武田本伊勢物語 渋谷栄一翻刻(C)

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渋谷栄一翻刻(C)

凡例
1 本文は、静嘉堂文庫蔵『改訂 伊勢物語 影印本付』(山田清市 白帝社)影印本によった。
2 細字・割注は</>で記した。 /は改行の印。
3 集付及び勘物は【 】で記した。
4 章段は( )で記した。
5 ヤ行「え(江)」は「江」とワ行「を(越)」は「越」と翻字した。
6 校訂符号は以下のとおりである。
  ミセケチ($) 抹消(#) なぞり(&) 併記(=) 補入(+) 移動(→)
7 振り仮名は( )、送り仮名は<>で記した。

伊勢物語(表紙)

むかしおとこうゐかうふりしてならの京かす
かのさとにしるよしゝてかりにいにけりその
さとにいとなまめいたるをむなはらからすみ
けりこのおとこかいまみてけりおもほえす
ふるさとにいとはしたなくてありけれは心
地まとひにけりおとこのきたりけるかりき
ぬのすそをきりてうたをかきてやるその
おとこしのふすりのかりきぬをなむきたりける」1オ
  かすかのゝわかむらさきのすり衣
  しのふのみたれかきりしられすとなむ
をいつきていひやりけるついておもしろ
きことゝもやおもひけむ
  みちのくのしのふもちすりたれゆへに
  みたれそめにし我ならなくに【<古今河原大臣哥/左大臣源融<寛平七年八月/廿五日薨
七十三>>】
といふ哥のこゝろはへ也むかし人はかくいちは
やきみやひをなむしける(第一段)」1ウ

むかしおとこありけりならの京はゝなれこの京
は人のいゑまたさたまらさりける時にゝし
の京に女ありけりその女世人にはまされ
りけりその人かたちよりはこゝろなむまさ
りたりけるひとりのみもあらさりけらし
それをかのまめおとこうちものかたらひ
てかへりきていかゝおもひけむ時はやよひの
ついたちあめそをふるにやりける」2オ
  おきもせすねもせてよるをあかしては
  はるのものとてなかめくらしつ(第二段)

むかしおとこありけりけさうしける女のも
とにひしきもといふ物をやるとて
  おもひあらはむくらのやとにねもしなむ
  ひしきものにはそてをしつゝも
二条のきさきのまたみかとにもつかうま
つりたまはてたゝ人にておはしまし
              ける」2ウ
時のことなり(第三段)

むかしひむかしの五条におほきさいの宮
おはしましけるにしのたいにすむ人
ありけりそれをほいにはあらて心さしふ
かゝりける人ゆきとふらひけるをむ月の
十日許のほとにほかにかくれにけりあり
ところはきけと人のいきかよふへき所にも
あらさりけれはなをうしとおもひつゝなむ」3オ
有ける又の年のむ月にむめのはなさかり
にこそをこひていきてたちて見ゐて見ゝれ
とこそにゝるへくもあらすうちなきてあはら
なるいたしきに月のかたふくまてふせり
てこそを思いてゝよめる
  月やあらぬはるやむかしのはるならぬ
  わか身ひとつはもとの身にして
とよみてよのほの/\とあくるになく/\かへり
にけり(第四段)」3ウ

むかしおとこ有けりひむかしの五条わたりに
いとしのひていきけりみそかなるところなれは
かとよりもえいらてわらはへのふみあけたる
ついひちのくつれよりかよひけりひとし
けくもあらねとたひかさなりけれはある
しきゝつけてそのかよひちに夜ことに人
をすへてまもらせけれはいけとえあはて
かへりけりさてよめる」4オ
  ひとしれぬわかゝよひ地のせきもりは
  よひ/\ことにうちもねなゝむ
とよめりけれはいといたくこゝろやみけりある
しゆるしてけり二条のきさきにしのひて
まいりけるを世のきこ江ありけれはせうと
たちのまもらせたまひけるとそ(第五段)

昔おとこありけり女のえうましかりけるを
としをへてよはひわたりけるをからうして
ぬすみいてゝいとくらきにきけりあくた河と
               いふかはを」4ウ
ゐていきけれはくさのうへにをきたりけるつゆ
をかれはなにそとなむおとこにとひける
ゆくさきおほく夜もふけにけれはおにある
所ともしらて神さへいといみしうなりあめも
いたうふりけれはあはらなるくらに女をは
おくにをしいれておとこゆみやなくひをおひ
てとくちにをりはや夜もあけなむと思つゝ
ゐたりけるにおにはやひとくちにくひてけり」5オ
あなやといひけれと神なるさはきにえきか
さりけりやう/\夜もあけゆくに見れはゐて
こし女もなしあしすりをしてなけともかひなし
  しらたまかなにそと人のとひし時
  つゆとこたへてきえなましものを
これは二条のきさきのいとこの女御の御もとに
つかうまつるやうにてゐたまへりけるをかたち
のいとめてたくおはしけれはぬすみておひて」5ウ
いてたりけるを御せうとほりかはのおとゝたらう
くにつねの大納言また下らうにて内へまいり
たまふにいみしうなく人あるをきゝつけて
とゝめてとりかへしたまうてけりそれをかく
おにとはいふなりけりまたいとわかうてきさき
のたゝにおはしける時とや(第六段)

むかしおとこ(こ+ありけり)京にありわひてあつまに
いきけるに伊勢おはりのあはひのうみつらを」6オ
ゆくになみのいとしろくたつを見て
  いとゝしくすきゆく方のこひしきに
  うらやましくもかへるなみ哉
となむよめりける(第七段)

むかしおとこありけり京やすみうかりけむ
あつまのかたにゆきてすみ所もとむとて
ともとする人ひとりふたりしてゆきけりしな
                  のゝ
くにあさまのたけにけふりのたつを見て
  しなのなるあさまのたけにたつけふり」6ウ
  をちこちひとの見やはとかめぬ(第八段)

むかしおとこありけりそのおとこ身をえうなき
ものに思なして京にはあらしあつまの方
にすむへきくにもとめにとてゆきけりもと
よりともとする人ひとりふたりしていきけり
みちしれる人もなくてまとひいきけりみかはの
くにやつはしといふ所にいたりぬそこを
やつはしといひけるは水ゆく河のくもてなれは」7オ
はしをやつわたせるによりてなむやつはし
とはいひけるそのさはのほとりの木のかけ
におりゐてかれいひくひけりそのさはに
かきつはたいとおもしろくさきたりそれを
見てある人のいはくかきつはたといふいつも
しをくのかみにすへてたひのこゝろを
よめといひけれはよめる
  から衣きつゝなれにしつましあれは
  はる/\きぬるたひをしそ思」7ウ
とよめりけれはみなひとかれいひのうへに
なみたおとしてほとひにけり
ゆき/\てするかのくにゝいたりぬうつの山に
いたりてわかいらむとするみちはいとくらう
ほそきにつたかえてはしけりものこゝろ
ほそくすゝろなるめを見ることゝおもふ
す行者あひたりかゝるみちはいかてかいますると
いふを見れは見し人なりけり京にその人
      の御もとに(に+と)てふみかきてつく」8オ
  するかなるうつの山辺のうつゝにも
  ゆめにもひとにあはぬなりけり
ふしの山を見れはさ月のつこもりに雪
いとしろうふれり
  時しらぬ山はふしのねいつとてか
  かのこまたらに雪のふるらむ
その山はこゝにたとへはひえの山をはたち許
           【或本はしりほしの<其儀/未通>】
かさねあけたらむほとしてなりはしほ
【或説云塩尻寂蓮殊用此説つほ塩といふ物あり其尻似此山云々】」8ウ
【先人之命此説凡卑也不可用之 心えすとて有なむ】
しりのやうになむありける【往年少々有問尋人/未知慥説由答之云々】
なをゆき/\てむさしのくにとしもつふさのくにと
の中にいとおほきなる河ありそれをすみた
河といふその河のほとりにむれゐておもひ
やれはかきりなくとをくもきにけるかなと
わひあへるにわたしもりはやふねにのれ日も
くれぬといふにのりてわたらむとするにみな
ひとものわひしくて京におもふ人なきにしも」9オ
あらすさるおりしもしろきとりのはしとあし
とあかきしきのおほきさなる水のうへに
あそひつゝいをゝくふ京には見えぬとりなれは
みな人見しらすわたしもりにとひけれはこ
れなむ宮ことりといふをきゝて
  名にしおはゝいさことゝはむ宮ことり
  わかおもふ人はありやなしやとよめり
けれはふねこそりてなきにけり(第九段)

むかしおとこむさしのくにまてまとひありき」9ウ
けりさてそのくにゝある女をよはひけり
ちゝはこと人にあはせむといひけるをはゝ
なむあてなる人に心つけたりけるちゝは
なお人にてはゝなむふちはらなりけるさて
なむあてなる人にとおもひけるこのむこ
かねによみてをこせたりけるすむところなむ
いるまのこほりみよしのゝさとなりける
  みよしのゝたのむのかりもひたふるに
  きみかゝたにそよるとなくなる」10オ
むこかねかへし
  わか方によるとなくなるみよし野ゝ
  たのむのかりをいつかわすれむ となむ
人のくにゝても猶かゝる事なむやまさりける(第十段)

昔おとこあつまへゆきけるにともたちともに
みちよりいひをこせける
  わするなよほとはくもゐになりぬとも
  そら行月のめくりあふまて(第十一段)」10ウ

むかしおとこ有けり人のむすめをぬすみて
武蔵野へゐてゆくほとにぬす人なりけれは
くにのかみにからめられにけり女をはくさむら
の中にをきてにけにけりみちくる人このゝは
ぬす人あなりとて火つけむとす女わひて
  むさしのはけふはなやきそわかくさの
  つまもこもれり我もこもれり とよみける
をきゝて女をはとりてともにゐていにけり(第十二段)

昔武蔵なるおとこ京なる女のもとにきこゆ」11オ
れはゝつかしきこえねはくるしとかきてうはかき
にむさしあふみとかきてをこせてのちをとも
せすなりにけれは京より女
  むさしあふみさすかにかけてたのむには
  とはぬもつらしとふもうるさし とあるを
見てなむたへかたき心地しける
  とへはいふとはねはうらむゝさしあふみ
  かゝるおりにや人はしぬらむ(第十三段)

むかしおとこみちのくにゝすゝろにゆきいたりに
                    けり」11ウ
そこなる女京の人はめつらかにやおほえけむ
せちにおもへる心なむありけるさてかの女
【入万葉】なか/\にこひにしなすはくはこにそ
  なるへかりけるたまのをはかり【桑子也】
うたさへそひなひたりけるさすかにあはれとや
おもひけむいきてねにけり夜ふかくいてにけれ
                    は

      【東国之習家ヲクタト云家鶏也】
  夜もあけはきつにはめなてくたかけの
  またきになきてせなをやりつる【万葉云/かけのたれお】」12オ
といへるにおとこ京へなむまかるとて
  くりはらのあれはの松の人ならは
  宮このつとにいさといはましを といへり
けれはよろこほひておもひけらしとそいひ
をりける(第十四段)

昔みちのくにゝてなてうことなき人のめに
かよひけるにあやしうさやうにてあるへき
女ともあらす見えけれは
  忍山しのひてかよふみちもかな」12ウ
  ひとの心のおくも見るへく
女かきりなくめてたしとおもへとさるさかなき
えひす心を見てはいかゝはせむは(第十五段)

【紀有常従四位下雅楽頭 経兵衛尉蔵人左近将監馬助兵衛佐左少将少納言/刑部大輔 自承和
至于元慶 正四位下名虎男】
むかしきのありつねといふ人ありけりみよのみかと
につかうまつりて時にあひけれとのちは世かはり
時うつりにけれは世のつねの人のこともあらす
人からは心うつくしうあてはかなることをこの
みてことに人にもにすまつしくへても 猶昔」13オ
よかりし時の心なから世のつねのこともしらす
としころあひなれたるめやう/\とこはなれて
つゐにあまになりてあねのさきたちてなり
たるところへゆくをおとこまことにむつまし
き事こそなかりけれいまはとゆくをいとあは
れと思けれとまつしけれはするわさもなかり
けりおもひわひてねむころにあひかたらひ
けるともたちのもとにかう/\いまはとて
まかるをなにこともいさゝかなることもえ」13ウ
せてつかはすことゝかきておくに
  手をゝりてあひ見しことをかそふれは
  とおといひつゝよつはへにけり
かのともたちこれを見ていとあはれとおもひて
よるのものまてをくりてよめる
  年たにもとおとてよつはへにけるを
  いくたひきみをたのみきぬらむ
かくいひやりたりけれは
  これやこのあまのは衣むへしこそ」14オ
  きみかみけしとたてまつりけれ
よろこひにたへて又
  秋やくるつゆやまかふとおもふまて
  あるはなみたのふるにそありける(第十六段)

としころをとつれさりける人のさくらのさかりに
見にきたりけれはあるし
  あたなりと名にこそたてれさくら花
  としにまれなる人もまちけり
返し」14ウ
  けふこすはあすは雪とそふりなまし
  きえすは有とも花と見ましや(第十七段)

むかしなま心ある女ありけりおとこちかうありけり
女うたよむ人なりけれは心見むとてきくの
花のうつろへるをゝりておとこのもとへやる
  くれなゐにゝほふはいつらしらゆきの
  えたもとをゝにふるかとも見ゆ
おとこしらすよみによみける
  くれなゐにゝほふかうへのしらきくは」15オ
折ける人のそてかとも見ゆ(第十八段)

むかしおとこみやつかへしける女のかたにこた
ちなりける人をあひしりたりけるほとも
なくかれにけりおなし所なれは女のめには見
ゆるものからおとこはある物かとも思たらす女
  あまくものよそにも人のなりゆくか
  さすかにめには見ゆる物から
とよめりけれはおとこ返し
  あまくものよそにのみしてふることは」15ウ
  わかゐる山の風はやみなり
とよめりけるはまたおとこある人となむいひ
                  ける(第十九段)

むかしおとこやまとにある女を見てよはひて
あひにけりさてほとへて宮つかへする人
なりけれはかへりくるみちにやよひはかりに
かえてのもみちのいとおもしろきをゝりて
女のもとにみちよりいひやる
  きみかためたおれるえたははるなから」16オ
  かくこそ秋のもみちしにけれ
とてやりたりけれは返事は京にきつきて
なむもてきたりける
  いつのまにうつろふいろのつきぬらむ
  きみかさとにはゝるなかるらし(第二十段)

むかしおとこ(こ+女)いとかしこくおもひかはしてこと心
なかりけりさるをいかなる事かありけむいさゝ
かなることにつけて世中をうしと思ていてゝ
いなむと思てかゝる哥をなむよみてものに」16ウ
かきつけゝる
  いてゝいなは心かるしといひやせむ
  世のありさまを人はしらねは
とよみをきていてゝいにけりこの女かくかき
をきたるをけしう心をくへきこともおほえ
ぬをなにゝよりてかかゝらむといといたうな
きていつ方にもとめゆかむとかとにいてゝ
と見かう見ゝけれといつこをはかりともおほえ
さりけれはかへりいりて」17オ
  おもふかひなき世なりけりとし月を
  あたにちきりてわれやすまひし
といひてなかめをり
  人はいさおもひやすらむたまかつら
  おもかけにのみいとゝ見えつゝ
この女いとひさしくありてねむしわひてにや
ありけむいひをこせたる
  いまはとてわするゝくさのたねをたに
  人の心にまかせすもかな
返し」17ウ
  わすれ草うふとたにきく物ならは
  おもひけりとはしりもしなまし
又/\ありしよりけにいひかはしておとこ
  わする覧と思心のうたかひに
  ありしよりけに物そかなしき
返し
  なかそらにたちゐるくものあともなく
  身のはかなくもなりにける哉
とはいひけれとをのか世ゝになりにけれはうとく」18オ
なりにけり(第二十一段)

むかしはかなくてたえにけるなか猶やわすれ
さりけむ女のもとより
  うきなから人をはえしもわすれねは
  かつうらみつゝ猶そこひしき
といへりけれはされはよといひておとこ
  あひ見ては心ひとつをかはしまの
  水のなかれてたえしとそ思
とはいひけれとそのよいにけりいにしへゆくさき
                     の」18ウ
ことゝもなといひて
  秋の夜のちよをひと夜になすらへて
  やちよしねはやあく時のあらむ
返し
  あきの夜のちよをひとよになせりとも
  ことはのこりてとりやなきなむ
いにしへよりもあはれにてなむかよひける(第二十二段)

昔ゐなかわたらひしける人のことも井のもと
にいてゝあそひけるをおとなになりにけれは
おとこも女もはちかはしてありけれとおとこ」19オ
はこの女をこそえめとおもふ女はこのおとこを
とおもひつゝおやのあはすれともきかてなむ
ありけるさてこのとなりのおとこのもとより
かくなむ
  つゝゐつの井つゝにかけしまろかたけ
  すきにけらしもいもみさるまに
をむな返し
  くらへこしふりわけ神もかたすきぬ
  きみならすしてたれかあくへき」19ウ
なといひ/\てつゐにほいのことくあひにけり
さてとしころふるほとに女おやなくたよりな
くなるまゝにもろともにいふかひなくてあら
むやはとてかうちのくにたかやすのこほりに
いきかよふ所いてきにけりさりけれとこの
もとの女あしとおもへるけしきもなくていた
しやりけれはおとこゝと心ありてかゝるにや
あらむと思ひうたかひてせんさいのなかにか
くれゐてかうちへいぬるかほにて見れは」20オ
この女いとようけさうしてうちなかめて
  風ふけはおきつしらなみたつた山
  夜はにやきみかひとりこゆらむ
とよみけるをきゝてかきりなくかなしと思て
かうちへもいかすなりにけりまれ/\かのたか
やすにきて見れははしめこそ心にくもつく
りけれいまはうちとけてゝつからいゐかひと
りてけこのうつはものにもりけるを見て心
               うかりて」20ウ
いかすなりにけりさりけれはかの女やまとの方
を見やりて
【万十二】きみかあたり見つゝをゝらむいこま山
  雲なかくしそ雨はふるとも
といひて見いたすにからうしてやまと人こむと
いへりよろこひてまつにたひ/\すきぬれは
  きみこむといひし夜ことにすきぬれは
  たのまぬものゝこひつゝそぬる
といひけれとおとこすますなりにけり(第二十三段)」21オ

昔おとこかたゐなかにすみけりおとこ宮つかへ
しにとてわかれおしみてゆきにけるまゝに
三とせこさりけれはまちわひたりけるに(に+いとねむころにいひける人にこよひあはむとち
きりたりけるを)このお
とこきたりけりこのとあけたまへとたゝきけれと
あけてうたをなむよみていたしたりける
  あらたまのとしの三とせをまちわひて
  たゝこよひこそにゐまくらすれ
といひいたしたりけれは
  あつさゆみまゆみつきゆみとしをへて」21ウ
  わかせしかことうるはしみせよ
といひていなむとしけれは女
  あつさゆみひけとひかねとむかしより
  心はきみによりにしものを
といひけれとおとこかへりにけり女いとかなしくて
しりにたちてをひゆけとえをひつかてし
水のある所にふしにけりそこなりけるいはに
およひのちしてかきつけゝる」22オ
  あひおもはてかれぬる人をとゝめかね
  わか身はいまそきえはてぬめる
とかきてそこにいたつらになりにけり(第二十四段)

むかしおとこありけりあはしともいはさりける
女のさすかなりけるかもとにいひやりける
  秋のゝにさゝわけしあさのそてよりも
  あはてぬるよそひちまさりける
いろこのみなる女返し」22ウ
  見るめなきわか身をうらとしらねはや
  かれなてあまのあしたゆくゝる(第二十五段)

むかしおとこ五条わたりなりける女をえゝす
なりにけることゝわひたりける人の返ことに
  おもほえすそてにみなとのさはくかな
  もろこしふねのよりし許に(第二十六段)

むかしおとこ女のもとにひとよいきて又も
いかすなりにけれは女のてあらふところに」23オ
ぬきすをうちやりてたらひのかけに見え
けるをみつから
  我許物思人は又もあらし
  とおもへは水のしたにもありけり
とよむをこさりけるおとこたちきゝて
  みなくちにわれや見ゆらむかはつさへ
  水のしたにてもろこゑになく(第二十七段)

むかしいろこのみなりける女いてゝいにけれは」23ウ
  なとてかくあふこかたみになりにけむ
  水もらさしとむすひしものを(第二十八段)

【貞観十一年二月貞明親王為皇太子于時高子<二条/后>為女御/依春宮母儀号歟】
むかし春宮の女御の御方の花の賀にめし
あつけられたりけるに
  花にあかぬなけきはいつもせしかとも
  けふのこよひにゝる時はなし(第二十九段)

むかしおとこはつかなりける女のもとに
  あふことはたまのをはかりおもほえて」24オ
  つらき心のなかく見ゆらむ(第三十段)

昔宮のうちにてあるこたちのつほねのまへを
わたりけるになにのあたにかおもひけむよし
やくさはよ(よ$の)ならむさか見むといふおとこ
  つみもなき人をうけへはわすれくさ
  をのかうへにそおふといふなる
といふをねたむ女もありけり(第三十一段)

むかしものいひける女にとしころありて」24ウ
  いにしへのしつのをたまきくりかへし
  むかしをいまになすよしもかな
といへりけれとなにともおもはすやありけむ(第三十二段)

むかしおとこつのくにむはらのこほりにかよひ
ける女このたひいきては又はこしと思へる
けしきなれはおとこ
【上句/万葉】あしへよりみちくるしほのいやましに
  きみに心を思ますかな
返し」25オ
  こもり江に思ふ心をいかてかは
  舟さすさほのさしてしるへき
ゐなか人の事にてはよしやあしや(第三十三段)

昔おとこつれなかりける人のもとに
  いへはえにいはねはむねにさはかれて
  こゝろひとつになけくころ哉
おもなくていへるなるへし(第三十四段)

むかし心にもあらてたえたる人のもとに」25ウ
  たまのをゝあはおによりてむすへれは
  たえてのゝちもあはむとそ思(第三十五段)

むかしわすれぬるなめりとゝひことしける女の
もとに
  たにせはみゝねまてはへるたまかつら
  たえむと人にわかおもはなくに(第三十六段)

むかしおとこいろこのみなりける女にあへりけり
うしろめたくやおおひけむ
  我ならてしたひもとくなあさかほの」26オ
  ゆふかけまたぬ花にはありとも
返し
  ふたりしてむすひしひもをひとりして
  あひ見るまてはとかしとそ思(第三十七段)

むかし紀の有つねかりいきたるにありきて
をそくきけるによみてやりける
  きみによりおもひならひぬ世中の
  人はこれをやこひといふらむ
返し」26ウ
  ならはねは世の人ことになにをかも
  こひとはいふとゝひしわれしも(第三十八段)

  【西院 淳和天皇】
むかしさいゐんのみかとゝ申すみかとおはしまし
         【崇子内親王 承和十五年五月十五日薨】
けりそのみかとのみこたかいこと申すいまそ
かりけりそのみこうせたまひておほむはふり
の夜その宮のとなりなりけるおとこ御はふ
り見むとて女くるまにあひのりていてたりけり
いとひさしうゐていてたてまつらすうちなきて」27オ
やみぬへかりけるあひたにあめのしたのいろこのみ
源のいたるといふ人これもゝの見るにこの車を
女くるまと見てよりきてとかくなまめくあひた
にかのいたるほたるをとりて女のくるまにいれ
たりけるをくるまなりける人このほたるの
ともす火にや見ゆるらむともしけちなむする
とてのれるおとこのよめる
  いてゝいなはかきりなるへみともしけち」27ウ
  年へぬるかとなくこゑをきけ
かのいたるかへし
  いとあはれなくそきこゆるともしけち
  きゆる物とも我はしらすな
あめのしたのいろこのみのうたにては猶そ
有ける
いたるはしたかふかおほち也みこのほいなし(第三十九段)

むかしわかきおとこけしうはあらぬ女を思ひ
けりさかしらするおやありておもひもそつくとて」28オ
この女をほかへをひやらむとすさこそいへいまた
をいやらす人のこなれはまたこゝろいきおひ
なかりけれはとゝむるいきおひなし女もいやし
けれはすまふちからなしさるあひたにおもひは
いやまさりにまさるにはかにおやこの女をゝひ
うつおとこちのなみたをなかせともとゝむるよし
なしゐていてゝいぬおとこなく/\よめる
  いてゝいなはたれかわかれのかたからむ
  ありしにまさるけふはかなしも」28ウ
とよみてたえいりにけりおやあはてにけり猶思ひ
てこそいひしかいとかくしもあらしとおもふに
しんしちにたえいりにけれはまとひて願たて
けりけふのいりあひ許にたえいりて又の日の
いぬの時はかりになむからうしていきいてたり
けるむかしのわか人はさるすける物おもひを
なむしけるいまのおきなまさにしなむや(第四十段)

昔女はらからふたりありけりひとりはいやし
                   き」29オ
おとこのまつしきひとりはあてなるおとこも
たりけりいやしきおとこもたるしはすのつこ
もりにうへのきぬをあらひてゝつからはりけり心
さしはいたしけれとさるいやしきわさもなら
はさりけれはうへのきぬのかたをはりやりて
けりせむかたもなくてたゝなきになきけり
これをかのあてなるおとこきゝていと心くるし
かりけれはいときよらなるろうさうのうへのきぬ
          を見いてゝやるとて」29ウ
  むらさきのいろこき時はめもはるに
  のなるくさ木そわかれさりける
むさしのゝ心なるへし(第四十一段)

昔おとこいろこのみとしる/\女をあひいへりけり
されとにくゝはたあらさりけりしは/\いきけ
れと猶いとうしろめたくさりとていかてはた
えあるましかりけりなをはたえあらさりける
なかなりけれはふつかみか許さはることありて
えいかてかくなむ」30オ
  いてゝこしあとたにいまたかはらしを
  たかゝよひちといまはなるらむ
ものうたかはしさによめるなりけり(第四十二段)

【賀陽親王 桓武第七 母夫人多治比氏三品治部卿 貞観十三年十月八日/薨七十八】
むかしかやのみこと申すみこおはしましけり
そのみこ女をおほしめしていとかしこくめく
みつかうたまひけるを人なまめきてあり
けるをわれのみと思けるを又人きゝつけて
ふみやるほとゝきすのかたをかきて」30ウ
  ほとゝきすなかなくさとのあまたあれは
  猶うとまれぬ思ふものから
といへりこの女けしきをとりて
  名のみたつしてのたおさはけさそなく
  いほりあまたとうとまれぬれは
時はさ月になむありけるおとこ返し
  いほりおほきしてのたおさは猶たのむ
  わかすむさとにこゑしたえすは(第四十三段)

むかしあかたへゆく人にむまのはなむけ」31オ
せむとてよひてうとき人にしあらさりけれは
いゑとうしさか月さゝせて女のさうそくか
つけむとすあるしのおとこうたよみてもの
こしにゆひつけさす
  いてゝゆくきみかためにとぬきつれは
  我さへもなくなりぬへきかな
このうたはあるかなかにおもしろけれは心とゝ
めてよますはらにあちはひて(第四十四段)

むかしおとこありけり人のむすめのかしつくいか
                     て」31ウ
このおとこにものいはむと思けりうちいてむこと
かたくやありけむものやみになりてしぬへき
時にかくこそ思ひしかといひけるをおやきゝつ
けてなく/\つけたりけれはまとひきたりけれと
しにけれはつれ/\とこもりをりけり時はみな月
のつこもりいとあつきころをひによゐは
あそひをりて夜ふけてやゝすゝしき風ふき
けりほたるたかうとひあかるこのおとこ」32オ
見ふせりて
  ゆくほたる雲のうへまていぬへくは
  秋風吹とかりにつけこせ
  くれかたき夏のひくらしなかむれは
  そのことゝなくものそかなしき(第四十五段)

むかしおとこいとうるはしきともありけりかた時
さらすあひおもひけるを人のくにへいきける
をいとあはれと思てわかれにけり月日へてをこせ
                    たる」32ウ
ふみにあさましくえたいめんせて月日の
へにけることわすれやしたまひにけむといたく
おもひわひてなむ侍世中の人の心はめかる
れはわすれぬへきものにこそあめれといへり
けれはよみてやる
  めかるともおもほえなくにわすらるゝ
  時しなけれはおもかけにたつ(第四十六段)

むかしおとこねむころにいかてと思女ありけり
されとこのおとこをあたなりときゝてつれなさ」33オ
のみまさりつゝいへる
  おほぬさのひくてあまたになりぬれは
  思へとえこそたのまさりけれ
返しおとこ
  おほぬさと名にこそたてれなかれても
  つゐによるせはありといふものを(第四十七段)

むかしおとこありけりむまのはなむけせむとて
人をまちけるにこさりけれは
  いまそしるくるしき物と人またむ」33ウ
  さとをはかれすとふへかりけり(第四十八段)

むかしおとこいもうとのいとおかしけなりけるを
見をりて
  うらわかみねよけに見ゆるわかくさを
  人のむすはむことをしそ思
ときこえけり返し
  はつくさのなとめつらしきことのはそ
  うらなくものをおもひけるかな(第四十九段)

むかしおとこ有けりうらむる人をうらみて」34オ
  とりのこをとをつゝとをはかさぬとも
  おもはぬ人を思ふものかは
といへりけれは
  あさつゆはきえのこりてもありぬへし
  たれかこのよをたのみはつへき
又おとこ
  ふくかせにこそのさくらはちらすとも
  あなたのみかた人の心は
又女返し」34ウ
  ゆく水にかすかくよりもはかなきは
  おもはぬひとをおもふなりけり
又おとこ
  行みつとすくるよはひとちる花と
  いつれまてゝふことをきくらむ
あたくらへかたみにしけるおとこ女のしの
ひありきしけることなるへし(第五十段)

むかしおとこ人のせんさいにきくうへけるに」35オ
  うへしうへは秋なき時やさかさらむ
  花こそちらめねさへかれめや(第五十一段)

むかしおとこありけり人のもとよりかさ
りちまきをゝこせたりける返ことに
  あやめかりきみはぬまにそまとひける
  我は野にいてゝかるそわひしき
とてきしをなむやりける(第五十二段)

むかしおとこあひかたき女にあひて物かたり
                  なと」35ウ
するほとにとりのなきけれは
  いかてかは鳥のなくらむ人しれす
  おもふ心はまたよふかきに(第五十三段)

むかしおとこつれなかりける女にいひやりける
  ゆきやらぬゆめ地をとるたもとには
  あまつそらなるつゆやをくらん(第五十四段)

むかしおとこ思ひかけたる女のえうましう
なりてのよに」36オ
  おもはすはありもすらめとことのはの
  越りふしことにたのまるゝかな(第五十五段)

昔おとこふしておもひおきておもひお
もひあまりて
  わか袖は草のいほりにあらねとも
  くるれはつゆのやとりなりけり(第五十六段)

むかしおとこ人しれぬ物思ひけりつれなき人
                のもとに
  こひわひぬあまのかるもにやとるてふ
    我から身をもくたきつるかな(第五十七段)」36ウ

むかし心つきていろこのみなる越とこなか
をかといふ所にいゑつくりてをりけり
そこのとなり/\ける宮はらにこともなき女とも
のゐなかなりけれは田からむとてこの
越とこのあるを見ていみしのすきものゝし
わさやとてあつまりていりきけれはこの
おとこにけておくにかくれにけれは女
  あれにけりあはれいく世のやとなれや」37オ
  すみけむ人のをとつれもせぬ
といひてこの宮にあつまりゐてありけれは
おとこ
  むくらおひてあれたるやとのうれたきは
  かりにもおにのすたくなりけり
とてなむいたしたりけるこの女ともほひろは
むといひけれは
  うちわひておちほひろふときかませは
  われもたつらにゆかましものを(第五十八段)」37ウ

むかし越とこ京をいかゝおもひけむひむかし
山にすまむとおもひいりて
  すみわひぬいまはかきりと山さとに
  身をかくすへきやともとめてむ
かくて物いたくやみてしにいりたりけれはお
もてに水そゝきなとしていきいてゝ
  わかうへにつゆそをくなるあまのかは
  とわたるふねのかいのしつくか
となむいひていきいてたりける(第五十九段)」38オ

昔越とこ有けり宮つかへいそかしく心も
まめならさりけるほとのいへとうし
まめにおもはむといふ人につきて人の
くにへいにけりこのおとこ宇佐のつかひにて
いきけるにあるくにのしそうの官人の
めにてなむあるときゝて女あるしにかは
らけ(け+とらせよさらすはのましといひけれはかはらけ)とりていたしたりけるにさかなゝ

けるたちはなをとりて
  さ月まつ花たちはなのかをかけは」38ウ
  昔の人の袖のかそする
といひけるにそ思ひいてゝあまになりて山に
いりてそありける(第六十段)

むかし越とこつくしまていきたりけるにこ
れはいろこのむといふすき物とすたれのう
ちなる人のいひけるをきゝて
  そめかはをわたらむ人のいかてかは
  いろになるてふことのなからむ
女返し」39オ
  名にしおはゝあたにそあるへきたはれしま
  なみのぬれきぬきるといふなり(第六十一段)

むかし年ころをとつれさりける女心かしこく
やあら(ら+さり)けむはかなき人の事につきて人の
くになりける人につかはれてもと見し人
のまへにいてきて物くはせなとしけりよ
さりこの有つる人たまへとあるしにいひけれは
をこせたりけりおとこわれをはしるやとて」39ウ
  いにしへのにほひはいつらさくらはな
  こけるからともなりにけるかな
といふをいとはつかしと思ひていらへもせて
ゐたるをなといらへもせぬといへはなみた
のこほるゝにめも見えす物もいはれすといふ
  これやこの我にあふみをのかれつゝ
  年月ふれとまさりかほなみ
といひてきぬゝきてとらせけれとすてゝにけ
にけりいつちいぬらんともしらす(第六十二段)」40オ

むかし世心つける女いかて心なさけあらむ
おとこにあひえてしかなとおもへといひいて
むもたよりなさにまことならぬゆめか
たりをす子三人をよひてかたりけりふた
りのこはなさけなくいらへてやみぬさふ
らうなりける子なむよき御おとこそいて
こむとあはするにこの女けしきいとよし
こと人はいとなさけなしいかてこの在五中将
                   に」40ウ
あはせてしかなと思ふ心ありかりしあり
きけるにいきあひて道にてむまのくちを
とりてかう/\なむ思ふといひけれはあは
れかりてきてねにけりさてのちおとこ見え
さりけれは女おとこのいゑにいきてかいまみ
けるを越とこほのかに見て
  もゝとせにひとゝせたらぬつくもかみ
  われをこふらしおもかけに見ゆ
とていてたつけしきを見てむはらからたちに」41オ
かゝりていゑにきてうちふせりおとこかの
女のせしやうにしのひてたてりて見れは女
なけきてぬとて
  狭席に衣片敷今夜もや
  恋しき人にあはてのみねむ
とよみけるをゝとこあはれと思ひてそのよは
ねにけり世中のれいとしておもふをは思ひ
おもはぬをはおもはぬものをこの人は
思ふをもおもはぬをもけちめ見せぬ心なむ有
                  ける(第六十三段)」41ウ

昔おとこ女みそかにかたらふわさもせさり
けれはいつくなりけむあやしさによめる
  吹風にわか身をなさは玉すたれ
  ひまもとめつゝいるへきものを
   返し
  とりとめぬ風にはありともたますたれ
  たかゆるさはかひまもとむへき(第六十四段)

むかしおほやけおほしてつかうたまふ
女のいろゆるされたるありけりおほみやすん」42オ
所とていますかりけるいとこなりけり殿上に
さふらひけるありはらなりけるおとこのまた
いとわかゝりけるをこの女あひしりたりけり
おとこ女かたゆるされたりけれは女のある所に
(+きてむかひをりけれは女いとかたは)なり身もほろひなむかくなせそといひけ
れは
  おもふにはしのふることそまけにける
  あふにしかへはさもあらはあれ
といひてさうしにおりたまへれはれいのこの」42ウ
みさうしには人の見るをもしらてのほり
ゐけれはこの女おもひわひてさとへゆく
されはなにのよき事と思ひていきかよひ
けれはみなひときゝてわらひけりつとめ
てとのもつかさの見るにくつはとりておく
になけいれてのほりぬかくかたはにしつゝ
ありわたるに身もいたつらになりぬへけれは
つゐにほろひぬへしとてこのおとこいかにせむ
わかかゝるこゝろやめたまへとほとけ神にも」43オ
申けれといやまさりにのみおほえつゝなを
わりなくこひしうのみおほえけれはおむ
やうしかむなきよひてこひせしといふはらへ
のくしてなむいきけるはらへけるまゝにいと(と+と)
かなしきことかすまさりてありしよりけに
こひしくのみおほえけれは
  恋せしとみたらしかはにせしみそき
  神はうけすもなりにけるかな」43ウ
といひてなむいにける
このみかとはかほかたちよくおはしまして
ほとけの御なを御心にいれて御こゑは
いとたうとくて申たまふをきゝて女はいたう
なきけりかゝるきみにつかうまつらてすくせ
つたなくかなしきことこのおとこにほたさ
れてとてなむなきけるかゝるほとにみかと
きこしめしつけてこのおとこをはなかし
つかはしてけれはこの女のいとこのみやすところ」44オ
女をはまかてさせてくらにこめてしおり
たまふけれはくらにこもりてなく
  あまのかるもにすむゝしのわれからと
  ねをこそなかめ世をはうらみし
となきをれはこのおとこは人のくにより
夜ことにきつゝふえをいとおもしろく
ふきてこゑはおかしうてそあはれにう
たひけるかゝれはこの女はくらにこもり
               なから」44ウ
それにそあなるとはきけとあひ見るへき
にもあらてなむありける
  さりともと思ふらむこそかなしけれ
  あるにもあらぬ身をしらすして
とおもひをりおとこは女しあはねはかく
しありきつゝ人のくにゝありきてかくうたふ
  いたつらにゆきてはきぬるものゆへに
  見まくほしさにいさなはれつゝ
水のおの御時なるへしおほみやすん所も」45オ
そめとのゝきさきなり五条のきさきとも
【清和天皇 鷹犬之遊漁猟之娯未嘗留意風姿甚端厳如神性】(第六十五段)

むかしおとこつのくにゝしる所ありけるに
あにおとゝともたちひきゐてなにはの方
にいきけりなきさを見れは舟とものある
を見て
  なにはつをけさこそみつのうらことに
  これやこの世をうみわたる舟
これをあはれかりて人/\かへりにけり(第六十六段)」45ウ

昔男せうえうしにおもふとちかいつらねて
いつみのくにへきさらき許にいきけりかう
ちのくにいこまの山を見れはくもりみ
はれみたちゐるくもやますあしたより
くもりてひるはれたり雪いとしろう
木のすゑにふりたりそれを見てかのゆく
人のなかにたゝひとりよみける
  昨日けふ雲のたちまひかくろふは」46オ
  花の林をうしとなりけり(第六十七段)

むかしおとこいつみのくにへいきけりすみ
よしのこほりすみよしのさとすみよし
のはまをゆくにいとおもしろけれはおり
ゐつゝゆくある人すみよしのはまとよめと
いふ
  雁なきて菊の花さく秋はあれと
  はるのうみへにすみよしのはま
とよめりけれはみな人/\よますなりにけり(第六十八段)」46ウ

昔おとこ有けりそのおとこ伊勢のくにゝ
かりのつかひにいきけるにかのいせの
斎宮なりける人のおやつねのつかひより
はこの人よくいたはれといひやれりけれは
おやのことなりけれはいとねむころにいた
はりけりあしたにはかりにいたしたてゝ
やりゆふさりはかへりつゝそこにこさせけり
かくてねむころにいたつきけり二日といふ夜」47オ
おとこわれてあはむといふ女もはたあはし
ともおもへらすされと人めしけゝれはえ
あはすつかひさねとある人なれは
とをくもやとさす女のねやちかくあり
けれは女ひとをしつめてねひとつ許
におとこのもとにきたりけりおとこはた
ねられさりけれはとの方を見いたしてふ
せるに月のおほろなるにちひさき」47ウ
わらはをさきにたてゝ人たてりおとこ
いとうれしくてわかぬるところにゐていり
てねひとつよりうしみつまてあるにまた
なにこともかたらはぬにかへりにけりおとこ
いとかなしくてねすなりにけりつとめて
いふかしけれとわか人をやるへきにしあらね
はいと心もとなくてまちをれはあけはなれ
てしはしあるに女のもとよりことはゝなくて
  きみやこしわれやゆきけむおもほえす」48オ
  夢かうつゝかねてかさめてか
おとこいといたうなきてよめる
  かきくらす心のやみにまとひにき
  ゆめうつゝとはこよひ(こよひ=一説よひと)さためよ
とよみてやりてかりにいてぬ野にありけと
心はそらにてこよひたに人しつめていと
とくあはむとおもふにくにのかみいつき
の宮のかみかけたるかりのつかひありときゝて
よひとよさけのみしけれはもはらあひ」48ウ
事もえせてあけはおはりのくにへた
ちなむとすれはおとこも人しれすちの
なみたをなかせとえあはす夜やう/\
あけなむとするほとに女かたよりいた
すさかつきのさらにうたをかきていた
したりとりて見れは
  かち人のわたれとぬれぬえにしあれは
とかきてすゑはなしそのさか月のさらに」49オ
ついまつのすみしてうたのすゑをかきつく
  又あふさかのせきはこえなむ
とてあくれはおはりのくにへこえにけり
斎宮は水のおの御時文徳天皇の御女
これたかのみこのいもうと(第六十九段)

むかしおとこかりのつかひよりかへりきけ
るにおほよとのわたりにやとりていつ
きの宮のわらはへにいひかけゝる」49ウ
  見るめかる方やいつこそさおさして
  われにをしへよあまのつりふね(第七十段)

むかしおとこ伊勢の斎宮に内の御つかひ
にてまいれりけれはかの宮にすきこと
いひける女わたくし事にて
  ちはやふる神のいかきもこえぬへし
  大宮人の見まくほしさに
おとこ
  こひしくはきても見よかしちはやふる」50オ
  神のいさむる道ならなくに(第七十一段)

むかしおとこ伊勢のくになりける女又え
あはてとなりのくにへいくとていみしう
うらみけれは女
  おほよとの松はつらくもあらなくに
  うらみてのみもかへる浪かな(第七十二段)

昔そこにはありときけとせうそこをたに
いふへくもあらぬ女のあたりを思ひける
【万葉】めには見て手にはとられぬ月のうちの」50ウ
  かつらのこときゝみにそありける(第七十三段)

むかしおとこ女をいたうゝらみて
【万葉】いはねふみかさなる山はへたてねと
  あはぬ日おほくこひわたるかな(第七十四段)

むかしおとこ伊勢のくにゝゐていきてあら
むといひけれは女
  おほよとのはまにおふてふ見るからに
  こゝろはなきぬかたらはねとも
といひてましてつれなかりけれはおとこ」51オ
  袖ぬれてあまのかりほすわたつうみの
  見るをあふにてやまむとやする

  いはまよりおふるみるめしつれなくは
  しほひしほみちかひもありなむ
又おとこ
  なみたにそぬれつゝしほる世の人の
  つらき心はそてのしつくか
世にあふことかたき女になむ(第七十五段)」51ウ

           【春宮母儀也】
むかし二条のきさきのまた春宮のみや
すん所と申ける時氏神にまうて給ける
にこのゑつかさにさふらひけるおきな
人/\のろくたまはるついてに御くるま
よりたまはりてよみてたてまつりける
  おほはらやをしほの山もけふこそは
  神世のことも思ひいつらめ
とて心にもかなしとや思ひけむいかゝ思ひけむ」52オ
しらすかし(第七十六段)

  【文徳天皇】
むかし田むらのみかとゝ申すみかとおはし
ましけりその時の女御たかきこと申す
みまそかりけりそれうせたまひて
【藤原多賀幾子従四位下 右大臣良相女<嘉祥三年女御/天安二年十一月十四日卒>】
安祥寺にてみわさしけり人/\さゝけもの
たてまつりけりたてまつりあつめたる
物ちさゝけはかりありそこはくのさゝけ
もの(の+を)木のえたにつけてたうのまへに
               たてたれは」52ウ
山もさらにたうのまへにうこきいてたる
やうになむ見えけるそれを右大将に
            【常行】
いまそかりけるふちはらのつねゆきと申す
【貞観六年正月十六日参議 八年十二月十六日右大将卅一】
いまそかりてかうのをはるほとにうたよ
む人/\をめしあつめてけふのみわさを
【天安卒女御 若後追善歟】
題にて春の心はえあるうたゝてまつらせ給
右のむまのかみなりけるおきなめはたかひ
なからよみける 【業平朝臣 貞観七年三月任右馬頭】」53オ
  山のみなうつりてけふにあふことは
  はるのわかれをとふとなるへし
とよみたりけるをいま見れはよくも
あらさりけりそのかみはこれやまさりけむ
あはれかりけり(第七十七段)

むかしたかきこと申す女御おはしましけり
うせ給てなゝなぬかのみわさ安祥寺
にてしけり右大将ふちはらのつねゆきと
               いふ人」53ウ
いまそかりけりそのみわさにまうて給ひて
かへさに山しなのせんしのみこおはします
【人康親王 仁明第四 四品弾正尹 貞観元年五月入道】
その山しなの宮にたきおとし水はし
【同十四年薨四十二 号山科宮】
らせなとしておもしろくつくられたるに
まうてたまうてとしころよそにはつかう
まつれとちかくはいまたつかうまつらすこよひ
はこゝにさふらはむと申たまふみこよろこ
ひたまうてよるのおましのまうけせさせ
たまふさるにこの大将いてゝたはかりたまふ」54オ
やう宮つかへのはしめにたゝなをやは
あるへき三条のおほみゆきせし時きの
くにの千里のはまにありけるいとおも
しろきいしたてまつれりきおほみゆき
のゝちたてまつれりしかはある人のみさ
うしのまへのみそにすへたりしをしま
このみたまふきみなりこのいしをたてまつら
むとのたまひてみすいしんとねりしてとりに
                つかはす」54ウ
いくはくもなくてもてきぬこのいしきゝし
よりは見るはまされりこれをたゝにたてま
つらはすゝろなるへしとて人々にうたよませ
  【右大将依佐監右馬頭相伴歟】
たまふみきのむまのかみなりける人のを
なむあおきこけをきさみてまきゑのかたに
このうたをつけてたてまつりける
  あかねともいはにそかふるいろ見えぬ
  こゝろを見せむよしのなけれは
となむよめりける(第七十八段)」55オ

むかしうちのなかにみこうまれたまへりけり
御うふやに人/\うたよみけり御おほち
かたなりけるおきなのよめる
  わかゝとにちひろあるかけをうへつれは
  なつふゆたれかゝくれさるへき
これはさたかすのみこ時の人中将のこと
なむいひける 【貞数親王清和第八母中納言行平女<延喜十二年/薨四十二>】
あにの中納言ゆきひらのむすめのはら也(第七十九段)

昔おとろへたるいへにふちのはなうへ」55ウ
たる人ありけりやよひのつこもりにその日
あめそほふるに人のもとへおりて
たてまつらすとてよめる
  ぬれつゝそしゐておりつる年の内に
  はるはいくかもあらしと思へは(第八十段)

【源融嵯峨第十二源氏母正五位下大原全子<貞観十四年八月廿五日左大臣<元大納言>五十一
/仁和三年従一位寛平七年薨七十三>】
むかし左のおほいまうちきみいまそかりけり
かもかはのほとりに六条わたりに家をいと
おもしろくつくりてすみたまひけり神な月
のつこもりかたきくの花うつろひさかりなるに」56オ
もみちのちくさに見ゆるおりみこたちおは
しまさせて夜ひとよさけのみしあそひて
夜あけもてゆくほとにこのとのゝおもし
ろきをほむるうたよむそこにありけ
るかたゐ越きなたいしきのしたには
ひありきて人にみなよませはてゝよめる
  しほかまにいつかきにけむあさなきに
  つりする舟はこゝによらなむ
となむよみけるはみちのくにゝいきたりけるに」56ウ
あやしくおもしろきところ/\おほかりけり
わかみかと六十よこくの中にしほかまと
いふ所にゝたるところなかりけりされはな
むかのおきなさらにこゝをめてゝしほか
まにいつかきにけむとよめりける(第八十一段)

【惟喬 文徳第一 母従五位上紀静子 名虎女 四品号小野宮】
むかしこれたかのみこと申すみこおはしまし
けり山さきのあなたにみなせといふ所に
宮ありけり年ことのさくらの花さかりには」57オ
その宮へなむおはしましけるその時みきの
むまのかみなりける人をつねにゐておは
しましけり時よへてひさしくなりにけれ
はその人の名わすれにけりかりはねむ
ころにもせてさけをのみのみつゝやまと
うたにかゝれりけりいまかりするかたのゝ
なきさのいへそのゐんのさくらことにおも
しろしその木のもとにおりゐてえたを
おりてかさしにさしてかみなかしもみな」57ウ
うたよみけりうまのかみなりける人のよめる
  世中にたえてさくらのなかりせは
  春のこゝろはのとけからまし
となむよみたりける又人のうた
  ちれはこそいとゝさくらはめてたけれ
  うき世になにかひさしかるへき
とてその木のもとはたちてかへるに日くれに
なりぬ御ともなる人さけをもたせて野
よりいてきたりこのさけをのみてむとてよき」58オ
ところをもとめゆくにあまのかはといふ所
にいたりぬみこにむまのかみおほみきま
いるみこのゝたまひけるかたのをかりて
あまのかはのほとりにいたるをたいにて
うたよみてさかつきはさせとのたまう
けれはかのむまのかみよみてたてまつりける
  かりくらしたなはたつめにやとからむ
  あまのかはらにわれはきにけり」58ウ
みこ哥を返々すしたまうて返しえした
まはすきのありつね御ともにつかうまつれ
りそれか返し
  ひとゝせにひとたひきますきみまては
  やとかす人もあらしとそ思
かへりて宮にいらせたまひぬ夜ふくるまて
さけのみものかたりしてあるしのみこゑひて
いりたまひなむとす十一日の月もかくれなむ
とすれはかのむまのかみのよめる」59オ
  あかなくにまたきも月のかくるゝか
  山のはにけていれすもあらなむ
みこにかはりたてまつりてきのありつね
  越しなへてみねもたひらになりなゝむ
  山の葉なくは月もいらしを(第八十二段)

むかしみなせにかよひたまひしこれたかの
みこれいのかりしにおはしますともに
うまのかみなるおきなつかうまつれり日
ころへて宮にかへりたまうけり御をくり」59ウ
してとくいなむと思におほみきたまひ
ろくたまはむとてつかはさゝりけりこの
むまのかみ心もとなかりて
  まくらとてくさひきむすふ事もせし
  秋の夜とたにたのまれなくに
とよみける時はやよひのつこもりなりけり
みこおほとのこもらてあかしたまうてけり
かくしつゝまうてつかうまつりけるをおもひ
のほかに御くしおろしたまうてけり」60オ
む月におかみたてまつらむとてをのにまうて
たるにひえの山のふもとなれは雪いとたかし
しゐてみむろにまうてゝおかみたてまつるに
つれ/\といとものかなしくておはしましけ
れはやゝひさしくさふらひていにしへの事
なと思ひいてゝきこえけりさてもさふらひ
てしかなとおもへとおほやけことゝもあり
けれはえさふらはてゆふくれにかへるとて
  わすれてはゆめかとそ思ふおもひきや」60ウ
  雪ふみわけてきみを見むとは
とてなむなく/\きにける(第八十三段)

むかしおとこありけり身はいやしなからはゝ
【伊登内親王 桓武第八 母藤南子 従二位乙叡女 貞観三年九月薨】
なむ宮なりけるそのはゝなかをかといふ所にすみ
給けり子は京に宮つかへしけれはまうつとしけ
れとしは/\えまうてすひとつこにさへありけれは
いとかなしうしたまひけりさるにしはす許に
とみの事とて御ふみありおとろきて見れはうたあり
  おいぬれはさらぬわかれのありといへは」61オ
  いよ/\見まくほしきゝみかな
かの子いたうゝちなきてよめる
  世中にさらぬわかれのなくもかな
  千世もといのる人のこのため(第八十四段)

むかしおとこありけりわらはよりつかうまつりける
きみ御くしおろしたまうてけりむ月には
かならすまうてけりおほやけの宮つかへし
けれはつねにはえまうてすされともとの心
うしなはてまうてけるになむありけるむかし」61ウ
つかうまつりし人そくなるせんしなるあまた
まいりあつまりてむ月なれは事たつとてお
ほみきたまひけりゆきこほすかことふりて
ひねもすにやますみな人ゑひて雪にふりこ
められたりといふを題にてうたありけり
  おもへとも身をしわけねはめかれせぬ
  ゆきのつもるそわか心なる
とよめりけれはみこいといたうあはれかりたま
うて御そぬきてたまへりけり(第八十五段)」62オ

むかしいとわかきおとこわかき女をあひいへりけり
をの/\おやありけれはつゝみていひさしてやみ
にけり年ころへて女のもとに猶心さしは
たさむとや思ひけむおとこうたをよみてやれり
                   ける
  今まてにわすれぬ人は世にもあらし
  をのかさま/\としのへぬれは
とてやみにけりおとこも女もあひはなれぬ宮
つかへになむいてにける(第八十六段)」62ウ

昔男つのくにむはらのこほりあしやのさとに
しるよしゝていきてすみけりむかしのうたに
  あしのやのなたのしほやきいとまなみ
  つけのをくしもさゝすきにけり
とよみけるそこのさとをよみけるこゝをなむ
あしやのなたとはいひけるこのおとこなまみ
やつかへしけれはそれをたよりにてゑふ
のすけともあつまりきにけりこのおとこの
このかみもゑふのかみなりけりそのいへの」63オ
まへの海のほとりにあそひありきていさ
この山のかみにありといふぬのひきのたき
見にのほらむといひてのほりて見るに
そのたき物よりことなりなかさ二十丈ひろ
さ五丈はかりなるいしのおもてにしらき
ぬにいはをつゝめらむやうになむありける
さるたきのかみにわらうたのおほきさして
さしいてたるいしありそのいしのうへに」63ウ
はしりかゝる水はせうかうしくりのおほき
さにてこほれおつそこなる人にみな
たきのうたよますかのゑふのかみまつよむ
  わか世をはけふかあすかとまつかひの
  涙のたきといつれたかけむ
あるしつきによむ
  ぬきみたる人こそあるらしゝらたまの
  まなくもちるかそてのせはきに
とよめりけれはかたへの人わらふ事にやあり」64オ
けむこのうたにめてゝやみにけりかへりくる
みちとをくてうせにし宮内卿もちよしか
家のまへくるに日くれぬやとりのかたを見
やれはあまのいさりする火おほく見ゆる
にかのあるしのおとこよむ
  はるゝ夜のほしか河辺のほたるかも
  わかすむ方にあまのたく火か
とよみて家にかへりきぬその夜みなみの
かせふきてなみいとたかしつとめてその」64ウ
家のめのこともいてゝうきみるの浪によせ
られたるひろひていへのうちにもてきぬ女
かたよりそのみるをたかつきにもりてか
しはをおほひていたしたるかしはにかけり
  わたつうみのかさしにさすといはふもゝ
  きみかためにはおしまさりけり
ゐなかひとのうたにてはあまれりやたらすや(第八十七段)

むかしいとわかきにはあらぬこれかれともたちとも」65オ
あつまりて月を見てそれかなかにひとり
  おほかたは月をもめてしこれそこの
  つもれは人のおいとなるもの(第八十八段)

むかしいやしからぬおとこわれよりはまさり
たる人を思ひかけてとしへける
  人しれすわれこひしなはあちきなく
  いつれの神になき名おほせむ(第八十九段)

むかしつれなき人をいかてと思ひわたりけれはあは
れとや思ひけむさらはあすものこしにてもといへり
               けるをかきりなく」65ウ
うれしく又うたかはしかりけれはおもしろ
かりけるさくらにつけて
  さくらはなけふこそかくもにほらめ
  あなたのみかたあすのよのこと
といふ心はへもあるへし(第九十段)

むかし月日のゆくをさへなけくおとこ三月
つこもりかたに
  おしめとも春のかきりのけふの日の
  ゆふくれにさへなりにけるかな(第九十一段)」66オ

むかしこひしさにきつゝかへれと女にせうそ
こをたにえせてよめる
  あし辺こくたなゝしをふねいくそたひ
  ゆきかへるらむしる人もなみ(第九十二段)

むかしおとこ身はいやしくていとになき人を
思ひかけたりけりすこしたのみぬへきさまにや
ありけむふしておもひおきておもひ思ひわひ
てよめる
  あふな/\おもひはすへしなそへなく
  たかきいやしきくるしかりけり」66ウ
むかしもかゝる事は世のことはりにや有けむ(第九十三段)

昔おとこ有けりいかゝありけむそのおとこ
すますなりにけりのちにおとこありけれと
子あるなかなりけれはこまかにこそあらねと
時々物いひをこせけり女かたにゑかく人なり
けれはかきにやれりけるをいまのおとこの
ものすとてひと日ふつかをこせさりけりかの
おとこいとつらくをのかきこゆる事をはいま
まてたまはねはことはりとおもへと猶人」67オ
をはうらみつへき物になむありけるとてろ
うしてよみてやれりける時は秋になむありける
  秋の夜は春日わするゝものなれや
  かすみにきりやちへまさるらむ
となむよめりける女返し
  ちゝの秋ひとつのはるにむかはめや
  もみちも花もともにこそちれ(第九十四段)

昔二条の后につかうまつるおとこありけり」67ウ
女のつかうまつるをつねに見かはしてよはひ
わたりけりいかてものこしにたいめんして
おほつかなく思ひつめたることすこしはるか
さむといひけれはをむないとしのひてもの
こしにあひにけり物かたりなとしておとこ
  ひこほしにこひはまさりぬあまの河
  へたつるせきをいまはやめてよ
このうたにめてゝあひにけり(第九十五段)」68オ

昔男ありけり女をとかくいふこと月日へに
けりいは木にしあらねは心くるしとや思ひ
けむやう/\あはれと思ひけりそのころみな
月のもちはかりなりけれは女身にかさひとつ
ふたついてきにけり女いひをこせたる今は
なにの心もなし身にかさもひとつふたつ
いてたり時もいとあつしすこし秋風ふき
たちなむときかならすあはむといへりけり」68ウ
秋たつころをひにこゝかしこよりその人
のもとへいなむすなりとてくせちいてきに
けりさりけれはこの女のせうとにはかにむ
かへにきたりされはこの女かえてのはつ
もみちをひろはせてうたをよみてかきつけて
をこせたり
  秋かけていひしなからもあらなくに
  このはふりしくえにこそありけれ
とかきをきてかしこより人をこせはこれを」69オ
やれとていぬさてやかてのちつゐにけふまて
しらすよくてやあらむあしくてやあらむいに
し所もしらすかのおとこはあまのさかてを
うちてなむのろひをるなるむくつけきこと
人のゝろひことはおふ物にやあらむおはぬ
ものにやあらむいまこそは見めとそいふなる(第九十六段)

【昭宣公 貞観十四年八月廿五日右大臣左近大将卅七】
むかしほりかはのおほいまうちきみと申す
         【貞観十七年】
いまそかりけり四十の賀九条の家にて」69ウ
せられける日中将なりけるおきな
        【業平十九年任中将不審】
  さくらはなちりかひくもれおいらくの
  こむといふなるみちまかふかに(第九十七段)

【忠仁公 天安元年二月十九日太政大臣五十五 四月九日従一位 二年十一月摂政清和外祖】
むかしおほきおほいまうちきみときこゆる
おはしけりつかうまつるおとこなか月許に
むめのつくりえたにきしをつけてたてまつるとて
  わかたのむきみかためにとおる花は
  時しもわかぬ物にそありける」70オ
とよみてたてまつりたりけれはいとかしこく
越かしかりたまひてつかひにろくたまへりけり(第九十八段)

【業平 貞観六年右少将七年右馬頭十九年正月左中将元慶三蔵人頭】
むかし右近の馬場のひをりの日むかひに
たてたりけるくるまに女のかほのしたすたれ
よりほのかに見えけれは中将なりけるおとこ
のよみてやりける
  見すもあらす見もせぬ人のこひしくは
  あやなくけふやなかめくらさむ」70ウ
返し
  しるしらぬなにかあやなくわきていはむ
  おもひのみこそしるへなりけれ
のちはたれとしりにけり(第九十九段)

昔男後涼殿のはさまをわたりけれはある
やむことなき人の御つほねよりわすれくさを
しのふくさとやいふとていたさせたまへりけれは
たまはりて
  わすれくさおふる野辺とは見るらめと」71オ
  こはしのふなりのちもたのまむ(第百段)

【行平<貞観十二年二月参議五十三左兵衛督 十四年左衛門督 十五年従三位大宰帥/元慶元
年治部卿 六年正月中納言六十五 八年正三位民部卿 仁和元按察】
むかし左兵衛督なりけるありはらのゆきひらと
【仁和三年四月十三日致仕 寛平五年薨】
いふありけりその人の家によきさけありと
【藤昌近 貞観十二年右中弁 十六年左中弁】
うへにありける左中弁ふちはらのまさちかといふ
をなむまらうとさねにてその日はあるしまう
けしたりけるなさけある人にてかめに花を
させりその花のなかにあやしきふちの花
有けり花のしなひ三尺六寸はかりなむ有ける」71ウ
それをたいにてよむよみはてかたにあるしの
はらからなるあるしゝたまふときゝてきたり
けれはとらへてよませけるもとよりうたの
ことはしらさりけれはすまひけれとしゐて
よませけれはかくなむ
  さくはなのしたにかくるゝ人をおほみ
  ありしにまさるふちのかけかも
なとかくしもよむといひけれはおほきおとゝの
ゑい花のさかりにみまそかりて藤氏の」72オ
ことにさかゆるを思ひてよめるとなむいひ
けるみな人そしらすなりにけり(第百一段)

むかしおとこ有けりうたはよまさりけれと
世中を思ひしりたりけりあてなる女の
あまになりて世中を思ひうんして京にも
あらすはるかなる山さとにすみけりもと
しそくなりけれはよみてやりける
  そむくとてくもにはのらぬものなれと
  よのうきことそよそになるてふ」72ウ
となむいひやりける斎宮のみやなり(第百二段)

むかしおとこありけりいとまめにしちよう
にてあたなる心なかりけりふかくさのみ
かとになむつかうまつりける心あやまりや
したりけむみこたちのつかひたまひける
人をあひいへりけりさて
  ねぬる夜のゆめをはかなみまとろめは
  いやはかなにもなりまさるかな
となむよみてやりけるさるうたのきたなけさよ(第百三段)」73オ

昔ことなる事なくてあまになれる人有
けりかたちをやつしたれとものやゆかし
かりけむかものまつり見にいてたりけるを
おとこうたよみてやる
  世をうみのあまとし人を見るからに
  めくはせよともたのまるゝかな
これは斎宮の物見たまひけるくるまにかく
きこえたりけれは見さしてかへりたまひに
けりとなむ(第百四段)」73ウ

昔男かくてはしぬへしといひやりたりけれは女
  白露はけなはけなゝむきえすとて
  たまにぬくへき人もあらしを
といへりけれはいとなめしと思ひけれと
心さしはいやまさりけり(第百五段)

むかしおとこみこたちのせうえうし給所に
まうてゝたつたかはのほとりにて
  ちはやふる神世もきかすたつた河
  からくれなゐに水くゝるとは(第百六段)」74オ

昔あてなるおとこ有けりそのおとこの
もとなりける人を内記にありけるふち
はらのとしゆきといふ人よはひけりされ
とまたわかけれはふみもおさ/\しか
らすことはもいひしらすいはむやうたは
よまさりけれはこのあるしなる人あんを
かきてかゝせてやりけりめてまとひにけり
さておとこのよめるう(う$)」74ウ
  つれ/\のなかめにまさる涙河
  袖のみひちてあふよしもなし
返しれいのおとこ女にかはりて
  あさみこそゝてはひつらめなみた河
  身さへなかるときかはたのまむ
といへりけれはおとこいといたうめてゝいまゝて
まきてふはこにいれてありとなむいふなる
おとこふみをこせたりえてのちの事なりけり
あめのふりぬへきになむ見わつらひ侍み」75オ
さいはひあらはこのあめはふらしといへり
けれはれいのおとこ女にかはりてよみてやらす
  かす/\におもひおもはすとひかたみ
  身をしるあめはふりそまされる
とよみてやれりけれはみのもかさもとりあ
へてしとゝにぬれてまとひきにけり(第百七段)

むかし女ひとの心をうらみて
  風ふけはとはに浪こすいはなれや
  わか衣手のかはく時なき」75ウ
とつねのことくさにいひけるをきゝおひける
おとこ
  夜ゐことにかはつのあまたなく田には
  水こそまされ雨はふらねと(第百八段)

むかしおとこともたちの人をうしなへるか
もとにやりける
  花よりも人こそあたになりにけれ
  いつれをさきにこひむとか見し(第百九段)

昔おとこみそかにかよふ女ありけりそれかもと
                   より」76オ
こよひゆめになむ見えたまひつるといへり
けれはおとこ
  おもひあまりいてにしたまのあるならむ
  夜ふかく見えはたまむすひせよ(第百十段)

むかしおとこやむことなき女のもとになく
なりにけるをとふらふやうにていひやりける
  いにしへや有もやしけむ今そしる
  また見ぬ人をこふるものとは」76ウ
返し
  したひものしるしとするもとけなくに
  かたるかことはこひすそあるへき
又返し
  こひしとはさらにもいはしゝたひもの
  とけむを人はそれとしらなむ(第百十一段)

むかしおとこねむころにいひちきれる女の
ことさまなりにけれは
  すまのあまのしほやく煙風をいたみ」77オ
  おもはぬ方にたなひきにけり(第百十二段)

むかしおとこやもめにてゐて
  なかゝらぬいのちのほとにわするゝは
  いかにみしかき心なるらむ(第百十三段)

【或本不可有之云々 多本載之不可正】
むかし仁和のみかとせり河に行かうし給
ける時いまはさる事にけなく思ひけれと
もとつきにける事なれはおほたかのたか
かひにてさふらはせたまひけるすりかりきぬ(すりかりきぬ$)」77ウ
【仁和二年十二月十四日行幸芹河】
すりかりきぬのたもとにかきつけゝる
【行平三年四月十三日致仕 寛平五年薨七十六】
  おきなさひ人なとかめそかり衣
  けふ許とそたつもなくなる
おほやけの御けしきあしかりけりをのか
よはひを思ひけれとわかゝらぬ人はきゝ
おひけりとや(第百十四段)

むかしみちのくにゝておとこ女すみけりおとこ
みやこへいなむといふこの女いとかなしうてうま
のはなむけをたにせむとておきのゐて宮こ」78オ
しまといふ所にてさけのませてよめる
  越きのゐて身をやくよりもかなしきは
  みやこしまへのわかれなりけり(第百十五段)

昔男すゝろにみちのくにまてまとひい
にけり京におもふ人にいひやる
  浪まより見ゆるこしまのはまひさし
  ひさしくなりぬきみにあひ見て
なにこともみなよくなりにけりとなむいひやり
                   ける(第百十六段)」78ウ

むかしみかとすみよしに行幸したまひけり
  我見てもひさしくなりぬすみよしの
  きしのひめまついく世へぬらむ
おほむ神けきやうし給て
  むつましと君はしら浪みつかきの
  ひさしき世ゝりいはひそめてき(第百十七段)

むかし越とこひさしくをともせてわするゝ
心もなしまいりこむといへりけれは」79オ
  たまかつらはふ木あまたになりぬれは
  たえぬ心のうれしけもなし(第百十八段)

むかし女のあたなるおとこのかたみとて
をきたる物ともを見て
  かたみこそ今はあたなれこれなくは
  わするゝ時もあらましものを(第百十九段)

むかしおとこ女のまたよへすとおほえたるか
人の御もとにしのひてものきこえてのちほと
                  へて」79ウ
  近江なるつくまのまつりとくせなむ
  つれなき人のなへのかす見む(第百二十段)

むかしおとこ梅壺よりあめにぬれて人の
まかりいつるを見て
  うくひすの花をぬふてふかさもかな
  ぬるめる人にきせてかへさむ
返し
  鴬の花をぬふてふかさはいな
  おもひをつけよほしてかへさむ(第百二十一段)」80オ

むかし越とこちきれる事あやまれる人に
  山しろのゐてのたま水手にむすひ
  たのみしかひもなき世なりけり
といひやれといらへもせす(第百二十二段)

むかしおとこありけり深草にすみける女
をやう/\あきかたにや思ひけむかゝるうた
越よみける
  年をへてすみこしさとをいてゝいなは」80ウ
  いとゝ深草野とやなりなむ
女返し
  野とならはうつらとなりてなきをらむ
  かりにたにやはきみはこさ覧
とよめりけるにめてゝゆかむと思ふ心なく
なりにけり(第百二十三段)

むかしおとこいかなりける事をおもひける
おりにかよめる
  思ふ事いはてそたゝにやみぬへき」81オ
  我とひとしき人しなけれは(第百二十四段)

昔おとこわつらひて心地しぬへくおほえ
けれは
  つゐにゆくみちとはかねてきゝしかと
  昨日けふとはおもはさりしを(第百二十五段)」81ウ

合多本所用捨也可備証本
近代以狩使事為端之本出来末代
之人今案也更不可用
此物語古人之説不同或称在中将之自書
或称伊勢之筆作就彼此有書落事等
上古之人強不可尋其作者只可翫詞
華言葉而已
         戸部尚書」82オ

以定家卿自筆不替一字
書写之」82ウ

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