Last updated 2/22/2006
渋谷栄一(C)(ver.1-1-1)
《岩波・日本古典文学大辞典》「松浦宮物語<まつらのみやものがたり> 三巻。物語。作者未詳。『無名草子』に「又定家少将の作りたるとてあまた侍るめるは、ましてたゞけしきばかりにて、むげにまことなきものに侍るなるべし。松浦の宮とかやこそひとへに万葉集の風情にて…」とあるので、藤原定家の作と見なす説もあるが、明言できない。「松浦物語」「松浦宮」と題する写本もある。題名は、主人公が渡唐する時その母が詠んだ歌「今日よりや月日のいるをしたふべき松浦の宮にわが子待つとて」による。
【諸本】現存最古の写本は伝伏見院宸翰本(吉田幸一蔵)で鎌倉末期の写本。南北蝶期写本に伝後光厳院宸翰本(蜂須賀家旧蔵、文化庁蔵)があり、他には宮内庁書陵部・静嘉堂文庫・内閣文庫・尊経閣文庫・三手文庫・多和文庫・京都大学等に一本ないし数本を蔵するが、いずれも伝後光厳院宸翰本から出た江戸初期の写本である。
【複製】原装影印古典籍覆製叢刊(伝後光厳院宸翰本)
【翻刻】岩波文庫(小山田与清の『松浦宮物語考』を付載。角川文庫。桂宮本叢書16。続群書類従18輯上。」
(『日本古典文学大辞典』「松浦宮物語」中野幸一執筆 1984年10月 岩波書店)
巻冊数 三巻一帖
装訂・書型 綴葉装。竪一八・八×一八・一五糎。桝型本。
表紙 表裏共に後補の浅黄地の中に、牡丹に二重蔓文金欄の裂。題簽外題なし。見返しは斐紙に金銀切箔、銀芒を散らす。
本文 料紙は厚様の斐紙、墨付半葉一面十一行書。和歌は改行二字下げで、末句を文に続けて書く。一行約二十字前後。
製本 一帖が折帖六括りから成り、総紙数は五十三枚、百六丁の筈が、第五十一枚目の右半葉が存し、左半葉切取のため、百五丁。内、首二丁遊紙、墨付九十八丁。尾五丁遊紙。各括別に料紙の文様などを示せば、左の通り。オ・ウは表・裏を表わす。素紙は白とす。
第一括。九紙を二つ折にして重ねて十八丁とし、首二丁遊紙、墨付十六丁。(料紙文様は第一ウ紫雲紙、二ウ藍雲紙、三丁、四丁白、五丁オ蝶鳥下絵・五ウ月霞草花下絵、六オ菊紅葉垣下絵・六ウ蝶鳥下絵、七丁白、八丁紫染紙、九丁紫藍二色雲紙、十丁紫藍二色雲紙、十一丁紫染紙、十二オ蝶下絵・十二ウ海賦葦手下絵、十三オ三日月海賦葦手下絵・十三ウ蝶鳥下絵、十四丁白、十五丁白、十六丁白、十七オ藍雲紙・十七ウ白、十八オ紫雲紙・十八ウ白)
第二括。九紙を二つ折にして重ねて十八丁とし、墨付十七半。(料紙文様は、一丁白、二オ白・二ウ藍雲紙、三オ蝶鳥下絵・三ウ土坡秋草下絵、四オ秋草葦手下絵・四ウ蝶鳥下絵、五丁藍染紙、六丁白、七オ蝶鳥下絵・七ウ田土坡草花葦手下絵、八オ田土坡草花葦手下絵・八ウ蝶鳥下絵、九丁白、十丁白、十一オ蝶鳥下絵・十一ウ薄野下絵、十二オ薄野下絵・十二ウ蝶鳥下絵、十三丁白、十四丁藍染紙、十五丁白、十六丁白、十七オ藍雲紙・十七ウ白、十八オ白・十八ウ白紙の中央に「松浦宮二」とあり。)
第三括。九紙を二つ折にして重ねて十八丁とし、墨付十八丁。(料紙文様は、一丁紫染紙、二丁紫藍二色雲紙、三丁白、四丁白、五丁紫藍二色両面雲紙、六オ蝶鳥下絵・六ウ墨流しに水辺葦の下絵、七オ墨流し水辺葦の下絵・七ウ蝶鳥下絵、八丁藍染紙、九オ紫藍二色雲紙・九ウ白、十オ白・十ウ紫藍二色雲紙、十一丁藍染紙、十二丁白、十三丁白、十四丁紫藍二色両面雲紙、十五オ蝶鳥下絵・十五ウ葦手下絵、十六オ葦手下絵・十六ウ蝶鳥下絵、十七丁紫藍二色雲紙、十八丁紫染紙)
第四括。九紙を重ねて二つ折にして十八丁とし、墨付十七丁半。(料紙文様は、一オ藍雲紙・一ウ白、二オ蝶鳥下絵・二ウ蕨伏籠下絵、三オ蕨下絵・三ウ蝶鳥下絵、四丁藍染紙、五丁白、六オ蝶鳥下絵・六ウ八重梅霞下絵、七オ霞下絵・七ウ蝶鳥下絵、八丁白、九オ白・九ウ紫雲紙、十オ紫雲紙・十ウ白、十一オ蝶鳥下絵・十一ウ遠山霞下絵、十二オ遠山霞下絵・十二ウ蝶鳥下絵、十三丁白、十四丁白、十五丁藍染紙、十六丁白、十七丁白、十八オ白・十八ウ藍雲紙の中央に「松浦宮三」と墨書。)
第五括。九紙を重ねて二つ折にして十八丁とし、墨付十八丁。(料紙文様は、一丁藍染紙、二オ蝶鳥下絵・二ウ月雲雁秋草花籠下絵、三オ雲雁下絵・三ウ蝶鳥下絵、四丁白、五丁白、六オ蝶鳥下絵・六ウ秋野雁下絵、七オ秋野雁下絵・七ウ蝶鳥下絵、八丁白、九オ蝶鳥下絵・九ウ刈萱龍胆下絵、十オ刈萱下絵・十ウ蝶鳥下絵、十一オ蝶鳥下絵・十一ウ霞卯花垣下絵、十二オ霞卯花垣下絵・十二ウ蝶鳥下絵、十三丁白、十四丁白、十五丁白、十六丁白、十七丁白、十八丁藍染絵)
第六括。八紙を重ねて二つ折として十六丁、墨付は前半七・五丁が本文と省筆二、次の一オは「貞観三年四月十八日…」の偽跋一、裏は白紙、その次一オに「これもまことの事也…」の偽跋二あり、以下四丁半墨付なし、他に切取り一丁あり。(料紙文様は一オ白・一ウ藍雲紙、二オ蝶鳥下絵・二ウ野田に蕨下絵、三オ野田に蕨下絵・三ウ蝶鳥下絵、四丁白、五丁紫雲紙、六丁藍染紙、七丁白、八オ白・八ウ紫雲紙、九オ紫雲・九ウ白、十オ白紙に偽跋・十ウ白、十一オ白・十一ウ紫雲紙、十二丁白、十三丁白、十四丁白、十五オ藍雲紙)如上の白紙と染紙と雲紙の三種を綴り合わせて冊子として後、金泥・銀泥を用いて下絵が施され、また染紙は、漉き染めではなく、刷き染めであることが、同じ藍紙であっても、片面が濃い藍、片面が淡い藍である場合のあることで確められ、雲紙も、片面と両面、紫と藍、紫藍二色の三種が組み合わせられているし、金銀泥の下絵は、隣り合った二丁に跨がって、初丁オと後丁ウとが蝶鳥の散らし文様、また初丁ウと後丁オとの見開きが、毎回主題を異にした構図であることが知られる。
書入 本文について付記すると、全文一筆であるが、文中にまま本文とは別筆で、校異、見せ消ち書入れがあり、人名、官名、地名の真字には、片仮名の墨傍訓、朱句点が付けられている。」(『松浦宮物語 伏見院本考』450~452頁)
「伝伏見天皇宸翰本」
《吉田》「収納箱 内箱と外箱の二重箱入。内箱は樫箱で、蓋の大きさ竪一八・七×一八・七糎。蓋の中央上に「松浦宮」と金泥の箱書。蓋の内側に「まつら乃宮/伏見天皇 正筆/外題中院通村公 はこ梶井宮慈胤親王」の押紙あり。よって、この内箱は近世初期以前のものであろう。外箱は桐箱(竪二〇・八×二〇・七糎)、高さ五・七糎。[合+皿]の下に紫の平紬紐が通してあり、蓋の上で結ぶ方式になっている。
外箱の正面に、銀紙(三・三×六・〇糎)が貼られ、「書籍参/松浦物語」とあり、これは旧蔵者が施したものか。中に「一松浦物語 一帖」として、昭和廿年八月四日 文部省により重要美術品の指定書がある。それは旧蔵者竹田儀一氏宛の書類である。
巻冊数 三巻合一帖
装訂・書型 綴葉装。竪一五・八×横一五・七糎。桝形本。表紙、裏表紙ともに本文紙と共紙。表紙中央上に「松浦物語」と打付書の外題は、中院通村と押紙に伝える。
本文 料紙は斐楮混漉紙、墨付半葉一面十行書。和歌は改行一字または二字下げで、末句を文に続けて書く。一行大体十五字前後。字高約十五糎。
製本 一帖が折帖または折本六括りから成り、紙数や墨付は左の通りである。
第一括。十紙(桝形二葉の大きさ)を重ねて二つ折にして、二十丁。首一葉が表紙、次から本文、墨付十八丁(二オ~十九ウ)
第二括。十紙を右と同様にして二十丁。本文墨付二十丁(二十オ~三十九ウ)
第三括。十紙を右と同様にして二十丁。本文墨付二十丁(四十オ~五十九ウ)。但し、四十ウ六行目の左に、「松浦宮二」とあり。以下第二巻であることを意味する。
第四括。十紙を右と同様にして二十丁。本文墨付二十丁(六十オ~七十九ウ)。但し、原の六十八丁~七十一丁の四丁分は切取られている。それゆえ、現六十八丁は原七十二丁でなければならない(四丁ずつ繰上げるところ)、が、いま欠丁を無視して、原典の丁付けをつけた。
第五括。十一紙を右と同様にして二十二丁。本文墨付二十二丁(八十オ~百一ウ)。但し、その間、八十九ウ六行で二巻が終り、余の空白に「まつらの宮三」とあり、次丁以下第三巻となる。
第六括。十紙を右と同様にして二十丁。内、本文墨付十七丁半(百二オ~百十九オ)、本云半丁(百十九ウ)、偽跋一丁(百二十オ・ウ)。但し、尾遊紙一丁。裏表紙一丁(本文紙と共紙)。
以上三巻、墨付合計一一九(原一二三)丁。」(『松浦宮物語 伏見院本考』448~450頁)