2009年12月1日掲載
2010年3月9日更新


定家八代抄

架蔵本「二四代集」(藤原宗家筆 享保13年夏奥書本)翻刻本文

架蔵本「倭歌八代集 上」(文禄元年12月 也足叟素然在判本)翻刻本文
   「倭歌八代集 下」(文禄元年12月 也足叟素然在判本)
翻刻本文

初撰本「定家八代抄」(大東急記念文庫善本叢刊)翻刻本文

『定家八代抄』とは、『二四代集』ともいい、藤原定家(応保二年・1162~仁治二年・1241)が参議侍従兼伊予権守であった五十四歳の建保三年(1215)一月から翌年の一月までの約一年間に、『古今和歌集』から『新古今和歌集』に至る八代集の中から秀歌を選び出し、それに詞書・作者名を表記して、二十巻に部類配列したものである。

 『定家八代抄』は初撰本系統と再撰本系統とに分類される。

 初撰本として、大東急記念文庫蔵本「定家八代抄」(大東急記念文庫善本叢刊中古中世篇 和歌Ⅳ 汲古書院 平成17年12月)がある。

その奥書に、

随僅覚悟書連此哥自古以来在人口古賢秀

歌等自然忘脚不書之況於中古以後乎更不

可有用捨之謗只以愚鈍之性注所諳誦耳

      参議侍従兼伊予権守藤原朝臣在判

民部卿消息云

件物は一々知見御歌及愚眼最前思寄候也去夏

進入彼御所以外事おもき様に沙汰候之間壁耳も恐

思給雖身後将来世々重可被禁候也必可経御覧今

月之比なと見参之便候はゝ也件物只一に候かさすかに身

にも常引見物にて煩候也急々書写可返賜急申状

おは(か)しく候毎事期後音(信イ)謹言

  承久元年九月五日 在判」(139オ)

又云

只文集百首之時御哥を見許に是程に奉頼おかしく

あやしく候是をは密々には八代抄と申さはやと思ひ候を名は

可然て容体闕如筆跡狼籍於事其恥候是は世間にも可

被処謀反悪逆奇恠物傍輩之謗古賢之霊旁其恐

難謝又見たるは詮も候はね共於身者至極秘蔵未見摘(嫡)男

老眼術尽て不堪右筆子息以下有隔心恐其目之間以女子

禅尼一人為書生二本書之一は進御室御所一は進左大臣殿此

両本之外起請不他見候也若及披露者御咎も中/\他疑

候ましけれはさしまかせまいらせて献覧候

   九月八日      在判

又云

早速返賜殊感悦候詞姿は大略不可過之此二帖為本歌仰而

取用事はすこしも近歌は見苦候也和泉式部赤染相模なと之以往(後イ)は

わふ/\さても候なん経信卿以下猶不可然候へ共少々は可然候人」(139ウ)

も被詠候之めり不心得候事也

   已上二帖有消息状也正文在別 在判

或本奥書云

随僅覚悟諳書連此歌更不撰秀逸自古以来(後イ)在人口

古賢秀哥自然忘脚不書之

さくらちる木のしたかせはさむからて

わかやとの花見かてらにくる人は

世中にたえてさくらのなかりせは

此等之類也況於中古已後乎更不可遺人之恨又

不可有傍難只以愚鈍之性注所諳誦許也

   参議従三位行侍従兼伊予権守藤原朝臣在判」(140オ)」(大東急記念文庫善本叢刊中古中世篇 和歌Ⅳ)

とある。

 

 再撰本として、宮内庁書陵部蔵本二四代和歌集(四冊 二一〇・六七四)他がある。

その奥書に、

随僅覚悟書連此歌、自古以来在人口古賢秀歌等自然忘却不書、況於

中古以後乎、更不可有用捨之謗、只愚鈍之性注所諳誦耳

              参議侍従兼伊予権守藤原朝臣在判

  民部卿消息云

   件物は仏知見御歌及愚眼最前思寄候也去夏進入彼御所以外事おも

き様に沙汰之間壁耳も恐思給雖身後将来世世重可被禁候也

  必可経御覧今月之比なと見参之便候也件物只一候さすかに身にも常

引見物にて煩候也急急書写可返賜急申状をかしく候毎事期後音候謹

  承久元九月五日 在判

只文集百首之時御歌を見許に是程に奉頼をかしくあやしく候是をは

密密には八代集抄と申さはやと思候を名は可然て容体闕如筆跡狼籍

於事其恥候是は世間にも可被処謀反悪逆奇恠物傍輩之謗古賢之霊旁

其恐難謝又見たるは詮も候はね共於身至極秘蔵未見嫡男老眼術尽て

不堪右筆子息以下有隔心恐其目之間以女子禅尼一人為書生二本書也

一は進御室御所一は進左大臣殿此両本之外起請不他見候也若及披露

者御咎も中中他疑候ましけれはさしまかせまゐらせて献覧候

   九月八日      在判

又云

早速返賜殊感悦候詞姿は大略不可過之此二帖為本歌仰而取用事はす

こしも近歌は見苦候也和泉式部赤染相模なと之以後はわふわふさて

も候なむ経信卿以下猶不可然候へとも少少は可然候人も云詠候めり

不心得候事也   在判

 已上二帖有消息状也 正文 在判

随僅覚悟諳書連此歌更不撰秀逸自古以後在人口古賢秀歌自然忘却不

書之

さくらちる木のしたかせはさむからて

わかやとの花見かてらにくる人は

世中にたえてさくらのなかりせは

  此等之類也況於中古已後乎更不可遺人之恨又不可有謗難只以愚鈍之

性所虜誦許也

   参議従三位行侍従兼伊予権守藤原朝臣在判

或本奥書」(新編国歌大観本

とある。

 

《参考文献》

樋口芳麻呂・後藤重郎「定家八代抄」(『新編国歌大観』第10巻「解題」角川書店 1992年<平成4年>4月)

樋口芳麻呂・後藤重郎『定家八代抄 上下』(岩波文庫 1996年<平成8年>6月・7月)

大東急記念文庫蔵本「八代集抄」(『大東急記念文庫善本叢刊中古中世篇 和歌Ⅳ』汲古書院 2005年<平成17年>12月)


《研究論文》
久曾神昇「二四代集と定家の歌論書」(『国語と国文学』1935年<昭和10>7月)
樋口芳麻呂『定家八代抄と研究 上下』(未刊国文資料刊行会 1956年・1957年<昭和31年・32>
樋口芳麻呂「新古今和歌集写本にみられる撰者名注記と定家八代抄」(『かがみ』10 85頁~93頁 1965年<昭和40年>3月)
後藤重郎「「定家八代抄」賀歌に関する一考察」(『国語と国文学』51巻6号 1頁~16頁 1974年<昭和49年>6月)
後藤重郎「「定家八代抄」の基礎的研究 1」(『皇學館論叢』25巻3号 44頁~74頁 1992年<平成4年>6月)
樋口芳麻呂「藤原定家の秀歌撰――『定家八代抄』を中心に――」(『愛知淑徳大学国語国文』第18号 1995年<平成7年>3月)
浅岡雅子「『定家八代抄』と定家の詠歌との関係:本歌と参考・影響関係にある歌一覧」(『北星学園大学文学部北星論集』45巻2号 176頁~152頁 2008年<平成20年>3月)

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