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渋谷栄一著(C)

古今和歌集 嘉禄二年本


凡例
1 底本には『古今和歌集 嘉禄二年本』(冷泉家時雨亭叢書2 1994年12月 朝日新聞社)を用いた。
2 歌番号は『新編国歌大観』によった。
3 仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。送り仮名を補ったものがある。
4 読みやすさを考慮して仮名に漢字を宛て、また漢字を仮名に改めたところがある。そして、詞書の長文には句読点を付けた。
5 清濁は小島憲之・新井栄蔵校注『古今和歌集』(新日本古典文学大系 1989年2月 岩波書店)等を参考にした。
6 なお、< >は定家の注記である。ただし勘物等は省略した。

   古今和歌集序

   やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞ
   なれりける。世の中にある人、事、わざ、繁きものな
   れば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、
   言ひ出だせるなり。花に鳴く鴬、水に棲む蛙の声を聞
   けば、生きとし生ける物、いづれか歌を詠まざりける。
   力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神を
   も哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心
   をも慰むるは、歌なり。

   この歌、天地の開け始りける時より、出で来にけり。
   <天の浮橋の下にて、女神男神となりたまへることを
   言へる歌なり>。しかあれども、世に伝はる事は、ひ
   さかたの天にしては、下照姫に始まり。<下照姫と、
   天稚御子の妻なり。兄の神の形、岡、谷に映りて、輝
   くをよ詠めるえびす歌なるべし。これらは文字の数も
   定らず、歌のやうにもあらぬ事どもなり>。あらかね
   の地にしては、素盞烏尊よりぞ、起こりける。ちはや
   ぶる神世には、歌の文字も定らず、素直にして、事の
   心分き難かりけらし。人の世となりて、素盞烏尊より
   ぞ、三十文字余り一文字は、詠みける。<素盞烏尊は、
   天照大神の兄なり。女と住みたまはむとて、出雲の国
   に宮造りしたまふ時に、その所に八色の雲の立つを見
   て、詠みたまへるなり。八雲立つ出雲八重垣妻籠めに
   八重垣造るその八重垣を>。

   かくてぞ、花をめで鳥をうらやみ、霞かすみをあはれ
   び、露をかなしぶ心、言葉多く、さまざまになりにけ
   る。遠き所も出で立つ足元より始まりて、年月をわた
   り、高き山も麓の塵泥よりなりて、天雲たなびくまで
   生ひ昇れるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。

   難波津の歌は、帝の御始めなり。<大鷦鷯帝の難波津
   にて親王と聞こえける時、東宮を互ひに譲りて、位に
   就きたまはで、三年になりにければ、王仁といふ人の
   いぶかり思ひて詠みてたてまつりける歌なり。この花
   は梅花をいふなるべし>。安積山の言葉は、采女の戯
   れより詠みて、<葛城王を陸奥へ遣はしたりけるに、
   国司事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、
   すさまじかりければ、采女なりける女の土器取とりて
   詠めるなり。これにぞ王の心とけにける。安積山影さ
   へ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは>。この二
   歌は、歌の父母のやうにてぞ、手習ふ人の始めにもし
   ける。

   そもそも、歌のさま、六つなり。唐の歌にもかくぞあ
   るべき。その六種の一つには、そへ歌。大鷦鷯帝をそ
   へたてまつれる歌。
   難波津に咲くやこの花冬籠もり今は春べと咲くやこ
    の花
   と言へるなるべし。

   二つには、かぞへ歌。
    咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのい
    るも知らずて
   と言へるなるべし。<これは、ただ事に言ひて物にた
   とへなどもせぬものなり。この歌いかに言へるにかあ
   らむ。その心得がたし。五つにただ事歌といへるなむ、
   これにはかなふべき>。

   三つには、なずらへ歌。
    君に今朝あしたの霜のおきて去なば恋しきことに消
    えやわたらむ
   と言へるなるべし。<これは、物にもなずらへて、そ
   れがやうになむあるとやうに言ふなり。この歌よくか
   なへりとも見えず。たらちめの親の飼ふ蚕の繭籠もり
   いぶせくもあるか妹に逢はずて。かやうなるや、これ
   にはかなふべからむ>。

   四つには、たとへ歌。
    わが恋はよむとも尽きじ有磯海の浜の真砂はよみつ
    くすとも
   と言へるなるべし。<これは、よろづの草木、鳥獣に
   つけて、心を見するなり。この歌は隠れたる所なむな
   き。されど、初めのそへ歌と同じやうなれば、すこし
   様を変へたるなるべし。須磨の海人の塩焼く煙風をい
   たみ思はぬ方にたなびきにけり。この歌などや、かな
   ふべからむ>。

   五つには、ただこと歌。
    いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉う
    れしからまし
   と言へるなるべし。<これは、事のととのほり、正し
   きを言ふなり。この歌の心、さらにかなはず。とめ歌
   とや言ふべからむ。山桜あくまで色を見つるかな花散
   るべくも風吹かぬ世に>。

   六つには、いはひ歌。
    この殿はむべも富みけり三枝の三つ葉四つ葉に殿造
    りせり
   と言へるなるべし。<これは、世をほめて神に告ぐる
   なり。この歌、いはひ歌とは見えずなむある。春日野
   に若菜摘みつつよろづ世をいはふ心は神ぞ知るらむ。
   これらやすこしかなふべからむ。おほよそ六種に分か
   れむことは、えあるまじき事になむ>。

   今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、
   あだなる歌はかなき言のみ出で来れば、色好みの家に、
   埋もれ木の人知れぬ事となりて、まめなる所には花薄、
   穂に出だすべき事にもあらずなりにたり。

   その初めを思へばかかるべくなむあらぬ。いにしへの
   世々の帝、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、さぶらふ
   人びとを召して、事につけつつ、歌をたてまつらしめ
   たまふ。あるは花を添ふとて便りなき所にまどひ、あ
   るは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心々を見た
   まひて、賢し愚かなりと、知ろしめしけむ。

   しかあるのみにあらず、さざれ石にたとへ、筑波山に
   かけて、君を願ひ、喜び身に過ぎ、楽しび心にあまり、
   富士の煙によそへて人を恋ひ、松虫の音に友を偲び、
   高砂住の江の松も、相ひ生ひのやうにおぼえ、男山の
   昔を思ひ出でて、女郎花のひとときをくねるにも、歌
   を言ひてぞ慰めける。

   また、春の朝に花の散るを見、秋の夕暮れに木の葉の
   落つるを聞き、あるは年ごとに鏡の影に見ゆる雪と浪
   とを嘆き、草の露水の泡を見て、わが身を驚き、ある
   は昨日は栄え驕りて、時を失ひ世に侘び、親しかりし
   も疎くなり、あるは松山の浪をかけ、野中の水を汲み、
   秋萩の下葉を眺め、暁の鴫の羽掻きを数へ、あるは呉
   竹の憂き節を人に言ひ、吉野河を引きて世の中を恨み
   来つるに、今は富士の山も煙立たずなり、長柄の橋も
   つくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心を慰めける。

   いにしへよりかく伝はるうちにも、奈良の御時よりぞ
   広まりにける。かの御世や歌の心を知ろしめしたりけ
   む。かの御時に、おほき三位柿本人麿なむ、歌の聖な
   りける。これは君も人も身を合はせたりと言ふなるべ
   し。秋の夕べ龍田河に流るる紅葉をば、帝の御目に錦
   と見たまひ、春の朝、吉野の山の桜は、人麿が心には、
   雲かとのみなむ覚えける。

   また山辺赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙なり
   けり。人麿は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人
   麿が下に立たむことかたくなむありける。<奈良の帝
   の御歌、龍田河紅葉乱れて流るめり渡らば錦仲や絶え
   なむ。人麿、梅の花それとも見えず久方の天霧る雪の
   なべて降れれば。ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ
   行く舟をしぞ思ふ。赤人、春の野に若菜菫摘みにと来
   し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける。和歌の浦に潮満
   ち来れば潟をなみ葦辺をさして田鶴鳴きわたる>。

   この人びとを聞きて、また優れたる人も呉竹の世々に
   聞こえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよ
   り前の歌を集めてなむ、万葉集と名付けられたりける。

   ここに、いにしへのことをも、歌の心をも知れる人わ
   づかに一人二人なりき。しかあれど、これかれ得たる
   所、得ぬ所、互ひになむある。

   かの御時よりこの方、年は百年余り世はと十継ぎにな
   むなりにける。いにしへの事をも、歌をも知れる人、
   詠む人多からず。今この事を言ふに、官位高き人をば、
   たやすきやうなれば入れず。

   その他に、近き世にその名聞こえたる人は、すなはち、
   僧正遍昭は歌の様は得たれども誠少なし。たとへば、
   絵に描ける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。
   <浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か。蓮
   葉の濁りに染まぬ心もて何かは露を玉とあざむく。嵯
   峨野にて馬より落ちてよめる、名にめでて折れるばか
   りぞ女郎花我落ちにきと人に語るな> 。

   在原業平はその心余りて詞足らず。萎める花の色なく
   て匂ひ残れるがごとし。<月やあらぬ春や昔の春なら
   ぬ我が身一つはもとの身にして。おほかたは月をもめ
   でじこれぞこの積もれは人の老いとなるもの。寝ぬる
   夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさ
   るかな>。

   文室康秀は詞は巧みにてその様身に負はず。いはば商
   人の良き衣着たらむがごとし。<吹くからに野辺の草
   木の萎るればむべ山風を嵐といふらむ。深草の帝の御
   国忌に、草深き霞の谷に影隠し照る日の暮れし今日に
   やはあらぬ>。

   宇治山の僧、喜撰は詞かすかにして始め終り確かなら
   ず。いはば秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし。
   <わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふな
   り>。詠める歌多く聞こえねば、かれこれを通はして
   よく知らず。

   小野町はいにしへの衣通姫の流れなり。あはれなるや
   うにて強からず。いはば良き女の悩める所あるに似た
   り。強からぬは女の歌なればなるべし。<思ひつつ寝
   ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを。
   色見えで移ろふ物は世の中の人の心の花にぞありける。
   わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむ
   とぞ思ふ。衣通姫の歌、わが背子が来べき宵なりささ
   がにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも>。

   大伴黒主はその様卑しいはば薪負へる山人の花の蔭に
   休めるがごとし。<思ひ出て恋しき時は初雁の鳴きて
   渡ると人は知らずや。鏡山いざ立ち寄りて見て行かむ
   年経ぬる身は老いやしぬると>。

   この他の人びと、その名聞こゆる野辺に生ふる葛のは
   ひ広ごり、林に繁き木の葉のごとくに多かれど、歌と
   のみ思ひて、その様知らぬなるべし。

   かかるに、今、すべらきの天の下知ろしめすこと、四
   つの時、九の返りになむなりぬる。あまねき御うつく
   しみの浪、八洲の他まで流れ、広き御恵みの蔭、筑波
   山の麓よりも繁くおはしまして、よろづのまつりごと
   をきこしめす暇、もろもろのことを捨てたまはぬあま
   りに、いにしへの事をも忘れじ、古りにし事をも興し
   たまふとて、今もみそなはし、後の世にも伝はれとて、
   延喜五年四月十八日に、大内記紀友則、御書所預紀貫
   之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠岑らに
   仰せられて、「万葉集」に入らぬ古き歌、自らのをも
   奉らしめたまひてなむ。

   それが中に、梅をかざすよりはじめて、郭公を聞き、
   紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、また鶴亀につけ
   て、君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩、夏草を見て妻を恋
   ひ、逢坂山に至りて、手向けを祈り、あるは春夏秋冬
   にも入らぬ種々の歌をなむ、選ばせたまひける。すべ
   て千歌、二十巻、名づけて、「古今和歌集」と言ふ。

   かくこの度、集め選ばれて、山下水の絶えず、浜の真
   砂の数多く積もりぬれば、今は飛鳥川の瀬になる恨み
   も聞こえず、さざれ石の巌となる喜びのみぞあるべき。

   それ枕詞、春の花匂ひ少なくして、むなしき名のみ、
   秋の夜の長きを託てれば、かつは人の耳に恐り、かつ
   は歌の心に恥ぢ思へど、たなびく雲の立ちゐ、鳴く鹿
   の起き臥しは、貫之らがこの世に同じく生まれて、こ
   の事の時に会へるをなむ喜びぬる。

   人麿亡くなりにたれど、歌のこと留まれるかな。たと
   ひ時移り事去り、楽しび悲しび、行き交ふとも、この
   歌の文字あるをや。青柳の糸絶えず、松の葉の散り失
   せずして、まさきの葛長く伝はり、鳥の跡久しく留ま
   れらば、歌の様をも知り、事の心を得たらむ人は、大
   空の月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎて、今を恋
   ひざらめかも。

   古今和歌集巻第一
    春歌上

     旧る年に春立ちける日よめる
                 在原元方
0001 年の内に春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ

     春立ちける日よめる
                 紀貫之
0002 袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つ今日の風や解くらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0003 春霞立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪は降りつつ

     二条后の春の初めの御歌
0004 雪のうちに春は来にけり鴬の凍れる涙今や解くらむ

     題しらず
                よみ人しらず
0005 梅が枝に来ゐる鴬春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ

     雪の木に降りかかれるをよめる
                 素性法師
0006 春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鴬の鳴く

     題しらず
                よみ人しらず
0007 心ざし深く染めてし折りければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ
      ある人のいはく、前太政大臣の歌なり

     二条后の春宮の御息所と聞こえける時、正月
     三日、御前に召して仰せ言ある間に、日は照
     りながら雪の頭に降りかかりけるをよませた
     まひける
                 文室康秀
0008 春の日の光にあたる我なれど頭の雪となるぞわびしき

     雪の降りけるをよめる
                 紀貫之
0009 霞立ち木の芽も春の雪降れば花なき里も花ぞ散りける

     春の初めによめる
                 藤原言直
0010 春やとき花や遅きと聞き分かむ鴬だにも鳴かずもあるかな

     春の初めの歌
                 壬生忠岑
0011 春来ぬと人は言へども鴬の鳴かぬ限りはあらじとぞ思ふ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 源当純
0012 谷風に解くる氷の隙ごとに打ち出づる浪や春の初花

                 紀友則
0013 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる

                 大江千里
0014 鴬の谷より出づる声なくは春来ることを誰れか知らまし

                 在原棟梁
0015 春立てど花も匂はぬ山里はもの憂かる音に鴬ぞ鳴く

     題しらず
                よみ人しらず
0016 野辺近く家ゐしせれば鴬の鳴くなる声は朝な朝な聞く

0017 春日野は今日はな焼きそ若草のつまも籠もれり我も籠もれり

0018 春日野の飛火の野守出でて見よ今いく日ありて若菜摘みてむ

0019 深山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜摘みけり

0020 梓弓おして春雨今日降りぬ明日さへ降らば若菜摘みてむ

     仁和帝、親王におましましける時に、人に若
     菜たまひける御歌
0021 君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

     歌たてまつれと仰せられし時、よみてたてまつれる
                 貫之
0022 春日野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人の行くらむ

     題しらず
                 在原行平朝臣
0023 春の着る霞の衣ぬきを薄み山風にこそ乱るべらなれ

     寛平御時后宮の歌合によめる
                 源宗于朝臣
0024 常盤なる松の緑も春来れば今ひとしほの色まさりけり

     歌奉れと仰せられし時によみて奉れる
                 貫之
0025 わが背子が衣春雨降るごとに野辺の緑ぞ色まさりける

0026 青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける

     西大寺のほとりの柳をよめる
                 僧正遍昭
0027 浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か

     題しらず
                 よみ人しらず
0028 百千鳥さへづる春は物ごとに改まれども我ぞふり行く

0029 遠近のたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな

     雁の声を聞きて、越へまかりにける人を思ひ
     てよめる
                 凡河内躬恒
0030 春来れば雁帰るなり白雲の道行きぶりに言やつてまし

     帰雁をよめる
                 伊勢
0031 春霞立つを見捨てて行く雁は花なき里に住みやならへる

     題しらず
                 よみ人しらず
0032 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く

0033 色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも

0034 宿近く梅の花植ゑしあぢきなく待つ人の香にあやまたれけり

0035 梅の花立ち寄るばかりありしより人のとがむる香にぞ染みぬる

     梅の花を折りてよめる
                 東三条左大臣
0036 鴬の笠に縫ふといふ梅の花折りてかざさむ老い隠るやと

     題しらず
                 素性法師
0037 よそにのみあはれとぞ見し梅の花あかぬ色かは折りてなりけり

     梅の花を折りて人に贈りける
                 友則
0038 君ならで誰れにか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る

     暗部山にてよめる
                 貫之
0039 梅の花匂ふ春べは暗部山闇に越ゆれどしるくぞありける

     月夜に梅の花を折りてと、人の言ひければ折
     るとてよめる
                 躬恒
0040 月夜にはそれとも見えず梅の花香を尋ねてぞ知るべかりける

     春の夜、梅花をよめる
0041 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる

     初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久し
     く宿らでほど経て後に到れりければ、かの家
     の主人、「かく定かになむ宿りはある」と言
     ひ出だしてはべりければ、そこに立てりける
     梅の花を折りてよめる
                 貫之
0042 人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香に匂ひける

     水のほとりに梅の花咲けりけるをよめる
                 伊勢
0043 春ごとに流るる河を花と見て折られぬ水に袖や濡れなん

0044 年を経て花の鏡となる水は散りかかるをや曇るといふらむ

     家に有りける梅の花の散りけるをよめる
                 貫之
0045 暮ると明くと目かれぬ物を梅の花いつの人間に移ろひぬらむ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 よみ人しらず
0046 梅が香を袖に移して留めては春は過ぐともかたみならまし

                 素性法師
0047 散ると見てあるべき物を梅の花うたて匂ひの袖にとまれる

     題しらず
                 よみ人しらず
0048 散りぬとも香をだに残せ梅の花恋しき時の思ひ出でにせむ

     人の家に植ゑたりける桜の花咲き初めたりけ
     るを見てよめる
                 貫之
0049 今年より春知りそむる桜花散るといふ事は倣はざらなん

     題しらず
                 よみ人しらず
0050 山高み人もすさめぬ桜花いたくな侘びそ我見はやさむ
      又は里遠み人もすさめぬ山桜

0051 山桜我が見に来れば春霞峯にも尾にも立ち隠しつつ

     染殿后の御前に花瓶に桜の花を挿させたまへ
     るを見てよめる
                 前太政大臣
0052 年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし

     渚の院にて桜を見てよめる
                 在原業平朝臣
0053 世中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

     題しらず
                 よみ人しらず
0054 石ばしる滝なくもがな桜花手折りても来む見ぬ人のため

     山の桜を見てよめる
                 素性法師
0055 見てのみや人に語らむ桜花手ごとに折りて家づとにせむ

     花盛りに京を見やりてよめる
0056 見渡せば柳桜をこき混ぜて都ぞ春の錦なりける

     桜の花の下にて年の老いぬる事を嘆きてよめる
                 友則
0057 色も香も同じ昔に咲らめど年経る人ぞ改まりける

     折れる桜をよめる
                 貫之
0058 誰しかも尋めて折りつる春霞立ち隠すらむ山の桜を

     歌奉れと仰せられし時によみて奉れる
0059 桜花咲きにけらしなあしひきの山の峡より見ゆる白雲

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 友則
0060 み吉野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞ過たれける

     弥生に閏月ありける年よみける
                 伊勢
0061 桜花春加はれる年だにも人の心にあかれやはせぬ

     桜の花の盛りに久しくと訪はざりける人の来
     たりける時によみける
                 よみ人しらず
0062 あだなりと名にこそ立てれ桜花年に稀なる人も待ちけり

     返し
                 業平朝臣
0063 今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや

     題しらず
                 よみ人しらず
0064 散りぬれば恋ふれどしるしなき物を今日こそ桜折らば折りてめ

0065 折り取らば惜しげにもあるか桜花いざ宿借りて散るまでは見む

                 紀有朋
0066 桜色に衣は深く染めて着む花の散りなむ後の形見に

     桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける
     人によみて贈りける
                 躬恒
0067 我が宿の花見がてらに来る人は散りなむ後ぞ恋しかるべき

     亭子院歌合の時よめる
                 伊勢
0068 見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし

   古今和歌集巻第二
    春歌下
     題しらず
                 よみ人しらず
0069 春霞たなびく山の桜花移ろはむとや色変はり行く

0070 待てといふに散らでし止まる物ならば何を桜に思ひまさまし

0071 残りなく散るぞめでたき桜花有りて世の中果ての憂ければ

0072 この里に旅寝しぬべし桜花散りのまがひに家路忘れて

0073 うつせみの世にも似たるか花桜咲くと見しまにかつ散りにけり

     僧正遍昭によみて贈りける
                 惟喬親王
0074 桜花散らば散らなん散らずとて古里人の来ても見なくに

     雲林院にて桜の花の散りけるを見てよめる
                 承均法師
0075 桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする

     桜の花の散りはべりけるを見てよみける
                 素性法師
0076 花散らす風の宿りは誰れか知る我に教へよ行きて恨みむ

     雲林院にて桜の花をよめる
                 承均法師
0077 いざ桜我も散りなん一盛り有りなば人に憂き目見えなん

     あひ知れりける人のまうで来て帰りにける後
     に、よみて花に挿して遣はしける
                 貫之
0078 一目見し君もや来ると桜花今日は待ち見て散らば散らなん

     山の桜を見てよめる
0079 春霞何隠すらん桜花散る間をだにも見るべきものを

     心地そこなひてわづらひける時に、風に当ら
     じとて下しこめてのみはべりける間に、折れ
     る桜の散り方になれりけるを見てよめる
                 藤原因香朝臣
0080 たれこめて春の行方も知らぬ間に待ちし桜も移ろひにけり

     東宮雅院にて桜の花の御溝水に散ちりて流れ
     けるを見てよめる
                 菅野高世
0081 枝よりもあだに散りにし花なれば落ちても水の泡とこそなれ

     桜の花の散りけるをよみける
                 貫之
0082 ことならば咲かずやはあらぬ桜花見る我さへに静心なし

     「桜のごと疾く散る物はなし」と人の言ひけ
     れば、よめる
0083 桜花疾く散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ

     桜の花の散るをよめる
                 紀友則
0084 久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ

     春宮帯刀陣にて桜の花の散るをよめる
                 藤原好風
0085 春風は花のあたりを避きて吹け心づからや移ろふと見む

     桜の散るをよめる
                 凡河内躬恒
0086 雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ

     比叡に登りて帰りまうで来てよめる
                 貫之
0087 山高み見つつ我が来し桜花風は心にまかすべらなり

     題しらず
                 大伴黒主
0088 春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ

     亭子院歌合の歌
                 貫之
0089 桜花散りぬる風のなごりには水なき空に浪ぞ立ちける

     奈良の帝の御歌
0090 古里となりにし奈良の都にも色は変らず花は咲きけり

     春の歌とてよめる
                 良岑宗貞
0091 花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 素性法師
0092 花の木も今は掘り植ゑし春立てば移ろふ色に人ならひけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0093 春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ

     春の歌とてよめる
                 貫之
0094 三輪山をしかも隠すか春霞人に知られぬ花や咲くらん

     雲林院親王のもとに花見に北山のほとりにま
     かれりける時によめる
                 素性
0095 いざ今日は春の山辺にまじりなん暮れなばなげの花の影かは

     春の歌とてよめる
0096 いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千代も経ぬべし

     題しらず
                 よみ人しらず
0097 春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり

0098 花のごと世の常ならば過ぐしてし昔はまたも帰り来なまし

0099 吹く風にあつらへつくるものならばこのひと本は避きよと言はまし

0100 待つ人も来ぬものゆゑに鴬のなきつる花を折りてけるかな

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原興風
0101 咲く花は千草ながらにあだなれど誰れかは春を恨みはてたる

0102 春霞色の千草に見えつるはたなびく山の花の影かも

                 在原元方
0103 霞立つ春の山辺は遠けれど吹き来る風は花の香ぞする

     移ろへる花を見てよめる
                 躬恒
0104 花見れば心さへにぞ移りける色には出でじ人もこそ知れ

     題しらず
                 よみ人しらず
0105 鴬の鳴く野辺ごとに来て見れば移ろふ花に風ぞ吹きける

0106 吹く風を鳴きて恨みよ鴬は我やは花に手だに触れたる

                 典侍洽子朝臣
0107 散る花のなくにし止まるものならば我鴬に劣らましやは

     仁和の中将の御息所の家に歌合せむとてしけ
     る時によみける
                 藤原後蔭
0108 花の散ることや侘びしき春霞龍田の山の鴬の声

     鴬の鳴くをよめる
                 素性
0109 木伝へば己が羽風に散る花を誰れに負ほせてここら鳴くらむ

     鴬の花の木にて鳴くをよめる
                 躬恒
0110 しるしなき音をも鳴くかな鴬の今年のみ散る花ならなくに

     題しらず
                 よみ人しらず
0111 駒並めていざ見に行かむ古里は雪とのみこそ花は散るらめ

0112 散る花を何か恨みむ世の中に我が身もともにあらむものかは

                 小野小町
0113 花の色は移りにけりないたづらに我が身世に経るながめせしまに

     仁和の中将の御息所の家に歌合せむとしける
     時によめる
                 素性
0114 惜しと思ふ心は糸によられなん散る花ごとに貫きてとどめむ

     滋賀の山越えに女の多く遭へりけるによみて
     つかはしける
                 貫之
0115 梓弓春の山辺を越え来れば道もさりあへず花ぞ散りける

     寛平御時后宮の歌合の歌
0116 春の野に若菜摘まむと来しものを散りかふ花に道はまどひぬ

     山寺に詣でたりけるによめる
0117 宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける

     寛平御時后宮の歌合の歌
0118 吹く風と谷の水としなかりせば深山隠れの花を見ましや

     滋賀より帰りける女どもの花山に入りて、藤
     の花の下に立ち寄りて帰りけるに、よみて贈
     りける
                 僧正遍昭
0119 よそに見て帰らむ人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも

     家に藤の花の咲けりけるを、人の立ち止まり
     て見けるをよめる
                 躬恒
0120 我が宿に咲ける藤波立ち帰り過ぎがてにのみ人の見るらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0121 今もかも咲き匂ふらん橘の小島の崎の山吹の花

0122 春雨に匂へる色もあかなくに香さへなつかし山吹の花

0123 山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君が今宵来なくに

     吉野河のほとりに山吹の咲けりけるをよめる
                 貫之
0124 吉野河岸の山吹吹く風に底の影さへ移ろひにけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0125 蛙鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを
      この歌はある人のいはく、橘清友が歌なり

     春の歌とてよめる
                 素性
0126 思ふどち春の山辺にうち群れてそことも言はぬ旅寝してしか

     春のとく過ぐるをよめる
                 躬恒
0127 梓弓春立ちしより年月の射るがごとくも思ほゆるかな

     弥生に鴬の声の久しう聞こえざりけるをよめ
     る
                 貫之
0128 鳴き止むる花しなければ鴬も果てはもの憂くなりぬべらなり

     弥生のつごもり方に山を越えけるに、山河よ
     り花の流れけるをよめる
                 深養父
0129 花散れる水のまにまに尋めくれば山には春もなくなりにけり

     春を惜しみてよめる
                 元方
0130 惜しめども留まらなくに春霞帰る道にし立ちぬと思へば

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 興風
0131 声絶えず鳴けや鴬一年に再びとだに来べき春かは

     弥生のつごもりの日、花摘みより帰りける女
     どもを見てよめる
                 躬恒
0132 留むべき物とはなしにはかなくも散る花ごとにたぐふ心か

     弥生のつごもりの日、雨の降りけるに、藤の
     花を折りて人に遣はしける
                 業平朝臣
0133 濡れつつぞしひて折りつる年のうちに春はいく日もあらじと思へば

     亭子院歌合の春の果ての歌
                 躬恒
0134 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは

   古今和歌集巻第三
    夏歌
     題しらず
                 よみ人しらず
0135 我が宿の池の藤波咲きにけり山郭公いつか来鳴かむ
      この歌ある人のいはく、柿本人麿がなり

     卯月に咲ける桜を見てよめる
                 紀利貞
0136 あはれてふことをあまたにやらじとや春に遅れてひとり咲くらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0137 五月待つ山郭公うちはぶき今も鳴かなん去年の古声

                 伊勢
0138 五月来ば鳴きも古りなん郭公まだしきほどの声を聞かばや

                 よみ人しらず
0139 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

0140 いつのまに五月来ぬらんあしひきの山郭公今ぞ鳴くなる

0141 今朝来鳴きいまだ旅なる郭公花橘に宿は借らなん

     音羽山を越えける時に郭公の鳴くを聞きてよ
     める
                 紀友則
0142 音羽山今朝越え来れば郭公梢はるかに今ぞ鳴くなる

     郭公の初めて鳴きけるを聞きてよめる
                 素性
0143 郭公初声聞けばあぢきなく主定まらぬ恋せらるはた

     奈良の石上寺にて郭公の鳴くをよめる
0144 石上古き都の郭公声ばかりこそ昔なりけれ

     題しらず
                 よみ人しらず
0145 夏山に鳴く郭公心あらばもの思ふ我に声な聞かせそ

0146 郭公鳴く声聞けは別れにし古里さへぞ恋しかりける

0147 郭公汝が鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから

0148 思ひ出づる常盤の山の郭公唐紅のふり出でてぞ鳴く

0149 声はして涙は見えぬ郭公我が衣手のひつをからなん

0150 あしひきの山郭公折りはへて誰れかまさると音をのみぞ鳴く

0151 今さらに山へ帰るな郭公声のかぎりは我が宿に鳴け

                 三国町
0152 やよや待て山郭公言伝てむ我世の中に住み侘びぬとよ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 紀友則
0153 五月雨に物思ひをれば郭公夜深く鳴きていづち行くらん

0154 夜や暗き道やまどへる郭公我が宿をしも過ぎがてに鳴く

                 大江千里
0155 宿りせし花橘も枯れなくになど郭公声絶えぬらん

                 貫之
0156 夏の夜の臥すかとすれば郭公鳴く一声に明くるしののめ

                 壬生忠岑
0157 暮るるかと見れば明けぬる夏の夜をあかずとや鳴く山郭公

                 紀秋岑
0158 夏山に恋しき人や入りにけむ声ふり立てて鳴く郭公

                 よみ人しらず
0159 去年の夏鳴き古るしてし郭公それかあらぬか声の変らぬ

     郭公の鳴くを聞きてよめる
                 貫之
0160 五月雨の空もとどろに郭公何を憂しとか夜ただ鳴くらん

     さぶらひにて男どもの酒たうべけるに召して、
     「郭公待つ歌よめ」とありければよめる
                 躬恒
0161 郭公声も聞こえず山彦はほかに鳴く音を答へやはせぬ

     山に郭公の鳴きけるを聞きてよめる
                 貫之
0162 郭公人待つ山に鳴くなれば我うちつけに恋まさりけり

     早く住みける所にて時鳥の鳴きけるを聞きてよめる
                 忠岑
0163 昔へや今も恋しき郭公古里にしも鳴きて来つらむ

     郭公の鳴きけるを聞きてよめる
                 躬恒
0164 郭公我とはなしに卯の花の憂き世の中に鳴き渡るらん

     蓮の露を見てよめる
                 僧正遍昭
0165 蓮葉の濁りに染まぬ心もて何かは露を玉とあざむく

     月のおもしろかりける夜、暁方によめる
                 深養父
0166 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらん

     隣より床夏の花を乞ひにおこせたりければ、
     惜しみてこの歌をよみてつかはしける
                 躬恒
0167 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝る床夏の花

     水無月のつごもりの日よめる
0168 夏と秋と行き交ふ空の通ひ路は片へ涼しき風や吹くらむ

   古今和歌集巻第四
    秋歌上
     秋立つ日よめる
                 藤原敏行朝臣
0169 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

     秋立つ日、殿上の男ども、賀茂の河原に河逍
     遥しける供にまかりてよめる
                 貫之
0170 河風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ

     題しらす
                 よみ人しらず
0171 我が背子が衣の裾を吹き返しうらめづらしき秋の初風

0172 昨日こそ早苗取りしかいつの間に稲葉そよぎて秋風の吹く

0173 秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし

0174 久方の天の河原の渡守君渡りなば舵隠してよ

0175 天の河紅葉を橋に渡せばや棚機つ女の秋をしもまつ

0176 恋ひ恋ひて逢ふ夜は今宵天の河霧立ち渡り明けずもあらなん

     寛平御時、七日の夜、殿上にさぶらふ男ども、
     「歌奉れ」と仰せられける時に、人に代りて
     よめる
                 友則
0177 天の河浅瀬白浪たどりつつ渡り果てねば明けぞしにける

     同じ御時后宮の歌合の歌
                 藤原興風
0178 契りけん心ぞつらき棚機の年に一度逢ふは逢ふかは

     七日の日の夜よめる
                 躬恒
0179 年ごとに逢ふとはすれど織女の寝る夜の数ぞ少なかりける

0180 織女に貸しつる糸のうちはへて年の緒長く恋や渡らむ

     題しらず
                 素性
0181 今宵来む人には逢はじ棚機の久しきほどに待ちもこそすれ

     七日の夜の暁によめる
                 源宗于朝臣
0182 今はとて別るる時は天の河渡らぬさきに袖ぞひちぬる

     八日の日よめる
                 壬生忠岑
0183 今日よりは今来む年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき

     題しらず
                 よみ人しらず
0186 我がために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞ悲しき

0184 木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり

0185 おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひ知りぬれ

0187 物ごとに秋ぞ悲しきもみぢつつ移ろひ行くを限りと思へば

0188 独り寝る床は草葉にあらねども秋来る宵は露けかりけり

     是貞親王の家の歌合の歌
0189 いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事の限りなりける

     雷壺に人びと集まりて、秋の夜惜しむ歌よみ
     けるついでによめる
                 躬恒
0190 かくばかり惜しと思ふ夜をいたづらに寝で明かすらむ人さへぞ憂き

     題しらず
                 よみ人しらず
0191 白雲に羽うち交はし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月

0192 小夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空に月渡る見ゆ

     是貞親王の家の歌合によめる
                 大江千里
0193 月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど

                 忠岑
0194 久方の月の桂も秋はなほもみぢすればや照りまさるらむ

     月をよめる
                 在原元方
0195 秋の夜の月の光し明けれは暗部の山も越えぬべらなり

     人のもとにまかれりける夜、きりぎりすの鳴
     きけるを聞きてよめる
                 藤原忠房
0196 きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる

     是貞親王の家の歌合の歌
                 敏行朝臣
0197 秋の夜の明くるも知らず鳴く虫は我がごと物や悲しかるらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0198 秋萩も色づきぬればきりぎりす我が寝ぬごとや夜は悲しき

0199 秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫の侘ぶれば

0200 君忍ぶ草にやつるる古里は松虫の音ぞ悲しかりける

0201 秋の野に道もまどひぬ松虫の声する方に宿やからまし

0202 秋の野に人松虫の声すなり我かと行きていざ訪はむ

0203 もみぢ葉の散りて積もれる我が宿に誰れを松虫ここら鳴くらん

0204 ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の蔭にぞありける

0205 ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかに訪ふ人もなし

     初雁をよめる
                 在原元方
0206 待つ人にあらぬ物から初雁の今朝鳴く声のめづらしきかな

     是貞親王の家の歌合の歌
                 友則
0207 秋風に初雁が音ぞ聞こゆなる誰が玉章をかけて来つらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0208 我が門に稲負ほせ鳥の鳴くなへに今朝吹く風に雁は来にけり

0209 いとはやも鳴きぬる雁か白露の色どる木々ももみぢあへなくに

0210 春霞かすみて往にし雁が音は今ぞ鳴くなる秋霧の上に

0211 夜を寒み衣雁が音鳴くなへに萩の下葉も移ろひにけり
      この歌はある人のいはく柿本の人麿がなり
      と

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原菅根朝臣
0212 秋風に声をほに上げて来る舟は天の門渡る雁にぞありける

     雁の鳴きけるを聞きてよめる
                 躬恒
0213 憂きことを思ひつらねて雁が音の鳴きこそ渡れ秋の夜な夜な

     是貞親王の家の歌合の歌
                 忠岑
0214 山里は秋こそことに侘びしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ

                 よみ人しらず
0215 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき

     題しらず
0216 秋萩にうらびれをればあしひきの山下とよみ鹿の鳴くらむ

0217 秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ

     是貞親王の家の歌合によめる
                 藤原敏行朝臣
0218 秋萩の花咲きにけり高砂の尾上の鹿は今や鳴くらん

     昔あひ知りてはべりける人の秋の野にあひて
     物語りしけるついでによめる
                 躬恒
0219 秋萩の古枝に咲ける花見れば本の心は忘れざりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0220 秋萩の下葉色づく今よりや一人ある人の寝ねがてにする

0221 鳴き渡る雁の涙や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上の露

0222 萩の露玉に貫かむと取れば消ぬよし見む人は枝ながら見よ
      ある人のいはく、この歌は奈良帝の御歌な
      りと

0223 折りて見ば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露

0224 萩が花散るらむ小野の露霜に濡れてを行かむ小夜は更くとも

     是貞親王の家の歌合によめる
                 文室朝康
0225 秋の野に置く白露は玉なれや貫きかくる蜘蛛の糸筋

     題しらず
                 僧正遍昭
0226 名にめでて折れるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな

     僧正遍昭がもとに奈良へまかりける時に、男
     山にて女郎花を見てよめる
                 布留今道
0227 女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にし立てりと思へば

     是貞親王の家の歌合の歌
                 敏行朝臣
0228 秋の野に宿りはすべし女郎花名をむつましみ旅ならなくに

     題しらず
                 小野美材
0229 女郎花多かる野辺に宿りせば綾なくあだの名をや立ちなん

     朱雀院の女郎花合せによみて奉りける
                 左大臣
0230 女郎花秋の野風にうちなびき心一つを誰れに寄すらむ

                 藤原定方朝臣
0231 秋ならで逢ふことかたき女郎花天の河原に生ひぬものゆゑ

                 貫之
0232 誰が秋にあらぬものゆゑ女郎花なぞ色に出でてまだき移ろふ

                 躬恒
0233 妻恋ふる鹿ぞ鳴くなる女郎花おのが住む野の花と知らずや

0234 女郎花吹き過ぎて来る秋風は目には見えねど香こそしるけれ

                 忠岑
0235 人の見ることや苦しき女郎花秋霧にのみ立ち隠るらむ

0236 一人のみながむるよりは女郎花我が住む宿に植ゑて見ましを

     ものへまかりけるに、人の家に女郎花植ゑた
     りけるを見てよめる
                 兼覧王
0237 女郎花うしろめたくも見ゆるかな荒れたる宿に一人立てれば

     寛平御時、蔵人所の男ども、嵯峨野に花見む
     とてまかりたりける時、帰るとて、みな歌よ
     みけるついでによめる
                 平貞文
0238 花にあかで何帰るらむ女郎花多かる野辺に寝なましものを

     是貞親王の家の歌合によめる
                 敏行朝臣
0239 何人か来て脱ぎかけし藤袴来る秋ごとに野辺を匂はす

     藤袴をよみて人につかはしける
                 貫之
0240 宿りせし人の形見か藤袴忘られがたき香に匂ひつつ

     藤袴をよめる
                 素性
0241 主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が脱ぎかけし藤袴ぞも

     題しらず
                 平定文
0242 今よりは植ゑてだに見じ花薄穂に出づる秋は侘びしかりけり

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 在原棟梁
0243 秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらむ

                 素性法師
0244 我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影の大和撫子

     題しらず
                 よみ人しらず
0245 緑なる一つ草とぞ春は見し秋は色々の花にぞありける

0246 百草の花の紐解く秋の野を思ひたはれむ人なとがめそ

0247 月草に衣は摺らむ朝露に濡れての後は移ろひぬとも

     仁和帝、親王におはしましける時、布留の滝
     御覧ぜむとておはしましける道に、遍昭が母
     の家に宿りたまへりける時に、庭を秋の野に
     作りて御物語のついでに、よみて奉りける
                 僧正遍昭

0248 里は荒れて人は古りにし宿なれや庭も籬も秋の野良なる

   古今和歌集巻第五
    秋歌下
     是貞親王の家の歌合の歌
                 文室康秀
0249 吹からに秋の草木の萎るればむべ山風を嵐と言ふらむ

0250 草も木も色変はれどもわたつ海の浪の花にぞ秋なかりける

     秋の歌合しける時によめる
                 紀淑望
0251 紅葉せぬ常盤の山は吹く風の音にや秋を聞き渡るらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0252 霧立ちて雁ぞ鳴くなる片岡の朝の原は紅葉しぬらむ

0253 神無月時雨もいまだ降らなくにかねて移ろふ神奈備の森

0254 ちはやぶる神奈備山のもみぢ葉に思はかけじ移ろふものを

     貞観御時綾綺殿の前に梅の木ありけり。西の
     方に挿せりける枝の紅葉始めたりけるを、殿
     上にさぶらふ男どものよみけるついでによめ
     る
                 藤原勝臣
0255 同じ枝をわきて木の葉の移ろふは西こそ秋の始めなりけれ

     石山に詣でける時、音羽山の紅葉を見てよめ
     る
                 貫之
0256 秋風の吹きにし日より音羽山峯の梢も色づきにけり

     是貞親王の家の歌合によめる
                 敏行朝臣
0257 白露の色は一つをいかにして秋の木の葉を千々に染むらん

                 壬生忠岑
0258 秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0259 秋の露色々ことに置けばこそ山の木の葉の千草なるらめ

     守山のほとりにてよめる
                 貫之
0260 白露も時雨もいたく漏る山は下葉残らず色づきにけり

      秋の歌とてよめる
                 在原元方
0261 雨降れど露も漏らじを笠取の山はいかでか紅葉染めけむ

     神の社のあたりをまかりける時に、斎垣のう
     ちの紅葉を見てよめる
                 貫之
0262 ちはやぶる神の斎垣に這ふ葛も秋にはあへず移ろひにけり

     是貞親王の家の歌合によめる
                 忠岑
0263 雨降れば笠取山のもみぢ葉は行き交ふ人の袖さへぞ照る

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 よみ人しらず
0264 散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は今は限りの色と見つれば

     大和国にまかりける時、佐保山に霧の立てり
     けるを見てよめる
                 紀友則
0265 誰がための錦なればか秋霧の佐保の山辺を立ち隠すらむ

     是貞親王の家の歌合の歌
                 よみ人しらず
0266 秋霧は今朝はな立ちそ佐保山の柞の紅葉よそにても見む

     秋の歌とてよめる
                 坂上是則
0267 佐保山の柞の色は薄けれど秋は深くもなりにけるかな

     人の前栽に菊に結び付けて植ゑける歌
                 在原業平朝臣
0268 植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや

     寛平御時菊の花をよませたまひける
                 敏行朝臣
0269 久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞ過たれける
      この歌はまた殿上許されざりける時に、召
      し上げられてつかうまつれるとなむ

     是貞親王の家の歌合の歌
                 紀友則
0270 露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 大江千里
0271 植ゑし時花待ち遠にありし菊移ろふ秋に逢むとや見し

     同じ御時せられける菊合せに洲浜を作りて、
     菊の花植ゑたりけるに加へたりける歌、吹上
     の浜の形に菊植ゑたりけるによめる
                 菅原朝臣
0272 秋風の吹上げに立てる白菊は花かあらぬか浪の寄するか

     仙宮に菊を分けて人の至れる方をよめる
                 素性法師
0273 濡れて干す山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ

     菊の花のもとにて人の人待てる形をよめる
                 友則
0274 花見つつ人待つ時は白砂の袖かとのみぞ過たれける

     大沢の池の形に菊植ゑたるをよめる
0275 一本と思ひし菊を大沢の池の底にも誰れか植ゑけむ

     世の中のはかなき事を思ひける折に菊の花を
     見てよみける
                 貫之
0276 秋の菊匂ふ限りはかざしてむ花より先と知らぬ我が身を

     白菊の花をよめる
                 凡河内躬恒
0277 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

     是貞親王の家の歌合の歌
                 よみ人しらず
0278 色変はる秋の菊をば一年に再び匂ふ花とこそ見れ

     仁和寺に菊の花召しける時に「歌添へて奉れ」
     と仰せられければ、よみて奉りける
                 平貞文
0279 秋をおきて時こそありけれ菊の花移ろふからに色のまされば

     人の家なりけるき菊の花を移し植ゑたりけるをよめる
                 貫之
0280 咲き初めし宿し変はれば菊の花色さへにこそ移ろひにけれ

     題しらず
                 よみ人しらず
0281 佐保山の柞の紅葉散りぬべみ夜さへ見よと照らす月影

     宮仕へ久しうつかうまつらで山里に籠もりは
     べりけるによめる
                 藤原関雄
0282 奥山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて

     題しらず
                 よみ人しらず
0283 龍田河紅葉乱れて流るめり渡らば錦仲や絶えなむ
      この歌はある人、奈良帝の御歌なりとなむ
      申す

0284 龍田河もみぢ葉流る神奈備の三室の山に時雨降るらし
      または飛鳥河もみぢ葉流る

0285 恋しくは見てもしのばむもみぢ葉を吹きな散らしそ山おろしの風

0286 秋風にあへず散りぬるもみぢ葉の行方定めぬ我ぞ悲しき

0287 秋は来ぬ紅葉は宿に降り敷きぬ道踏み分けて訪ふ人はなし

0288 踏み分けて更にや訪はむもみぢ葉の降り隠してし道と見ながら

0289 秋の月山辺さやかに照らせるは落つる紅葉の数を見よとか

0290 吹く風の色の千草に見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり

                 関雄
0291 霜のたて露のぬきこそ弱からじ山の錦の織ればかつ散る

     雲林院の木の蔭にたたずみてよみける
                 僧正遍昭
0292 侘び人のわきて立ち寄る木の下は頼む影なく紅葉散りけり

     二条后の春宮の御息所と申ける時に、御屏風
     に龍田河に紅葉流れたる方を描けりけるを題
     にてよめる
                 素性
0293 もみぢ葉の流れて止まる港には紅深き浪や立つらむ

                 業平朝臣
0294 ちはやぶる神世も聞かず龍田河唐紅に水くくるとは

     是貞親王の家の歌合の歌
                 敏行朝臣
0295 我が来つる方も知られず暗部山木々の木の葉の散るとまがふに

                 忠岑
0296 神奈備の三室の山を秋行けば錦裁ち着る心地こそすれ

     北山に紅葉折らむとてまかれりける時によめ
     る
                 貫之
0297 見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり

     秋の歌
                 兼覧王
0298 龍田姫手向くる神のあればこそ秋の木の葉の幣と散るらめ

     小野といふ所に住みはべりける時、紅葉を見
     てよめる
                 貫之
0299 秋の山紅葉を幣と手向くれば住む我さへぞ旅心地する

     神奈備の山を過ぎて龍田河を渡りける時に、
     紅葉の流れけるを見てよめる
                 清原深養父
0300 神奈備の山を過ぎ行く秋なれば龍田河にぞ幣は手向くる

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原興風
0301 白浪に秋の木の葉の浮かべるを海人の流せる舟かとぞ見る

     龍田河のほとりにてよめる
                 坂上是則
0302 もみぢ葉の流れざりせば龍田河水の秋をば誰れか知らまし

     志賀の山越えにてよめる
                 春道列樹
0303 山河に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり

     池のほとりにて紅葉の散るをよめる
                 躬恒
0304 風吹けば落つるもみぢ葉水清み散らぬ影さへ底に見えつつ

     亭子院の御屏風の絵に、河渡らむとする人の、
     紅葉の散る木の下に馬を控へて立てるをよま
     せたまひければ、つかうまつりける
0305 立ち止まり見てを渡らむもみぢ葉は雨と降るとも水はまさらじ

     是貞親王の家の歌合の歌
                 忠岑
0306 山田守る秋の仮庵に置く露は稲負ほせ鳥の涙なりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0307 穂にも出でぬ山田を守ると藤衣稲葉の露に濡れぬ日はなし

0308 刈れる田に生ふるひつちの穂に出でぬは世を今更に秋果てぬとか

     北山に僧正遍昭と茸狩りにまかれりけるによ
     める
                 素性法師
0309 もみぢ葉は袖にこき入れて持て出でなむ秋は限りと見む人のため

     寛平御時古き歌奉れと仰せられければ、「龍
     田河もみぢ葉流る」といふ歌を書きて、その
     同じ心をよめりける
                 興風
0310 深山より落ち来る水の色見てぞ秋は限りと思ひ知りぬる

     秋の果つる心を龍田河に思ひやりてよめる
                 貫之
0311 年ごとにもみぢ葉流す龍田河湊や秋の泊りなるらむ

     長月のつごもりの日、大井にてよめる
0312 夕づく夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ

     同じつごもりの日よめる
                 躬恒
0313 道知らば訪ねも行かむもみぢ葉を幣と手向けて秋は往にけり

   古今和歌集巻第六
    冬歌
     題しらず
                 よみ人しらず
0314 龍田河錦織りかく神無月時雨の雨をたてぬきにして

     冬の歌とてよめる
                 源宗于朝臣
0315 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草も枯れぬと思へば

     題しらず
                 よみ人しらず
0316 大空の月の光し清ければ影見し水ぞまづ凍りける

0317 夕されば衣手寒しみ吉野の吉野の山にみ雪降るらし

0318 今よりはつぎて降らなん我が宿のすすき押し並み降れる白雪

0319 降る雪はかつぞ消ぬらしあしひきの山のたぎつ瀬音まさるなり

0320 この河にもみぢ葉流る奥山の雪消の水ぞ今まさるらし

0321 古里は吉野の山し近ければ一日もみ雪降らぬ日はなし

0322 我が宿は雪降りしきて道もなし踏み分けて訪ふ人しなければ

     冬の歌とてよめる
                 紀貫之
0323 雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける

     志賀の山越えにてよめる
                 紀秋岑
0324 白雪の所も分かず降りしけば巌にも咲く花とこそ見れ

     奈良の京にまかれりける時に宿れりける所に
     てよめる
                 坂上是則

0325 み吉野の山の白雪積もるらし古里寒くなりまさるなり

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原興風
0326 浦近く降り来る雪は白浪の末の松山越すかとぞ見る

                 壬生忠岑
0327 み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人の訪れもせぬ

0328 白雪の降りて積もれる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ

     雪の降れるを見てよめる
                 凡河内躬恒
0329 雪降りて人も通はぬ道なれや跡はかもなく思ひ消ゆらん

     雪の降りけるをよみける
                 清原深養父
0330 冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあるらん

     雪の木に降りかかれりけるをよめる
                 貫之
0331 冬ごもり思ひかけぬを木の間より花と見るまで雪ぞ降りける

     大和国にまかれりける時に、雪の降りけるを
     見てよめる
                 坂上是則
0332 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪

     題しらず
                 よみ人しらず
0333 消ぬが上にまたも降りしけ春霞立ちなばみ雪まれにこそ見め

0334 梅の花それとも見えず久方の天霧る雪のなべて降れれば
      この歌、ある人のいはく柿本人麿が歌なり

     梅の花に雪の降れるをよめる
                 小野篁朝臣
0335 花の色は雪に混じりて見えずとも香をだに匂へ人の知るべく

     雪のうちの梅花をよめる
                 紀貫之
0336 梅の香の降り置ける雪にまがひせば誰れかことごと分きて折らまし

     雪の降りけるを見てよめる
                 紀とものり
0337 雪降れば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし

     物へまかりける人を待ちて師走のつごもりに
     よめる
                 躬恒
0338 我が待たぬ年は来ぬれど冬草のかれにし人は訪れもせず

     年の果てによめる
                 在原元方
0339 あらたまの年の終りになるごとに雪も我が身も古りまさりつつ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 よみ人しらず
0340 雪降りて年の暮れぬる時こそつひにもみぢぬ松も見えけれ

     年の果てによめる
                 春道列樹
0341 昨日と言ひ今日と暮らして飛鳥河流れて早き月日なりけり

     「歌奉れ」と仰せられし時に、よみて奉れる
                 紀貫之
0342 行く年の惜しくもあるかなます鏡見る影さへに暮れぬと思へば

   古今和歌集巻第七
    賀歌
     題しらず
                 よみ人しらず
0343 我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

0344 わたつ海の浜の真砂をかぞへつつ君が千歳のあり数にせむ

0345 しほの山さしでの磯に住む千鳥君が御代をば八千代とぞ鳴く

0346 我が齢君が八千代に取りそへて留め置きては思ひ出でにせよ

     仁和御時、僧正遍昭に七十賀たまひける時の
     御歌
0347 かくしつつとにもかくにも永らへて君が八千代に会ふよしもがな

     仁和帝の親王におはしましける時に、御をば
     の八十賀に銀を杖に作れりけるを見て、かの
     御をばに代りてよみける
                 僧正遍昭
0348 ちはやぶる神や伐りけむ突くからに千歳の坂も越えぬべらなり

     堀河大臣の四十賀、九条の家にてしける時に
     よめる
                 在原業平朝臣
0349 桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに

     貞辰親王のをばの四十賀を大井にてしける日
     よめる
                 紀惟岳
0350 亀の尾の山の岩根を尋めて落つる滝の白玉千代の数かも

     貞保親王の后宮の五十賀奉りける御屏風に、
     桜の花の散る下に人の花見たる形描けるをよ
     める
                 藤原興風
0351 いたづらに過ぐす月日は思ほえで花見て暮らす春ぞ少なき

     本康親王の七十賀の後ろの屏風によみて書き
     ける
                 紀貫之
0352 春来れば宿にまづ咲く梅の花君が千歳のかざしとぞ見る

                 素性法師
0353 いにしへにありきあらずは知らねども千歳のためし君に始めむ

0354 臥して思ひ起きてかぞふる万代は神ぞ知るらん我が君のため

     藤原三善が六十賀によみける
                 在原滋春
0355 鶴亀も千歳の後は知らなくにあかぬ心に任せ果ててむ
      この歌はある人在原時春がとも言ふ

     良岑経也が四十賀に女に代りてよみはべりけ
     る
                 素性法師
0356 万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば

     内侍督の右大将藤原朝臣の四十賀しける時に、
     四季の絵描ける後ろの屏風に書き付けたりけ
     る歌
0357 春日野に若菜摘みつつ万代を祝ふ心は神ぞ知るらむ

0358 山高み雲居に見ゆる桜花心の行きて居らぬ日ぞなき

     夏
0359 めづらしき声ならなくに郭公ここらの年をあかずもあるかな

     秋
0360 住の江の松を秋風吹くからに声うち添ふる沖つ白浪

0361 千鳥鳴く佐保の河霧立ちぬらし山の木の葉も色まさり行く

0362 秋来れど色も変らぬ常盤山よその紅葉を風ぞ貸しける

     冬
0363 白雪の降りしく時はみ吉野の山下風に花ぞ散りける

     春宮の生まれたまへりける時に、参りてよめ
     る
                 典侍藤原因香朝臣
0364 峰高き春日の山に出づる日は曇る時なく照らすべらなり

   古今和歌集巻第八
    離別歌
     題しらず
                 在原行平朝臣
0365 立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む

                 よみ人しらず
0366 すがる鳴く秋の萩原朝立ちて旅行く人をいつとか待たむ

0367 限りなき雲居のよそに別るとも人を心に遅らさむやは

     小野千古が陸奥介にまかりける時に、母のよ
     める
0368 たらちねの親の守りとあひ添ふる心ばかりは塞きな留めそ

     貞辰親王の家にて、藤原清生が近江介にまか
     りける時に、餞別しける夜よめる
                 紀利貞
0369 今日別れ明日は近江と思へども夜や更けぬらむ袖の露けき

     越へまかりける人によみてつかはしける
0370 かへる山ありとは聞けど春霞立ち別れなば恋しかるべし

     人の餞別にてよめる
                 紀貫之
0371 惜しむから恋しきものを白雲の立ちなむ後は何心地せむ

     友だちの人の国へまかりけるによめる
                 在原滋春
0372 別れてはほどを隔つと思へばやかつ見ながらにかねて恋しき

     東の方へまかりける人によみてつかはしける
                 伊香子淳行
0373 思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる

     逢坂にて人を別れける時によめる
                 難波万雄
0374 逢坂の関し正しき物ならばあかず別るる君を留めよ

     題しらず
                 よみ人しらず
0375 唐衣たつ日は聞かじ朝露の置きてし行けば消ぬべきものを
      この歌はある人、官を賜りて、新しき妻に
      付きて年経て住みける人を捨てて、ただ明
      日なむ立つとばかり言へりける時に、とも
      かうも言はでよみてつかはしける

     常陸へまかりける時に藤原公利によみてつか
     はしける
                 寵
0376 朝なけに見べき君とし頼まねば思ひ立ちぬる草枕なり

     紀宗定が東へまかりける時に、人の家に宿り
     て、暁出で立つとてまかり申しければ、女の
     よみて出だせりける
                 よみ人しらず
0377 えぞ知らぬ今心見よ命あらば我や忘るる人や訪はぬと

     あひ知りてはべりける人の東の方へまかりけ
     るを送るとてよめる
                 深養父
0378 雲居にも通ふ心の遅れねば別ると人に見ゆばかりなり

     友の東へまかりける時によめる
                 良岑秀崇
0379 白雲のこなたかなたに立ち別れ心を幣とくだく旅かな

     陸奥へまかりける人によみてつかはしける
                 貫之
0380 白雲の八重に重なる遠方にても思はむ人に心隔つな

     人を別れける時によみける
0381 別れてふ事は色にもあらなくに心に染みて侘びしかるらむ

     あひ知れりける人の越国にまかりて、年経て
     京にまうで来て、また帰りける時によめる
                 凡河内躬恒
0382 かへる山何ぞはありてあるかひも来てもとまらぬ名にこそありけれ

     越国へまかりける人によみてつかはしける
0383 よそにのみ恋ひやわたらむ白山の雪見るべくもあらぬ我が身は

     音羽の山のほとりにて、人を別るとてよめる
                 貫之
0384 音羽山木高く鳴きて郭公君が別れを惜しむべらなり

     藤原後蔭が唐物使に長月のつごもり方にまか
     りけるに、殿上の男ども酒たうびけるついで
     によめる
                 藤原兼茂
0385 もろともに鳴きて留めよきりぎりす秋の別れは惜しくやはあらぬ

                 平元規
0386 秋霧の友に立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋ひやわたらむ

     源実が筑紫へ湯浴みむとてまかりける時、山
     崎にて別れ惜しみける所にてよめる
                 白女
0387 命だに心にかなふ物ならば何か別れの悲しからまし

     山崎より神奈備の森まで送りに人びとまかり
     て、帰りがてにして別れ惜しみけるによめる
                 源実
0388 人やりの道ならなくにおほかたは行き憂しと言ひていざ帰りなむ

     「今はこれより帰りね」と、実が言ひける折
     によみける
                 藤原兼茂
0389 慕はれて来にし心の身にしあれば帰るさまには道も知られず

     藤原惟岳が武蔵介にまかりける時に、送りに
     逢坂を越ゆとてよみける
                 貫之
0390 かつ越えて別れも行くか逢坂は人頼めなる名にこそありけれ

     大江千古が越へまかりける餞別によめる
                 藤原兼輔朝臣
0391 君が行く越の白山知らねども雪のまにまに跡は尋ねむ

     人の花山にまうで来て、夕さりつ方、帰りな
     むとしける時によめる
                 僧正遍昭
0392 夕暮れの籬は山と見えななむ夜は越えじと宿りとるべく

     山に登りて帰りまうで来て人びと別れけるつ
     いでによめる
                 幽仙法師
0393 別れをば山の桜に任せてむ止めむ止めじは花のまにまに

     雲林院親王の舎利会に山に登りて帰りけるに
     桜の花の下にてよめる
                 僧正遍昭
0394 山風に桜吹きまき乱れなむ花の紛れに立ち止るべく

                 幽仙法師
0395 ことならば君止るべく匂はなん帰すは花の憂きにやはあらぬ

     仁和帝、親王におはしましける時に、布留の
     滝御覧じにおはしまして、帰りたまひけるに
     よめる
                 兼芸法師
0396 あかずして別るる涙滝にそふ水まさるとや下は見るらん

     雷壺に召したりける日、大御酒などたうべて、
     雨のいたく降りければ、夕さりまではべりて
     まかり出でける折に、盃を取りて
                 貫之
0397 秋萩の花をば雨に濡らせども君をばまして惜しとこそ思へ

     とよめりける返し
                 兼覧王
0398 惜しむらむ人の心を知らぬ間に秋の時雨と身ぞふりにける

     兼覧王に初めて物語りして、別れける時によ
     める
                 躬恒
0399 別るれどうれしくもあるか今宵よりあひ見ぬさきに何を恋ひまし

     題しらず
                 よみ人しらず
0400 あかずして別るる袖の白玉を君が形見と包みてぞ行く

0401 限りなく思ふ涙にそほちぬる袖は乾かじ逢はむ日までに

0402 かきくらしことは降らなん春雨に濡衣着せて君を留めむ

0403 しひて行く人を留めむ桜花いづれを道とまどふまで散れ

     志賀の山越えにて、石井のもとにて物言ひけ
     る人の別れける折によめる
                 貫之
0404 結ぶ手の滴に濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな

     道に逢へりける人の車に物を言ひ付きて別れ
     ける所にてよめる
                 友則
0405 下の帯の道は方々別るとも行き巡りても逢はむとぞ思ふ

   古今和歌集巻第九
    羈旅歌
     唐土にて月を見てよみける
                 安倍仲麿
0406 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
      この歌は昔、仲麿を唐土に物習はしにつか
      はしたりけるに、あまたの年を経てえ帰り
      まうで来ざりけるを、この国よりまた使ま
      かり至りけるにたぐひて、まうで来なむと
      て出で立ちけるに、明州といふ所の海辺に
      て、かの国の人、餞別しけり。夜になりて
      月のいとおもしろく差し出でたりけるを見
      てよめる、となむ語り伝ふる

     隠岐国に流されける時に、舟に乗りて出で立
     つとて、京なる人のもとにつかはしける
                 小野篁朝臣
0407 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟

     題しらず
                 よみ人しらず
0408 都出でて今日瓶の原泉河川風寒し衣かせ山

0409 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ
      この歌は、ある人のいはく柿本人麿が歌な
      り

     東の方へ友とする人、一人二人誘ひて行きけ
     り。三河国八橋と言ふ所に至れりけるに、そ
     の河のほとりにかきつばたいとおもしろく咲
     けりけるを見て、木の蔭に下りゐて、かきつ
     ばたと言ふ五文字を句の頭に据ゑて旅の心を
     よまむ、とてよめる
                 在原業平朝臣
0410 唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

     武蔵国と下総国との中にある隅田河のほとり
     に至りて、都のいと恋しうおぼえければ、し
     ばし河のほとりに下りゐて思ひやれば、限り
     なく遠くも来にけるかな、と思ひ侘びてなが
     めをるに、渡守、「はや舟に乗れ、日暮れぬ」
     と言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、
     みな人物侘びしくて、京に思ふ人なくしもあ
     らず、さる折に白き鳥の嘴と脚と赤き、河の
     ほとりに遊びけり。京には見えぬ鳥なりけれ
     ば、みな人見知らず。渡守に「これは何鳥ぞ」
     と問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひける
     を聞きてよめる
0411 名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと

     題しらず
                 よみ人しらず
0412 北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し数は足らでぞ帰るべらなる
      この歌は、ある人男女もろともに人の国へ
      まかりけり。男まかり至りてすなはち身ま
      かりにければ、女一人京へ帰りける道に帰
      る雁の鳴きけるを聞きてよめるとなむ言ふ

     東の方より京へまうで来とて道にてよめる
                 乙
0413 山隠す春の霞ぞ恨めしきいづれ都のさかひなるらむ

     越国へまかりける時、白山を見てよめる
                 躬恒
0414 消えはつる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける

     東へまかりける時、道にてよめる
                 貫之
0415 糸による物ならなくに別路の心細くも思ほゆるかな

     甲斐国へまかりける時、道にてよめる
                 躬恒
0416 夜を寒み置く初霜を払ひつつ草の枕にあまた旅寝ぬ

     但馬国の湯へまかりける時に、二見浦といふ
     所に泊りて、夕さりの乾飯たうべけるに、友
     にありける人びとの歌よみけるついでによめ
     る
                 藤原兼輔
0417 夕づく夜おぼつかなきを玉匣二見浦は明けてこそ見め

     惟喬親王の供に狩りにまかりける時に、天の
     河といふ所の川のほとりに下りゐて、酒など
     呑みけるついでに、親王の言ひけらく、「狩
     りして天の河原に至るといふ心をよみて、盃
     はさせ」と言ひければよめる
                 在原業平朝臣
0418 狩り暮らし棚機女に宿借らむ天の河原に我は来にけり

     親王、この歌を返す返すよみつつ返しえせず
     なりにければ、供にはべりてよめる
                 紀有常
0419 一年に一度来ます君待てば宿貸す人もあらじとぞ思ふ

     朱雀院の奈良におはしましたりける時に、手
     向山にてよみける
                 菅原朝臣
0420 このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに

                 素性法師
0421 手向けにはつづりの袖も着るべきに紅葉にあける神や返さむ

   古今和歌集巻第十
    物名
     鴬
                 藤原敏行朝臣
0422 心から花の滴にそほちつつ憂く干ずとのみ鳥の鳴くらむ

     郭公
0423 来べきほど時過ぎぬれや待ちわびて鳴くなる声の人をとよむる

     空蝉
                 在原滋春
0424 浪の打つ瀬見れば珠ぞ乱れける拾はば袖にはかなからむや

     返し
                 壬生忠岑
0425 袂より離れて珠を包まめやこれなんそれと移せ見むかし

     梅
                 よみ人しらず
0426 あな憂目に常なるべくも見えぬかな恋しかるべきかは匂ひつつ

     かには桜
                 貫之
0427 かづけども浪のなかには探られて風吹くごとに浮き沈む珠

     李の花
0428 今いくか春しなければ鴬も物はながめて思ふべらなり

     唐桃の花
                 深養父
0429 逢ふからも物はなほこそ悲しけれ別れむ事をかねて思へば

     橘
                 小野滋蔭
0430 あしひきの山立ち離れ行く雲の宿り定めぬ夜にこそありけれ

     をがたまの木
                 友則
0431 み吉野の吉野の滝に浮かび出づる泡をか玉の消ゆと見つらむ

     山柿の木
                 よみ人しらず
0432 秋は来ぬ今や籬のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに

     葵 桂
0433 かくばかり逢ふ日のまれになる人をいかがつらしと思はざるべき

0434 人めゆゑ後に逢ふ日のはるけくは我がつらきにや思ひなされむ

     くたに
                 僧正遍昭
0435 散りぬれば後はあくたになる花を思ひ知らずも迷ふてふかな

     薔薇
                 貫之
0436 我は今朝初ひにぞ見つる花の色をあだなる物と言ふべかりけり

     女郎花
                 友則
0437 白露を玉に貫くやとささがにの花にも葉にも糸を皆へし

0438 朝露を分けそほちつつ花見むと今ぞ野山をみな経知りぬる

     朱雀院の女郎花合せの時に、女郎花と言ふ五
     文字を句の頭に置きてよめる
                 貫之
0439 小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にけむ秋を知る人ぞなき

     桔梗の花
                 友則
0440 秋近う野はなりにけり白露の置ける草葉も色変り行く

     紫苑
                 よみ人しらず
0441 ふりはへていざ古里の花見むと来しを匂ひぞ移ろひにける

     竜胆の花
                 友則
0442 我が宿の花踏み散らす鳥うたむ野はなければやここにしも来る

     尾花
                 よみ人しらず
0443 ありと見て頼むぞかたき空蝉の世をばなしとや思ひなしてむ

     けにごし
                 矢田部名実
0444 うちつけに濃しとや花の色を見む置く白露の染むるばかりを

     二条后、春宮の御息所と申しける時に、めど
     に削花挿せりけるをよませたまひける
                 文室康秀
0445 花の木にあらざらめども咲きにけりふりにし木の実なる時もがな

     忍草
                 紀利貞
0446 山高み常に嵐の吹く里は匂ひもあへず花ぞ散りける

     やまじ
                 平篤行
0447 郭公峰の雲にやまじりにしありとは聞けど見るよしもなき

     唐萩
                 よみ人しらず
0448 空蝉の殻は木ごとに留むれど魂の行方を見ぬぞ悲しき

     川名草
                 深養父
0449 うばたまの夢に何かは慰まむうつつにだにもあかぬ心を

     さがりごけ
                 高向利春
0450 花の色はただ一盛り濃けれども返す返すぞ露は染めける

     苦竹
                 滋春
0451 命とて露を頼むにかたければ物侘びしらに鳴く野辺の虫

     皮茸
                 景式王
0452 さ夜更けて半ばたけ行く久方の月吹き返せ秋の山風

     蕨
                 真静法師
0453 煙立ち燃ゆとも見えぬ草の葉を誰れか藁火と名付けそめけむ

     笹 松 枇杷 芭蕉葉
                 紀乳母
0454 いささめに時待つ間にぞ日は経ぬる心ばせをば人に見えつつ

     梨 棗 胡桃
                 兵衛
0455 あぢきなし嘆きな詰めそ憂き事に会ひ来る身をば捨てぬものから

     唐琴と言ふ所にて、春の立ちける日よめる
                 安倍清行朝臣
0456 浪の音の今朝からことに聞こゆるは春の調べや改まるらむ

     伊加賀崎
                 兼覧王
0457 舵に当たる浪の滴を春なればいかが先散る花と見ざらむ

     唐崎
                 阿保経覧
0458 かの方にいつから先に渡りけむ浪路は跡も残らざりけり

                 伊勢
0459 浪の花沖から咲きて散り来めり水の春とは風やなるらん

     紙屋川
                 貫之
0460 うばたまの我が黒髪や変はるらん鏡の影に降れる白雪

     淀川
0461 あしひきの山辺にをれば白雲のいかにせよとか晴るる時なき

     交野
                 忠岑
0462 夏草の上は茂れる沼水の行方のなき我が心かな

     桂宮
                 源忠
0463 秋来れば月の桂の実やはなる光を花と散らすばかりを

     百和香
                 よみ人しらず
0464 花ごとにあかず散らしし風なればいくそばく我が憂しとかは思ふ

     墨流
                 滋春
0465 春霞中し通ひ路なかりせば秋来る雁は帰らざらまし

     熾火
                 都良香
0466 流れ出づる方だに見えぬ涙河沖干む時や底は知られむ

     粽
                 大江千里
0467 後蒔きの遅れて生ふる苗なれどあだにはならぬ田の実とぞ聞く

     「はを初め、るを果てにて眺めを掛けて、時
     の歌よめ」と人の言ひければよみける
                 僧正聖宝
0468 花のなか目にあくやとて分け行けば心ぞともに散りぬべらなる

(73オ)
(73ウ)
(74オ)
(74ウ)
(75オ)
   古今和歌集巻第十一
    恋歌一
     題しらず
                 よみ人しらず
0469 郭公鳴くや五月の菖蒲草あやめも知らぬ恋もするかな

                 素性法師
0470 音にのみ菊の白露夜は起きて昼は思ひにあへず消ぬべし

                 紀貫之
0471 吉野河岩浪高く行く水の早くぞ人を思ひそめてし

                 藤原勝臣
0472 白浪の跡なき方に行く舟も風ぞ頼りのしるべなりける

                 在原元方
0473 音羽山音に聞きつつ逢坂の関のこなたに年をふるかな

0474 立ち帰りあはれとぞ思ふよそにても人に心を沖つ白浪

                 貫之
0475 世の中はかくこそありけれ吹く風の目に見ぬ人も恋しかりけり

     右近の馬場の日折の日、向ひに立てたりける
     車の下簾より女の顔のほのかに見えければ、
     よむでつかはしける
                 在原業平朝臣
0476 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ

     返し
                 よみ人しらず
0477 知る知らぬ何かあやなく分きて言はむ思ひのみこそしるべなりけれ

     春日の祭にまかれりける時に、物見に出でた
     りける女のもとに、家を尋ねてつかはせりけ
     る
                 壬生忠岑
0478 春日野の雪間を分けて生ひ出で来る草のはつかに見えし君はも

     人の花摘みしける所にまかりて、そこなりけ
     る人のもとに、後によみてつかはしける
                 貫之
0479 山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ

     題しらず
                 元方
0480 便りにもあらぬ思ひのあやしきは心を人につくるなりけり

                 凡河内躬恒
0481 初雁のはつかに声を聞きしより中空にのみ物を思ふかな

                 貫之
0482 逢ふことは雲居はるかに鳴る神の音に聞きつつ恋ひ渡るかな

                 よみ人しらず
0483 片糸をこなたかなたによりかけて会はずは何を玉の緒にせむ

0484 夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて

0485 刈り薦の思ひ乱れて我が恋ふと妹知るらめや人し告げずは

0486 つれもなき人をやねたく白露の起くとは嘆き寝とはしのばむ

0487 ちはやぶる賀茂の社の木綿だすき一日も君をかけぬ日はなし

0488 我が恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし

0489 駿河なる田子の浦浪立たぬ日はあれども君を恋ひぬ日はなし

0490 夕づく夜さすや岡辺の松の葉のいつとも分かぬ恋もするかな

0491 あしひきの山下水の木隠れてたぎつ心を塞きぞかねつる

0493 たぎつ瀬の中にも淀はありてふをなど我が恋の淵瀬ともなき

0494 山高み下行く水の下にのみ流れて恋ひむ恋ひは死ぬとも

0495 思ひ出づる常盤の山の岩つつじ言はねばこそあれ恋ひしきものを

0496 人知しれず思へば苦し紅の末摘花の色に出でなむ

0492 吉野河岩切り通しゆく水の音には立てじ恋は死ぬとも

0497 秋の野の尾花に混じり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ

0498 我が園の梅のほつ枝に鴬の音に鳴きぬべき恋もするかな

0499 あしひきの山郭公我がごとや君に恋ひつつ寝ねがてにする

0500 夏なれば宿にふすぶる蚊遣火のいつまで我が身下燃えをせむ

0501 恋せじと御手洗河にせし禊神は受けずぞなりにけらしも

0502 あはれてふ言だになくは何をかは恋の乱れの束緒をにせむ

0503 思ふには忍ぶる事ぞ負けにける色には出でじと思ひしものを

0504 我が恋を人知るらめやしきたへの枕のみこそ知らば知るらめ

0505 浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめや言ふ人なしに

0506 人知れぬ思ひやなぞと葦垣のま近けれども逢ふよしのなき

0507 思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結ふ手もたゆく解くる下紐

0508 いで我を人なとがめそ大舟のゆたのたゆたに物思ふころぞ

0509 伊勢の海に釣する海人の浮けなれや心一つを定めかねつる

0510 伊勢の海の海人の釣縄うちはへて苦しとのみや思ひ渡らむ

0511 涙河何水上を尋ねけむ物思ふ時の我が身なりけり

0512 種しあれば岩にも松は生ひにけり恋をし恋ひば逢はざらめやも

0513 朝な朝な立つ河霧の空にのみ浮きて思ひのある世なりけり

0514 忘らるる時しなければ葦田鶴の思ひ乱れて音をのみぞ鳴く

0515 唐衣日も夕暮れになる時は返す返すぞ人は恋しき

0516 宵々に枕定めむ方もなしいかに寝し夜か夢に見えけむ

0517 恋しきに命をかふる物ならば死にはやすくぞあるべかりける

0518 人の身もならはしものを逢はずしていざ心見む恋ひや死ぬると

0519 忍ぶれば苦しきものを人知れす思ふてふ事たれにかたらむ

0520 来む世にも早なりななむ目の前につれなき人を昔と思はむ

0521 つれもなき人を恋ふとて山彦の答へするまで嘆きつるかな

0522 行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

0523 人を思ふ心は我にあらねばや身のまどふだに知られざるらむ

0524 思ひやる境はるかになりやするまどふ夢路に逢ふ人のなき

0525 夢のうちに逢ひ見むことを頼みつつ暮らせる宵は寝む方もなし

0526 恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ

0527 涙河枕流るる浮寝には夢も定かに見えずぞありける

0528 恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ

0529 篝火にあらぬ我が身のなぞもかく涙の河に浮きて燃ゆらん

0530 篝火の影となる身の侘びしきは流れて下に燃ゆるなりけり

0531 早き瀬にみるめ生ひせば我が袖の涙の河に植ゑましものを

0532 沖辺にも寄らぬ玉藻の浪の上に乱れてのみや恋ひわたりなむ

0533 葦鴨の騒ぐ入江の白浪の知らずや人をかく恋ひむとは

0534 人知れぬ思ひを常に駿河なる富士の山こそ我が身なりけれ

0535 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ

0536 逢坂の木綿つけ鳥も我がごとく人や恋しき音のみ鳴くらん

0537 逢坂の関に流るる岩清水言はで心に思ひこそすれ

0538 浮草の上は茂れる淵なれや深き心を知る人のなき

0539 うち侘びて呼ばはむ声に山彦の答へぬ山はあらじとぞ思ふ

0540 心変へするものにもが片恋は苦しきものと人に知らせむ

0541 よそにして恋ふれば苦し入れ紐の同じ心にいざ結びてむ

0542 春立てば消ゆる氷の残りなく君が心は我に解けなん

0543 明けたてば蝉のをりはへ鳴きくらし夜は蛍の燃えこそわたれ

0544 夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり

0545 夕さればいとど干がたき我が袖に秋の露さへ置きそはりつつ

0546 いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり

0547 秋の田の穂にこそ人を恋ひざらめなどか心に忘れしもせむ

0548 秋の田の穂の上を照らす稲妻の光の間にも我や忘るる

0549 人目守る我れかはあやな花薄などか穂に出でて恋ひずしもあらむ

0550 淡雪のたまればかてに砕けつつ我が物思ひのしげきころかな

0551 奥山の菅の根しのぎ降る雪の消ぬとか言はむ恋のしげきに

   古今和歌集巻第十二
    恋歌二
     題しらず
                 小野小町
0552 思ひつつ寝ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを

0553 うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふ物は頼みそめてき

0554 いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る

                 素性法師
0555 秋風の身に寒ければつれもなき人をぞ頼む暮るる夜ごとに

     下出雲寺に人のわざしける日、真静法師の導
     師にて言へりける事を歌によみて、小野小町
     がもとにつかはしける
                 安倍清行朝臣
0556 つつめども袖にたまらぬ白玉は人を見ぬめの涙なりけり

     返し
                 小町
0557 おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我は塞きあへずたぎつ瀬なれば

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原敏行朝臣
0558 恋ひわびてうち寝るなかに行きかよふ夢の直路はうつつならなん

0559 住の江の岸に寄る浪夜さへや夢の通路人目よくらむ

                 小野良樹
0560 我が恋は深山隠れの草なれや繁さまされど知る人のなき

                 紀友則
0561 宵の間もはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな

0562 夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき

0563 笹の葉に置く霜よりも一人寝る我が衣手ぞさえまさりける

0564 我が宿の菊の垣根に置く霜の消えかへりてぞ恋しかりける

0565 河の瀬になびく玉藻の水隠くれて人に知られぬ恋もするかな

                 壬生忠岑
0566 かき暮らし降る白雪の下消えに消えて物思ふころにもあるかな

                 藤原興風
0567 君恋ふる涙の床に満ちぬればみをつくしとぞ我はなりける

0568 死ぬる命生きもやすると心見に玉の緒ばかり逢はむと言はなむ

0569 侘びぬればしひて忘れむと思へども夢といふものぞ人頼めなる

                 よみ人しらず
0570 わりなくも寝ても覚めても恋しきか心をいづちやらば忘れむ

0571 恋しきに侘びて魂まどひなば空しきからの名にや残らむ

                 貫之
0572 君恋ふる涙しなくは唐衣胸のあたりは色燃えなまし

     題しらず
0573 世とともに流れてぞ行く涙河冬も凍らぬ水泡なりけり

0574 夢路にも露や置く覧らんよもすがら通へる袖のひちて乾かぬ

                 素性法師
0575 はかなくて夢にも人を見つる夜は朝の床ぞ起き憂かりける

                 藤原忠房
0576 いつはりの涙なりせば唐衣忍びに袖はしぼらざらまし

                 大江千里
0577 音に泣きてひちにしかども春雨に濡れにし袖と問はば答へむ

                 敏行朝臣
0578 我がごとく物や悲しき郭公時ぞともなく夜ただ鳴くらん

                 貫之
0579 五月山梢を高み郭公鳴く音そらなる恋もするかな

                 凡河内躬恒
0580 秋霧の晴るる時なき心には立ちゐの空も思ほえなくに

                 清原深養父
0581 虫のごと声に立てては鳴かねども涙のみこそ下に流るれ

     是貞親王の家の歌合の歌
                 よみ人しらず
0582 秋なれば山とよむまで鳴く鹿に我劣らめや一人寝る夜は

     題しらず
                 貫之
0583 秋の野に乱れて咲ける花の色の千草に物を思ふころかな

                 躬恒
0584 一人して物を思へば秋の田の稲葉のそよと言ふ人のなき

                 深養父
0585 人を思ふ心ばかりにあらねども雲居にのみも鳴き渡るかな哉

                 忠岑
0586 秋風にかきなす琴の声にさへはかなく人の恋しかるらむ

                 貫之
0587 真薦刈る淀の沢水雨降れば常よりことにまさる我が恋

     大和にはべりける人につかはしける
0588 越えぬ間は吉野の山の桜花人づてにのみ聞きわたるかな

     弥生ばかりに、物のたうびける人のもとに又
     人まかりつつ消息すと聞きて、よみてつかは
     しける
0589 露ならぬ心を花に置きそめて風吹くごとに物思ひぞつく

     題しらず
                 坂上是則
0590 我が恋に暗部の山の桜花間なく散るとも数はまさらじ

                 宗岳大頼
0591 冬河の上は凍れる我なれや下に流れて恋ひわたるらん

                 忠岑
0592 たぎつ瀬に根ざしとどめぬ浮草の浮きたる恋も我はするかな

                 友則
0593 宵々に脱ぎて我が寝る狩衣かけて思はぬ時の間もなし

0594 東路の小夜の中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ

0595 しきたへの枕の下に海はあれど人を見るめは生ひずぞありける

0596 年を経て消えぬ思ひはありながら夜の袂はなほ凍りけり

                 貫之
0597 我が恋は知らぬ山路にあらなくにまどふ心ぞ侘びしかりける

0598 紅のふり出でつつ泣く涙には袂のみこそ色まさりけれ

0599 白玉と見えし涙も年経れば唐紅に移ろひにけり

                 躬恒
0600 夏虫を何か言ひけむ心から我も思ひに燃えぬべらなり

                 忠岑
0601 風吹けば峰に別るる白雲の絶えてつれなき君が心か

0602 月影に我が身を変ふる物ならばつれなき人もあはれとや見む

                 深養父
0603 恋ひ死なば誰が名は立たじ世の中の常なき物と言ひはなすとも

                 貫之
0604 津の国の難波の葦の芽もはるに繁き我が恋人知るらめや

0605 手も触れで月日経にける白檀弓起き臥し夜は寝こそ寝られね

0606 人知れぬ思ひのみこそ侘びしけれ我が嘆きをば我のみぞ知る

                 友則
0607 言に出でて言はぬばかりぞ水無瀬川下に通ひて恋しきものを

                 躬恒
0608 君をのみ思ひ寝に寝し夢なれば我が心から見つるなりけり

                 忠岑
0609 命にもまさりて惜しくあるものは見果てぬ夢の覚むるなりけり

                 春道列樹
0610 梓弓引けば本末我が方に寄るこそまされ恋の心は

                 躬恒
0611 我が恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ

0612 我のみぞ悲しかりける彦星も逢はで過ぐせる年しなければ

                 深養父
0613 今ははや恋ひ死なましをあひ見むと頼めし事ぞ命なりける

                 躬恒
0614 頼めつつ逢はで年経るいつはりに懲りぬ心を人は知らなむ

                 友則
0615 命やは何ぞは露のあだ物を逢ふにし変へば惜しからなくに

   古今和歌集巻第十三
    恋歌三
     弥生の朔日より忍びに人に物ら言ひて後に、
     雨のそほ降りけるによみてつかはしける
                 在原業平朝臣
0616 起きもせず寝もせで夜を明かしては春の物とてながめ暮らしつ

     業平朝臣の家にはべりける女のもとによみて
     つかはしける
                 敏行朝臣
0617 つれづれのながめにまさる涙河袖のみ濡れて逢ふよしもなし

     かの女に代はりて返しによめる
                 業平朝臣
0618 浅みこそ袖はひつらめ涙河身さへ流ると聞かば頼まむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0619 寄るべなみ身をこそ遠く隔てつれ心は君が影となりにき

0620 いたづらに行きては来ぬる物ゆゑに見まくほしさに誘はれつつ

0621 逢はぬ夜の降る白雪と積もりなば我さへともに消ぬべきものを
      この歌はある人のいはく、柿本人麿が歌なり

                 業平朝臣
0622 秋の野に笹分けし朝の袖よりも逢はで来し夜ぞひちまさりける

                 小野小町
0623 見るめなき我が身を浦と知らねばや離れなで海人の足たゆく来る

                 源宗于朝臣
0624 逢はずして今宵明けなば春の日の長くや人をつらしと思はむ

                 壬生忠岑
0625 有明けのつれなく見えし別れより暁ばかり憂き物はなし

                 在原元方
0626 逢ふ事の渚にし寄る浪なれば浦見てのみぞ立ち帰りける

                 よみ人しらず
0627 かねてより風に先立つ浪なれや逢ふ事なきにまだき立つらむ

                 忠岑
0628 陸奥に有りと言ふなる名取河無き名取りては苦しかりけり

                 御春有助
0629 あやなくてまだき無き名の龍田河渡らでやまむ物ならなくに

                 元方
0630 人はいさ我は無き名の惜しければ昔も今も知らずとを言はむ

                 よみ人しらず
0631 懲りずまに又も無き名は立ちぬべし人憎からぬ世にし住まへば

     東の五条わたりに、人を知りおきてまかり通
     ひけり。忍びなる所なりければ、門よりしも
     え入らで、垣の崩れより通ひけるを、度重な
     りければ、主人聞きつけて、かの道に夜ごと
     に人を伏せて守らすれば、行きけれど、え逢
     はでのみ帰り来てよみてやりける
                 業平朝臣
0632 人知れぬ我が通路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ

     題しらず
                 貫之
0633 忍ぶれど恋しき時はあしひきの山より月の出でてこそ来れ

                 よみ人しらず
0634 恋ひ恋ひてまれに今宵ぞ逢坂の木綿つけ鳥は鳴かずもあらなん

                 小野小町
0635 秋の夜も名のみなりけり逢ふと言へばことぞともなく明けぬるものを

                 凡河内躬恒
0636 長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の夜なれば

                 よみ人しらず
0637 しののめのほがらほがらと明け行けば己がきぬぎぬなるぞ悲しき

                 藤原国経朝臣
0638 明けぬとて今はの心つくからになど言ひ知らぬ思ひ添ふらむ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 敏行朝臣
0639 明けぬとて帰る道にはこきたれて雨も涙も降りそほちつつ

     題しらず
                 寵
0640 しののめの別れを惜しみ我ぞまづ鳥より先に泣き始めつる

                 よみ人しらず
0641 郭公夢かうつつか朝露の起きて別れし暁の声

0642 玉匣開けば君が名立ちぬべみ夜深く来しを人見けむかも

                 大江千里
0643 今朝は霜起きけむ方も知らざりつ思ひ出づるぞ消えて悲しき

     人に逢ひて朝によみてつかはしける
                 業平朝臣
0644 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな

     業平朝臣の伊勢国にまかりたりける時、斎宮
     なりける人にいと密かに逢ひて、又の朝に人
     やるすべなくて思ひをりける間に、女のもと
     よりおこせたりける
                 よみ人しらず
0645 君や来し我や行きけん思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか

     返し
                 業平朝臣
0646 かき暮らす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ

     題しらず
                 読人しらず
0647 むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり

0648 さ夜更けて天の門渡る月影にあかずも君をあひ見つるかな

0649 君か名も我が名も立てじ難波なる見つとも言ふな逢ひきとも言はじ

650 名取河瀬々の埋もれ木現ればいかにせむとかあひ見そめけむ

0651 吉野河水の心は早くとも滝の音には立てじとぞ思ふ

0652 恋しくはしたにを思へ紫の根摺りの衣色に出づなゆめ

                 小野春風
0653 花薄穂に出でて恋は名を惜しみ下結ふ紐の結ぼほれつつ

     橘清樹のが忍びにあひ知れりける女のもとよ
     りおこせたりける
                 よみ人しらず
0654 思ふどち一人一人が恋ひ死なば誰れによそへて藤衣着む

     返し
                 橘清樹
0655 泣き恋ふる涙に袖のそほちなば脱ぎ替へがてら夜こそは着め

     題しらず
                 小町
0656 うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人目をよくと見るが侘びしさ

0657 限りなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ

0658 夢路には足も休めず通へどもうつつに一目見しごとはあらず

                 よみ人しらず
0659 思へども人目つつみの高ければ河と見ながらえこそ渡らね

0660 たぎつ瀬の早き心を何しかも人目つつみのせきとどむらん

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 紀友則
0661 紅の色には出でじ隠れ沼の下にかよひて恋は死ぬとも

     題しらず
                 躬恒
0662 冬の池に住む鳰鳥のつれもなく底にかよふと人に知らすな

0663 笹の葉に置く初霜の夜を寒みしみはつくとも色に出でめやは

                 よみ人しらず
0664 山科の音羽山の音にだに人の知るべく我が恋ひめかも
      この歌ある人、近江采女となむ申す

                 清原深養父
0665 満つ潮の流れ干る間を逢ひがたみ見るめの浦に寄るをこそ待て

                 平定文
0666 白河の知らずとも言はじ底清み流れて世々に澄まむと思へば

                 友則
0667 下にのみ恋ふれば苦し玉の緒の絶えて乱れむ人なとがめそ

0668 我が恋を忍びかねてはあしひきの山橘の色に出でぬべし

                 よみ人しらず
0669 おほかたは我が名も水門漕ぎ出でなむ世をうみべたに見るめ少なし

                 平定文
0670 枕よりまた知る人もなき恋を涙せきあへず漏らしつるかな

                 よみ人しらず
0671 風吹けば浪打つ岸の松なれや根にあらはれて泣きぬべらなり
      この歌はある人のいはく柿本人麿がなり

0672 池に住む名を鴛鴦の水を浅み隠るとすれど現はれにけり

0673 逢ふことは玉の緒ばかり名の立つは吉野の河のたぎつ瀬のごと

0674 群鳥の立ちにし我が名今さらに事なしぶともしるしあらめや

0675 君により我が名は花に春霞野にも山にも立ち満ちにけり

                 伊勢
0676 知ると言へば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名の空に立つらむ

   古今和歌集巻第十四
    恋歌四
     題しらず
                 よみ人しらず
0677 陸奥の安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ

0678 あひ見ずは恋しき事もなからまし音にぞ人を聞くべかりける

                 貫之
0679 石上布留の中道なかなかに見ずは恋しと思はましやは

                 藤原忠行
0680 君といへば見まれ見ずまれ富士の嶺の珍しげなく燃ゆる我が恋

                 伊勢
0681 夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝な我が面影に恥づる身なれば

                 よみ人しらず
0682 石間行く水の白浪立ち帰りかくこそは見めあかずもあるかな

0683 伊勢の海人の朝な夕なにかづくてふ見るめに人をあくよしもがな

                 友則
0684 春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな

                 深養父
0685 心をぞわりなき物と思ひぬる見る物からや恋しかるべき

                 凡河内躬恒
0686 かれはてむ後をば知らで夏草の深くも人の思ほゆるかな

                 よみ人しらず
0687 飛鳥河淵は瀬になる世なりとも思ひそめてむ人は忘れじ

     寛平御時后宮の歌合の歌
0688 思ふてふ言の葉のみや秋を経て色も変はらぬ物にはあるらん

     題しらず
0689 さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫
      又は宇治の玉姫

0690 君や来む我や行かむのいさよひに槙の板戸も鎖さず寝にけり

                 素性法師
0691 今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

                 よみ人しらず
0692 月夜よし夜よしと人に告げやらば来てふに似たり待たずしもあらず

0693 君来ずは寝屋へもいらじ濃紫わが元結に霜は置くとも

0694 宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て

0695 あな恋し今も見てしか山がつの垣ほに咲ける大和撫子

0696 津国の名には思はず山城のとはにあひ見む事をのみこそ

                 貫之
0697 敷島の大和にはあらぬ唐衣ころも経ずして逢ふよしもがな

                 深養父
0698 恋しとは誰が名づけけむ事ならむ死ぬとぞただに言ふべかりける

                 よみ人しらず
0699 み吉野の大河のへの藤波の並に思はば我が恋ひめやは

0700 かく恋ひむものとは我も思ひにき心のうらぞまさしかりける

0701 天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは

0702 梓弓ひき野のつづら末つひに我が思ふ人に事のしげけむ
      この歌はある人、天帝の近江采女にたまひけるとなむ申す

0703 夏引きの手引きの糸を繰り返し事しげくとも絶えむと思ふな
      この歌は返しによみて奉りけるとなむ

0704 里人の事は夏野の繁くともかれゆく君に逢はざらめやは

     藤原敏行朝臣の、業平朝臣の家なりける女を
     あひ知りて文つかはせりける言葉に「今まう
     で来、雨の降りけるをなむ見わづらひはべる」
     と言へりけるを聞きて、かの女に代はりてよ
     めりける
                 在原業平朝臣
0705 数々に思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる

     ある女の、「業平朝臣を所定めず歩きす」と
     思ひてよみてつかはしける
                 よみ人しらず
0706 大幣の引くてあまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ

     返し
                 業平朝臣
0707 大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを

     題しらず
                 よみ人しらず
0708 須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり

0709 玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげもなし

0710 誰が里に夜離れをしてか郭公ただここにしも寝たる声する

0711 いで人は事のみぞよき月草のうつし心は色ことにして

0712 いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし

0713 いつはりと思ふものから今さらに誰がまことをか我は頼まむ

                 素性法師
0714 秋風に山の木の葉の移ろへば人の心もいかがとぞ思ふ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 友則
0715 蝉の声聞けば悲しな夏衣薄くや人のならむと思へば

     題しらず
                 よみ人しらず
0716 空蝉の世の人言のしげければ忘れぬものの離れぬべらなり

0717 あかでこそ思はむ仲は離れなめそをだに後の忘れがたみに

0718 忘れなむと思ふ心のつくからにありしよりけにまづぞ恋しき

0719 忘れなん我を恨むな郭公人の秋には逢はむともせず

0720 絶えず行く飛鳥の河のよどみなば心あるとや人の思はむ
      この歌ある人のいはく、中臣東人が歌なり

0721 淀河のよどむと人は見るらめど流れて深き心あるものを

                 素性法師
0722 底ひなき淵やは騒ぐ山河の浅き瀬にこそあだ浪は立て

                 よみ人しらず
0726 紅の初花染めの色深く思ひし心我忘れめや

                 河原左大臣
0724 陸奥のしのぶもぢずり誰れゆゑに乱れむと思ふ我ならなくに

                 よみ人しらず
0725 思ふよりいかにせよとか秋風になびく浅茅の色ことになる

0726 千々の色に移ろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば

                 小野小町
0727 海人の住む里のしるべにあらなくに浦見むとのみ人の言ふらむ

                 下野雄宗
0728 曇り日の影としなれる我なれば目にこそ見えね身をば離れず

                 貫之
0729 色もなき心を人に染めしより移ろはむとは思ほえなくに

                 よみ人しらず
0730 めづらしき人を見むとやしかもせぬ我が下紐の解けわたるらむ

0731 かげろふのそれかあらぬか春雨の降る日となれば袖ぞ濡れぬる

0732 堀江漕ぐ棚無し小舟漕ぎ返り同じ人にや恋ひわたりなむ

                 伊勢
0733 わたつみとあれにし床を今さらに払はば袖や泡と浮きなむ

                 貫之
0734 いにしへになほ立ち帰る心かな恋しきことに物忘れせで

     人を忍びにあひ知りて、逢ひがたくありけれ
     ば、その家のあたりをまかり歩きける折に、
     雁の鳴くを聞きてよみてつかはしける
                 大伴黒主
0735 思ひ出でて恋しき時は初雁の鳴きて渡ると人知るらめや

     右大臣、住まずなりにければ、かの昔おこせ
     たりける文どもを取り集めて、返すとてよみ
     て贈りける
                 典侍藤原因香朝臣
0736 頼めこし言の葉は今は返してむ我が身古るれば置き所なし

     返し
                 近院右大臣
0737 今はとて返す言の葉拾ひ置きて己が物から形見とや見む

     題しらず
                 因香朝臣
0738 玉桙の道は常にもまどはなん人を問ふとも我かと思はむ

                 よみ人しらず
0739 待てと言はば寝ても行かなんしひて行く駒の足折れ前の棚橋

     中納言源昇朝臣の、近江介にはべりける時、
     よみてやれりける
                 閑院
0740 逢坂の木綿つけ鳥にあらばこそ君が行き来を鳴く鳴くも見め

     題しらず
                 伊勢
0741 古里にあらぬものから我がために人の心の荒れて見ゆらむ

                 寵
0742 山がつの垣ほにはへる青つづら人は来れども言づてもなし

                 酒井人真
0743 大空は恋しき人の形見かは物思ふごとにながめらるらむ

                 よみ人しらず
0744 逢ふまでの形見も我は何せむに見ても心の慰まなくに

     親の守りける人の女に、いと忍びに逢ひて物
     ら言ひける間に、親の呼ぶと言ひければ、急
     ぎて帰るとて、裳をなむ脱ぎ置きて入りにけ
     る。その後、裳を返すとてよめる
                 興風
0745 逢ふまでの形見とてこそ留めけめ涙に浮かぶ藻屑なりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0746 形見こそ今はあだなれこれなくは忘るる時もあらましものを

   古今和歌集巻第十五
    恋歌五
     五条后宮の西対に住みける人に、本意にはあ
     らで物言ひわたりけるを、睦月の十日余りに
     なむ、ほかへ隠れにける。あり所は聞きけれ
     ど、え物も言はで又の年の春、梅の花盛りに
     月のおもしろかりける夜、去年を恋ひて、か
     の西対に行きて、月の傾くまで、あばらなる
     板敷に臥せりてよめる
                 在原業平朝臣
0747 月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つは本の身にして

     題しらず
                 藤原仲平朝臣
0748 花薄我こそ下に思ひしか穂に出でて人に結ばれにけり

                 藤原兼輔朝臣
0749 よそにのみ聞かましものを音羽河渡るとなしに身なれそめけむ

                 凡河内躬恒
0750 我がごとく我を思はむ人もがなさてもや憂きと世を心見む

                 元方
0751 久方の天つ空にも住まなくに人はよそにぞ思ふべらなる

                 よみ人しらず
0752 見ても又またも見まくの欲しければなるるを人は厭ふべらなり

                 紀友則
0753 雲もなく凪ぎたる朝の我なれや厭はれてのみ世をば経ぬらむ

                 よみ人しらず
0754 花がたみめならぶ人のあまたあれば忘られぬらん数ならぬ身は

0755 浮きめのみ生ひて流るる浦なれば刈りにのみこそ海人は寄るらめ

                 伊勢
0756 逢ひに逢ひて物思ふころの我が袖に宿る月さへ濡るる顔なる

                 よみ人しらず
0757 秋ならで置く白露は寝覚めする我が手枕の滴なりけり

0758 須磨の海人の塩焼き衣をさを粗み間遠にあれや君が来まさぬ

0759 山城の淀の若菰刈りにだに来ぬ人頼む我ぞはかなき

0760 あひ見ねば恋こそまされ水無瀬川何に深めて思ひそめけむ

0761 暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜は我ぞかずかく

0762 玉かづら今は絶ゆとや吹く風の音にも人の聞こえざるらん

0763 我が袖にまだき時雨の降りぬるは君が心に秋や来ぬらむ

0764 山の井の浅き心も思はぬを影ばかりのみ人の見ゆらむ

0765 忘草種採らましを逢ふことのいとかくかたき物と知りせば

0766 恋ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢路にさへや生ひ茂るらむ

0767 夢にだに逢ふことかたくなりゆくは我や寝を寝ぬ人や忘るる

                 兼芸法師
0768 唐土も夢に見しかば近かりき思はぬ仲ぞはるけかりける

                 貞登
0769 一人のみながめ古屋のつまなれば人を忍の草ぞ生ひける

                 僧正遍昭
0770 我が宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせしまに

0771 今来むと言ひて別れし朝より思ひ暮らしの音をのみぞ泣く

                 よみ人しらず
0772 来めやとは思ふものからひぐらしの鳴く夕暮れは立ち待たれつつ

0773 今しはと侘びにしものをささがにの衣にかかり我を頼むる

0774 今は来じと思ふものから忘れつつ待たるる事のまだもやまぬか

0775 月夜には来ぬ人待たるかき曇り雨も降らなん侘びつつも寝む

0776 植ゑて往にし秋田刈るまで見え来ねば今朝初雁の音にぞ鳴きぬる

0777 来ぬ人を待つ夕暮れの秋風はいかに吹けばか侘びしかるらむ

0778 久しくもなりにけるかな住の江の松は苦しき物にぞありける

                 兼覧王
0779 住の江の松ほど久になりぬれば葦田鶴の音に鳴かぬ日はなし

     仲平朝臣、あひ知りてはべりけるを、離れ方
     になりにければ、父が大和守にはべりけるも
     とへまかるとて、よみてつかはしける
                 伊勢
0780 三輪の山いかに待ち見む年経とも尋ぬる人もあらじと思へば

     題しらず
                 雲林院親王
0781 吹きまよふ野風を寒み秋萩の移りも行くか人の心の

                 小野小町
0782 今はとて我が身時雨に古りぬれば言の葉さへに移ろひにけり

     返し
                 小野貞樹
0783 人を思ふ心の木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ

     業平朝臣、紀有常が女に住みけるを、恨むる
     ことありて、しばしの間、昼は行て夕さりは
     帰りのみしければ、よみてつかはしける
0784 天雲のよそにも人のなり行くかさすがに目には見ゆるものから

     返し
                 業平朝臣
0785 行き帰り空にのみして経ることは我が居る山の風早みなり

     題しらず
                 景式王
0786 唐衣なれば身にこそまつはれめかけてのみやは恋ひむと思ひし

                 友則
0787 秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心の空になるらむ

                 源宗于朝臣
0788 つれもなくなりゆく人の言の葉ぞ秋より先の紅葉なりける

     心地損へりけるころ、あひ知りてはべりける
     人の訪はで、心地おこたりて後、訪へりけれ
     ば、よみてつかはしける
                 兵衛
0789 死出の山麓を見てぞ帰りにしつらき人よりまづ越えじとて

     あひ知れりける人の、やうやく離れがたにな
     りける間に、焼けたる茅の葉に文を挿してつ
     かはせりける
                 小町姉
0790 時過ぎて離れゆく小野の浅茅には今は思ひぞ絶えず燃えける

     物思ひけるころ、ものへまかりける道に、野
     火の燃えけるを見てよめる
                 伊勢
0791 冬枯れの野辺と我が身を思ひせば燃えても春を待たましものを

     題しらず
                 友則
0792 水の泡の消えで憂き身と言ひながら流れてなほも頼まるるかな

                 よみ人しらず
0793 水無瀬川ありて行く水なくはこそつひに我が身を絶えぬと思はめ

                 躬恒
0794 吉野川よしや人こそつらからめ早く言ひてし事は忘れじ

                 よみ人しらず
0795 世の中の人の心は花染めの移ろひやすき色にぞありける

0796 心こそうたて憎けれ染めざらば移ろふ事も惜しからましや

                 小町
0797 色見えで移ろふ物は世の中の人の心の花にぞありける

                 よみ人しらず
0798 我のみや世を鴬と鳴き侘びむ人の心の花と散りなば

                 素性法師
0799 思ふとも離れなむ人をいかがせむあかず散りぬる花とこそ見め

                 よみ人しらず
0800 今はとて君が離れなば我が宿の花をば一人見てや忍ばむ

                 宗于朝臣
0801 忘草枯れもやするとつれもなき人の心に霜は置かなむ

     寛平御時、御屏風に歌書かせたまひける時、
     よみてかきける
                 素性法師
0802 忘草何をか種と思ひしはつれなき人の心なりけり

     題しらず
0803 秋の田の稲てふこともかけなくに何を憂しとか人の刈るらむ

                 紀貫之
0804 初雁の鳴きこそ渡れ世の中の人の心の秋し憂ければ

                 よみ人しらず
0805 あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいと流るらん

0806 身を憂しと思ふに消えぬ物なればかくても経ぬる世にこそありけれ

                 典侍藤原直子朝臣
0807 海人の刈る藻に住む虫の我からと音をこそ泣かめ世をば恨みじ

                 因幡
0808 あひ見ぬも憂きも我が身の唐衣思ひ知らずも解くる紐かな

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 菅野忠臣
0809 つれなきを今は恋しと思へども心弱くも落つる涙か

     題しらず
                 伊勢
0810 人知れず絶えなましかば侘びつつも無き名ぞとだに言はましものを

                 よみ人しらず
0811 それをだに思ふ事とて我が宿を見きとな言ひそ人の聞かくに

0812 逢ふことのもはら絶えぬる時にこそ人の恋しき事も知りけれ

0813 侘び果つる時さへ物の悲しきはいづこを忍ぶ涙なるらむ

                 藤原興風
0814 恨みても泣きても言はむ方ぞなき鏡に見ゆる影ならずして

                 よみ人しらず
0815 夕されば人なき床をうち払ひ嘆かむためとなれる我が身か

0816 わたつみの我が身越す浪立ち返り海人の住むてふ浦見つるかな

0817 新小田を粗すき返し返しても人の心を見てこそやまめ

0818 有磯海の浜の真砂と頼めしは忘るる事の数にぞありける

0819 葦辺より雲居をさして行く雁のいや遠ざかる我が身悲しも

0820 時雨れつつもみづるよりも言の葉の心の秋に逢ふぞ侘びしき

0821 秋風の吹きと吹きぬる武蔵野はなべて草葉の色変はりけり

                 小町
0822 秋風にあふ田の実こそ悲しけれ我が身むなしくなりぬと思へば

                 平定文
0823 秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみてもなほ恨めしきかな

                 よみ人しらず
0824 秋と言へばよそにぞ聞きしあだ人の我を古せる名にこそありけれ

0825 忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞ経にける
      又はこなたかなたに人も通はず

                 坂上是則
0826 逢ふことを長柄の橋のながらへて恋ひわたる間に年ぞ経にける

                 友則
0827 浮きながら消ぬる泡ともなりななむ流れてとだに頼まれぬ身は

                 よみ人しらず
0828 流れては妹背の山の中に落つる吉野の河のよしや世の中

   古今和歌集巻第十六
    哀傷歌
     妹の身まかりにける時よみける
                 小野篁朝臣
0829 泣く涙雨と降らなん渡河水まさりなば帰り来るがに

     前太政大臣を白河のあたりに送りける夜よめ
     る
                 素性法師
0830 血の涙落ちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそありけれ

     堀川太政大臣、身まかりにける時に、深草の
     山に修めてける後によみける
                 僧都勝延
0831 空蝉はか殻を見つつも慰めつ深草の山煙だに立て

                 上野岑雄
0832 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

     藤原敏行朝臣の身まかりにける時によみて、
     かの家につかはしける
                 紀友則
0833 寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける

     あひ知れりける人の身まかりにければよめる
                 紀貫之
0834 夢とこそ言ふべかりけれ世の中にうつつある物と思ひけるかな

     あひ知れりける人の身まかりにける時によめ
     る
                 壬生忠岑
0835 寝るがうちに見るをのみやは夢と言はむはかなき世をもうつつとは見ず

     姉の身まかりにける時によめる
0836 瀬を塞けば淵となりても淀みけり別れを止むるしがらみぞなき

     藤原忠房が、昔あひ知りてはべりける人の、
     身まかりにける時に、弔ひにつかはすとてよ
     める
                 閑院
0837 先立たぬ悔いの八千たび悲しきは流るる水の帰り来ぬなり

     紀友則が身まかりにける時よめる
                 貫之
0838 明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ

                 忠岑
0839 時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを

     母が喪にてよめる
                 凡河内躬恒
0840 神無月時雨に濡るるもみぢ葉はただ侘び人の袂なりけり

     父が喪にてよめる
                 忠岑
0841 藤衣はつるる糸は侘び人の涙の玉の緒とぞなりける

     喪にはべりける年の秋、山寺へまかりける道
     にてよめる
                 貫之
0842 朝露のおくての山田かりそめに憂き世の中を思ひぬるかな

     喪にはべりける人を、弔ひにまかりてよめる
                 忠岑
0843 墨染の君が袂は雲なれや絶えず涙の雨とのみ降る

     女の親の喪にて山寺にはべりけるを、ある人
     の弔ひつかはせりければ、返事によめる
                 よみ人しらず
0844 あしひきの山辺に今は墨染の衣の袖は干る時もなし

     諒闇の年、池のほとりの花を見てよめる
                 篁朝臣
0845 水の面にしづく花の色さやかにも君がみ影の思ほゆるかな

     深草帝の御国忌の日よめる
                 文室康秀
0846 草深き霞の谷に影隠し照る日の暮れし今日にやはあらぬ

     深草帝の御時に、蔵人頭にて、夜昼なれ仕う
     まつりけるを、諒闇になりにければ、さらに
     世にも交じらずして、比叡山に登りて、頭下
     ろしてけり。その又の年、みな人御服脱ぎて、
     あるはかうぶり賜はりなど、喜びけるを聞き
     てよめる
                 僧正遍昭
0847 みな人は花の衣になりぬなり苔の袂よ乾きだにせよ

     河原大臣の、身まかりての秋、かの家のほと
     りをまかりけるに、紅葉の色まだ深くもなら
     ざりけるを見て、かの家によみて入れたりけ
     る
                 近院右大臣
0848 うちつけに寂しくもあるかもみぢ葉も主なき宿は色なかりけり

     藤原高経朝臣の、身まかりての又の年の夏、
     郭公の鳴きけるを聞きてよめる
                 貫之
0849 郭公今朝鳴く声におどろけば君を別れし時にぞありける

     桜を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべ
     き時に、かの植ゑける人、身まかりにければ、
     その花を見てよめる
                 紀茂行
0850 花よりも人こそあだになりにけれいづれを先に恋ひむとか見し

     主人、身まかりにける人の家の梅の花を見て
     よめる
                 貫之
0851 色も香も昔の濃さに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき

     河原左大臣の身まかりての後、かの家にまか
     りてありけるに、塩釜といふ所のさまを作れ
     りけるを見てよめる
0852 君まさで煙絶えにし塩釜の浦寂しくも見えわたるかな

     藤原利基朝臣の、右近中将にて住みはべりけ
     る曹司の、身まかりて後、人も住まずなりに
     けるを、秋の夜更けて、ものよりまうで来け
     るついでに見入れければ、元ありし前栽もい
     と繁く荒れたりけるを見て、早くそこにはべ
     りければ、昔を思ひやりてよみける
                 御春有助
0853 君が植ゑし一群薄虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな

     惟喬親王の、父のはべりけむ時によめりけむ
     歌どもと乞ひければ、書きて送りける奥によ
     みて書けりける
                 友則
0854 ことならば言の葉さへも消えななむ見れば涙のたぎまさりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0855 なき人の宿に通はば郭公かけて音にのみ鳴くと告げなん

0856 誰れ見よと花咲けるらん白雲の立つ野と早くなりにしものを

     式部卿親王、閑院の五内親王に住みわたりけ
     るを、いくばくもあらで、女の身まかりにけ
     る時に、かの親王住みける帳のかたびらの紐
     に、文を結ひ付けたりけるを取りて見れば、
     昔の手にてこの歌をなむ書きつけたりける
0857 かずかずに我を忘れぬものならば山の霞をあはれとは見よ

     男の、人の国にまかれりける間に、女にはか
     に病をして、いと弱くなりにける時、よみ置
     きて身まかりにける
                 よみ人しらず
0858 声をだに聞かで別るる魂よりもなき床に寝む君ぞ悲しき

     病にわづらひはべりける秋、心地の頼もしげ
     なくおほえけれはよみて人のもとにつかはし
     ける
                 大江千里
0859 もみぢ葉を風にまかせて見るよりもはかなき物は命なりけり

     身まかりなむとてよめる
                 藤原惟幹
0860 露をなどあだなる物と思ひけむ我が身も草に置かぬばかりを

     病して弱くなりにける時よめる
                 業平朝臣
0861 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

     甲斐国にあひ知りてはべりける人弔はむとて
     まかりけるを、道中にてにはかに病をして、
     いまいまとなりにければ、よみて京にもてま
     かりて、「母に見せよ」と言ひて、人に付け
     はべりける歌
                 在原滋春
0962 かりそめの行きかひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりけり

   古今和歌集巻第十七
    雑歌上
     題しらず
                 よみ人しらず
0863 我が上に露ぞ置くなる天の河門わたる舟の櫂の雫か

0864 思ふどち円居せる夜は唐錦たたまく惜しきものにぞありける

0865 うれしきを何に包まむ唐衣袂豊かに裁てと言はましを

0966 限りなき君がためにと折る花は時しも分かぬ物にぞありける
      ある人のいはく、この歌は前大臣のなり

0867 紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ見る

     妻の弟を持てはべりける人に袍を贈るとてよ
     みてやりける
                 業平朝臣
0868 紫の色濃き時は目もはるに野なる草木ぞ別れざりける

     大納言藤原国経朝臣の、宰相より中納言にな
     りける時に、染めぬ袍綾を贈るとてよめる
                 近院右大臣
0869 色なしと人や見るらむ昔より深き心に染めてしもおのを

     石上の並松が、宮仕へもせで石上といふ所に
     こもりはべりけるを、にはかにかうぶり賜れ
     りければ、喜び言ひつかはすとて、よみてつ
     かはしける
                 布留今道
0870 日の光薮し分かねば石上古りにし里に花も咲きけり

     二条后のまだ東宮御息所と申しける時に、大
     原野に詣でたまひける日よめる
                 業平朝臣
0871 大原や小塩の山も今日こそは神世の事も思ひ出づらめ

     五節舞姫を見てよめる
                 良岑宗貞
0872 天つ風雲の通路吹き閉ぢよ乙女の姿しばし留めむ

     五節の朝に、簪の玉の落ちたりけるを見て、
     誰がならむと訪らひてよめる
                 河原左大臣
0873 主や誰れ問へど白玉言はなくにさらばなべてやあはれと思はむ

     寛平御時、殿上のさぶらひにはべりける男ど
     も、瓶を持たせて、后宮の御方に大御酒の下
     ろしと聞こえに奉りたりけるを、蔵人ども笑
     ひて瓶を御前に持て出でて、ともかくも言は
     ずなりにければ、使ひの帰り来て、「さなむ
     ありつる」と言ひければ、蔵人の中に贈りけ
     る
                 敏行朝臣
0874 玉垂れの小瓶やいづらこよろぎの磯の浪分け沖に出でにけり

     女どもの見て笑ひければよめる
                 兼芸法師
0875 かたちこそ深山隠れの朽木なれ心は花になさばなりなん

     方違へに人の家にまかれりける時に、主人の
     衣を着せたりけるを、朝に返すとてよみける
                 紀友則
0876 蝉の羽の夜の衣は薄けれど移り香濃くも匂ひぬるかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0877 遅く出づる月にもあるかなあしひきの山のあなたも惜しむべらなり

0878 我が心慰さめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て

                 業平朝臣
0879 おほかたは月をも賞でじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの

     月おもしろしとて、凡河内躬恒がまうで来た
     りけるによめる
                 紀貫之
0880 かつ見れば疎くもあるかな月影のいたらぬ里もあらじと思へば

     池に月の見えけるをよめる
0881 二つなき物と思ひしを水底に山の端ならで出づる月影

     題しらず
                 よみ人しらず
0882 天の河雲の水脈にて早ければ光留めず月ぞ流るる

0883 あかずして月の隠るる山本はあなたおもてぞ恋しかりける

     惟喬親王の狩しける供にまかりて、宿りに帰
     りて、夜一夜酒を呑み物語をしけるに、十一
     日の月も隠れなむとしける折に、親王酔ひて
     内へ入いりなむとしければ、よみはべりける
                 業平朝臣
0884 あかなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ

     田村帝御時に、斎院にはべりける慧子内親王
     を、「母過ちあり」と言ひて、斎院を替へら
     れむとしけるを、その事止みにければよめる
                 尼敬信
0885 大空を照り行く月し清ければ雲隠せども光消なくに

     題しらず
                 よみ人しらず
0886 石上ふるから小野のもと柏本の心は忘られなくに

0887 いにしへの野中の清水ぬるけれど本の心を知る人ぞ汲む

0888 いにしへの倭文の苧環卑しきも良きも盛りはありしものなり

0889 今こそあれ我も昔は男山栄行く時もありこしものを

0890 世の中にふりぬる物は津国の長柄の橋と我となりけり

0891 笹の葉に降り積む雪の末を重み本くたち行く我が盛りはも

0892 大荒木の森の下草老いぬれば駒もすさめず刈る人もなし
      又は、さくら麻の麻生の下草老いぬれば

0893 数ふれば止まらぬものを年と言ひて今年はいたく老いぞしにける

0894 おしてるや難波の水にやく塩のからくも我は老いにけるかな
      又は、大伴の御津の浜辺に

0895 老いらくの来むと知りせば門さしてなしと答へて逢はざらましを
      この三つの歌は、昔ありける三人の翁のよめるとなむ

0896 さかさまに年も行かなん取りもあへず過ぐる齢やともに帰ると

0897 取りとむる物にしあらねば年月をあはれあな憂と過ぐしつるかな

0898 留めあへずむべも年とは言はれけりしかもつれなく過ぐる齢か

0899 鏡山いざ立ち寄りて見て行かむ年経ぬる身は老いやしぬると
      この歌は、ある人のいはく大伴黒主がなり

     業平朝臣の母内親王、長岡に住みはべりける
     時に、業平宮仕へすとて、時々もえまかり訪
     らはずはべりければ、師走ばかりに母内親王
     のもとより、「とみの事」とて、文を持てま
     うで来たり。開けて見れば、言葉はなくて、
     ありける歌
0900 老いぬればさらぬ別れもありと言へばいよいよ見まくほしき君かな

     返し
                 業平朝臣
0901 世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 在原棟梁
0902 白雪の八重降りしけるかへる山かへるがへるも老いにけるかな

     同じ御時の殿上のさぶらひにて、男どもに大
     御酒たまひて、大御遊びありけるついでに仕
     うまつれる
                 敏行朝臣
0903 老いぬとてなどか我が身を責めきけむ老いずは今日に逢はましものか

     題しらず
                 よみ人しらず
0904 ちはやぶる宇治の橋守なれをしぞあはれとは思ふ年の経ぬれば

0905 我見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いく世経らん

0906 住吉の岸の姫松人ならばいく世か経しと問はましものを

0907 梓弓磯辺の小松誰が世にかよろづ世かねて種をまきけむ
     この歌は、ある人のいはく柿本人麿がなり

0908 かくしつつ世をや尽くさむ高砂の尾上に立てる松ならなくに

                 藤原興風
0909 誰れをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに

                 よみ人しらず
0910 わたつ海の沖つ潮合に浮かぶ泡の消えぬものから寄る方もなし

0911 わたつ海のかざしにさせる白砂の浪もて結へる淡路島山

0912 わたの原寄せ来る浪のしばしばも見まくのほしき玉津島かも

0913 難波潟潮満ち来らし海人衣田蓑島に田鶴鳴きわたる

     貫之が和泉国にはべりける時に、大和より越
     えまうで来て、よみてつかはしける
                 藤原忠房
0914 君を思ひおきつの浜に鳴く田鶴の尋ね来ればぞありとだに聞く

     返し
                 貫之
0915 沖つ浪高しの浜の浜松の名にこそ君を待ちわたりつれ

     難波にまかれりける時よめる
0916 難波潟生ふる玉藻をかりそめの海人とぞ我はなりぬべらなる

     あひ知れりける人の住吉に詣でけるに、よみ
     てつかはしける
                 壬生忠岑
0917 住吉と海人は告ぐとも長居すな人忘草生ふと言ふなり

     難波へまかりける時、田蓑島にて雨に遭ひて
     よめる
                 貫之
0918 雨により田蓑島を今日行けど名には隠れぬ物にぞありける

     法皇西河におはしましたりける日、「鶴洲に
     立てり」といふことを題にて、よませたまひ
     ける
0919 葦田鶴の立てる河辺を吹く風に寄せて帰らぬ浪かとぞ見る

     中務親王の家の池に、舟を作りて下ろし、初
     めて遊びける日、法皇御覧じにおはしました
     りけり。夕さりつ方、帰りおはしまさむとし
     ける折に、よみて奉りける
                 伊勢
0920 水の上に浮かべる舟の君ならばここぞ泊りと言はましものを

     唐琴といふ所にてよめる
                 真静法師
0921 都まで響き通へるからことは浪の緒すげて風ぞ弾きける

     布引の滝にてよめる
                 在原行平朝臣
0922 こき散らす滝の白玉拾ひ置きて世の憂き時の涙にぞかる

     布引の滝のもとにて人びと集りて歌よみける
     時によめる
                 業平朝臣
0923 抜き見たる人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖の狭きに

     吉野の滝を見てよめる
                 承均法師
0924 誰がために引きてさらせる布なれや世を経て見れど取る人もなき

     題しらず
                 神退法師
0925 清滝の瀬々の白糸繰りためて山わけ衣織りて着ましを

     竜門にまうでて滝のもとにてよめる
                 伊勢
0926 裁ち縫はぬ衣着し人もなきものを何山姫の布晒すらむ

     朱雀院帝、布引の滝御覧ぜむとて、文月の七
     日の日、おはしましてありける時、さぶらふ
     人びとに歌よませたまひけるによめる
                 橘長盛
0927 主なくて晒せる布を棚機に我が心とや今日はかさまし

     比叡山なる音羽の滝の滝を見てよめる
                 忠岑
0928 落ちたぎつ滝の水神年積もり老いにけらしな黒き筋なし

     同じ滝をよめる
                 躬恒
0929 風吹けど所もさらぬ白雲は世を経て落つる水にぞありける

     田村御時に、女房のさぶらひにて、御屏風の
     絵御覧じけるに、「滝落ちたりける所おもし
     ろし。これを題にて歌よめ」と、さぶらふ人
     に仰せられければ
                 三条町
0930 思ひせく心の内の滝なれや落つとは見れど音の聞こえぬ

     屏風の絵なる花をよめる
                 貫之
0931 咲きそめし時より後はうちはへて世は春なれや色の常なる

     屏風の絵によみあはせて書きける
                 坂上是則
0932 刈りて干す山田の稲のこきたれて鳴きこそわたれ秋の憂ければ

   古今和歌集巻第十八
    雑歌下
     題しらず
                 よみ人しらず
0933 世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

0934 いく世しもあらじ我が身をなぞもかく海人の刈る藻に思ひ乱るる

0935 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の中の憂さ

                 小野篁朝臣
0936 しかりとて背かれなくに事しあればまづ嘆かれぬあな憂世の中

     甲斐守にはべりける時、京へまかり上りける
     人につかはしける
                 小野貞樹
0937 都人いかがと問はば山高み晴れぬ雲居に侘ぶと答へよ

     文室康秀、三河掾になりて、「県見にはえ出
     で立たじや」と、言ひやれりける返事によめ
     る
                 小野小町
0938 侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ

     題しらず
0939 あはれてふ事こそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ

                 よみ人しらず
0940 あはれてふ言の葉ごとに置く露は昔を恋ふる涙なりけり

0941 世の中の憂きもつらきも告げなくにまづ知る物は涙なりけり

0942 世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ

0943 世の中にいづら我が身のありてなしあはれとや言はむあな憂とや言はむ

0944 山里は物の侘びしき事こそあれ世の憂きよりは住みよかりけり

                 惟喬親王
0945 白雲の絶えずたなびく峰にだに住めば住みぬる世にこそ有ありけれ

                 布留今道
0946 知りにけむ聞きても厭へ世の中は浪の騒ぎに風ぞしくめる

                 素性
0947 いづくにか世をば厭はむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ

                 よみ人しらず
0948 世の中は昔よりやは憂かりけむ我が身一つのためになれるか

0949 世の中を厭ふ山辺の草木とやあな卯の花の色に出でにけむ

0950 み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ

0951 世に経れば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏みならしてむ

0952 いかならん巌の中に住まばかは世の憂き事の聞こえ来ざらん

0953 あしひきの山のまにまに隠れなん憂き世の中はあるかひもなし

0954 世の中の憂けくに飽きぬ奥山の木の葉に降れる雪や消なまし

     同じ文字なき歌
                 物部良名
0955 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ

     山の法師のもとへつかはしける
                 凡河内躬恒
0956 世を捨てて山に入る人山にてもなほ憂き時はいづち行くらむ

     物思ひける時、幼き子を見てよめる
0957 今さらに何生ひ出づらん竹の子の憂き節しげき世とは知らずや

     題しらず
                 よみ人しらず
0958 世に経れば言の葉しげき呉竹の憂き節ごとに鴬ぞ鳴く

0959 木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしに我が身はなりぬべらなり
      ある人のいはく、高津内親王の歌なり

0960 我が身から憂き世の中と名づけつつ人のためさへ悲しかるらむ

     隠岐国に流されてはべりける時によめる
                 篁朝臣
0961 思ひきやひなの別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは

     田村御時に、事に当りて津国の須磨といふ所
     に籠りはべりけるに、宮の内にはべりける人
     につかはしける
                 在原行平朝臣
0962 わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ

     左近将監解けてはべりける時に、女の訪らひ
     におこせたりける返事に、よみてつかはしけ
     る
                 小野春風
0963 天彦の訪づれじとぞ今は思ふ我か人かと身をたどる世に

     官解けてはべりける時よめる
                 平定文
0964 憂き世には門させりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする

0965 ありはてぬ命待つ間のほどばかり憂きことしげく思はずもがな

     親王宮の帯刀にはべりけるを宮仕へ仕うまつ
     らずとて、解けてはべりける時によめる
                 宮道樹興
0966 筑波嶺の木のもとごとに立ちぞ寄る春のみ山の蔭を恋ひつつ

     時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆く
     を見て、自らの嘆きもなく喜びもなきことを
     思ひてよめる
                 清原深養父
0967 光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし

     桂にはべりける時に、七条中宮の問はせたま
     へりける御返事に、奉れりける
                 伊勢
0968 久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる

     紀利貞が阿波介にまかりける時に、餞別せむ
     とて、今日と言ひ送れりける時に、ここかし
     こにまかり歩きて、夜更くるまで見えざりけ
     ればつかはしける
                 業平朝臣
0969 今ぞ知る苦しき物と人待たむ里をば離れず訪ふべかりけり

     惟喬親王のもとにまかり通ひけるを、頭下ろ
     して、小野といふ所にはべりけるに、正月に
     訪らはむとてまかりたりけるに、比叡山の麓
     なりければ、雪いと深かりけり。しひてかの
     室にまかり至りて拝みけるに、つれづれとし
     ていと物悲しくて、帰りまうで来てよみて贈
     りける
0970 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは

     深草の里に住みはべりて、京へまうで来とて、
     そこなりける人によみて贈りける
0971 年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草の野とやなりなん

     返し
                 よみ人しらず
0972 野とならば鶉と鳴きて年は経む狩りにだにやは君は来ざらむ

     題しらず
0973 我を君難波の浦にありしかば憂きめを三津の尼となりにき
      この歌は、ある人、「むかし男ありける女
      の、男訪はずなりにければ、難波なる三津
      寺にまかりて尼になりて、よみて男につか
      はせりける」となむ言へる
     返し
0974 難波潟恨むべき間も思ほえずいづこを三津の尼とかはなる

0975 今さらに訪ふべき人も思ほえず八重葎して門させりてへ

     友達の久しうまうで来ざりけるもとに、よみ
     てつかはしける
                 躬恒
0976 水の面に生ふる五月の浮草の憂きことあれや根を絶えて来ぬ

     人を訪はで久しうありける折に、あひ恨みけ
     ればよめる
0977 身を捨てて行きやしにけむ思よりほかなる物は心なりけり

     宗岳大頼が越よりまうで来たりける時に、雪
     の降りけるを見て、「己が思ひは、この雪の
     ごとくなむ積もれる」と言ひける折によめる
0978 君が思ひ雪と積もらば頼まれず春より後はあらじと思へば

     返し
                 宗岳大頼
0979 君をのみ思ひ越路の白山はいつかは雪の消ゆる時ある

     越なりける人につかはしける
                 紀貫之
0980 思ひやる越の白山知らねども一夜も夢に越えぬ夜ぞなき

     題しらず
                 よみ人しらず
0981 いざここに我が世は経なむ菅原や伏見の里の荒れまくも惜し

0982 我が庵わは三輪の山本恋しくは訪らひ来ませ杉立てる門

                 喜撰法師
0983 我が庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり

                 よみ人しらず
0984 荒れにけりあはれいく世の宿なれや住みけむ人の訪れもせぬ

     奈良へまかりける時に、荒れたる家に女の琴
     弾きけるを聞きて、よみて入れたりける
                 良岑宗貞
0985 侘び人の住むべき宿と見るなへに嘆き加はる琴の音ぞする

     初瀬に詣づる道に奈良の京に宿れりける時よ
     める
                 二条
0986 人ふるす里を厭ひて来しかども奈良の都も憂き名なりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0987 世の中はいづれかさして我がならむ行き止るをぞ宿と定むる

0988 逢坂の嵐の風は寒けれど行方知らねば侘びつつぞ寝る

0989 風の上にありか定めぬ塵の身は行方も知らずなりぬべらなり

     家を売りてよめる
                 伊勢
0990 飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も瀬に変り行く物にぞありける

     筑紫にはべりける時に、まかり通ひつつ、碁
     打ちける人のもとに、京に帰りまうで来てつ
     かはしける
                 紀友則
0991 古里は見しごともあらず斧の柄の朽ちし所ぞ恋しかりける

     女友達と物語りして別れて後につかはしける
                 陸奥
0992 あかざりし袖のなかにや入りにけむ我が魂のなき心地する

     寛平御時に、唐土の判官に召されてはべりけ
     る時に、東宮のさぶらひにて、男ども酒たう
     べけるついでに、よみはべりける
                 藤原忠房
0993 なよ竹の夜長き上に初霜の起きゐて物を思ふころかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0994 風吹けば沖つ白浪竜田山夜半にや君が一人越ゆらん
      ある人、「この歌は昔、大和国なりける人
      の女に、ある人住みわたりけり。この女、
      親もなくなりて、家も悪くなり行く間に、
      この男、河内国に人をあひ知りて通ひつつ、
      離れやうにのみなり行きけり。さりけれど
      も、つらげなる気色も見えで、河内へ行く
      ごとに、男の心のごとくにしつつ出だしや
      りければ、あやしと思ひて、もしなき間に
      異心もやあると疑ひて、月のおもしろかり
      ける夜、河内へ行くまねにて、前栽の中に
      隠れて見ければ、夜更くるまで琴をかき鳴
      らしつつ、うち嘆きて、この歌をよみて寝
      にければ、これを聞きて、それより又他へ
      もまからずなりにけり」となむ言ひ伝へた
      る

0995 誰がみそぎ木綿つけ鳥か唐衣竜田の山にをりはへて鳴く

0996 忘られむ時偲べとぞ浜千鳥行方も知らぬ跡を留むる

     貞観御時、「万葉集はいつばかり作れるぞ」
     と、問はせたまひければよみて奉りける
                 文室有季
0997 神無月時雨降り置ける楢の葉の名に負ふ宮の古る事ぞこれ

     寛平御時、歌奉りけるついでに奉りける
                 大江千里
0998 葦田鶴の一人遅れて鳴く声は雲の上まで聞こえ継がなむ

                 藤原勝臣
0999 人知れず思ふ心は春霞立ち出でて君が目にも見えなむ

     歌召しける時に、奉るとてよみて奥に書きつ
     けて奉りける
                 伊勢
1000 山川の音にのみ聞く百敷を身をはやながら見るよしもがな

   古今和歌集巻第十九
    雑体歌
    長歌
     題しらず
                 よみ人しらず
1001 逢ふことの 稀なる色に 思ひそめ 我が身は常に
   天雲の 晴るる時なく 富士の嶺の 燃えつつ永久に
   思へども 逢ふことかたし 何しかも 人を恨みむ
   わたつみの 沖を深めて 思ひてし 思ひは今は
   いたづらに なりぬべらなり 行く水の 絶ゆる時なく
   かくなわに 思ひ乱れて 降る雪の 消なば消ぬべく
   思へども 閻浮の身なれば なほ止まず 思ひは深し
   あしひきの 山下水の 木隠れて たぎつ心を
   誰れにかも あひ語らはむ 色に出でば 人知りぬべみ
   墨染めの 夕べになれば 一人居て あはれあはれと
   嘆きあまり せむすべなみに 庭に出でて 立ちやすらへば
   白妙の 衣の袖に 置く露の 消なば消ぬべく
   思へども なほ嘆かれぬ 春霞 よそにも人に
   逢はむと思へば

     古歌奉りし時の目録のその長歌
                 貫之
1002 ちはやぶる 神の御世より 呉竹の 世々にも絶えず
   天彦の 音羽の山の 春霞 思ひ乱れて
   五月雨の 空もとどろに 小夜更けて 山郭公
   鳴くごとに 誰れも寝覚めて 唐錦 竜田の山の
   もみぢ葉を 見てのみ偲ぶ 神無月 時雨しぐれて
  冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり
   年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ
   君をのみ 千代にと祝ふ 世の人の 思ひ駿河の
   富士の嶺の 燃ゆる思ひも あかずして 別るる涙
   藤衣 織れる心も 八千草の 言の葉ごとに
   すべらきの 仰せかしこみ 巻々の 中につくすと
   伊勢の海の 浦の潮貝 拾ひ集め 取れりとすれど
   玉の緒の 短き心 思ひあへず なほあら玉の
   年を経て 大宮にのみ ひさかたの 昼夜分かず
   仕ふとて 顧みもせぬ 我が宿の 忍草生ふる
   板間粗み 降る春雨の 漏りやしぬらむ

     古歌に加へて奉れる長歌
                 壬生忠岑
1003 呉竹の 世々の古る言 なかりせば 伊香保の沼の
   いかにして 思ふ心を のばへまし あはれ昔へ
   ありきてふ 人麿こそは うれしけれ 身は下ながら
   言の葉を 天つ空まで 聞こえ上げ 末の世までの
   跡となし 今も仰せの 下れるは 塵に継げとや
   塵の身に 積もれる事を 問はるらむ これを思へば
   けだものの 雲に吠えけむ 心地して 千々のなさけも
   思ほえず 一つ心ぞ 誇らしき かくはあれども
   照る光 近き衛りの 身なりしを 誰れかは秋の
   来る方に 欺き出でて 御垣より 外重守る身の
   御垣守 長々しくも 思ほえず 九重ねの
   中にては 嵐の風も 聞かざりき 今は野山し
   近ければ 春は霞に たなびかれ 夏はうつせみ
   鳴き暮らし 秋は時雨に 袖をかし 冬は霜にぞ
   責めらるる かかる侘びしき 身ながらに 積もれる年を
   記せれば 五つの六つに なりにけり これに添はれる
   私の 老いの数さへ やよければ 身は卑しくて
   年高き ことの苦しさ かくしつつ 長柄の橋の
   ながらへて 難波の浦に 立つ浪の 浪の皺にや
   おぼほれむ さすがに命 惜しければ 越の国なる
   白山の 頭は白く なりぬとも 音羽の滝の
   音に聞く 老いず死なずの 薬もが 君が八千代を
   若えつつ見む

1004 君が世に逢坂山の岩清水木隠れたりと思ひけるかな

     冬の長歌
                 凡河内躬恒
1005 ちはやぶる 神無月とや 今朝よりは 曇りもあへず
   初時雨 紅葉と共に 古里の 吉野の山の
   山嵐も 寒く日ごとに なりゆけば 玉の緒とけて
   こき散らし あられ乱れて 霜氷 いや固まれる
   庭の面に むらむら見ゆる 冬草の 上に降りしく
   白雪の 積もり積もりて あら玉の 年をあまたも
   過ぐしつるかな

     七条后、亡せたまひにける後によみける
                 伊勢
1006 沖つ浪 荒れのみまさる 宮の内は 年経て住みし
   伊勢の海人も 舟流したる 心地して 寄らむ方なく
   悲しきに 涙の色の 紅は 我らがなかの
   時雨にて 秋の紅葉と 人びとは 己が散り散り
   別れなば 頼む蔭なく なりはてて 止まる物とは
   花薄 君なき庭に 群れ立ちて 空を招かば
   初雁の 鳴き渡りつつ よそにこそ見め

    旋頭歌
     題しらず
                 よみ人しらず
1007 うち渡す 遠方人に もの申す 我れそのそこに
   白く咲けるは 何の花ぞも

     返し
1008 春されば 野辺にまづ咲く 見れどあかぬ 花まひなしに
   ただ名のるべき 花の名なれや

     題しらず
1009 初瀬川 古川野辺に 二本ある杉 年を経て
   又もあひ見む 二本ある杉

                 貫之
1010 君がさす 三笠の山の もみぢ葉の色 神無月
   時雨の雨の 染めるなりけり

    誹諧歌
     題しらず
                 よみ人しらず
1011 梅花見にこそ来つれ鴬のひとくひとくと厭ひしもをる

                 素性法師
1012 山吹の花色衣主や誰れ問へど答へずくちなしにして

                 藤原敏行朝臣
1013 いくばくの田を作ればか郭公死出の田長を朝な朝な呼ぶ

     七月六日、七夕の心をよみける
                 藤原兼輔朝臣
1014 いつしかとまたぐ心をはぎにあげて天の川原を今日や渡らむ

     題しらず
                 凡河内躬恒
1015 睦言もまだ尽きなくに明けぬめりいづらは秋の長してふ夜は

                 僧正遍昭
1016 秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし花も一時

                 よみ人しらず
1017 秋来れば野辺にたはるる女郎花いづれの人か摘まで見るべき

1018 秋霧の晴れて曇れば女郎花花の姿ぞ見え隠れする

1019 花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 在原棟梁
1020 秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く

     明日春立たむとしける日、隣の家の方より、
     風の雪を吹き越しけるを見て、その隣へよみ
     てつかはしける
                 清原深養父
1021 冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける

     題しらず
                 よみ人しらず
1022 石上古りにし恋の神さびてたたるに我は寝ぞねかねつる

1023 枕よりあとより恋のせめくればせむ方なみぞ床中にをる

1024 恋しきが方もかたこそありと聞け立てれをれどもなき心地かな

1025 ありぬやと心見がてらあひ見ねばたはぶれにくきまでぞ恋しき

1026 耳成の山のくちなし得てしがな思ひの色の下染めにせむ

1027 あしひきの山田のそほづ己さへ我おほしてふ憂はしきこと

                 紀乳母
1028 富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消たぬ空し煙を

                 紀有朋
1029 あひ見まくほしは数なくありながら人に月なみまどひこそすれ

                 小野小町
1030 人に逢はむ月のなきには思ひ置きて胸走り火に心焼けをり

     寛平御時后宮の歌合の歌
                 藤原興風
1031 春霞たなびく野辺の若菜にもなり見てしがな人も摘むやと

     題しらず
                 よみ人しらず
1032 思へどもなほ疎まれぬ春霞かからぬ山もあらじと思へば

                 平定文
1033 春の野の繁き草葉の妻恋ひに飛び立つ雉子のほろろとぞ鳴く

                 紀淑人
1034 秋の野に妻なき鹿の年を経てなぞ我が恋のかひよとぞ鳴く

                 躬恒
1035 蝉の羽のひとへに薄き夏衣なればよりなむ物にやはあらぬ

                 忠岑
1036 隠れ沼の下より生ふるねぬなはの寝ぬ名は立てじ来るな厭ひそ

                 よみ人しらず
1037 ことならば思はずとやは言ひはてぬなぞ世の中の玉だすきなる

1038 思ふてふ人の心の隈ごとに立ち隠れつつ見るよしもがな

1039 思へども思はずとのみ言ふなれば否や思はじ思ふかひなし

1040 我をのみ思ふと言はばあるべきをいでや心は大幣にして

1041 我を思ふ人を思はぬむくいにや我が思ふ人の我を思はぬ

                 深養父
1042 思ひけむ人をぞともに思はまし正しやむくいなかりけりやは

                 よみ人しらず
1043 出でて行かむ人を留めむよしなきに隣の方に鼻もひぬかな

1044 紅に染めし心も頼まれず人をあくには移るてふなり

1045 厭はるる我が身は春の駒なれや野飼ひがてらに放ち捨てつつ

1046 鴬の去年の宿りの古巣とや我には人のつれなかるらん

1047 さかしらに夏は人まね笹の葉のさやぐ霜夜を我が一人寝る

                 平中興
1048 逢ふことの今ははつかになりぬれば夜深からでは月なかりけり

                 左大臣
1049 唐土の吉野の山に籠もるとも遅れむと思ふ我ならなくに

                 中興
1050 雲晴れぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそ止まめ

                 伊勢
1051 難波なる長柄の橋も尽くるなり今は我が身を何にたとへむ

                 よみ人しらず
1052 まめなれど何ぞなは良けく刈る萱の乱れてあれど悪しけくもなし

                 興風
1053 何かその名の立つことの惜しからむ知りてまどふは我一人かは

     従兄弟なりける男によそへて、人の言ひければ
                 屎
1054 よそながら我が身に糸のよると言へばただ偽りに過ぐばかりなり

     題しらず
                 讃岐
1055 ねぎ言をさのみ聞きけむ社こそはては嘆きの森となるらめ

                 大輔
1056 投げ木こる山とし高くなりぬればつらづゑのみぞまづ突かれける

                 よみ人しらず
1057 投げ木をばこりのみ積みてあしひきの山のかひなくなりぬべらなり

1058 人恋ふる事を重荷と担ひもてあふごなきこそ侘びしかりけれ

1059 宵の間に出でて入りぬる三日月のわれて物思ふころにもあるかな

1060 そゑにとてとすればかかりかくすればあな言ひ知らずあふさきるさに

1061 世の中の憂き度ごとに身を投げば深き谷こそ浅くなりなめ

                 在原元方
1062 世の中はいかに苦しと思ふらんここらの人に恨みらるれば

                 よみ人しらず
1063 何をして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむ事ぞやさしき
                 興風
1064 身は捨てつ心をだにもはふらさじつひにはいかがなると知るべく

                 千里
1065 白雪のともに我が身は古りぬれど心は消えぬ物にぞありける

     題しらず
                 よみ人しらず
1066 梅の花咲きての後の身なればやすき物とのみ人の言ふらん

     法皇、西河におはしましたりける日、「猿、
     山の峡に叫ぶ」といふことを題にて歌よませ
     たまうける
                 躬恒
1067 侘びしらに猿な鳴きそあしひきの山の峡ある今日にやはあらぬ

     題しらず
                 よみ人しらず
1068 世を厭ひ木の下ごとに立ち寄りてうつぶし染めの麻の衣なり

   古今和歌集巻第二十
    大歌所御歌
     大直日の歌
1069 新しき年の始めにかくしこそ千歳をかねてたのしきを積め
      日本紀には、仕へまつらめよろづ世までに

     古き大和舞の歌
1070 しもとゆふ葛城山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな

     近江ぶり
1071 近江より朝立ち来ればうねの野に田鶴ぞ鳴くなる明けぬこの世は

     水茎ぶり
1072 水茎の岡の屋形に妹と我れと寝ての朝けの霜の降りはも

     しはつ山ぶり
1073 しはつ山うち出でて見れば笠ゆひの島漕ぎ隠る棚無し小舟

    神遊びの歌
     採物の歌
1074 神垣の三室の山の榊葉は神の御前に繁りあひにけり

1075 霜八度置けど枯れせぬ榊葉の立ち栄ゆべき神のきねかも

1076 巻向の穴師の山の山人と人も見るがに山かづらせよ

1077 深山には霰降るらし外山なるまさきの葛色づきにけり

1078 陸奥の安達のまゆみ我が引かば末さへ寄り来しのびしのびに

1079 我が門の板井の清水里遠み人し汲まねば水草生ひにけり

     ひるめの歌
1080 笹の隈桧の隈川に駒止めてしばし水飼へ影をだに見む

     返し物の歌
1081 青柳を片糸によりて鴬の縫ふてふ笠は梅の花笠

1082 まがねふく吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ
      この歌は承和の御嘗の吉備国の歌

1083 美作や久米の佐良山さらさらに我が名は立てじよろづ世までに
      これは水尾の御嘗の美作国の歌

1084 美濃の国関の淵河絶えずして君に仕へむよろづ代までに
      これは元慶の御嘗の美濃の歌

1085 君が代は限りもあらじ長浜の真砂の数はよみ尽くすとも
      これは仁和の御嘗の伊勢国の歌

                 大伴黒主
1086 近江のや鏡の山をたてたればかねてぞ見ゆる君が千歳は
      これは今上の御嘗の近江の歌

    東歌
     陸奥国歌
1087 阿武隈に霧立ち曇り明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし

1088 陸奥はいづくはあれど塩釜の浦漕ぐ舟の綱手かなしも

1089 我が背子を都にやりて塩釜のまがきの島の待つぞ恋しき

1090 おぐろ崎みつの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを

1091 みさぶらひ御笠とまうせ宮城野の木の下露は雨にまされり

1092 最上河上れば下る稲舟のいなにはあらずこの月ばかり

1093 君を置きてあだし心を我が持たば末の松山浪も越えなむ

     相模歌
1094 こよろぎの磯たちならし磯菜摘むめざし濡らすな沖にをれ浪

     常陸歌
1095 筑波嶺のこのもかのもに影はあれど君が御影にます影はなし

1096 筑波嶺の峰のもみぢ葉落ち積もり知るも知らぬもなべてかなしも

     甲斐歌
1097 甲斐が嶺をさやにも見しかけけれなく横ほり臥せる小夜の中山

1098 甲斐が嶺をねこじ山越し吹く風を人にもがもや言伝てやらむ

     伊勢歌
1099 おふの浦に片枝さしおほひなる梨のなりもならずも寝て語らはむ

     冬の賀茂の祭の歌
                 藤原敏行朝臣
1100 ちはやぶる賀茂の社の姫小松よろづ世経とも色は変らじ

    家々称証本之本乍書入以墨滅歌
    巻第十 物名部
     ひぐらし
                 貫之
1101 そま人は宮木引くらしあしひきの山の山彦呼びとよむなり
      在郭公下 空蝉上

                 勝臣
1102 かけりても何をか魂の来ても見む殻は炎となりにしものを
      をかだまの木 友則下

     くれのおも
                 貫之
1103 来し時と恋ひつつをれば夕暮れの面影にのみ見えわたるがな
      忍草 利貞下

     をきの井 みやこしま
                 小野小町
1104 をきのゐて身を焼くよりもかなしきはみやこ島への別れなりけり
     唐琴 清行下

     染殿 粟田
                 あやもち
1105 憂きめをばよそ目とのみぞ逃れ行く雲のあはたつ山の麓に
      この歌、水尾帝の染殿より粟田へ移りたま
      うける時によめる
      桂宮下

    巻第十一
     奥山の菅の根しのぎ降る雪下
1106 今日人を恋ふる心は大井川流るる水に劣らざりけり

1107 我妹子に逢坂山のしのすすき穂には出でずも恋ひわたるかな

    巻第十三
     恋しくは下にを思へ紫の下
1108 犬上のとこの山なる名取川いさと答へよ我が名漏らすな
      この歌、ある人、天帝の近江の采女にたま
      へると

     返し、采女の奉れる
1109 山科の音羽の滝の音にだに人の知るべく我が恋ひめやも

    巻第十四
     思ふてふ言の葉のみや秋を経て下
     衣通姫の一人ゐて帝を恋ひ奉りて
1110 我が背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛の振る舞ひかねてしるしも

     深養父、恋しとは誰が名づけけむ事ならむ下
                 貫之
1111 道知らば摘みにも行かむ住の江の岸に生ふてふ恋忘れ草

   此集家々所称 雖説々多 且任師説 又加了見
   為備後学之証本 手自書之 近代僻案之輩
   以書生之失錯 称有識之秘事 可謂道之魔姓
   不可用之 但如此用捨 只可随其身之所好
   不可存自他之差別 志同者可用之
    嘉禄二年四月九日 戸部尚書(花押)
     于時額齢六十五 寧堪右筆哉
      此本付属大夫為相
      于時頽齢六十八桑門融覚

   (此集の家々の称する所、説々多しと雖も、且く
   師説〈俊成〉に任し、又了見を加へ、後学の証本
   に備へんが為に、手自から之を書く。近代僻案の
   輩は書生の失錯を以て、有識の秘事と称すは、道
   の魔姓と謂ふべく、之を用うべからず。但し此の
   如き用捨は、只だ其身の好む所に随ふべし。自他
   の差別を存すべからず。志同じき者は之を用うべ
   し。
    嘉禄二年四月九日 戸部尚書〈定家花押〉
     時に額齢六十五 寧んぞ右筆に堪へんや
      此本を大夫為相に付属す
      時に頽齢六十八 桑門融覚〈為家〉)
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