藤原定家は、生涯に「伊勢物語」を、奥書によって知られる回数に「明月記」の記事を加えれば、6回書写しており、さらに年号は記していないが、定家の書写校訂本とされる、武田本、そして古本・流布本に分類されている、いわゆる「根源本」が四系統に分類されることを考えに入れると、およそ10回以上書写していた。
例えば、彼の日記「明月記」嘉喜3年8月5日・7日・9日条を見ると、定家は「伊勢物語」を3日間で書写し、1、2日間で見直しを終えていることがわかる。
残念ながら、「伊勢物語」については、定家の自筆写本は現存していない。すべて後人の写本である。したがって、それには誤写や写本間の接触によって他系統本の本文や勘物等が混入している例が見られる。
今、定家の「伊勢物語」の書写校訂過程を初期のものから晩年のものへと並べると、まず年号本は「建仁本」「承久本」「貞応本」「嘉禄本」「嘉喜本」「天福本」という順になる。そして、無年号本は、片桐洋一説に従えば、「根源本一系統」(天理伝為家本)「根源本二系統」(千葉本)「根源本三系統」(九大伝為家本)「根源本四系統」(文暦本)そして「武田本」という順になる。なお無年号本に記された定家の肩書き「戸部尚書」(民部卿)は、建保六年(1218年 58歳)から嘉禄三年(1227年 66歳)までだから、「建仁本」の後、「嘉禄本」までの間、「嘉喜本」「天福本」以前となる。
定家本「伊勢物語」とは何か。定家本「伊勢物語」の優れた点と欠点とは何か、そして使用上の留意点は何か。定家本「伊勢物語」の本文と勘物は、どのような生成過程を経て、初期から晩年の定家本「伊勢物語」として完成されていったか、その到達点と問題点を見極めたい、という視点から整理した。