1933・34年(昭和8・9年)9月 池田亀鑑『伊勢物語に就きての研究 校本篇 研究篇』(大岡山書店 昭和8・9年9月)
1963年(昭和38年)5月 鈴木知太郎校注『天福本 伊勢物語』(武蔵野書院 昭和38年5月)
1973年(昭和48年)1月 『伊勢物語諸本集一』(天理図書館善本叢書3 片桐洋一「解題」八木書店 昭和48年1月)
1975年(昭和50年)4月 鈴木知太郎編『宮内庁書陵部蔵冷泉為和筆 御所本伊勢物語』(笠間影印叢刊 笠間書院 昭和50年4月)
1979年(昭和54年)10月 『伊勢物語 藤原為氏筆 一帖』(専修大学図書館蔵古典影印叢刊 専修大学出版会 昭和54年10月)
1998年(平成10年)8月 『伊勢物語 伊勢物語愚見抄』(冷泉家時雨亭叢書41 朝日新聞社 1998年8月)
1 初期定家本「伊勢物語」(建仁二年本)をめぐる諸問題
1-1「専修大学図書館蔵本」(建仁二年本系)の書誌
《中田》「「為氏筆本伊勢物語」蜂須賀家旧蔵、現専修大学図書館所蔵の一帖である。その書誌を略記すると、縦二三糎、横一五・三糎の列帖装で、題簽は後仕立てながらも、逍遥院実隆公(正二位内大臣、三条西実隆、康正元年--天文六年〈一四五五--一五三七〉)の筆になる貼題簽である。この題簽の色や文様は「桂万葉集」の題簽(『万葉集 紀貫之筆』と記載)や吉田兼右筆本『玉葉和歌集』(書陵部蔵)の題簽などと同類の竜文丹色の鳥の子紙の小短冊を貼ったものである。
本文の手は古筆家がこぞって「為氏正筆」と認めているもので、薄手鳥の子料紙に一面八~九行、一行平均二〇字、和歌二字下げの二行書で、見返の他に一丁をおいて二丁の表より書きはじめてある。内題はないが、所々本文行間や更に首、更には奥に勘物を記載し、墨付は本文八三丁、奥書四丁の計八七丁からなり、桐箱に収められている。(中略)
右の奥書によると、該本は定家によって建仁二年に書かれた本をもとに、嘉禎四年に沙弥寂身が書写し、それを為氏が転写したものであることがわかる。」
(中田武司「伊勢物語(寂身本)解題」6~7頁)
《中田》「またその書写の成立事情については、その奥書に記す如く、「建仁二年季夏中旬」に以前書写した伊勢物語一帖を人に貸したところ紛失されたため、改めて証本として書写したものであることがわかる。」
(中田武司「伊勢物語(寂身本)解題」13頁)
《中田》「従来「古本系」といわれている諸本の固有本文一一箇所に、「伝為家筆本」(九大本、渋谷注)と「寂身本」とを対比してみると凡そ次のようである。(中略)
この対比によって明らかなように、「寂身本」が古本系の本文に一致するのは八箇所であり、「伝為家筆本」と一致するのはわずかに二箇所であることがわかる古本系諸本の固有本文も「寂身本」を中におくとその間には類似も多いため固有本文の数も少なくなる。」
(中田武司「伊勢物語(寂身本)解題」15~16頁)
《中田》「次は、勘物についてふれておきたい。「寂身本」の勘物は、行間や首に記されており、比較的和歌に関して詳しく記されている点に特徴が認められる。(中略)
右に示したように注記はさまざまであり、中には「寂身本」の特質注記であるものも多い。このことは学習院蔵本の天福本と対比してもほぼ同じことがいえるから、該本の歌に関する注記は祖本とは別に、あるいは為氏自身か、沙弥寂身あたりによってものされたものではないかとも考えられる。「建仁二年云々」の奥書をもっていることによって、本書の伝本的価値は十分あると思われるが、その本文の性格や勘物などに関しても前述したように、現存の定家本伊勢物語の中、極めて高純度の書写態度を示す伝本であることが認められるのである。従って、該本は近年研究の盛んな伊勢物語証本の復元にはこれまた不可欠の資料といえよう。」
(中田武司「伊勢物語(寂身本)解題」21~24頁)
1-2「冷泉家時雨亭文庫蔵本」(建仁二年本系)の書誌
《片桐》「冷泉家時雨亭文庫蔵の『伊勢物語』(昭和六十年に重要文化財に指定)は、縦二九・三センチ、横は一紙の幅が最小二八・三センチから最大四九・四センチの紙を三十七枚つないだ全長一五四・七センチの巻子本一巻。縦二九・三センチ、横二九・七センチの濃い萌黄地蓮宝相華文の金襴表紙に、金銀箔を散らした見返しを付すが、これは江戸時代に入ってからの所為である。(中略)というように第六二段が始まっている。本来存した上巻は既に散佚し、今は下巻のみの零本になっているということである。
付属の折紙には、(中略)とある。
いったい冷泉家伝来の本が古筆家の極めを持つことは珍しく、この折紙を見ただけでも、該本が冷泉家に入ったのはかなり後、すなわち享保十四年(一七二九)以降のことではなかったかと思われるのであるが、それはともかく、この『伊勢物語」の筆跡は、為相の筆とは考えられまい。(中略)しかし、為相真筆ではないものの、鎌倉時代中期の書写にかかる逸品であることは疑うべくもない。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」1~3頁)
《片桐》「此物語事
高二位成忠卿本<始起春日野若紫哥/終迄于昨日今日云々> 朱雀院塗籠本是也
業平朝臣自筆本<始起名のみ立歌/終迄于昨日今日云々> 自本是也
小式部内侍本<始起君やこし歌/終迄于程雲井歌> 小本是也
という三本説を掲げる。「自本」は「業平自筆本」、「小本」は「小式部内侍本」のことであるが、三本説に関する記述としては最も古いものとしてよい。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」5~6頁)
《片桐》「「抑伊勢物語根源古人説々不同…」という識語が記される。この識語は初期の定家書写本の多くに見られるので、この識語を持つ本を根源本と呼んで一括してしまうのが一般的になりつつあるが、正しくない。ちなみに該本のそれ(略)を九州大学図書館蔵の伝為家筆本のそれと比べるとつぎのようになる。(中略)
誤写や脱落と思えない例だけに限って対照したのであるが、両者は明らかに同じではない。まして、九大本には、これに続けて、「先年所書之本、為人被借失、仍為備証本、重所校合也 戸部尚書 在判」とある。該本が「于時建仁二年季夏中旬…」という奥書の前(九七頁)に記していた「当初所書本為人被借失畢。仍愚意所存為備随分証本書之」という識語とは全く異なっていて、九大本と該本が同じものではなく、別の本であることは明らかなのである。(中略)いずれにせよ、該本のように「抑伊勢物語根源古人説々不同…」という識語を持つ年号本も存在するということが、ここに確認されたというわけである。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」6~7頁)
《片桐》「前述したように、建仁二年(一二〇二)、定家四十一歳の時に書写された本文を伝える該本は、通行本である天福二年(一二三四)書写本より実に三十二年も前の定家本の姿そ留めている点において貴重である。(中略)当該建仁二年本は、同じ定家本でも後期の書写にかかる天福本や武田本などの類ではなく、(中略)など別本(古本)と呼ばれている本の類と近い関係にあることがわかる。しかし、そればかりではなく、(中略)第六九段・第八七段・第九八段・第一〇七段・第一二〇段・第一二一段に見られるように定家本より章段数が多い国立歴史民俗博物館蔵大島雅太郎氏旧蔵本・宮内庁書陵部蔵阿波国文庫旧蔵本んどの広本とも通じているし、第六九段・第九八段・第一〇七段においては定家本より章段数が少ない略本系の本間美術館蔵伝民部卿局筆本(いわゆる塗籠本)とも一致していて、初期の定家本ほど非定家本と通ずる点が多いという前述の特徴をまざまざと示しているのである。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」9~10頁)
《片桐》「このように、同じ建仁二年本でも、該本と専修大学本の本文に異同があるのは、後の校勘結果の本文化のせいであって、定家自筆本でない限り、これは仕方のない現象だったのである。(中略)
これらのうちの多くが、天福本・武田本などの通行の定家本と異なって初期の定家本や別本や広本の特徴を持っていたことは既に前表に示して説明したが、第八六段の「うたをよみてやれりけり」と第八七段の「わがすむ方の」の場合に限っては、本文が天福本と一致し、傍記は武田本など多くの定家本と一致しているという定家本の中に対立がある特異なケースであった。つまり朱筆による傍記や訂正は、天福本以外の定家本における校訂ということになるのである。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」11~12頁)
《片桐》「『伊勢物語』の写本としては希有なことである巻子本という形態をとる該本の特徴として見逃せないのは、裏書の存在である。(中略)これも初期の定家本の勘物であると考えられるのである。(中略)問題を整理し切っていない古い時点における定家の勘物ではないかと思われるのである。(中略)裏書が本文中の勘物を補うものになっていることがわかる。そして、このように見て来ると、該本の裏書は、若き定家の試行錯誤の跡を伝えているのではないかと思われてくる。天福本のような整った勘物を持っていれば、このような逡巡はあり得ないからである。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」13~14頁)
《片桐》「前節において物語本文について詳しく述べたのと全く同じく、裏書や勘物・集付けにおいても、この冷泉家時雨亭文庫蔵の建仁二年本『伊勢物語』は、まさしく建仁二年の段階における、いわば定家本確立以前の「伊勢物語』の姿をそのままに保持していることが確認されるのである。」
(冷泉家時雨亭文庫蔵『伊勢物語』片桐洋一「解題」16頁)
6-1「学習院大学蔵本」(天福二年本系)の書誌
《鈴木》「学習院大学所蔵の右古抄本伊勢物語は藤原定家筆と伝えられ、黒塗りの箱入り、縦一六・三三cm、横一六・一七cmの胡蝶装の冊子で、薄葉の鳥の子紙料紙として用い、張数すべて九十二葉、うち墨付九十葉、特別に表紙はつけず、第一葉と第九十二葉とをば白紙のままで表紙にあて、その表紙の中央に「伊勢物語」と書してある。」
(『天福本 伊勢物語』「緒言」185頁)