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渋谷栄一著(C)

僻案抄

1.概要

 「僻案抄」は、藤原定家が父の俊成から教えを受けた三代集に関する家説を子孫に伝えようとして著述された歌学書である。
 「僻案抄」には、「嘉禄二年(1226)八月」と、「延応二年(1240)六月」の識語をもつ伝本が知られており、久曾神昇は、これらを識語から「初稿本」と「再稿本」とに分類した。
 その後、川平ひとしは『僻案抄』の諸伝本を博捜し、久曾神昇の「初稿本」を「一類本」とし、「再稿本」を「二類本」とそれに類似しながらも両類に還元し得ない独自異文をもつ「三類本」とに分類し、「初稿本」から「再稿本」へというような直線的にな展開は想定しがたいとした。なお、乾安代は、『僻案抄』の授受対象者の違いによりその記載内容に取捨選択がなされていることを指摘した。
 海野圭介は、現存本全ての『僻案抄』に藤原行成筆本「後撰和歌集』に関わる記事が見られることを指摘し、「第一類本」は「第二類本」の一部追補がなされた後に書写された一本から派生し、「第一類本」と「第二類本」とはそれぞれの生成展開過程をたどり、「第二類本」は現存本中最も初期の段階から最終段階のものまで混在し、「第三類本」も定家の書き入れ等のあった定家筆本から発生しているものであることを指摘した。
 「天理図書館蔵本」の項目数は『古今集』71項目、『後撰集』45項目、『拾遺集』14項目、合計130項目である。ただし、「古今集」巻八の最後の部分に一丁程の脱落がある。なお「群書類従本」は「再稿本」系統である。
「第一類本」系統…照高院道晃法親王等筆「東山御文庫本」(「高松宮家旧蔵本」の親本)・国立歴史民俗博物館蔵「高松宮家旧蔵本」(『国立歴史民俗博物館蔵貴重典籍叢書』第15巻所収)・京都大学附属図書館蔵「中院文庫本」・「天理図書館蔵本」(天理図書館善本叢書『平安時代歌論集』第35巻所収)
「第二類本」系統…宮内庁書陵部蔵「鷹司本」・慶応義塾大学「斯道文庫蔵伝飛鳥井雅章筆本」「神宮文庫蔵本」
「第三類本」系統…慶応義塾大学「斯道文庫蔵本」

  • 翻刻テキスト(天理図書館蔵本)
  • 研究ノート(底本 群書類従本)

    2.主要研究史

    1977年(昭和52年)5月 『天理図書館善本叢書35 平安時代歌論集』(久曾神昇「解題」 八木書店 昭和52年5月)
    1982年(昭和57年) 瓜生安代「僻案抄(解説・翻刻)」(小沢正夫編『三代集の研究』明治書院 昭和57年)
    1983年・1984・1985年(昭和58・59年・60年)3月・3月・3月 川平ひとし「『僻案抄』書誌稿」(『跡見学園女子大学紀要』(第16号・17号・18号 昭和58・59年・60年3月・3月・3月)
    1987年(昭和62年)3月 大野久枝「『顕注密勘』と『僻案抄』の比較」(『王朝文学史稿』第14号 昭和62年3月)
    1990年(平成2年)11月 乾安代「僻案抄小考(続)」(『園田語文』第5号 平成2年11月)
    1991年(平成3年)2月 乾安代「僻案抄小考」(『後藤重郎先生古希記念国語国文学記念論文集』和泉書院 平成3年2月)
    1994年(平成6年)11月 乾安代「僻案抄小考(三)−後撰集本文を中心に−」(『国学院雑誌』第95槙11号 平成6年11月)
    1997年(平成9年)3月 上野順子「『僻案抄』攷−御子左家「家説」の改変−」(『国文学研究』第121号 平成9年3月)
    1999年(平成11年)12月 海野圭介「僻案抄の伝本と生成」(『和歌文学研究』第79号 平成11年12月)

    3.研究情報(解題・論文抄)

    天理図書館蔵本「僻案抄」書誌
    《久曾神》「本書(天理図書館蔵本)は二重箱に納められている。外箱(縦二八糎、横一九糎、深五・五糎)は柾目材を使用した古雅な箱で、横から入れるようにし、下辺に紫檀材を用いて上方に引上げる蓋を差入れるように造り、表面中央に「古写本僻案抄」と墨書してある。内箱(縦二六・五糎、横一七・七糎、深三・八糎)は柾目の桐材を用い、金泥面取とし、蓋中央に金文字で「僻案抄 為家卿筆」と書いてある。その中の服紗(四四糎×五二糎)は無文紫絹である。本書は縦二四・二糎、横一五・七糎の綴葉装で、五折より成り、各折とも料紙六枚、都合三十枚、六十丁のうち、第一丁は表の表表紙となり、次の一丁は遊紙、最後の二丁は脱し、その前の一丁は裏の表表紙となっている。表紙は複製に見る如き文様織出した綾絹で、左上に銀砂子を蒔いた竜文紙の題簽(一二・六糎×二・六糎)を貼り「僻案抄」と墨書してある。正徳五年(一七一五)の古筆了音の折紙によれば筆者は為家となっている。近似した書風ではあるが明確にしがたい。なお外題筆者は冷泉持為となっている。(価格は金十五枚、即ち百五十両とある。)」(「解題」35頁)

    「僻案抄」の諸本
    《久曾神》「「僻案抄」の伝本は二大別できる。甲本は次のごとき定家の識語のみを有するものである。
      往年治承之比、古今後撰両集、受庭訓之口伝、年序已久。雖恐怱忘、先達古賢  之所注、後代之所見、猶非無其失。況依恥管見謬説、故不載紙筆。今迫耄及之期、顧余喘之尽、至于愚老之没後、為散遺孤之蒙昧、抽最要密々所染筆也。更莫令他見。
        嘉禄二年八月日   戸部尚書」
    「迫耄及之期」とあるが、嘉禄二年は六十五歳で、それより十五年後、八十歳で没した。乙本はその後に更に定家の次の識語の加わったものである。   此草注付之後、拾遺相公一人之外、更不他見。至嘉禎四年、忝依承旧好之倫言、遥付嚮北雁足。前員外典厩、染心於和語之詞藻、成師弟之契約、常依被訪閑寂之蓬戸、不顧狼藉之草、所許被一見也。努々莫他見。
        延応二年六月日   桑門明静
    嘉禄二年には「至于愚老之没後、為散遺孤之蒙昧」と考えていたのであるが、その後に「拾遺相公」(為家か)、ついで嘉禎四年(一二三八)に遠島の上皇(後鳥羽院か)に奉ったのみであったが、この度「前員外典厩」(藤原長綱か)に示したのである。しかして甲本が初稿本で乙本が再稿本である。」(「解題」34〜35頁)
    「僻案抄」の伝本と生成
    《海野》「二、『僻案抄』の草稿的段階を保存すると考えられる伝本の内、鷹司本[第二類]は、『顕注密勘』に記されず『僻案抄』にも元来未載であったと推測される証歌を行間や欄外への書入追補の形態で記しており、現存伝本に認められる最も早い段階の改稿の跡を保存すると考えれる。また、鷹司本には祖本の形態を付箋等に至るまで比較的忠実に保存しようとした形跡が認められる。
     三、『僻案抄』第三類は、書入等の改稿の跡を保存する定家筆本に近い位置にある伝本から派生していると考えられる。
     四、『僻案抄』第一類は、現存第二類に認められる一部の追補がなされた後に、改めて別に書写された一本に発すると思われ、第二類に後発すると考えられるが、両類は更に独自の生成の過程を辿ったと推測され、現存伝本の注記内容は必ずしも第二類から第一類へという展開で説明し得ない。
     五、第二類には、現存本中最も早い段階の改稿の跡から定家の最終的関与が確認できる延応二年の奥書までが混在することになるが、これは第二類の基づく草稿的段階を保存する定家筆本に長期に亘る生成の過程を想定すべきである。」(『和歌文学研究』第79号)
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