大島本の研究
Last Updated 12/20/97(ver.1-1-1)
Maintained by Eiichi Shibuya

第一節 大島本「柏木」本文について

   はじめに

 大島本「源氏物語」の本文について、池田亀鑑博士は、
 「大島本源氏物語は青表紙本中最も信頼すべき一証本であるが、その数量において、またその形態・内容において希有の伝本であり、校異源氏物語の底本として採択、その稿を起した当時は勿論のこと、その後二十余年に至るもこれを凌駕する伝本の出現を聞かない」
 「大島本の本文を一々の字句にわたって、国宝数帖(旧国宝、現在重要文化財指定の定家本-筆者注)及び明融臨模の数帖について比較検証するに、転写の誤りは避けられないにしても、総体的判断において期待を裏切るものではない」(注1)
 といい、また「柏木」巻尾本文を例に挙げて、尊経閣文庫蔵定家本及び明融臨模本さらに自筆本『奥入』所載「源氏物語」巻尾本文を比較検討して、
 「大島本の本文は青表紙本原本のそれと殆ど一致する。一二の相違は筆写といふ方法によって伝達される場合当然生ずる誤差である。大島本がいかに青表紙本の性格を忠実に伝へてゐるか、右の一例に徴しても明らかである」(注2)
 と論断された。そうして、その後の活字校訂本は、例えば「定家自筆本の存する巻はこれを用い、存しない巻で明融模本の存する巻はこれを用い、その他は、池田亀鑑博士の『源氏物語』の底本である飛鳥井雅等筆本(大島本-筆者注)を用いる」(注3)という方針が採られるようになった。 しかし、定家本といわれる4帖そのものの在り方が問題視され(注4)、また青表紙原本ははたして一つなのかという問い直しがなされる中で(注5)、大島本の在り方も改めて再検討されるようになってきた(注6)。大島本は、さまざまな書入やミセケチ等をもった伝本である(注7)。
 しかし、定家本の「花散里」「柏木」や明融臨模本にはその写真複製本が公刊されているのに対し(注8)、大島本は未だ公刊されていないため、その実態を知ることができないでいたが、幸いにも、大島本「柏木」巻の閲覧を許可される機会に恵まれた。本稿では、大島本の訂正以前の本文のありようやその訂正過程を中心に考察してみたいと思う。そして、大島本の校訂はどれほどそれに従ってよいものか、定家本の存在する「柏木」巻において、その問題点を考えてみたいと思うのである。

  一、大島本「柏木」巻における本文校訂

 大島本「源氏物語」の本文については、朱筆・墨筆による書入やさまざまな訂正方法によってなされていることが言われているが(注9)、『源氏物語大成校異篇』「柏木」巻には朱筆・墨筆の注記はない。しかし、実は、大島本「柏木」巻にも他の巻同様に、墨筆・朱筆による書入れ・ミセケチ等がある。しかも、それら朱筆・墨筆には大字・小字の書入れ・ミセケチ等がある。大成ではそれらを区別せずに採用したりあるいは切り捨てたりしている。
 新日本古典文学大系本『源氏物語』所載の「大島本『源氏物語』の本文の様態」では「備考欄」まで設けてかなり詳細に注記をしているが、まだ「柏木」巻は未刊である。池田亀鑑博士は大字・小字、朱筆・墨筆の区別も特になされず、その採用の基準も一貫していないように見受けられるが、こと「柏木」巻に関しては尊経閣文庫蔵の定家本「柏木」巻が伝存するゆえにいっそう厳密な検討が必要なのではないかと考える。なぜなら、この巻における大島本の朱筆・墨筆による書入訂正のありかたが、他の定家本や明融臨模本の伝存しない巻々において、大島本の大字・小字による朱筆・墨筆による書入訂正をどのように扱うべきか、重要な意味をもつと思うからである。
 以下、A大字・朱筆による書入訂正、B大字・墨筆いよる書入訂正、a小字・朱筆による書入訂正、b小字・墨筆による書入訂正という、4つに分類して考察を試みる。

  A 大字・朱筆による書入訂正

 1「世に(+も)」(4丁ウ7行)--イ「よにも」(大成、1229頁13行)
                 ロ「世に」(国)

 大島本は係助詞「も」を朱筆(やや薄い朱、紙焼きでは見落としそうな色)で補入して尊経閣文庫蔵の定家本等と同文に訂正する。訂正以前の「も」の無い本文は別本の国冬本と同文である。他の青表紙諸本、河内本、別本は定家本と同文である。

 2「申けれ(+は)」(5丁オ4行)--「申けれは」(1230頁3行)

 大島本は係助詞「は」を朱筆で補入して定家本等と同文に訂正する。訂正以前の本文は独自異文である。「おんやうしなともおほくは女のりやうとのみうらなひ申けれさる事もやと申けれは」(5丁オ3行)云々という文脈である。上文に係助詞「こそ」が無く、「申しけれ」(已然形)では、文脈が整わないから、脱字を補訂したものかと思われる。

 3「思(+ふ)なむ」(7丁ウ1行)--イ「思なむ」(1231頁12行)
                  ロ「思ふ(ふ$ひ)なむ」(肖)

 大島本は活用語尾「ふ」を朱筆で補入。文脈は「なかきよのほたしにもこそと思なむいといとおしき」(7丁オ10行)云々とあるところである。訂正以前の本文は定家本等と同形であるが、「思ひなむ」「思ふなむ」の両意の解釈が可能なので、活用語尾を付してその文意を明らかにし、下接の係助詞「なむ」を明確化したものである。なお肖柏本は完了助動詞「な」+推量助動詞「む」に訂正しているが、元の形は大島本の訂正以後の本文に同文である。

 4「うき(+事)の」(13丁ウ7行)--イ「ゝ[う]きこと」(1236頁8行)
                  ロ「うきことの」(保国)
                  ハ「うき」(阿)

 定家本はオドリ字であるが、その前の文字は「う」。大島本は「事」を朱筆で補入。さらに定家本等には無い格助詞「の」が有る。訂正以前の本文は独自異文。「えおもひなをすましううきのうちましりぬへきを」(13丁ウ6行)では、まったく文意不通ではないが、やはり不自然な表現なので、脱字の訂正かと思われ。「事」を補ったまでは他の定家本系諸本と同文であるが、格助詞「の」があるので、訂正以後の本文は別本の保坂本や国冬本と同文になる。

 5「やせさり(り$ら)ほいたる」(25丁ウ1行)--「やせさらほひたる」(1245頁6行)

 大島本は朱筆で「り」の文字の上に朱筆で塗抹するように一点のミセケチ符合を付けて「ら」とその右側に訂正する。訂正以前の本文は独自異文、しかも「痩せさらぼふ」の語形が整わないので、誤写である。それを訂正したものである。

 6「はなうちかみ(+給)」(41丁ウ1行)--イ「はなうちかみたまふ」(1256頁10行)
                     ロ「たまふ」(国)

 大島本は朱筆で「給」と補入。別本の国冬本は「はなうちかみ」の語句が無くで「をしのこひたまふ」という文脈になっている。大島本の訂正以前の本文は独自異文である。

 7「おほへく(く$)」(43丁オ10行)--イ「おほく」(1258頁7行)
                    ロ「おほえ」(横榊陽肖三中伏・保国麦阿)

 大島本は「く」を墨筆・朱筆の両筆で「く」の文字の上に「二」のミセケチ符合を付けている。両筆あるというのは、おそらく最初は墨筆で「く」の上に付けたのだが、「も」とも見間違えられるおそれがあるので、朱筆で再度ミセケチの符合を付けたのではあるまいか。訂正以前の本文は独自異文。その形では語形が整わないので、誤写を訂正したものであろう。なお、定家本・明融臨模本以外の青表紙本系統諸本はすべて「おほえ」とある。河内本と別本の御物本は大成校異欄に掲出されていないので、定家本と同文ということになる。「かへりてはあさやかなるかたのおほへうすらくものなりと」(43丁オ9行)という文脈である。

 8「ひ(ひ$い)て給」(43丁ウ7行)--「いて給」(1258頁11行)

 大島本は朱筆で「ひ」をミセケチにして右側に「い」と訂正。訂正以前の本文は独自異文。「やゝほとへてそいて給」(43丁ウ7行)という文脈だから、訂正以前の形では文意不通になる。仮名遣い「い」と「ひ」の誤りを訂正したものであろう。

 9「わさとなら(+す)すして」(44丁オ9行)--イ「わさとならすゝして」(1259頁3行)
                       ロ「わさとならすゝんしなして」(中)
                       ハ「わさとなくすしなしたまひて」(保)
                       ニ「わさとならすしなして」(国)

 大島本は朱筆で「す」を補入。別本の国冬本は「わさとならすしなして」とあって、「誦す」という意がない。なお別本の保坂本は「わさとなくすしたまひて」とあり敬語が付加している。大島本の訂正以前の本文にも「誦す」という意がない点で、別本の国冬本と同文である。「す」を補入して訂正している。

 10「いひもてむ(む$ゆ)かむには」(50丁ウ1行)--イ「いひもてゆかむには」(1263頁11行)
                          ロ「いひもてゆ(ゆ$い)かむには」(横)
                          ハ「いひもていかむには」(中)
                          ニ「いひもていけは」(保国)

 大島本は朱筆で「む」の文字の上の空白に「二」とミセケチにして右側に「ゆ」と訂正。訂正以前の本文は独自異文。その形では語形が整わないので、誤写を訂正したものであろう。
 以上、大島本には大字の朱筆による書入訂正は、10例見られる。大成では、いずれも校異欄に指摘している。うち、補入が6例、ミセケチ1例、ミセケチ訂正3例である。
 大島本の本文は大字の朱筆補入によって、

  イ、別本の国冬本と共通異文から定家本等と同文へ--(1・9)
  ロ、独自異文から定家本等と同文へ--(2・6)
  ハ、独自異文から別本の保坂本や国冬本と共通異文へ--(3)
  ニ、定家本等と同文から独自異文へ--(4)

 また朱筆のミセケチ削除によって、

  イ、独自異文から定家本以外の青表紙諸本と同文へ--(7)

 また朱筆のミセケチ訂正によって、

  イ、独自異文から定家本等と同文へ--(5・8・10)

 というふうに訂正されている。すなわち、独自異文または別本との共通異文の形から定家本等と同文へという訂正が最も多いのであるが、しかし、その他の訂正の形もあることが看過できないのである。

  B 大字の墨筆による書入訂正

 1「われより(り$)ほかに」(1丁ウ10行)--「われよりほかに」(1227頁11行)

 大島本は「り」の左に墨筆で「二」というミセケチのような墨筆が付いている。大成は指摘しない。大成によれば、諸本異同ナシ。「り」を削除したら格助詞「より」の語形がこわれてしまう。なぜ、付けられたのか理由がわからない。また、大成がなぜ校異に採用していないのかも不審。後に付けられた墨跡とでも見たものか。

 2「まいり給(+に)」(14丁オ8行)--「まいり給」(1236頁14行)

 大島本は接続助詞「に」をややかすれた墨筆で補入。訂正以前の本文は定家本と同文とある。河内本や別本諸本等の他の現存本諸本すべて定家本等と同文であるのに、大島本だけ「に」を補入している。「御ゆなとまいり給いといたうあをみやせてあさましう」(14丁オ8行)という文章である。あえて、接続助詞「に」で続けなければならない必要性もないところである。なぜ補訂し、また何に拠って訂正したのかも不明である。

 3「いの(+り)」(26丁オ10行)--イ「いのり」(1246頁1行)
                  ロ ナシ(保国)
 4「くわんなと(+の)」(26丁オ10行)--イ「くわんなとの」(1246頁1行)
                     ロ「くわんの」(国)

 3・4と一続きの箇所である。大島本の補入以前の本文は「いのくわんなとちからにや」(26丁オ10行)云々という文章になる。最初の3では、墨筆で「り」を補入。訂正以前の本文は独自異文。その形では名詞「祈り」の語形が整わないので、誤写である。なお別本の保坂本と国冬本はその語句自体がない。次の4では、格助詞「の」を墨筆で補入。訂正以前の本文は独自異文。まったく文意不通ではないが、格助詞「の」が無いと、文脈がやや不自然な続きになるので、脱字かと思われる。それを墨筆で補入したものであろう。別本の国冬本は接尾語「など」の語句がないが、大島本とは関係ない異文である。

 5「な(+ま)めかしう」(32丁ウ9行)--イ「なまめかしう」(1250頁10行)
                    ロ「なまめかしく」(横)
                    ハ「なまめ(+か)しう」(榊)
                    ニ「あな心うすみそ(あな心うすみそ$)なまめかしく」(陽)

 大島本は墨筆で「ま」を補入。訂正以前の本文は独自異文。形容詞「なまめかしう」の形では語形が整わないので、誤写を訂正したものであろう。

 6「おもひあ(+か)り」(35丁ウ7行)--イ「思あかり」(1252頁12行)
                    ロ「おもひあかりて」(保)

 大島本は墨筆で「あ」と「り」の文字の間に小さい丸印を付けて右側に「か」を補入。訂正以前の本文は独自異文。まったく文意不通ではないが、訂正以前の本文「さはかりおもひありおよすけたりし」では、文意が「思ひ有り」と異なってしまうので、誤写かと思われる。墨筆で「か」を補入して「思ひ上がり」と訂正したものである。

 7「あ(あ#な)りけれは」(40丁ウ4行)--イ「なりけれは」(1256頁6行)
                     ロ「侍りけれは」(保)

 大島本は「あ」の文字の上に墨筆で「二」と塗抹して右側に「な」と訂正。元の文字「あ」が幸い判読できる。訂正以前の本文は独自異文。まったく文意不通ではないが、文意がやや異なったものである。なお別本の保坂本も存在を表すという意味で同じ文意だが、丁寧語表現の「侍りければ」という表現が見られる。

 8「ことにやはと(と$)」(41丁オ6行)--イ「ことにやはと」(1256頁12行)
                     ロ「事にやはとて(て$)」(横)
                     ハ「ことにやは」(榊・河・御)
                     ニ「にやはと」(肖)
                     ホ「ことにやは侍る」(国)

 大島本は「はと」の二字に対してやや薄墨の水気を含んだ墨筆で上からなぞって書いたように見える箇所。「と」の起筆の筆跡とも見られが、7の訂正方法と同筆に見えるので、「と」の文字の上に重ねて「二」と塗抹したものと思われる。大成は異同としない。大島本の訂正以前の本文は定家本等と同文だが、訂正以後の本文は榊原家本や河内本、別本の御物本と同文になる。
 以上、大島本には大字の墨筆による書入訂正は8例ある。大成はうち2例を指摘しない。その内容は、補入5例、ミセケチ1例、ミセケチ訂正2例である。
 大島本の本文は墨筆による補入によって、

  イ、独自異文から定家本等と同文へ--(3・4・5・6)
  ロ、定家本等と同文から独自異文へ--(2)

 また墨筆のミセケチ削除によって、

  イ、定家本等と同文から独自異文へ--(1)
  ロ、定家本等と同文から榊原家本や河内本そして別本の御物本等と同文へ--(8)

  また墨筆のミセケチ訂正によって、

  イ、独自異文から定家本等と同文へ--(7)

 というふうに訂正されている。すなわち、墨筆による本文校訂も独自異文の形から定家本等と同文へという訂正が最も多いのであるが、しかし、朱筆による場合と同様にわずかながらその反対の形もあることが看過できないのである。

  a 小字の朱筆による書入訂正

 1「なとの(の$)」(4丁ウ7行)--イ「なとの」(1229頁13行)
                  ロ「なとの(の$)」(横)
                  ハ「なと」(中・河・御麦阿)

 大島本は格助詞「の」(字母「能」)を朱筆で左側に小さく「ヒ」とミセケチにする。ややもすれば見落としそうなくらい小さなミセケチ符合である。大成は、この小さな朱筆のミセケチ符合を取り上げているが、以後の小さな符合や文字の訂正は取り上げないことが多い。その都度、指摘しておこう。他の青表紙本は、大成によれば、横山本が大島本と同様「なとの」とミセケチにするという。さて、訂正以前の本文は定家本他の青表紙本と同文である。それを大島本では、青表紙本系の中山家本や河内本や別本の御物本・麦生本・阿里莫本等の格助詞「の」のない本文と同文に訂正する。なお、別本の保坂本・国冬本は尊経閣文庫本等と同文である。

 2「(+はゝ)みやすところは」(22丁オ6行)--イ「はゝみやす所は」(1242頁14行)
                       ロ「一条の御息所(一条の御息所$)はゝみやす所は」(肖)
                       ハ「かのはわみやすむ所」(保)
                       ニ「かのはゝ宮す所の」(国)

 大島本は朱筆で小さく「はゝ」と補入。紙焼きでは見落としそうなくらい小さく薄い文字である。大成も指摘する。さて、訂正以前の「はは」のない本文は独自異文である。「母」の語句が無くても文意に異同や誤解は生じないが、他の諸本は定家本をはじめ皆「母」の語句がある。その誤脱の補訂であろう。なお、肖柏本は注記の書入が本文に混入したものである。

 3「身にかふへき事(事$)にやは」(37丁ウ7行)--「みにかふへきことにやは」(1254頁5行)

 大島本は「事」の左側に朱筆で小さく「二」とミセケチの記しを付ける。しかし大成は指摘しない。諸本異同なし。

 4「思しつむましうはなし(はなし$)」(42丁ウ3行)--イ「思しつむましう」(1257頁13行)
                            ロ「思しつめ(め$)むましう」(横陽)
                            ハ「思すつましう」(肖三)

 大島本は「はなし」の文字の上に朱筆で小さく「二」のミセケチの記しを付けている。大成も指摘する。訂正以前の本文は独自異文。「すくよかにえ思しつむましう」(42丁ウ3行)という否定構文の文脈をさらに「はなし」と打ち消してしまうと、文意がまったく反対になってしまう。定家本他の河内本や別本には異同はなく、青表紙本系統内だけでの異同である。下文が「かなしうみたてまつり」と続くので、「はなし」の重複誤写が生じたものであろうか、大島本はミセケチによって訂正したものである。
 以上、大島本には小字の朱筆による書入訂正は4例ある。大成はうち1例を指摘しない。その内容は、補入1例、ミセケチ3例、ミセケチを伴う訂正は無し。
 大島本の本文は小字の朱筆による補入によって、

  イ、独自異文から定家本等と同文へ--(2)

 また朱筆のミセケチ削除によって、

  イ、定家本等と同文から中山家本や河内本そして別本の御物本・麦生本・阿里莫本等と同文へ--(1)
  ロ、定家本等と同文から独自異文へ--(3)
  ハ、独自異文から定家本等と同文へ--(4)

 というふうに訂正されている。すなわち、小字の朱筆による本文校訂は大字による校訂の場合と違って、ミセケチ削除が多く、その内容は独自異文の形から定家本等と同文へという流れと逆に定家本等と同文から独自異文等へという流れが相半ばしているところに特徴が見られる。

  b 小字の墨筆による書入訂正

 1「七(+日)夜は」(11丁オ10行)--イ「七夜は」(1234頁12行)
                   ロ「七日夜は」(御)
                   ハ「七日の夜」(保)
                   ニ「七日の夜は」(国)

 大島本は墨筆で小さく「日」と補入。大成で指摘する唯一の例である。以下の小字の墨筆による訂正はすべて指摘しない。訂正以前の本文は定家本等と同文である。それを別本の御物本や保坂本そして国冬本等のいずれも「日」のある本文と同文に訂正している。なぜ、そのような訂正をしたのか。推測するに、それより数行前に、「五日の夜中宮の御かたより」(11丁オ3行)云々とある。それを受けて「七日夜はうちよりそれもおほやけさまなり」(11丁オ10行)という表現が出てきたのではなかろうか。それにしても、いわゆる「お七夜」「七夜」の語句は『日本国語大辞典』によれば「新儀式」五皇后産事に見られ、次いで、この尊経閣文庫本「柏木」の用例、そして「中右記」寛治7年10月8日条の例が掲出されているから、当時既に成語として存在していたと思うが、文脈によって「五日の夜」「七日の夜」という改変が生じたものであろうと思う。

 2「いかの(の$)ほとに」(31丁オ6行)--イ「いかのほとに」(1249頁8行)
                      ロ「いかのほとゝ」(横)
                      ハ「いか(+の)ほとに」(榊)
                      ニ「いかなとのほとに」(保国)

 大島本は墨筆で小さく「ヒ」と字母「乃」の中央にミセケチ符合を付ける。誕生後の「五十日の祝い」の意での「いか(五十日)」である。したがって「の」が無いと、「いかほどに」という副詞の意にも誤解されよう。諸本中には「の」の無い本文はないのだが、榊原家本の訂正以前の本文が「の」が無い。国宝源氏物語絵巻第三段にも描かれた有名な場面である。あえて「の」を削除する意味も見出しがたい。かえって誤解を招くような訂正である。

 3「日々(日々$)にわたり給て(り給て$)」(31丁ウ4行)--「ひゝにわたり給て」(1249頁12行)

 大島本は墨筆で「日」の左側に小さく「二」とミセケチの符合を付け、「々」にはその左側やはり小さく「ー」と付け、以下「り給て」にもその左側に小さく「ー」や「二」の符合を付けているが、ここはそれらの文字だけを削除したのでは文意が不通であるから、おそらくは「日々にわたり給て」の句全体を削除しようとしたために「ー」という符合を使用しているのではないかと思われる。この箇所には異同も無い。

 4「御(御$)いかに」(31丁ウ7行)--「御いかに」(1249頁13行)

 大島本は「御」の文字の中央余白に墨筆で小さく「ヒ」とミセケチの符合を付ける。諸本異同ナシ。「御いかにもちゐまいらせ給はんとて」(31丁ウ7行)という文脈である。

 5「おかしけな(な$)り」(32丁ウ10行)--「おかしけなり」(1250頁11行)

 大島本は「な」の右側に墨筆で小さく「ヒ」とミセケチの符合を付ける。諸本異同ナシ。「な」を削除したら「なり」という語形が整わなくなる。

 6「たゆ(ゆ$の)ましき」(33丁オ2行)--「たゆましき」(1250頁12行)

 大島本は5同様に「ゆ」の右側に墨筆で小さく「ヒ」と記し、さらにその右に「の」と書く。すなわち「たのましき」と訂正したものである。しかし諸本異同ナシ。

 7「ゑ(+み)かちなる」(34丁オ9行)--イ「ゑかちなる」(1251頁11行)
                    ロ「ゑみかちなる」(麦阿)

 大島本は「ゑ」と「か」の間の右側に小さく墨筆で「み」と補入する。訂正以前の「み」の無い本文は定家本等と同文である。大島本はそれを別本の麦生本・阿里莫本等と同文の「ゑみかち」に訂正している。「笑(ゑ)がち」の語句は中古の用例としては、『源氏物語』にはここの用例一例のみであるが、『枕草子』「にくきもの」の章段に「なでふことなき人の、ゑがちにて物いたう言ひたる」(28段)とある。「ゑみがち」の用例は、中古の用例は見られず、『日本国語大辞典』によれば中世の擬古物語の『あさぢが露』(鎌倉期成立)に「ふくらかにうちこえたる人のいとさまくだりたるさましたるが、まゆふとくつくりかねくろくゑみがちにて」とあるそうである。「み」の補訂は国語史的に問題になりそうな訂正である。
 以上、大島本には小字の墨筆による書入訂正は7例ある。大成はうち最初の1例のみ指摘して他の6例を指摘しない。そのありかたに一貫性が見られない。さて、その内容は、補入2例、ミセケチ4例、ミセケチ訂正1例である。
 大島本の本文は小字の墨筆による補入によって、

  イ、定家本等と同文から別本の御物本等とまた麦生本・阿里莫本との共通異文へ--(1・7)

 また小字の墨筆のミセケチ削除によって、

  イ、定家本等と同文から独自異文へ--(2・3・4・5)

 また小字の墨筆のミセケチ訂正によって、

 イ、定家本等と同文から独自異文へ--(6)

 というふうに訂正されている。すなわち、小字の墨筆による本文校訂は、いずれも定家本等との同文を独自異文へ、しかもその中には文意不通・語形不完全な形を記している。このことは、底本の訂正というよりも他本との校合をメモしたような性格のものと見るべきであろう。大成が校異欄で取り上げなかったのもこのような性格によるのであろうか。

  まとめ

 以上、大島本「柏木」巻における大字の朱筆・墨筆による本文校訂は大筋において独自異文や別本との共通異文の形から定家本と同文へという流れが認められるのであるが、問題は、一つには、その反対の流れ、すなわち定家本との同文から独自異文や他の本文との共通異文へという流れも存在することである。大島本の校訂跡に従って本文を整定したら定家本から時に離れて行ってしまうのではないかということ。このことは他の巻々の本文整定の上で特に重要な問題となるであろう。
 また、一つには、大島本じたいの本文に独自異文または別本諸本との混態的要素を含んでいるのではないかということである。大島本の本文じたいの独自異文や別本諸本との混態性に対する厳密な本文批判という問題が要求されるであろう。さらに、小字の朱筆・墨筆の書入訂正に従うと、ますます定家本から離れたおかしな本文になってしまうのではないかと思われることである。あるいは、後世の人による或る本文と対校したメモのようなものであったのではないかと思われ、必ずしもそれに従わねばならないものではないのではないか、と想像される。いずれにせよ、大島本の本文については、その本文の様態に基づいて本文批判がなされることが大事である。

  注

 (1)池田亀鑑『源氏物語大成研究資料篇』「第1章 青表紙本の形態と性格」73頁、昭和31年1月 中央公論社)
 (2)池田亀鑑『源氏物語大成研究資料篇』「第1章 青表紙本の形態と性格」76頁、昭和31年1月 中央公論社)
 (3)玉上琢彌『源氏物語評釈』「凡例」(昭和39年~43年 角川書店)。石田穣二・清水好子校注新潮日本古典集成『源氏物語』(8巻 昭和51年~60年 新潮社)も同じ方針である。『日本古典文学全集』(昭和45年~51年 小学館)『完訳日本の古典』(昭和58年~63年 小学館)の本文整定を担当された阿部秋生氏も『完本源氏物語』(平成4年10月 小学館)では、定家本、明融臨模本、大島本の順で底本に選択している。ただ、「行幸」は大島本、「野分」は定家本(現天理図書館蔵)を採用している。
 (4)石田穣二『柏木(源氏物語)』「校訂私言」(昭和34年5月 桜楓社)太田晶二郎「源氏物語(青表紙本)解題」「古典籍覆製叢刊 源氏物語(青表紙本)使用上の注意」(昭和53年11月 古典籍覆製叢刊刊行会)
 (5)阿部秋生「源氏物語の諸本分類の基準」(『国語と国文学』第57巻第4号 昭和55年5月)片桐洋一「もう一つの定家本「源氏物語」」(『中古文学』第26号 昭和55年10月)
 (6)伊井春樹「大島本源氏物語の本文--『源氏物語大成』底本の問題点--」(『詞林』第3号 昭和63年5月)「大島本源氏物語書き入れ注記の性格」(『国語と国文学』第65巻第8号 昭和63年8月)「大島本源氏物語の本文--書入れ・ミセケチ一覧(一)」(『詞林』第4号 平成元年5月)室伏信助「大島本『源氏物語』採択の方法と意義」(新日本古典文学大系『源氏物語』第1巻「解説」平成5年1月 岩波書店)
 (7)『源氏物語別本集成』(平成元年3月 桜楓社)新日本古典文学大系『源氏物語』「大島本の本文の様態」(平成4年1月 岩波書店)
 (8)原装影印古典籍覆製叢刊「青表紙本 源氏物語」2帖(昭和53年11月 古典籍覆製叢刊刊行会)「東海大学蔵桃園文庫影印叢書 源氏物語(明融本)」1・2(平成2年6月・7月 東海大学出版会)
 (9)注6参照。

 付記 本稿は、平成5年度国学院大学国文学会5月例会(5月15日)において、「藤原定家と『源氏物語』校訂--定家本・明融臨模本・大島本との関係について--」と題して、研究発表した後半部の本文関係の問題についてまとめたものである。前半部については「藤原定家と『源氏物語』注勘--「柏木」巻における尊経閣文庫本・明融臨模本・大島本の奥入・付箋・行間書入・朱合点等の関係を中心として--」(国学院大学国文学会『日本文学論究』第53冊 平成6年3月)と題して発表させていただいた。その後、(財)古代学協会において、大島本「花散里」「柏木」両巻について、閲覧を許可され調査する機会を得たので、補訂しまとめたものである。貴重図書の閲覧許可を賜った(財)古代学協会並びにいろいろとご教示いただいた藤本孝一氏に対して厚くお礼申し上げる。

 追記 (財)古代学協会所蔵「大島本源氏物語」53帖(「浮舟」欠)は、本稿発表後、平成8年5月に角川書店から影印本全10巻の形で刊行された。

初出「大島本「柏木」巻の本文について--大島本の本文校訂を中心として--」(『国学院雑誌』第95巻第6号 平成6年6月)

定家本「源氏物語」生成過程の研究(戻)
渋谷栄一研究室(戻)
inserted by FC2 system