず
1037 影見れば奥へ入りける君によりなどか涙の外へは出づらん

     逢ひにける女の、又逢はざりければ
1038 知らざりし時だに越えじ相坂をなど今更に我まどふらん

     女のもとにまかりそめて、朝に
                      藤原蔭基
1039 あかずして枕の上に別れにし夢路を又も訪ねてしがな

     男の訪はずなりにければ
                      よみ人しらず
1040 音もせずなりも行くかな鈴鹿山越ゆてふ名のみ高く立ちつつ

     返し
1041 越えぬてふ名をな恨みそ鈴鹿山いとど間近くならんと思ふを

     女に物言はんとて来たりけれど、異人に物言
     ひければ、帰りて
1042 我がためにかつはつらしと深山木の樵りとも懲りぬかかる恋せじ

     返し
1043 あふごなき身とは知る知る恋すとて嘆きこりつむ人はよきかは

     人につかはしける
                      戒仙法師
1044 朝ごとに露は置けども人恋ふる我が言の葉は色も変らず

     来て物言ひける人の、おほかたはむつましか
     りけれど、近うはえあらずして
                        よみ人しらず
1045 間近くてつらきを見るは憂けれども憂きは物かは恋しきよりは

     女のもとにつかはしける
                      藤原真忠
1046 筑紫なる思ひ染河渡りなば水やまさらん淀む時なく

     返し
                      よみ人しらず
1047 渡りてはあだになるてふ染河の心つくしになりもこそすれ

     男のもとより「花盛りに来む」と言ひて来ざ
     りければ
1048 花盛り過ごし人はつらけれど言の葉をさへかくしやはせん

     男の久しう訪はざりければ
                      右近
1049 訪ふことを待つに月日はこゆるぎの磯にや出でて今は恨みん

     あひ知りてはべりける人のもとに久しうまか
     らざりければ、「忘草なにをか種と思ひしは」
     と言ふことを言ひつかはしたりければ
                      よみ人しらず
1050 忘草名をもゆゆしみかりにても生ふてふ宿は行きてだに見じ

     返し
1051 憂きことのしげき宿には忘草植ゑてだに見じ秋ぞわびしき

     女ともろともにはべりて
1052 数知らぬ思ひは君にあるものを置き所なき心地こそすれ

     返し
1053 置き所なき思ひとし聞きつれば我にいくらもあらじとぞ思ふ

     元長親王に夏の装束して贈るとてそへたりけ
     る
                      南院式部卿親王の女
1054 我が裁ちて着るこそ憂けれ夏衣おほかたとのみ見べき薄さを

     久しう訪はざりける人の思ひ出でて、「今宵
     まうで来ん。門鎖さであひまてと申してまで
     来ざりければ
                      よみ人しらず
1055 八重葎や鎖してし門を今更に何に悔しく開けて待ちけん

     人を言ひわづらひて、異人にあひはべりて後、
     いかがありけん、初めの人に思ひかへりて、
     ほど経にければ、文はやらずして、扇に高砂
     のかた描きたるにつけてつかはしける
                      源庶明朝臣
1056 さを鹿の妻なき恋を高砂の尾上の小松聞きも入れなん

     返し
                      よみ人しらず
1057 さを鹿の声高砂に聞こえしは妻なき時の音にこそ有りけれ

     思ふ人にえ逢ひはべらで忘られにければ
1058 せきもあへず涙の河のせ瀬を早みかからむ物と思ひやはせし

     題しらず
1059 瀬を早み絶えず流るる水よりも絶えせぬ物は恋にぞ有りける

1060 恋ふれども逢ふ夜なき身は忘草夢路にさへや生ひ繁るらん

1061 世の中の憂きはなべてもなかりけり頼む限りぞ恨みられける

     頼めたりける人に
1062 夕されば思ひぞしげき待つ人の来むや来じやの定めなければ

     女につかはしける
                      源善朝臣
1063 厭はれて帰り越路の白山は入らぬにまどふ物にぞ有りける

     題しらず
                      よみ人も
1064 人並みにあらぬ我が身は難波なる葦の根のみぞ下に泣かるる

1065 白雲の行くべき山は定まらず思ふ方にも風は寄せなん

1066 世の中になほ有明けの月なくて闇にまどふを訪はぬつらしな

     定まらぬ心ありと女の言ひたりければ、つか
     はしける
                      贈太政大臣
1067 飛鳥河せきてとどむる物ならば淵瀬になるとなどか言はれん

     久しうまかり通はずなりにければ、十月ばか
     りに雪の少し降りたる朝に言ひはべりける
                      右近
1068 身をつめばあはれとぞ思ふ初雪の降りぬることも誰れに言はまし

     源正明朝臣、十月ばかりに、常夏を折りて贈
     りてはべりければ
                      よみ人しらず
1069 冬なれど君が垣ほに咲きければむべ常夏に恋しかりけり

     女の、恨むることありて親のもとにまかり渡
     りてはべりけるに、雪の深く降りてはべりけ
     れば、朝に女の迎へに車つかはしける消息に
     加へてつかはしける
                      兼輔朝臣
1070 白雪の今朝は積もれる思ひかな逢はで降る夜のほども経なくに

     返し
                      よみ人しらず
1071 白雪の積もる思ひも頼まれず春より後はあらじと思へば

     心ざしはべる女、宮仕へしはべりければ、逢
     ふことかたくてはべりけるに、雪の降るにつ
     かはしける
1072 我が恋ひし君があたりを離れねば降る白雪も空に消ゆらん

     返し
1073 山隠れ消えせぬ雪のわびしきは君松の葉にかかりてぞ降る

     物言ひはべりける女に、年の果てのころほひ
     つかはしける
                      藤原時雨
1074 あらたまの年は今日明日越えぬべし相坂山を我や遅れん

   後撰和歌集巻第十五
    雑一
     仁和帝、嵯峨の御時の例にて芹河に行幸した
     まひける日
                      在原行平朝臣
1075 嵯峨の山行幸絶えにし芹河の千世の古道跡は有りけり

     同じ日、鷹飼ひにて狩衣の袂に鶴のかたを縫
     ひて、書きつけたりける
1076 翁さび人なとがめそ狩衣今日ばかりとぞ田鶴も鳴くなる
      行幸の又の日なん致仕の表たてまつりける

     紀友則まだ官たまはらざりける時、ことのつ
     いではべりて、「年はいくらばかりにかなり
     ぬる」と問ひはべりければ、「四十余になん
     なりぬる」と申ければ
                      贈太政大臣
1077 今までになどかは花の咲かずして四十年余り年ぎりはする

     返し
                      友則
1078 はるばるの数は忘れず有りながら花咲かぬ木を何に植ゑけん

     外吏にしばしばまかりありきて、殿上下りて
     はべりける時、兼輔朝臣のもとに贈りはべり
     ける
                      平中興
1079 世とともに峯へ麓へ下り上り行く雲の身は我にぞ有りける

     まだ后になりたまはざりける時、かたはらの
     女御たち嫉みたまふ気色なりける時、帝御曹
     司に忍びて立ち寄りたまへりけるに、御対面
     はなくてたてまつれたまひける
                      嵯峨后
1080 事しげししばしは立てれ宵の間に置けらん露は出でて払はん

     家に行平朝臣まうで来たりけるに、月のおも
     しろかりけるに、酒らなどたうべてまかり立
     たむとしけるほどに
                      河原左大臣
1081 照る月をまさ木の綱に撚りかけてあかず別るる人を繋がん

     返し
                      行平朝臣
1082 限りなき思ひの綱のなくはこそまさきのかづら撚りも悩まめ

     世の中を思ひ憂じてはべりけるころ
                      業平朝臣
1083 住みわびぬ今は限りと山里につま木こるべき宿求めてん

     「我を知り顔にな言ひそ」と女の言ひてはべ
     りける返事に
                      躬恒
1084 あしひきの山に生ひたる白橿の知らじな人を朽ち木なりとも

     姿あやしと人の笑ひければ
1085 伊勢の海の釣の浮けなるさまなれど深き心は底に沈めり

     太政大臣の白河の家にまかり渡りてはべりけ
     るに、人の曹司に籠もりはべりて
                      中務
1086 白河の滝のいと見まほしけれどみだりに人は寄せじ物をや

     返し
                      太政大臣
1087 白河の滝のいとなみ乱れつつ撚るをぞ人は待つと言ふなる

     蓮のはひをとりて
                      よみ人しらず
1088 蓮葉のはひにぞ人は思ふらん世にはこひぢの中に生ひつつ

     相坂の関に庵室を作りて住みはべりけるに、
     行き交ふ人を見て
                      蝉丸
1089 これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも相坂の関

     定めたる男もなくて物思ひはべりけるころ
                      小野小町
1090 海人の住む浦漕ぐ舟の舵をなみ世を海渡る我ぞ悲しき

     あひ知りてはべりける女、心にも入れぬさま
     にはべりければ、異人の心ざしあるにつきは
     べりにけるを、なほしもあらず、「物言はむ」
     と申しつかはしたりけれど、返事もせずはべ
     りければ
                      よみ人しらず
1091 浜千鳥かひなかりけりつれもなき人のあたりは鳴きわたれども

     法皇寺巡りしたまひける道にて楓の枝を折り
     て
                      素性法師
1092 この御幸千歳かへでも見てしがなかかる山伏時にあふべく

     西院の后御髪下させたまひて行はせたまひけ
     る時、かの院の中島の松を削りて書きつけは
     べりける
  1093 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり

     斎院の禊の垣下に殿上の人々まかりて、暁に
     帰りて馬がもとにつかはしける
                      右衛門
1094 我のみは立ちも帰らぬ暁にわきても置ける袖のつゆかな

     塩なき年、ただみあへてとはべりければ
                      忠見
1095 塩といへばなくてもからき世の中にいかであへたるただみなるらん

     ひたたれ乞ひにつかはしたるに、「裏なんな
     き、それは着じとや、いかが」と言ひたれば
                      藤原元輔
1096 住吉の岸とも言はじ沖つ浪なほうちかけよ浦はなくとも

     法皇初めて御髪下したまひて、山踏みしたま
     ふあひだ、后をはじめたてまつりて、女御更
     衣、なほ一つ院にさぶらひたまひける、三年
     といふになん、帝帰りおはしましたりける、
     昔のごと同じ所にて、御下したまうけるつい
     でに
                      七条后
1097 言の葉に絶えせぬ露は置くらんや昔おぼゆる円居したれば

     御返し
                      伊勢
1098 海とのみ円居の中はなりぬめりそながらあらぬ影の見ゆれば

     志賀の辛崎にて祓しける人の下仕へに、みる
     といふはべりけり。大伴黒主そこにまで来て、
     かのみるに心をつけて言ひたはぶれけり。祓
     果てて、車より黒主に物かづけける、その裳
     の腰に書きつけて、みるに贈りはべりける
                      黒主
1099 何せむにへたのみるめを思ひけん沖つ玉藻をかづく身にして

     月のおもしろかりけるを見て
                      躬恒
1100 昼なれや見ぞまがへつる月影を今日とや言はむ昨日とや言はむ

     五節の舞姫にて、もし召し留めらるる事やあ
     ると思ひはべりけるを、さもあらざりければ
                      藤原滋包が女
1101 悔しくぞ天つ乙女となりにける雲路尋ぬる人もなきよに

     太政大臣の左大将にて相撲の還饗しはべりけ
     る日、中将にてまかりて、事終りてこれかれ
     まかりあかれけるに、やむごとなき人、二三
     人ばかり留めて、客人、主人、酒あまた度の
     後、酔ひにのりて、子どもの上など申しける
     ついでに
                      兼輔朝臣
1102 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな

     女友だちのもとに筑紫より挿し櫛を心ざすと
     て
                      大江玉淵朝臣の女
1103 難波潟何にもあらず身を尽くし深き心のしるしばかりぞ

     元長親王の住みはべりける時、手まさぐりに
     何入れてはべりける箱にかありけん、下帯し
     て結ひて、又来む時に開けむとて、物のかみ
     にさし置きて、出ではべりにける後、常明親
     王に取り隠されて、月日久しくはべりて、あ
     りし家に帰りて、この箱を元長親王の贈ると
     て
                      中務
1104 開けてだに何にかは見む水の江の浦島の子を思ひやりつつ

     忠房朝臣、津守にて新司治方が設けに屏風調
     じて、かの国の名ある所々絵に描かせて、さ
     び江といふ所にかけりける
                      忠岑
1105 年を経て濁りだにせぬさび江には玉も帰りて今ぞ住むべき

     兼輔朝臣、宰相中将より中納言になりて、又
     の年、賭弓の還りだちの饗にまかりて、これ
     かれ思ひのぶるついでに
                      兼輔朝臣
1106 古里の三笠の山は遠けれど声は昔のうとからぬかな

     淡路のまつりごと人の任果てて上りまうで来
     てのころ、兼輔朝臣の粟田の家にて
                      躬恒
1107 引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな

     人の女に源兼材が住みはべりけるを、女の母
     聞きはべりて、いみじう制しはべりければ、
     忍びたる方にて語らひける間に、母、知らず
     して、にはかに行きければ、兼材が逃げてま
     かりにければ、つかはしける
                      女の母
1108 小山田のおどろかしにも来ざりしをいとひたぶるに逃げし君かな

     三条右大臣身まかりて、明くる年の春、大臣
     召しありと聞きて、斎宮内親王につかはしけ
     る
                      女の女御
1109 いかでかの年ぎりもせぬ種もがな荒れたる宿に植ゑて見るべく

     かの女御、左大臣に逢ひにけりと聞きてつか
     はしける
                      斎宮内親王
1110 春ごとに行きてのみ見む年ぎりもせずといふ種は生ひぬとか聞く

     庶明朝臣中納言になりはべりける時、表の衣
     つかはすとて
                      右大臣
1111 思ひきや君が衣を脱ぎ替へて濃き紫の色を着むとは

     返し
                      庶明朝臣
1112 いにしへも契りてけりなうちはぶき飛び立ちぬべし天の羽衣

     雅正が宿直物を取り違へて、大輔がもとへ持
     て来たりければ
                      大輔
1113 古里の奈良の都の始めよりなれにけりとも見ゆる衣か

     返し
                      雅正
1114 古りぬとて思ひも捨てじ唐衣よそへてあやな恨みもぞする

     「世の中の心にかなはぬ」など申しければ、
     「行く先頼もしき身にて、かかる事あるまじ」
     と人の申しはべりければ
                      大江千里
1115 流れての世をも頼まず水の上の泡に消えぬる憂き身と思へば

     藤原真興が蔵人よりかうぶり賜りて、明日殿
     上まかり下りむとしける夜、酒たうべけるつ
     いでに
                      兼輔朝臣
1116 むばたまの今宵ばかりぞあけ衣あけなば人をよそにこそ見め

     法皇御髪下したまひてのころ
                      七条后
1117 人わたす事だになきをなにしかも長柄の橋と身のなりぬらん

     御返し
                      伊勢
1118 古るる身は涙の中に見ゆればや長柄の橋に過たるらん

     京極御息所、尼になりて戒受けむとて、仁和
     寺に渡りてはべりければ
                      敦実親王
1119 一人のみ眺めて年を古里の荒れたるさまをいかに見るらん

     女の「あだなり」と言ひければ
                      朝綱朝臣
1120 まめなれどあだ名は立ちぬたわれ島寄る白浪を濡衣に着て

     あひ語らひける人の家の松の梢のもみぢたり
     ければ
                      よみ人しらず
1121 年を経て頼むかひなし常盤なる松の梢も色変り行く

     男の女の文を隠しけるを見て、もとの妻の書
     きつけはべりける
                      四条御息所の女
1122 隔てける人の心の浮橋を危うきまでも踏み見つるかな

     小野好古朝臣、西の国の討手の使ひにまかり
     て、二年といふ年、四位にはかならずまかり
     なるべかりけるを、さもあらずなりにければ、
     かかる事にしも指されにける事のやすからぬ
     よしを愁へ送りてはべりける文の返事の裏に、
     書きつけてつかはしける
                      源公忠朝臣
1123 玉匣二年逢はぬ君が身をあけながらやはあらむむと思ひし

     返し
                      小野好古朝臣
1124 あけながら年経ることは玉匣身のいたづらになればなりけり

   後撰和歌集巻第十六
    雑二
     思ふ所ありて、前太政大臣に寄せてはべりけ
     る
                      在原業平朝臣
1125 頼まれぬ憂き世の中を嘆きつつ日蔭に生ふる身をいかにせん

     病しはべりて近江の関寺に籠もりてはべりけ
     るに、前の道より閑院の御、石山に詣でける
     を、「ただ今なん行き過ぎぬる」と人の告げ
     はべりければ、追ひてつかはしける
                      敏行朝臣
1126 相坂の夕つけになく鳥の音を聞きとがめずぞ行き過ぎにける

     前中宮宣旨、贈太政大臣の家よりまかり出で
     てあるに、かの家に、「事にふれて日暗し」
     といふ事なんはべりける
                      宣旨
1127 深山より響き聞こゆるひぐらしの声を恋しみ今も消ぬべし

     返し
                      贈太政大臣
1128 ひぐらしの声を恋しみ消ぬべくは深山とほりにはやも来ねかし

     河原に出でて祓へしはべりけるに、大臣も出
     であひてはべりければ
                      敦忠朝臣の母
1129 誓はれし賀茂の河原に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

     人の牛を借りてはべりけるに、死にはべりけ
     れば言ひつかはしける
                      閑院御
1130 我が乗りし事を憂しとや消えにけん草葉にかかる露の命は

     延喜御時、賀茂臨時祭の日、御前にて盃取り
     て
                      三条右大臣
1131 かくてのみやむべき物かちはやぶる賀茂の社のよろづ世を見む

     同じ御時、北野の行幸にみこし岡にて
                      枇杷左大臣
1132 みこし岡いくその世々に年を経て今日の御幸を待ちて見つらん

     戒仙か深き山寺に籠もりはべりけるに異法師
     まうで来て、雨に降りこめられてはべりける
     に
                      よみ人しらず
1133 いづれをか雨とも分かむ山伏の落つる涙も降りにこそ降れ

     これかれ逢ひてよもすがら物語りしてつとめ
     て送りはべりける
                      藤原興風
1134 思ひには消ゆる物ぞと知りながら今朝しも起きて何に来つらん

     若うはべりける時は、志賀に常にまうでける
     を、年老いては参りはべらざりけるに参りは
     べりて
                      よみ人しらず
1135 めづらしや昔ながらの山の井は沈める影ぞ朽ち果てにける

     宇治の網代に、知れる人のはべりければ、ま
     かりて
                      大江興俊
1136 宇治河の浪にみなれし君ませば我も網代に寄りぬべきかな

     院の帝、内裏におはしましし時、人々に扇調
     ぜさせたまひける、たてまつるとて
                      小弐乳母
1137 吹き出づる音所高く聞こゆなり初秋風はいざ手ならさじ

     返し
                      大輔
1138 心してまれに吹きつる秋風を山下ろしにはなさじとぞ思ふ

     男の「文多く書きて」と言ひければ
                      よみ人しらず
1139 はかなくて絶えなん雲の糸ゆゑに何にか多く書かんとぞ思ふ

     鞍馬の坂を夜越ゆとてよみはべりける
                      亭子院に今あこと召しける人
1140 昔より鞍馬の山と言ひけるは我がごと人も夜や越えけん

     男につけて陸奥へ女をつかはしたりけるが、
     その男心変りにたりと聞きて、「心憂し」と
     親の言ひつかはしたりければ
                      よみ人しらず
1141 雲居路のはるけきほどの空事はいかなる風の吹きて告げけん

     返し
                      女の母
1142 天雲の浮きたることと聞きしかどなほぞ心は空になりにし

     たまさかに通へる文を乞ひ返しければ、その
     文に具してつかはしける
                      元良親王
1143 やれば惜しやらねば人に見えぬべし泣く泣くもなほ返すまされり

     延喜御時御、馬をつかはして早く参るべきよ
     し仰せつかはしたりければ、すなはち参りて
     仰せ事承れる人につかはしける
                      素性法師
1144 望月の駒より遅く出でつればたどるたどるぞ山は越えつる

     病して心細しとて、大輔につかはしける
                      藤原敦敏
1145 よろづ世を契りし事のいたづらに人笑へにもなりぬべきかな

     返し
                      大輔
1146 かけて言へばゆゆしき物を万代と契りし事やかなはざるべき

     霰の降るを袖に受けて消えけるを、海のほと
     りにて
                      よみ人しらす
1147 散ると見て袖に受くれどたまらぬは荒れたる浪の花にぞ有りける

     ある所の童女、五節見に南殿にさぶらひて沓
     を失ひてけり。扶幹朝臣蔵人にて沓を貸して
     はべりけるを、返すとて
1148 立ち騒ぐ浪間を分けてかづきてし沖の藻屑をいつか忘れん

     返し
                      扶幹朝臣
1149 かづき出でし沖の藻屑を忘れずは底のみるめを我に刈らせよ

     人の裳を縫はせはべるに、縫ひてつかはすと
     て
                      よみ人しらず
1150 限りなく思ふ心は筑波嶺のこのもやいかがあらむとすらん

     男の病しけるを訪ぶらはでありありてやみが
     たに訪へりければ
1151 思ひ出でて訪ふ言の葉を誰れ見まし身の白雲となりなましかば

     みそか男したる女を、荒くは言はで問へど、
     物も言はざりければ
1152 忘れなんと思ふ心のつくからに言の葉さへや言へばゆゆしき

     男の隠れて女を見たりければ、つかはしける
1153 隠れゐて我が憂きさまを水の上の泡とも早く思ひ消えなん

     世の中をとかく思ひわづらひはべりけるほど
     に、女友だちなる人、「なほ、我が言はん事
     につきね」と語らひはべりければ
1154 人心いさや白浪高ければ寄らむ渚ぞかねて悲しき

     いたく事好むよしを時の人言ふと聞きて
                      高津内親王
1155 直き木に曲がれる枝もあるものを毛を吹き疵を言ふがわりなさ

     帝にたてまつりたまひける
                      嵯峨后
1156 移ろはぬ心の深く有りければここら散る花春に逢へるごと

     これかれ女のもとにまかりて物言ひなどしけ
     るに、女の「あな寒の風や」と申しければ
                      よみ人しらず
1157 玉垂れのあみ目の間より吹く風の寒くはそへて入れむ思ひを

     男の物言ひけるを騒ぎければ、帰りて朝につ
     かはしける
1158 白浪のうち騒がれて立ちしかば身を潮にぞ袖は濡れにし

     返し
1159 とりもあへず立ち騒がれしあだ浪にあやなく何に袖の濡れけん

     題しらず
1160 直地とも頼まざらなん身に近き衣の関もありといふなり

     友だちの久しく逢はざりけるに、まかりあひ
     てよみはべりける
1161 逢はぬ間に恋しき道も知りにしをなどうれしきにまどふ心ぞ

     題しらず
1162 いかなりし節にか糸の乱れけん強ひて繰れども解けず見ゆるは

     人の妻に通ひける、見つけられはべりて
                      賀朝法師
1163 身投ぐとも人に知られじ世の中に知られぬ山を知るよしもがな

     返し
                      もとの男
1164 世の中に知られぬ山に身投ぐとも谷の心や言はで思はむ

     山の井の君につかはしける
                      よみ人しらず
1165 音にのみ聞きてはやまじ浅くともいざ汲みみてん山の井の水

     病しけるを、からうじておこたれりと聞きて
1166 死出の山たどるたどるも越えななで憂き世の中になに帰りけん

     題しらず
1167 数ならぬ身を持荷にて吉野山高き嘆きを思ひ懲りぬる

     返し
1168 吉野山越えん事こそ難からめ樵らむ嘆きの数は知りなん

     陽成院の帝、時々宿直にさぶらはせたまうけ
     るを、久しう召しなかりければ、たてまつり
     ける
                      武蔵
1169 数ならぬ身に置く宵の白玉は光見えさす物にぞ有りける

     まかり通ひける女の心解けずのみ見えはべり
     ければ、「年月も経ぬるを、今さへかかるこ
     と」と言ひつかはしたりければ
                      よみ人しらず
1170 難波潟汀の葦の追い風に恨みてぞ経る人の心を

     女のもとより恨みおこせてはべりける返事に
1171 忘るとは恨みざらなんはし鷹のとかへる山の椎はもみぢす

     昔同じ所に宮仕へしはべりける女の、男につ
     きて人の国に落ちゐたりけるを聞きつけて、
     心ありける人なれば、言ひつかはしける
1172 遠近の人目まれなる山里に家ゐせんとは思ひきや君

     返し
1173 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ

     男などはべらずして年ごろ山里に籠もりはべ
     りける女を、昔あひ知りてはべりける人、道
     まかりけるついでに、「久しう聞こえざりつ
     るを、ここになりけり」と言ひ入れてはべり
     けれが
                      土左
1174 朝なけに世の憂きことをしのびつつながめせしまに年は経にけり

     山里にはべりけるに、昔あひ知れる人の、「
     いつよりここには住むぞ」と問ひければ
                      閑院
1175 春や来し秋や行きけんおぼつかな蔭の朽木と世を過ぐす身は

     題しらず
                      貫之
1176 世の中は憂きものなれや人言のとにもかくにも聞こえ苦しき

                      よみ人しらず
1177 武蔵野は袖ひつばかり分けしかと若紫は尋ねわびにき

     暇にてこもりゐてはべりけるころ、人の訪は
     ずはべりければ
                      壬生忠岑
1178 大荒木の森の草とやなりにけん刈りにだに来て訪ふ人のなき

     ある所に宮仕へしはべりける女の、あだ名立
     ちけるがもとより、「己れが上は、そこにな
     ん口の端にかけて言はるなる」と恨みてはべ
     りければ
                      よみ人しらず
1179 あはれてふ事こそ常の口の端にかかるや人を思ふなるらん

     題しらず
                      伊勢
1180 吹く風の下の塵にもあらなくにさも立ちやすき我がなき名かな

     春日に詣でける道に、佐保河のほとりに、初
     瀬より帰る女車の逢ひてはべりけるが、簾の
     開きたるよりはつかに見入れければ、あひ知
     りてはべりける女の心ざし深く思ひ交しなが
     ら、はばかる事はべりて、あひ離れて六七年
     ばかりになりはべりにける女にはべりければ、
     かの車に言ひ入れはべりける
                      閑院左大臣
1181 古里の佐保の河水今日もなほかくて逢瀬はうれしかりけり

     枇杷左大臣、用はべりて楢の葉をもとめはべ
     りければ、千兼があひ知りてはべりける家に
     取りにつかはしたりければ
                      俊子
1182 我が宿をいつ馴らしてか楢の葉を馴らし顔には折りにおこする

     返し
                      枇杷左大臣
1183 楢の葉の葉守の神のましけるを知らでぞ折りしたたりなさるな

     友だちのもとにまかりて、盃あまた度になり
     にければ、逃げてまかりけるを、とどめわつ
     らひて持てはべりける笛を取りとどめて、又
     の朝につかはしける
                      よみ人しらず
1184 帰りては声や違はむ笛竹のつらき一夜のかたみと思へば

     返し
1185 一節に恨みな果てそ笛竹の声の内にも思ふ心あり

     もとより友だちにはべりければ、貫之にあひ
     語らひて、兼輔朝臣の家に名づきを伝へさせ
     はべりけるに、その名づきに加へて貫之に送
     りける
                      躬恒
1186 人につくたよりだになし大荒木の森の下なる草の身なれば

     兼忠朝臣の母、身まかりにければ、兼忠をば
     故枇杷左大臣の家に、女をば后の宮にさぶら
     はせむと相定めて、二人ながらまづ枇杷の家
     に渡し送るとて、加へてはべりける
                      兼忠朝臣の母の乳母
1187 結び置きしかたみのこだになかりせば何に忍の草を摘ままし

     物思ひはべりけるころ、やむごとなき高き所
     より問はせたまへりければ
                      よみ人しらず
1188 うれしきも憂きも心は一つにて分かれぬ物は涙なりけり

     世の中の心にかなはぬ事申しけるついでに
                      貫之
1189 惜しからで悲しき物は身なりけり憂き世背かん方を知らねば

     思ふことはべりけるころ、人につかはしける
                      よみ人しらず
1190 思ひ出づる時ぞ悲しき世の中は空行く雲の果てを知らねば

     題しらず
1191 あはれとも憂しとも言はじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば

1192 あはれてふ事に慰む世の中をなどか昔と言ひて過ぐらん

     播磨国にたかがたといふ所におもしろき家持
     ちてはべりけるを、京にて母が喪にて久しう
     まからで、かのたかがたにはべりける人に言
     ひつかはしける
1193 物思ふと行きても見ねばたかがたの海人の苫屋は朽ちやしぬらん

     延喜御時、時の蔵人のもとに、奏しもせよと
     おぼしくてつかはしける
                      躬恒
1194 夢にだにうれしとも見ばうつつにてわびしきよりはなほまさりなん

   後撰和歌集巻第十七
    雑三
     石の上といふ寺に詣でて日の暮れにければ、
     夜明けてまかり帰らむとてとどまりて、「こ
     の寺に遍昭はべり」と人の告げはべりければ、
     物言ひ心見むとて言ひはべりける
                      小野小町
1195 岩の上に旅寝をすればいと寒し苔の衣を我に貸さなん

     返し
                      遍昭
1196 世を背く苔の衣はただ一重貸さねば疎しいざ二人寝ん

     法皇かへり見たまひけるを、後々は時衰へて
     有りしやうにもあらずなりにければ、里にの
     みはべりてたてまつらせける
                      清和院君
1197 逢ふ事の年ぎりしぬるなげ木には身の数ならぬ物にぞ有りける

     女のもとより「あだに聞こゆること」など言
     ひてはべりければ
                      左大臣
1198 あだ人もなきにはあらず有りながら我が身にはまだ聞きぞならはぬ

     題しらず
                      よみ人も
1199 宮人とならまほしきを女郎花野辺より霧の立ち出でてぞ来る

     かしこまる事はべりて里にはべりけるを、忍
     びて曹司に参れりけるを、大臣の「などか、
     音もせぬ」など恨みはべりければ
                      大輔
1200 我が身にもあらぬ我が身の悲しきに心もことになりやしにけん

     人の女に名立ちはべりて
                      よみ人しらず
1201 世中を知らずながらも津の国の名には立ちぬる物にぞ有りける

     なき名立たちはべりけるころ
1202 世とともに我が濡衣となる物はわぶる涙の着するなりけり

     前坊おはしまさずなりてのころ、五節の師の
     もとにつかはしける
                      大輔
1203 憂けれども悲しきものをひたぶるに我をや人の思ひ捨つらん

     返し
                      よみ人しらず
1204 悲しきも憂きも知りにし一つ名を誰れを分くとか思ひ捨つべき

     大輔が曹司に、敦忠朝臣のもとへつかはしけ
     る文を持て違へたりければ、つかはしける
                      大輔
1205 道知らぬ物ならなくにあしひきの山踏みまどふ人もありけり

     返し
                      敦忠朝臣
1206 白橿の雪も消えにしあしひきの山路を誰れか踏みまどふべき

     言ひ契りて後、異人につきぬと聞きて
                      よみ人しらず
1207 言ふ事の違はぬ物にあらませば後憂き事と聞こえざらまし

     題しらず
                      伊勢
1208 面影を逢ひ見し数になす時は心のみこそ静められけれ

     頭白かりける女を見て
1209 抜きとめぬ髪の筋もてあやしくも経にける年の数を知るかな

     題しらず
                      よみ人も
1210 浪数にあらぬ身なれば住吉の岸にも寄らずなりや果てなん

1211 つきもせず憂き言の端の多かるを早く嵐の風も吹かなん

     いと忍びて語らひける女のもとにつかはしけ
     る文を、心にもあらで落したりけるを見つけ
     てつかはしける
1212 島隠れ有磯に通ふ葦田鶴の踏み置く跡は浪も消たなん

     昔同じ所に宮仕へしける人、「年ごろ、いか
     にぞ」など問ひおこせてはべりければ、つか
     はしける
                      伊勢
1213 身は早くなき物のごとなりにしを消えせぬ物は心なりけり

     はらからの中に、いかなる事かありけん、常
     ならぬさまに見えはべりければ
                      よみ人しらず
1214 むつましき妹背の山の中にさへ隔つる雲の晴れずもあるかな

     女のいと比べがたくはべりけるを、あひ離れ
     にけるが異人に迎へられぬと聞きて男のつか
     はしける
1215 我がためにをきにくかりしはし鷹の人の手に有りと聞くはまことか

     くちなしある所に乞ひにつかはしたるに、色
     のいと悪しかりければ
1216 声に立てて言はねどしるしくちなしの色は我がため薄きなりけり

     題しらず
1217 たきつ瀬の早からぬをぞ恨みつる見ずとも音に聞かむと思へば

     人のもとに文つかはしける男、人に見せけり
     と聞きてつかはしける
1218 みな人に文見せけりな水無瀬河その渡こそまづは浅けれ

     筑紫の白河といふ所に住みはべりけるに、大
     弐藤原興範朝臣のまかり渡るついでに、水た
     べむとてうち寄りて、乞ひはべりければ、水
     を持て出でて、よみはべりける
                      桧垣嫗
1219 年経れば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな
      かしこに名高く事好む女になんはべりける

     親族にはべりける女の、男に名立ちて、「か
     かる事なんある。人に言ひ騒げ」と言ひはべ
     りければ
                      貫之
1220 かざすとも立ちと立ちなんなき名をば事なし草のかひやなからん

     題しらず
1221 帰り来る道にぞ今朝はまどふらんこれになずらふ花なきものを

     女のもとに文つかはしけるを、返事もせずし
     て後々は、「文を見もせで取りなん置く」と
     人の告げければ
                      よみ人しらず
1222 大空に行き交ふ鳥の雲路をぞ人の文見ぬものと言ふなる

     紀伊介にはべりける男のまかり通はずなりに
     ければ、かの男の姉のもとに愁へおこせては
     べりければ、「いと心憂きことかな」と言ひ
     つかはしたりける返事に
1223 紀伊国の名草の浜は君なれや事の言ふかひ有りと聞きつる

     住みはべりける女、宮仕へしはべりけるを、
     友だちなりける女、同じ車にて貫之が家にま
     うで来きたりけり。貫之が妻、客に饗応せん
     とて、まかり下りてはべりけるほどに、かの
     女を思ひかけてはべりければ、忍びて車に入
     れはべりける
                      貫之
1224 浪にのみ濡れつるものを吹く風の便りうれしき海人の釣舟

     男の物にまかりて、二年ばかり有りてまうで
     来たりけるを、ほど経て後に、ことなしびに
     「異人に名立つと聞きしはまことなりけり」
     と言へりければ
                      よみ人しらず
1225 緑なる松ほど過ぎばいかでかは下葉ばかりも紅葉せざらん

     故女四内親王の後のわざせむとて、菩提寺の
     数珠をなん右大臣求めはべると聞きて、この
     数珠を贈るとて、加へはべりける
                      真延法師
1226 思ひ出での煙やまさむ亡き人の仏になれるこのみ見ば君

     返し
                      右大臣
1227 道なれるこの身尋ねて心ざし有りと見るにぞ音をばましける

     「定めたる妻もはべらず、一人臥しをのみす」
     と、女友だちのもとよりた戯れてはべりけれ
     ば
                      よみ人しらず
1228 いづこにも身をば離れぬ影しあれば臥す床ごとに一人やはぬる

     前栽の中に棕櫚の木生ひてはべると聞きて、
     行明親王のもとより一木乞ひにつかはしたれ
     ば、加へてつかはしける
                      真延法師
1229 風霜に色も心も変らねばあ主人に似たる植ゑ木なりけり

     返し
                      行明親王
1230 山深み主人に似たる植ゑ木をば見えぬ色とぞ言ふべかりける

     大井なる所にて人々酒たうべけるついでに
                      業平朝臣
1231 大井河浮かべる舟の篝火に小倉の山も名のみなりけり

     題しらず
                      よみ人も
1232 飛鳥河我が身一つの淵瀬ゆゑなべての世をも恨みつるかな

     思ふ事はべりけるころ、志賀に詣でて
1233 世の中を厭ひがてらに来しかども憂き身ながらの山にぞ有りける

     父母はべりける人の女に忍びて通ひはべりけ
     るを聞きつけて、勘事せられはべりけるを、
     月日経て隠れ渡りけれど、雨降りてえまかり
     出ではべらで、籠もりゐてはべりけるを、父
     母聞きつけて、いかがはせむとて、許すよし
     言ひてはべりければ
1234 下にのみはひ渡りつる葦の根のうれしき雨にあらはるるかな

     人の家にまかりたりけるに、遣水に滝いとお
     もしろかりければ、帰りてつかはしける
1235 滝つ瀬に誰れ白玉を乱りけん拾ふとせしに袖はひちにき

     法皇吉野の滝御覧じける御供にて
                      源昇朝臣
1236 いつの間に降り積もるらんみ吉野の山の峡より崩れ落つる雪

                      法皇御製
1237 宮の滝むべも名におひて聞こえけり落つる白泡の玉と響けば

     山踏みし始めける時
                      僧正遍昭
1238 今更に我は帰らじ滝見つつ呼べど聞かずと問はば答へよ

     題しらず
                      よみ人も
1239 滝つ瀬の渦巻ごとにとめ来れどなほ尋ねくる世の憂きめかな

     初めて頭下ろしはべりける時、物に書きつけ
     はべりける
                      遍昭
1240 たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪を撫でずや有りけん

     陸奥守にまかり下れりけるに、武隈の松の枯
     れてはべりけるを見て、小松を植ゑつかせは
     べりて、任果てて後、又同じ国にまかりなり
     て、かの前の任に植ゑし松を見はべりて
                      藤原元善朝臣
1241 植ゑし時契りやしけん武隈の松を再び逢ひ見つるかな

     伏見といふ所にて、その心をこれかれよみけ
     るに
                      よみ人しらず
1242 菅原や伏見の暮に見わたせば霞にまがふ小初瀬の山

     題しらず
1243 言の葉もなくて経にける年月にこの春だにも花は咲かなん

     身の愁へはべりける時、津国にまかりて住み
     始めはべりけるに
                      業平朝臣
1244 難波津を今日こそ御津の浦ごとにこれやこの世を憂みわたる舟

     時に遇はずして身を恨みて籠もりはべりける
     時
                      文室康秀
1245 白雲の来宿る峯の小松原枝繁けれや日の光見ぬ

     心にもあらぬことを言ふころ、男の扇に書き
     つけはべりける
                      土佐
1246 身に寒くあらぬものからわびしきは人の心の嵐なりけり

1247 ながらへば人の心も見るべきを露の命ぞ悲しかりける

     人のもとより、「久しう心地わづらひて、ほ
     とほとしくなんありつる」と言ひてはべりけ
     れば
                      閑院大君
1248 もろともにいざとは言はで死出の山いかでか一人越えんとはせし

     月夜にかれこれして
                      上野岑雄
1249 おしなべて峯も平らになりななん山の端なくは月も隠れじ

   後撰和歌集巻第十八
    雑四
     蛙を聞きて
                      よみ人しらず
  1250 我が宿にあひ宿りして住む蛙夜になればや物は悲しき

     人々あまた知りてはべりける女のもとに、友
     だちのもとより、「このごろは思ひ定めたる
     なめり。頼もしきことなり」と戯れおこせて
     はべりければ
1251 玉江漕ぐ葦刈小舟さし分けて誰れを誰れとか我は定めん

     男の、初めいかに思へるさまにか有りけむ、
     女の気色も心解けぬを見て、「あやしく思は
     ぬさまなること」と言ひはべりければ
1252 陸奥のおぶちの駒ものがふには荒れこそまされなつくものかは

     中将にて内裏にさぶらひける時、相知りたり
     ける女蔵人の曹司に壺やなぐひ、老懸を宿し
     置きてはべりけるを、にはかに事ありて、遠
     き所にまかりはべりけり。この女のもとより
     この老懸をおこせて、あはれなる事など言ひ
     てはべりける返事に
                      源善朝臣
1253 いづくとて尋ね来つらん玉葛我は昔の我ならなくに

     便りにつきて、人の国の方にはべりて、京に
     久しうまかり上らざりける時に、友だちにつ
     かはしける
                      よみ人しらず
1254 朝ごとに見し都路の絶えぬれば事誤りに問ふ人もなし

     遠き国にはべりける人を、京に上りたりと聞
     きてあひ待つに、まうで来ながら訪はざりけ
     れば
1255 いつしかと待乳の山の桜花待ちてもよそに聞くが悲しさ

     題しらず
                      伊勢
1256 いせ渡る河は袖より流るれど問ふに問はれぬ身は浮きぬめり

                      北辺左大臣
1257 人めだに見えぬ山路に立つ雲を誰れすみがまの煙といふらん

     男の「人にもあまた問へ。我やあだなる心あ
     る」と言へりければ
                      伊勢
1258 飛鳥河淵瀬に変る心とはみな上下の人も言ふめり

     人の婿の「今まうで来む」と言ひてまかりに
     けるが、文おこする人ありと聞きて、久しう
     まうで来ざりければ、あとうがたりの心をと
     りて、「かくなむ申すめる」と言ひつかはし
     ける
                      女の母
1259 今来むと言ひしばかりを命にて待つに消ぬべしさくさめの刀自

     返し
                      婿
1260 数ならぬ身のみ物憂く思ほえて待たるるまでもなりにけるかな

     常に来とて、うるさがりて隠れければ、つか
     はしける
                      よみ人しらず
1261 有りと聞く音羽の山の郭公何に隠るらん鳴く声はして

     物に籠もりたるに知りたる人の局並べて、正
     月行ひて出づる暁に、いと汚げなる下沓を落
     としたりけるを、取りてつかはすとて
1262 足の裏のいと汚くも見ゆるかな浪は寄りても洗はざりけり

     題しらず
1263 人心たとへて見れば白露の消ゆる間もなほ久しかりけり

1264 世の中と言ひつるものかかげろふのあるかなきかのほどにぞ有りける
     友だちにはべりける女の、年久しく頼みては
     べりける男に訪はれずはべりければ、もとろ
     もに嘆きて
1265 かくばかり別れのやすき世の中に常と頼める我ぞはかなき

     常になき名立ちはべりければ
                      伊勢
1266 塵に立つ我が名清めん百敷の人の心を枕ともがな

     あだなる名立ちて言ひ騒がれけるころ、ある
     男ほのかに聞きて、「あはれいかにぞ」と問
     ひはべりければ
                      小町が孫
1267 憂き事をしのぶる雨の下にして我が濡衣は干せど乾かず

     隣なりける琴を借りて、返すついでに
                      よみ人しらず
1268 逢ふ事のかたみの声の高ければ我が泣く音とも人は聞かなん

     題しらず
1269 涙のみ知る身の憂さも語るべく嘆く心を枕にもがな

     物思ひけるころ
                      伊勢
1270 逢ひに逢ひて物思ふころの我が袖は宿る月さへ濡るる顔なる

     ある所に、簾の前にかれこれ物語りしはべり
     けるを聞きて、内より女の声にて、「あやし
     く物のあはれ知り顔なる翁かな」と言ふを聞
     きて
                      貫之
1271 あはれてふ事にしるしはなけれども言はではえこそあらぬ物なれ

     女友だちの常に言ひ交しけるを、久しく訪れ
     ざりければ、十月ばかりに、「あだ人の思ふ
     と言ひし言の葉は」といふ古言を言ひ交した
     りければ、竹の葉に書きつけてつかはしける
                      よみ人しらず
1272 移ろはぬ名に流れたる川竹のいづれの世にか秋を知るべき

     題しらず
                      贈太政大臣
1273 深き思ひ染めつと言ひし言の葉はいつか秋風吹きて散りぬる

     返し
                      伊勢
1274 心なき身は草木にもあらなくに秋来る風に疑はるらん

     題しらず
1275 身の憂きを知ればはしたになりぬべみ思ひは胸の焦がれのみする
  

                      よみ人しらず
1276 雲路をも知らぬ我さへもろ声に今日ばかりとぞ泣きかへりぬる

1277 まだきから思ひ濃き色に染めむとや若紫の根を尋ぬらん

                      伊勢
1278 見えもせぬ深き心を語りては人に勝ちぬと思ふものかは

     亭子院にさぶらひけるに、御斎の下したまは
     せたりければ
1279 伊勢の海に年経て住みし海人なれどかかるみるめはかづかざりしを

     栗田の家にて人につかはしける
                      兼輔朝臣
1280 あしひきの山の山鳥かひもなし峯の白雲立ちし寄らねば

     左大臣の家にてかれこれ題を探りて歌よみけ
     るに、露といふ文字を得はべりて
                      藤原忠国
1281 我ならぬ草葉も物は思けり袖より外に置ける白露

     人のもとにつかはしける
                      伊勢
1282 人心嵐の風の寒ければ木の芽も見えず枝ぞしほるる

     異人をあひ語らふと聞きてつかはしける
                      よみ人しらず
1283 憂きながら人を忘れむ事かたみ我が心こそ変らざりけれ

     ある法師の源等の朝臣の家にまかりて、数珠
     のすがりを落としをけるを、朝に贈るとて
1284 うたたねの床にとまれる白玉は君が置きける露にやあるらん

     返し
1285 かひもなき草の枕に置く露の何に消えなで落ちとまりけむ

     題しらず
1286 思ひやる方も知られず苦しきは心まどひの常にやあるらむ

     昔を思ひ出でてむらのこの内侍につかはしけ
     る
                      左大臣
1287 鈴虫に劣らぬ音こそ泣かれけれ昔の秋を思ひやりつつ

     一人はべりけるころ、人のもとより「いかに
     ぞ」と訪ぶらひてはべりければ、朝顔の花に
     つけてつかはしける
                      よみ人しらず
1288 夕暮れのさびしき物は朝顔の花を頼める宿にぞありける

     左大臣の書かせはべりける冊子の奥に書きつ
     けはべりける
                      貫之
1289 ははそ山峯の嵐の風をいたみふる言の葉をかきぞ集むる

     題しらず
                      小町が姉
1290 世の中を厭ひて海人の住む方も憂き目のみこそ見えわたりけれ

     昔あひ知りてはべりける人の、内裏にさぶら
     ひけるがもとにつかはしける
                      伊勢
1291 山河の音にのみ聞く百敷を身をはやながら見るよしもがな

     人に忘られたりと聞く女のもとにつかはしけ
     る
                      よみ人しらず
1292 世の中はいかにやいかに風の音を聞くにも今はものや悲しき

     返し
                      伊勢
1293 世の中はいさともいさや風の音は秋に秋そふ心地こそすれ

     題しらず
                      よみ人も
1294 たとへくる露と等しき身にしあらば我が思ひにも消えんとやする

     つらかりける男のはらからのもとにつかはし
     ける
1295 ささがにの空に巣がける糸よりも心細しや絶えぬと思へば

     返し
1296 風吹けば絶えぬと見ゆる蜘蛛の網も又かき継がでやむとやは聞く

     伏見といふ所にて
1297 名に立ちて伏見の里といふ事は紅葉を床に敷けばなりけり

     題しらず
                      均子内親王
1298 我も思ふ人も忘るな有磯海の浦吹く風の止む時もなく

                      山田法師
1299 あしひきの山下響み鳴く鳥も我がごと絶えず物思ふらめや

     神無月のついたちごろ、妻のみそか男したり
     けるを見つけて、言ひなどして、翌朝
                      よみ人しらず
1300 今はとて秋果てられし身なれども霧立ち人をえやは忘るる

     十月ばかり、おもしろかりし所なればとて、
     北山のほとりにこれかれ遊びはべりけるつい
     でに
                      兼輔朝臣
1301 思ひ出でて来つるもしるくもみぢ葉の色は昔に変らざりけり

     同じ心を
                      坂上是則
1302 峯高み行きても見べきもみぢ葉を我がゐながらもかざしつるかな

     師走ばかりに、東よりまうで来ける男の、も
     とより京にあひ知りてはべりける女のもとに、
     正月ついたちまで訪れずはべりければ
                      よみ人しらず
1303 待つ人は来ぬと聞けどもあらたまの年のみ越ゆる相坂の関

   後撰和歌集巻第十九
    離別  羇旅
     陸奥へまかりける人に、火打ちをつかはすと
     て、書きつけはべりける
                      貫之
1304 折々に打ちて焚く火の煙あらば心ざす香をしのべとぞ思ふ

     あひ知りてはべりける人の東の方へまかりけ
     るに、桜の花の形に幣をしてつかはしける
                      よみ人しらず
1305 あだ人の手向けに折れる桜花相坂までは散らずもあらなん

     遠くまかりける人に餞しはべりける所にて
                      橘直幹
1306 思ひやる心ばかりは障らじを何隔つらん峯の白雲

     下野にまかりける女に鏡に添へてつかはしけ
     る
                      よみ人しらず
1307 二子山ともに越えねどます鏡そこなる影をたぐへてぞやる

     信濃へまかりける人に焚き物つかはすとて
                      駿河
1308 信濃なる浅間の山も燃ゆなれば富士の煙のかひやなからん

     遠き国へまかりける友だちに火打ちに添へて
     つかはしける
                      よみ人しらず
1309 このたびも我を忘れぬ物ならばうち見むたびに思ひ出でなん

     京にはべりける女子をいかなる事かはべりけ
     ん、心憂しとて留め置きて因幡国へまかりけ
     れば
                      女
1310 うち捨てて君し因幡の露の身は消えぬばかりぞ有りと頼むな

     伊勢にまかりける人、とく往なんと、心もと
     なかると聞きて、旅の調度など取らするもの
     から、畳紙に書きて取らする、名をば馬とい
     ひけるに
1311 惜しと思ふ心はなくてこのたびは行く馬に鞭をおほせつるかな

     返し
1312 君が手をかれ行く秋の末にしも野飼ひに放つ馬ぞ悲しき

     同じ家に久しうはべりける女の、美濃国に親
     のはべりける、訪ぶらひにまかりけるに
                      藤原清正
1313 今はとて立ち帰り行くふるさとの不破の関路に都忘るな

     遠き国にまかりける人に、旅の具つかはしけ
     る、鏡の箱の裏に書きつけてつかはしける
                      大窪則善
1314 身を分くる事の難さにます鏡影ばかりをぞ君に添へつる

     「このたびの出で立ちなん物憂くおぼゆる」
     と言ひければ
                      よみ人しらず
1315 初雁の我も空なるほどなれば君も物憂き旅にやあるらん

     あひ知りてはべりける女の、人の国にまかり
     けるにつかはしける
                      公忠朝臣
1316 いとせめて恋しきたびの唐衣ほどなくかへす人もあらなん

     返し
                      女
1317 唐衣裁つ日をよそに聞く人はかへすばかりのほども恋ひじを

     三月ばかり、越国へまかりける人に酒たうび
     けるついでに
                      よみ人しらず
1318 恋しくは事づてもせん帰るさの雁が音はまづ我が宿に鳴け

     善祐法師の伊豆の国に流されはべりけるに
                      伊勢
1319 別れてはいつあひ見むと思ふらん限りある世の命ともなし

     題しらず
                      よみ人も
1320 そむかれぬ松の千歳のほどよりもともどもとだに慕はれぞせし

     返し
1321 ともどもと慕ふ涙の添ふ水はいかなる色に見えて行くらん

     亭子帝下りゐたまうける秋、弘徽殿の壁に書
     きつけける
                      伊勢
1322 別るれどあひも惜しまぬ百敷を見ざらん事や何か悲しき

     帝御覧じて、御返し
1323 身一つにあらぬばかりをおしなべてゆきめぐりてもなどか見ざらん

     陸奥へまかりける人に、扇調じて、歌絵に書
     かせはべりける
                      よみ人しらず
1324 別れ行く道の雲居になり行けば止まる心も空にこそなれ

     宗于朝臣の女、陸奥へ下りけるに
1325 いかでなほ笠取山に身をなして露けき旅に添はむとぞ思ふ

     返し
1326 笠取の山と頼みし君を置きて涙の雨に濡れつつぞ行く

     男の伊勢国へまかりけるに
1327 君が行く方に有りてふ涙河まづは袖にぞ流るべらなる

     旅にまかりける人に装束つかはすとて、添へ
     てつかはしける
1328 袖濡れて別れはすとも唐衣行くとな言ひそ来たりとを見む

     返し
1329 別路は心も行かず唐衣着れば涙ざ先に立ちける

     旅にまかりける人に扇つかはすとて
1330 添へてやる扇の風し心あらば我が思ふ人の手をな離れそ

     友則が女の陸奥へまかりけるにつかはしける
                      藤原滋幹が女
1331 君をのみしのぶの里へ行くものを会津の山のはるけきやなぞ

     筑紫へまかるとて、清子命婦に贈りける
                      小野好古朝臣
1332 年を経てあひ見る人の別れには惜しきものこそ命なりけれ

     出羽より上りけるに、これかれ馬のはなむけ
     しけるに、かはらけとりて
                      源済
1333 行く先を知らぬ涙の悲しきはただ目の前に落つるなりけり

     平高遠がいやしき名取りて人の国へまかりけ
     るに、「忘るな」と言へりければ、高遠が妻
     の言へる
1334 忘るなと言ふに泣るる涙河憂き名をすすぐ瀬ともならなん

     あひ知りてはべりける人のあからさまに越の
     国へまかりけるに、幣心ざすとて
                      よみ人しらず
1335 我をのみ思ひ敦賀の浦ならば鹿蒜の山はまどはざらまし

     返し
1336 君をのみ五幡と思ひ来しなれば行き来の道ははるけからしを

     秋、旅まかりける人に幣を紅葉の枝につけて
     つかはしける
1337 秋深く旅行く人の手向けには紅葉にまさる幣なかりけり

     西四条の斎宮の九月晦日下りたまひける、供
     なる人に幣つかはすとて
                      大輔
1338 もみぢ葉を幣と手向けて散らしつつ秋とともにや行かむとすらん

     ものへまかりける人につかはしける
                      伊勢
1339 待ちわびて恋しくならば訪ぬべく跡なき水の上ならで行け

     題しらず
                      贈太政大臣
1340 来むと言ひて別るるだにもある物を知られぬ今朝のましてわびしさ

     返し
                      伊勢
1341 さらばよと別れし時に言はませば我も涙におぼほれなまし

                      よみ人しらず
1342 春霞はかなく立ちて別るとも風より外に誰れか問ふべき

     返し
                      伊勢
1343 目に見えぬ風に心をたぐへつつやらば霞の別れこそせめ

     甲斐へまかりける人につかはしける
1344 君が世は都留の郡にあえて来ね定めなき世の疑ひもなく

     舟にて物へまかりける人につかはしける
1345 遅れずぞ心に乗りて漕がるべき浪に求めよ舟見えずとも

     返し
                      よみ人しらず
1346 舟なくは天の河まで求めてむ漕ぎつつ潮の中に消えずは

     舟にて物へまかりける人
1347 かねてより涙ぞ袖をうち濡らす浮かべる舟に乗らむと思へば

     返し
                      伊勢
1348 押さへつつ我は袖にぞせき止むる舟越す潮になさじと思へば

     遠き所にまかるとて女のもとにつかはしける
                      貫之
1349 忘れじとことに結びて別るればあひ見むまでは思ひ乱るな

    羇旅歌
     ある人いやしき名取りて遠江国へまかるとて、
     初瀬河を渡るとてよみはべりける
                      よみ人しらず
1350 初瀬河渡る瀬さへや濁るらん世に住みがたき我が身と思へば

     たはれ島を見て
1351 名にし負はばあだにぞ思ふたはれ島浪の濡衣いく夜着つらん

     東へまかりけるに、過ぎぬる方恋しくおぼえ
     けるほどに、河を渡りけるに、浪の立ちける
     を見て
                      業平朝臣
1352 いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうら山しくも帰る浪かな

     白山へまうでけるに道中より便りの人につけ
     てつかはしける
                      よみ人しらず
1353 都まで音に降り来る白山は行き着きがたき所なりけり

     中原宗興が美濃国へまかり下りはべりけるに、
     道に女の家に宿りて、言ひつきて去りがたく
     おぼえければ、二三日はべりてやむごとなき
     事によりて、まかりたちければ、絹を包みて
     それが上に書きて贈りはべりける
                      中原宗興
1354 山里の草葉の露も繁からん蓑代衣縫はずとも着よ

     土左よりまかり上りける舟のうちにて見はべ
     りけるに、山の端ならで月の浪の中より出づ
     るやうに見えければ、昔安倍仲麿が唐土にて
     「ふりさけ見れば」と言へることを思ひやり
     て
                      貫之
1355 都にて山の端に見し月なれど海より出でて海にこそ入れ

     法皇、宮の滝といふ所御覧じける御供にて
                      菅原右大臣
1356 水引きの白糸はへて織る機は旅の衣に裁ちや重ねん

     道まかりけるついでに、ひぐらしの山をまか
     りはべりて
1357 ひぐらしの山路を暗み小夜更けて木の末ごとに紅葉照らせる

     初瀬へ詣づとて山の辺といふわたりにてよみ
     はべりける
                      伊勢
1358 草枕旅となりなば山の辺に白雲ならぬ我や宿らん

     宇治殿といふ所を
1359 水もせに浮きぬる時はしがらみの内の外のとも見えぬもみぢ葉

     海のほとりにて、これかれ逍遥しはべりける
     ついでに
                      小町
1360 花咲きて実ならぬ物はわたつうみのかざしに挿せる沖つ白浪

     東なる人のもとへまかりける道に、相模の足
     柄の関にて、女の京にまかり上りけるに逢ひ
     て
                      真静法師
1361 足柄の関の山路を行く人は知るも知らぬも疎からぬかな

     法皇、遠き所に山踏みしたまうて京に帰りた
     まふに、旅宿りしたまうて、御供にさぶらふ
     道俗歌よませたまひけるに
                      僧正聖宝
1362 人ごとに今日今日とのみ恋ひらるる都近くもなりにけるかな

     土左より任果てて上りはべりけるに、舟のう
     ちにて月を見て
                      貫之
1363 照る月の流るる見れば天の河出づる港は海にぞ有りける

     題しらず
                      亭子院御製
1364 草枕紅葉むしろに代へたらば心を砕く物ならましや

     京に思ふ人はべりて、遠き所より帰りまうで
     来ける道に留まりて、九月ばかりに
                      よみ人しらず
1365 思ふ人ありて帰ればいつしかの妻待つ宵の声ぞ悲しき

1366 草枕結ふてばかりは何なれや露も涙も置きかへりつつ

     宮の滝といふ所に法皇おはしましたりけるに
     仰せ言ありて
                      素性法師
1367 秋山にまどふ心を宮滝の滝の白泡に消ちや果ててむ

   後撰和歌集巻第二十
    慶賀  哀傷
     女八内親王、元良親王のために四十賀しはべ
     りけるに、菊の花をかざしに折りて
                      藤原伊衡朝臣
1368 よろづ世の霜にも枯れぬ白菊をうしろやすくもかざしつるかな

     典侍明子、父の宰相のために賀しはべりける
     に、玄朝法師の裳、唐衣縫ひてつかはしたり
     ければ
                      典侍明子
1369 雲分くる天の羽衣うち着ては君が千歳にあはざらめやは

     題しらず
                      太政大臣
1370 今年より若菜に添へて老いの世にうれしき事を摘まむとぞ思ふ

     章明親王かうぶりしける日、遊びしはべりけ
     るに、右大臣これかれ歌よませはべりけるに
                      貫之
1371 琴の音も竹も千歳の声するは人の思ひに通ふなりけり

     賀のやうなる事しはべりける所にて
                      よみ人しらず
1372 百年と祝ふを我は聞きながら思ふがためはあかずぞ有りける

     左大臣の家の男子女子、かうぶりし裳着はべ
     りけるに
                      貫之
1373 大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千代の影見む

     人のかうぶりする所にて藤の花をかざして
                      よみ人しらず
1374 うち寄する浪の花こそ咲きにけれ千代松風や春になるらん

     女のもとにつかはしける
1375 君がため松の千歳も尽きぬべしこれよりまさん神の世もがな

     年星行ふとて、女檀越のもとより数珠を借り
     てはべりければ、加へてつかはしける
                      惟済法師
1376 百年に八十年添へて祈り来る玉のしるしを君見ざらめや

     左大臣の家に脇足心ざし贈るとて加へける
                      僧都仁教
1377 脇足を抑へてまさへ万代に花の盛りを心静かに

     今上、帥親王と聞こえし時、太政大臣の家に
     渡りおはしまして、帰らせたまふ、御贈物に
     御本たてまつるとて
                      太政大臣
1378 君がため祝ふ心の深ければ聖の御代の跡ならへとぞ

     御返し
                      今上御製
1379 教へ置くこと違はずは行く末の道遠くとも跡はまどはじ

     今上、梅壺におはしましし時、薪樵らせてた
     てまつりたまひける
1380 山人の樵れる薪は君がため多くの年を摘まんとぞ思ふ

     御返し
                      御製
1381 年の数積まんとすなる重荷にはいとど小付けを樵りも添へなん

     東宮の御前に呉竹植ゑさせたまひけるに
                      清正
1382 君がため移して植うる呉竹に千代も籠もれる心地こそすれ

     院の殿上にて、宮の方御より碁盤出ださせた
     まひける、碁石笥の蓋に
                      命婦清子
1383 斧の柄の朽ちむも知らず君が世の尽きむ限りはうち心みよ

     西四条の親王の家の山にて、女四内親王のも
     とに
                      右大臣
1384 並み立てる松の緑の枝分かず折りつつ千代を誰れとかは見む

  十二月ばかりに、かうぶりする所にて
                      貫之
1385 祝ふこと有りとなるべし今日なれど年のこなたに春も来にけり

    哀傷哥
     敦敏が身まかりにけるを、まだ聞かで、東よ
     り馬を贈りてはべりければ
                      左大臣
1386 まだ知らぬ人も有りける東路に我も行きてぞ住むべかりける

     兄の服にて一条にまかりて
                      太政大臣
1387 春の夜の夢の中にも思ひきや君亡き宿を行きて見むとは

     返し
1388 宿見れば寝ても覚めても恋しくて夢うつつとも分かれざりけり

     先帝おはしまさで、世の中思ひ嘆きてつかは
     しける
                      三条右大臣
1389 はかなくて世に経るよりは山科の宮の草木とならましものを

     返し
                      兼輔朝臣
1390 山科の宮の草木と君ならば我は雫に濡るばかりなり

     時望朝臣身まかりて後、果てのごろ近くなり
     て、人のもとより「いかに思らむ」と言ひお
     こせたりければ
                      時望朝臣の妻
1391 別れにしほどを果てとも思ほえず恋しきことの限りなければ

     女四内親王の文のはべりけるに、書きつけて、
     尚侍に
                      右大臣
1392 種もなき花だに散らぬ宿もあるをなどかかたみの子だになからん

     返し
                      尚侍
1393 結び置きし種ならねども見るからにいとど忍ぶの草を摘むかな

     女四内親王の事弔らひはべりて
                      伊勢
1394 ここら世を聞くが中にも悲しきは人の涙も尽きやしぬらん

     返し
                      よみ人しらず
1395 聞く人もあはれてふなる別れにはいとど涙ぞ尽きせざりける

     先帝おはしまさで、又の年の正月一日贈りは
     べりける
                      三条右大臣
1396 いたづらに今日や暮れなん新しき春の始めは昔ながらに

     返し
                      兼輔朝臣
1397 泣く涙古りにし年の衣手は新しきにも変らざりけり

     重ねてつかはしける
                      三条右大臣
1398 人の世の思ひにかなふ物ならば我が身は君に後れましやは

     妻の身まかりて後、住みはべりける所の壁に、
     かのはべりける時書きつけてはべりけるてを
     見はべりて
                      兼輔朝臣
1399 寝ぬ夢に昔の壁を見つるよりうつつに物ぞ悲しかりける

     あひ知りてはべりける女の身まかりにけるを、
     恋ひはべりける間に、夜更けて鴛鴦の鳴きは
     べりければ
                      閑院左大臣
1400 夕されば寝に行く鴛鴦の一人して妻恋ひすなる声の悲しさ

     七月ばかりに、左大臣の母身まかりにける時
     に、喪にはべりける間、后宮より萩の花を折
     りてたまへりければ
                      太政大臣
1401 女郎花枯れにし野辺に住む人はまづ咲く花をまたでとも見ず

     亡くなりにける人の家にまかりて、帰りての
     朝に、かしこなる人につかはしける
                      伊勢
1402 亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞ来し

     大和にはべりける母身まかりて後、かの国へ
     まかるとて
1403 一人行くことこそ憂けれふるさとの奈良のならびて見し人もなみ

     法皇の御服なりける時、鈍色のさいでに書き
     て人に送りはべりける
                      京極御息所
1404 墨染めの濃きも薄きも見る時は重ねて物ぞ悲しかりける

     女四内親王のかくれはべりにける時
                      右大臣
1405 昨日まで千代と契りし君を我が死出の山路に尋ぬべきかな

     先坊失せたまひての春、大輔につかはしける
                      玄上朝臣の女
1406 あらたまの年越え来らし常もなき初鴬の音にぞ泣かるる

     返し
                      大輔
1407 音に立てて泣かぬ日はなし鴬の昔の春を思ひやりつつ

     同じ年の秋
                      玄上朝臣の女
1408 もろともに置きゐし秋の露ばかりかからん物と思ひかけきや

     清正が枇杷大臣の忌みに籠もりてはべりける
     につかはしける
                      藤原守文
1409 世の中の悲しき事を菊の上に置く白露ぞ涙なりける

     返し
                      清正
1410 聞くにだに露けかるらん人の世を目に見し袖を思ひやらなん

     兼輔朝臣亡くなりて後、土左の国よりまかり
     上りて、かの粟田の家にて
                      貫之
1411 引き植ゑし双葉の松は有りながら君が千歳のなきぞ悲しき

     そのついでに、かしこなる人
1412 君まさで年は経ぬれどふるさとに尽きせぬ物は涙なりけり

     人の訪ぶらひにまうで来たりけるに、「早く
     亡くなりにき」と言ひはべりければ、楓の紅
     葉に書きつけはべりける
                      戒仙法師
1413 過ぎにける人を秋しも問ふからに袖は紅葉の色にこそなれ

     亡くなりてはべりける人の忌みに籠もりては
     べりけるに、雨の降る日、人の訪ひてはべり
     ければ
                      よみ人しらず
1414 袖乾く時なかりつる我が身には降るを雨とも思はざりけり

     人の忌み果ててもとの家に帰りける日
1415 ふるさとに君はいづらと待ち問はばいづれの空の霞と言はまし

     敦忠朝臣身まかりて、又の年、かの朝臣の小
     野なる家見むとてこれかれまかりて、物語し
     はべりけるついでによみはべりける
                      清正
1416 君がいにし方やいづれぞ白雲の主なき宿と見るが悲しさ

     親のわざしに寺に詣で来たりけるを聞きつけ
     て、「もろともに詣でましものを」と、人の
     言ひければ
                      よみ人しらず
1417 わび人の袂に君が移りせば藤の花とぞ色は見えまし

     返し
1418 よそに居る袖だにひちし藤衣涙に花も見えずぞあらまし

     題しらず
                      伊勢
1419 ほどもなく誰れも後れぬ世なれども止まるは行くを悲しとぞ見る

     人を亡くなして、限りなく恋ひて、思ひ入り
     て寝たる夜の夢に見えければ、思ひける人に、
     「かくなん」と言ひつかはしたりければ
                      玄上朝臣の女
1420 時の間もなく覚めつらん覚めぬ間は夢にだに見ぬ我ぞ悲しき

     返し
                      大輔
1421 悲しさの慰むべくもあらざりつ夢のうちにも夢と見ゆれば

     在原利春が身まかりにけるを聞きて
                      伊勢
1422 かけてだに我が身の上と思ひきや来む年春の花を見じとは

     一つがひはべりける鶴の一つが亡くなりにけ
     れば、留まれるがいたく鳴きはべりければ、
     雨の降りはべりけるに
1423 鳴く声に添ひて涙は上らねど雲の上より雨と降るらん

     妻の身まかりての年の師走のつごもりの日、
     古事言ひはべりけるに
                      兼輔朝臣
1424 亡き人の共にし帰る年ならば暮れ行く今日はうれしからまし

     返し
                      貫之
1425 恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別れやいとど遠くなりなん

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