俊成本「古今和歌集」

《俊成本の性格》

「俊成本には少なくとも四種の本があつて、その一本である昭和切は定家に伝へられて、定家本の原本となつてゐる。また一本は弘安のころ僧寂恵に伝へられ、本文の校異に用ゐられてゐる。寂恵に伝へられた本は、同じ俊成本でも本文内容が異り、或は初期の俊成本ではないかと考へられる。」(西下経一『古今集の伝本の研究』「俊成本の概説」134頁)

《俊成本「古今和歌集」現存諸本と古筆切資料》

 現存する俊成本「古今和歌集」の諸本とその古筆切は次のとおりである。

1.「顕広切」(藤原俊成筆)

「顕広切は、俊成の筆になる四種の伝本の中で、最も早い時代のもので」
「料紙は鳥の子の素紙で、縦二五・八糎(八寸五分)、横一六・七糎(五寸五分)ほどの綴葉装または大和綴であつたと推定せられる。現存するものは、巻第十一、十二、十三、十五、十六、十七、十八の諸巻にわたり、若干知られてゐるが、巻十までの前半は全く見出されない。」
「何れかといへば崇徳天皇御本の系統と見るべきであろう。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』122〜123頁)

2.「御家切」(藤原俊成筆)

「顕広切についで書写せられたもので…保元元年(四十三歳)前後と推定すべきであろう。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』123頁)

3.『永暦二年本』(宮内庁書陵部蔵2部、国立歴史民族博物館蔵、『貴重典籍叢書 文学篇1』臨川書店 1999年3月)

「(宮内庁書陵部蔵 函架番号五一五・三一)一部は、縦二二・三糎(七寸三分)、横一五・八糎(五寸二分)、鳥の子を用ゐた綴葉装二帖で、上下各帖十折より成り、上帖は墨付百五十七丁、うち二丁脱落、下帖は墨付百五十七丁、別に識語が二丁となつてゐる。」
「他の一部(宮内庁書陵部蔵 函架番号五〇三・一二四)は、縦二六・四糎(八寸七分)、横一九・七糎(六寸五分)、鳥子紙を用ゐた綴葉装二帖で、紙数等すべて、前者(宮内庁書陵部蔵の一部)と一致してゐる。識語は最後に「金紫光録大夫俊成、又称澄鑒、付属之於少男」とある部分のみ多くなつてゐる」
「最初に真名序、次に仮名序の順序で両序があるが、真名序の終に、朱筆で、…とあり、底本には真名序が無く、基俊本によつて補つたことが知られる。勿論それは俊成が加へたものである。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』123頁)

4.「了佐切」(藤原俊成筆)

「縦二二・七糎(七寸五分)、横一五・二糎(五寸)の綴葉装の四半本又はその略装たる大和綴であつたと知られる、料紙は鳥子の素紙であり」
「俊成六十歳前後のものと推定すれば、承安四年頃となる。」
「現存するのは、真名序、仮名序、巻一、二、四、五、六、七、八など諸巻の断簡及び巻き十の完本(関戸家・七海兵吉氏旧蔵)であり、何れも上帖に属する部分である。早く下帖は散佚したのである。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』128頁)

5.「昭和切」(藤原俊成筆 真名序・仮名序、巻第一から巻第十まで)

「料紙は、他と同じく鳥子の素紙を用ゐ、もとは縦二二・四糎(七寸四分)、横一五・五糎(五寸一分)の綴葉装四半本二帖であつたと思はれるが、下帖は早く存否不明となり、上帖のうち両序を除く歌集十巻が榊原家に伝存してをり、昭和三年に分割せられ、昭和切とよばれるに至った。」
「仮名・真名の両序は所在不明であつたが、昭和二十一年に至り、三井家に完存することが知られるに至つた。」
「俊成の最晩年の書風を最も著しく発揮してをり、文治五年(俊成七十六歳)前後のものと推定せられる。」
「俊成本中で、本書が定家本に最も近く、且つ本書が定家の手沢本であつたことを注意すべきである。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』128〜129頁)
 複製本「昭和切」(倉田実 尚古会 昭和2年10月、仮名跡集成第1回配本 興文社 昭和10年9月)

6.「伝寂蓮筆天理図書館蔵本」(七海兵吉旧蔵 真名序・仮名序、巻第一から巻第十まで)

「綴葉装一帖で、墨付紙数百三十六枚、歌は二行書である。」
「最初に真名序、ついで仮名序があり、歌は巻一より巻十までである。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』130頁)

7.「伝藤原為家筆静嘉堂本」(真名序・仮名序、巻第一から巻第十まで)

「縦二五・八糎(八寸五分)、横一六・四糎(五寸四分)の綴葉装四半本一帖で、料紙は鳥子紙で、全八折よりなつてゐる。」
「最初に真名序、次に仮名序があり、…歌は巻十までで、巻九の巻尾に錯簡がある。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』131頁)

8.『建久二年本』(真名序・仮名序、巻第一から巻第二十 二帖 完本 穂久迩文庫蔵、『日本古典文学会影印叢刊』日本古典文学会 昭和53年〈1978〉、未刊国文資料『建久二年俊成本古今和歌集と研究』翻刻)

「縦二三・九糎(七寸九分)、横一五・八糎(五寸二分)の鳥子紙を用ゐた綴葉装四半本二帖である。」
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』132頁)

9.「安倍寂恵所校俊成本」(上帖御物・下帖上野精一蔵)

「綴葉装四半本二帖で、縦二三・二糎(七寸六分五厘)、横一六・四糎(五寸四分)である。上帖は六折六一枚(現存一枚脱か)、下帖は甚だしく損傷してゐるが、六折六一枚ほどであつた。(現在は百十五丁となつてをり、貼紙には「墨附百十枚」とある。)
(久曾神昇『古今和歌集成立論 研究篇』134頁)
複製「寂恵本古今和歌集」(三条西公正解説 古文学秘籍複製会 昭和8年3月)

10.「中山切」(巻第十一、十二、十三、十四、十五 安藤柳司蔵『中山切 古今和歌集』汲古書院 平成2年5月)

「本書は、昭和二五年に九条家の秘庫より出現し、暫くは東京の故西脇済三郎氏の許に保管せられていたが、その後まもなく岐阜県の安藤家の愛蔵に帰した。」
「九条兼実が、治承三年に、藤原俊成より伝授した古今集を書写したことも、ほぼ明確に推断できるに至った」
「中山切は特別に四帖に分書せられていたようで…かくて現存するのは第三帖(恋歌)のみである。」
「書冊は縦・横共に一七糎(五寸六分)の綴葉装六半本である。」
(久曾神昇『中山切 古今和歌集』「中山切古今集解題」3〜5頁)
複製『中山切 古今和歌集』(久曾神昇解題 汲古書院 平成2年5月)

《浅田徹「俊成本」分類説》

一類本
1.書陵部本A本(515・31) 2丁欠脱
2.書陵部本B本(503・124)3丁欠脱
3.昭和切(俊成自筆)    上巻のみ
4.了佐切(俊成自筆)    上巻の断簡
5.顕広切(伝俊成筆)    下巻の断簡
6.慶融本          2丁補写
7.伝寂蓮筆本        上巻のみ

二類本
(8)建久本          数ヵ所欠脱
(9)寂恵所校本        寂恵本の校異
(10)古今問答所引本      (散佚)
系統未詳
(11)御家切(伝俊成筆)    全体に亙る断簡

《参考文献》

西下経一『古今集の伝本の研究』(明治書院 昭和29年11月)
久曾神昇『古今和歌集成立論』(風間書房 昭和35〜36年)
久曾神昇『中山切 古今和歌集』(汲古書院 平成2年5月)
浅田徹「俊成本古今集試論――伝本分立の解釈試論――」(『和歌文学研究』第66号 平成5年9月) 

1.俊成本から定家本「古今和歌集」へ

 久曾神昇著『藤原定家筆 古今和歌集 別巻』「解説」(汲古書院 平成3年)によれば、飛鳥井雅縁の『諸雑記』に、
「定家卿古今集事書之。
此集世之所伝称奏覧之本、紀氏家本、有両説云々。此本之根源、称紀氏是也。貫之自筆、付属女子之由云々。其本伝、参崇徳院之時、参議教長卿、并先人、清輔朝臣、申請書写之。今所書之家本、是也。但件本、
 定家はその父俊成本「古今和歌集」を書写している。
 毘沙門堂本「古今集注」の奥書によれば、
「建保二年之秋以亡父自筆之本凌老眼書之  参議従三位侍従藤原朝臣定家」
とあり、五十三歳の時である。これは、鎌倉の将軍源実朝に贈るために書写したものである。
 また、飛鳥井雅縁『諸雑記』には、
「貞応元年六月一日 為備後代之証本 以家本重書写之 以暇日之凌老眼 五ケ月(日カ) 終書写之功」
ともある。定家は常に家本(俊成相伝本)をもって、書写していたことが知られる。

参考文献


・村山修一著『藤原定家』(人物叢書95 吉川弘文館 昭和37年9月)
・冷泉為任監修『冷泉家の歴史』(朝日新聞社 昭和56年6月)
・久曾神昇編『中山切 古今和歌集 別巻』「解題」(汲古書院 平成2年5月)

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