読売新聞「源氏変奏2000」 最終更新日 10月1日

源氏変奏2000

東京の「むらさきの会」20周年

 東京・杉並区の市民が中心になって活動している『源氏物語』講読会の「むらさきの会」が、この九月に満二十周年を迎えた。いつまで、どこまでという目標もなく、毎回の「今」を大切に、その巻その場面をじっくり鑑賞しながら読んできたら、はや二十年が経ってしまった。かつて、同区の高井戸社会教育会館の庭前には染井吉野の古木があった。入る人有り、去る人有り、春が巡ってくるごとに、この会の人たちとその花を感慨深く眺めたりもした。

 現在、「むらさきの会」は、場所を移して、毎週木曜日午前十時から十二時まで、同区立浜田山会館で行なわれている。なお、私のホームページ「源氏物語の世界」(http://www.sainet.or.jp/~eshibuya)にもその案内を載せている。ここでは、この「むらさきの会」の『源氏物語』の読み方について紹介したい。

 テキストとしては、室町時代の三条西実隆(1455-1537)らが書写した写本で、現在、原本が宮内庁書陵部に所蔵されている『青表紙証本源氏物語』(影印版新典社刊)を使用している。写本を原形のまま写真複製した本で、寸法は、縦17・7cm×横17・7cmの枡型本。表紙には、題箋に巻名が変体仮名で書き記されている形をそのまま印刷して再現している。
 本紙の色は鳥の子を模したベージュ色で、文字はもちろん変体仮名で印刷されている。便宜上、ページ数が活字で小さく印刷され、帖末に本の体裁(厚み)を損なわない程度の簡単な解題と注が付いている、というものである。いかにも平安朝の『源氏物語』を手にして読んでいるような感じのするテキストだ。

 変体仮名に最初はちょっと抵抗を感じるかもしれないが、一、二週間もつき合ってみれば、やはりわれわれの祖先が書き記し読み続けてきたもので、自然と慣れてしまうものである。会の人たちにも好評である。全五十四帖を揃いで持っておられる方も何人かいる。

 CD-ROMや電子本が話題となっている昨今、日本の古典籍、ことに平安朝の文学作品には、料紙の美しさや仮名の美しさがある。そして、和綴本の装丁。その開く時に匂い立つ防虫剤の気品ある香り。さらに丁(ページ)をめくる時の和紙の手触りなど、何とも言われぬものがある。

 そうした古典籍を手にするたびに、日本の本の文化の歴史あるいは伝統の重みというものを思わずにはいられない。
 『源氏物語』の場合、紫式部直筆の写本というものは現存していない。かろうじて鎌倉時代から室町時代ころの写本類が残っている。最近はそうした写本類が、優れた印刷技術と製本によって、次々と複製され刊行されているが、それらの多くは大学の図書館や研究者向きで、一般の人が手にするには不向きである。その点、一帖あたり数百円から二千円程度の手ごろな価格の本書は最適である。ただ、墨跡の濃淡までは表現されてないのが惜しまれる。

 本書は、和歌に移るところ以外は改行もなく句読点もない。まさに平安朝以来の体裁である。ただ、平安・鎌倉の写本類とは違って、芸術性や書体の癖はなく、字形が整えられていて実に読みやすいものである。そうした本文中に、変体仮名手引き書や注釈書を参照し、朱鉛筆と黒鉛筆を使って、句読点や鈎括弧、注記等を書き込みながら読んでいく。

 会のメンバーは、三十名弱、女性がほとんどである。初めのころ小学生の母親であった方も、今ではそのお子さんが社会人となって海外でご活躍中という。また五、六十代であったご婦人はお孫さんが大学生になりました、と話されていた。新しく入って来られる方は中高年の人が多かったが、最近ではインターネットで知ってという方もいる。

 また教室の中での読書会ばかりでなく、京都、須磨・明石、住吉大社、石山寺、長谷寺等への旅行も幾度か行った。明石の鯛、京料理等をいただき、花を見、五節舞姫、葵祭などを見物、名古屋に途中下車して徳川美術館で「国宝源氏物語絵巻」の特別展をじっくり見学したのも懐かしい思い出である。

 今年は西暦二〇〇〇年にちなんで二千円札が発行され、それに紫式部の顔と「源氏物語絵巻」がデザインされていることで何かと話題を呼んでいる。また瀬戸内寂聴さん訳『源氏物語』や大和和紀さんの『あさきゆめみし』などが大変によく読まれているという。寂聴さんの本は石踊達哉氏の装画と辻村益朗氏の装丁によって、実に美しくできている。『あさきゆめみし』はマンガというよりも芸術と称すべきであろう。

 「むらさきの会」では、『源氏物語』を室町時代の写本の複製本で読むという楽しみ方をしている。そしてまたそれを毛筆で透き写しされるよう勧めている。これも美を求める心である。

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