2010年2月25日掲載
2010年2月25日更新

四条中納言(定頼)集

底本 複製本「四条中納言(定頼)集」(尊経閣叢刊 昭和17年3月)

翻刻本文

四条中納言集とは四条大納言藤原公任の子息定頼(長徳元年・九九五〜寛徳二年・一〇四五)の家集である。
定頼集の現存諸本は、左記二つの系統に分けられる。

  一類本 定家本系統(流布本系)
  二類本 明王院旧蔵本系統(異本系)

底本とした定家筆本には、奥に左記二つの識語がある。

 「正二位行権中納言兼兵部卿藤原朝臣定頼
   寛徳元年六月九日出家
    二年正月十九日薨五十一

  諸家集多数被失適依
  見此本不顧老病之極熱
  一日終書写之功依慕故
  人也誰同志乎

  右四条中納言定頼集一冊全
  京極黄門定家卿真筆無疑
  尤可謂証本者也可秘々々
  寛永元三月十一日 為頼(花押)」

墨付 1丁表〜45丁表

竪五寸三分五厘、幅四寸九分五厘、胡蝶装桝形本

 「料紙は墨付四十七葉、白紙一葉、薄様の鳥の子、楮紙等数種を混用、これ等の料紙には、又各種の文様彩色が施され、大体次の六種に分類することが出来る。〔イ〕無地の楮紙、〔ロ〕無地の薄様、〔ハ〕稍々厚手無地の薄様、〔ニ〕銀砂子を撒いた薄様、〔ホ〕銀砂子を村に撒き茶褐色で桜と柳の散し文様を描いた薄様、〔ヘ〕稍々厚手の薄様に墨流し文様を施したものの六種である。原本はこれ等各種の料紙を均しく下からホ・ロ・ニ・イ・イ・ロ・ヘ・ハの順序に八枚を重ねて二つ折としたもの三折を合せて一冊に綴ぢたものである。
 縹紙の裂地は、表と裏とその趣を異にする。即ち表は白茶地雲散し文様の織出緞子に、茄子蔓紋の縫取を施し、裏は萌黄地唐花一重蔓紋の織出緞子に、牡丹唐草一重蔓紋の縫取を施してある。縫取は、金銀の箔紙の上から各色の撚糸をもつて刺繍を施したものである。青木外吉氏の説によれば、この裂地は舶来のもので、明の嘉靖年代の製作にかゝるものであらうとの事である。
 次に見返は金銀の霞切箔砂子の薄様を以てしてあるが、これ等の縹紙・見返は、いづれもこの本の書写当時のものにはあらず、近世初頭に於て新に付せられたものであらう。」(尊経閣叢刊解題 1〜2頁)

《参考文献》

・池田亀鑑「前田本四条中納言集解題」(尊経閣叢刊 昭和17年3月)
・森本元子「定頼集解題」(新編国歌大観 昭和60年5月)

《研究論文》

・森本元子「定頼集成立考」(『平安文学研究』27 88頁〜98頁 1961年12月)
・森本元子「定頼集における一事実」(『国文』16 1頁〜8頁 1962年1月)
・古瀬雅義「自撰本系『定頼集』の成立とその背景:家集の整理時期は寛仁3年後半期か」(『国文学攷』126 35〜46頁 1990年6月)

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