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渋谷栄一(C)

「僻案抄」研究ノート

藤原定家の三代集歌学の研究の進展過程をたどることに眼目をおいた。
1.本文は、活字本「僻案抄」(群書類従本 経済雑誌社版)によった。
2.まず各冒頭に3桁の数字で項目番号を記した。
3.引用句、引用歌等は「」で括り、また書名等は『』で括った。
4.本文には句読点や濁点等を付けた。
5.各和歌の末尾に()で出典を記した。
5.*以下に天理図書館本と群書類従本との異同を記した。

僻案抄  京極中納言定家卿

古今
001 袖ひちてむすほし水のこほれるを春たつけふの風やとくらん(春歌上 二 紀貫之)
  「ひちて」は、「ひたして」といふ心也。此詞むかしの人このみよみけるにや。『古今』にはおほく見ゆ。『後撰』にはひとつふたつあるにや。今の世のうたにはよむべからずとぞいましめられし。
  *1「すくなし」(天)-「ひとつふたつあるにや」(群)
  *2「世+の哥」(天)-「世のうた」(群)

002 春たてば花とや見らむしら雪のかゝれるえだに鴬のなく(春歌上 六 素性法師)
  「見らん」とは、「見るらん」といふ同じ心也。「みるらん」といはば文字多かれば、「見らむ」と読り。ことにしたがひて此ごろもなどかよまざらん。『万葉集』にはおほくよめり。「みえん」といふ説付たる本あり。不可用。
  *1「もちゐるへからす」(天)-「不可用」(群)

003 心ざし深くそめてしおりければきえあへぬ雪の花と見ゆらん(春歌上 七 よみ人しらず)
  「折ければ」を、ひとつの説に、「居ければ」とよむべしといふ。「折ければ」にて、下句の心たがふべからず。「居」も歌によむ詞なれど、きゝてよからず。「折」を用侍べしとぞ申されし。
  *1「もちゐるへし」(天)-「用侍べし」(群)

004 春日野のとぶひの野守出て見よ今いくかありて若菜つみてむ(春歌上 一九 よみ人しらず)
  春日野に「飛火野」といふ事あり。烽たてられけるゆへといふ。其野をまもる人を「野守」といふ。野を守る人なれば、いでて見よ、今いくか有てか若菜つむ程になるべきといふ也。又一説、「とぶ日野の杜」といふ。不可用。

005 もゝ千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく(春歌上 二八 よみ人しらず)
  「もゝちどり」とは鴬をもいふ。又春きてはさま/\の鳥きたり囀るとて、おほくの鳥を「百千鳥」といふとも申せど、それも鴬をむねとすべきか。此歌は鴬ときこゆれど、うぐひすの歌にはなれて、柳をへだてゝいれたるもおぼつかなし。されど、「もゝちどり」といふは、鴬はなるべしとは聞えぬにや。
  *1「鴬ともいふ」(天)-「鴬をもいふ」(群)
  *2「申す」(天)-「申せど」(群)
  *3「鴬の哥にはなれて」(天)-「それも鴬をむねとすべきか此歌は鴬ときこゆれどうぐひすの歌にはなれて」(群)
  *4「柳哥」(天)-「樢」(群)
  *5「といふも」(天)-「といふは」(群)
  *6「きこえす」(天)-「聞えぬにや」(群)

006 春くれば雁かへるなり白雲の道行ぶりにことやつてまし(春歌上 三〇 凡河内躬恒)
  「みちゆきぶり」とは、道ゆかんついでの心也。
『万葉集』に
「玉ぼこの道ゆきぶりに思はざるいもをあひみてこふるころかも」。
ふるくよめる歌の詞にて心うべし。

007 春の夜の闇はあやなし梅のはな色こそ見えね香やはかくるゝ(春歌上 四一 躬恒)
  「あやなし」とは、たとへばかひなき事をあぢきなくなどいふやうなる詞也。又物語などにも、「あがなし」といふ事もおなじさまの事にや。ふるき歌を多く見て、こと葉つかへるやうは心うべし。
  *1「おなしさまの事也」(天)-「おなじさまの事にや」(群)

008 たれしかもとめておりつる春かすみたちかくすらん山の桜を(春歌上 五八 貫之)
  「たれしかもとめておりつる」とは、たゞ誰がとめて折つるといはんとするに、文字のすくなければ、「誰かも」といふ。猶すくなければ、「し」をぐして「誰しかも」といへる也。「然」といふ説は僻事心えて、をしていふ也。古き哥にはかくいたづらなる文字をそふる也。「然」の字ならば、「たれかしか」とぞいふべき。
  *1「たれしかもとは」(天)-「たれしかもとめておりつるとは」(群)
  *2「いはんとする」(天)-「いはんとするに」(群)
  *3「たれしも」(天)-「誰しかも」(群)
  *4「僻事也」(天)-「僻事心えてをしていふ也」(群)

009 さくら花春くはゝれる年だにも人の心にあかれやはせぬ(春歌上 六一 伊勢)
  此さくら花のをきやうを、「さきにけらしなあしびきの」といふ同じことに心えて、あかれやはせぬはいはれず、あかれやはするとこそいはめといふ人有。無下に放埒の事也。これは桜ばなとよびて、春のひさしき年だに、人にあかれよとをしふる心也。かやうのことをよく心えわくべし。
  *1「ありけり」(天)-「有」(群)

010 春風は花のあたりをよきてふけ心づからやうつろふとみん(春歌下 八五 藤原好風)
  「よきてふけ」とは、のぞきてといふ心也。「心づから」とは、身のうへにする事はみづからといひ、我いふことは口づから、我手にし出でたる事は手づから、心にてする事は心づからといふ也。「うつろふ」とは、花もなにも、色のおとろへがたに、かはりゆくをいふ也。
  *1「よきて」(天)-「よきてふけ」(群)
  *2「といふ」(天)-「といひ」(群)
  *3「といふ事也」(天)-「といふ也」(群)

011 まてといふにちらでしとまる物ならば何を桜に思ひまさまし(春歌下 七〇 よみ人しらず)
  「まてといふに」とは、しばしまてといふ事也。「やよやまて」も、まてしばしも、同じ心也。

012 いざ桜我もちりなんひとさかりありなば人にうきめ見えなん(春歌下 七七 承均法師)
  ひとさ勧りすぎなば人にうきめこそ見えめ、桜のやうに我もちりなん竿いへる。させる深き心もなし。これを「いとさかり」とは、文字かきたがへたる本につきて、「最」と釈する説は不可用物。物かきうつすとて、あらね僻文字ども書けるものゝ、ことやうの手なる草子を、貫之自筆といひて、人すかしける物を、もてなしていひ出たるいたづら事也。其本貫之が手にあらず。
  *1「いとさかりとい文字」(天)-「いとさかりとは文字」(群)
  *2「本を見つけて」(天)-「本につきて」(群)
  *3「説」(天)-「説は」(群)
  *4「かきうつすとて」(天)-「物かきうつすとて」(群)
  *5「貫之か自筆」(天)-「貫之自筆」(群)
  **「清輔本古今和歌集」は第三句「いとさかり」とし、勘物に「此哥在素性集/普通ハヒトサカリ」とある。

013 ことならばさかずやはあらぬ桜花見るわれさへにしづ心なし(春歌下 八二 貫之)
  「ことならば」とは、かくのごとくならばといふ心也。しもに、花のこと世のつねならばといふこともおなじ心也。
  *1「といふもおなし心也」(天)-「といふこともおなし心也」(群)

014 三輪山をしかもかくすか春がすみ人にしられぬ花やさくらん(春歌下 九四 貫之)
  しかもかくすか、然もかくすか也。さもかくすかといふ詞也。

015 いざけふは春の山べにまじりなんくれなばなげの花のかげかは(春歌下 九五 素性)
  「くれなばなげ」とは、くれぬともなかるべき花のかげかは、夜も花にまじりてねなむと読る也。

016 春ごとに花のさかりはありなめどあひみん事は命なりけり(春歌下 九七 よみ人しらず)
  「有なめ」とは、あらんずらめともといふ也。
  *1「ありなめとゝは」(天)-「有なめとは」(群)

017 花のごと世の常ならばすぐしてし昔は又もかへりきなまし(春歌下 九八 よみ人しらず)
  此哥「よのつねなくば」とかきたる本あり。其も心はたがふまじけれど、猶つねならばとてこそ心もあらはに聞えめ。
  *「よのつねなくば」未詳。

018 駒なべていざ見にゆかん古郷は雪とのみこそ花はちるらめ(春歌下 一一一 よみ人しらず)
  「こまなべて」は、ならべて也。うちつれたるよし也。なめてともかく。
  *定家本及び諸本「こまなめて」。昭和切が「こまなへて」とある。
  *1「ともかくおなし事也」(天)-「ともかく」(群)

019 思ふどち春の山辺にうちむれてそこともいはぬ旅ねしてしが(春歌下 一二六 素性)
  「思ふどち」とは、おもふ人どちひきぐして、そことさしてもゆかぬ春の山にたびねしてしがなといふ。「してしがな」といふ詞は、せばやと思ふ事を、「してしがな」、「ありにしがな」とはいふ也。
  *1「そこともしらぬ」(天)-「そこともいはぬ」(群)
  *2「たびねしてしか」(天)-「たびねしてしがな」(群)
  *3「とはしてし哉といふ詞は」(天)-「といふしてしかなといふ詞は」(群)

020 郭公ながなく里のあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから(夏歌 一四七 よみ人しらず)
  「なが鳴」とは、なれがなくといふ心也。あまたの里をかけてなけば、おもへども猶うとましといふよし也。

021 やよやまて山ほとゝぎすことづてむわれ世中にすみわびぬとよ(夏歌 一五二 三国町)
  「やよやまて」とは、やしばしまてといふ心なり。時鳥はしでのたおさといふ鳥なれば、此世に我すみわびぬ、我をとくさそへといふよしのことづて也。

022 五月雨の空もとゞろになくほとゝぎす何をうしとかよたゞなく覧(夏歌 一六〇 貫之)
  「とゞろ」とは、空もうごくやうにといふ也。「よたゞ」とは、夜もしづまらずさはぎなくといふ心也。

023 むかしへや今も恋しきほとゝぎすふる里にしも鳴てきつらん(夏歌 一六三 忠岑)
  「昔へ」とは、又たゞむかしといふに、文字たらねば、「むかしへ」といふ也。

024 木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり(秋歌上 一八四 よみ人しらず)
  此歌おぼつかなき事なし。例の本におちくる月とかきたるを、めでたき説といふものあり。をのがよむ歌も聞にくゝ、しななき姿言葉を好ものは、古き歌をさへをのが歌のさまに作りなす也。月落とは山にいる月也。おちくるとはいふべくもあらず。月にかぎらず、おちくるといふ詞、このみよむべからず。

025 いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事のかぎりなりける(秋歌上 一八九 よみ人しらず)
  「いつは」とは、いつとはわかねどゝいふを、文字たらねば、「いつはとは」といへり。

026 白雲にはねうちかはしとぶ雁のかずさへみゆる秋の夜の月(秋歌上 一九一 よみ人しらず)
  此哥、「かずさへ」「影さへ」、昔より両説といふ。明月いたれるとき、ものゝ影なきを本意とす。はるかにとぶ雁の数さへたしかにみえんこそ月のあかき心にはかなふべければ、両説ありとも、「数さへ」を用。
  *1「両説又二首哥なといふ」(天)-「両説といふ」(群)
  *2「くまなき心に」(天)-「あかき心には」(群)
  *昭和切・定家本・雅俗山庄本「かすさへ」
  *頼政切・関戸本・元永本・筋切本・清輔本・基俊本「かけさへ」

027 我門にいなおほせ鳥のなくなへにけさふく風に雁はきにけり(秋歌上 二〇八 よみ人しらず)
  此鳥さま/\に清輔朝臣等の人々説々をかきて、事きらざるべし。此哥、雁はきにけりといふに、雁といふ説はあるべからず。時の景気秋風すゞしく成行ころ、庭たゝきなれ来りて、をとろへゆく秋草の中におりゐて、色も声もめづらしき比、はつ雁の空にきこゆる。当時ある事なれば、つねの人の門庭などになれこぬ鳥を、遠くもとめ出さで、めのまへに見ゆることにつくべしと思給也。いはまほしからん人は、鳳とも鸞とも心にまかせていひなすべし。たがひにしるべからず。
 近年或好士安芸国にまかれりけるに、宿所より立出たりけるに、にはたゝきのおりゐてなきけるを、女の有けるがみて、いなおほせ鳥よといひけるを聞て、「など此鳥をいなおほせ鳥といふぞ」と問ければ、「此鳥きたりなく時、田より稲をおひて家々にはこびをけば申也」といひけり。国々の田舎人は、かやうの事をやす/\といひ出す。おかしく聞ゆ。
 この事きゝて後に、安芸国にかよふ人にとへば、みな同じさまに聞たるよしを申也。大和河内などにも、あまねく申よし聞ゆ。ひとへにをしていはんよりは、国々土民の説ももちゐべくや。人の心にしたがふべし。
  *1「この」(天)-「此哥」(群)
  *2「此垰かりといふ説は」(天)-「雁といふ説は」(群)
  *3「後年に追注付ある好士安芸国に」(天)-「いはまほしからん人は、鳳とも鸞とも心にまかせていひなすべし。たがひにしるべからず。近年或好士安芸国に」(群)
  *4「この鳥をは」(天)-「此鳥を」(群)
  *5「いなおほせ鳥とは」(天)-「いなおほせ鳥と」(群)
  *6「国々田舎の人」(天)-「国々の田舎人」(群)
  *7「やすらかに」(天)-「やす/\と」(群)
  *8「きゝて後」(天)-「きゝて後に」(群)
  *9「一州一村にも」(天)-「大和河内なとにも」(群)
  *10「当時かく申さんにとりては」(天)-「あまねく申よし聞ゆ」(群)
  *11「もちゐるへし」(天)-「国々土民の説ももちゐべくや」(群)
  *12「但可随人々所好」(天)-「人の心にしたかふへし」(群)

028 秋萩にうらびれおればあしびきの山したとよみ鹿のなくらむ(秋歌上 二一六 よみ人しらず)
  「うらびれ」「うらぶれ」といふことば、物おもひうれへたる心なり。しなへうらぶれなどいふ。皆おなじ心なり。

029 おりてみばおちぞしぬべき秋萩のえだもたはゝにをける白露(秋歌上 二二三 よみ人しらず)
  「枝もたはゝ」「とをゝ」、ふたつの説をつけたり。いづれも露のをもくをきて、枝のたはみなびけるよし也。ふかき心なし。
  *1「露をもく」(天)-「露のをもく」(群)

030 雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞ咲ける(冬歌 三二三 紀貫之)
  「冬ごもり」とは、冬とてもこもる事なき草木も、花も葉もなく、霜雪にうづもれたるを、冬ごもりと云なり。昔のさくやこのはな冬ごもりより読いだしたり。

031 すがるなく秋の萩原あさたちて旅ゆく人をいつとかまたん(離別歌 三二三 紀貫之)
  「すがる」、少年の昔、古今の説うけ侍し時、「すがるは鹿の別名なり」と申されし。
『万葉集』には、
「春さればすがるなくのゝ郭公ほと/\いもにあはずきにけり」
「春のゝに成」といへる。鹿にかなはねば、さゝつはちなど申めり。此哥に取ては、秋の萩原になかん鹿うたがひなき歟。『和哥綺語』といふ物にも、蜂の子とかきて侍き。
  *1「すかるは」(天)-「すかる」(群)
  *2「すかる」(天)-「すかるは」(群)
  *3「とそ申されし」(天)-「と申されし」(群)
  *4「春なれは」(天)-「春されは」(群)
  *5「そのゝに」(天)-「春のゝに」(群)
  *6「さゝり(り+な)と」(天)-「さゝつはちなと」(群)
  *7「無疑歟」(天)-「うたがひなき歟」(群)
  *8「綺語抄といふ物」(天)-「和哥綺語といふ物」(群)
  *9「わかきしか又はちなとかきて侍めり」(天)-「蜂の子とかきて侍き」(群)

032 あさなけに見べき君としたのまねば思たちぬる草枕なり(離別歌 三七六 藤原公利)
  「あさなけ」「あさにけ」、同じ事なり。先人の説、朝ゆふにといふ同じ心なりとぞ申侍し。
『後撰』には、
「あさなけに世のうきことをしのびつゝながめせしまに年はへにけり」。
『万葉集』には、おほく「あさにけ」と読る。おなじ心なり。文字には「朝尓食」とかきたり。「いかならん日の時にかもわぎもこがもひきの姿あさにけに見ん」。何も此心たがはず。
  *天理図書館蔵本「僻案抄」は欠脱一丁分のうち。

033 人やりの道ならなくに大方はいきうしといひていざ帰りなん(離別歌 三八八 源実)
  「人やり」とは、人のやる道かは、我とゆけば、いきうしといひて帰りなんとよめる也。「人やりならず」といふ詞も、心からする事をいふ也。
  *天理図書館蔵本「僻案抄」は欠脱一丁分のうち。

物名 すみなかし
034 春がすみなかし通ひぢなかりせば秋くる雁はかへらざらまし(物名歌 四六五 滋春)
  霞の中かよひぢなかりせば秋の雁かへらざらましとよめりし文字は、れいのたらねばそへたり。郭公ながなくさとの哥の心を、汝がしかよひぢといふは、あしく了簡したるひが事也。

035 いさゝめに時まつまにぞひはへぬる心ばせをば人に見えつゝ(物名歌 四五四 紀乳母)
  「いさゝめ」とは、かりそめの心也。
『万葉集』
「槙柱つくる杣人いさゝめにかりほにせんとつくりけめやは」
「いさゝめに思ひし物をたごの浦にさける藤浪一夜へにけり」
又「いさなみ」といふ詞、おなじ心か。
「いさなみに今も見てしか秋萩のしなひにあらん妹が姿を」。
  *1「いさなみ率尓といふ詞」(天)-「いさなみといふ詞」(群)

036 時鳥なくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬ恋もするかな(恋歌一 四六九 読人しらず)
  「あやめもしらぬ」とは、人こふるあまりに我心ほれ/\しくいふかひなくなりて、あやめもしゑずなりにたりといふなり。「あやめ」とは、錦の縫ものをはじめて、かめのかう、かひのからまで、文なきものはすくなし。又あみのめ、このめ、きぬのめ、ぬのめ、ぬひめ、うちめなどいひて、物の色ふし見えわかれ、くらからぬときは、文と目とのわかれぬ事なきを、心もほれ、めもみえぬときは、あやめもわかずしらぬなり。夕ぐれのくらくなりはつるを、ものゝあやめわかれぬほどになど、古きものに、常にかきたる也。重代心にくかるべき歌よみも、これを知らぬ人も侍けり。昔の人、中比までは、つねにかやうにいふ詞などは、みなあまねくしりたるを、近き世よりかくやすき事をも人にならはで、あたらしく万のことをつくり出すなり。
  *1「錦ぬひもの」(天)-「錦の縫もの」(群)
  *2「きぬめ」(天)-「きぬのめ」(群)
  *3「あやも目もわかす」(天)-「あやめもわかす」(群)
  *4「くらく侍を」(天)-「くらくなりはつるを」(群)
  *5「うたよみ又作本文する物なともこれをわきまへぬも侍るにや」(天)-「歌よみもこれを知らぬ人も侍けり」(群)
  *6「事は」(天)-「詞なとは」(群)
  *7「しりたりしを」(天)-「しりたるを」(群)
  *8「あたらしくつくりいたすほとに不分別事も侍也」(天)-「あたらしく万のことをつくり出すなり」(群)

037 たちかへりあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつしら浪(恋歌一 四七四 元方)
  此哥の心、よその思ひにて、さぞとだにしられぬ事をなげくこと、をしかへし思へば、それもあはれにおぼゆ。さるべき契りありてやなど、思はれたるよしにや。「人に心をおきつしら波」とは、心をかけたりといふなり。此集のおくに、「など世中のたまだすきなる」といへるも、中/\にかけたるをくるしと読る也。
  *1「なけゝと」(天)-「なけくこと」(群)
  *2「おもひいれたる」(天)-「思はれたる」(群)

038 夕暮は雲のはたてに物ぞおもふあまつ空なる人をこふとて(恋歌一 四八四 よみ人しらず)
  「雲の旗手」とは、日のいりぬる山に、ひかりのすぢ/\立のぼりたるやうに見ゆる雲の旗の手にも似たるをいふなり。又蛛の手のよしに書たる物もあれど、あまつ空なるなどゝよめる歌、雲ならでうたがふべき事なし。重之、蛛と読たるも、雲の旗手なれど、蛛にそへよまん。なかるべき事にあらず。
  *1「あまつ空なるなと」(天)-「あまつ空なるなとゝ」(群)
  *2「雲のはたなれと」(天)-「雲の旗手なれと」(群)
  *3「蛛によそへ」(天)-「蛛にそへ」(群)

039 我そのゝ梅のほつえに鴬のねになきぬべき恋もするかな(恋歌一 四九八 よみ人しらず)
  「ほつえ」とかきて、そばに「はつへ」とつけたる本、「ほつえ」「はつえ」おなじ事、梅のすゑの枝なり。但又「ほつえ」、つぼめる枝をいふと云説もありと申されき。『万葉集』に、柳にも「ほつえ」と読たり。それも同事なり。十二月によめる哥也。
  *1「つけたる本にて」(天)-「つけたる本」(群)
  *2「又ほつえ」(天)-「但又ほつえ」(群)
  *3「柳をも」(天)-「柳にも」(群)
  *4「それも同事歟」(天)-「それも同事なり」(群)
  *5「よめる哥也」(天)-「詠する哥也」(群)

040 いで我を人なとがめそおほ舟のゆたのたゆたに物思ふころぞ(恋歌一 五〇八 よみ人しらず)
  『万葉集』
「我心ゆたのたゆたにうきぬなはへにも沖にもよりやかねまし」
 此歌の心も、うきぬなは浪にゆられてたゆたふ心ときこゆ。或は舟にいる水をかく手のたゆきといふ説あれど、それはしらず。たゞとかくたゆたひて、物おもふよしとぞ聞侍し。
  *1「それはもちゐす」(天)-「それはしらす」(群)

041 淡雪のたまればかてにくだけつゝ我もの思ひのしげきころ哉(恋歌一 五五〇 よみ人しらず)
  「かてに」とは、たまればかつ/\くだけつゝといふ心也。雪のたまるとみれば、かつ/\ほろ/\とおつるを、くだけつゝとはいふ也。

042 よるべなみ身をこそとをく隔てつれ心は君がかげとなりにき(恋歌三 六一九 よみ人しらず)
  「よるべ」とは、たとへば立よりたのむ縁など有あたりを云也。無縁にさしはなたれたるを、よるべなしといふ也。此事たゞよるべといふ詞にて、哥にもよみ詞にもかけば、昔の人はうたがひ思事もなくいひ伝へたるを、ちかき世に、ものゝよしをしらず、古き事を見さとらぬものゝ、『源氏物語』に、賀茂祭日よるべの水とよみたるは、社頭に神水とて瓶に入たる水也など、自由にいひ出たるは、いたづら事也。おなじ物語のかたはらの巻/\をだに見ざりける、いふかひなき事也。
 『後撰』の哥に滋幹、
「鳴戸よりさた出されし舟よりも我ぞよるべもなき心地せし」
「数ならぬ身は浮草になりな南つれなき人によるべしられじ」。
  *1「よるへなしとは云也」(天)-「よるへなしといふ也」(群)
  *2「物ゝよししらす」(天)-「ものゝよししらす」(群)
  *3「見とらぬ(見とらぬ=賀茂政平也)」(天)-「見さとらぬ」(群)
  *4「後撰哥滋幹少将」(天)-「後撰の哥に滋幹」(群)
  *5「浮草と」(天)-「浮草に」(群)

043 大方は我なもみなとこぎいでなん世を海辺たに見るめ少し(恋歌三 六六九 よみ人しらず)
  此哥をばたゞ「わが名もみなとこぎいでなん世をうみべだにみるめすくなし」とよみて、なにと申さるゝ事なかりしかば、海の辺だにみるめすくなければ、みなとへこぎいでなんと読るを思ひて侍き。
 顕昭、『後撰』の「おきつ玉もをかづく身にして」といふ哥を了簡して、海べだにと申たる。ことはりかなひて、さとりいだして侍けり。されど哥ならぬ詞にも、「へた」といふことつかはまうければ、猶「海辺たに」とて侍なん。
 『万葉集』にも、
「あは海のへたは人しるおきつなみきみをゝきてはしる人もなし」。
「へた」、海のはたと聞えたり。
  *1「よめると」(天)-「読るを」(群)
  *2「顕昭法師」(天)-「顕昭」(群)
  *3「申ける」(天)-「申たる」(群)
  *4「侍なんや」(天)-「侍なん」(群)
  *5「但万葉集第十二」(天)-「万葉集にも」(群)
  *6「これも海のへたとはきこ江たり清輔朝臣奥義此哥をかきいたしなから無其釈以往人皆うみ辺たにと存歟」(天)-「へた海のはたと聞えたり」(群)

044 梓弓ひきのゝつゞらすゑつゐに我おもふ人にことのしげらん(恋歌四 七〇二 よみ人しらず)
  此哥の心、たとへば、おもふ中のいかなることかいでこんとあやぶみおもひしに、すゑつゐに此人にことのしげゝむとは、よからぬ口舌いできたりといふ心也。「事しげし」とは、争論口舌をいひならはしたり。
 『万葉集』 但馬皇女
「人ことをしげみこちたみ老が世にいまだ渡らぬあさ川わたる」
 『後撰』
「事繁き里にすまずはけさなきし雁にたぐひていなまし物を」
「事繁し暫しはたてれよひのまにをけらん露はいでゝ払はん」
「すゑつゐに」とは、すゑになりてつゐにおもふもしるくこといできぬと云也。
『万葉』十一
「玉のをの[糸+舌]りかりつゝ末つゐにゆきは別れず同じをにあはん」
「後つゐにいもにあはんと朝露の命はいけり恋はしけれど」
「我ゆへにいたくなわびそ後つゐにあはじと思ひし我ならなくに」
二十
「高まどの野へはふくすの末つゐにちよに忘れん我大君かも」
「後つゐに」「すゑつゐに」、たゞおなじ心也。此心にてこそ返しの、
「夏引の手びきの糸をくりかへしことしげくともたゝんと思な」
この哥もかなひて聞ゆれ。「末」の字は、「のち」と読字也。
  *1「万葉集」(天)-「万葉集但馬皇女」(群)
  *2 ナシ(天)-「事繁き里にすまずはけさなきし雁にたぐひていなまし物を」(群)
  *3「すゑつゐとは」(天)-「すゑつゐにとは」(群)
  *4「玉の緒をくゝりよてつゝ」(天)-「玉のをの[糸+舌]りかりつゝ」(群)
  *5 ナシ(天)-「二十」(群)
  *6「のちつゐすゑつゐ」(天)-「後つゐにすゑつゐに」(群)
  *7「同事也」(天)-「おなし心也」(群)

045 暁の鴫のはねがきもゝはがき君がこぬよは我ぞかずかく(恋歌五 七六一 よみ人しらず)
  此哥は、『和歌論義』といふ物にくはしく書たり。今ひとつのうた、
「暁のしぢのはしがきもゝよがき我がこぬよは我ぞかずかく」
かやうに昔よりふたつの説ならべる事は、たゞふたつながら、かれもこれも用べきなりとぞ申されし。
『院殿上歌合』に、先人、
「思ひきや榻のはしがきかきつめて百夜も同じ丸ねせんとは」
とよまれたるを、時の人々、ことのほかにほまれあるやうに申けるを、そねむともがら、「鴫の羽がき」の哥をすて、「しぢのはしがき」につくかといふ事を申けるとぞ後に聞侍し。もとより此哥を、「しぢのはしがき」にてこそあれといひなすにはあらず。ふたつある古哥なれば、一につきてよまれたる也。
「住わびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿もとめてん」
かたはらに、「爪木こるべき」とつけりと、先人、そのかみ、
「住わびて身をかくすべき山里にあまりくまなき夜半の月哉」
この哥、あまねく人の口に申き。老のゝち、
「今はとて爪木こるべき宿の松ちよをば君と猶いのるかな」
これ又勅撰にのせられ侍にき。たれをもかれをも、ひとつにつくには侍らず。
  *1「此事」(天)-「此哥は」(群)
  *2「ゝ(き)みかこぬ夜は」(天)-「我がこぬよは」(群)
  *3「ふたつの説ある事は」(天)-「ふたつの説ならべる事は」(群)
  *4「院殿上哥合」(天)-「院殿上歌合に」(群)
  *5「そねみ思ともから」(天)-「そねむともから」(群)
  *6「しきのはねかき」(天)-「鴫の羽かき」(群)
  *7「うたをすてゝ」(天)-「哥をすて」(群)
  *8「申けると」(天)-「申けるとぞ」(群)
  *9「いまはかきりの」(天)-「今はかぎりと」(群)
  *10「つけたり」(天)-「つけりと」(群)

046 いましはとわびにし物をさゝがにの衣にかゝり我をたのむる(恋歌五 七七三 よみ人しらず)
  「今しは」とは、春の部に誰しかもの詞のごとし。いまはと思ひきりてわびにしものを、さゝがにの又人をまつべきやうに、我をたのむるといふよし也。
『万葉』第四
「今しはよ名のおしけくも我はなし妹によりてはちへに立共」
「今は」といふべきを、「いましは」とよめる証歌也。いましばしといふ心にはあらず。
  *1「万葉集四」(天)-「万葉第四」(群)
  *2「いましと」(天)-「いましはと」(群)

047 あはれともうしとも物を思ふときなどか泪のいとなかるらん(恋歌五 八〇五 よみ人しらず)
  「いとなかる覧」は、いとまなかるらんといへる也。「最流」といへるは、僻案の了簡也。惣此集之中。「最」字を「いと」ゝよめる事、不可用之。
  *1「といふ(といふ$)といふは」(天)-「といへるは」(群)

048 水の面にしづく花の色さやかにも君が御影のおもほゆるかな(哀傷歌 八四五 篁朝臣)
  「しづく」といふ詞は、しづむにあらず。「沈」は底へいりひたるも又水に入也。「しづく」とは、水にあらはるれども、水にいりはてず、又水の下なる石も、浪よりいづるやうなれど、あらはれもいでず、かくれもはてぬやうなるをいふ也。
『万葉』
「藤なみのかげなる海の底清みしづく石をも玉とぞわが見る」
「足引の山の紅葉にしづくあひてちらん山路を君がこえまく」
歌の心は、池の水に花の枝のすゝがれて、しづく色のさやかなるやうに、君のみかげのおもほゆるとよめる也。
『催馬楽』
「かつらぎの 寺のまへなるや とよらの寺の にしなるや えのはゐに しら玉しづくや ましら玉しづくや」
  *1「しつくといふ詞」(天)-「しつくといふ詞は」(群)
  *2「しつむといはゝ埓にあらす」(天)-「しつむにあらす」(群)
  *3「しつくといふは」(天)-「しづく」とは」(群)
  *4「あらはれもはてす」(天)-「あらはれもいてす」(群)
  *5 ナシ(天)-「歌の心は池の水に花の枝のすゝかれてしつく色のさやかなるやうに君のみかけのおもほゆるとよめる也」(群)
  *6「えのはゐに白玉しつく山しらたましつくや」(天)-「とよらの寺のにしなるやえのはゐに しら玉しつくやましら玉しつくや」(群)
  *7「哥の心は池の水に花の枝のすゝかれてしつくいろのさやかなるやうにきみのみかけのおもほゆるとよめる也」(天)-ナシ(群)

049 色も香も昔のこさに匂へどもうへけん人のかげぞ恋しき(哀傷歌 八五一 貫之)
  此哥、させる説あるべきさまにもあらず。只かきうつす人のしどけなくて、「むかしのこさに」を、昔のこさずとかきたるにつきて、よみにくゝ、くせばみたる事このむものゝ、いたづらごとを尺しいへる也。
  *1「くせみたる」(天)-「くせはみたる」(群)
  *2「尺しいつるそのことゝなき事也」(天)-「尺しいへる也」(群)

050 玉垂のこがめやいづらこよろぎの磯の浪わけ沖に出にけり(雑歌上 八七四 敏行朝臣)
  「たまだれのかめをなかにおきて」といふ事、『風俗哥』とかや。かめの玉だれは、かめに玉のたれたるかたあるをいふなど、あまたかきたり。歌にも、「玉だれ」とて、かめによみつゞけたる事、此歌のほかになし。「玉だれのみず」とのみよめれば、先人「かめの玉たるゝ事にぐし、たゞ玉だれの鈎といはんとて、こがめとよめるにてありなん」と申されしかど、それも髣髴なり。『風俗』の歌につきてよめるにこそ。
  *1「こよるきの」(天)-「こよろきの」(群)
  *2「かめのたまのたれたる」(天)-「かめに玉のたれたる」(群)
  *3「哥には」(天)-「歌にも」(群)
  *4「たまたれのみすとのみよめりかの風俗の哥につきてよめるこそ」(天)-「玉たれのみすとのみよめれは先人かめの玉たるゝ事にくしたゝ玉たれの鈎といはんとてこかめとよめるにてありなんと申されしかとそれも髣髴なり風俗の歌につきてよめるにこそ」(群)

051 老ぬればさらぬ別のありといへば愈々みまくほしき君哉(雑歌上 九〇〇 業平朝臣の母内親王)
  「さらぬ別」とは、不去わかれ也。のがれぬよしなり。むげに心えぬ人は、さえぬ別とよみなしき。
  *1「さらぬ別は」(天)-「さらぬ別とは」(群)
  *2「さらぬわかれと」(天)-「さえぬ別とよみなしき」(群)

052 老ぬとてなどか我身をせめきけん老ずはけふにあはまし物か(雑歌上 九〇三 敏行朝臣)
  「などか我身をせめきけん」とは、責来けんと歎悲つるよし也。
  毛詩棠棣の詩に、兄弟[門+児]牆外禦侮といふ[門+児]の字をよめりといふも、心はしゐてたがふまじけれど、此詞つねに人のいひならへる事ならねば、責来にてありなん。
  *1「せめきけんとは」(天)-「なとか我身をせめきけんとは」(群)
  *2「責来けんとは」(天)-「責来けんと」(群)
  *3「なけきこしうらみこしなといふおなし心也」(天)-ナシ(群)
  *4「毛詩棠棣の詩」(天)-「毛詩棠棣の詩に」(群)
  *5「兄弟[門+児]于([門+児]于=セメクトモ)庸(庸=カキ)外御(御=フセク)其幣(幣=アナトリ)といふ[門+児]の字をよめり」(天)-「兄弟[門+児]牆外禦侮といふ[門+児]の字をよめり」(群)
  *6「その心は」(天)-「心は」(群)
  *7「哥なとによみならへる」(天)-「人のいひならへる」(群)
  *8「責来けんにてありなん」(天)-「責来にてありなん」(群)

053 笹の葉にふりつむ雪の末を重みもと隔ちゆくわがさかりはも(雑歌上 八九一 よみ人しらず)
  「くだつ」とは、雪のおもれば、もとのかたぶきくだる也。
『万葉』
「夜くだちに寝ざめてきけば川せとめ心もしのになく千鳥かも」
「よくだちてなく川千鳥むべしこそ昔の人も忍びきにけれ
  かやうにすかひたる詞也
  *1「忍びきにけり」(天)-「忍ひきにけれ」(群)

054 しりにけんきゝても厭へ世の中は波のさはぎに風ぞしくめる(雑歌下 九四六 布留今道)
  「風ぞしくめる」、『後撰』哥にも、
「白露に風の吹しく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける」
ともよめり。しきりにふく風を、吹しく共、風ぞしくめるともいふ也。
  *1「後撰(撰+哥)にも」(天)-「後撰哥にも」(群)

055 世中のうけくにあきぬおく山の木葉にふれる雪やけなまし(雑歌下 九五四 よみ人しらず)
  「うけく」は、世中のうきといふおなじ事也。山した風のさむけくにも寒きよしなり。木葉にふれる雪によそへて、「おく山へ行やけなまし」とよめる也。
  *1「ゆきやきえなまし」(天)-「行やけなまし」(群)

056 木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしに我身はなりぬべらなり(雑歌下 九五九 よみ人しらず)
  「はしにわが身」とは、はしたになりぬるよし也。内親王の、身はおもひのほかに入内をして、又そのほいあるさまにもなかりければ、木にもあらず、草にもあらず、はしたなる身とよみ給へるなり。はしたに我身とかきたるものもあり。はしにも同心也。
  *1「身おもひのほかに」(天)-「身はおもひのほかに」(群)
  *2「はしも」(天)-「はしにも」(群)

057 世中はいづれかさしてわがならんゆきとまるをぞ宿と定むる(雑歌下 九八七 よみ人しらず)
相坂の嵐の風はさむけれどゆくゑしらねばわびつゝぞぬる(雑歌下 九八八 よみ人しらず)
風の上にありか定めぬ塵の身はゆくゑもしらずなりぬべらなり(雑歌下 九八九 よみ人しらず)
  此三首歌は、蝉丸がよめりけるを、『古今』には作者をあらはさゞりけり。『後撰』には作者を書るなりとぞ金吾申されける。『古今』さづけられける時の物がたりの内なれば、指事ならねど書付之。
  *1「蝉丸かよめるを」(天)-「蝉丸がよめりけるを」(群)
  *2「あらはさす」(天)-「あらはさゝりけり」(群)

長哥
058 かくなはに 思ひ乱れて ふる雪の けなばけぬべく おもへ共 えふの身なれば なをやまず(雑体 一〇〇一 よみ人しらず)
  金吾申されけるは、「えふの身なれば」を、「閻浮」とかきたるなりとぞ侍ける。閻浮とは、人界の身なれば、おもはじと思へどかなはずといふよし也。これも世のつねなる詞にもあらねど、つたへたるやうありてこそは申されけめ。なを髣髴なれど、ならひつたへたる説なれば、注付之。

059 これをおもへば けだものゝ 雲にほえけん こゝちして(雑体 一〇〇三 壬生忠岑)
  『忠岑集』には、「これをおもへば いにしへの くすりけがせる けだものゝ」。かくては今すこしことはり聞ゆ。これは淮南王劉安が仙薬を服して仙にのぼれる時、其くすりをなめたりし鶏犬、みな仙になりて、雲のうへにほえたりといふ事也。

060 年のかずさへ やよければ(雑体 一〇〇三 壬生忠岑)
  金吾説、としのかずさへいやよければといふ心なり。いよ/\すぐればといふなり。跡過なりとはありしかど、猶おぼつかなしとぞ侍し。
  *「年のかすさへ」は、定家本「古今集」他諸本は「老のかすさへ」とある。
  *1「いやよきれは」(天)-「いやよけれは」(群)
  *2「といふなり」(天)-「といふ心なり」(群)
  *3「弥遇也」(天)-「跡過なり」(群)

旋頭哥
061 春されば野べにまづさくみれどあかぬ花まひなしにたゞなのるべき花の名なれや(雑体 一〇〇八 よみ人しらず)
  「花まひなし」とは、花もいひなしにたゞなのるべき花の名なれや。花もい諌なしにてこそあれ。やすらかにいかゞなのらんといへる也。
哥をかけるにやう、「君てへ」は、いへば也。「けなばけぬべく」、きえばきえぬべく也。「物にざりける」、ものにぞ有ける也。かやうにかくやうに、花もいひなしを、「花まひなし」とかける也。
  *1「きみてへはと」(天)-「君てへは」(群)
  *2「けなはけぬへし」(天)-「けなはけぬへく」(群)
  *3「ものにそありける」(天)-「ものにそ有ける也」(群)

062 こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪(東歌 一〇九四 よみ人しらず)
  「めざし」、一説、蜑のいさりすとて、物とりいるゝ籠のやうなる物なり。一説、海草などとる女のわらはべなり。めをさしきりてとれば、めさしといふ。『竹河』哥に、「竹川の はしのつめなるや はしのつめなるや 花そのに 我をばはなてや 我をばはなてや めざしたぐへて」。「めのわらはべ」といふも、さもありぬべくや。
  *1「こよるきの」(天)-「こよろきの」(群)

063 かひがねをさやにも見しかけゝれなくよこほりふせるさやの中山(東歌 一〇九七 よみ人しらず)
  「けゝれなく」とは、心なくといふ也。「よこほり」、四郡にふせるといふ説あれど、その山さやのこほりに有といへば、四郡にあらざるにや。「よこほりくやる」とかきたる本あり。くやるもふせるも、おなじ詞にいふ。『貫之日記』に<河尻より/のぼる也>、「かくてさしのぼるに、東の方に山のよこほれるを見て、人にとへば、やはたの宮といふ。『古今』撰者、「山のよこほれるを見て」とかける。「よこほりふせる」といふ歌にかなふべくや。
  *1「四郡にあらす」(天)-「四郡にあらさるにや」(群)
  *2「よこほりくるや」(天)-「よこほりくやる」(群)
  *3「本もあり」(天)-「本あり」(群)
  *4「くやるも」(天)-「くやるもふせるも」(群)
  *5「おなしき詞」(天)-「おなし詞」(群)
  *6「貫之日記に」(天)-「貫之日記に<河尻より/のほる也>」(群)
  *7「かくてさしのほる<自河尻のほる也>に」(天)-「かくてさしのほるに」(群)
  *8「東の方に(に+山)よこほれる」(天)-「東の方に山のよこほれる」(群)
  *9「山のよこほれるとかける」(天)-「山のよこほれるを見てとかける」(群)
  *高野切、清輔本は「けけらなく」。
  *高野切「きこほりくやる」、関戸本「よこほりくせる」、元永本「よこほりこやる」、清輔本「よこほりこせる」。

序詞之中
064 まくら詞、春のはなにほひすくなくして
  金吾説とて、まくらとは、われらといふ詞也と申されき。而の字をまくらといふとぞ侍し。「而」の字、なんぢとおほくよめり。わが身の事につかへる事は見をよばず。漢高祖は、わが身を而公となのり給へる事つねにあれば、公の字つゞきたれど、これにや思よそふべからん。「而」字、『唐韻』には「乃」也。豈也。自端之詞也。頬毛也。『玉篇』、人之功。語助也。能也。又頬毛也。
  *1「金吾説」(天)-「金吾説とて」(群)
  *2「われらといふ詞也」(天)-「われらといふ詞也と申されき」(群)
  *3「老後管見」(天)-ナシ(群)
  *4「而の字を汝とはふみに」(天)-「而の字なんちと」(群)
  *5「漢高祖そ」(天)-「漢高祖は」(群)
  *6「又頬之毛也」(天)-「又頬毛也」(群)

物名部
065 をかだまの木
  木の名のつゞきにかきならべたれば、うたがひなき木の名と見ゆ。されど、近き世にさる木ありといふ人なし。古歌とて、
「奥山にたつをだまきのゆふだすきかけて思はぬ時のまぞなき」
かゝる歌ぞ古くきこゆる。もし字ひとつを略していへるにや。『狭衣』といふ物語に、
「谷深くたつをだまきは我なれや思ふ思ひのくちてやみぬる」
此物語、[示+某]子内親王<前斎/院>宣旨つくりたりときこゆ。昔の女うたよみは、みな此比の才人よりは、古き事をもならひ知りたれば、やうやありけん。伝へねばしらず。
  *1「この哥」(天)-「かゝる歌そ」(群)
  *2「きこゆ」(天)-「きこゆる」(群)
  *3「うたよみ」(天)-「うたよみは」(群)
  *4「ふるき事も」(天)-「古き事をも」(群)

066 めどにけづりはなさせりける
  耆、めどゝいふものゝ名也。草の類也。
  *1「草也」(天)-「草の類也」(群)

067 右近馬場のひをりの日
  まゆみの手結に、とねりども、まさしく褐を引折てきたるを、ひをりといはん。たがはず聞ゆ。荒手結にもおなじすがたなれど、あら手つかひは、かたのやうなる事にて、まてつかひをむねとしたれば、此事当りてきこゆ。
  *1「騎射の手結」(天)-「まゆみの手結」(群)
  *2「とねりともの」(天)-「とねりとも」(群)
  *3「かたのやうにて」(天)-「かたのやうなる事にて」(群)

068 人名[穴+龍]
  おほく「うつく」とはいひけりと書たる説々きこゆれど、金吾はたゞ「ちよう」とよまれければ、其説をうけたり。さるは堀川右大臣、「うつく」とよまれけりとかきたる物あめれど、金吾まさしく「ちよう」とよまれけり。
  *1「うつくと」(天)-「うつくとは」(群)
  *2「説とも」(天)-「説々」(群)
  *3「金吾」(天)-「金吾は」(群)
  *4「堀川右大臣」(天)-「さるは堀川右大臣」(群)
  *5「物もあなれと」(天)-「物あめれと」(群)

069 あがた見にはえいでたゝじや
  「あがた」はゐ中を云也。外官除目を「あがためし」といふ。このゆへ也。
  *1「あかためしといふ」(天)-「あかためしといふこのゆへ也」(群)

後撰
070 ふる雪のみのしろ衣うちきつゝ春きにけりとおどろかれぬる(春上 一 藤原敏行朝臣)
  「ふる雪のみのしろ衣」とつゞけたり。雪のふれば、みのをきるべきかはりに、白きうちきをきて、春きにけりと驚かるとよめる歟。『万葉集』には、「みのしろ衣」といふ事みえざるにや。此集に、「みのしろ衣ぬはずともきよ」と読るは、中原宗興、此歌の後によめると見ゆ。又古歌に、
「せながためみのしろ衣うつときぞ空行雁のねもまがひける」
と、歌のさまもふかくは聞えず。遠人のため身の代衣とよめるにや。蘇武耿恭などを思へる歌なれば、上古の歌とは見えず。
  *1「つゝけたる」(天)-「つゝけたり」(群)
  *2「春きたりと」(天)-「春きにけりと」(群)
  *3「見えす」(天)-「みえさるにや」(群)
  *4「みのしろ衣ぬはすきよ」(天)-「みのしろ衣ぬはすともきよ」(群)
  *5「又古哥とて」(天)-「又古歌に」(群)
  *6「ねもまかひける」(天)-「ねもまかひけると」(群)
  *7「哥のさまにもふるくはきこえす」(天)-「歌のさまもふかくは聞えす」(群)
  *8「蘇武耿奔」(天)-「蘇武耿恭」(群)
  *9「思よそへてよめる哥なれは」(天)-「思へる歌なれは」(群)

071 きてみべき人もあらじな我宿の梅のはつ花おりつくしてん(春上 二三 よみ人しらず)
  「きてみべき」、来てみるべきといふ也。

072 春の池の玉藻にあそぶにほどりのあしのいとなき恋もする哉(春中 七二 宮道高風)
  玉藻にあそぶ鳰どり。あしのいとまなきをいふ心也。
  *1「にほとりの」(天)-「玉藻にあそぶ鳰とり」(群)
  *2「といふ心也」(天)-「をいふ心也」(群)

073 山守はいはゞいはなん高砂のおのへの桜おりてかざゝん(春中 五〇 素性法師)
  高砂、はりまの名所なれど、すべて山をば高さごといふ。ひとつの説也。此哥は、ひえの山にてよめるといふ。「おのへ」とは、おのうへといふ也。
  *1「おりつくしてん」(天)-「おりてかさゝん」(群)
  *定家本「後撰集」は「おりてかざさん」。
  *2「此哥ひらの山にて」(天)-「此哥はひえの山にて」(群)

074 梅の花ちるてふなべに春雨のふりでつゝなく鴬の声(春上 四〇 よみ人しらず)
  紅にふりいでつゝとおほくよめる歌をば、紅に布を染てふりいでといふ物をよむと釈する物あれど、何もこゑのしらべあげてきこゆるを、ふりいでゝといひならへるとぞ聞ゆる。うちいづる声は、すゞ虫ならねど、ふりいづるやうに聞ゆる故也。
  *1「紅の」(天)-「紅に」(群)
  *2「物あなれと」(天)-「物あれと」(群)
  *3「何も物ゝこゑ」(天)-「何もこゑ」(群)

075 妹が家のはひいりにたてる青柳にいまやなくらん鴬のこゑ(春上 四一 躬恒)
  「はひいりにたてる」、門の入口をよめると聞ゆ。

076 竹ちかく夜どこねはせじ鴬のなく声きけばあさいせられず(春中 四八 藤原伊衡朝臣)
  「よどこね」、よるふすとこ。あらはにきこゆ。朝いせられず。褻なる詞なれど、ふるき哥はたゞありによめれば、かやうの事おほかり。
  *1「芸なる詞」(天)-「褻なる詞」(群)

077 時わかずふれる雪かと見るまでに垣ねもたはにさける卯花(夏 一五三 よみ人も)
  かきねもたはに、『古今』、「枝もたはゝ」とよめる。おなじ心也。

078 ゆき帰るやそうぢ人の玉かづらかけてぞ頼むあふひてふなを(夏 一六一 よみ人しらず)
  「やそうぢ人」とは、八十氏人とかけり。よにあるおほ
  くの人といふ心なりふるくはかくよめるを
  これにつきて宇治河をやそうち河とよむ
  に又つきて近代宇治の里人をやそうち
  人とよめるうたおほかり」33ウ
  *1「八十氏人なり」(天)-「八十氏人とかけり」(群)

079 こよひかくながむる袖の露けきは月の霜をやあきと見つらん(夏 二一四 よみ人も)
  これは月の霜を、かきたがへたる字の誤によりて、月の笠と釈したるは僻事也。「月照平沙夏夜霜」といふ心をよめる也。

080 けふよりは天の川原はあけなゝんそよみ共なくたゞ渡りなん(秋上 二四一 紀友則)
  家の本には、「そこゐともなく」といふ説をもちゐき。「そよみ」とは、それは水ともなくわたらんといふ心といふ。但行成大納言筆に、「そよみ」とかゝれたれば、その説につくべし。
  *1「あせなゝん」(天)-「あけなゝん」(群)、定家本「後撰集」は「あせなゝん」。
  *2「愚本には」(天)-「家の本には」(群)
  *3「わたらんといふ」(天)-「わたらんといふ心といふ」(群)
  *4「但老後行成大納言筆を見るに」(天)-「但行成大納言筆に」(群)
  *5「侍れは」(天)-「かゝれたれは」(群)
  *定家本「後撰集」(天福二年本)の勘物に「そよみ 清本奥義釈之 家本用そこゐ」とある。また行成筆本と対校した朱筆書入れに「そよみ 本用之」ともある。定家は「天福二年本」の段階では、「そこゐ」説をとっていたが、後に「行成筆本」を見る機会に恵まれ、それを天福二年本に朱筆で書き入れている。その対校された行成筆本の本文を徹底的に活した「嘉禎二年本」を作成している。その二年後の嘉禎四年(1238)の再稿本に、「但行成大納言筆に、「そよみ」とかゝれたれば、その説につくべし」と云っているので、定家は最終的には「そよみ」説である。

081 秋くれば野もせに虫のをりみだる声のあやをば誰かきるらん(秋上 二六二 藤原元善朝臣)
  「野もせ」とは、のもせは、庭もせ、水もせ、くにもせ、これみな野面に満てあまねきよしの詞也。「声のあや」とは、はたをるこゑのきこゆれば、その声の綾をばたれかきるとよめる也。「あや」とは綾也。あやしといふ心とはならはず。
  *1「野もせ庭もせ」(天)-「野もせは庭もせ」(群)
  *2「野面水面に満て」(天)-「野面に満て」(群)
  *3「その綾をは」(天)-「その声の綾をは」(群)

082 山風のふきのまに/\もみじは此面かのもにちりぬべら也(秋下 四〇六 よも人しらず)
  「ふきのまに/\」とは、たゞふくまゝにといふ詞の心也。すべてまに/\とは、随意とかきてまに/\とよむ也。君がまに/\、神のまに/\、御心にまかすといふよし也。「このもかのも」とは、このおもて、かのおもてなり。よもにちる心也。筑波山にこそよめといふ事あれど、いづくにもあるべき事也。
  *1「もみちはゝ」(天)-「もみしは」(群)。群書類従本に誤写あり。
  *2「おなし心也」(天)-「詞の心也」(群)
  *3「君のまに/\」(天)-「君かまに/\」(群)
  *4「金吾哥判につくは山ならてはいかゝと難せられたるをはゝかりてかの門弟不好読」(天)-ナシ(群)

083 ひぐらしの声もいとなく聞ゆるは秋ゆふ暮になればなりけり(秋下 四二〇 貫之)
  「いとなく」、春の部の、玉もにあそぶにほどりの、おなじ事也。
  *1「にほとり」(天)-「玉もにあそふにほとりの」(群)

084 おほ空に我袖ひとつあらなくにかなしく露やわきてをくらん(秋中 三一四 よみ人も)
  此哥不審なし。我袖ひとへとかきたる本を見て、袖ひづ心とかきたるは字誤也。
  *1「わかそてひ(ひ+と)つと(と$)」(天)-「我袖ひとつ」(群)
  *2「わかそてひつ」(天)-「我袖ひとへ」(群)
  *3「袖ひつ心を」(天)-「袖ひつ心と」(群)
  *4「字誤本也」(天)-「字誤也」(群)

085 霰ふるみ山の里のわびしきはきてたはやすくとふ人ぞなき(冬 四六八 よみ人も)
  「たはやすく」、たやすくといふ詞を、文字をそへていへる也。
  *1「<哥には勘とありひとには△とあり本のまゝ>(頭注)」(天)-ナシ(群)

086 思ひ川たえず流るゝ水のあはのうたがた人にあはできえめや(恋一 五一五 伊勢)
  「うたがた」と云詞は、真名には、「寧」などつかへる詞のやうにおもひよる事かは。さなくては、いかでかといふよしの詞也。それを此哥一つを見て、うきたる人と云よしに、うたかた人と六字つゞけてよめりといふ説は、深く見わかでしり顔許にのべやる謬説也。人につゞけてはいはず、たゞ四字の詞也。
『万葉集』十五
離れそにたてるむろの木うた方も久しき時をすぎにけるかも
十七
鴬のきなく山吹うたがたも君がてふれぬ花ちらめやも
『源氏物語』
「かきたれてのどけき比の春雨に古郷人をいかにしのぶや
つれ/\にそへても、うらめしう思出らるゝ事おほう侍を、いかでかはきこゆべからんとある御返、
ながめするのきのしづくに袖ぬれてうたがた人を忍ばざらめや
ほどふるほどは。げにつれ/\もまさり侍けり。あなかしこと、いや/\しくかきなきなし給へり。この詞の心にて、うきたる人の心便なかるべし。
  
  *1「思へ(へ$よ)る」(天)-「おもひよる」(群)
  *2「万葉集」(天)-「万葉集十五 離れそにたてるむろの木うた方も久しき時をすきにけるかも」(群)
  *3「うくひすの」(天)-「十七 鴬の」(群)
  *4「養父の御返事あなかしことゐや/\しくかきなさんふみにうたかた人うきたるよしならは便なくそほれたるへしいかてか人をしのはさらんといふよしの詞也此伊勢もまかる所しらせす侍けるころまたあひしりて侍けりおとこのもとより日ころたつねわひてうせにたるとなん思つるといへりけれはこの返事によめる哥六字をつゝけては心さらにかなはす四字の詞にてこの三の哥の心はかなふなり」(天)-「この詞の心にて、うきたる人の心便なかるへし」(群)

087 行やらぬ夢路にまどふ袂には天の空なき露ぞをきける(恋一 五五九 よみ人も)
  夢のうちなれば、あまつ空なき露やをくとよめり。
  *1「あまつそらなる(る=き歟)」(天)-「天の空なき」(群)

088 春日野のとぶひの野守見し物をなき名といはゞ罪もこそうれ(恋二 六六三 よみ人しらず)
  「とぶひの野もり」、『古今』にあり。

089 あふ事は遠山ずりのかり衣きてはかひなきねをのみぞなく(恋二 六七九 元良親王)
  きぬなどのすりには、おほく遠山をすれる物なればよめるにこそ。一本には「遠山鳥の」とかけり。「ねをのみぞなく」といふにことよれるにや。すりのとを山、いはれすあるうへに、大納言の本に、「遠山ずり」とあり。
  *1「遠山鳥とあり」(天)-「遠山鳥のとかけり」(群)
  *天福二年本「後撰集」には「とを山とりの」とあり、「と」に「す 清本」というように清輔本では「とを山すり」とあることを注記し、また「両説共用」とも注記している。そして、後に「行成筆本」と対校して、朱筆で「可用スリ」と記している。

090 難波潟かりつむ芦のあしづゝのひとへも君に我やへだつる(恋二 六二五 兼輔朝臣)
  「あしづゝ」は、あしのよのなかに、うすやうのやうなる物也。それほどもへだてずといふよしなり。

091 折からに我名はたちぬ女郎花いさ同じくははな/\に見ん(秋中 二七四 兼輔朝臣)
  一説には、「花ごとに見む」とあり。心はおなじ心也。

092 ふかくのみ頼む心は蘆のねのわけても人にあはんとぞおもふ(恋二 六八〇 敦慶親王)
  「あしのね」、みだれあひたる物を、「わけても」とは、おもふ心のあながちなれば、わけ尋てもといふ也。
  *1「あしのねの」(天)-「あしのね」(群)

093 くれはとり綾に恋しくありしかば二むら山もこえずなりにき(恋三 七一二 清原諸実)
  「くれはとり」は、綾の名也。「あやに恋しく」は、あやにくに恋しかりしかば、とをき道もゆかずなりにきとて、二むらを、くりける綾にそへたり。

094 誰となくかゝるおほみに深からん色をときははいかゞ頼まん(恋三 七三六 閑院大君)
  「おほみ」とは、新嘗祭卜合の人は小忌をきる
  さなき人の例の束帯したるをその
  夜は大忌(大忌=オホミ)の公卿といふ也。
  *1「いろをときはに」(天)-「色をときはは」(群)

095 津の国の難波たゝまくおしみ社すくもたく火のしたに焦るれ(恋三 七六九 紀内親王)
  「すくもたく火」、浦にすむあまなどは、藻くづをかきあつめてたけば、したにこがるゝと読り。
  *1「こかるゝ」(天)-「焦るれ」(群)、定家本「後撰集」は「こかるれ」。
  *2「すくもたく火とは」(天)-「すくもたく火」(群)
  *3「したにこかる」(天)-「したにこかるゝ」(群)

096 我宿とたのむ吉野に君しいらば同じかざしをさしこそはせめ(恋四 八〇九 紀内親王)
  「たのむよしの」とは、山のまに/\かくれなんなどいふふる歌の心を、世のうけれ莞、よしのにかくれなんとおもふ所に、「君もいらば」「かざし」とは、山にいる人、柴などかりてゐたるまへに立て、鹿にみえじとかまふる事を、おなじかざしをもさしてんとよめるなり。
  *1「君もいらは」(天)-「君しいらは」(群)、定家本「後撰集」は「君しいらは」。
  *2「山のまに/\かくれなん山のあなたにやともかなといふ」(天)-「山のまに/\かくれなんなといふ」(群)
  *3「まへにたてゝ」(天)-「ゐたるまへに立て」(群)
  *4「鹿にも人にも(も+みえしと)」(天)-「鹿にみえしと」(群)
  *5「もろともに」(天)-ナシ(群)

097 ひき繭のかくふた籠りせまほしみ桑こきたれてなくを見せばや(恋四 八七四 忠房)
  「ふたこもり」は、おなじまゆに蚕のふたつこもりたるをいふ。桑をこくによそへて、こきたれてなくとよめるなり。
  *1「ふたこもり」(天)-「ふたつこもり」(群)
  *2「桑こくに」(天)-「桑をこくに」(群)

098 はちす葉のうへはつれなき裏にこそ物争ひはつくといふなれ(恋五 九〇三 よみ人しらず)
  此哥「はすなは」とかきて、それを釈したる人あり。家の本には何事もをろかにやすき説につきて、「はちす葉」と書たり。「はちす葉」、池にあれば、かひつくべき物ならずとて、はすなはにかひをつくるも、いはれあるべけれど、かひつくはすなはゝ、うらある物にあらず。「うへはつれなきうらにこそ」と二句までよみすへたる歌を、うらおもてなき物といはんこと、歌の本意なくや。池のはちすにも、水のなかには、かひに似たる物も有。うへつれなくうらある物やかなふべからん。大納言も「はちす葉」とかゝれたり。
  *1「此哥をはすなは」(天)-「此哥はすなは」(群)
  *2「物にあらす」(天)-「物ならす」(群)
  *3「かひをつけん」(天)-「かひをつくるも」(群)
  *4「その本意」(天)-「歌の本意」(群)

099 いせの海のあまのまでかた暇なみ長らへにける身をぞ恨むる(恋五 九一六 源英明朝臣)
  此哥先人命云。往年参崇徳院之次。以女房給草子一帖。彼仰云。此抄物。或好士称秘蔵物所持也。乍坐加一見。即可返上。物体可然哉。所存如何。依仰於御簾前披見之際。不及委細。即返上申云。古来書出如此物之時。雖先賢皆少々之事。誤難遁事候歟。此抄物又大概優候。但此中。「伊勢の海のあまのまでかた」とかきて、未勘と付て候。此哥「あまのまでかた」と存候。海辺に蛤と申物沙中に候。其かたの候なるを見て、海人等いそぎてこれをさしとり候なるを、いとまなしとは詠ずるよし、基俊申候きと申。件草子。其時不知誰人所進。手跡も清輔朝臣乎。未委見知。即返上訖。後経多年。奥義集進二条院之時。「まてがた」の釈所書加也。彼時申旨。和讒者又相語候者之間。結意趣書此事云々。其始作此抄物之時。惣字誤多き。後撰を見て多書僻事也。此事父<京兆>。祖<匠作>。存知。被伝授者。彼時不可注未勘由。以往年未勘。後日注出。非伝授之説之由分明也者。庭訓如此。大納言本文まで分明也。
  *1「被仰云」(天)-「彼仰云」(群)
  *2「披見之間」(天)-「披見之際」(群)
  *3「先賢皆少々事」(天)-「雖先賢皆少々之事」(群)
  *4「此抄物大概」(天)-「此抄物又大概」(群)
  *5「伊勢のうみのあまのまて(て=く)かたいとまなみ」(天)-「伊勢の海のあまのまてかた」(群)
  *6「不勘付此哥子細候」(天)-「未勘と付て候」(群)
  *7「見付て」(天)-「見て」(群)
  *8「假なしと」(天)-「いとまなしとは」(群)
  *9「件抄物」(天)-「件草子」(群)
  *10「清輔朝臣物出仕不経幾程手跡」(天)-「手跡も清輔朝臣乎」(群)
  *11「未見知」(天)-「未委見知」(群)
  *12「此抄号奥義集」(天)-「奥義集」(群)
  *13「まくかたのと」(天)-「まてかたの釈」(群)
  *14「相語作者之間」(天)-「又相語候者之間」(群)
  *15「其始書以松物之時」(天)-「其始作此抄物之時」(群)
  *16「書僻事也」(天)-「多書僻事也」(群)
  *17「清輔朝臣出和哥勤学伝覧異他哥体又尤優也然而父卿△遠若伝父祖之説候最物可書蒔沙子細以後年追勘如犯(犯=非)伝授之由分明歟」(天)-「此事父<京兆>祖<匠作>存知被伝授者彼時不可注未勘由以往年未勘後日注出非伝授之説之由分明也者」(群)

100 賤機にへだつる程やしら糸のたえぬる身とは思はざらなん(恋六 九九九 よみ人しらず)
  「しづはた」とは、みだれたるよしをいふなり。思ひみだれつるほどなりといふ也。
  *1「へつるほとなり」(天)-「へたつる程や」(群)
  *2「おもはさるらん」(天)-「思はさらなん」(群)

101 おきなさび人な咎めそ狩衣けふばかりぞとたづもなくなる(雑一 一〇七六 在原行平朝臣)
  「おきなさび」は、老て猶されすけるよし也。
  *1「けふはかりとそ」(天)-「けふはかりそと」(群)
  *2「おきなさひと(と$)は」(天)-「おきなさひは」(群)
  *3「七十の中納言猶たかゝひの装束かる/\しとおもひてよまれたる哥にやたもとにつるをぬひたり」(天)-ナシ(群)

101 てる月をまさきの綱によりかけてあかず別るゝ人をつながん(雑一 一〇八一 河原左大臣)
  「まさきの綱」とは、まさきのかつらをつなになひて、そま木をひくなる事にそへたり。老後乗船の次、聞梶取男言語。あまのまさ木の綱くりこせといふ歌思聞之。答云。山の崎に船を繋綱を申なり。雖非此哥事。依聞及注之。
  *1「あのまさ木」(天)-「あまのまさ木」(群)

102 かぎりなき思ひの綱のなくばこそまさきの蔓よりもなやまめ(雑一 一〇八二 行平朝臣)
  思綱、思緒、愁緒、別緒、心緒などいふ事の心か。

103 はちす葉のはひにぞ人は思ふらん世には恋路の中におひつゝ(雑一 一〇八二 行平朝臣)
  こ伎は、蓮のはひといふもの也。

104 あけてだに何にかはせん水の江の浦島が子を思ひやりつゝ(雑一 一一〇四 中務)
  浦島子、在『万葉集』事旧了。
  *1「うらしまの子を」(天)-「うらしまか子を」(群)
  *2「万葉集より詠未有其伝士」(天)-「在万葉集事旧了」(群)

105 思ひきや君が衣をぬぎかへてこきむらさきの色をきんとは(雑一 一一一一 右大臣)
  「こきむらさき」とは、三位の袍をいふなり。袍は一位より三位まで同色。四位紫。五位あけ。六位みどり也。六位叙五位之時、着五位蔵詫袍。四位に叙する時、着貫首袍。叙三位人、着大臣袍也。庶明卿参議正四位下左大弁、天暦五年二月任権中納言、叙従三位。于時右大臣(九条殿)右近大将、袍をつかはしける哥也。今世に四位袍ひとへに公卿におなじくてきる也。資房卿記などにも、三位して袍あらたむとみえたり。
  *1「三位袍をいふ」(天)-「三位袍をいふなり」(群)
  *2「叙四位之時」(天)-「四位に叙する時」(群)
  *3「着蔵人頭袍」(天)-「着貫首袍」(群)
  *4「右大将」(天)-「右近大将」(群)
  *5「今の世に四位」(天)榎「今世に四位袍」(群)
  *6「近世まて資房卿なとも」(天)-「資房卿記などにも」(群)
  *7「三位袍きあらためたり」(天)-「三位して袍あらたむ」(群)

106 古も契りてけりなうちふきとびたちぬべし天のはごろも(雑一 一一一二 庶明朝臣)
  「飛たちぬべし」とは、任納言悦喜自愛のよし也。除名の推量不足言事也。
  *1「よし也」(天)-「よし也除名の推量不足言事也」(群)

107 みこし岡いく其世々に年をへてけふの行幸をまちて見つらん(雑二 一一三二 枇杷左大臣)
  北野緩みこしをかといふをか有。延喜十七年閏十月十七日行幸北野。枇杷大臣、于時中納言春宮大夫左兵衛督、又字誤に、「みこしをかにて」を、「みこしをかきて」とかきたるに、不審をなすは、その事となき事也。此比のおさなき人、神社のゆへとおもふはひが事也。昔は鷹狩御覧ぜんために、野行幸のある也。延喜にきた野にも大原野にも行幸ある也。枇杷大臣昇御輿之由。不知物由有。若已義也。
  *1「岡ありけり」(天)-「をか有」(群)
  *2「于時枇杷大臣中納言」(天)-「枇杷大臣于時中納言」(群)
  *3「かきたる本に」(天)-「かきたるに」(群)
  *4「不審をなす」(天)-「不審をなすは」(群)
  *5「おさなき物」(天)-「おさなき人」(群)
  *6「神社行幸にきゝならひて北野大原野を」(天)-ナシ(群)
  *7「御らんせんため」(天)-「御覧せんために」(群)
  *8「野行幸あるなり」(天)-「野行幸のある也」(群)
  *9「延喜少時北野」(天)-「延喜にきた野」(群)
  *10「行幸あり」(天)-「行幸ある也枇杷大臣昇御輿之由不知物由有若已義也」(群)

108 うつろはぬ心のふかくありければこゝらちる花春にあへるごと(雑二 一一五六 嵯峨后)
  此御歌、たれも心えわきたる人なきにや。こゝら散はな、世人のものいひなどみだれたりとにや。又うつろはでのどかに春にあへるとにや。心えず。
  *1「みたれたるとかや」(天)-「みたれたりとにや」(群)
  *2「あへりとにや」(天)-「あへるとにや」(群)

109 なをき木に曲れる枝もある物をけをふき疵をいふがわりなき(雑二 一一五五 高津内親王)
  高津のみこの述懐。吹毛求疵のよし也。

110 今こんといひし計りを命にてまつにけぬべしさくさめのとじ(雑四 一二五九 女の母)
  「さくさめのとじ」、諸人一同説。しうとめの名のよし、金吾も申されければ、さてこそはあらめ。但讃岐入道顕綱朝臣説とて、つたへたる一説あり。「さくさめのとし」といふ、早蕨、早苗の字、わか草、はつ草の草、未通女、たをやめ、はつせめ、かうちめ、わかくさめのとしにて、まつにきえぬべしとよめるか。しうとめ平懐の事ならば、詞にあとうがたりの心をとりてかくべしともおぼえず。すこしつねになき事なればや。「あどうがたり」とはいふべき。「あとうがたり」は、なぞ/\がたりといふ事か。『拾遺』には、「なぞ/\がたり」とかきたり。
  *1「さてこそは」(天)-「さてこそはあらめ」(群)
  *2「但なと此しうとのめは此哥の外古も今もよむ人なきにか讃岐入道顕綱朝臣」(天)-「但讃岐入道顕綱朝臣」(群)
  *3「とてむすめ伊予三位<堀川院御乳母/亡父之祖母>乃被申ける異説あり」(天)-「とてつたへたる一説あり」(群)
  *4「早苗の早字」(天)-「早苗の字」(群)
  *5「はつせめなといふめの字」(天)-「はつせめかうちめ」(群)
  *6「とりてともかくへしと」(天)-「とりてかくへしとも」(群)
  *7「大納言本に丁年とかきてさくさめのとしとかゝれさりけりとかきたる物あれと見をよふ本にはさくさめのとしとそかゝれたる」(天)-ナシ(群)

111 そむかれぬ松のちとせの程よりも共々にだにしたはれぞせし(離別羇旅 一三二〇 よみ人も)
  「とも/\」には、ともにともにといふ心か。こと歌にも有。そむかれぬといふ心もおぼつかなし。この哥中/\に難義ともいはねど、師説もなし。了簡もをよばず。
  *1「とも/\とたに」(天)-「共々にたに」(群)
  *2「とも/\は」(天)-「とも/\には」(群)

112 此集の作者おほつふね
  「清輔朝臣本」には、「おほつ少将」。「家本」には、「おほつふね」なり。敦忠中納言の姨、中納言おさなくて、よびつけられたりける名を、やがてかくかきたりといふも、まことにむげにうちとけ事也。名なくば、「棟梁がむすめ」ともかくべきに、『勅撰作者』にかくてのせたれば、よくさだまりにける名ときこゆ。「大納言本」にも「おほつふね」と有。
  *1「清輔朝臣は」(天)-「清輔朝臣本には」(群)
  *2「おほつ少将とかきたり」(天)-疫おほつ少将」(群)
  *3「名といふも」(天)-「名をやかてかくかきたりといふもまことに」(群)
  *4「うちとけたり」(天)-「うちとけ事也」(群)

113 宮少将
  これを「家本」には、「藤原敦敏」とかきて、少将敦敏哥と申されき。『佐国目録』にも、かくかきたり。僻事と見しかど、「大納言本」に又「宮少将」とあれば、これにこそはつかめ。すべては此集、詞も作者もおほやけごともゝ見えず。最初の草案と見ゆる。いかなりける事にか。
  *1「宮少将とかきたりし」(天)-「かくかきたり」(群)
  *2「大納言本にも」(天)-「大納言本に又」(群)
  *3「それにこそつかめ」(天)-「これにこそはつかめ」(群)
  *4「惣て」(天)-「すへては」(群)
  *5「詞も作者の名も」(天)-「詞も作者も」(群)
  *6「最初草案」(天)-「最初の草案」(群)
  *7「大納言筆か随事謙徳公蔵人少将之時集えらふ事を奉行の人なれは彼家々嫡父書つたへられたれは定て証本と信仰す」(天)-ナシ(群)

拾遺
114 うちきらし雪はふりつゝしかすがに我家の園に鴬ぞなく(春 一一 大伴家持)
  「うちきらし」とは、空のかきくらすをいふ。「しかすが」は、さすがにといふ、おなじ詞なり。棚霧合、天霧と同心なり。
  *1「天霧之同心也」(天)-「天霧と同心なり」(群)

115 春の野にあさる雉子の妻ごひにをのがありかを人にしれつゝ(春 二一 大伴家持)
  「あさる」とは、草の中などにものをもとむる心也。「しれつゝ」は、しられつゝなり。
  *1「しれつゝ」(天)-「しれつゝは」(群)

115 桜狩雨はふりきぬおなじくはぬるとも花のかげにかくれん(春 五〇 よみ人しらず)
  「さくらがり」、さま/\に説々おほくいへり。たゞ物をもとめたづぬるをば、「柴かり」「たけがり」ともいふ。愚者説花をたづぬるにすぐべからず。
  *1「さま/\の説きこゆ」(天)-「さま/\に説々おほくいへり」(群)
  *2「さとくらかりあとくらかりさくらかもとへゆきなとをの/\かきたれと愚説」(天)-ナシ(群)
  *3「もとむるをは」(天)-「もとめたつぬるをは」(群)
  *4「花をたつねるにてあるへし」(天)-「愚者説花をたつぬるにすくへからす」(群)

116 秋たちていくかもあらねど此ねぬる朝けの風はたもと涼しも(秋 一四一 安貴王)
  「あさけ」といふ事ふたつあり。一つは朝け夕けとて、朝夕の食事をいふ。これはあさあけの風也とふるくよりいへるを、「あさあけ」と書て、五文字七文字に、この「あ」もじをくはへてよむ事は、ちかくよりぞきこゆる。『万葉集』にはあれど、『古今』『後撰』見えず。
時鳥けさのあさけになきつるは君聞らんか朝いやすらん
けさのあさけ雁金さむく聞なべに野べの浅茅は色付にけり
けさの朝け雁子鳴つかすが山もみぢにけらし我心いたし
此ころのあさけに聞ば足引の山をとよまし佐小鹿ぞ鳴
「わがせこがあさけのすがた」、ふるくかくよめるを、「あさあけの」と五文字によまん事いかゞ。
  *1「いくかもあらぬに」(天)-「いくかもあらねと」(群)
  *2「あさゆふけとて」(天)-「朝け夕けとて」(群)
  *3「風と」(天)-「風也と」(群)
  *4「くはへよむ」(天)-「くはへてよむ」(群)
  *5「万葉集にはおのつからあれと三代集には見えす万葉集にも」(天)-「万葉集にはあれと古今後撰見えす」(群)
  *6「のへのあさのは」(天)-「野への浅茅は」(群)
  *6ナシ(天)-「けさの朝け雁子鳴つかすか山もみちにけらし我心いたし」(群)
  *7「うちまかせてはあさけとかくへきなり」(天)-「わかせこかあさけのすかたふるくかくよめるをあさあけのと五文字によまん事いかゝ」(群)

117 ふしづけし淀の渡りをけさみればとけんごもなく氷しにけり(冬 二三四 平兼盛)
  「とけんごもなく」は、期もなくといへり。期、うち任せたる歌の詞にあらねども、かやうにつかふ事もあり。同集五に、
もえはてゝはいとなりなん時にこそ人を思ひのやま寄期にせめ
役の字をも焼によそへて、あまたよめるにや。
  *1「期哥の詞にあらねと」(天)-「期うち任せたる歌の詞にあらねとも」(群)
  *2「あめり」(天)-「あり」(群)
  *3「よめり」(天)-「よめるにや」(群)

118 足引の山路もしらずしらかしの枝にも葉にも雪のふれゝば(冬 二五三 人麿)
  愚説には、たゞ山をばあしひき、空をば久かたとよむとばかりにて、凶日来、足を引、膝の形などいふ事はしらず。枝にも葉にも雪ふれゝば、山路もしらずとはよめる也とて、そのうへの事はしらず。
  *1「雪ふれは」(天)-「雪ふれゝは」(群)
  *2「山ちもしらすと」(天)-「山路もしらすとは」(群)
  *3「事しらす」(天)-「事はしらす」(群)

119 物名部
かくしたるものゝ名も歌のさまも見ぐるしげなる事おほかり。もとめ入らるまじくや。

120 けにごし
忘にし人のさらにもまたるゝかむげにこしとは思ふ物から(物名 三六五 よみ人しらず)
  無下にといふ詞、哥によまねど、隠題のならひ見ぐるしき事どもあれば、たゞの哥にはよむべからず。
  *1「ならひなれは」(天)-「見くるしき事ともあれは」(群)

121 久方の月のきぬをばきたれども光はそはぬわが身なりけり(物名 四二二 輔相)
  月のきぬの哥、おほかたこゝろえず。
  *1「此哥」(天)-「月のきぬの哥」(群)
  *2「心えす」(天)-「こゝろえす」(群)

122 鹿皮のむかばき
かのかはのむかはぎすぎて深からば渡らでたゞに返る許ぞ(物名 四二六 輔相)
  「むかばき」は、[月+行]也。「むかひずね」と凡人のいふ事をよめるか。
  *1「むかはきとは」(天)-「むかはきは[月+行]也」(群泳
  *2「凡人のむかひすねといふ事を」(天)-「むかひすねと凡人のいふ事を」(群)
  *3「よめるにや」(天)-「よめるか」(群)

123 午未申酉戌亥
むまれより未つくれば山に申ひとりいぬるに人ゐていませ(物名 四三〇 よみ人しらず)
  此哥、第二句さらによみとかず。もし櫃しつくればとにや。つゞきても聞えず。
  *1「此第二句」(天)-「此哥第二句」(群)
  *2「てきても」(天)-「つゝきても」(群)

124 かの岡に萩かる男子なはをなみねるやねりその砕けてぞ思ふ(恋三院八一三 躬恒)
  「「ねるやねりそ」とは、なにを申にか」と尋ね申しかば、かくとはさる哥よまんと思ふかととがめられ侍き。萩かる物の縄のなければ、かれたる枝をねぢよりて、ゆかんとする心か。此哥まねびよむべからずとぞ侍し。
  *1「かく同は」(天)-「かくとは」(群)
  *2「ゝかめられき」(天)-「とかめられ侍き」(群)
  *3「ものゝゆふへき縄の」(天)-「物の縄の」(群)
  *4「ねりよりて」(天)-「ねちよりて」(群)
  *5「ゆはんとするよしか」(天)-「ゆかんとする心か」(群)

125 いにし年ねこじてうへし我宿のわか木の梅ははなさきにけり(雑春 一〇〇八 中納言安倍広庭)
  ねこじてうへし、ほりうへたるよしとぞいふなる。
  *1「いふめる」(天)-「いふなる」(群)

126 かの見ゆる池辺にたてるそが菊の茂みさ枝の色のてこらさ(雑秋 一一二〇 よみ人しらず)
  此哥、家々の釈おなじく、承和菊黄菊一本菊など、くはしく書ためり。そも/\大宝よりこのかた、聖代治世に好み給へる物おほかれど、など天平延暦弘仁といふ物はなくて、くだれる世の承和しも、菊の名にはつけけるにか。不審あるべくや。『万葉集』に、そがとつかへる詞、おなじ心おほく見ゆ。そがのむら鳥、そがひに見ゆる、竹そがなど、すべてをひすがひなる事を、そがといへり。
『万葉集』六
玉しきてまたましよりは竹そがにきたる今宵し楽しく思はゆ
十四
筑波根のそがひに見ゆる足ほ山あしかるよりもさね見えなくに
十七
あさ日さしそがひに見ゆる
十九
こゝにしてそがひに見ゆる
二十
みこと畏みおほの浦をそがひにみつゝ都へ登る
かのみゆるといへる。池の向ひときこゆ。堤にうへたるそがひの菊の色の、てりこく見ゆるとあらはにきこゆる、いかゞ。しかみと書なしたるも、心はおなじ事なり。やすきよるべがごとのかたはらにつかへる詞をも、さま/\の瓶の水帯のかこなどいひなさるれば、これもいかゝ侍るべき。
  *1「さま/\かきためり」(天)-「くはしく書ためり」(群)
  *2「くたれる承和」(天)-「くたれる世の」(群)
  *3「つきけるにか」(天)-「つけけるにか」(群)
  *4「不審のこるへくや」(天)-「不審あるへくや」(群)
  *5ナシ(天)-「万葉集六 玉しきてまたましよりは竹そかにきたる今宵し楽しく思はゆ 十四 筑波根のそかひに見ゆる足ほ山あしかるよりもさね見えなくに 十七 あさ日さしそかひに見ゆる 十九 こゝにしてそかひに見ゆる 二十 みこと畏みおほの浦をそかひにみつゝ都へ登る」(群)
  *6「かのみゆるといへるに」(天)-「かのみゆるといへる」(群)
  *7「すかひ菊」(天)-「そかひの菊」(群)
  *8「かきなしたりとも」(天)-「書なしたるも」(群)
  *9「おなし事にや」(天)-「おなし事なり」(群)
  *10「ふるき哥にもことはにも貫之をはしめてよみあつめたるよるへかことの源氏物語はことにつかへる詞をたに」(天)-「やすきよるへかことのかたはらにつかへる詞をも」(群)
  *11「かたはらをはみす瓶水帯」(天)-「さま/\の瓶の水帯」(群)
  *12「承和もいかゝ侍らん」(天)-「これもいかゝ侍るへき」(群)

127 我のみやこもたるてへは高砂の尾上にたてる松もこもたり(雑賀 一一六八 よみ人しらず)
  此哥更にこゝろへず。人にもとはず。もしおのへの松のあたりに、小松の生たる心にや。
  *1「たゝに」(天)-「更に」(群)

往年治承之比。古今後撰両集。受庭訓之口伝。年序已久。雖恐怱忘。先達古賢之所注。猶非無其失。況依恥管見謬説。故不載紙筆。今迫耄及之期。顧余喘之尽。至于愚老之没後。為教遺孤之蒙昧。抽最要。而密々所染筆也。更莫令他見。
  嘉禄二年八月日      戸部尚書判

此草注付之後。拾遺相公一人之外。更不他見。至于嘉禎四年。恭依承旧好之論言。遥付嚮北雁足。前員外典厩。染心於和哥之詞藻。成師弟之契約。常依被訪閑寂之蓬戸。不顧狼藉之草。所許被一見也。努々莫他見。
  延応二年六月日      桑門明静

右僻案抄以屋代弘賢本校合了
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