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渋谷栄一整定(C)

拾遺和歌集


凡例
1 底本には『藤原定家筆 拾遺和歌集』(平成2年11月 汲古書院)を用いた。
2 歌番号は『新編国歌大観』によった。
3 仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した。送り仮名を補ったものがある。
4 読みやすさを考慮して適宜仮名に漢字を宛て、また漢字を仮名に改めたところがある。そして、詞書の長文には句読点を付けた。
5 清濁は小町谷照彦校注『拾遺和歌集』(新日本古典文学大系 1990年1月 岩波書店)等を参考にした。
6 なお、< >は定家の注記である。ただし集付や勘物等は省略した。

   拾遺和歌集巻第一
    春
     平定文が家歌合によみはべりける
                 壬生忠岑
0001 春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん

     承平四年中宮の賀しはべりける時の屏風のうた
                 紀文幹
0002 春霞立てるを見ればあらたまの年は山より越ゆるなりけり

     霞をよみはべりける
                 山辺赤人
0003 昨日こそ年は暮れしか春霞春日の山にはや立ちにけり

     冷泉院東宮におはしましける時、「歌たてま
     つれ」とおほせられければ
                 源重之
0004 吉野山峰の白雪いつ消えて今朝は霞の立ち変はるらん

     延喜御時、月次御屏風に
                 素性法師
0005 あらたまの年立ち帰る朝より待たるる物は鴬の声

     天暦御時歌合に
                 源順
0006 氷だにとまらぬ春の谷風にまだうちとけぬ鴬の声

     題しらず
                 平祐挙
0007 春立ちて朝の原の雪見ればまだふる年の心地こそすれ

     定文が家歌合に
                 躬恒
0008 春立ちてなほ降る雪は梅花咲くほどもなく散るかとぞ見る

     題しらず
                 よみ人しらず
0009 わが宿の梅にならひてみ吉野の山の雪をも花とこそ見れ

     天暦十年三月二十九日内裏歌合に
                 中納言朝忠
0010 鴬の声なかりせば雪消えぬ山里いかで春を知らまし

     鴬をよみはべりける
                 大伴家持
0011 うちきらし雪は降りつつしかすがにわが家の園に鴬ぞ鳴く

     題しらず
                 柿本人麿
0012 梅花それとも見えず久方の天ぎる雪のなべて降れれば

     延喜御時、宣旨にてたてまつれる歌の中に
                 貫之
0013 梅が枝に降りかかりてぞ白雪の花のたよりに折らるべらなる

     同御時、御屏風に
                 躬恒
0014 降る雪に色はまがひぬ梅花香にこそ似たる物なかりけれ

     冷泉院御屏風の絵に、梅花ある家にまらうと
     来たる所
                 平兼盛
0015 わが宿の梅の立ち枝や見えつらん思ひの外に君が来ませる

     斎院御屏風に
                 躬恒
0016 香を求めて誰れ折らざらん梅花あやなし霞立ちな隠しそ

     桃園に住みはべりける前斎院屏風に
                 貫之
0017 白砂の妹が衣に梅の花色をも香をも分きぞかねつる

     題しらず
                 人麿
0018 明日からは若菜摘まむと片岡の朝の原は今日ぞ焼くめる

     恒佐右大臣の家の屏風に
                 貫之
0019 野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ

     若菜を御覧じて
                 円融院御製
0020 春日野に多くの年は摘みつれど老いせぬものは若菜なりけり

     題しらず
                 大伴家持
0021 春の野にあさる雉子の妻恋ひにおのがありかを人に知れつつ

     大后の宮に宮内といふ人の童なりける時、醍
     醐の帝の御前にさぶらひけるほどに、御前な
     る五葉に鴬の鳴きければ、正月初子の日、仕
     うまつりける
0022 松の上に鳴く鴬の声をこそ初子の日とはいふべかりけれ

     題しらず
                 忠岑
0023 子日する野辺に小松のなかりせば千世のためしに何を引かまし

     入道式部卿の親王の子日しはえべりける所に
                 大中臣能宣

0024 千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代や経む

     延喜御時、御屏風に水のほとりに梅花見たる
     所
                 貫之
0025 梅花まだ散らねども行く水の底に映れる影ぞ見えける

     題しらず
                 よみ人しらず
0026 摘みたむることのかたきは鴬の声する野辺の若菜なりけり

0027 梅花よそながら見む我妹子がとがむばかりの香にもこそ染め

0028 袖垂れていざわが園に鴬の木伝ひ散らす梅花見む

                 兵部卿元良親王
0029 朝まだき起きてぞ見つる梅花夜の間の風のうしろめたさに

                 躬恒
0030 吹く風を何厭ひけん梅花散り来る時ぞ香はまさりける

                 大中臣能宣
0031 匂ひをば風に添ふとも梅花色さへあやなあだに散らすな

                 よみ人しらず
0032 ともすれば風の寄るにぞ青柳の糸はなかなか乱れそめける

     屏風に
                 大中臣能宣
0033 近くてぞ色もまされる青柳の糸は縒りてぞ見るべかりける

     題しらず
                 凡河内躬恒
0034 青柳の花田の糸を縒り合はせて絶えずも鳴くか鴬の声

     よみ人しらず
0035 花見には群れて行けども青柳の糸のもとには来る人もなし

     子にまかり後れてはべりけるころ、東山にこ
     もりて
                 中務
0036 咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひ絶えせぬ花の上かな

     題しらず
0037 吉野山絶えず霞のたなびくは人に知られぬ花や咲くらん

     天暦九年内裏合に
                 よみ人しらず
0038 咲き咲かずよそにても見む山桜峰の白雲立ちな隠しそ

     題しらず
0039 吹く風にあらそひかねてあしひきの山の桜はほころびにけり

     菅家万葉集の中
0040 浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな

     題しらず
                 よみ人しらず
0041 吉野山消えせぬ雪と見えつるは峰続き咲く桜なりけり

     天暦御時、麗景殿女御と中将更衣と歌合しは
     べりけるに
                 清原元輔
0042 春霞立ちな隔てそ花盛り見てだにあかぬ山の桜を

     平定文が家の歌合に
                 忠岑
0043 春はなほ我にて知りぬ花盛り心のどけき人はあらじな

     賀御屏風に
                 藤原千景
0044 咲きそめていく世経ぬらん桜花色をば人にあかず見せつつ

     天暦御時御屏風
                 忠見
0045 春来ればまづぞうち見る石上めづらしげなき山田なれども

     題しらず
                 在原元方
0046 春来れば山田の氷うちとけて人の心にまかすべらなり

     承平四年、中宮の賀したまひける時の屏風に
                 斎宮内侍
0047 春の田を人にまかせて我はただ花に心を作るころかな

     宰相中将敦忠朝臣家の屏風に
                 貫之
0048 あだなれど桜のみこそ古里の昔ながらのものにはありけれ

     斎院屏風に山路行く人ある所
                 伊勢
0049 散り散らず聞かまほしきを古里の花見て帰る人も逢はなん

     題しらず
                 よみ人しらず
0050 桜狩り雨は降り来ぬ同じくは濡るとも花の蔭に隠れむ

                 元輔
0051 訪ふ人もあらじと思ひし山里に花のたよりに人め見るかな

     円融院御時、三尺御屏風に
                 平兼盛
0052 花の木を植ゑしもしるく春来ればわが宿過ぎて行く人ぞなき

     題しらず
                 よみ人しらず
0053 桜色にわが身は深くなりぬらん心に染めて花を惜しめば

     権中納言義懐家の桜の花惜しむ歌よみはべり
     けるに
                 藤原長能
0054 身にかへてあやなく花を惜しむかな生けらば後の春もこそあれ

     題しらず
                 よみ人しらず
0055 見れどあかぬ花の盛りに帰る雁なほ古里の春や恋しき

0056 古里の霞飛び分け行く雁は旅の空にや春を暮らさむ

     天暦御時御屏風に
                 藤原清正
0057 散りぬべき花見る時は菅の根の長き春日も短かりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0058 告げやらん間にも散りなば桜花いつはり人に我やなりなん

     屏風に
                 能宣
0059 散りそむる花を見捨てて帰らめやおぼつかなしと妹は待つとも

     題しらず
                 よみ人しらず
0060 見もはてで行くと思へば散る花につけて心の空になるかな

     延喜御時、藤壺の女御歌合の歌に
0061 朝ごとにわがはく宿の庭桜花散るほどは手も触れで見む

     荒れはてて人もはべらざりける家に桜の咲き
     乱れてはべりけるを見て
                 恵慶法師
0062 浅茅原主なき宿の桜花心やすくや風に散るらん

     北の宮の裳着の屏風に
                 貫之
0063 春深くなりぬと思ふを桜花散る木のもとはまだ雪ぞ降る

     亭子院歌合に
0064 桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける

     題しらず
                 よみ人しらず
0065 あしひきの山路に散れる桜花消えせぬ春の雪かとぞ見る

     天暦御時歌合に
                 少弐命婦
0066 あしひきの山隠れなる桜花散り残れりと風に知らるな

     題しらず
                 よみ人しらず
0067 岩間をも分け来る滝の水をいかで散り積む花のせきとどむらん

     天暦御時歌合に
                 源順
0068 春深み井手の川波立ち返り見てこそ行かめ山吹の花

     井手といふ所に、山吹の花のおもしろく咲き
     たるを見て
                 恵慶法師
0069 山吹の花の盛りに井手に来てこの里人になりぬべきかな

     屏風に
                 元輔
0070 物も言はでながめてぞふる山吹の花に心ぞ移ろひぬらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0071 沢水に蛙鳴くなり山吹の移ろふ影や底に見ゆらん

0072 わが宿の八重山吹は一重だに散り残らなん春の形見に

     亭子院歌合に
                 坂上是則
0073 花の色を映しとどめよ鏡山春より後の影や見ゆると

     題しらず
                 よみ人しらず
0074 春霞立ち別れ行く山路は花こそ幣と散りまがひけれ

0075 年の内はみな春ながら暮れななん花見てだにも憂き世過ぐさん

     延喜御時、春宮御屏風に
                 貫之
0076 風吹けば方も定めず散る花をいづ方へ行く春とかは見む

     同じ御時、月次御屏風に
0077 花もみな散りぬる宿は行く春の古里とこそなりぬべらなれ

     閏三月はべりけるつごもりに
                 躬恒
0078 常つねよりものどけかりつる春なれど今日の暮るるはあかずぞありける

   拾遺和歌集巻第二
    夏
     天暦御時の歌合に
                 大中臣能宣
0079 鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽の薄き衣は裁ちぞ着てける

     屏風に
                 順
0080 わが宿の垣根や春を隔つらん夏来にけりと見ゆる卯花

     冷泉院の東宮におはしましける時、百首歌た
     てまつれと仰せられければ
                 源重之
0081 花の色に染めし袂の惜しければ衣更へ憂き今日にもあるかな

     夏の初めによみはべりける
                 盛明親王
0082 花散ると厭ひしものを夏衣裁つや遅きと風を待つかな

     百首歌中に
                 重之
0083 夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな

     円融院御時、御屏風歌
                 平兼盛
0084 住吉の岸の藤波わが宿の松の梢に色はまさらじ

                 順
0085 紫の藤咲く松の梢にはもとの緑も見えずぞありける

     延喜御時、飛香舎にて藤花宴はべりける時に
                 小野宮太政大臣
0086 薄く濃く乱れて咲ける藤花等しき色はあらじとぞ思ふ

     題しらず
                 躬恒
0087 手も触れで惜しむかひなく藤花底に映れば浪ぞ折りける

     多[示+古]の浦の藤花を見はべりて
                 柿本人麿
0088 多[示+古]の浦の底さへ匂ふ藤波をかざして行かん見ぬ人のため

     山里の卯花に鴬の鳴きはべりけるを
                 平公誠

0089 卯花を散りにし梅にまがへてや夏の垣根に鴬の鳴く

     題しらず
                 よみ人しらず
0090 卯花の咲ける垣根は陸奥の籬の島の波かとぞ見る

     延喜御時、月次御屏風に
                 躬恒
0091 神祭る卯月に咲ける卯花は白くもきねがしらげたるかな

                 貫之
0092 神祭る宿の卯花白妙の御幣かとぞあやまたれける

     題しらず
                 よみ人しらず
0093 山がつの垣根に咲ける卯花は誰が白妙の衣掛けしぞ

0094 時分かず降れる雪かと見るまでに垣根もたわに咲ける卯花

0095 春かけて聞かむともこそ思ひしか山郭公遅く鳴くらん

0096 初声の聞かまほしさに郭公夜深く目をも覚ましつるかな

     夏山を越ゆとて
                 久米広縄
0097 家に来て何を語らむあしひきの山郭公一声もがな

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0098 山里に知る人もがな郭公鳴きぬと聞かば告げに来るがに

     題しらず
                 よみ人しらず
0099 山里に宿らざりせば郭公聞く人もなき音をや鳴かまし

     天暦御時歌合に
                 坂上望城
0100 ほのかにぞ鳴き渡るなる郭公深山を出づる今朝の初声

                 平兼盛
0101 深山出でて夜半にや来つる郭公暁かけて声の聞こゆる

     寛和二年内裏歌合に
                 右大将道綱母
0102 都人寝て待つらめや郭公今ぞ山辺を鳴きて出づなる

     女四内親王の家歌合に
                 坂上是則
0103 山がつと人はいへども郭公待つ初声は我のみぞ聞く

     天暦御時の歌合に
                 壬生忠見
0104 小夜更けて寝覚めざりせば郭公人づてにこそ聞くべかりけれ

     同じ御時の御屏風に
                 伊勢
0105 二声と聞くとはなしに郭公夜深く目をも覚ましつるかな

     北宮の裳着の屏風に
                 源公忠朝臣
0106 行きやらで山路暮らしつ郭公今一声の聞かまほしさに

     敦忠朝臣の家の屏風に
                 貫之
0107 この里にいかなる人か家居して山郭公絶えず聞くらむ

     延喜御時歌合に
                 よみ人しらず
0108 五月雨は近くなるらし淀川の菖蒲の草も水草生ひにけり

     屏風に
                 大中臣能宣
0109 昨日までよそに思ひし菖蒲草今日わが宿のつまと見るかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0110 今日見れば玉の台もなかりけり菖蒲の草の庵のみして

     延喜御製
0111 あしひきの山郭公今日とてや菖蒲の草の根に立てて鳴く

                 よみ人しらず
0112 誰が袖に思ひよそへて郭公花橘の枝に鳴くらん

     天暦御時、御屏風に淀の渡りする人描ける所に
                 壬生忠見
0113 いづ方に鳴きて行くらむ郭公淀の渡りのまだ夜深きに

0114 敷けるごと真菰の生ふる淀野には露の宿りを人ぞ借りける

     小野宮大臣家屏風に渡りしたる所に、郭公鳴
     きたる形あるに
                 貫之
0115 かの方にはや漕ぎ寄せよ郭公道なきつと人に語らん

     定文が家の歌合に
                 躬恒
0116 郭公をちかへり鳴けうなゐ子がうち垂れ髪の五月雨の空

     題しらず
                 よみ人しらず
0117 鳴けや鳴け高田の山の郭公この五月雨に声な惜しみそ

0118 五月雨は寝こそ寝られね郭公夜深く鳴かむ声を待つとて

0119 うたて人思はむものを郭公夜しもなどかわが宿に鳴く

                 大伴坂上郎女
0120 郭公いたくな鳴きそ一人居て寝の寝られぬに聞けば苦しも

                 中務
0121 夏の夜の心を知れる郭公はやも鳴かなん明けもこそすれ

0122 夏の夜は浦島の子が箱なれやはかなく明けて悔しかるらん

     延喜御時、中宮歌合
                 よみ人しらず
0123 夏来れば深草山の郭公鳴く声しげくなりまさるなり

     春宮にさぶらひける絵に、倉橋山に郭公飛び
     渡りたる所
                 藤原実方朝臣
0124 五月闇倉橋山の郭公おぼつかなくも鳴き渡るかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0125 郭公鳴くや五月の短夜も一人し寝れば明かしかねつも

     西宮左大臣の家の屏風に
                 源順
0126 郭公待つにつけてやともしする人も山辺に夜を明かすらん

     延喜御時、月次御屏風に
                 貫之
0127 五月山木の下闇に灯す火は鹿の立ちどのしるべなりけり

     九条右大臣家の賀の屏風に
                 平兼盛
0128 あやしくも鹿の立ちどの見えぬかな小倉の山に我や来ぬらん

     女四の内親王の家の屏風に
                 躬恒
0129 行く末はまた遠けれど夏山の木の下蔭ぞ立ち憂かりける

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0130 夏山の蔭をしげみやたまほこの道行く人も立ちどまるらん

     河原院の泉のもとに涼みはべりて
                 恵慶法師
0131 松蔭の岩井の水を結び上げて夏なき年と思ひけるかな

     家に咲きてはべりける撫子を人のがり遣しける
                 伊勢
0132 いづこにも咲きはすらめどわが宿の大和撫子誰れに見せまし

     題しらず
                 よみ人しらず
0133 底清み流るる川のさやかにも祓ふることを神は聞かなん

                 藤原長能
0134 さばへなす荒ぶる神もおしなべて今日は名越の祓なりけり

                 よみ人しらず
0135 紅葉せばあかくなりなん小倉山秋待つほどの名にこそありけれ

     右大将定国四十賀に、内より屏風調じてたま
     ひけるに
                 忠岑
0136 大荒木の森の下草茂りあひて深くも夏のなりにけるかな

   拾遺和歌集巻第三
    秋
     秋の初めによみはべりける
                 安法法師
0137 夏衣まだ一重なるうたた寝に心して吹け秋の初風

     題しらず
                 よみ人しらず
0138 秋は来ぬ龍田の山も見てしがな時雨ぬさきに色や変はると

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0139 荻の葉のそよぐ音こそ秋風の人に知らるる初めなりけれ

     河原院にて荒れたる宿に秋来といふ心を人び
     とよみはべりけるに
                 恵慶法師
0140 八重葎茂れる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり

     題しらず
                 安貴王
0141 秋立ちていく日もあらねどこの寝ぬる朝けの風は袂涼しも

     延喜御時、屏風歌
                 躬恒
0142 彦星の妻待つ宵の秋風に我さへあやな人ぞ恋しき

                 貫之
0143 秋風に夜の更け行けば天の河川瀬に波の立ち居こそ待て

     題しらず
                 柿本人麿
0144 天の河遠き渡にあらねども君が船出は年にこそ待て

0145 天の河去年の渡の移ろへば浅瀬踏む間に夜ぞ更けにける

                 よみ人しらず
0146 小夜更けて天の河をぞ出て見る思ふさまなる雲や渡と

                 湯原王
0147 彦星の思ひますらんことよりも見る我苦し夜の更け行けば

                 人麿
0148 年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我にまさりて思ふらんやぞ

     延喜御時、月次御屏風に
                 貫之
0149 七夕に脱ぎてかしつる唐衣いとど涙に袖や濡るらん

     右衛門督源清蔭家の屏風に
0150 一年に一夜と思へど七夕の逢ひ見む秋の限りなきかな

     左兵衛督藤原懐平家屏風に
                 恵慶法師
0151 いたづらに過ぐる月日を七夕の逢ふ夜の数と思はましかば

     七夕庚申にあたりてはべりける年
                 元輔
0152 いとどしく寝も寝ざるらんと思ふかな今日の今宵に逢へる七夕

     題しらず
                 よみ人しらず
0153 逢ひ見ても逢はでも嘆く七夕はいつか心ののどけかるべき

0154 わが祈る事は一つぞ天の河空に知りても違へざらなん

0155 君来ずは誰れに見せましわが宿の垣根に咲ける朝顔の花

0156 女郎花多かる野辺に花薄いづれをさして招くなるらん

0157 手もたゆく植ゑしもしるく女郎花色ゆゑ君が宿りぬるかな

                 小野宮太政大臣
0158 くちなしの色をぞ頼む女郎花花にめでつと人に語るな

     女郎花多く咲ける家にまかりて
                 能宣
0159 女郎花匂ふあたりにむつるればあやなく露や心置くらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0160 白露の置くつまにする女郎花あなわづらはし人な手触れそ

     嵯峨に前栽掘りにまかりて
                 藤原長能
0161 日暮らしに見れどもあかぬ女郎花野辺にや今宵旅寝しなまし

     八月ばかりに雁の声待つ歌よみはべりけるに
                 恵慶法師
0162 荻の葉もややうちそよぐほどなるをなど雁がねの音なかるらん

     斎院屏風に
                 よみ人しらず
0163 かりにとて来べかりけりや秋の野の花見るほどに日も暮れぬべし

     題しらず
0164 秋の野の花の名立てに女郎花かりにのみ来む人に折らるな

                 紀貫之
0165 かりにとて我は来つれど女郎花見るに心ぞ思ひつきぬる

     陽成院御屏風に小鷹狩りしたる所
0166 かりにのみ人の見ゆれば女郎花花の袂ぞ露けかりける

     亭子院の御前に前栽植ゑさせたまひて、これ
     よめと仰せ言ありければ
                 伊勢
0167 栽ゑ立てて君が標結ふ花なれば玉と見えてや露も置くらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0168 来で過ぐす秋はなけれど初雁の聞くたびごとに珍しきかな

     少将にはべりける時、駒迎へにまかりて
                 大弐高遠
0169 逢坂の関の岩角踏みならし山立ち出づる桐原の駒

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0170 逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒

     屏風に、八月十五夜池ある家に人遊びしたる
     所
                 源順
0171 水の面に照る月波をかぞふれば今宵ぞ秋の最中なりける

     水に月の宿りてはべりけるを
                 能宣
0172 秋の月波の底にぞ出でにける待つらん山のかひやなからん

     廉義公の家の紙絵に秋の月おもしろき池ある
     家ある所
                 源景明
0173 秋の月西にあるかと見えつるは更け行く夜半の影にぞありける

     円融院御時、八月十五夜描ける所に
                 元輔
0174 あかずのみ思ほえむをばいかがせんかくこそは見め秋の夜の月

     延喜御時、八月十五夜蔵人所の男ども月の宴
     しはべりけるに
                 藤原経臣
0175 ここにだに光さやけき秋の月雲の上こそ思ひやらるれ

     同じ御時御屏風に
                 躬恒
0176 いづこにか今宵の月の見えざらんあかぬは人の心なりけり

     題しらず
                 兼盛
0177 夜もすがら見てを明かさむ秋の月今宵の空に雲なからなん

     廉義公家にて、「草むらの夜の虫」といふ題を
     よみはべりける
                 藤原為頼
0178 おぼつかないづこなるらん虫の音を訪ねば草の露や乱れん

     前栽に鈴虫を放ちはべりて
                 伊勢
0179 いづこにも草の枕を鈴虫はここを旅とも思はざらなん

     屏風に
                 貫之
0180 秋来れば機織る虫のあるなへに唐錦にも見ゆる野辺かな

     題しらず
                 よみ人しらず
0181 契りけんほどや過ぎぬる秋の野に人待つ虫の声の絶えせぬ

                 躬恒
0182 露けくてわが衣手は濡れぬとも折りてを行かん秋萩の花

     亭子院御屏風に
                 伊勢
0183 移ろはむことだに惜しき秋萩を折れぬばかりも置ける露かな

     三条の后宮の裳着はべりける屏風に、九月九
     日の所
                 元輔
0184 わが宿の菊の白露今日ごとにいく世積もりて淵となるらん

     題しらず
                 躬恒
0185 長月の九日ごとに摘む菊の花もかひなく老いにけるかな

     右大将定国家屏風に
                 忠岑
0186 千鳥鳴く佐保の川霧立ちぬらし山の木の葉も色変はり行く

     延喜御時の御屏風に
                 貫之
0187 風寒みわが唐衣打つ時ぞ萩の下葉も色まさりける

     三百六十首の中に
                 曽祢好忠
0188 神奈備の三室の山を今日見れば下草かけて色づきにけり

     題しらず
                 大中臣能宣
0189 紅葉せぬ常盤の山は吹風の音にや秋を聞き渡るらん

0190 紅葉せぬ常盤の山に住む鹿は己れ鳴きてや秋を知るらん

                 よみ人しらず
0191 秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿の鳴かぬ日ぞなき

0192 秋風を背くものから花薄行く方をなど招くなるらん

     初瀬へ詣ではべりける道に、佐保山のもとに
     まかり宿りて朝に霧の立ち渡りてはべりけれ
     ば
                 恵慶法師
0193 紅葉見に宿れる我と知らねばや佐保の川霧立ち隠すらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0194 もみぢ葉の色をし添へて流るれば浅くも見えず山川の水

     大井河に人びとまかりて歌よみはべりけるに
                 能宣
0195 もみぢ葉を今日はなほ見む暮れぬとも小倉の山の名には障らじ

     題しらず
                 読人しらず
0196 秋霧の立たまく惜しき山路かな紅葉の錦織り積もりつつ

     大井河に紅葉の流るるを見て
                 健守法師
0197 水のあやに紅葉の錦重ねつつ川瀬に波の立たぬ日ぞなき

     西宮左大臣家の屏風に、鹿の山越えに壺装束
     したる女ども紅葉などある所に
                 順
0198 名を聞けば昔ながらの山なれど時雨るる秋は色まさりけり

     東山に紅葉見にまかりて、又の日のつとめて
     まかり帰るとてよみはべりける
                 恵慶法師
0199 昨日より今日はまされるもみぢ葉の明日の色をば見てややみなん

     天暦御時殿上の男ども紅葉見に大井にまかり
     けるに
                 源延光朝臣
0200 もみぢ葉を手ごとに折りて帰りなん風の心もうしろめたきに

                 源兼光
0201 枝ながら見てを帰らんもみぢ葉は折らんほどにも散りもこそすれ

     題しらず
                 深養父
0202 川霧のふもとをこめて立ち濡れば空にぞ秋の山は見えける

     竹生島に詣ではべりける時、紅葉の影の水に
     映りてはべりければ
                 法橋観教
0203 湖に秋の山辺を映してははたばり広き錦とぞ見る

     二条右大臣の粟田の山里の障子の絵に、旅人
     紅葉の下に宿りたる所
                 恵慶法師
0204 今よりは紅葉の下に宿りせし惜しむに旅の日数経ぬべし

     題しらず
                 よみ人しらず
0205 訪ふ人も今はあらじの山風に人待つ虫の声ぞ悲しき

     延喜御時中宮御屏風に
                 貫之
0206 散りぬべき山の紅葉を秋霧のやすくも見せず立ち隠すらん

     題しらず
                 僧正遍昭
0207 秋山の嵐の声を聞く時は木の葉ならねど物ぞ悲しき

                 貫之
0208 秋の夜に雨と聞こえて降る物は風に従ふ紅葉なりけり

0209 心もて散らんだにこそ惜しからめなどか紅葉に風の吹くらん

     嵐の山の下をまかりけるに、紅葉のいたく散
     りはべりければ
                 右衛門督公任
0210 朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき

     題しらず
                 能宣
0211 秋霧の峰にも尾にも立つ山は紅葉の錦たまらざりけり

     大井に紅葉の流るるを見はべりて
                 壬生忠岑
0212 色々の木の葉流る大井河下は桂の紅葉とや見ん

     題しらず
                 好忠
0213 招くとて立ちも止まらぬ秋ゆゑにあはれ片寄る花薄かな

     暮の秋、重之が消息してはべりける返事に
                 平兼盛
0214 暮れて行く秋の形見に置く物はわが元結の霜にぞありける

   拾遺和歌集巻第四
    冬
     延喜御時、内侍の督の賀の屏風に
                 紀貫之
0215 あしひきの山かき曇り時雨るれど紅葉はいとど照りまさりけり

     寛和二年、清涼殿の御障子に網代描ける所
                 よみ人しらず
0216 網代木にかけつつ洗ふ唐錦日を経て寄する紅葉なりけり

     時雨しはべりける日
                 貫之
0217 かきくらし時雨るる空をながめつつ思ひこそやれ神奈備の森

     題しらず
                 よみ人しらず
0218 神無月時雨しぬらし葛の葉の裏こがる音に鹿も鳴くなり

     奈良の帝、龍田河に紅葉御覧じに行幸ありけ
     る時御、供に仕うまつりて
                 柿本人麿
0219 龍田河もみぢ葉流る神奈備の三室の山に時雨降るらし

     散り残りたる紅葉を見はべりて
                 僧正遍昭
0220 唐錦枝に一群残れるは秋の形見をたたぬなりけり

     延喜御時女四の内親王の家の屏風に
                 貫之
0221 流れ来るもみぢ葉見れば唐錦滝の糸もて織れるなりけり

     屏風に
                 平兼盛
0222 時雨ゆゑかづく袂をよそ人は紅葉を払ふ袖かとや見ん

     百首歌の中に
                 源重之
0223 葦の葉に隠れて住みし津の国の昆陽もあらはに冬は来にけり

     題しらず
                 貫之
0224 思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり

                 よみ人しらず
0225 ひねもすに見れどもあかぬもみぢ葉はいかなる山の嵐なるらん

0226 夜を寒み寝覚めて聞けば鴛鴦のうらやましくも見なるなるかな

0227 水鳥の下安からぬ思ひにはあたりの水も凍らざりけり

0228 夜を寒み寝覚めて聞けば鴛鴦ぞ鳴く払ひもあへず霜や置くらん

     定文が家の歌合に
0229 霜の上に降る初雪の朝氷解けずも物を思ふころかな

     題しらず
                 右衛門督公任
0230 霜置かぬ袖だに冴ゆる冬の夜に鴨の上毛を思ひこそやれ

                 橘行頼
0231 池水や氷解くらむ葦鴨の夜深く声の騒ぐなるかな

                 紀友則
0232 飛びかよふ鴛鴦の羽風の寒ければ池の氷ぞ冴えまさりける

                 よみ人しらず
0233 水の上に思ひしものを冬の夜の氷は袖の物にぞありける

     屏風に
                 平兼盛
0234 ふしづけし淀の渡を今朝見ればとけん期もなく氷しにけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0235 冬寒み凍らぬ水はなけれども吉野の滝は絶ゆる世もなし

     恒徳公家の屏風に
                 能宣
0236 冬されば嵐の声も高砂の松につけてぞ聞くべかりける

                 元輔
0237 高砂の松に住む鶴冬来れば尾上の霜や置きまさるらん

     題しらず
                 紀友則
0238 夕されば佐保の川原の川霧に友まどはせる千鳥鳴くなり

                 人麿
0239 浦近く降り来る雪は白波の末の松山越すかとぞ見る

     廉義公家障子
                 元輔
0240 冬の夜の池の氷のさやけきは月の光の磨くなりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0241 冬の池の上は氷に閉ぢられていかでか月の底に入るらん

     月を見てよめる
                 恵慶法師
0242 天の原空さへ冴えや渡らん氷と見ゆる冬の夜の月

     初雪をよめる
                 源景明
0243 都にて珍しと見る初雪は吉野の山に降りやしぬらん

     女を語らひはべりけるが、年ごろになりはべ
     りにけれど、うとくはべりければ、雪の降り
     はべりけるに
                 元輔
0244 降るほどもはかなく見ゆる淡雪のうらやましくもうちとくるかな

     山間に雪の降りかかりてはべりけるを
                 伊勢
0245 あしひきの山ゐに降れる白雪は摺れる衣の心地こそすれ

     斎院の屏風に
                 貫之
0246 夜ならば月とぞ見ましわが宿の庭白妙に降れる白雪

     題しらず
                 能宣
0247 わが宿の雪につけてぞ古里の吉野の山は思ひやらるる

     屏風の絵に越の白山描きてはべりける所に
                 藤原佐忠朝臣
0248 我一人越の山路に来しかども雪降りにける跡を見るかな

     題しらず
                 忠見
0249 年経れば越の白山老いにけり多くの冬の雪積もりつつ

     入道摂政の家の屏風に
                 兼盛
0250 見わたせば松の葉白き吉野山いく世積もれる雪にかあるらん

     題しらず
0251 山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む

                 人麿
0252 あしひきの山路も知らず白樫の枝にも葉にも雪の降れれば

     右大将定国家の屏風に
                 貫之
0253 白雪の降りしく時は三吉野の山下風に花ぞ散りける

     冷泉院御時、御屏風に
                 兼盛
0254 人知れず春をこそ待て払ふべき人なき宿に降れる白雪

     屏風に
                 能宣
0255 新しき春さへ近くなり行けば降りのみまさる年の雪かな

                 右衛門督公任
0256 梅が枝に降り積む雪は一年に再びふ咲ける花かとぞ見る

     屏風の絵に仏名の所
                 能宣
0257 起き明かす霜とともにや今朝はみな冬の夜深き罪も消ぬらん

     延喜御時の屏風に
                 貫之
0258 年の内に積もれる罪はかきくらし降る白雪とともに消えなん

     屏風の絵に、仏名の朝に梅の木の下に導師と
     主人とかはらけ取りて別れ惜しみたる所
                 能宣
0259 雪深き山路に何に帰るらん春待つ花の蔭にとまらで

     屏風の絵に、仏名の所
                 兼盛
0260 人はいさ犯しやすらん冬来れば年のみ積もる雪とこそ見れ

     斎院の屏風に、十二月つごもりの夜
0261 数ふればわが身に積もる年月を送り迎ふと何急ぐらん

     百首歌の中に
                 源重之
0262 雪積もる己が年をば知らずして春をば明日と聞くぞうれしき

   拾遺和歌集巻第五
    賀
     天暦御時、斎宮下りはべりける時の長奉送使
     にてまかり帰らむとて
                 中納言朝忠
0263 よろづ世の始めと今日を祈り置きて今行末は神ぞ知るらん

     初めて平野祭に男使立てし時、うたふべき歌
     よませしに
                 大中臣能宣
0264 ちはやぶる平野の松の枝茂み千代も八千代も色は変らじ

     仁和の御時、大嘗会の歌
                 よみ人しらず
0265 蒲生野の玉の小山に住む鶴の千歳は君が御代の数なり

     贈皇后宮の御産屋の七夜に、兵部卿致平の親
     王の雉の形を作りて誰れともなくて歌をつけ
     てはべりける
                 清原元輔
0266 朝まだき桐生の岡に立つ雉は千代の日継ぎの始めなりけり

     藤氏の産屋にまかりて
                 能宣
0267 双葉より頼もしきかな春日山木高き松の種ぞと思へば

     産屋の七夜にまかりて
0268 君が経む八百万世を数ふればかつがつ今日ぞ七夜なりける

     右大将藤原実資産屋の七夜に
                 平兼盛
0269 今年生ひの松は七日になりにけり残りのほどを思ひこそやれ

     ある人の産屋にまかりて
                 能宣
0270 千歳とも数は定めず世の中に限りなき身と人も言ふべく

     藤原誠信元服しはべりける夜よみける
                 源順
0271 老いぬれば同じ事こそせられけれ君は千代ませませ

     三善のすけただかうぶりしはべりける時
                 能宣
0272 結ひ初むる初元結ひの濃紫衣の色に移れとぞ思ふ

     天暦の帝四十になりおはしましける時、山階
     寺に金泥寿命経四十巻を書き供養し奉りて、
     御巻数鶴にくはせて洲浜に立てたりけり。そ
     の洲浜の敷物にあまたの歌葦手に書ける中に
                 兼盛
0273 山階の山の岩根に松を植ゑて常盤堅盤に祈りつるかな

                 仲算法師
0274 声高く三笠の山ぞよばふなる天の下こそ楽しかるらし

     承平四年、忠宮の賀しはべりける時の屏風に
                 斎宮内侍
0275 色変へぬ松と竹との末の世をいづれ久しと君のみぞ見む

     同じ賀に、竹の杖作りてはべりけるに
                 大中臣頼基
0276 一節に千世をこめたる杖なれば突くとも突きし君が齢は

     清慎公五十の賀しはべりける時の屏風に
                 元輔
0277 君が世を何に喩へんさざれ石の巌とならんほどもあかねば

0278 青柳の緑の糸を繰り返しいくらばかりの春を経ぬらん

                 兼盛
0279 わが宿に咲ける桜の花盛り千歳見るともあかじとぞ思ふ

     同じ人の七十賀しはべりけるに竹の杖を作り
     て
                 能宣
0280 君がため今日切る竹の杖なればまたも尽きせぬ世々ぞこもれる

0281 位山峰まで突ける杖なれど今万世の坂のためなり

     一条摂政中将にはべりける時、父の大臣の五
     十賀しはべりける屏風に
                 小野好古朝臣
0282 吹く風によその紅葉は散り来れど君は常盤の影ぞのどけき

     権中納言敦忠母の賀しはべりけるに
                 源公忠朝臣
0283 万世もなほこそあかね君がため思ふ心の限りなければ

     五条内侍の督の賀、民部卿清貫しはべりける
     時、屏風に
                 伊勢
0284 大空に群れたる田鶴のさしながら思ふ心のありけなるかな

0285 春の野の若菜ならねど君がため年の数をも摘まんとぞ思ふ

     天徳三年、内裏に花宴せさせたまひけるに
                 九条右大臣
0286 桜花今宵かざしに挿しながらかくて千歳の春をこそ経め

     題しらず
                 よみ人しらず
0287 かつ見つつ千歳の春を過ぐすともいつかは花の色にあくべき

     亭子院歌合に
                 躬恒
0288 三千歳になるてふ桃の今年より花咲く春に逢ひにけるかな

     康保三年、内裏にて子日せさせたまひけるに、
     殿上の男ども和歌仕うまつりけるに
                 藤原信賢
0289 珍しき千代の初めの子日にはまづ今日をこそ引くべかりけれ

     小野宮太政大臣家にて、子日しはべりけるに
     下臈にはべりける時よみはべりける
                 三条太政大臣
0290 行く末も子日の松のためしには君が千歳を引かむとぞ思ふ

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0291 松をのみ常盤と思ふに世とともに流す泉も緑なりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0292 水無月の名越しの祓へする人は千歳の命延ぶといふなり

     承平四年、中宮の賀しはべりける屏風
                 参議伊衡
0293 禊して思ふ事をぞ祈りつる八百万代の神のまにまに

     天暦御時、前栽の宴せさせたまひける時
                 小野宮太政大臣
0294 よろづ世に変らぬ花の色なればいづれの秋か君が見ざらん

     廉義公家にて、人びとに歌よませはべりける
     に、「叢の中の夜の虫」といふ題を
                 平兼盛
0295 千歳とぞ叢ごとに聞こゆなるこや松虫の声にはあるらん

     右大臣源の光の家に前栽合せしはべりける負
     態を内舎人橘のすけみがしはべりける、千鳥
     の形作りてはべりけるに、よませはべりける
                 貫之
0296 誰が年の数とかは見む行きかへり千鳥鳴くなる浜の真砂を

     天暦御時、清慎公御笛奉るとてよませはべり
     ければ
                 能宣
0297 生ひ初むる根よりぞしるき笛竹の末の世長くならんものとは

     鏡鋳させはべりける裏に鶴の形を鋳付けさせ
     はべりて
                 伊勢
0298 千歳とも何か祈らん浦に住む田鶴の上をぞ見るべかりける

     題しらず
                 よみ人しらず
0299 君が世は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなん

     賀の屏風に
                 元輔
0300 動きなき巌の果ても君ぞ見む乙女の袖の撫で尽くすまで

   拾遺和歌集巻第六
    別
     春ものへまかりける人の、あか月に出で立ち
     ける所にて、留まりはべりける人のよみはべ
     りける
                 よみ人しらず
0301 春霞立つ暁を見るからに心ぞ空になりぬべらなる

     題しらず
0302 桜花露に濡れたる顔見れば泣きて別れし人ぞ恋しき

0303 散る花は道見えぬまで埋づまなん別るる人も立ちや止まると

     ものへまかりける人のもとに、人びとまかり
     て、かはらけとりて
                 曽祢好忠
0304 雁がねの帰るを聞けば別れ路は雲井はるかに思ふばかりぞ

     天暦御時、少弐命婦豊前にまかりはべりける
     時、大盤所にて餞せさせたまふに、かづけ物
     たまふとて
                 御製
0305 夏衣たち別るべき今宵こそひとへに惜しき思ひ添ひぬれ

     題しらず
                 よみ人しらず
0306 忘るなよ別れ路に生ふる葛の葉の秋風吹かば今帰り来む

0307 別れてふ事は誰かは始めけん苦しき物と知らずやありけん

0308 時しもあれ秋しも人の別るればいとど袂ぞ露けかりける

     天暦御時、九月十五日斎宮下りはべりけるに
                 御製
0309 君が世を長月とだに思はずはいかに別れの悲しからまし

     十月ばかりに物へまかりける人に
                 忠見
0310 露にだに当てじと思ひし人しもぞ時雨降るころ旅に行きける

     物へまかりける人に馬の餞しはべりて、扇遣
     はしける
                 能宣
0311 別れ路を隔つる雲のためにこそ扇の風をやらまほしけれ

     題しらず
                 よみ人しらず
0312 別れては逢はむ逢はじぞ定めなきこの夕暮れや限りなるらん

0313 別れ路は恋しき人の文なれややらでのみこそ見まくほしけれ

     物へまかりける人の送り、関山までしはべる
     とて
                 貫之
0314 別れ行く今日はまどひぬ逢坂は帰り来む日の名にこそありけれ

     伊勢より上りはべりけるに、しのびて物言ひ
     はべりける女の、東へ下りけるが、逢坂にま
     かり逢ひてはべりけるに遣はしける
                 能宣
0315 行く末の命も知らぬ別れ路は今日逢坂や限りなるらん

     大江為基東へまかり下りけるに扇を遣はすと
     て
                 赤染衛門
0316 惜しむともなきものゆゑにしかすがの渡りと聞けばただならぬかな

     源嘉種が参河介にてはべりけるむすめのもと
     に、母のよみて遣はしける
0317 もろともに行かぬ参河の八橋は恋しとのみや思ひ渡らん

     兼盛、駿河守にて下りはべりける馬の餞しは
     べるとて
                 源順
0318 別れ路は渡せる橋もなきものをいかでか常に恋ひ渡るべき

     信濃国に下りける人のもとに遣はしける
                 貫之
0319 月影はあかず見るとも更級の山の麓に長居すな君

     共政朝臣肥後守にて下りはべりけるに、妻の
     肥前が下りはべりければ筑紫櫛御衣など賜ふ
     とて
                 天暦御製
0320 別るれば心をのみぞ尽くし櫛挿して逢ふべきほどを知らねば

     天暦御時、御乳母肥後が出羽国に下りはべり
     けるに、餞賜ひけるに、藤壺より装束賜ひけ
     るに、添へられたりける
                 よみ人しらず
0321 行く人を留めがたみの唐衣裁つより袖の露けかるらん

     同じ御乳母の餞に、殿上の男ども女房など別
     れ惜しみはべりけるに
                 御乳母少納言
0322 惜しむともかたしや別れ心なる涙をだにもえやは留むる

                 女蔵人参河
0323 東路の草葉を分けん人よりも後るる袖ぞまづは露けき

     題しらず
                 よみ人しらず
0324 別るればまづ涙こそ先に立ていかで後るる袖の濡るらん

0325 別るるを惜しとぞ思ふ剣刃の身を縒り砕く心地のみして

     源弘景ものへまかりけるに、装束賜ふとて
                 三条太皇太后宮
0326 旅人の露払ふべき唐衣まだきも袖の濡れにけるかな

     橘公頼帥になりてまかり下りける時、敏貞が
     継母典侍の馬の餞しはべりけるに、装束に添
     へて遣はしける
                 貫之
0327 あまたには縫ひかさねねど唐衣思ふ心は千重にぞありける

     題しらず
0328 遠く行く人のためにはわが袖の涙の玉も惜しからなくに

                 よみ人しらず
0329 惜しむとて止まる事こそかたからめわが衣手を干してだに行け

     田舎へまかりける時
                 貫之
0330 糸による物ならなくに別れ路は心細くも思ほゆるかな

     陸奥国守これともがまかり下りけるに、弾正
     の親王の香薬遣はしけるに
                 戒秀法師
0331 亀山にいく薬のみ有りければ留むる方もなき別れかな

     藤原雅正が豊前守にはべりける時、為頼がお
     ぼつかなしとて下りはべりけるに、馬の餞し
     はべるとて
                 藤原清正
0332 思ふ人ある方へ行く別れ路を惜しむ心ぞかつはわりなき

     肥後守にて清原元輔下りはべりけるに、源満
     中餞しはべりけるにかはらけとりて
                 元輔
0333 いかばかり思ふらむとか思ふらん老いて別るる遠き別れを

     返し
                 源満中朝臣
0334 君はよし行く末遠しとまる身の松ほどいかがあらむとすらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0335 後れゐてわが恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日や越ゆらん

                 右衛門
0336 命をぞいかならむとは思ひ来し生きて別るる世にこそありけれ

     筑紫へまかりける人のもとに言ひつかはしけ
     る
                 橘倚平
0337 昔見し生の松原こと問とはば忘れぬ人も有りと答へよ

     陸奥守にて下りはべりける時、三条太政大臣
     の餞しはべりければ、よみはべりける
                 藤原為頼
0338 武隈の松を見つつや慰めん君が千歳の影にならひて

     陸奥国の白河関越えはべりけるに
                 平兼盛
0339 便りあらばいかで都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと

     実方朝臣陸奥国へ下りはべりけるに、下鞍遣
     はすとて
                 右衛門督公任
0340 東路の木の下暗くなり行かば都の月を恋ひざらめやは

     題しらず
                 よみ人しらず
0341 旅行かば袖こそ濡るれ守山の雫にのみは負せざらなん

     恒徳公家の障子に
                 兼盛
0342 潮満てるほどに行き交ふ旅人や浜名の橋と名付けそめけん

     田蓑の島のほとりにて、雨にあひて
                 貫之
0343 雨により田蓑の島を分け行けど名には隠れぬ物にぞありける

     難波に祓へしはべりて、まかり帰りける暁に、
     森のはべりけるに、郭公の鳴きはべりけるを
     聞きて
                 伊勢
0344 郭公ねぐらながらの声聞きけば草の枕ぞ露けかりける

     物へまかりける道にて雁の鳴くを聞きて
                 能宣
0345 草枕我のみならず雁がねも旅の空にぞ鳴き渡るなる

     題しらず
                 よみ人しらず
0346 君をのみ恋ひつつ旅の草枕露しげからぬ暁ぞなき

     源公貞が大隅へまかり下りけるに、関戸の院
     にて月の明かりけるに、別れ惜しみはべりて
                 平兼盛
0347 はるかなる旅の空にも後れねばうらやましきは秋の夜の月

     秋旅にまかりけるに、印南野に宿りて
                 能宣
0348 女郎花我に宿貸せ印南野の否と言ふともここを過ぎめや

     筑紫へ下りける道にて
                 重之
0349 船路には草の枕も結ばねば起きなからこそ夢も見えけれ

     帥伊周筑紫へまかりけるに、川尻離れはべり
     けるによみはべりける
                 弓削嘉言
0350 思ひ出でもなき古里の山なれど隠れ行くはたあはれなりけり

     流されはべりて後、言ひおこせてはべりける
                 贈太政大臣
0351 君が住む宿の梢の行く行くと隠るるまでに返り見しはや

     笠金岡が唐土に渡りてはべりける時、妻の長
     歌よみてはべりける返し
                 金岡
0352 浪の上に見えし小島の島隠れ行く空もなし君に別れて

     唐土にて
                 柿本人麿
0353 天飛ぶや雁の使ひにいつしかも奈良の都に言伝てやらん

   拾遺和歌集巻第七
    物名
     紅梅
                 よみ人しらず
0354 鴬の巣作る枝を折つればこうばいかでか生まむとすらん

     桜
0355 花の色をあらはにめでばあだめきぬいざ暗闇になりてかざさむ

     岩柳
                 藤原輔相
0356 旅のいはやなきとこにも寝られけり草の枕に露は置けども

     さるとりの花
0357 鳴く声はあまたすれども鴬にまさる鳥のはなくこそありけれ

     かにひの花
                 伊勢
0358 わたつ海の沖中に火の離れ出でて燃ゆと見ゆるは海人の漁か

     かいつばた
                 よみ人しらず
0359 濃き色がいつはた薄く移ろはむ花に心も付けざらんかも

     さくなむさ
                 如覚法師
0360 紫の色には咲くな武蔵野の草のゆかりと人もこそ見れ

     しもつけ
                 よみ人しらず
0361 植ゑて見る君だに知らぬ花の名を我しも付けんことのあやしさ

     りうたむ
0362 川上に今よりうたむ網代にはまづもみぢ葉や寄らむとすらん

     きちかう
0363 あだ人の籬近うな花植ゑそ匂ひもあへず折り尽くしけり

     朝顔
0364 わが宿の花の葉にのみ寝る蝶のいかなる朝かほかよりは来る

     けにこし
0365 忘れにし人のさらにも恋しきかむげに来じとは思ふものから

     らに
0366 秋の野に花てふ花を折りつればわびしらにこそ虫も鳴きけれ

     かるかや
                 忠岑
0367 白露のかかるかやがて消えざらば草葉ぞ玉のくしげならまし

     萩の花
0368 山川は木の葉流れず浅き瀬をせけば淵とぞ秋はなるらん

     松虫
0369 たぎつ瀬の中に玉積む白波は流るる水を緒にぞ貫きける

     ひぐらし
0370 今来むと言ひて別れし朝より思ひ暮らしの音をのみぞ鳴く

                 貫之
0371 杣人は宮木引くらしあしひきの山の山彦声とよむなり

0372 松の音は秋の調べに聞こゆなり高くせめ上げて風ぞ弾くらし

     一本菊
                 輔相
0373 あだなりと人もどきける野辺しもぞ花のあたりを過ぎがてにする

     すはうごけ
0374 鴬の巣は動けども主もなし風に任せていづち往ぬらん

     大和
0375 古道に我やまどはむいにしへの野中の草は茂りあひにけり

     印南野
0376 住吉の岡の松笠さしつれば雨は降るともいな蓑は着じ

     栗栖野
0377 白波のうちかくる洲の乾かぬにわが袂こそ劣らざりけれ

     木島に尼の詣でたりけるを見て
0378 水もなく舟も通はぬこの島にいかでか海人の生め刈るらん

     淀川
                 在原元方
0379 植ゑていにし人も見なくに秋萩の誰れ見よとかは花の咲きけむ

                 貫之
0380 あしひきの山辺に居れば白雲のいかにせよとか晴るる時なき

     小川の橋
                 在原業平朝臣
0381 筑紫よりここまで来れどつともなし太刀の緒革の端のみぞある

     くまのくらといふ山寺に賀縁法師の宿りては
     べりけるに、住持しはべりける法師に歌よめ
     と言ひはべりければ
                 よみ人しらず
0382 身を捨てて山に入りにし我なれば熊の食らはむこともおぼえず

     犬飼の御湯
0383 鳥の子はまだ雛ながら立ちていぬ卵の見ゆるは巣守なりけり

     荒船の御社
                 輔相
0384 茎も葉もみな緑なる深芹は洗ふ根のみや白く見ゆらん

     名取の郡
                 重之
0385 あだなりな鳥の氷に下りゐるは下より解くることは知らぬか

     名取の御湯
                 兼盛
0386 おぼつかな雲の通路見てしがな鳥のみ行けばあとはかもなし

     さはこの御湯
                 よみ人しらず
0387 あかずして別れし人の住む里はさはこの見ゆる山のあなたか

     つつみの岳
                 紀輔時
0388 篝火の所定めず見えつるは流れつつのみ焚けばなりけり

     むろの木
                 高尚草春
0389 神奈備の三室の岸や崩るらん龍田の河の水の濁れる

     きさの木
                 輔相
0390 怒り猪の石をくくみて噛み来しは象の牙にこそ劣らざりけれ

     はなかむじ
                 仙慶法師
0391 五月雨にならぬ限りは郭公何かは鳴かむしのぶばかりに

     桃
                 輔相
0392 心ざし深き時には底の藻もかづき出でぬる物にぞありける

     はしばみ
                 よみ人しらず
0393 面影にしばしは見ゆる君なれど恋しき事ぞ時ぞともなき

     ねりがき
                 輔相
0394 いにしへは驕れりしかど侘びぬれば舎人が衣も今は着つべし

     尾張米
0395 池を張り込めたる水の多かれば井樋の口よりあまるなるべし

     松茸
0396 あしひきの山下水に濡れにけりその火まづ焚け衣あぶらん

0397 厭へどもつらき形見を見る時はまづたけからぬ音こそ泣かるれ

     くくたち
0398 山高み花の色をも見るべきに憎くく立ちぬる春霞かな

     こにやく
0399 野を見れば春めきにけり青つづら籠にや組ままし若菜摘むべく

     そやし豆
                 高岳相如
0400 漁りせし海人の教へしいづくぞや島巡るとてありと言ひしは

     雉の雄鳥
                 輔相
0401 川岸の躍り下るべき所あらば憂きに死にせぬ身は投げてまし

     山がらめ
0402 もみぢ葉に衣の色は染みにけり秋の山から巡り来しまに

     かやくき
0403 何とかや茎の姿は思ほえであやしく花の名こそ忘るれ

     つぐみ
                 大伴黒主
0404 わが心あやしくあだに春来れば花につく身となどてなりけん

0405 咲く花に思ひつく身のあぢきなさ身にいたつきの入るも知らずて

     つばくらめ
                 輔相
0406 難波津は暗めにのみぞ舟は着く朝の風の定めなければ

     はらか
                 元輔
0407 三吉野も若菜摘むらん我妹子が桧原霞みて日数経ぬれば

     鮭からみ
                 輔相
0408 あし絹は裂け絡みてぞ人は着る尋や足らぬと思ふなるべし

     火干しの鮎
0409 雲まよひ星のあゆくと見えつるは蛍の空に飛ぶにぞありける

     押し鮎
0410 はしたかの招き餌にせんとかまへたるをしあゆかすな鼠取るべく

     包み焼き
0411 我妹子が身を捨てしより猿沢の池の堤や君は恋しき

     うるか煎り
                 重之
0412 この家は売るか入りても見てしがな主人ながらも買はんとぞ思ふ

     しただみ
                 よみ人しらず
0413 東にて養はれたる人の子はしただみてこそ物は言ひけれ

     さはやけ
0414 春風の今朝早ければ鴬の花の衣もほころびにけり

     まかり
0415 霞分けいまかり帰るものならば秋来るまでは恋ひやわたらん

     とち ところ たちばな
                 輔相
0416 思ふどち所も変へず住み経なん立ち離れなば恋しかるべし

     朽葉色の惜しき
0417 あしひきの山の木の葉の落ち朽ちば色の惜しきぞあはれなりける

     あしがなへ
0418 津の国の難波わたりに作る田は葦か苗かとえこそ見分かね

     むなぐるま
0419 鷹飼ひのまだも来なくに繋ぎ犬の離れて行かむ汝来る待つほど

     いかるがにげ
                 躬恒
0420 事ぞとも聞きだに分かずわりなくも人の怒るが逃げやしなまし

     鼠の琴腹に子を生みたるを
                 輔相
0421 年を経て君をのみこそ寝住みつれ異腹にやは子をば生むべき

     月のきぬを着てはべりけるに
0422 久方の月の衣をば着たれども光は添はぬわが身なりけり

     象の牙の箱
0423 世とともに塩焼く海人の絶えせねば渚の木の葉焦がれてぞ散る

     長筵
0424 鴬の鳴かむ代には我ぞ泣く花の匂ひやしばし止まると

     豹の皮
0425 底へ鵜の川波分けて入りぬるか待つほど過ぎて見えずもあるかな

     鹿の皮のむかばき
0426 かの川の向脛過ぎて深からば渡らでただに帰るばかりぞ

     庚申
0427 かの江去る舟待てしばし言問はん沖の白波まだ立たぬ間に

     辛といふことを
                 恵慶法師
0428 小牡鹿の友まどはせる声すなり妻や恋しき秋の山辺に

     子 丑 寅 卯 辰 巳
                 よみ人しらず
0429 一夜寝て憂しとらこそは思ひけめ浮き名立つ身ぞ侘しかりける

     午 未 申 酉 戌 亥
0430 生まれより櫃し作れば山に去る一人往ぬるに人率ていませ

     四十九日
                 輔相
0431 秋風の四方の山よりおのがじし吹くに散りぬる紅葉悲しな

   拾遺和歌集巻第八
    雑上
     月を見はべりて
                 中務卿具平親王
0432 世に経るに物思ふとしもなけれども月にいく度眺めしつらん

     清慎公家屏風に
                 貫之
0433 思ふ事ありとはなしに久方の月夜となれば寝られざりけり

     妻に後れてはべりけるころ、月を見はべりて
                 大江為基
0434 ながむるに物思ふ事の慰むは月は憂き世の外よりや行く

     法師にならんと思ひ立ちはべりけるころ、月
     を見はべりて
                 藤原高光
0435 かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくも澄める月かな

     冷泉院の東宮におはしましける時、月を待つ
     心の歌、男どものよみはべりけるに
                 藤原仲文
0436 有明けの月の光を待つほどにわが世のいたく更けにけるかな

     参議玄上が妻の、月の明き夜門の前を渡ると
     て、消息言ひ入れてはべりければ
                 伊勢
0437 雲井にてあひ語らはぬ月だにもわが宿過ぎて行く時はなし

     花山にまかりてはべりけるに、駒引きの御馬
     を遣はしたりければ
                 素性法師
0438 望月の駒より遅く出でつればたどるたどるぞ山は越えつる

     屏風の絵に
                 貫之
0439 常よりも照りまさるかな山の端の紅葉を分けて出づる月影

                 躬恒
0440 久方の天つ空なる月なれどいづれの水に影宿るらん

     廉義公後院に住みはべりける時、歌よみはべ
     りける人びと召し集めて「水上秋月」といふ
     題をよませはべりけるに
                 左大将済時
0441 水底に宿る月だに浮かべるを沈むや何の水屑なるらん

                 式部大輔文時
0442 水の面に月の沈むを見ざりせば我一人とや思ひ果てまし

     除目の朝に命婦左近がもとに遣はしける
                 元輔
0443 年ごとに絶えぬ涙や積もりつついとど深くは身を沈むらん

     円融院御時、御屏風歌奉りけるついでに添へ
     て奉りける
                 順
0444 ほどもなく泉ばかりに沈む身はいかなる罪の深きなるらん

     権中納言敦忠が西坂本の山庄の滝の岩に書き
     付けはべりける
                 伊勢
0445 音羽河せき入れて落とす滝つ瀬に人の心の見えもするかな

                 中務
0446 君が来る宿に絶えせぬ滝の糸はへて見まほしき物にぞありける

     題しらず
                 貫之
0447 流れ来る滝の白糸絶えずしていくらの玉の緒とかなるらん

     延喜十三年、斎院御屏風四帖が歌仰せにより
     て
0448 流れ来る滝の糸こそ弱からし貫けど乱れて落つる白玉

     大覚寺に人びとあまたまかりたりけるに、古
     き滝をよみはべりける
                 右衛門督公任
0449 滝の糸は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ

     題しらず
                 躬恒
0450 大空をながめぞ暮らす吹く風の音はすれども目にも見えねば

     野宮に斎宮の庚申しはべりけるに、「松風入
     夜琴」といふ題をよみはべりける
                 斎宮女御
0451 琴の音に峰の松風通ふらしいづれの緒より調べそめけん

0452 松風の音に乱るる琴の音を弾けば子日の心地こそすれ

     天暦御時、名ある所を御屏風に描かせたまひ
     て人びとに歌奉らせたまひけるに、高砂を
                 忠見
0453 尾上なる松の梢はうちなびき波の声にぞ風も貫きける

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
0454 雨降ると吹く松風は聞こゆれど池の汀はまさらざりけり

     同じ御時、大井に行幸ありて、人びとに歌よ
     ませさせたまひけるに
0455 大井河川辺の松に言問はむかかる行幸やありし昔も

     住吉に国司の臨時祭しはべりける舞人にて、
     かはらけ取りてよみはべりける
0456 音にのみ聞きわたりつる住吉の松の千歳を今日見つるかな

     五条の内侍の督の賀の屏風に、松の海にひた
     りたる所を
                 伊勢
0457 海にのみひちたる松の深緑いくしほとかは知るべかるらん

     物へまかりける人に、幣遣はしける衣箱に、
     浮島の形をしはべりて
                 能宣
0458 わたつみの波にも濡れぬ浮島の松に心を寄せて頼まん

     題しらず
                 よみ人しらず
0459 加古の島松原ごしに鳴く田鶴のあな長々し聞く人なしに

     あひ語らひはべりける人、陸奥国へまかりけ
     れば
                 能宣
0460 いかでなほわが身に代へて武隈の松ともならむ行く人のため

     河原院の古松をよみはべりける
                 源道済
0461 行く末のしるしばかりに残るべき松さへいたく老いにけるかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0462 世の中を住吉としも思はぬに何を待つとてわが身経ぬらん

     官賜はらで嘆きはべりけるころ、人の草子書
     かせはべりける奥に書きつけはべりける
                 貫之
0463 いたづらに世に経る物と高砂の松も我をや友と見るらん

     明石の浦のほとりを舟に乗りてまかりけるに
                 源為憲
0464 世とともに明石の浦の松原は波をのみこそ寄ると知るらめ

     題しらず
                 よみ人しらず
0465 藻刈り舟今ぞ渚に来寄すなる汀の田鶴の声騒ぐなり

0466 うちしのびいざ住の江の忘草忘れて人のまたや摘まぬと

     山寺にまかりける暁に、ひぐらしの鳴きはべ
     りければ
                 左大将済時
0467 朝ぼらけひぐらしの声聞こゆなりこや明けぐれと人の言ふらん

     天暦御時御、屏風の絵に長柄の橋柱のわづか
     に残れる形ありけるを
                 藤原清正
0468 葦間より見ゆる長柄の橋柱昔の跡のしるべなりけり

     大江為基がもとに売りにまうで来たりける鏡
     の包みたりける紙に書きつけてはべりける
                 よみ人しらず
0469 今日までと見るに涙のます鏡なれにし影を人に語るな

     橘忠幹が人の女にしのびて物言ひはべりける
     ころ、遠き所にまかりはべるとて、この女の
     もとに言ひ遣はしける
0470 忘るなよほどは雲井になりぬとも空行く月の廻り逢ふまで

     題しらず
                 貫之
0471 年月は昔にあらずなり行けど恋しきことは変らざりけり

     清慎公月林寺にまかりけるに、後れて詣で来
     てよみはべりける
                 藤原後生
0472 昔わが折りし桂のかひもなし月の林の召しに入らねば

     菅原の大臣かうぶりしはべりける夜、母のよ
     みはべりける
0473 久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな

     題しらず
                 人麿
0474 月草に衣は摺らん朝露に濡れての後は移ろひぬとも

0475 ちぢわくに人は言ふとも織りて着むわが機物に白き麻衣

0476 久方の雨には着ぬをあやしくもわが衣手の干る時もなき

0477 白波は立てど衣に重ならず明石も須磨もおのが浦々

     唐土へ遣はしける時よめる
0478 夕されば衣手寒し我妹子が解き洗ひ衣行きてはや着む

     流されはべりける道にてよみはべりける
                 贈太政大臣
0479 天つ星道も宿りも有りながら空に浮きても思ほゆるかな

     浮き木といふ心を
0480 流れ木も三年ありてはあひ見てん世の憂き事ぞ帰らざりける

     官取られてはべりける時、妹の女御のもとに
     遣はしける
                 平定文
0481 憂き世には門させりとも見えなくになどかわが身の出でがてにする

     中宮長恨歌の御屏風に
                 伊勢
0482 木にも生ひず羽も並べて何しかも波路隔てて君を聞くらん

     大津の宮の荒れてはべりけるを見て
                 人麿
0483 さざ波や近江の宮は名のみして霞たなびき宮木守なし

     初瀬へまではべりける道に、佐保山のわたり
     に宿りてはべりけるに、千鳥の鳴くを聞きて
                 能宣
0484 暁の寝覚めの千鳥誰がためか佐保の川原にをち返り鳴く

     物へまかりける人のもとに、幣を結び袋に入
     れて遣はすとて
0485 浅からぬ契結べる心葉は手向けの神ぞ知るべかりける

     初瀬の道にて三輪の山を見はべりて
                 元輔
0486 三輪の山しるしの杉は有りながら教へし人はなくていく世ぞ

     対馬守小野のあきみちが妻隠岐が下りはべり
     ける時に、共政朝臣の妻肥前がよみて遣はし
     ける
0487 沖つ島雲井の岸を行き返り文通はさむ幻もがな

     詠天
                 人麿
0488 空の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎかくる見ゆ

     藻をよめる
0489 川の瀬の渦巻く見れば玉藻刈る散り乱れたる川の舟かも

     山をよめる
0490 鳴る神の音にのみ聞く巻向の桧原の山を今日見つるかな

     詠葉
0491 いにしへに有りけむ人もわがことや三輪の桧原にかざし折りけん

     題しらず
                 貫之
0492 人知れず越ゆと思ふらしあしひきの山下水に影は見えつつ

     伊勢の行幸にまかり泊りて
                 人麿
0493 麻生の海に舟乗りすらん我妹子が赤裳の裾に潮満つらんか

     天暦十一年九月十五日、斎宮下りはべりける
     に内裏より硯調じて賜はすとて
                 御製
0494 思ふ事成るといふなる鈴鹿山越えてうれしき境とぞ聞く

     円融院御時、斎宮下りはべりけるに母の前斎
     宮もろともに越えはべりて
                 斎宮女御
0495 世に経れば又も越えけり鈴鹿山昔の今になるにやあるらん

     飛鳥の女王を修むる時よめる
                 人麿
0496 飛鳥川しがらみ渡しせかませば流るる水ものどけからまし

     小一条左大臣まかり隠れて後、かの家にはべ
     りける鶴の鳴きはべりけるを聞きはべりて
                 小野宮太政大臣
0497 後れゐて鳴くなるよりは葦田鶴のなどか齢を譲らざりけん

     左大臣の土御門の左大臣の婿になりて後、し
     たうづの型を取りにおこせてはべりけれが
                 愛宮
0498 年を経てたち慣らしつる葦田鶴のいかなる方に跡留むらん

     大弐国章ごくの帯を借りはべりけるを、筑紫
     より上りて返し遣はしたりければ
                 元輔
0499 行く末の忍草にもありやとて露の形見も置かんとぞ思ふ

     題しらず
                 中務
0500 植ゑて見る草葉ぞ世をば知らせける置きては消ゆる今朝の朝露

     田舎にてわづらひはべりけるを、京より人の
     訪らひにおこせてはべりければ
                 弓削嘉言
0501 露の命惜しとにはあらず君を又見てやと思ふぞ悲しかりける

     神明寺の辺りに無常所まうけてはべりけるが、
     いとおもしろくはべりければ
                 元輔
0502 惜しからぬ命やさらに延びぬらん終りの煙染むる野辺にて

     二条右大臣、左近番長佐伯清忠を召して歌よ
     ませはべりけるを、望むことはべりけるが叶
     ひはべらざりけるころにて、よみはべりける
0503 限りなき涙の露に結ばれて人のしもとはなるにやあるらん

     加階しはべるべかりける年えしはべらで雪の
     降りけるを見て
                 元輔
0504 憂き世には行き隠れなでかき曇り降るは思ひの外にもあるかな

     官申しに賜はらざりけるころ、人の訪らひに
     おこせたりける返り事に
                 源景明
0505 侘び人は憂き世の中に生けらじと思ふ事さへ叶はざりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0506 世の中にあらぬ所も得てしがな年経りにたる形隠さむ

0507 世の中をかく言ひ言ひの果て果てはいかにやいかにならむとすらん
     男はべりける女をせちに懸想しはべりて、男の言ひ遣はしける
0508 いにしへの虎のたぐひに身を投げば釈迦とばかりは問はむとぞ思ふ

   拾遺和歌集巻第九
    雑下
     ある所に「春秋いづれかまさる」と問はせた
     まひけるに、よみて奉りける
                 紀貫之
0509 春秋に思ひ乱みれて分きかねつ時につけつつ移る心は

     元良の親王、承香殿のとし子に「春秋いづれ
     かまさる」と問ひはべりければ、「秋もをか
     しうはべり」と言ひければ、おもしろき桜を
     「これはいかが」と言ひてはべりければ
0510 おほかたの秋に心は寄せしかど花見る時はいづれともなし

     題しらず
                 よみ人しらず
0511 春はただ花の一重に咲くばかり物のあはれは秋ぞまされる

     円融院の上、「鴬と郭公といづれかまさると
     申せ」と仰せられければ
                 大納言朝光
0512 折からにいづれともなき鳥の音もいかが定めむ時ならぬ身は

     躬恒、忠岑に問ひはべりける
                 参議伊衡
0513 白露は上より置くをいかなれば萩の下葉のまづもみづらん

     答ふ
                 躬恒
0514 小牡鹿のしがらみ臥する秋萩は下葉や上になりかへるらん

                 忠岑
0515 秋萩はまづさす枝より移ろふを露の分くとは思はざらなむ

     又問ふ
                 伊衡
0516 千歳経る松の下葉の色づくは誰がしたかみにかけて返すぞ

     答ふ
                 躬恒
0517 松と言へど千歳の秋にあひ来れは忍びに落つる下葉なりけり

     又問ふ
                 伊衡
0518 白妙の白き月をも紅の色をもなどか赤しと言ふらん

     答ふ
                 躬恒
0519 昔より言ひしきにける事なれば我らはいかが今は定めん

     又問ふ
                 伊衡
0520 影見れば光なきをも衣縫ふ糸をもなどか縒ると言ふらん

     答ふ
                 躬恒
0521 むばたまの夜は恋しき人に逢ひて糸をも縒れば合ふとやは見ぬ

     又問ふ
                 伊衡
0522 夜昼の数は三十に余らぬをなど長月と言ひ始めけん

     答ふ
                 躬恒
0523 秋深み恋する人の明かしかね夜を長月と言ふにやあるらん

     歌合のあはせずなりにけるに
                 よみ人しらず
0524 水の泡や種となるらん浮草の蒔く人波の上に生ふれば

     草合しはべりける所に
                 恵慶法師
0525 種なくてなき物草は生おいにけりまくてふ事はらしとそ思

     なぞなぞ物語りしける所に
                 曽祢好忠
0526 わが事はえも岩代の結び松千歳を経とも誰れか解くべき

     題しらず
                 よみ人しらず
0527 あしひきの山の小寺に住む人はわが言ふこともかなはざりけり

     健守法師、仏名の野伏にてまかり出でてはべ
     りける年、言ひ遣はしける
                 源経房朝臣
0528 山ならぬ住みかあまたに聞く人の野伏にとくもなりにけるかな

     返し
0529 山伏も野伏もかくて心みつ今は舎人のねやぞゆかしき

     屏風に法師の舟に乗りて漕ぎ出でたる所
                 右大将道綱母
0530 わたつ海は海人の舟こそありと聞け乗り違へても漕ぎ出でたるかな

     内裏より人の家にはべりける紅梅を掘らせた
     まひけるに、鴬の巣くひてはべりければ、家
     主人の女まづかく奏せさせはべりける
0531 勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかが答へむ
      かく奏せさせければ、掘らずなりにけり

     ある所に説経しはべりける法師の従僧ばらの
     ゐてはべりけるに、簾の内より「花を折りて」
     と言ひはべりければ
                 寿玄法師
0532 いな折らじ露に袂の濡れたらば物思ひけりと人もこそ見れ

     月を見はべりて
                 能宣
0533 梓弓はるかに見ゆる山の端をいかでか月のさして入るらん

     賀茂に詣でてはべりける男の見はべりて、「
     今はな隠れそ。いとよく見てき」と言ひおこ
     せてはべりければ
                 伊勢
0534 そら目をぞ君は御手洗河の水浅しや深しそれは我かは

     能宣に車のかもを乞ひに遣はしてはべりける
     に、「はべらず」と言ひてはべりければ
                 藤原仲文
0535 鹿をさして馬と言ふ人ありければ鴨をも鴛鴦と思ふなるべし

     返し
                 能宣
0536 なしといへは惜しむかもとや思ふらん鹿や馬とぞ言ふべかりける

     廉義公家の紙絵に白馬ある所に、葦の花毛の
     馬ある所
                 恵慶法師
0537 難波江の葦の花毛の混じれるは津の国がひの駒にやあるらん

     津の守にはべりける人のもとにてよみはべり
     ける
                 忠見
0538 難波潟茂りあへるは君が世に葦刈るわざをせねばなるへし

     津の国にまかれりけるに、知りたる人に逢ひ
     はべりて
0539 都には住み侘び果てて津の国の住吉と聞く里にこそ行け

     難波に祓しにある女まかりたりけるに、もと
     親しくはべりける男の葦を刈りてあやしきさ
     まになりて道に逢ひてはべりけるに、さりげ
     なくて年ごろはえ逢はざりつる事など言ひ遣
     はしたりければ、男のよみはべりける
0540 君なくて葦刈りけりと思ふにもいとど難波の浦ぞ住み憂き

     返し
0541 葦刈らじよからむとてそ別れけん何か難波の浦は住み憂き

     伊勢の御息所生み奉りたりける親王の亡くな
     りにけるが、描き置きたりける絵を藤壺より
     麗景殿の女御の方に遣はしたりければ、この
     絵返すとて
                 麗景殿宮の君
0542 亡き人の形見と思ふにあやしきは絵見ても袖の濡るるなりけり

     地獄の形描きたるを見て
                 菅原道雅女
0543 みつせ川渡る水竿もなかりけりな何に衣を脱ぎて掛くらん

     去年の秋むすめに後れてはべりけるに、孫の
     後の春兵衛佐になりてはべりける喜びを人び
     と言ひ遣はしはべりければ
                 皇太后宮権大夫国章
0544 かくしこそ春の始めはうれしけれつらきは秋の終りなりけり

     源重之が母の近江の国府にはべりけるに、孫
     の東より夜上りて、急ぐ事はべりて、「えこ
     のたび逢はで上りぬること」と言ひてはべり
     ければ、祖母の女のよみはべりける
0545 親の親と思はましかば問ひてましわが子の子にはあらぬなるべし

     題しらず
                 人麿
0546 山高み夕日隠れぬ浅茅原後見むために標結はましを

                 貫之
0547 名のみして山は三笠もなかりけり朝日夕日のさすを言ふかも

                 よみ人しらず
0548 名のみして生れるも見えず梅津河井堰の水も漏ればなりけり

0549 名には言へど黒くも見えず漆河さすがに渡る水はぬるめり

     雨降る日大原河をまかり渡りけるに、蛭のつ
     きたりければ
                 恵慶法師
0550 世の中にあやしき物は雨降れど大原河の蛭にぞありける

     かうぶり柳を見て
                 仲文
0551 河柳糸は緑にある物をいづれか朱の衣なるらん

     天暦御時、一条摂政蔵人頭にてはべりけるに、
     帯をかけて御碁あそばしける、負け奉りて御
     数多くなりはべりければ、帯を返したまふと
     て
                 御製
0552 白波のうちや返すと待つほどに浜の真砂の数ぞ積もれる

     内侍馬が家に右大将実資が童にはべりける時、
     碁打ちにまかりたりければ、物書かぬ草子を
     賭け物にしてはべりけるを見はべりて
                 小野宮太政大臣
0553 いつしかと開けて見たれば浜千鳥跡あることに跡のなきかな

     返し
0554 留めても何にかはせん浜千鳥ふりぬる跡は波に消えつつ

     題しらず
                 よみ人しらず
0555 水底の湧くばかりにや潜るらん寄る人もなき滝の白糸

     清原元輔肥後守にはべりける時、かの国の鼓
     の滝といふ所を見にまかりたりけるに、こと
     やうなる法師のよみはべりける
0556 音に聞く鼓の滝をうち見ればただ山川の鳴るにぞありける

     三位国章小さき瓜を扇に置きて、藤原かねの
     りに持たせて、大納言朝光が兵衛佐にはべり
     ける時遣はしたりければ
0557 音に聞く狛のわたりの瓜作りとなりかくなりなる心かな

     返し
0558 定めなくなるなる瓜のつら見ても立ちや寄り来む狛の好き者

     陸奥国名取の郡黒塚といふ所に重之が妹あま
     たありと聞きて言ひ遣はしける
                 兼盛
0559 陸奥の安達の原の黒塚に鬼籠もれりと聞くはまことか

     廉義公家の紙絵に旅人の盗人に遭ひたる形描
     ける所
                 藤原為頼
0560 盗人の龍田の山に入りにけり同じかざしの名にや汚れん

0561 なき名のみ龍田の山の麓には世にもあらじの風も吹かなん

     高尾にまかり通ふ法師に名立ちはべりけるを、
     少将滋幹が聞きつけて、「まことか」と言ひ
     遣はしたりければ
                 八条の大君
0562 なき名のみ高尾の山と言ひ立つる君は愛宕の峰にやあるらん

     御岳に年老いてまうではべりて
                 元輔
0563 いにしへも上りやしけん吉野山山より高き齢なる人

     大隅守桜島の忠信が国にはべりける時、郡の
     官に頭白き翁のはべりけるを召しか迎へんと
     しはべりける時、翁のよみはべりける
0564 老い果てて雪の山をばいただけど霜と見るにぞ身は冷えにける
      この歌によりて許されはべりにけり

    旋頭歌
0565 ます鏡底なる影に向ひゐて見る時にこそ知らぬ翁に逢ふ心地すれ

                 柿本人麿
0566 ます鏡見しがと思ふ妹に逢はむかも玉の緒の絶えたる恋のしげきこのごろ

0567 かの岡に草刈る男しかな刈りそありつつも君が来まさむみまくさにせん

     女のもとにまかりたりけるに、とく入りにけ
     れば、朝に
                 源景明
0568 梓弓思はずにして入りにしをさもねたく引き留めてぞ臥すべかりける

    長歌
     吉野の宮に奉る歌
                 人麿
0569 ちはやぶる わが大君の きこしめす 天の下なる
   草の葉も うるびにたりと 山川の すめる河内と
   御心を 吉野の国の 花盛り 秋津の野辺に
   宮柱 太敷きまして 百敷きの 大宮人は
   舟並べ 朝川渡り 舟競べ 夕川渡り
   この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
   玉水の 滝つの都 見れどあかぬかも

    反歌
0570 見れどあかぬ吉野の川の流れても絶ゆる時なく行き帰り見む

     身の沈みけることを嘆きて、勘解由判官にて
                 源順
0571 あらたまの 年のはたちに 足らざりし 時はの山の
   山寒み 風もさはらぬ 藤衣 再び立ちし
   朝霧に 心も空に まどひそめ みなしご草に
   なりしより 物思ふことの 葉をしげみ 消ぬべき露の
   夜は置きて 夏は汀に 燃えわたる 蛍を袖に
   拾ひつつ 冬は花かと 見えまがひ このもかのもに
   降り積もる 雪を袂に 集めつつ 文見て出でし
   道はなほ 身の憂きにのみ ありければ ここもかしこも
   葦根はふ 下にのみこそ 沈みけれ 誰れ九つの
   沢水に 鳴く田鶴の音を 久方の 雲の上まで
   隠れなみ 高く聞こゆる かひありて 言ひ流しけん
   人はなほ 貝も渚に 満つ潮の 世にはからくて
   住の江の 松はいたづら 老いぬれど 緑の衣
   脱ぎ捨てむ 春はいつとも 白波の 波路にいたく
   行き通ひ 湯も取りあへず なりにける 舟の我をし
   君知らば あはれ今だに 沈めじと 海人の釣縄
   うちはへて 引くとし聞かば 物は思はじ

     返し
                 能宣
0572 世の中を 思へば苦し 忘るれば えも忘られず
   誰れもみな 同じ深山の 松が枝と 枯るることなく
   すべらきの 千代も八千代も 仕へんと 高き頼みを
   隠れ沼の 下より根ざす 菖蒲草 あやなき身にも
   人並に かかる心を 思ひつつ 世に降る雪を
   君はしも 冬は取りつみ 夏は又 草の蛍を
   集めつつ 光さやけき 久方の 月の桂を
   折るまでに 時雨にそほち 露に濡れ へにけむ袖の
   深緑 色褪せがたに 今はなり かつ下葉より
   紅に 移ろひ果てん 秋に逢はば まづ開けなん
   花よりも 木高き蔭と 仰がれん 物とこそ見し
   塩釜の うら寂しげに なぞもかく 世をしも思ひ
   那須の湯の たぎるゆゑをも かまへつつ わが身を人の
   身になして 思ひ比べよ 百敷きに 明かし暮らして
   常夏の 雲井はるけき みな人に 遅れてなびく
   我もあるらし

     ある男のもの言ひはべりける女の、忍びて逃
     げはべりて、年ごろありて消息してはべりけ
     るに、男のよみはべりける
                 よみ人しらず
0573 今はとも 言はざりしかど 八乙女の 立つや春日の
   古里に 帰りや来ると 待乳山 待つほど過ぎて
   雁がねの 雲のよそにも 聞こえねば 我はむなしき
   玉梓を 書く手もたゆく 結び置きて つてやる風の
   便りだに 渚に来ゐる 夕千鳥 うらみは深く
   満つ潮に 袖のみいとど 濡れつつぞ 跡も思はぬ
   君により かひなき恋に 何しかも 我のみ一人
   浮舟の 漕がれて世には 渡るらん とさへぞ果ては
   蚊遣火の くゆる心も 尽きぬべく 思ひなるまで
   訪れず おぼつかなくて 返れども 今日水茎の
   跡見れば 契りし事は 君も又 忘れざりけり
   しかしあらば 誰れも憂き世の 朝露に 光待つ間の
   身にしあれば 思はじいかで 常夏の 花の移ろふ
   秋もなく 同じあたりに 住の江の 岸の姫松
   根を結び 世々を経つつも 霜雪の 降るにも濡れぬ
   仲となりなむ

     円融院御時、大将離れはべりて後、久しく参
     らで奏せさせはべりける
                 東三条太政大臣
0574 あはれ我 五つの宮の 宮人と その数ならぬ
   身をなして 思ひし事は かけまくも かしこけれども
   頼もしき 蔭に再び 遅れたる 双葉の草を
   吹く風の 荒き方には あてじとて せばき袂を
   ふせぎつつ 塵も据ゑじと 磨きては 玉の光を
   誰れか見むと 思ふ心に おほけなく 上つ枝をば
   さし越えて 花咲く春の 宮人と なりし時はは
   いかばかり 茂き蔭とか 頼まれし 末の世までと
   思ひつつ 九重ねの その中に いつき据ゑしも
   言出しも 誰れならなくに 小山田を 人に任せて
   我はただ 袂そほつに 身をなして 二春三春
   過ぐしつつ その秋冬の 朝霧の 絶え間にだにも
   と思ひしを 峰の白雲 横様に 立ち変りぬと
   見てしかば 身を限りとは 思ひにき 命あらばと
   頼みしは 人に遅るる 名なりけり 思ふもしるし
   山川の みな下なりし もろ人も 動かぬ岸に
   護り上げて 沈む水屑の 果て果ては かき流されし
   神無月 薄き氷に 閉ぢられて 止まれる方も
   泣きわぶる 涙沈みて 数ふれば 冬も三月に
   なりにけり 長き夜な夜な 敷妙の 臥さず休まず
   明け暮らし 思へどもなほ 悲しきは 八十氏人も
   あたら世の ためしなりとぞ 騒ぐなる まして春日の
   杉村に いまだ枯れたる 枝はあらじ 大原野辺の
   つぼすみれ 罪をかしある 物ならば 照る日も見よと
   言ふことを 年の終りに 清めずは わが身ぞつひに
   朽ちぬべき 谷の埋もれ木 春来とも さてや止みなむ
   年の内に 春吹く風も 心あらば 袖の氷を
   解けと吹かなむ

     これが御返り、ただ「稲舟の」と仰せられた
     りければ、又御返し
0575 如何にせむわが身下れる稲舟のしばしばかりの命堪へずは

   拾遺和歌集巻第十
    神楽歌
0576 榊葉に木綿しでかけて誰が世にか神の御前に斎ひそめけん

0577 榊葉の香をかぐはしみ尋め来れば八十氏人ぞまとゐせりける

0578 御手幣にならまし物を皇神の御手にとられてなづさはましを

0579 御手幣はわがにあらず天にます豊岡姫の宮の御手幣

0580 逢坂を今朝越え来れば山人の千歳突けとて切れる杖なり

0581 四方山の人の宝にする弓を神の御前に今日奉る

0582 石上布留や男の太刀もがな組の緒しでて宮路通はむ

0583 銀の目貫の太刀を下げ佩きて奈良の都を練るや誰が子ぞ

0584 わが駒は早く行かなん朝日子が八重さす岡の玉笹の上に

0585 さいばりに衣は染めん雨降れど移ろひがたし深く染めてば

0586 しなが鳥猪名のふし原飛び渡る鴫が羽音おもしろきかな

0587 住吉の岸もせざらん物ゆゑにねたくや人に松と言はれむ
      ある人のいはく、「住吉明神の託宣」とぞ

     左兵衛督高遠、賀茂に七日詣でける果ての夢
     に、御社よりとてちはや着たる嫗の文を持て
     まで来たりけるを、開けて見はべりければ、
     かく書きてはべりける、その後、大弐になり
     てはべりける
0588 木綿襷かくる袂はわづらはしゆたけに解けてあらむとを知れ

     住吉に詣でて
                 安法法師
0589 天降るあら人神のあひおひを思へば久し住吉の松

                 恵慶法師
0590 我問はば神代のことも答へなん昔を知れる住吉の松

     箱崎を見はべりて
                 重之
0591 いく世にか語り伝へむ箱崎の松の千歳の一つならねば

     源遠古朝臣子生ませてはべりけるに
                 元輔
0592 生ひ茂れ平野の原のあや杉よ濃き紫にたち重ぬべく

     日吉の社にてよみはべりける
                 僧都実因
0593 ねぎかくる日吉の社の木綿襷草のかき葉も言やめて聞け

     恒徳公家障子
                 源兼澄
0594 大淀の禊いく世になりぬらん神さびにたる浦の姫松

     栗田右大臣家の障子に、唐崎に祓したる所に
     網引く形描ける所
                 平祐挙
0595 禊する今日唐崎に下ろす網は神のうけひくしるしなりけり

     題しらず
                 人麿
0596 ちはやぶる神の保てる命をば誰れがためにか長くと思はん

0597 ちはやぶる神も思ひのあればこそ年経て富士の山も燃ゆらめ

     安和元年、大嘗会風俗、長等の山
                 大中臣能宣
0598 君が世の長等の山のかひありとのどけき雲のゐる時ぞ見る

0599 さざなみの長等の山のながらへて楽しかるべき君が御世かな

     岩蔵山

                 よみ人しらず
0600 動きなき岩蔵山に君が世を運び置きつつ千代をこそ積め

     三上の山

                 能宣
0601 ちはやぶる三上の山の榊葉は栄えぞまさる末の世までに

                 よみ人しらず
0602 万代の色も変らぬ榊葉は三上の山に生ふるなりけり

                 元輔
0603 よろづ世を三上の山の響くには野洲川の水澄みぞあひにける

     大蔵山
                 能宣
0604 みつき積む大蔵山は常盤にて色も変らずよろづ世そ経む

     水尾山
                 よみ人しらず
0605 高島や水尾の中山杣たてて作り重ねよ千代のなみ蔵

     鏡山
                 能宣
0606 磨きける心もしるく鏡山曇りなき世に逢ふが楽しさ

     松が崎
                 清原元輔
0607 千歳経る松が崎には群れゐつつ田鶴さへ遊ぶ心あるらし

     おものの浜
                 兼盛
0608 滞る時もあらじな近江なるおものの浜の海人の日次は

     天禄元年、大嘗会風俗、千世能山
                 能宣
0609 今年より千歳の山は声絶えず君が御世をぞ祈るべらなる

     弥高の山
                 兼盛
0610 近江なる弥高山の榊にて君が千代をば祈りかざさん

     三上の山
                 能宣
0611 祈り来る三上の山のかひしあれば千歳の影にかくて仕へん

     岩蔵山
0612 今日よりは岩蔵山に万代を動きなくのみ積まむとぞ思ふ

     鏡山
                 中務
0613 よろづ代をあきらけく見む鏡山千歳のほどは塵も曇らじ

     大国の里
                 兼盛
0614 年もよし蚕がひもえたり大国の里頼もしく思ほゆるかな

     吉田の里
0615 名に立てる吉田の里の杖なれば突くとも突きじ君がよろづ代

     泉河
0616 泉河のどけき水の底見れば今年は影ぞ住みまさりける

     松が崎
0617 鶴の住む松が崎には並べたる千代のためしを見するなりけり

     延長四年八月二十四日、民部卿清貫が六十賀、
     中納言恒佐妻しはべりける時の屏風に、神楽
     する所の歌
                 貫之
0618 あしひきの山の榊葉ときはなる影にさかゆる神のきねかな

     旅にてよみはべりける
                 人麿
0619 おほなむちすくなみ神の作れりし妹背の山を見るぞうれしき

     延喜廿年、亭子院の春日に御幸はべりけるに、
     国の官二十一首歌よみて奉りけるに
                 藤原忠房
0620 めづらしき今日の春日の八乙女を神もうれしとしのばざらめや

   拾遺和歌集巻第十一
    恋一
     天暦御時歌合
                 壬生忠見
0621 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか

                 平兼盛
0622 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

     題しらず
                 貫之
0623 色ならば移るばかりもそめてまし思ふ心を知る人のなさ

     女のもとに初めて遣はしける
                 平公誠
0624 忍ぶるも誰れゆゑならぬ物なれば今は何かは君に隔てむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0625 嘆きあまりつひに色にぞ出でぬべき言はぬを人の知らばこそあらめ

0626 逢ふことを松にて年の経ぬるかな身は住の江に生ひぬものゆゑ

0627 音に聞く人に心を筑波嶺の見ねど恋しき君にもあるかな

                 人麿
0628 天雲の八重雲隠れなる神の音にのみやは聞きわたるべき

                 よみ人しらず
0629 見ぬ人の恋しきやなぞおぼつかな誰れとか知らむ夢に見ゆとも

0630 夢よりぞ恋しき人を見そめつる今は逢はする人もあらなん

0631 かくてのみ荒磯の浦の浜千鳥よそに鳴きつつ恋ひやわたらむ

0632 よそにのみ見てやは恋ひむ紅の末摘花の色に出でずは

     まさただが女に言ひ初めはべりける、侍従に
     はべりける時
                 権中納言敦忠
0633 身にしみて思ふ心の年経ればつひに色にも出でぬべきかな

     侍従にはべりける時、女に初めて遣はしける
                 邦正
0634 いかでかは知らせそむべき人知れず思ふ心の色に出でずは

                 権中納言敦忠
0635 いかでかはかく思ふてふ事をだに人づてならで君に知らせむ

     堤の中納言の御息所を見て遣はしける
                 小野宮太政大臣
0636 あな恋しはつかに人を水の泡の消え返るとも知らせてしがな

     返し
0637 長からじと思ふ心は水の泡によそふる人の頼まれぬかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0638 港出づる海人の小舟のいかり縄苦しき物と恋を知りぬる

0639 大井川下す筏の水馴れ棹見なれぬ人も恋しかりけり

                 人麿
0640 水底に生ふる玉藻のうちなびき心を寄せて恋ふるこのごろ

                 よみ人しらず
0641 音にのみ聞きつる恋を人知れずつれなき人にならひぬるかな

0642 いかにせむ命は限りある物を恋は忘れず人はつれなし

     女のもとに男の文遣はしけるに、返事もせず
     はべりければ
0643 山彦も答へぬ山の呼子鳥我一人のみ鳴きや渡らむ

     題しらず
0644 山彦は君にも似たる心かなわが声せねば訪れもせず

0645 あしひきの山下とよみ行く水の時ぞともなく恋ひ渡るかな

0646 いかにしてしばし忘れん命だにあらば逢ふよのありもこそすれ

0647 貫き乱る涙の玉も止まるやと玉の緒ばかり逢はむと言はなん

0648 岩の上に生ふる小松も引きつれどなほねがたきは君にぞありける

0649 七夕も逢ふ夜ありけり天の川この渡りには渡る瀬もなし

                 九条右大臣
0650 沢にのみ年は経ぬれど葦田鶴の心は雲の上にのみこそ

                 よみ人しらす
0651 大空は曇らざりけり神無月時雨心地は我のみぞする

0652 忍ぶれどなほしひてこそ思ほゆれ恋といふ物の身をし去らねば

     男のよみておこせてはべりける
0653 あはれとも思はじ物を白雪の下に消えつつなほも降るかな

     返し
                 中務
0654 ほどもなく消えぬる雪はかひもなし身をつみてこそあはれと思はめ

     題しらず
                 よみ人しらず
0655 よそながらあひ見ぬほどに恋ひ死なば何にか経たる命とか言はむ

0656 いつとてかわが恋やまむちはやぶる浅間の岳の煙絶ゆとも

     大原野祭の日、榊にさして女のもとに遣はす
     とて
                 一条摂政
0657 大原の神も知るらむわが恋は今日氏人の心やらなむ

     返し
                 よみ人しらず
0658 榊葉の春さす枝のあまたあればとがむる神もあらじとぞ思ふ

     題しらず
0659 天地の神ぞ知るらん君がため思ふ心の限りなければ

0660 海も浅し山もほどなしわが恋を何によそへて君に言はまし

                 人麿
0661 奥山の岩垣沼の水隠りに恋ひや渡らん逢ふよしをなみ

     大嘗会の御禊に物見はべりける所にわらはの
     はべりけるを見て、又の日遣はしける
                 寛祐法師
0662 あまた見し豊の禊のもろ人の君しも物を思はするかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0663 玉簾糸の絶え間に人を見て透ける心は思ひかけてき

0664 玉簾の透ける心と見てしよりつらしてふ事かけぬ日はなし

0665 我こそや見ぬ人恋ふる病すれ逢ふ日ならでは止む薬なし

0666 玉江漕ぐ菰刈り舟のさしはへて波間もあらば寄らむとぞ思ふ

0667 みるめ刈る海人とはなしに君恋ふるわが衣手の乾く時なき

                 柿本人麿
0668 み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただに逢はぬかも

                 貫之
0669 朝な朝なけづれは積もる落ち髪の乱れて物を思ふころかな

     懸想しはべりける女のさらに返事しはべらざ
     りければ
                 藤原実方朝臣
0670 わがためはたな井の清水ぬるけれどなほ掻きやらむさては澄むやと

     返し
                 よみ人しらず
0671 掻きやらば濁りこそせめ浅き瀬の水屑は誰れか澄ませても見む

     題しらず
0672 人知れぬ心の内を見せたらば今までつらき人はあらじな

     女のもとに遣はしける
                 小野宮太政大臣
0673 人知れぬ思ひは年も経にけれど我のみ知るはかひなかりけり

     女のもとに遣はしける
                 よみ人しらず
0674 人知れぬ涙に袖は朽にけり逢ふよもあらば何に包まむ

     返し
0675 君はただ袖ばかりをや朽たすらん逢ふには身をも換ふとこそ聞け

     題しらず
0676 人知れず落つる涙は津の国の長洲と見えて袖ぞ朽ちぬる

0677 恋と言へば同じ名にこそ思ふらめいかでわが身を人に知らせん

     天暦御時歌合に
                 中納言朝忠
0678 逢ふ事の絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし

     題しらず
                 兼盛
0679 逢ふ事はかたゐざりするみどり児の立たむ月にも逢はじとやする

                 よみ人しらず
0680 逢ふ事を月日にそへて待つ時は今日行く末になりねとぞ思ふ

0681 逢ふ事をいつとも知らで君が言はむ常盤の山の松ぞ苦しき

0682 命をば逢ふにかふとか聞きしかど我やためしに逢はぬ死にせん

                 貫之
0683 行く末はつひに過ぎつつ逢ふ事の年月なきぞ侘しかりける

                 よみ人しらず
0684 生きたれば恋する事の苦しきをなほ命をば逢ふに換へてん

                 大伴百世
0685 恋ひ死なむ後は何せん生ける日のためこそ人の見まくほしけれ

                 源経基
0686 あはれとし君だに言はば恋ひ侘びて死なん命も惜しからなくに

     懸想しはべりける女の家の前を渡るとて、言
     ひ入れはべりける
                 よみ人しらず
0687 人知れず思ふ心を留めつついくたび君が宿を過ぐらん

     題しらず
0688 時雨にも雨にもあらで君恋ふる年の経るにも袖は濡れけり

     契りけることありける女に遣はしける
                 菅原輔昭
0689 露ばかり頼めしほどの過ぎ行けば消えぬばかりの心地こそすれ

     返し
                 よみ人しらず
0690 露ばかり頼むることもなきものをあやしや何に思ひ置きけん

     題しらず
0691 流れてと頼むるよりは山川の恋しき瀬々に渡りやはせぬ

0692 逢ひ見ては死にせぬ身とぞなりぬべき頼むるにだに延ぶる命は

0693 いかでかと思ふ心のある時はおぼめくさへぞうれしかりける

0694 侘びつつも昨日ばかりは過ぐしてき今日やわが身の限りなるらん

                 人麿
0695 恋ひつつも今日は暮らしつ霞立明日の春日をいかで暮らさん

0696 恋ひつつも今日はありなん玉くしげ明けん朝をいかで暮らさむ

                 よみ人しらず
0697 君をのみ思ひかけごの玉くしぐ明けたつごとに恋ひぬ日はなし

   拾遺和歌集巻第十二
    恋二
     題しらず
                 よみ人しらず
0698 春の野に生ふるなき名の侘しきは身を摘みてだに人の知らぬよ

0699 なき名のみ龍田の山の青つづらまた来る人も見えぬ所に

                 人麿
0700 なき名のみ辰の市とは騒げどもいさまた人を得るよしもなし

                 よみ人しらず
0701 なき事を磐余の池のうきぬなは苦しき物は世にこそありけれ

                 人麿
0702 竹の葉に置きゐる露のまろび合ひて寝るとはなしに立つわが名かな

                 よみ人しらず
0703 あぢきなやわが名は立ちて唐衣身にもならさでやみぬべきかな

0704 唐衣我は刀の触れなくにまづ裁つ物はなき名なりけり

                 源重之
0705 染川に宿借る波の早ければなき名立つとも今は恨みじ

                 よみ人しらず
0706 木幡川こは誰が言ひし言の葉ぞなき名濯がむ滝つ瀬もなし

     女のもとに遣はしける
                 藤原忠房朝臣
0707 君が名の立つに咎なき身なりせばおほよそ人になして見ましや

     題しらず
                 よみ人しらず
0708 夢かとも思ふべけれど寝やはせし何ぞ心に忘れがたきは

0709 夢よゆめ恋しき人に逢ひ見すな覚めての後に侘しかりけり

                 権中納言敦忠
0710 逢ひ見ての後の心に比ぶれば昔は物も思はざりけり

                 坂上是則
0711 逢ひ見ては慰むやとぞ思ひしを名残りしもこそ恋しかりけれ

                 よみ人しらず
0712 逢ひ見てもありにし物をいつの間にならひて人の恋しかるらん

0713 わが恋はなほ逢ひ見ても慰まずいやまさりなる心地のみして

     初めて女のもとにまかりて、朝に遣はしける
                 能宣
07144 逢ふ事を待ちし月日のほどよりも今日の暮れこそ久しかりけれ

                 貫之
0715 暁のなからましかば白露の起きて侘しき別れせましや

0716 逢ひ見てもなほ慰まぬ心かないく千夜寝てか恋の覚むべき

                 人麿
0717 むばたまの今宵な明けそ明け行かば朝行く君を待つ苦しきに

                 よみ人しらず
0718 一人寝し時は待たれし鳥の音もまれに逢ふ夜は侘しかりけり

0719 葛城や我やは久米の橋造り明け行くほどは物をこそ思へ

     本院の五の君のもとに初めてまかりて朝に
                 平行時
0720 朝まだき露分け来つる衣手の昼間ばかりに恋しきやなぞ

     本院の東の対の君にまかり通ひて朝に
                 大納言源清蔭
0721 二つなき心は君に置きつるをまたほどもなく恋しきやなぞ

     題しらず
                 よみ人しらず
0722 いつしかと暮れを待つ間の大空は曇るさへこそうれしかりけれ

     女のもとにまかりそめて
                 大江為基
0723 日のうちに物を再び思ふかなとく明けぬると遅く暮るると

     題しらず
                 貫之
0724 百羽がき羽かく鴫もわがごとく朝侘しき数はまさらじ

                 よみ人しらず
0725 うつつにも夢にも人に夜し逢へば暮れ行くばかりうれしきはなし

0726 暁の別れの道を思はずは暮れ行く空はうれしからまし

0727 君恋ふる涙の凍る冬の夜は心とけたる寝やは寝らるる

     女に物言ひ始めて、障る事はべりてえまから
     で、言ひ遣はしはべりける
                 在原業平朝臣
0728 かからでもありにしものを白雪の一日も降ればまさるわが恋

     女に遣はしける
                 能宣
0729 朝氷解くる間もなき君によりなどてそほつる袂なるらん

                 よみ人しらず
0730 身をつめば露をあはれと思ふかな暁ごとにいかで起くらん

0731 憂しと思ふものから人の恋しきはいづこを偲ぶ心なるらん

0732 よそにてもありにしものを花薄ほのかに見てぞ人は恋しき

0733 夢よりもはかなきものはかげろふのほのかに見えし影にぞありける

     天暦御時歌合に
                 忠見
0734 夢のごとなどか夜しも君を見む暮るる待つ間も定めなき世を

                 順
0735 恋しきを何につけてか慰めむ夢だに見えず寝る夜なければ

     女のもとより暗きに帰りて遣はしける
0736 明け暮れの空にぞ我はまどひぬる思ふ心の行かぬまにまに

     源公忠朝臣日々にまかり逢ひはべりけるを、
     いかなる日にかありけむ、逢ひはべらざりけ
     る日、遣はしける
                 貫之
0737 たまほこの遠道もこそ人は行けなど時の間も見ねば恋しき

     題しらず
                 よみ人しらず
0738 身に恋のあまりにしかば偲ぶれど人の知るらん事ぞ侘しき

0739 偲びつつ思へば苦し住の江の松の根ながらあらはれなばや

     忠房が女のもとに久しくまからで遣はしける
                 大納言清蔭
0740 住吉の松ならねども久しくも君と寝ぬ夜のなりにけるかな

     返し
0741 久しくも思ほえねども住吉の松や再び生ひ変るらん

     ある男の松を結びて遣はしたりければ
                 よみ人しらず
0742 何せむに結びそめけん岩代の松は寂しき物と知る知る

     題しらず
0743 片岸の松のうきねと偲びしはさればよつひに現れにけり

                 人麿
0744 逢ひ見てはいく久さにもあらねども年月のこと思ほゆるかな

0745 年を経て思ひ思ひて逢ひ寝れば月日のみこそうれしかりけれ

0746 杉板もてふける板間のあはざらばいかにせんとかわが寝そめけん

                 よみ人しらず
0747 来ぬかなとしばしは人に思はせん逢はで帰りし宵のねたさに

0748 秋霧の晴れぬ朝の大空を見るがごとくも見えぬ君かな

0749 恋侘びぬ音をだに泣かむ声立てていづこなるらん音無の里

     忍びて懸想しはべりける女のもとに遣はしけ
     る
                 元輔
0750 音無の川とぞつひに流れける言はで物思ふ人の涙は

     題しらず
                 よみ人しらず
0751 風寒み声弱り行く虫よりも言はで物思ふ我ぞまされる

0752 志賀の海人の釣りに灯せる漁火のほのかに妹を見るよしもがな

0753 恋するは苦しき物と知らすべく人をわが身にしばしなさばや

0754 知るや君知らずはいかにつらからむわがかくばかり思ふ心を

     懸想しはべりける女の、五月夏至日なりけれ
     ば、疑ひなく思ひたゆみて物言ひはべりける
     に、親しきさまになりにければ、いみじく恨
     み侘びて後に、「さらに逢はじ」と言ひはべ
     りければ
                 能宣
0755 明日知らぬわが身なりとも恨み置かむこの世にてのみ止まじと思へば

     題しらず
                 人麿
0756 思ふなと君は言へども逢ふ事をいつと知りてかわが恋ひざらん

     万葉集和しはべりけるに
                 源順
0757 思ふらむ心の中を知らぬ身は死ぬばかりにもあらじとぞ思ふ

     侍従にはべりける時、村上の先帝の御乳母に
     忍びて物ののたうびけるに、つきなき事なり
     とて、さらに逢はずはべりければ
                 一条摂政
0758 隠れ沼の底の心ぞうらめしきいかにせよとてつれなかるらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0759 我ながらさももどかしき心かな思はぬ人は何か恋しき

     古く物言ひはべりける人に
                 元輔
0760 草隠れかれにし水はぬるくとも結びし袖は今も乾かず

     題しらず
                 よみ人しらず
0761 わが思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづそほつらむ

0762 袂より落つる涙は陸奥の衣川とぞ言ふべかりける

0763 衣をや脱ぎてやらまし涙のみかかりけりとも人の見るべく

     忍びて物言ひはべりける人の、人しげき所に
     はべりければ
                 実方朝臣
0764 人目をもつつまぬ物と思ひせば袖の涙のかからましやは

     題しらず
                 大伴方見
0765 石上降るとも雨に障らめや逢はむと妹に言ひてしものを

                 元良親王
0766 侘びぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ

     五月五日、ある女のもとに遣はしける
                 よみ人しらず
0767 いつかとも思はぬ沢の菖蒲草ただつくづくと音こそ泣かるれ

     題しらず
                 躬恒
0768 生ふれども駒もすさめぬ菖蒲草刈りにも人の来ぬが侘しさ

     蚊遣火を見はべりて
                 能宣
0769 蚊遣火は物思ふ人の心かも夏の夜すがら下に燃ゆらん

     題しらず
                 勝観法師
0770 忍ぶれば苦しかりけり篠薄秋の盛りになりやしなまし

                 よみ人しらず
0771 思ひきやわが待つ人はよそながら棚機つ女の逢ふを見むとは

0772 今日さへやよそに見るべき彦星の立ちならすらん天の川波

0773 侘び濡れば常はゆゆしき七夕もうらやまれぬる物にぞありける

0774 露だにもなからましかば秋の夜に誰れと起きゐて人を待たまし

0775 今更に訪ふべき人も思ほえず八重葎して門させりてへ

0776 秋はわが心の露にあらねども物なげかしきころにもあるかな

   拾遺和歌集巻第十三
    恋三
     題しらず
                 よみ人しらす
0777 あしひきの山下風も寒けきに今宵もまたやわが一人寝ん

                 人麿
0778 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む

                 よみ人しらず
0779 あしひきの葛城山にゐる雲の立ちてもゐても君をこそ思へ

0780 あしひきの山の山菅やまずのみ見ねば恋しき君にもあるかな

     旅の思ひを述ぶといふことを
                 石上乙麿
0781 あしひきの山越え暮れて宿借らば妹立ち待ちて寝ねざらむかも

     題しらず
                 人麿
0782 あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて君をこそ待て

0783 三日月のさやかに見えず雲隠れ見まくぞほしきうたてこのころ

                 よみ人しらず
0784 逢ふことは片割れ月の雲隠れおぼろけにやは人の恋しき

                 人麿
0785 秋の夜の月かも君は雲隠れしばしも見ねばここら恋しき

     円融院御時、御屏風八月十五夜、月の影池に
     映れる家に男女ゐて懸想したる所
                 平兼盛
0786 秋の夜の月見るとのみ起きゐつつ今宵も寝てや我は帰らん

     月明かかりける夜、女のもろに遣はしける
                 源信明
0787 恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや

     返し
                 中務
0788 さやかにも見るべき月を我はただ涙に曇る折ぞ多かる

     題しらず
                 人麿
0789 久方の天照る月も隠れ行く何によそへて君を偲ばむ

     京に思ふ人を置きてはるかなる所にまかりけ
     る道に月の明かかりける夜
                 よみ人しらず
0790 都にて見しに変らぬ月影を慰めにても明かすころかな

     題しらず
                 貫之
0791 照る月も影水底に映りけり似たる物なき恋もするかな

     月を見て田舎なる男を思ひ出て遣はしける
                 中宮内侍
0792 今宵君いかなる里の月を見て都に誰れを思ひ出づらむ

     題しらず
                 忠岑
0793 月影をわが身に代ふる物ならば思はぬ人もあはれとや見む

     万葉集和せる歌
                 順
0794 一人寝る宿には月の見えざらば恋しき事の数はまさらじ

     題しらず
                 人麿
0795 長月の有明の月のありつつも君し来まさば我恋ひめやも

     月明かき夜人を待ちはべりて
0796 ことならば闇にぞあらまし秋の夜のなぞ月影の人頼めなる

     題しらず
                 春宮左近
0797 降らぬ夜の心を知らで大空の雨をつらしと思ひけるかな

                 よみ人しらず
0798 衣だに中にありしは疎かりき逢はぬ夜をさへ隔てつるかな

0799 長き夜も人をつらしと思ふには音なくに明くる物にぞありける

     今は問はじと言ひはべりける女のもとに遣は
     しける
0800 忘れなん今は問はじと思ひつつ寝ぬる夜しもこそ夢に見えけれ

     題しらず
0801 夜とても寝られざりけり人知れず寝覚めの恋におどろかれつつ

0802 むばたまの妹が黒髪今宵もやわがなき床になびき出でぬらん

0803 わが背子がありかも知らで寝たる夜は暁方の枕寂しも

0804 いかなりし時呉竹の一夜だにいたづら臥しを苦しと言ふらん

0805 いかならん折節にかは呉竹の夜は恋しき人に逢ひ見む

                 人麿
0806 まさしてふ八十のちまたに夕占問ふ占まさにせよ妹に逢ふべく

0807 夕占問ふ占にもよくあり今宵だに来ざらむ君をいつか待つべき

0808 夢をだにいかで形見に見てしがな逢はで寝る夜の慰めにせん

0809 うつつには逢ふことかたし玉の緒の夜は絶えせず夢に見えなん

     広幡の御息所久しう内裏にも参らざりける、
     夢になむ、「例のやうにて内裏にさぶらひた
     まひつる」と人の言ひはべりけるを聞きて
0810 いにしへをいかでかとのみ思ふ身に今宵の夢を春になさばや

     延喜十五年御屏風歌
                 貫之
0811 忘らるる時しなければ春の田を返す返すぞ人は恋しき

     題しらず
                 よみ人しらず
0812 梓弓春の荒田を打ち返し思ひやみにし人ぞ恋しき

                 躬恒
0813 かの岡に萩刈る男縄をなみねるやねりそのくだけてぞ思ふ

                 よみ人しらず
0814 春来れば柳の糸もとけにけり結ぼほれたるわが心かな

0815 いづ方に寄るとかは見む青柳のいと定めなき人の心を

0816 巻向の桧原の霞立ち返りかくこそは見めあかぬ君かな

     冬より比叡の山に登りて春まで音せぬ人のも
     とに
                 藤原清正が女
0817 ながめやる山へはいとど霞みつつおぼつかなさのまさる春かな

     題しらず
                 人麿
0818 わが背子を来ませの山と人は言へど君も来まさぬ山の名ならし

                 山辺赤人
0819 わが背子をならしの岡の呼子鳥君呼び返夜の更けぬ時

                 よみ人しらず
0820 来ぬ人を待乳の山の郭公同じ心に音こそ鳴かるれ

0821 しののめに鳴きこそ渡れ郭公物思ふ宿はしるくやあるらん

0822 叩くとて宿の妻戸を開けたれば人も梢の水鶏なりけり

0823 夏衣薄きながらぞ頼まるる一重なるしも身に近ければ

0824 刈りて干す淀の真菰の雨降ればつかねもあへぬ恋もするかな

0825 水無月の土さへ裂けて照る日にもわが袖干めや妹に逢はずして

                 人麿
0826 鳴る神のしばし動きて空曇り雨も降らなん君泊るべく

0827 人言は夏野の草の茂くとも君と我としたづさはりなば

                 よみ人しらず
0828 野も山も茂りあひぬる夏なれど人のつらさは言の葉もなし

0829 夏草の茂みに生ふるまろこ菅まろがまろ寝よいく夜経ぬらん

     天暦御時、広幡の御息所久しく参らざりけれ
     ば、御文遣はしけるに
                 御製
0830 山がつの垣ほに生ふる撫子に思ひよそへぬ時の間ぞなき

     廉義公家の障子の絵に、撫子生ひたる家の心
     細げなるを
                 清原元輔
083 思ひ知る人に見せばや夜もすがらわが常夏に置きゐたる露

     題しらず
                 よみ人しらず
0832 秋の野の草葉も分けぬわが袖の露けくのみもなりまさるかな

     三百六十首の中に
                 曽祢好忠
0833 わが背子が来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりもうらめしきかな

     題しらず
                 よみ人しらず
0834 うらやまし朝日に当たる白露をわが身と今はなすよしもがな

                 人麿
0835 秋の田の穂の上に置ける白露の消ぬべく我は思ほゆるかな

0836 住吉の岸を田に掘り蒔きし稲の刈るほどまでも逢はぬ君かな

                 赤人
0837 恋しくは形見にせむとわが宿に植ゑし秋はき今盛りなり

     中将の御息所のもとに萩につけて遣はしける
                 広平親王
0838 秋萩の下葉を見ずは忘らるる人の心をいかで知らまし

     題しらず
                 よみ人しらず
0839 標結はぬ野辺の秋萩風吹けばと臥しかく臥し物をこそ思へ

                 中宮内侍
0840 移ろふは下葉ばかりと見しほどにやがても秋になりにけるかな

     女のもとに遣はしける
                 能宣
0841 言の葉も霜にはあへず枯れにけりこや秋果つるしるしなるらん

                 貫之
0842 色もなき心を人に染めしより移ろはむとはわが思はなくに

                 よみ人しらず
0843 数ならぬ身をう宇治川の網代木に多くの日をも過ぐしつるかな

0844 下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな

                 人麿
0845 わが背子をわが恋をればわが宿の草さへ思ひうら枯れにけり

    定文が家歌合に
                 よみ人しらず
0846 霜の上に降る初雪の朝氷解けずも物を思ふころかな

     絶えて年ごろになりにける女のもとにまかり
     て、雪の降りはべりければ
                 源景明
0847 み吉野の雪に籠もれる山人もふる道とめて音をや泣くらん

     題しらず
                 人麿
0848 頼めつつ来ぬ夜あまたになりぬれば待たじと思ふぞ待つにまされる

   拾遺和歌集巻第十四
    恋四
     題しらず
                 人麿
0849 朝寝髪我はけづらじうつくしき人の手枕触れてしものを

     元輔が婿になりて朝に
                 藤原実方朝臣
0850 時の間も心は空になるものをいかで過ぐしし昔なるらむ

     題しらず
                 よみ人しらず
0851 白波のうちしきりつつ今宵さへいかでか一人寝るとかや君

     一条摂政、「内裏にては便なし、里に出でよ」
     と言ひはべりければ、人もなき所にて待ちは
     べりけるに、まうで来ざりければ
                 小弐命婦
0852 いかにして今日を暮らさむこゆるぎのいそぎ出でてもかひなかりけり

     題しらず
                 人麿
0853 港入りの葦分け小舟障り多みわが思ふ人に逢はぬころかな

0854 岩代の野中に立てる結び松心も解けず昔思へば

                 よみ人しらず
0855 わが宿は播磨潟にもあらなくに明かしも果てで人の行くらん

0856 波間より見ゆる小島の浜ひさ木久しくなりぬ君に逢はずて

                 人麿
0857 ます鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君にあく時ぞなき

0858 みな人の笠に縫ふてふ有馬菅ありての後も逢はんとぞ思ふ

                 よみ人しらず
0859 伊香保のや伊香保の沼のいかにして恋しき人を今一目見む

0860 多摩川にさらすて手作りさらさらに昔の人の恋しきやなぞ

0861 身は早く奈良の都になりにしを恋しき事のふりせざるらん

                 藤原忠房朝臣
0862 石上ふりにし恋の神さびてたたるに我はねぎぞかねつる

                 よみ人しらず
0863 いかばかり苦しきものぞ葛城の久米路の橋の中の絶え間は

0864 限りなく思ひながらの橋柱思ひながらに中や絶えなん

     女のもとに遣はしける
                 源頼光
0865 なかなかに言ひも放たで信濃なる木曽路の橋の架けたるやなぞ

     題しらず
                 よみ人しらず
0866 杉立てる宿をぞ人は訪ねける心の松はかひなかりけり

0867 石上布留の社の木綿襷掛けてのみやは恋ひむと思ひし

0868 我や憂き人や辛きとちはやぶる神てふ神に問ひ見てしがな

0869 住吉のあら人神に誓ひても忘るる君が心とぞ聞く

                 右近
0870 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな

     女を恨みて、「さらにまうで来じ」と誓ひて
     後に遣はしける
                 実方朝臣
0871 何せむに命をかけて誓ひけん行かばやと思ふ折もありけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0872 塵泥の数にもあらぬ我ゆゑに思ひわぶらん妹がかなしさ

                 人麿
0873 恋ひ恋ひて後も逢はむと慰むる心しなくは命あらめや

0874 かくばかり恋しきものと知らませばよそに見るべくありけるものを

                 よみ人しらず
0875 涙川のどかにたにも流れなん恋しき人の影や見ゆると

                 貫之
0876 涙川落つる水上早ければせきぞかねつる袖のしがらみ

     万葉集和しはべりける歌
                 源順
0877 涙川底の水屑となりはてて恋しき瀬々に流れこそすれ

     女のもとに遣はしける
                 藤原惟成
0878 人知れず落つる涙の積もりつつ数かくばかりなりにけるかな

     天暦御時、承香殿の前を渡らせたまひて、こ
     と御方に渡らせたまひければ
                 斎宮女御
0879 かつ見つつ影離れ行く水の面にかく数ならむ身をいかにせん

     題しらず
                 よみ人しらず
0880 小牡鹿の爪だにひちぬ山川のあさましきまで訪はぬ君かな

0881 あさましや木の下蔭の岩清水いくその人の影を見つらん

0882 行く水の泡ならばこそ消え返り人の淵瀬を流れても見め

0883 津の国の堀江の深く思ふとも我は難波の何とだに見ず

0884 津の国の生田の池のいくたびかつらき心を我に見すらん

0885 津の国の難波わたりに作るなるこやと言はなん行きて見るべく

0886 旅人の萱刈り覆ひ作るてふまろやは人を思ひ忘るる

                 人麿
0887 難波人葦火焚く屋はすすたれどおのが妻こそとこめづらなれ

                 よみ人しらず
0888 住吉の岸に生ひたる忘草見ずやあらまし恋ひは死ぬとも

0889 八百日行く浜の真砂とわが恋といづれまされり沖つ島守

     屏風にみ熊野の形描きたる所
                 兼盛
0890 さしながら人の心をみ熊野の浦の浜木綿いく重なるらん

     富士の山の形を作らせたまひて藤壺の御方へ
     遣はす
                 天暦御製
0891 世の人の及ばぬ物は富士の嶺の雲居に高き思ひなりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
0892 わが恋のあらはに見ゆる物ならば都の富士と言はれなましを

0893 葦根はふうきは上こそつれなけれ下はえならず思ふ心を

0894 ねぬなはの苦しかるらん人よりも我ぞ益田の生けるかひなき

                 人麿
0895 たらちねの親の飼ふ蚕の繭籠もりいぶせくもあるか妹にあはずして
                 よみ人しらず
0896 いさやまだ恋てふ事も知らなくにこやそなるらん寝こそ寝られね

0897 たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける

     年を経て信明朝臣まうで来たりければ、簾越
     しに据ゑて物語しはべりけるにいかがありけ
     ん
                 中務
0898 内外なく馴れもしなまし玉簾誰れ年月を隔て初めけん

     題しらず
                 貫之
0899 憂かりける節をば捨てて白糸の今繰る人と思ひなさなん

                 よみ人しらず
0900 思ふとていとこそ人に馴れざらめしかならひてぞ見ねば恋しき

0901 手枕の隙間の風も寒かりき身はならはしの物にぞありける

0902 吹く風に雲のはたてはとどむともいかが頼まん人の心は

0903 若草にとどめもあへぬ駒よりもなつけわびぬる人の心か

0904 逢ふことの片飼ひしたる陸奥の来まほしくのみ思ほゆるかな

0905 陸奥の安達の原の白真弓心こはくも見ゆる君かな

                 伊勢
0906 年月の行くらん方も思ほえず秋のはつかに人の見ゆれば

0907 思ひきや逢ひ見ぬほどの年月を数ふばかりにならんものとは

0908 遙かなるほどにも通ふ心かなさりとて人の知らぬものゆゑ

     遠き所に思ふ人を置きはべりて
                 源経基
0909 雲居なる人を遙かに思ふにはわが心さへ空にこそなれ

     道をまかりてよみはべりける
                 人麿
0910 よそにありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒

     題しらず
                 よみ人しらず
0911 わが帰る道の黒駒心あらば君は来ずともおのれいななけ

     入道摂政まかりたりけるに、門を遅く開けけ
     れば、「立ちわづらひぬ」と言ひ入れてはべ
     りければ
                 右大将道綱母
0912 嘆きつつ一人寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る

     題しらず
                 よみ人しらず
0913 なげ木こる人入る山の斧の柄のほとほとしくもなりにけるかな

     行ひせんとて山に籠もりはべりけるに、里の
     人に遣はしける
0914 人にだに知らせて入りし奥山に恋しさいかで尋ね来つらん

     国用が女を知光まかり去りて後、鏡を返し遣
     はすとて、書き付けて遣はしける
0915 影絶えておぼつかなさのます鏡見ずはわが身の憂さも知られじ

     題しらず
                 よみ人しらず
0916 思ひます人しなければます鏡映れる影と音をのみぞ泣く

0917 わが袖の濡るるを人のとがめずは音をだにやすく泣くべきものを

     元良親王、小馬の命婦に物言ひはべりける時、
     女の言ひ遣はしける
0918 数ならぬ身はただにだに思ほえでいかにせよとかながめらるらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0919 夢にさへ人のつれなく見えつれば寝ても覚めても物をこそ思へ

0920 見る夢のうつつになるは世の常ぞうつつの夢になるぞ悲しき

0921 逢ふ事は夢の中にもうれしくて寝覚めの恋ぞ侘しかりける

0922 忘れじよ夢と契りし言の葉はうつつにつらき心なりけり

0923 あたらしと何に命を思ひけん忘れは古くなりぬべき身を

                 柿本人麿
0924 ちはやぶる神の忌垣も越えぬべし今はわが身の惜しけくもなし

   拾遺和歌集巻第十五
    恋五
     善祐法師流されはべりける時、母の言ひ遣は
     しける
0925 泣く涙世はみな海となりななん同じ渚に流れ寄るべく

     題しらず
                 人麿
0926 住吉の岸に向かへる淡路島あはれと君を言はぬ日ぞなき

                 よみ人しらず
0927 捨てはてむ命を今は頼まれよ逢ふべきことのこの世ならねば

0928 生き死なん事の心にかなひせばふたたび物は思はざらまし

0929 燃えはてて灰となりなん時にこそ人を思ひの止まむ期にせめ

0930 いづ方に行き隠れなん世の中に身のあれはこそ人もつらけれ

0931 有り経むと思ひもかけぬ世の中はなかなか身をぞ嘆かざりける

0932 いつはりと思ふものから今さらに誰がまことをか我は頼まむ

0933 世の中の憂きもつらきも忍ぶれば思ひ知らすと人や見るらん

0934 ひたぶるに死なば何かはさもあらばあれ生きてかひなき物思ふ身は
                 人麿
0935 恋するに死にする物にあらませば千度ぞ我は死に返らまし

0936 恋ひて死ね恋ひて死ねとや我妹子がわが家の門を過ぎて行くらん

0937 恋ひ死なば恋ひも死ねとやたまぼこの道行き人に言づてもなき

                 重之
0938 恋しきを慰めかねて菅原や伏見に来ても寝られざりけり

                 読人しらず
0939 恋しきは色に出でても見えなくにいかなる時か胸に染むらん

0940 忍ばむに忍ばれぬべき恋ならばつらきにつけて止みもしなまし

     女に遣はしける
                 大中臣能宣
0941 いかでいかで恋ふる心を慰めて後の世までの物を思はじ

     題しらず
                 よみ人しらず
0942 限りなく思ふ心の深ければつらきも知らぬものにぞありける

0943 わりなしやしひても頼む心かなつらしとかつは思ふものから

0944 憂しと思ふものから人の恋しきはいづこを偲ぶ心なるらん

0945 身の憂きを人のつらきと思ふこそ我とも言はじわりなかりけれ

0946 つらしとは思ふものから恋しきは我にかなはぬ心なりけり

0947 つらきをも思ひ知るやはわがためにつらき人しも我を恨むる

0948 心をばつらき物ぞと言ひ置きて変らじと思ふ顔ぞ恋しき

0949 あさましや見しかとだにも思はぬに変らぬ顔ぞ心ならまし

     物言ひはべりける女の後につれなくはべりて、
     さらに逢はずはべりければ
                 一条摂政
0950 あはれとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな

     題しらず
                 伊勢
0951 さもこそは逢ひ見むことのかたからめ忘れずとだに言ふ人のなき

                 藤原有時
0952 逢ふことのなげ木の本を尋ぬれば一人寝よりぞ生ひ始めける

                 貫之
0953 おほかたのわが身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな

                 人麿
0954 あらち男の狩る矢の前に立つ鹿もいと我ばかり物は思はじ

0955 荒磯の外行く波の外心我は思はじ恋は死ぬとも

0956 かき曇り雨降る川のさざら波間なくも人の恋ひらるるかな

0957 わがことや雲の中にも思ふらむ雨も涙も降りにこそ降れ

                 貫之
0958 降る雨に出でいても濡れぬわが袖の蔭にゐながらひちまさるかな

                 よみ人しらず
0959 これをだに書きぞわづらふ雨と降る涙を拭ふいとまなければ

0960 君恋ふる我も久しくなりぬれば袖に涙もふりぬべらなり

0961 君恋ふる涙のかかる袖の裏は巌なりとも朽ちぞしぬべき

0962 まだ知らぬ思ひに燃ゆるわが身かなさるは涙の川の中にて

     女のもとにまかりけるを、元の妻の制しはべ
     りければ
                 源景明
0963 風をいたみ思はぬ方に泊りする海人の小舟もかくや侘ぶらん

     題しらず
                 よみ人しらず
0964 瀬を早み絶えず流るる水よりも尽きせぬ物は涙なりけり

0965 わがごとく物思ふ人はいにしへも今行く末もあらじとぞ思ふ

                 坂上郎女
0966 黒髪に白髪混じり生ふるまでかかる恋にはいまだ逢はざるに

0967 潮見てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き

0968 志賀の海人の釣に灯せる漁火のほのかに人を見るよしもがな

0969 岩根踏み重なる山はなけれども逢はぬ日数を恋ひやわたらん

                 藤原有時
0970 なげ木こる山路は人も知らなくにわが心のみ常に行くらん

     円融院御時、少将更衣のもとに遣はしける
0971 限りなき思ひの空に満ちぬればいくその煙雲となるらん

     御返し
0972 空に満つ思ひの煙雲ならばながむる人の目にぞ見えまし

     題しらず
                 よみ人しらず
0973 思はずはつれなき事もつらからし頼めば人を恨みつるかな

0974 つらけれど恨むる限りありければ物は言はれで音こそ泣かるれ

0975 紅の八潮の衣かくしあらば思ひ染めずぞあるべかりける

0976 ほのかにも我を三島の芥火のあくとや人の訪れもせぬ

     延喜御時、承香殿女御の方なりける女に、元
     良親王まかり通ひはべりける、絶えて後言ひ
     遣はしける
                 承香殿中納言
0977 人をとく芥川てふ津の国の名には違はぬ物にぞありける

     題しらず
                 よみ人しらず
0978 限りなく思ひ染めてし紅の人あくにぞ返らざりける

0979 荒磯海の浦と頼めし名残波打ち寄せてける忘れ貝かな

0980 つらけれど人には言はず石見潟恨みぞ深き心一つに

0981 恨みぬも疑はしくぞ思ほゆる頼む心のなきかと思へば

0982 近江なる打出の浜の打ち出でつつ恨みやせまし人の心を

0983 わたつ海の深き心はありながら恨みられぬる物にぞありける

0984 数ならぬ身は心だになからなん思ひ知らずは恨みざるべく

0985 恨みての後さへ人のつらからばいかに言ひてか音をも泣かまし

     小野宮の大臣に遣はしける
                 閑院大君
0986 君をなほ恨みつるかな海人の刈藻に住む虫の名を忘れつつ

     題しらず
                 よみ人しらず
0987 海人の刈藻に住む虫の名は聞けどただ我からのつらきなりけり

0988 恋ひ侘びぬ悲しき事も慰めんいづれ長洲の浜辺なるらん

0989 かくばかり憂しと思ふに恋しきは我さへ心二つ有りけり

                 人麿
0990 とにかくに物は思はず飛騨匠打つ墨縄のただ一筋に

     左大臣女御亡せはべりにければ、父大臣のも
     とに遣はしける
                 天暦御製
0991 いにしへをさらにかけじと思へどもあやしく目にも満つ涙かな

     女のもとに遣はしける
                 平忠依
0992 逢ふ事は心にもあらでほど経ともさやは契りし忘れ果てねど

     題しらず
                 よみ人しらず
0993 忘るるがいざさは我も忘れなん人に従ふ心とならば

0994 忘れぬる君はなかなかつらからで今まで生ける身をぞ恨むる

0995 我ばかり我を思はむ人もがなさてもや憂きと世を心みん

0996 あやしくも厭ふにはゆる心かないかにしてかは思ひ絶ゆべき

0997 思ふ事なすこそ神のかたからめしばし忘るる心付けなん

     遠き所にはべりける人、京にはべりける男を
     道のままに恋ひまかりて、高砂といふ所にて
     よみはべりける
0998 高砂にわが泣く声はなりにけり都の人は聞きやつくらん

     題しらず
0999 鹿島なる筑摩の神のつくづくとわが身一つに恋を積みつる

   拾遺和歌集巻第十六
    雑春
     題しらず
                 凡河内躬恒
1000 春立つと思ふ心はうれしくて今一年の老いぞ添ひける

                 よみ人しらず
1001 新しき年は来れどもいたづらにわが身のみこそ古りまさりけれ

1002 新しき年にはあれども鴬の鳴く音さへには変らざりけり

     北宮屏風に
                 右近
1003 年月の行方も知らぬ山がつは滝の音にや春を知るらん

     延喜十五年、斎院屏風歌
                 紀貫之
1004 春来れば滝の白糸いかなれや結べどもなほ泡に見ゆらん

     正月に人びとまうで来たりけるに、又の日の
     朝に、右衛門督公任朝臣のもとに遣はしける
                 中務卿具平親王
1005 あかざりし君が匂ひの恋しさに梅の花をぞ今朝は折りつる

     流されはべりける時、家の梅の花を見はべりて
                 贈太政大臣
1006 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春を忘るな

     桃園の斎院の屏風に
                 よみ人しらず
1007 梅の花春より先に咲きしかど見る人まれに雪の降りつつ

     題しらず
                 中納言安部広庭
1008 去にし年根こじて植ゑしわが宿の若木の梅は花咲きにけり

     天暦御時、大盤所の前に、鴬の巣を紅梅の枝
     に付けて立てられたりけるを見て
                 一条摂政
1009 花の色はあかず見るとも鴬のねぐらの枝に手なな触れそも

     同じ御時、梅の花のもとに御椅子立てさせた
     まひて、花宴せさせたまふに、殿上の男ども
     歌仕うまつりけるに
                 源寛信朝臣
1010 折りて見るかひもあるかな梅の花今日九重の匂ひまさりて

     内裏の御遊はべりける時
                 参議惟衡
1011 かざしては白髪にまがふ梅の花今はいづれを抜かむとすらん

     清和の七の親王六十賀の屏風に
                 貫之
1012 数ふれどおぼつかなきをわが宿の梅こそ春の数を知るらめ

     題しらず
                 よみ人しらず
1013 年ごとに咲きは変れど梅の花あはれなる香は失せずぞありける

     円融院御時、三尺御屏風十二帖歌中
                 源順
1014 梅が枝をかりに来て折る人やあると野辺の霞は立ち隠すかも

     北白河の山庄に花のおもしろく咲きてはべり
     けるを見に、人びとまうで来たりければ
                 右衛門督公任
1015 春来てぞ人も訪ひける山里は花こそ宿の主人なりけれ

     鞍馬に詣ではべりける折に道を踏み違へてよ
     みはべりける
                 安法法師
1016 おぼつかな鞍馬の山の道知らで霞の中にまどふ今日かな

     延喜十五年、斎院屏風に霞を分けて山寺にい
     る人あり
                 紀貫之
1017 思ふ事ありてこそ行け春霞道妨げに立ちな隠しそ

     小一条の大臣の家の障子に
                 能宣
1018 田子の浦に霞の深く見ゆるかな藻塩の煙立ちや添ふらん

     山里に忍びて女を率てまうで来て、ある男の
     よみはべりける
                 よみ人しらず
1019 思ふ事言はで止みなん春霞山路も近し立ちもこそ聞け

     人に物言ふと聞きて問はざりける男のもとに
                 中宮内侍
1020 春日野の荻の焼け原あさるとも見えぬなき名を負ほすなるかな

     女のもとになづなの花に付けて遣はしける
                 藤原長能
1021 雪を薄み垣根に摘める唐なづななづさはまくのほしき君かな

     東三条院御四十九日のうちに子日出で来たり
     けるに、宮の君と言ひける人のもとに遣はし
     ける
                 右衛門督公任
1022 誰れにより松をも引かん鴬の初音かひなき今日にもあるかな

     子日
                 恵慶法師
1023 引きて見る子日の松はほどなきをいかで籠もれる千代にかあるらん

     題しらず
                 よみ人しらず
1024 しめてこそ千歳の春は来つつ見め松を手たゆく何か引くべき

     斎院子日
                 順
1025 一本の松の千歳も久しきにいつきの宮ぞ思ひやらるる

     右大将実資下臈にはべりける時、子日しける
     に
                 清原元輔
1026 老いの世にかかる行幸は有りきやと木高き峰の松に問はばや

     正月叙位のころ、ある所に人びとまかり会ひ
     て、「子日の歌よまん」と言ひはべりけるに、
     六位にはべりける時
                 大中臣能宣
1027 松ならば引く人今日は有りなまし袖の緑ぞかひなかりける

     除目のころ、子日に当たりてはべりけるに、
     按察更衣の局より松を箸にて食べ物を出だし
     てはべりけるに
                 元輔
1028 引く人もなくて止みぬるみ吉野の松は子日をよそにこそ聞け

     康和二年、春宮蔵人になりて、月のうちに民
     部丞に移りて、二度喜びを述べて、右近命婦
     がもとに遣はしける
                 順
1029 引く人もなしと思ひし梓弓今ぞうれしき諸矢しつれば

     題しらず
                 よみ人しらず
1030 咲きし時なほこそ見しか桃の花散れば惜しくぞ思ふなりぬる

     帥の親王、人びとに歌よませはべりけるに
                 弓削嘉言
1031 山里の家居は霞籠めたれど垣根の柳末は外に見ゆ

     春物へまかりけるに、壺装束してはべりける
     女どもの野辺にはべりけるを見て、「何わざ
     するぞ」と問ひければ、「野老掘るなり」と
     いらへければ
                 賀朝法師
1032 春の野に野老求むといふなるは二人寝ばかり見出たりや君

     返し
                 よみ人しらず
1033 春の野に掘る掘る見れどなかりけり世に所せき人のためには

     題しらず
1034 かきくらし雪も降らなん桜花まだ咲かぬ間はよそへても見む

1035 春風は花のなき間に吹きはてね咲きなば思ひなくて見るべく

                 躬恒
1036 咲かざらむ物とはなしに桜花面影にのみまだき見ゆらん

                 よみ人しらず
1037 いづこかにかこのごろ花の咲かざらむ所からこそ訪ねられけれ

     延喜御時、月次御屏風の歌
                 躬恒
1038 桜花わが宿にのみ有りと見はなき物草は思はざらまし

     桜の花咲きてはべりける所に、もろともには
     べりける人の、後の春ほかにはべりけるに、
     その花を折りて遣はしける
                 よみ人しらず
1039 もろともに折りし春のみ恋しくて一人見まうき花盛りかな

     御厨子所にさぶらひけるに、蔵人所の男ども、
     桜の花を遣はしければ
                 壬生忠見
1040 もろともに我し折らねば桜花思ひやりてや春を暮らさん

     ある人のもとに遣はしける
                 御導師浄蔵
1041 霞立つ山のあなたの桜花思ひやりてや春を暮らさむ

     題しらず
                 貫之
1042 をち方の花も見るべく白波のともにや我も立ち渡らまし

     春、花山に亭子法皇おはしまして、帰らせた
     まひければ
                 僧正遍昭
1043 待てと言はばいともかしこし花山にしばしと鳴かん鳥の音もがな

     京極御息所、春日に詣ではべりける時、国司
     の奉りける歌あまたありける中に
                 藤原忠房朝臣
1044 鴬の鳴きつるなべに春日野の今日の行幸を花とこそ見れ

1045 古里に咲くと侘びつる桜花今年ぞ君に見えぬべらなる

1046 春霞春日の野辺に立ちわたり満ちても見ゆる都人かな

     円融院御時、三尺御屏風に花の木のもとに人
     びと集りゐたる所
                 兼盛
1047 世の中にうれしき物は思ふどち花見て過ぐす心なりけり

     清慎公家にて池のほとりの桜の花をよみはべ
     りける
                 元輔
1048 桜花そこなる影ぞ惜しまるるしづめる人の春と思へば

     上総より上りてはべりけるころ、源頼光が家
     にて人びと酒たうべけるついでに
                 藤原長能
1049 東路の後の雪間を分けて来てあはれ都の花を見るかな

     清慎公家のさぶらひに、灯し火のもとに桜の
     花を折りてさしてはべりけるをよみはべりけ
     る
                 兼盛弟
1050 ひのもとに咲ける桜の色見れば人の国にもあらじとぞ思ふ

     山桜を見はべりて
                 平公誠
1051 み山木の二葉三葉に萌ゆるまで消えせぬ雪と見えもするかな

     金鼓打ちはべりける時に、畑焼きはべりける
     を見てよみはべりける
                 藤原長能
1052 片山に畑焼く男かの見ゆるみ山桜はよきて畑焼け

     石山の堂の前にはべりける桜の木に書き付け
     はべりける
                 よみ人しらず
1053 うしろめたいかで帰らん山桜あかぬ匂ひを風にまかせて

     敦慶式部卿の親王の女、伊勢が腹にはべりけ
     るが、近き所にはべるに、瓶に挿したる花を
     贈るとて
                 貫之
1054 久しかれあだに散るなと桜花瓶に挿せれど移ろひにけり

     延喜御時、南殿に散り積みてはべりける花を
     見て
                 源公忠朝臣
1055 殿守の伴の御奴心あらばこの春ばかり朝清めすな

     題しらず
                 よみ人しらず
1056 桜花三笠の山の蔭しあれば雪と降れども濡れじとぞ思ふ

1057 年ごとに春のながめはせしかども身さへ古るとも思はざりしを

                 順
1058 年ごとに春は来れども池水に生ふるぬなはは絶たえずぞありける

     三月閏月有りける年、八重山吹をよみはべりける
                 菅原輔昭
1059 春風はのどけかるべし八重よりも重ねて匂へ山吹の花

     屏風の絵に花のもとに網引く所
1060 浦人は霞を網に結べばや波の花を求めて引くらん

     延喜御時、御屏風に
                 貫之
1061 梁見れば河風いたく吹く時ぞ波の花さへ落ちまさりける

     亭子院京極の御息所に渡らせまうて、弓御覧
     じて賭物出ださせたまひけるに、髭籠に花を
     こき入れて、桜をとぐらにして、山菅を鴬に
     結び据ゑて、かく書きて食はせたりける
                 一条の君
1062 木の間より散り来る花を梓弓えやは留めぬ春の形見に

     比叡の山に住みはべりけるころ、人の薫物を
     恋ひてはべりければ、はべりけるままに少し
     を、梅の花のわづかに散り残りてはべる枝に
     付けて遣はしける
                 如覚法師
1063 春過ぎて散り果てにける梅の花ただ香ばかりぞ枝に残れる

     右衛門督公任籠もりはべりけるころ、四月一
     日に言ひ遣はしける
                 左大臣
1064 谷の戸を閉ぢや果てつる鴬の待つに音せで春も過ぎぬる

     返し
                 公任朝臣
1065 行き返る春をも知らず花咲かぬみ山隠れの鴬の声

     四月朔日、よみはべりける
                 元輔
1066 春は惜し郭公はた聞かまほし思ひわづらふ静心かな

     延長四年九月二十八日、法皇御六十賀、京極
     の御息所の仕うまつりける屏風の歌、藤の花
                 貫之
1067 松風の吹かむ限りはうちはへて絶ゆべくもあらず咲ける藤波

     延喜御時、藤壺の藤花宴せさせたまひけるに、
     上の男ども歌仕うまつりけるに
                 皇太后宮権大夫国章
1068 藤の花宮の内には紫の雲かとのみぞあやまたれける

     左大臣女の中宮の料に調じはべりける屏風に
                 右衛門督公任
1069 紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん

                 よみ人しらず
1070 紫の色し濃ければ藤の花松の緑も移ろひにけり

     題しらず
                 人麿
1071 郭公通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来きまさぬ

     屏風の絵に
                 重之
1072 卯の花の咲ける垣根に宿りせじ寝ぬに明けぬとおどろかれけり

     陸奥にまかり下りて後、郭公の声を聞きて
                 実方朝臣
1073 年を経て深山隠れの郭公聞く人もなき音をのみぞ鳴く

     女のもとに、白き糸を菖蒲の根にして薬玉を
     おこせはべりて、あはれなることどもを、あ
     る男の言ひおこせてはべりければ
                 よみ人しらず
1074 声立てて泣くと言ふとも郭公袂は濡れじ空音なりけり

     廉義公家障子に
                 元輔
1075 かくばかり待つと知らばや郭公梢高くも鳴き渡るかな

     題しらず
                 大虫臣輔親
1076 あしひきの山郭公里馴れてたそがれ時に名のりすらしも

     坂上郎女に遣はしける
                 大伴像見
1077 古里のならしの岡に郭公言づてやりきいかに告げきや

     蛍をよみはべりける
                 健守法師
1078 夜もすがら燃ゆる蛍を今朝見れば草の葉ごとに露ぞ置きける

     延長七年十月十四日、元良の親王の四十賀し
     はべりける時の屏風に
                 貫之
1079 常夏の花をし見ればうちはへて過ぐる月日の数も知られず

     一条摂政の北の方ほかにはべりけるころ、女
     御と申しける時
                 贈皇后宮
1080 しばしだに蔭に隠れぬ時はなほうなだれぬべき撫子の花

     題しらず
                 躬恒
1081 いたづらに老いぬべらなり大荒木の森の下なる草葉ならねど

   拾遺和歌集巻十七
    雑秋
     屏風に七月七日
                 源順
1082 七夕は空に知るらんささがにの糸かくばかり祭る心を

     円融院御屏風に、七夕祭したる所に、籬のも
     とに男立てり
                 平兼盛
1083 七夕のあかぬ別れもゆゆしきを今日しもなどか君が来ませる

     七夕後朝、躬恒がもとに遣はしける
                 貫之
1084 朝戸開けてながめやすらん織女のあかぬ別れの空を恋ひつつ

     題しらず
                 人麿
1085 渡し守はや舟隠せ一年に二度来ます君ならなくに

     七夕祭描ける御扇に書かせたまひける
                 天暦御製
1086 織女のうらやましきに天の川今宵ばかりは下りや立たまし

     題しらず
                 よみ人しらず
1087 世を倦みてわがかす糸は七夕の涙の玉の緒とやなるらん

     天禄四年五月二十一日、円融院の帝、一品宮
     に渡らせたまひて、乱碁とらせたまひける負
     態を、七月七日にかの宮より内裏の大盤所に
     奉られける扇に張られてはべりける薄物に、
     織り付けてはべりける
                 中務
1088 天の川川辺涼しき七夕に扇の風をなほやかさまし

                 元輔
1089 天の川扇の風に霧晴れて空澄みわたる鵲の橋

     同じ御時、御屏風、七月七日夜、琴弾く女あ
     り
                 源順
1090 琴の音はなぞやかひなき七夕のあかぬ別れを弾きし止めねば

     仁和御屏風に七月七日、女の川浴みたる所
                 平定文
1091 水の綾を織り裁ちて着む脱ぎ散らし七夕つ女に衣かす夜は

     七月七日によみはべりける
                 藤原義孝
1092 秋風よ七夕つ女に言問はんいかなる世にか逢はんとすらん

     寂昭が唐土にまかり渡るとて、七月七日舟に
     乗りはべりけるに言ひ遣はしける
                 右衛門督公任
1093 天の川後の今日だにはるけきをいつとも知らぬ船出悲しな

     七夕後朝に躬恒がもとより歌よみておこせて
     はべりける返事に
                 貫之
1094 逢ひ見ずて一日も君にならはねば七夕よりも我ぞまされる

     題しらず
                 よみ人しらず
1095 むつまじき妹背の山と知らねばや初秋霧の立ち隔つらん

     天暦御屏風に
1096 藻塩焼く煙に馴るる須磨の海人は秋立つ霧も分かずやあるらん

     三条太政大臣家にて、歌人召し集めてあまた
     の題よませはべりけるに、岸のほとりの花と
     いふことを
                 源重之
1097 行く水の岸に匂へる女郎花忍びに波や思ひかくらん

     房の前栽見に、女どもまうで来たりければ
                 僧正遍昭
1098 ここにしも何匂ふらん女郎花人の物言ひさがにくき世に

     題しらず
                 よみ人しらず
1099 秋の野の花の色々取りすべてわが衣手に移してしがな

1100 船岡の野中に立てる女郎花渡さぬ人はあらじとぞ思ふ

     円融院の御屏風に秋の野に色々の花咲き乱れ
     たる所に鷹据ゑたる人あり
                 平兼盛
1101 家つとにあまたの花も折るべきにねたくも鷹を据ゑてけるかる

     女郎花といふことを句の上に置きて
                 貫之
1102 小倉山峰立ちならし鳴く鹿の経にける秋を知る人ぞなき

     題しらず
1103 来てふにも似たる物かな花薄恋しき人に見すべかりけり

                 能宣
1104 帰りにし雁ぞ鳴くなるむべ人は憂き世の中を背きかぬらん

     中宮の内裏におはしましける時、月の明かき
     夜、歌よみはべりける
                 善滋為政
1105 九重の内だに明かき月影に荒れたる宿を思ひこそやれ

     延喜十九年九月十三日、御屏風に月に乗りて
     翫潺湲
                 よみ人しらず
1106 百敷の大宮ながら八十島を見る心地する秋の夜の月

     八月に人の家の釣殿に客人あまたありて月を
     見る
                 順
1107 水の面に宿れる月ののどけきは並み居て人の寝ぬ夜なればか

     清慎公五十賀の屏風に
                 元輔
1108 走り井のほどを知らばや逢坂の関引き越ゆる夕影の駒

     題しらず
                 曽祢好忠
1109 虫ならぬ人も音せぬわが宿に秋の野辺とて君は来にけり

                 人麿
1110 庭草に村雨降りてひぐらしの鳴く声聞けば秋は来にけり

     三百六十首の中に
                 好忠
1111 秋風は吹きな破りそわが宿のあばら隠せる蜘蛛の巣がきを

     右大将定国家の屏風に
                 躬恒
1112 住の江の松を秋風吹くからに声うち添ふる沖つ白波

     題しらず
                 人麿
1113 秋風の寒く吹くなるわが宿の浅茅がもとにひぐらしも鳴く

1114 秋風し日ごとに吹けばわが宿の岡の木の葉は色づきにけり

1115 秋霧のたなびく小野の萩の花今や散るらんいまだあかなくに

     近隣なる所に方違へに渡りて、宿れりと聞き
     てあるほどに事に触れて見聞くに、「歌よむ
     べき人なり」と聞きて、これが歌よまんさま
     いかでよく見むと思へども、いとも心にしあ
     らねば、深くも思はず、進みても言はぬほど
     に、かれも又心見むと思ひければ、萩の葉の
     もみぢたるに付けて、歌をなむおこせたる
                 女
1116 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る

     返し
                 貫之
1117 世の中の人に心を染めしかば草葉に色も見えじとぞ思ふ

     題しらず
                 人麿
1118 このごろの暁露にわが宿の萩の下葉は色づきにけり

1119 夜寒み衣かりがね鳴くなへに萩の下葉は色づきにけり

                 よみ人しらず
1120 かの見ゆる池辺に立てるそが菊の茂みさ枝の色のてこらさ

     天暦御時、菊の宴はべりける朝に奉りける
                 忠見
1121 吹く風に散る物ならば菊の花雲居なりとも色は見てまし

     物ねたみしはべりける男、離れはべりて後に、
     菊の移ろひてはべりけるを遣はすとて
                 よみ人しらず
1122 老いが世に憂き事聞かぬ菊だにも移ろふ色は有りけりと見よ

     題しらず
                 人麿
1123 我妹子が赤裳濡らして植ゑし田を刈りて収めむ倉無しの浜

     屏風に、翁の稲運ばする形描きてはべりける
     所に
                 忠見
1124 秋ごとに刈りつる稲は積みつれど老いにける身ぞ置き所なき

     延喜御時、月次御屏風の歌
                 躬恒
1125 刈りて干す山田の稲を干し侘びて守る仮庵にいく夜経ぬらん

     祓へしに秋、唐崎にまかりはべりて、舟のま
     かりけるを見はべりて
                 恵慶法師
1126 奥山に立てらましかば渚漕ぐ舟木も今は紅葉しなまし

     題しらず
                 よみ人しらず
1127 久方の月をさやけみもみぢ葉の濃さも薄さも分きつべらなり

     亭子院、大井河に御幸ありて、「行幸もあり
     ぬべき所なり」と仰せたまふに、「事の由奏
     せん」と申して
                 小一条太政大臣
1128 小倉山峰のもみぢ葉心あらば今一度の行幸待たなん

     旅人の紅葉のもと行く方描ける屏風に
                 大中臣能宣
1129 古里に帰ると見てや龍田姫紅葉の錦空に着すらん

     題しらず
                 よみ人しらず
1130 白波は古里なれやもみぢ葉の錦を着つつ立ち帰らん

                 躬恒
1131 もみぢ葉の流るる時は竹川の淵の緑も色変るらむ

     斎院御屏風に
1132 水の面の深く浅くも見ゆるかな紅葉の色や淵瀬なるらん

     内裏御屏風に
                 清原元輔
1133 月影の田上河に清ければ網代に氷魚の夜も見えけり

     蔵人所にさぶらひける人の、氷魚の使ひにま
     かりにけるとて、京にはべりながら音もしは
     べらざりければ
                 修理
1134 いかでなほ網代の氷魚に言問はむ何によりてか我を訪はぬと

     題しらず
                 よみ人しらず
1135 祝子が祝ふ社のもみぢ葉もしめをば越えて散るといふものを

     九月晦の日、男女野に遊びて紅葉を見る
                 源順
1136 いかなれば紅葉にもまだあかなくに秋果てぬとは今日を言ふらん

     十月朔日の日、殿上の男ども嵯峨野にまかり
     てはべる供に呼ばれて
                 清原元輔
1137 秋もまた遠くもあらぬにいかでなほ立ち帰れとも告げにやらまし

     時雨を
                 能宣
1138 そま山に立つ煙こそ神無月時雨を下す雲となりけれ

     十月、志賀の山越えしける人びと
                 源順
1139 名を聞けば昔ながらの山なれど時雨るるころは色変りけり

     冬、親の喪にあひてはべりける法師のもとに
     遣はしける
                 躬恒
1140 もみぢ葉や袂なるらん神無月時雨るることに色のまされば

     天暦御時、伊勢が家の集召したりければ、ま
     ゐらすとて
                 中務
1141 時雨れつつ降りにし宿の言の葉はかき集むれど止まらざりけり

     御返し
                 天暦御製
1142 昔より名高き宿の言の葉はこのもとにこそ落ち積もるてへ

     権中納言義懐、入道して後、女の斎院に養ひ
     たまひけるがもとより、東の院にはべりける
     姉のもとに、十月ばかりに遣はしける
1143 山がつの垣ほわたりをいかにぞとしもかれがれに訪ふ人もなし

     三百六十首の中に
                 曽祢好忠
1144 深山木を朝な夕なにこりつめて寒さを乞ふる小野の炭焼き

1145 鳰鳥の氷の関に閉ぢられて玉藻の宿を離れやしぬらん

     高岳相如が家に、冬の夜の月おもしろうはべ
     りける夜まかりて
                 元輔
1146 いざかくて居り明かしてん冬の月春の花にも劣らざりけり

     祭の使ひにまかり出でける人のもとより、摺
     袴摺りに遣はしけるを遅しとせめければ
                 東宮女蔵人左近
1147 限りなくとくとはすれどあしひきの山の井の水はなほぞ凍れる

     小忌に当たりたる人のもとにまかりたりけれ
     ば、女ども盃に日蔭を添へて出だしたりけれ
     ば
                 能宣
1148 有明の心地こそすれ盃に日蔭も添ひて出でぬと思へば

     右大臣恒佐家屏風に臨時祭描きたる所に
                 貫之
1149 あしひきの山藍に摺れる衣をば神に仕ふるしるしとぞ思ふ

     題しらず
                 よみ人しらず
1150 ちはやぶる神の忌垣に雪降りて空よりかかる木綿にぞありける

                 貫之
1151 一人寝は苦しき物と懲りよとや旅なる夜しも雪の降るらん

     雪を島々の形に作りて見はべりけるに、やう
     やう消えはべりければ
                 中務の親王
1152 わたつみも雪消の水はまさりけり遠方の島々見えずなり行く

1153 元結に降り添ふ雪の雫には枕の下に波ぞ立ちける

     東宮の御屏風に、冬野焼く所
                 藤原通頼
1154 早蕨や下に萌ゆらん霜枯れの野原の煙春めきにけり

     師走のつごもりころに、身の上を嘆きて
                 貫之
1155 霜枯れに見え来し梅は咲きにけり春にはわが身逢はむとはすや

     西なる隣に住みて、かく近隣にありけること
     など、言ひおこせはべりて
                 三統元夏
1156 梅の花匂ひの深く見えつるは春の隣の近きなりけり

     返し
                 貫之
1157 梅もみな春近しとて咲くものを待つ時もなき我や何なる

     師走のつごもり方に年の老いぬることを嘆き
     て
1158 むばたまのわが黒髪に年暮れて鏡の影に降れる白雪

   拾遺和歌集巻第十八
    雑賀
     延喜二年五月、中宮御屏風元日
                 紀貫之
1159 昨日よりをちをば知らず百年の春の始めは今日にぞありける

     屏風に
                 伊勢
1160 はるばると雲居をさして行く舟の行く末遠く思ほゆるかな

     九条右大臣五十賀屏風に、竹ある所に花の木
     の近くあり
                 元輔
1161 花の色も常盤ならなんなよ竹の長き世に置く露しかからば

     為光の朝臣、紀伊守にはべりける時に、小さ
     き子を抱き出でて、「これ祈れ祈れと言ひた
     る歌よめ」と言ひはべりければ
1162 よろづ世を数へむものは紀伊の国の千尋の浜の真砂なりけり

     東宮の石などりの石召しければ、三十一を包
     みて、一つに一文字を書きてまゐらせける
                 よみ人しらず
1163 苔むさば拾ひも替へむさざれ石の数をみな取る齢いく世ぞ

     賀屏風、人の家に松のもとより泉出でたり
                 貫之
1164 松の根に出づる泉の水なれば同じき物を絶えじとぞ思ふ

     冷泉院の五六の親王袴着はべりけるころ、言
     ひおこせてはべりける
                 左大臣
1165 岩の上の松にたとへむ君々は世にまれらなる種ぞと思へば

     ある人の産してはべりける七夜
                 元輔
1166 松が枝のかよへる枝をとぐらにて巣立てらるべき鶴の雛かな

     大弐国章、孫の五十に破籠調じて歌を絵に描
     かせける
1167 松の苔千歳をかねて生ひ茂れ鶴の卵の巣とも見るべく

     題しらず
                 よみ人しらず
1168 我のみや子持たるてへば高砂の尾上に立てる松も子持たり

     延喜御時、斎院屏風四帖、宣旨によりて
                 貫之
1169 いく世経し磯辺の松ぞ昔より立ち寄る波や数は知るらん

     人のかうぶりしはべりけるに
                 元輔
1170 濃紫たなびく雲をしるべにて位の山の峰を尋ねん

     天暦御時、内裏にて為平の親王、袴着はべり
     けるに
                 参議好吉
1171 ももしきに千歳の事は多かれど今日の君はためづらしきかな

     五月五日、小さき飾りちまきを山菅の籠に入
     れて、為雅の朝臣の女に心ざすとて
                 春宮大夫道綱母
1172 心ざし深き汀に刈る菰は千歳の五月いつか忘れん

     天徳四年、右大臣五十賀屏風に
                 清原元輔
1173 千歳経ん君しいまさばすべらきの天の下こそうしろやすけれ

     東三条院の賀、左大臣のしはべりけるに、上
     達部かはらけ取りて歌よみはべりけるに
                 右衛門督公任
1174 君が世に今いく度かかくしつつうれしき事に逢はんとすらん

     右大臣、家造り改めて渡りはじめけるころ、
     文作り歌など人びとによませはべりけるに、
     「水樹多佳趣」といふ題を
1175 住みそむる末の心の見ゆるかな汀の松の影を映せば

     ある人の賀しはべりけるに
                 権中納言敦忠
1176 千歳経る霜の鶴をばおきながら久しき物は君にぞありける

     清和の女七の内親王の八十賀、重明の親王の
     しはべりける時の屏風に、竹に雪降りかかり
     たる形ある所に
                 貫之
1177 白雪は降り隠せども千代までに竹の緑は変らざりけり

     子をとみはたと付けてはべりけるに、袴着す
     とて
                 元輔
1178 世の中にことなる事はあらずとも富はたしてむ命長くは

     中将にはべりける時、右大弁源致方朝臣のも
     とへ八重紅梅を折りて遣はすとて
                 右大将実資
1179 流俗の色にはあらず梅花
                 致方朝臣
   珍重すべき物とこそ見れ

     筑紫へまかりける時に、竃山のもとに宿りて
     はべりけるに、道つらにはべりける木に古く
     書き付けてはべりける
1180 春は燃え秋は焦がるる竃山
                 元輔
   霞も霧も煙とぞ見る

     春、良岑の義方が女のもとに遣はすとて
                 藤原忠君朝臣
1181 思ひ立ちぬる今日にもあるかな
                 女
   かからでもありにし物を春霞

     広幡の御息所、内裏に参りて遅く渡らせたま
     ひければ
1182 暮らすべしやは今までに君
     とそうし侍けれは
   訪ふやとぞ我も待ちつる春の日を

     宵に久しう大殿籠もらで、仰せられける
                 天暦御製
1183 小夜更けて今はねぶたくなりにけり
     御前にさふらひてそうしける
                 滋野内侍
   夢に逢ふべき人や待つらん

     内裏にさぶらふ人を契りてはべりける夜、遅
     くまうで来けるほどに、「丑三つ」と時申し
     けるを聞きて、女の言ひ遣はしける
1184 人心うしみつ今は頼まじよ
                 良峯宗貞
   夢に見ゆやとねぞ過ぎにける

     題しらず
                 平定文
1185 引き寄せばただには寄らで春駒の網引きするぞなはたつと聞く

                 よみ人しらず
1186 花の木は籬近くは植ゑて見じ移ろふ色に人ならひけり

1187 夏は扇冬は火桶に身をなしてつれなき人に寄りも付かばや

1188 恋するに仏になると言はませば我ぞ浄土の主人ならまし

     灌仏の童を見はべりて
1189 唐衣龍より落つる水ならでわが袖濡らす物や何なる

     修理大夫惟正が家に方違へにまかりたりける
     に、出だしてはべりける枕に書き付けはべり
     ける
                 藤原義孝
1190 つらからば人に語らむ敷妙の枕交はして一夜寝にきと

     同じ少将通ひはべりける所に、兵部卿致平の
     親王まかりて、「少将の君おはしたり」と言
     はせはべりけるを、後に聞きはべりて、かの
     親王のもとに遣はしける
1191 あやしくもわが濡れ衣を着たるかな三笠の山を人に借られて

     忍びたる人のもとに遣はしける
                 平公誠
1192 隠れ蓑隠れ笠をも得てしがな着たりと人に知られざるべく

     年月を経て懸想しはべりける人の、つれなく
     のみはべりければ、「今はさらに世にもあら
     じ」と言ひはべりて後、久しく訪れずはべり
     ければ、かの男の妹に先々も語らひて文など
     遣はしければ、言ひ遣はしける
                 よみ人しらず
1193 心ありて問ふにはあらず世の中にありやなしやの聞かまほしきぞ

     語らひける人の久しう音せずはべりければ、
     たかうなを遣はすとて
1194 問とはでいく世経ぬらん色変へぬ竹の古根の生ひ変はるまで

     延喜十七年八月、宣旨によりてよみはべりけ
     る
                 紀貫之
1195 来ぬ人を下に待ちつつ久方の月をあはれと言はぬ世ぞなき

                 柿本人麿
1196 梓弓引きみ引かずみ来ずは来ず来ば来そをなぞよそにこそ見め

     春日使ひにまかりて、帰りてすなはち女のも
     とに遣はしける
                 一条摂政
1197 暮ればとく行きて語らむ逢ふ事の十市の里住み憂かりしも

     東よりある男まかり上りて、先々物言ひはべ
     りける女のもとにまかりたりけるに、「いか
     で急ぎ上りつるぞ」など言ひはべりければ
                 よみ人しらず
1198 おろかにも思はましかば東路の伏屋と言ひし野辺に寝なまし

     女のもとに遣はしける文のつまを引き破りて、
     返事をせざりければ
1199 跡もなき葛城山を踏みみればわが渡し来し片端かもし

     人の草子書かせはべりける奥に書き付けはべり
     ける
1200 書き付くる心見えなる跡なれど見ても偲ばむ人やあるとて

     大納言朝光下臈にはべりける時、女のもとに
     忍びてまかりて暁に、「帰らじ」と言ひけれ
     ば
                 春宮女蔵人左近
1201 岩橋の夜の契りも絶えぬべし明くる侘しき葛城の神

     入道摂政まかり通ひける時、女のもとに遣は
     しける文を見はべりて
                 春宮大夫道綱母
1202 疑はしほかに渡せる文見れば我やと絶えにならむとすらん

     題しらず
                 よみ人しらず
1203 いかでかは訪ね来つらん蓬生の人も通はぬわが宿の道

     東三条にまかり出でて雨の降りける日
                 承香殿女御
1204 雨ならで漏る人もなきわが宿を浅茅が原と見るぞ悲しき

     まかり通ふ所の雨の降りければ
                 大納言朝光
1205 いにしへは違ふる里ぞおぼつかな宿漏る雨に問ひて知らばや

     中納言平惟仲久しくありて消息してはべりけ
     る返事に書かせはべりける
                 高階成忠女
1206 夢とのみ思ひなりにし世の中を何今更におどろかすらん

     題しらず
                 源公忠朝臣
1207 人も見ぬ所に昔君とわがせぬわざわざをせしぞ恋しき

     左大将済時があひ知りてはべりける女、筑紫
     にまかり下りたりけるに、実方朝臣、宇佐使
     ひにて下りはべりけるにつけてとぶらひに遣
     はしたりければ
                 藤原後生が女
1208 今日までは生の松原生きたれどわが身の憂さに嘆きてぞ経る

     成房朝臣法師にならむとて、飯室にまかりて、
     京の家に枕箱を取りに遣はしたりければ、書
     き付けてはべりける
                 則忠朝臣女
1209 生きたるか死ぬるかいかに思ほえず身よりほかなる玉くしげかな

   拾遺和歌集巻第十九
    雑恋
     題しらず
                 柿本人麿
1210 乙女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき

     稲荷に詣で逢ひてはべりける女の、物言ひか
     けはべりけれど、いらへもしはべらざりけれ
     ば
                 平定文
1211 稲荷山社の数を人問はばつれなき人を見つと答へむ

     題しらず
                 柿本人麿
1212 三島江の玉江の葦をしめしよりおのがとぞ思いまだ刈らねど

                 大中臣能宣
1213 あだなりとあだにはいかが定むらん人の心を人は知るやは

                 よみ人しらず
1214 双六の市場に立てる人妻の逢はでやみなん物にやはあらぬ

1215 濡れ衣をいかが着ざらん世の人は天の下にし住まん限りは

     流されはべりける時
                 贈太政大臣
1216 天の下逃がるる人のなければや着てし濡れ衣干るよしもなき

     題しらず
                 よみ人しらず
1217 いづくとも所定めぬ白雲のかからぬ山はあらじとぞ思ふ

1218 白雲のかかる空事する人を山の麓に寄せてけるかな

1219 いつしかも筑摩の祭早せなんつれなき人の鍋の数見む

     まだ少将にはべりける時、采女町の前をまか
     り渡りけるに、明日香の采女、眺め出だして
     はべりけるに遣はしける
                 小野宮太政大臣
1220 人知れぬ人待ち顔に見ゆるは誰が頼めたる今宵なるらん

     返し
                 明日香采女
1221 池水の底にあらではねぬなはの来る人もなし待つ人もなし

     中納言敦忠兵衛佐にはべりける時に、忍びて
     言ひ契りてはべりけることの世に聞こえはべ
     りにければ
                 右近
1222 人知れず頼めし事は柏木のもりやしにけむ世にふりにけり

     やむごとなき所にさぶらひける女のもとに、
     秋ごろ忍びてまからむと男の言ひければ
                 よみ人しらず
1223 秋萩の花も植ゑ置かぬ宿なればしか立ち寄らむ所だになし

     題しらず
1224 こゆるぎの急ぎて来つるかひもなくまたこそ立てれ沖つ白波

     人の妻しはべりける男の、獄にはべりて、乳
     母のもとに遣はしける
1225 忍びつつ夜こそ来しか唐衣人や見むとは思はざりしを

     貞盛が住みはべりける女に、国用が忍びて通
     ひはべりけるほどに、貞盛まうで来ければ、
     まどひて塗籠に隠して、後の戸より逃がしは
     べりける、つとめて言ひ遣はしける
                 国用
1226 宮造る飛騨の匠の手斧音ほとほとしかるめをも見しかな

     男持ちたる女をせちに懸想しはべりて、ある
     男のつかはしける
1227 有りとてもいく世かは経る唐国の虎臥す野辺に身をも投げてん

     志賀の山越えにて、女の山の井にて洗ひむす
     びて飲むを見て
                 貫之
1228 むすぶ手の雫に濁る山の井のあかでも人に別れぬるかな

     三条の尚侍方違へに渡りて帰る朝に、「雫に
     濁るばかりの歌、今はえよまじ」とはべりけ
     れば、車に乗らんとしけるほどに
1229 家ながら別るる時は山の井の濁りしよりも侘しかりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
1230 はしたかのとかへる山の椎柴の葉がへはすとも君はかへせじ

     久しうまうで来ざりける男のたまさかに来た
     りければ、女のとみにも出でざりければ
1231 過ちのあるかなきかを知らぬ身は厭ふに似たる心地こそすれ

     題しらず
1232 行く水の泡ならばこそ消えかへり人の淵瀬を流れても見め

1233 ともかくも言ひはなたれよ池水の深さ浅さを誰れか知るべき

                 在原業平朝臣
1234 染河を渡らん人のいかでかは色になるてふ事のなからん

     賀茂臨時祭の使ひに立ちての朝に、かざしの
     花に挿して、左大臣の北方のもとに言ひ遣は
     しける
      兵衛
1235 ちはやぶる賀茂の川辺の藤波はかけて忘るる時のなきかな

     題しらず
                 よみ人しらず
1236 世の中はいかがはせまし茂山の青葉の杉のしるしだになし

1237 埋もれ木は中むしばむと言ふめれば久米路の橋は心して行け

1238 世の中はいさともいさや風の音は秋に秋添ふ心地こそすれ

     石見にはべりける女のまうで来たりけるに
                 人麿
1239 石見なる高間の山の木の間よりわが振る袖を妹見けんかも

     和泉の国にはべりけるほどに、忠房朝臣大和
     より贈れる返し
                 貫之
1240 沖つ波高師の浜の浜松の名にこそ君を待ちわたりつれ

     神いたく鳴りはべりける朝に宣耀殿の女御の
     もとに遣はしける
                 天暦御製
1241 君をのみ思ひやりつつ神よりも心の空になりし宵かな

     越なる人のもとに遣はしける
                 貫之
1242 思ひやる越の白山知らねども一夜も夢に越えぬ日ぞなき

     題しらず
                 人麿
1243 山科の木幡の里に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば

1244 春日山雲居隠れて遠けれど家は思はず君をこそ思へ

     物へまかりける道に、浜づらに貝のはべりけ
     るを見て
                 坂上郎女
1245 わが背子を恋ふるも苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝

     人の国へまかりけるに、海人の塩垂れはべり
     けるを見て
                 恵慶法師
1246 古里を恋ふる袂も乾かぬにまた塩垂るる海人もありけり

     仁和御屏風に、あさ塩垂るる所に、鶴鳴く
                 大中臣頼基
1247 塩垂るる身は我とのみ思へどもよそなる田鶴も音をぞ鳴くなる

     まうで来る事かたくはべりける男の頼めわた
     りければ
                 よみ人しらず
1248 つれづれと思へば憂きに生ふる葦のはかなき世をばいかが頼まむ

     浮島
                 順
1249 定めなき人の心に比ぶればただ浮島は名のみなりけり

     なかなか一人あらばなど、女の言ひはべりけ
     れば
                 元輔
1250 一人のみ年経けるにも劣らじを数ならぬ身のあるはあるかは

     題しらず
                 よみ人しらず
1251 風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人の心か

     紀郎女に贈りはべりける
                 中納言家持
1252 久方の雨の降る日をただ一人山辺に居れば埋もれたりけり

     男のまかり絶えたりける女のもとに、雨降る
     日、見なれてはべりける従者の、「鹿毛の馬
     求めにとてなんまうで来つる」と言ひはべり
     ければ
                 よみ人しらず
1253 雨降りて庭にたまれる濁り水誰が住まばかは影の見ゆべき

1254 世とともに雨降るやとの庭たづみ澄まぬに影は見ゆるものかは

     日蝕の時、太皇太后宮より一品の親王のもと
     に遣はしける
1255 逢ふ事のかくてやつひに闇の夜の思ひも出でぬ人のためには

     題しらず
                 人麿
1256 岩代の野中に立てる結び松心も解けず昔思へば

     女のもとに菊を折りて遣はしける
                 よみ人しらず
1257 今日かとも明日とも知らぬ白菊の知らずいく世を経べきわが身ぞ

     忠君、宰相雅信が女にまかり通ひて、ほどな
     く調度どもを運び返しはべりければ、沈の枕
     を添へてはべりけるを返しおこせたりければ
1258 涙川水増さればやしきたへの枕の浮きて泊らざるらん

     延喜御時、按察の御息所久しく勘事にて御乳
     母に付けて参らせける
1259 世の中を常なきものと聞きしかどつらきことこそ久しかりけれ

     御返し
1260 つらきをば常なきものと思ひつつ久しき事を頼みやはせぬ

     題しらず
                 伊勢
1261 我こそは憎くくもあらめわが宿の花見にだにも君が来まさぬ

     包むことはべりける女の返事をせずのみはべ
     りければ、一条摂政、石見潟と言ひ遣はした
     りければ
                 よみ人しらず
1262 石見潟何かはつらきつらからは恨みがてらに来ても見よかし

     一条摂政下臈にはべりける時、承香殿女御に
     はべりける女に忍びて物言ひはべりけるに、
     「さらにな訪ひそ」と言ひてはべりければ、
     「契りし事ありしかば」など言ひ遣はしたり
     ければ
                 本院侍従
1263 それならぬ事もありしを忘れねと言ひしばかりを耳にとめけん

     題しらず
                 よみ人しらず
1264 御狩する駒のつまづく青つづら君こそ我はほだしなりけれ

1265 君見れば結ぶ神ぞうらめしきつれなき人を何作りけん

     延喜御時、中宮屏風に
                 貫之
1266 いづれをかしるしと思はむ三輪の山有りとしあるは杉にぞありける

     稲荷に詣でて懸想しはじめてはべりける女の、
     こと人に逢ひてはべりければ
                 藤原長能
1267 我と言へば稲荷の神もつらきかな人のためとは祈らざりしを

     稲荷の神庫に、女の手にて書き付けてはべり
     ける
                 よみ人しらず
1268 滝の水かへりて澄まば稲荷山七日のぼれるしるしと思はん

     元良の親王、久しくまからざりける女のもと
     に、紅葉をおこせてはべりければ
1269 思ひ出でて訪ふにはあらず秋はつる色の限りを見するなりけり

     女のもとに扇を遣はしたりければ、言ひ遣は
     したりける
1270 ゆゆしとて忌むとも今はかひもあらじ憂きをば風につけて止みなん

     題しらず
                 貫之
1271 一人して世をし尽くさば高砂の松の常盤もかひなかりけり

     三条右大臣の屏風に
1272 玉藻刈る海人の行き方さす棹の長くや人を恨みわたらん

     年の終りに人待ちはべりける人のよみはべり
     ける
1273 頼めつつ別れし人を待つほどに年さへせめてうらめしきかな

   拾遺和歌集巻第二十
    哀傷
     むすめにまかり後れて又の年の春、「桜の花
     盛りに家の花を見て、いささかに思ひを述ぶ」
     といふ題をよみはべりける
                 小野宮太政大臣
1274 桜花のどけかりけり亡き人を恋ふる涙ぞまづは落ちける

                 平兼盛
1275 面影に色のみ残る桜花いく世の春を恋ひむとすらん

                 清原元輔
1276 花の色もやとも昔のそれながら変れる物は露にぞありける

                 大中臣能宣
1277 桜花匂ふものから露けきは木の芽も物を思ふなるべし

     この事を聞きはべりて後に
                 大納言延光
1278 君まさばまづぞ折らまし桜花風の便りに聞くぞ悲しき

     中納言敦忠まかり隠れて後、比叡の西坂本に
     はべりける山里に人びとまかりて花見はべり
     けるに
                 一条摂政
1279 いにしへは散るをや人の惜しみけん花こそ今は昔恋ふらし

     天暦の帝崩れたまひて、又の年の五月五日に、
     宮内卿兼通がもとに遣はしける
                 女蔵人兵庫
1280 五月来てながめまされば菖蒲草思ひ絶えにし音こそ泣かるれ

     ふくたりと言ひはべりける子の、遣水に菖蒲
     を植ゑ置きて亡くなりはべりにける後の年、
     生ひ出でてはべりけるを見はべりて
                 粟田右大臣
1281 偲べとやあやめも知らぬ心にも長からぬ世の憂きに植ゑけん

     右兵衛佐惟賢まかり隠れにけるに、親のもと
     に遣はしける
                 右大臣
1282 ここにだにつれづれに鳴く郭公まして子恋の森はいかにぞ

     朝顔の花を人のもとに遣はすとて
                 藤原道信朝臣
1283 朝顔を何は悲しと思ひけん人をも花はさこそ見るらめ

     夏、ははその紅葉の散り残りたりけるに付け
     て、女五の内親王のもとに
                 天暦御製
1284 時ならでははその紅葉散りにけりいかに木のもと寂しかるらん

     妻の亡くなりてはべりけるころ、秋風の夜寒
     に吹きはべりければ
                 大弐国章
1285 思ひきや秋の夜風の寒けきに妹なき床に一人寝むとは

     中宮崩れたまひての年の秋、御前の前栽に露
     の置きたるを風の吹きなびかしけるを御覧じ
     て
                 天暦御製
1286 秋風になびく草葉の露よりも消えにし人を何に喩へん

     妻にまかり後れて、又の年の秋、月を見侍て
                 人麿
1287 去年見てし秋の月夜は照らせども逢ひ見し妹はいや遠ざかり

     朱雀院の御四十九日の法事に、かの院の池の
     面に霧の立ちわたりてはべりけるを見て
                 権中納言敦忠
1288 君なくて立つ朝霧は藤衣池さへきるぞ悲しかりける

     猿沢の池に采女の見投げたるを見て
                 人麿
1289 我妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき

     題しらず
                 よみ人しらず
1290 心にもあらぬ憂き世に墨染の衣の袖の濡れぬ日ぞなき

     服脱ぎはべるとて
1291 藤衣はらへて捨つる涙川岸にも増さる水ぞ流るる

1292 藤衣はつるる糸は君恋ふる涙の玉の緒とやなるらん

     恒徳公の服脱ぎはべるとて
                 藤原道信朝臣
1293 限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣はてなき物は涙なりけり

     としのぶが流されける時、流さるる人は重服
     を着てまかると聞きて、母がもとより衣に結
     び付けてはべりける
1294 人なしし胸の乳房をほむらにて焼く墨染の衣着よ君

     思ふ妻に後れて嘆くころよみはべりける
                 大江為基
1295 藤衣逢ひ見るべしと思ひせばまつにかかりて慰めてまし

1296 年経れどいかなる人か床古りて逢ひ思ふ人に別れざるらん

     題しらず
                 よみ人しらず
1297 墨染の衣の袖は雲なれや涙の雨の絶えず降るらん

     謙徳公の北の方、二人子ども亡くなりて後
1298 あまと言へどいかなるあまの身なればか世に似ぬ塩を垂れわたるらん

     昔見はべりし人びと多くなくなりたることを
     嘆くを見はべりて
                 藤原為頼
1299 世の中にあらましかばと思ふ人亡きが多くもなりにけるかな

     返し
                 右衛門督公任
1300 常ならぬ世は憂き身こそ悲しけれその数にだに入らじと思へば

     親に後れてはべりけるころ男の訪ひはべらざ
     りければ
                 伊勢
1301 亡き人もあるがつらきを思ふにも色分かれぬは涙なりけり

     題しらず
                 よみ人しらず
1302 うつくしと思ひし妹を夢に見て起きてさぐるになきぞ悲しき

     順が子亡くなりてはべりけるころ、とひに遣
     はしける
                 清原元輔
1303 思ひやる子恋の森の雫にはよそなる人の袖も濡れけり

     子に後れてよみはべりける
                 平兼盛
1304 なよ竹のわがこの世をば知らずして生ほし立てつと思ひけるかな

     大納言朝光が女の女御まかり隠れにけること
     を聞きはべりて、筑紫よりとひにおこせては
     べりけるころ、子馬助親重が亡くなりてはべ
     りければ
                 藤原共政朝臣妻
1305 我のみやこの世は憂きと思へども君も嘆くと聞くぞ悲しき

     返し
1306 憂き世にはある身も憂しと嘆きつつ涙のみこそふる心地すれ

     生みたてまつりたりける親王の亡くなりて、
     又の年、郭公を聞きて
                 伊勢
1307 死出の山越えて来つらん郭公恋しき人のうへ語らなん

     伊勢がもとに子の事をとひに遣はすとて
                 平定文
1308 思ふより言ふはおろかになりぬればたとへて言はん言の葉ぞなき

     中納言兼輔、妻亡くなりてはべりける年の師
     走に、貫之まかりて物言ひはべりけるついで
     に
                 貫之
1309 恋ふるまに年の暮れなば亡き人の別れやいと遠くなりなん

     妻亡くなりて後に、子も亡くなりにける人を
     訪ひに遣はしたりければ
                 よみ人しらず
1310 いかにせん忍の草も摘み侘びぬ形見と見えし子だになければ

     子ふたりはべりける人の、一人は春まかり隠
     れ、今一人は秋亡くなりにけるを、人の弔ひ
     てはべりければ
1311 春は花秋は紅葉と散りはてて立ちかくるべき木の下もなし

     娘に後れはべりて
                 中務
1312 忘られてしばしまどろむほどもがないつかは君を夢ならで見ん

     孫に後れはべりて
1313 浮きながら消えせぬ物は身なりけりうらやましきは水の泡かな

     題しらず
                 よみ人しらず
1314 世の中をかく言ひ言ひの果て果てはいかにやいかにならむとすらん

     吉備津の采女亡くなりて後、よみはべりける
                 人麿
1315 さざ波の志賀のてこらがまかりにし川瀬の道を見れば悲しも

     讃岐の狭岑の島にして、岩屋の中にて亡くな
     りたる人を見て
1316 沖つ波寄る荒磯をしきたへの枕とまきてなれる君かも

     紀友則身まかりにけるによめる
                 貫之
1317 明日知らぬわが身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ

     あひ知れる人の失せたる所にてよめる
1318 夢とこそ言ふべかりけれ世の中はうつつある物と思ひけるかな

     妻の死にはべりて後、悲しびてよめる
                 人麿
1319 家に行きてわが屋を見れば玉笹のほかに置きける妹が小枕

1320 巻向の山へ響きて行く水の水泡のことに世をばわが見る

     石見にはべりて亡くなりはべりぬべき時にの
     ぞみて
1321 妹山の岩根に置ける我をかも知らずて妹が待ちつつあらん

     世の中心細くおぼえて、常ならぬ心地しはべ
     りければ、公忠朝臣のもとによみて遣はしけ
     る、この間病重くなりにけり
                 紀貫之
1322 手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
      この歌よみはべりてほどなく亡くなりにけ
      るとなん、家の集に書きてはべる

     朱雀院失せさせたまひけるほど近くなりて、
     太皇太后宮の幼くおはしましけるを見奉らせ
     たまひて
                 御製
1323 呉竹のわが世はことになりぬとも音は絶えせずも泣かるべきかな

     題しらず
                 よみ人しらず
1324 鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えし我と知らなん

     病して人多く亡くなりし年、亡き人を野ら薮
     などに置きてはべるを見て
                 すけきよ
1325 みな人の命を露にたとふるは草むらごとに置けばなりけり

     世のはかなき事を言ひてよみはべりける
                 順
1326 草枕人は誰れとか言ひ置きしつひのすみかは野山とぞ見る

     題しらず
                 沙弥満誓
1327 世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く舟の跡の白波

     忠蓮、南山の房の絵に、死人を法師の見はべ
     りて泣きたる形、描きたるを見て
                 源相方朝臣
1328 契りあれば屍なれども逢ひぬるを我をば誰れか訪はんとすらん

     題しらず
                 よみ人しらず
1329 山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき

     法師にならむとて出でける時に、家に書き付
     けてはべりける
                 慶滋保胤
1330 憂き世をば背かば今日も背きなん明日もありとは頼むべき身か

     題しらず
                 よみ人しらず
1331 世の中に牛の車のなかりせば思ひの家をいかで出でまし

     法師にならんとしけるころ、雪の降りければ、
     畳紙に書き置きてはべりける
                 藤原高光
1332 世の中に降るぞはかなき白雪のかつは消えぬる物と知る知る

     服にはべりけるころ、あひ知りてはべりける
     女の尼になりぬと聞きて遣はしける
                 能宣
1333 墨染の色は我のみと思ひしを憂き世を背く人もあるとか

     返し
                 よみ人しらず
1334 墨染の衣と見ればよそながらもろともに着る色にぞありける

     成信重家ら出家しはべりけるころ、左大弁行
     成がもとに言ひ遣はしける
                 右衛門督公任
1335 思ひ知る人もありける世の中をいつをいつとて過ぐすなるらん

     少納言藤原統理に年ごろ契ることはべりける
     を、志賀にて出家しはべると聞きて、言ひ遣
     はしける
1336 さざ波や志賀の浦風いかばかり心の内の涼しかるらん

     女院御八講捧物に、金して亀の形を作りてよ
     みはべりける
                 斎院
1337 業尽くす御手洗川の亀なれば法の浮木に逢はぬなりけり

     天暦御時、故后の宮の御賀せさせたまはむと
     てはべりけるを、宮失せたまひにければ、や
     がてそのまうけして、御諷誦行はせたまひけ
     る時
                 御製
1338 いつしかと君にと思ひし若菜をば法の道にぞ今日は摘みつる

     為雅朝臣、普門寺にて経供養しはべりて、又
     の日これかれもろともに帰りはべりけるつい
     でに、小野にまかりてはべりけるに、花のお
     もしろかりければ
                 春宮大夫道綱母
1339 たき木こる事は昨日に尽きにしをいざ斧の柄はここに朽さん

     左大将済時、白河にて説経せさせはべりける
     に
                 実方朝臣
1340 今日よりは露の命も惜しからず蓮の上の玉と契れば

     行なひしはべりける人の、苦しくおぼえはべ
     りければ、え起きはべらざりける夜の夢に、
     をかしげなる法師の突きおどろかしてよみは
     べりける
1341 朝ごとに払ふ塵だにあるものを今いく世とてたゆむなるらん

     性空上人のもとによみて遣はしける
                 雅致女式部
1342 暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

     極楽を願ひてよみはべりける
                 仙慶法師
1343 極楽ははるけきほどと聞きしかどつとめて至る所なりけり

     市門に書き付てはべりける
                 空也上人
1344 一度も南無阿弥陀仏と言ふ人の蓮の上に上らぬはなし

     光明皇后、山階寺にある仏跡に書き付けたま
     ひける
1345 三十余り二つの姿そなへたる昔の人の踏める跡ぞこれ

     大僧正行基よみたまひける
1346 法華経をわが得し事はたき木こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し

1347 百くさに八十くさ添へて賜ひてし乳房のむくい今日ぞわがする

     南天竺より東大寺供養にあひに、菩提が渚に
     来着たりける時よめる
1348 霊山の釈迦の御前に契りてし真如朽ちせずあひ見つるかな

     返し
                 婆羅門僧正
1349 迦毘羅衛にともに契りしかひありて文殊の御顔あひ見つるかな

     聖徳太子、高岡山辺道人の家におはしけるに、
     餓たる人道のほとりに臥せり。太子の乗りた
     まへる馬留まりて行かず。鞭を上げて打ちた
     まへど、後へ退きて留まる。太子すなはち馬
     より下りて餓ゑたる人のもとに歩み進みたま
     ひて、紫の表の御衣を脱ぎて餓ゑ人の上に覆
     ひたまふ。歌をよみてのたまはく
1350 しなてるや片岡山に飯に餓ゑて臥せる旅人あはれ親なし
      になれになれけめや、さす竹のきねはやな
      き、飯に餓ゑて臥せる旅人あはれあはれ、
      といふ歌なり

     餓ゑ人、頭をもたげて、御返しを奉る
1351 いかるがや富緒河の絶えばこそわが大君の御名を忘れめ
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